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松平まつだいら信書しんしょ

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松平まつだいら信書しんしょ
時代じだい 江戸えど時代じだい後期こうき
生誕せいたん ひろし3ねん6月8にち1846ねん7がつ30にち
死没しぼつ 元治もとはる元年がんねん6月27にち1864ねん7がつ30にち
墓所はかしょ 東京とうきょう台東たいとう下谷しもたに英信えいしんてら
官位かんい したがえ丹後たんごもり
幕府ばくふ 江戸えど幕府ばくふ
主君しゅくん 徳川とくがわ家茂いえもち
はん 駿河するが小島こじまはんあるじ
氏族しぞく 滝脇たきのわき松平まつだいら
父母ちちはは ちち松平まつだいら信友のぶともははしょう
養父ようふ松平まつだいらしんすすむ
兄弟きょうだい 信書しんしょ松平まつだいらしんけん正室せいしつ
養子ようしたきわき信敏のぶとし
テンプレートを表示ひょうじ

松平まつだいら 信書しんしょ(まつだいら のぶふみ)は、江戸えど時代じだい後期こうき大名だいみょう駿河するがこく小島こじまはんだい10代藩主はんしゅ滝脇たきのわき松平まつだいら17だい官位かんいしたがえ丹後たんごもり

略歴りゃくれき

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だい7だい藩主はんしゅ松平まつだいら信友のぶともの3なん次男じなんとも)として誕生たんじょう

ちち隠居いんきょまれる。文久ぶんきゅう3ねん1863ねん)、先代せんだい藩主はんしゅしんじすすむ死去しきょにより、その養嗣子ようししとなってあといだ。元治もとはる元年がんねん1864ねん)6がつ27にち、19さい死去しきょし、あと養嗣子ようしし信敏のぶとしいだ。墓所はかしょ東京とうきょう台東たいとう下谷しもたに英信えいしんてら

系譜けいふ

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父母ちちはは

養子ようし養女ようじょ