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少年しょうねん警察官けいさつかん

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
警視庁けいしちょう少年しょうねん警察官けいさつかん

少年しょうねん警察官けいさつかん(しょうねんけいさつかん)は、太平洋戦争たいへいようせんそうまえ日本にっぽん警察けいさつにおいて、まん20さい未満みまん未成年みせいねんしゃ)の警察けいさつ職員しょくいん総称そうしょう

概要がいよう

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巡査じゅんさとしての少年しょうねん警察官けいさつかん

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太平洋戦争たいへいようせんそうまえ日本にっぽんにおける警察官けいさつかん巡査じゅんさ採用さいよう年齢ねんれいは、時代じだいによって上限じょうげんがあったが、下限かげんについてはまん20さい以上いじょうつね一貫いっかんしていた。

ところがにちちゅう戦争せんそう以後いごおおくの警察官けいさつかん応召おうしょうされ、人員じんいん不足ふそく深刻しんこくしていった。内務省ないむしょうでは、採用さいよう年齢ねんれい制限せいげん緩和かんわ学科がっか試験しけん科目かもく削減さくげん相次あいついで断行だんこうし、1944ねん4がつにはつい採用さいよう年齢ねんれい上限じょうげん撤廃てっぱいし、下限かげんについても18さい以上いじょうとした。同年どうねん12がつにはさらんで17さい以上いじょうにした。

狭義きょうぎ少年しょうねん警察官けいさつかんは、この1944ねん以降いこう採用さいようされた17さい以上いじょう20さい未満みまん警察官けいさつかんすが、「民法みんぽううえ無能力むのうりょくしゃ未成年みせいねんしゃ)が司法しほう警察けいさつけん行使こうしするのは適当てきとうでない」という問題もんだいがあり、人数にんずうもあまりおおくなかった。

書記しょきとしての少年しょうねん警察官けいさつかん

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警視庁けいしちょう府県警ふけんけい察部では、1944ねん以前いぜんより司法しほう警察けいさつけん行使こうししない「書記しょき」(官等かんとう雇員こいん)の名目めいもく未成年みせいねんしゃ採用さいようし、警察けいさつしょうち内勤ないきん事務じむ従事じゅうじさせてきた。この制度せいどによる未成年みせいねん警察けいさつ職員しょくいんのことを、ぞくに「少年しょうねん警察官けいさつかん」とんでいた。

1938ねん大阪おおさか府警ふけい察部において17さい以上いじょう20さい未満みまんもの対象たいしょうに「警務けいむ書記しょきせい」の名目めいもく採用さいようはじまった。その警視庁けいしちょうかく府県警ふけんけい察部にも普及ふきゅうしていった。かれらの身分みぶん現在げんざい警察けいさつ事務じむ職員しょくいん相当そうとうしたが、年齢ねんれい都合つごうじょうそうしたのであり、成人せいじん警察官けいさつかんになることを前提ぜんていとしたものであるため、服務ふくむ規律きりつとう警察官けいさつかん同様どうようのものが要求ようきゅうされた。

発祥はっしょうである大阪おおさかは、警務けいむ書記しょきせい採用さいよう困難こんなんになってきたことから、1941ねんには採用さいよう年齢ねんれいを15さい以上いじょうにまでげ、国民こくみん学校がっこう高等こうとう卒業生そつぎょうせいただちに志願しがんできるようにした。

1946ねんほん制度せいど廃止はいしされた。これまで勤務きんむしていた書記しょきは、本人ほんにん希望きぼう上官じょうかん適任てきにん判断はんだんしたものについては巡査じゅんさ昇任しょうにんさせた。

なお、この書記しょき制度せいど女性じょせいにも門戸もんこひらいており、これらの女性じょせい書記しょきなかには太平洋戦争たいへいようせんそう婦人ふじん警察官けいさつかんになったものもいる。

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 警視庁けいしちょうへんさん委員いいんかいへん警視庁けいしちょう だい3かん』1962ねん警視庁けいしちょうへんさん委員いいんかい
  • 大阪おおさか警察けいさつ編集へんしゅう委員いいんかいへん大阪おおさか警察けいさつ だい2かん』1972ねん大阪おおさか警察けいさつ本部ほんぶ
  • 千葉ちばけん警察けいさつへんさん委員いいんかいへん千葉ちばけん警察けいさつ だい2かん』1985ねん千葉ちばけん警察けいさつ本部ほんぶ
  • 大分おおいたけん警察けいさつへんさん委員いいんかいへん大分おおいたけん警察けいさつ だい1かん』1986ねん大分おおいたけん警察けいさつ本部ほんぶ

関連かんれん項目こうもく

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