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後藤ごとう武夫たけお

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後藤ごとう 武夫たけお(ごとう たけお、1870ねん9月13にち明治めいじ3ねん8がつ18にち) - 1933ねん昭和しょうわ8ねん2がつ25にち)は、日本にっぽん実業じつぎょう帝国ていこく興信所こうしんじょげん帝国ていこくデータバンク)日本にっぽんたましいしゃ創業そうぎょうしゃ[1][2]福岡ふくおかけん出身しゅっしん

来歴らいれき人物じんぶつ[編集へんしゅう]

筑後ちくごこく出身しゅっしん。1883ねん明治めいじ16ねん)、福岡ふくおか県立けんりつ福岡ふくおか中学校ちゅうがっこうげん福岡ふくおか県立けんりつ福岡ふくおか高等こうとう学校がっこう)をて、1887ねん明治めいじ20ねん)4がつ上京じょうきょうして東京とうきょう英語えいご学校がっこう入学にゅうがくするが、1890ねん明治めいじ23ねん)に帰郷ききょうして井尻いじり高等こうとう小学校しょうがっこうげん福岡ふくおか市立しりつ三宅みやけ小学校しょうがっこう)の教員きょういんとなる。1894ねん明治めいじ27ねん)、妻子さいしともなって大阪おおさかうつり、 関西かんさい法律ほうりつ学校がっこうげん関西大学かんさいだいがく[3]入学にゅうがくし、つとめながら修学しゅうがくし、1897ねん明治めいじ30ねん)に卒業そつぎょうする。福岡ふくおかにちにち新聞しんぶん記者きしゃて1898ねん明治めいじ31ねん上京じょうきょうのち明治めいじ33ねん(1900ねん)に帝国ていこく興信所こうしんじょげん帝国ていこくデータバンク)を設立せつりつした。1913ねん大正たいしょう2ねん)、東京とうきょう京橋きょうばし区会くかい議員ぎいんとなり、翌年よくねんには東京とうきょうかい議員ぎいん当選とうせんする。また1916ねん大正たいしょう5ねん)には日本にっぽんたましいしゃ創業そうぎょう雑誌ざっし日本にっぽんたましい』を刊行かんこう、1922ねん大正たいしょう11ねんだい日本にっぽん教化きょうか団体だんたい連合れんごうかい結成けっせいしている[4]

親族しんぞく[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ TDBの歴史れきし 帝国ていこくデータバンク 2017ねん11がつ20日はつか閲覧えつらん
  2. ^ 【1916ねん雑誌ざっし大正たいしょう5ねん)▷「日本にっぽんたましい」(にっぽんこん、日本にっぽんたましいしゃジャパンアーカイブス
  3. ^ 校友こうゆう 帝国ていこくデータバンク創立そうりつしゃ 関西大学かんさいだいがく2017ねん11がつ20日はつか閲覧えつらん
  4. ^ コトバンク デジタルばん 日本人にっぽんじんめいだい辞典じてん+Plus 2017ねん11がつ10日とおか閲覧えつらん
  5. ^ 人事じんじ興信所こうしんじょへん人事じんじ興信録こうしんろくだい6はん、1921ねん、こ60ぺーじ

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]