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東明寺とうみょうじ (和光わこう)

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東明寺とうみょうじとうみょうじ

山門さんもん
所在地しょざいち 埼玉さいたまけん和光わこう白子しらこ3-14-13
位置いち 北緯ほくい3547ふん29.2びょう 東経とうけい13938ふん03.1びょう / 北緯ほくい35.791444 東経とうけい139.634194 / 35.791444; 139.634194座標ざひょう: 北緯ほくい3547ふん29.2びょう 東経とうけい13938ふん03.1びょう / 北緯ほくい35.791444 東経とうけい139.634194 / 35.791444; 139.634194
山号さんごう 福田山ふくたやま[1]
宗旨しゅうし 臨済宗りんざいしゅう[1]
宗派しゅうは 建長寺けんちょうじ
本尊ほんぞん 釈迦如来しゃかにょらい
開山かいさん はるみょうひろしあきら国師こくし[1]
正式せいしきめい 福田山ふくたやま東明禪寺とうめいぜんじ
別称べっしょう 東明禅寺とうめいぜんじ
吹上ふきあげ観音かんのん
文化財ぶんかざい ひゃく庚申塚こうしんづか鰐口わにぐち(和光わこう指定してい文化財ぶんかざい
公式こうしきサイト https://www.tomyoji.com
法人ほうじん番号ばんごう 8030005006750 ウィキデータを編集
東明寺の位置(埼玉県内)
東明寺
東明寺とうみょうじ
東明寺とうみょうじ (埼玉さいたまけん)
テンプレートを表示ひょうじ

東明寺とうみょうじ(とうみょうじ)は、埼玉さいたまけん和光わこう白子しらこにある臨済宗りんざいしゅう建長寺けんちょうじ寺院じいんである。山号さんごう福田山ふくたやまで、東明禅寺とうめいぜんじともばれる。

歴史れきし[編集へんしゅう]

1380ねんかんれき2ねん)にひろしあきら国師こくし勧請かんじょう開山かいさんとしてむか開山かいさんした。だい7せいつね西にし和尚おしょう行基ぎょうきさくつたえられる赤池あかいけどう観世音かんぜおん境内けいだい安置あんちし、これにより「吹上ふきあげ観音かんのん」としてられるようになる。

文化財ぶんかざい[編集へんしゅう]

ひゃく庚申こうしん[編集へんしゅう]

観音堂かんのんどう裏手うらて庚申こうしんとうが135かれており、これをひゃく庚申こうしんという。それぞれの庚申こうしんとう作成さくせい年次ねんじ江戸えど時代じだい中期ちゅうきたかられき年間ねんかんから明治めいじ中期ちゅうきにわたっているが、江戸えど時代じだい末期まっきの1848ねんよしみひさし元年がんねん)、どう2ねんのものがやく100かぞえ、このときしん庚申こうしんとうかれた。1969ねん10がつ4にち和光わこう有形ゆうけい文化財ぶんかざい 民俗みんぞく資料しりょう指定していされている[2]

鰐口わにぐち[編集へんしゅう]

観音堂かんのんどうなが使つかわれた鰐口わにぐちは1571ねんもとかめ)2ねん北条ほうじょうつかえた河村かわむら弥二郎やじろうより寄進きしんされたものである。和光わこう現存げんそんする最古さいこ金工きんこうげいひんとして、1959ねん7がつ13にち和光わこう有形ゆうけい文化財ぶんかざい 工芸こうげいひん指定していされている[2]

さんじゅうさん観音かんのんぞう[編集へんしゅう]

西国さいこくさんじゅうさん霊場れいじょう勧請かんじょうした33たい観音かんのんぞう聖観音しょうかんのん立像りつぞう4たいじゅういちめん観音かんのん立像りつぞう4たい千手観音せんじゅかんのん立像りつぞう13たい千手観音せんじゅかんのん座像ざぞう4たい如意輪観音にょいりんかんのん座像ざぞう6たい馬頭観音ばとうかんのん座像ざぞう2たいである。

仁王におうぞう[編集へんしゅう]

仁王門におうもん木造もくぞう仁王におうぞうたかさ2mちょうで、和光わこう最大さいだい仏像ぶつぞうである。江戸えど時代じだい前期ぜんきさく推定すいていされる。

扁額へんがく[編集へんしゅう]

観世音かんぜおん」とかれた、三井みつい親和しんなによる扁額へんがくかかげられている。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]