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桧山ひやま鉄三郎てつさぶろう

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桧山ひやま 鉄三郎てつさぶろう檜山ひやま 鐵三郎てつさぶろう、銕三郎さぶろう、ひやま てつさぶろう、1862ねん文久ぶんきゅう2ねん11月[1][2]) - 1922ねん大正たいしょう11ねん1がつ23にち[3])は、日本にっぽん政治せいじ衆議院しゅうぎいん議員ぎいん(1)。

経歴けいれき[編集へんしゅう]

江戸えどまれ[1]おさむだましゃまなぶ。小学校しょうがっこう訓導くんどう裁判所さいばんしょ書記しょきしば会議かいぎいん東京とうきょうかい議員ぎいんしば徴兵ちょうへい参事さんじいん大本営だいほんえいづけ陸軍りくぐんしょう雇員こいん台湾たいわん総督そうとく雇員こいんたいちゅうちょう埔里しゃ支庁しちょうちょう心得こころえたいちゅうけん支庁しちょう書記官しょきかん台湾たいわん総督そうとくほういん判事はんじ、埔里社地しゃち方法ほうほう院長いんちょうどうなで墾署ちょう心得こころえたいちゅうけん支庁しちょうちょう歴任れきにん[2]。また、しば銀行ぎんこう創立そうりつ頭取とうどりとなり、仙人せんにん鉄山てつざん日立ひたち鉱山こうざんかくせいこうしょ事務じむちょうとなる[3]

1894ねん3月のだい3かい衆議院しゅうぎいん議員ぎいんそう選挙せんきょにおいて東京とうきょうだい2から無所属むしょぞく立候補りっこうほして当選とうせん[4]衆議院しゅうぎいん議員ぎいんは1つとめ、同年どうねん9がつだい4かい衆議院しゅうぎいん議員ぎいんそう選挙せんきょ落選らくせんした[5]。1922ねん死去しきょした。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b 衆議院しゅうぎいん へんそう選挙せんきょ衆議院しゅうぎいん議員ぎいん略歴りゃくれき だい1かい乃至ないしだい202かい衆議院しゅうぎいん事務じむきょく、1940ねん375ぺーじNDLJP:1278238 
  2. ^ a b 議会ぎかい制度せいどひゃくねん - 衆議院しゅうぎいん議員ぎいん名鑑めいかん』530ぺーじ
  3. ^ a b 議会ぎかい制度せいどひゃくねん - 衆議院しゅうぎいん議員ぎいん名鑑めいかん』531ぺーじ
  4. ^ 衆議院しゅうぎいん名鑑めいかん だい1かい・1890ねんだい34かい・1976ねんそう選挙せんきょ』14ぺーじ
  5. ^ 衆議院しゅうぎいん名鑑めいかん だい1かい・1890ねんだい34かい・1976ねんそう選挙せんきょ』20ぺーじ

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • そう選挙せんきょ衆議院しゅうぎいん議員ぎいん略歴りゃくれき だい1かい乃至ないしだい20かい衆議院しゅうぎいん事務じむきょく、1940ねん
  • 日本にっぽん国政こくせい調査ちょうさかいへん衆議院しゅうぎいん名鑑めいかん だい1かい・1890ねんだい34かい・1976ねんそう選挙せんきょ国政こくせい出版しゅっぱんしつ、1977ねん
  • 衆議院しゅうぎいん参議院さんぎいん議会ぎかい制度せいどひゃくねん - 衆議院しゅうぎいん議員ぎいん名鑑めいかん大蔵省おおくらしょう印刷いんさつきょく、1990ねん