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欧州おうしゅう防衛ぼうえい共同きょうどうたい

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

欧州おうしゅう防衛ぼうえい共同きょうどうたい(おうしゅうぼうえいきょうどうたい、European Defence Community, EDC, 以下いか EDC)は、1950ねんフランス首相しゅしょうルネ・プレヴァン提唱ていしょうした、ひろしヨーロッパ防衛ぼうえいぐん組織そしきする構想こうそうである。ほんこうでは、発効はっこうしなかった欧州おうしゅう防衛ぼうえい共同きょうどうたい条約じょうやく(EDC 条約じょうやく)についてもべる。

だい世界せかい大戦たいせん記憶きおくがまだえない当時とうじアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくフランスとのあいだでは、アメリカがすすめる西にしドイツさい軍備ぐんびをめぐり対立たいりつしょうじていた。EDC は、東側ひがしがわ諸国しょこくとの衝突しょうとつさいには西欧せいおう諸国しょこく共同きょうどうして組織そしきするひろしヨーロッパ防衛ぼうえいぐん対処たいしょするという構想こうそうであり、ドイツのさい軍備ぐんびNATO 加盟かめい阻止そしする対案たいあんとしてフランスの首相しゅしょうルネ・プレヴァンにより提唱ていしょうされたものである。EDC 条約じょうやくには、西にしドイツ、フランス、イタリア、およびベネルクス諸国しょこく加盟かめいする計画けいかくだった。これらの各国かっこく1952ねん5月27にちに EDC を具体ぐたいする EDC 条約じょうやく調印ちょういんしたが、この条約じょうやく発効はっこうすることはなかった。

かりに EDC 条約じょうやく発効はっこうしていれば、かく国家こっかごとに区分くぶんされた部隊ぶたいをもつ、ちょう国家こっかてきひろしヨーロッパ防衛ぼうえいぐん創設そうせつされるはずであった。このひろしヨーロッパ防衛ぼうえいぐん特徴とくちょうてき指揮しきけん想定そうていされていた。つまり、ひろしヨーロッパ防衛ぼうえいぐんのうちの西にしドイツ部隊ぶたいが EDC の指揮しきけるのにたいし、他国たこく(フランス、イタリア、ベルギー、オランダ、およびルクセンブルク)の部隊ぶたい出身しゅっしん各国かっこく政府せいふ指揮しきける、というものであった。これはドイツ軍国ぐんこく主義しゅぎ復活ふっかつへのおそれをのぞ措置そちであり、西にしドイツが軍事ぐんじりょく保有ほゆうしたとしても西にしドイツ政府せいふには指揮しきさせないことを目的もくてきとしていた。なお、条約じょうやくには規定きていいていたものの、西にしドイツぐん拒否きょひがあった場合ばあいには西にしドイツ政府せいふがその軍隊ぐんたい指揮しきることが合意ごういされていた。また、ひろしヨーロッパ防衛ぼうえいぐん共通きょうつう予算よさん武器ぶき制度せいどつこととされており、その結果けっか各国かっこく部隊ぶたいのための軍需ぐんじゅ物資ぶっし調達ちょうたつ集中しゅうちゅうしておこなわれることになっていた。

この構想こうそう破綻はたんしたのは、フランスが議会ぎかいフランス国民こくみん議会ぎかい)における批准ひじゅん失敗しっぱいしたことが原因げんいんである。フランスの独自どくじ路線ろせん重視じゅうしするド・ゴール主義しゅぎしゃたちはつぎのような懸念けねんいた。つまり、ゴーリストは、EDC 条約じょうやくがフランスの主権しゅけん憲法けんぽうもとづくフランス共和きょうわこく不可分ふかぶんせいおかすものであり、かえって EDC が西にしドイツのさい軍備ぐんびうながしかねない、と懸念けねんした。1954ねん8がつ30にち、EDC 条約じょうやく批准ひじゅん法案ほうあん国民こくみん議会ぎかい下院かいん)にまわされたが、ゴーリストたちの反対はんたいにより 264 たい 319 で否決ひけつされた。

