岡部おかべ哲也てつや

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岡部おかべ 哲也てつや(おかべ てつや、1965ねん5月15にち - )は、1980年代ねんだいから90年代ねんだい前半ぜんはん活躍かつやくしたアルペンスキー競技きょうぎ選手せんしゅ北海道ほっかいどう小樽おたる出身しゅっしん

回転かいてん競技きょうぎ得意とくいとし、日本人にっぽんじんはじめてFISワールドカップ表彰台ひょうしょうだいのぼった。

経歴けいれき[編集へんしゅう]

中学ちゅうがく3ねん全日本ぜんにほんナショナルチームの強化きょうか選手せんしゅ指名しめいされる。北照高等学校ほくしょうこうとうがっこう卒業そつぎょうデサント入社にゅうしゃ1984ねんオーストリア単身たんしん留学りゅうがく翌年よくねん全日本ぜんにほん選手権せんしゅけん大回転だいかいてん優勝ゆうしょう

1988ねんには男子だんし回転かいてんうみかず俊宏としひろ日本人にっぽんじん2にんのワールドカップだい1シードりをたした。そのとしおこなわれた1988ねんカルガリーオリンピックでは、1956ねんコルチナ・ダンペッツオオリンピックいのたに千春ちはる達成たっせいして以来いらい入賞にゅうしょう期待きたいされたが、直前ちょくぜん調整ちょうせい失敗しっぱいして回転かいてん12大回転だいかいてん28わった。

しかし、直後ちょくごおこなわれたFISワールドカップオップダール大会たいかいでは、当時とうじ世界せかい最強さいきょうで、カルガリーオリンピックのかねメダリストであったアルベルト・トンバに0びょう55おくれの2はいり、日本人にっぽんじんはつ表彰台ひょうしょうだいたした。これは現在げんざいでも佐々木ささきあきらなら日本人にっぽんじん最高さいこうタイである。

よく1988/89シーズンは、オーストリアジュラドミング大会たいかいでの3はじめ、ぜん10戦中せんちゅう6せんで6以内いない入賞にゅうしょうたす活躍かつやくせた。

1992ねんアルベールビルオリンピックではメダルを期待きたいされたが、シーズンまえ原因げんいん不明ふめい蕁麻疹じんましんおかされやく4ヶ月かげつあいだ入院にゅういんし、シーズンのほとんどをぼうってしまった。無理むりをおして出場しゅつじょうしたアルベールビルオリンピックでは、回転かいてん18だった。

1994ねんリレハンメルオリンピックにも出場しゅつじょうしたが、途中とちゅう棄権きけんわった。よく1995ねん富良野ふらのでのワールドカップを最後さいご現役げんえき引退いんたい現在げんざい軽井沢かるいざわプリンスホテルスキーじょうにて「岡部おかべ哲也てつやスキースクール」を経営けいえい一般いっぱん社団しゃだん法人ほうじんジャスト・ラビング・スキー代表だいひょう理事りじ[1]J SPORTSなどで解説かいせつやコメンテーターをつとめている。

出演しゅつえん[編集へんしゅう]

テレビ[編集へんしゅう]

ラジオ[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 一般いっぱん社団しゃだん法人ほうじんジャスト・ラビング・スキー

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]