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武装 ぶそう した人 ひと (ぶそうしたひと、仏語 ふつご :L'homme armé )は、ルネサンス 期 き のフランス語 ふらんすご による、作者 さくしゃ 不 ふ 詳 しょう の世俗 せぞく 音楽 おんがく である。北 きた フランスやブルゴーニュ 、フランドル のいずれかの民謡 みんよう とも言 い われる。専門 せんもん 的 てき には、原語 げんご に即 そく してロム・アルメ と呼 よ ばれることが多 おお いが、日本語 にほんご では直訳 ちょくやく 調 ちょう の「武装 ぶそう した人 ひと 」のほかに、「戦士 せんし 」「軍人 ぐんじん 」という訳語 やくご が使 つか われることもある。
The tune "L'homme armé"
フランス語 ふらんすご 原 はら 詞 し
日本語 にほんご (試 ためし 訳 やく )
L'homme, l'homme, l'homme armé, L'homme armé L'homme armé doibt on doubter, doibt on doubter. On a fait partout crier, Que chascun se viengne armer D'un haubregon de fer.
男 おとこ よ、男 おとこ よ、武装 ぶそう した男 おとこ よ、武装 ぶそう した男 おとこ よ。武装 ぶそう した男 おとこ に気 き をつけろ、気 き をつけろ。 みんなそこらじゅうで叫 さけ んでる、 みな武装 ぶそう せよと 鋼 はがね の鎧 よろい で。
ミサ曲 きょく における使用 しよう [ 編集 へんしゅう ]
武装 ぶそう した人 ひと は、ルネサンス 期 き の作曲 さっきょく 家 か が、ミサ曲 きょく を作曲 さっきょく するときに定 てい 旋律 せんりつ として使用 しよう したため、曲 きょく の古 ふる さの割 わり には今日 きょう でも比較的 ひかくてき 広 ひろ く知 し られている。『武装 ぶそう した人 ひと 』は世俗 せぞく 音楽 おんがく の中 なか でおそらく最 もっと も頻繁 ひんぱん に定 てい 旋律 せんりつ に採用 さいよう された歌 うた であろうと考 かんが えられ、現在 げんざい 40以上 いじょう の使用 しよう 例 れい が知 し られている。初期 しょき のルネサンス期 き の大 だい 作曲 さっきょく 家 か は少 すく なくとも一 いち 度 ど はこの旋律 せんりつ に基 もと づいて作曲 さっきょく をしており、この慣習 かんしゅう は17世紀 せいき のカリッシミ の時代 じだい まで続 つづ くこととなる。しかしながら『武装 ぶそう した人 ひと 』によるミサ曲 きょく の真 しん の全盛期 ぜんせいき は、1450年 ねん から1500年 ねん 頃 ころ までであり、16世紀 せいき 後半 こうはん になると「ロム・アルメ・ミサ」の作曲 さっきょく は、保守 ほしゅ 的 てき な教会 きょうかい 音楽 おんがく によって辛 かろ うじて受 う け継 つ がれたにすぎなかった。
『武装 ぶそう した人 ひと 』の現存 げんそん する最古 さいこ の用例 ようれい は、ロバート・モートン の1463年 ねん 頃 ころ の作 さく とされるシャンソン 集 しゅう “Il sera pour vous conbatu/L'homme armé ”であると考 かんが えられている。その以前 いぜん の作 さく と考 かんが えられるものとして、作曲 さっきょく 者 しゃ と作曲 さっきょく 時期 じき が不 ふ 詳 しょう の、メロン・シャンスリエ(Mellon Chansonnier)出典 しゅってん の3声 こえ の曲 きょく がある。