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石井 泰助(いしい たいすけ、1865年6月3日(慶応元年5月10日)[2] - 1931年(昭和6年)7月11日[2])は、明治から大正時代の政治家。神奈川県橘樹郡川崎町長、川崎市長。神奈川県多額納税者。
先代の材木商・石井泰助の長男として神奈川県橘樹郡川崎町(現・川崎市)にて生まれ、1891年(明治24年)8月、家督を相続し、幼名「泰次郎」を改め「泰助」を名乗る[2]。石井家は、代々「吹田屋」を号し材木商を営んだ地元の名士[2]。吹田屋は、1876年(明治9年)に石井材木店と改称し、さらに同年、石井合名会社となる[2]。
川崎町会議員、川崎町助役を経て、川崎町長を3期務める[2]。1901年(明治34年)橘樹郡会議員に当選。1916年(大正5年)7月、町長を辞し、水道敷設の常任委員に転じる[2]。1924年(大正13年)7月1日に市政施行により川崎市が成立すると、同年12月、官選初代川崎市長に就任した[2]。市政では特に水道敷設、工業誘致、多摩川の改修に尽力した[2]。
- 養子:石井利恵(川崎銀行取締役・石井平四郎の次女)
- 養兄:石井富吉(吹田屋、雑貨商)
- 養子:石井恒夫(神奈川県農工銀行、鎌倉銀行取締役・猪熊元之助の弟)