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小林まさみ (料理研究家) - Wikipedia コンテンツにスキップ

小林こばやしまさみ (料理りょうり研究けんきゅう)

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小林こばやし まさみ(こばやし まさみ、1970ねん - )は日本にっぽん料理りょうり研究けんきゅう

来歴らいれき

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1970ねん東京とうきょうまれる[1]

学生がくせい時代じだい料理りょうりよりも裁縫さいほうおこなうほうがおおかった[2]就職しゅうしょくしてからは、弁当べんとう自作じさくするようになったが、台所だいどころ手伝てつだいはあまりしていなかった[2]

1995ねん一般いっぱん会社かいしゃいんとしてはたらいていた職場しょくばった男性だんせい結婚けっこんすることになるのだが、結婚けっこんまったさいははから料理りょうりならはじめ、ここで料理りょうりたのしさに目覚めざめる[2]結婚けっこん、しばらくしてから料理りょうり仕事しごとにすることをかんがえ、調理ちょうり学校がっこうかようことをめた[2]。なお、このころしゅうとである小林こばやしまさるのほうが料理りょうりができるくらいの腕前うでまえであったという[2]

1997ねんには平野ひらのレミのアシスタントとなる[3]

テレビの仕事しごと裏方うらかたとして、餃子ぎょうざ100ぶん仕込しこみなどをいえでやって、早朝そうちょうから夜中よなかまではたらくまさみの姿すがたかねたまさるはすで定年ていねん退職たいしょくしていたため、家事かじ手伝てつだいをもう[2][1]

はつ著作ちょさくとなる『よーいどんぶり』を執筆しっぴつするさいに、1にち50ひん撮影さつえいスタジオでつくることになったのだが、調理ちょうりアシスタントをやと予算よさんかった[1]。このときもまさるが手伝てつだいをもうて、あらものだけやってもらうつもりで撮影さつえいスタジオに同行どうこうしてもらったら、まさるは1にちぶっつづけで夜中よなかまであらものをしていた。2にちめの撮影さつえいさいにはつかれるどころか初日しょにちよりもうごきもよく、道具どうぐ位置いちおぼえており、手際てぎわい。そのうち撮影さつえいスタジオのなべみがき、包丁ほうちょうまでぎだした[1]。このことを師匠ししょうである平野ひらのレミにげたところ、これははなしほんのクレジットにスペシャルサンクスとしてまさるのしるすことを版元はんもと交渉こうしょうした[1]。このことから、まさるをアシスタントとして撮影さつえい現場げんばなどにれてくようになった[1]。「アシスタントがしゅうと義父ぎふ)」というシチュエーションはめずらしがられ、まさるのほうにも料理りょうり仕事しごとるようになった[1]

2014ねんより『キユーピー3ふんクッキング』のレギュラー講師こうし1人ひとりとして出演しゅつえんしている。

著書ちょしょ

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共著きょうちょ

出典しゅってん

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外部がいぶリンク

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