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田島たじまにしき

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田島たじまにしき

田島たじま にしき(たじま きんじ、慶応けいおう3ねん9月7にち1867ねん10月4にち) - 昭和しょうわ9ねん1934ねん6月28にち)は、日本にっぽん経済けいざい学者がくしゃごうは「赤城あかぎ」。京都きょうと帝国ていこく大学だいがく初代しょだい経済学部けいざいがくぶ学部がくぶちょう立命館大学りつめいかんだいがくだい2だいがくかんどう大学だいがくだい3だい学長がくちょう財団ざいだん法人ほうじんりついのちかん初代しょだい協議きょうぎいんだい日本にっぽん武徳ぶとくかい弓道きゅうどうはん日本にっぽん漕艇そうてい協会きょうかいだいさんだい会長かいちょう関西かんさい漕艇そうてい協会きょうかい初代しょだい会長かいちょう帝国ていこく学士がくしいん会員かいいん

来歴らいれき[編集へんしゅう]

生誕せいたん学生がくせい時代じだい[編集へんしゅう]

江戸えど牛込うしごめ赤城元あかぎもとまちげん東京とうきょう新宿しんじゅく赤城元あかぎもとまち)にまれる。旧制きゅうせいいちだかから帝国ていこく大学だいがく法科ほうか大学だいがく政治せいじ学科がっか進学しんがくし、経済けいざい学者がくしゃ社会しゃかい政策せいさく学者がくしゃ東大とうだいなな博士はかせ一人ひとりかぞえられた金井かないのべ指導しどうけ、欧米おうべい留学りゅうがく経験けいけんした。

帰国きこく[編集へんしゅう]

帰国きこく京都きょうと帝国ていこく大学だいがく法科ほうか大学だいがくにて「経済けいざい理論りろん」、「財政ざいせいがく」の講義こうぎ担当たんとう京大きょうだい法科ほうかから経済学部けいざいがくぶ独立どくりつしたのをに、1919ねん大正たいしょう8ねん京都きょうと帝国ていこく大学だいがく初代しょだい経済学部けいざいがくぶちょう就任しゅうにん京大きょうだい在職ざいしょくちゅうは、東京とうきょう商科しょうか大学だいがく現在げんざい一橋大学ひとつばしだいがく)からの学生がくせいれや、河上かわかみはじめ招聘しょうへいなど、京大きょうだい自由じゆう学風がくふう確立かくりつ貢献こうけんした。京大きょうだい退職たいしょく立命館大学りつめいかんだいがくがくかん学長がくちょう就任しゅうにんおも経済学部けいざいがくぶ拡充かくじゅうつとめた。また滝川たきがわ事件じけん京大きょうだい退職たいしょくした教授きょうじゅじんれにも奔走ほんそうした。

栄典えいてん[編集へんしゅう]

おも著書ちょしょ[編集へんしゅう]

  • 最近さいきん經濟けいざいろん有斐閣ゆうひかく、1891ねん
  • 日本にっぽん現時げんじ社會しゃかい問題もんだいひがしはなどう、1897ねん
  • 最近さいきん財政ざいせいがく有斐閣ゆうひかく、1898ねん
  • 最近さいきん經濟けいざいろんぞうていばん有斐閣ゆうひかく書房しょぼう、1901ねん
  • 経済けいざい原論げんろん有斐閣ゆうひかく、1910ねん
  • 経濟けいざい道徳どうとく有斐閣ゆうひかく、1920ねん
  • 労賃ろうちん利潤りじゅん有斐閣ゆうひかく、1922ねん
  • 經濟けいざい原論げんろん有斐閣ゆうひかく、1925ねん
  • 東洋とうよう経済けいざいがく : ささえ上古じょうこ経済けいざい思想しそう有斐閣ゆうひかく、1935ねん

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 官報かんぽうだい4016ごう叙任じょにん及辞れい」1926ねん1がつ16にち
  2. ^ 官報かんぽうだい124ごう叙任じょにん及辞れい」1912ねん12月27にち

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • ちょうにち日本にっぽん歴史れきし人物じんぶつ事典じてん朝日新聞あさひしんぶん出版しゅっぱん ISBN 4023400521
  • たていのちかんひゃくねんだいいちかん通史つうし りついのちかんひゃくねん編纂へんさん委員いいんかい

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]