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新庄 直敬(しんじょう なおたか)は、常陸麻生藩の第15代(最後)の藩主。
文政元年(1818年)、麻生藩分家である旗本の嫡子新庄長門守直孝(3000石)の長男として生まれる。天保8年(1837年)に徳川将軍家の小姓として仕え、8月25日に従五位下・下野守に叙位・任官する。安政元年(1854年)、父が早世していたため、祖父から家督を相続する。慶応3年(1867年)の麻生藩主・新庄直𩑛の夭逝により、新たに本家を相続する。
慶応4年(1868年)の戊辰戦争では新政府に恭順し、4月には水戸藩浪士の追討を務めている。明治2年(1869年)6月24日、版籍奉還により麻生藩知事に任じられ、藩校精義館の創設や藩の職制改革に務めた。明治4年(1871年)7月の廃藩置県により、知藩事を免官される。翌明治5年(1872年)9月2日に死去した。享年55。
父母
正室
子女
新庄氏麻生藩15 代藩主 (1867 年 - 1871 年) |
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