1523年 ねん 、ピエトロ・アーロン は論文 ろんぶん “Thoscanello ”において、作風 さくふう の一致 いっち などからこの旋律 せんりつ がアントワーヌ・ビュノワ の作 さく であると指摘 してき している。ただ、それ以外 いがい にはこの説 せつ を裏付 うらづ ける根拠 こんきょ はなく、さらにこの論文 ろんぶん が書 か かれたのも最初 さいしょ の用例 ようれい から70年 ねん 近 ちか くも経 た っていた。リチャード・タラスキンは、ビュノワがこの旋律 せんりつ によるミサ曲 きょく を書 か いたはじめての人 ひと だと主張 しゅちょう するが、これは否定 ひてい 的 てき に見 み られており、多 おお くの学者 がくしゃ は、それよりも前 まえ のギヨーム・デュファイ が、初 はじ めて『武装 ぶそう した人 ひと 』によるミサ曲 きょく を書 か いたと考 かんが えている。
この旋律 せんりつ は特 とく に対位法 たいいほう 的 てき な扱 あつか いをするのに適 てき している。フレーズの輪郭 りんかく がはっきりしており、またカノン を作 つく るのにも適 てき した構造 こうぞう をしている。また、対位法 たいいほう 的 てき な楽曲 がっきょく においても旋律 せんりつ 線 せん が非常 ひじょう にき取 きと りやすい、という特徴 とくちょう がある。
パレストリーナ もいくつかの「ロム・アルメ・ミサ」を作曲 さっきょく しているが、このほかに代表 だいひょう 作 さく の「教皇 きょうこう マルチェルスのミサ曲 きょく 」の旋律 せんりつ 主題 しゅだい は、いきなり完全 かんぜん 4度 ど で跳躍 ちょうやく してから順次 じゅんじ 下降 かこう するという始 はじ まり方 かた において、「武装 ぶそう した人 ひと 」の曲想 きょくそう と類似 るいじ することが指摘 してき されている。
この歌 うた の人気 にんき の理由 りゆう と、「武装 ぶそう した人 ひと 」の重要 じゅうよう 性 せい は多 おお くの議論 ぎろん の的 まと となる。「武装 ぶそう した人 ひと 」とは、大 だい 天使 てんし ミカエル を示 しめ しているとする説 せつ のほか、デュファイ の家 いえ の近 ちか くの居酒屋 いざかや の名前 なまえ (Maison L'Homme Arme)だと主張 しゅちょう するものや、十字軍 じゅうじぐん へ向 む けて武装 ぶそう していることを表 あらわ しているという説 せつ 、最後 さいご のブルゴーニュ公 こう ・シャルル突進 とっしん 公 こう の暗喩 あんゆ であるなどの説 せつ がある。
覚 おぼ えておくとよいのは、この歌 うた の発生 はっせい 時期 じき はオスマン帝国 ていこく の侵略 しんりゃく によってコンスタンティノープル が陥落 かんらく した時期 じき とほぼ一致 いっち するということである。この事件 じけん はヨーロッパに大 おお きな衝撃 しょうげき を与 あた え、たとえば先 さき にデュファイ はこの事件 じけん についてのラメント を作曲 さっきょく している。そのほか、3つの説 せつ はすべて正 ただ しいと考 かんが えることも出来 でき る。当時 とうじ 破竹 はちく の勢 いきお いを見 み せていたオスマン帝国 ていこく に抵抗 ていこう しうる軍隊 ぐんたい を組織 そしき しようとする切迫 せっぱく した気持 きも ちから、この旋律 せんりつ が人気 にんき になったのだと考 かんが えることもできよう。
後世 こうせい への影響 えいきょう [ 編集 へんしゅう ]
非常 ひじょう に歌 うた いやすいことから、多 おお くの作曲 さっきょく 家 か の主題 しゅだい 素材 そざい になっている。新旧 しんきゅう 問 と わず様々 さまざま な作曲 さっきょく 家 か によるオルガンのための作品 さくひん が多 おお いが、中 なか にはフレデリック・ジェフスキー の「ソナタ 」のようにピアノ独奏 どくそう の為 ため に使 つか われることもある。