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片桐かたぎりしんあずか

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片桐かたぎり しんあずか(かたぎり のぶとも、とおる10ねん1725ねん) - 天明てんめい4ねん5月17にち1784ねん7がつ4にち))は、江戸えど時代じだい中期ちゅうき旗本はたもと小泉こいずみはん片桐かたぎり分家ぶんけ一族いちぞくいししゅうりゅう茶人ちゃじん下條しもじょうしんちか通称つうしょう吉之丞きちのじょうよりゆきはは長兵衛ちょうべえ

ひろし元年がんねん1741ねん)に遺跡いせきぐ。どう3ねん1743ねん)、せい下條しもじょうから片桐かたぎりにあらためる。寛延かんえい2ねん1749ねん)4がつ本家ほんけ片桐かたぎりさだおん喧嘩けんかになり絶交ぜっこうして、両家りょうけ出仕しゅっしめられる。5月にゆるされる。のち、書院しょいんばんだいてき射手しゃしゅなどにれっす。将軍しょうぐん徳川とくがわ家治いえはる鷹狩たかがきょうをしたとき、白鳥はくちょう捕獲ほかく献上けんじょうした。このとき家治いえはるおおいによろこび、ものたまわり、白鳥はくちょう家紋かもんとすることをゆるされる。明和めいわ2ねん1765ねん)、ばんす。安永やすなが9ねん1780ねん致仕ちしし、天明てんめい4ねん(1784ねん)5がつ17にち死去しきょ享年きょうねん60。墓所はかしょ東京とうきょう渋谷しぶや祥雲寺しょううんじ

しんまご信任しんにん玄孫げんそんしんじかた家系かけい幕末ばくまつまでつづく。