出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
深谷 弘次基本情報 |
---|
出身地 |
愛知県 |
---|
生年月日 |
(1928-05-22) 1928年5月22日 |
---|
没年月日 |
(2018-11-10) 2018年11月10日(90歳没) |
---|
選手情報 |
---|
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) |
---|
選手歴 |
|
監督・コーチ歴 |
|
|
深谷 弘次(ふかや ひろじ、1928年5月22日 - 2018年11月10日)は、愛知県出身の元アマチュア野球指導者である。
旧制中京商業学校を経て、日本大学に進学する[1]。卒業後は母校の中京商業高校の監督に就任し、1953年の第35回全国高等学校野球選手権大会に出場し、翌年の第36回全国高等学校野球選手権大会で初の全国制覇を成し遂げた[1]。1956年の第28回選抜高等学校野球大会と1959年の第31回選抜高等学校野球大会でも全国制覇を果たしている[1]。
その後、当時同じ学校法人だった三重高校で監督を務め、春夏3度の甲子園への出場を果たし、再び中京高校(中京商から改称)の監督を務めた[1]。中京大学の監督も務めた[1]。春夏通算14度の甲子園出場し、通算33勝11敗という記録を残し、歴代では12位である[1]。
2018年11月10日、死去[2]。90歳没