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平井 嘉一郎(ひらい かいちろう、1907年12月24日 - 2001年1月20日 )は、京都府中郡大宮町(現・京丹後市)出身の実業家。ニチコン社長・会長。
1940年(昭和15年)、立命館大学法学部を卒業。1951年(昭和26年)、経営難に陥っていた関西二井製作所に経営者として入り、1957年(昭和32年)に社長就任。1961年(昭和36年)に社名を日本コンデンサ工業株式会社に変更。その後会長に就任し、現在のニチコンの事実上の創業者として会社の礎を築いた。2001年(平成13年)1月20日に93歳で亡くなった[1]。
2009年(平成21年)には故郷の京丹後市大宮町にある京丹後市立大宮図書室に、平井嘉一郎財団からの寄付によって平井嘉一郎文庫が設置された[2]。その後も平井嘉一郎財団は大宮図書室への寄付を続けており、2019年(平成31年)1月時点で寄付金を基にした購入冊数は2,730冊に上る[3]。
2013年(平成25年)1月17日、母校立命館大学への長年の寄与を称えられ、学校法人立命館より「名誉館賓」の称号を夫人とともに授与された。夫人は、夫の意思を継ぎ、2006年(平成18年)に立命館大学法学研究科、法務研究科の学生らを支援する目的で「平井嘉一郎研究奨励賞」を設置するなどした他、2016年(平成28年)に衣笠キャンパスに竣工した「平井嘉一郎記念図書館」[4][5]の建設費用の大部分を寄付した[6][7]。