上記じょうきかく懸念けねんとともに問題もんだいとなったのは、1950ねんにプレヴァンがしたオリジナルのあん(プレヴァン・プラン)と1954ねん議会ぎかいまわされたあんとのあいだ相違そういてんだった。1954ねん法案ほうあんではプレヴァン・プランにくらべ、部隊ぶたい統合とうごうあん大隊だいたいレベルから師団しだんレベルに拡大かくだいされていたばかりか、さらに指揮しき系統けいとうにも変更へんこうくわえられ、ひろしヨーロッパ防衛ぼうえいぐん作戦さくせん責任せきにんしゃにはNATO最高さいこう司令しれいかんたることにもなっていた。そこでEDC条約じょうやくたいする悪評あくひょうをなだめるため、ときのフランス首相しゅしょうマンデス=フランスは、追加ついか議定ぎていしょ条約じょうやく加盟かめいこく批准ひじゅんさせようとした。この議定ぎていしょ援護えんご部隊ぶたいのみの統合とうごうや、その部隊ぶたい展開てんかいをドイツ国内こくないのみとすること、そして予算よさん管理かんりなどの事情じじょうかんしては各国かっこくごとの権利けんり行使こうし大幅おおはばみとめることなどをふくんでいた。つまり、この追加ついか議定ぎていしょは、フランスにとって有利ゆうりであるものの、EDC の構想こうそう自体じたい骨抜ほねぬきにする内容ないようふくむものであった。

イギリスは、基本きほんてきには EDC に賛成さんせいしていたものの、その賛成さんせいは、ちょう国家こっかてき組織そしき側面そくめんがより削減さくげんされれば加盟かめいするという条件じょうけんきのものであった。アメリカは EDC の成立せいりつ自体じたい消極しょうきょくてきだった。

フランス国民こくみん議会ぎかいでの EDC 条約じょうやく批准ひじゅん失敗しっぱい、フランスは西にしドイツのさい軍備ぐんび承認しょうにんした。これをけて1955ねんにはドイツ連邦れんぽうぐん誕生たんじょうした。これ以後いご欧州共同体おうしゅうきょうどうたい加盟かめい諸国しょこくちょう国家こっか連合れんごう形成けいせいんだ。たとえば、シャルル・ド・ゴール提案ていあんによる、外交がいこう政策せいさく共同きょうどうすすめる政治せいじてき国家こっか連合れんごうつくフーシェ・プラン英語えいごばん実現じつげん模索もさくされた。なお、このフーシェ・プランは、伝統でんとうてき欧州おうしゅう懐疑かいぎ主義しゅぎてきはん大西洋たいせいよう主義しゅぎてき性格せいかくつよオランダ拒否きょひけん行使こうしによりほうむられた。

ヨーロッパの外交がいこう政策せいさく統一とういつは、さん度目どめこころみとなる1970ねん欧州おうしゅう政治せいじ協力きょうりょく (European Political Cooperation, EPC) によってようやく確立かくりつした。これは欧州おうしゅう連合れんごう共通きょうつう外交がいこう安全あんぜん保障ほしょう政策せいさく (Common Foreign and Security Policy, CFSP) の前身ぜんしんである。

現在げんざい、EDC がになうはずだった欧州おうしゅう共同きょうどう防衛ぼうえい機能きのうのいくつかが、欧州おうしゅう連合れんごう西欧せいおう同盟どうめい、NATO によってになわれている。しかし、EDC の予定よていしていたちょう国家こっかぐん創設そうせつするまでのこころみはまだおこなわれていない。

関連かんれん項目こうもく

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参考さんこう文献ぶんけん

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  • Judt, Tony (2005). Postwar: A History of Europe Since 1945. Penguin Press. ISBN 1-59420-065-3.

外部がいぶリンク

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