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旧太田脇本陣林家住宅 - Wikipedia コンテンツにスキップ

きゅう太田おおた脇本わきもとじん林家はやしや住宅じゅうたく

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きゅう太田おおた脇本わきもとじん林家はやしや住宅じゅうたく
所在地しょざいち 岐阜ぎふけん美濃加茂みのかも太田本おおたほんまち3-3-34
位置いち 北緯ほくい3526ふん17.3びょう 東経とうけい13700ふん49.3びょう / 北緯ほくい35.438139 東経とうけい137.013694 / 35.438139; 137.013694座標ざひょう: 北緯ほくい3526ふん17.3びょう 東経とうけい13700ふん49.3びょう / 北緯ほくい35.438139 東経とうけい137.013694 / 35.438139; 137.013694
類型るいけい 町屋まちや庄屋しょうや脇本わきもとじん
形式けいしき構造こうぞう 木造もくぞうひらいれ切妻きりづまづくり2かいけんおも)、桟瓦葺かわらぶき、うだつ
建築けんちくねん おも居室きょしつ:明和めいわ6ねん1769ねん
おも座敷ざしき:安永やすなが2ねんごろ(1773ねんころ)
表門おもてもん:文久ぶんきゅう元年がんねん1861ねん
文化財ぶんかざい くに重要じゅうよう文化財ぶんかざい:昭和しょうわ46ねん(1971ねん12月28にち指定してい平成へいせい12ねん(2000ねん)5がつ25にち追加ついか指定してい
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きゅう太田おおた脇本わきもとじん林家はやしや住宅じゅうたく(きゅうおおたわきほんじんはやしけじゅうたく[1])は、岐阜ぎふけん美濃加茂みのかも太田本おおたほんまちにある脇本わきもとじんになった民家みんかで、中山道なかせんどうにおいて江戸えど時代じだいてられた脇本わきもとじんとしては唯一ゆいいつ現存げんそんしている建造けんぞうぶつである。おも表門おもてもんしつくら借物かりものくら隠居いんきょ便所べんじょ井戸いどへいならびに宅地たくち日本にっぽんこくにより重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定していされている。

林家はやしや中山道なかせんどう太田おおた宿やど庄屋しょうやつとめた名家めいかであり、味噌みそぞうならびに質屋しちや生業せいぎょうとしていた。敷地しきち北側きたがわ中山道なかせんどうかよっていた。

おも居住きょじゅうもちいられる居室きょしつ明和めいわ6ねん(1769ねん)、宿泊しゅくはくとうもちいられる座敷ざしき安永やすなが2ねん1773ねんごろ建造けんぞうされた。おも桁行けたゆき7.5m、梁間はりま9.5mでひらめにゅう切妻きりづまづくり2かいてで、座敷ざしき式台しきだいつぎおよび上段じょうだんあいだそなえた平屋ひらや切妻きりづまづくりで桁行けたゆき3m、梁間はりま5mである。表門おもてもん文久ぶんきゅう元年がんねん(1861ねん)にてられたものである。昭和しょうわ46ねん(1971ねん12月28にちおも表門おもてもんしつくらならびに借物かりものくらくに重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定していされ、平成へいせい12ねん(2000ねん5月25にちには隠居いんきょ便所べんじょ井戸いどへいおよび宅地たくち追加ついか重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定していされている。2022ねん現在げんざいでも林家はやしや住宅じゅうたくとして使用しようしているが、隠居いんきょ一般いっぱん公開こうかいされている。

脚注きゃくちゅう

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参考さんこう文献ぶんけん

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  • 岐阜ぎふけん教育きょういく委員いいんかい岐阜ぎふけん文化財ぶんかざい図録ずろく』 p.56 1997ねん