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神明しんめいづか古墳こふん (沼津ぬまづ)

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 神明しんめいづか古墳こふん
南西なんせいからの神明しんめいづか古墳こふんひだり前方ぜんぽうみぎこうえん
(2017ねん7がつ撮影さつえい
所在地しょざいち 静岡しずおかけん沼津ぬまづ松長まつながじょうだん
位置いち 北緯ほくい356ふん59.1びょう 東経とうけい13849ふん20.5びょう / 北緯ほくい35.116417 東経とうけい138.822361 / 35.116417; 138.822361座標ざひょう: 北緯ほくい356ふん59.1びょう 東経とうけい13849ふん20.5びょう / 北緯ほくい35.116417 東経とうけい138.822361 / 35.116417; 138.822361
形状けいじょう 前方後円墳ぜんぽうこうえんふん
規模きぼ

標高ひょうこう6メートル
墳丘ふんきゅうちょうやく53メートル
こうえんみち37メートル

前方ぜんぽうはば23.5メートル
史跡しせき 1970ねん昭和しょうわ45ねん)2がつ19にち史跡しせき
特記とっき事項じこう 出典しゅってん[1]
地図ちず
神明塚古墳 (沼津市)の位置(静岡県内)
神明塚古墳
神明しんめいづか古墳こふん
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地図
神明しんめいづか古墳こふん所在地しょざいち


神明しんめいづか古墳こふん(しんめいづかこふん[2])は、静岡しずおかけん沼津ぬまづ松長まつながじょうだんにある前方後円墳ぜんぽうこうえんふんである。1970ねん昭和しょうわ45ねん2がつ19にち沼津ぬまづ史跡しせき指定していされた[3]

概要がいよう[編集へんしゅう]

神明しんめいづか古墳こふんは、静岡しずおかけん沼津ぬまづ松長まつながかみだん、JR片浜かたはまえき東方とうほうやく200メートルに位置いちする、全長ぜんちょう52.5メートル、標高ひょうこう6メートルの前方後円墳ぜんぽうこうえんふんである[2]田子たごうらから沼津ぬまづ狩野川かのがわ河口かこうびる鈴川すずかわ砂礫されきしゅうから千本せんぼん砂礫されきしゅううえ立地りっちしており、同地どうち神明しんめいづか古墳こふんふくじゅうすうえんふん確認かくにんされていることから松長まつなが古墳こふんぐんばれている[2]

古墳こふんめいの「神明しんめいづか」はこうえんいただき鎮座ちんざする神明しんめいしゃ由来ゆらい[2]古墳こふん東側ひがしがわ境内けいだい公園こうえんとなっている。

築造ちくぞうされた時期じきについては、1982ねん昭和しょうわ57ねん)の沼津ぬまづ教育きょういく委員いいんかいによる発掘はっくつ調査ちょうさでは古墳こふん時代じだい中期ちゅうき後半こうはんかんがえられていたが、2003ねん平成へいせい15ねんおこなわれただい2発掘はっくつ調査ちょうさにて出土しゅつどしたつぼがた土器どきなかじゅうこうえん底部ていぶ穿孔せんこうつぼがあったことと、前方ぜんぽう部長ぶちょうこうえんみち半分はんぶん程度ていどであるという特徴とくちょうから、古墳こふん時代じだい前期ぜんきあらためられている[4]

発掘はっくつ経緯けいい[編集へんしゅう]

こうえんのコンクリートのようかべ

神明しんめいづか古墳こふんは、1948ねん昭和しょうわ23ねん)に日本にっぽん大学だいがく三島みしま考古学こうこがく研究けんきゅうかい踏査とうさにより、形状けいじょう前方後円墳ぜんぽうこうえんふんであることが確認かくにんされている[5][2]

地元じもと松長まつなが地域ちいきでは、古墳こふんえんふんいただき神明しんめいしゃがあることや、東側ひがしがわひろ境内けいだい公園こうえんとなっていることなどから、市民しみん祭礼さいれいいこいのとなっている。どう古墳こふん墳丘ふんきゅうがほぼほそ砂利じゃりすなでできていることからか、土砂どしゃすこしずつ流出りゅうしゅつしていたようであり、松長まつなが自治じちかいでは、その対策たいさくとして墳丘ふんきゅうじょう盛土もりつちおこなうとともに、こうえん周囲しゅういにコンクリートようかべ設置せっちするなどしたものの、土砂どしゃ流出りゅうしゅつふせぐことはできなかった[5][2]

そのようななか1981ねん昭和しょうわ56ねん)4がつ松長まつなが自治じちかいから沼津ぬまづ教育きょういく委員いいんかいたいし、神明しんめいづか古墳こふん保存ほぞん整備せいび要望ようぼうしょ提出ていしゅつされ、どう委員いいんかいはこれをけて、同年どうねんちゅう測量そくりょう調査ちょうさ実施じっしするとともに、よく1982ねん昭和しょうわ57ねん)7がつから8がつにかけて、範囲はんい確定かくていとうのためトレンチ発掘はっくつ調査ちょうさおこなっている[5][2]

墳丘ふんきゅう[編集へんしゅう]

神明しんめいづか古墳こふん規模きぼ下記かきとおりである[6]

  • 墳丘ふんきゅうちょう53メートル
  • 前方ぜんぽう23.5メートル
  • こうえんみち37メートル
  • 標高ひょうこう6メートル

出土しゅつどひん[編集へんしゅう]

神明しんめいづか古墳こふん出土しゅつどひん下記かきとおりである。

だい1調査ちょうさ(1983ねん[7]
  • つぼがた土器どき
  • がた土器どき
  • Sじょうこう縁台えんだいづけ
  • 高坏たかつきがた土器どき
  • 鉢形はちがた土器どき
だい2調査ちょうさ(2003ねん[8]
  • つぼがた土器どき
  • がた土器どき
  • Sじょうこう縁台えんだいづけ
  • 高坏たかつきがた土器どき
  • 鉢形はちがた土器どき

現地げんち情報じょうほう[編集へんしゅう]

東側ひがしがわより撮影さつえい北側きたがわには東海道とうかいどう本線ほんせんはしっており、東側ひがしがわ公園こうえんになっている。(2017ねん7がつ撮影さつえい
所在地しょざいち
関連かんれん施設しせつ
  • 沼津ぬまづ文化財ぶんかざいセンター(沼津ぬまづ志下しげ) - 神明しんめいづか古墳こふん出土しゅつど品等ひんとう保管ほかん展示てんじ
周辺しゅうへん

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 沼津ぬまづ編纂へんさん調査ちょうさ委員いいん (1983ねん3がつ31にち発行はっこう). 沼津ぬまづ編纂へんさん調査ちょうさ報告ほうこくしょ だい15しゅう. 15. 沼津ぬまづ教育きょういく委員いいんかい. pp. 4と報告ほうこくしょ抄録しょうろく. 
  2. ^ a b c d e f g 沼津ぬまづ編纂へんさん調査ちょうさ委員いいんかい 沼津ぬまづ教育きょういく委員いいんかい (2002ねん3がつ29にち発行はっこう). 沼津ぬまづ資料しりょうへん 考古こうこ. 沼津ぬまづ教育きょういく委員いいんかい. pp. 421-424. 
  3. ^ 沼津ぬまづ指定してい文化財ぶんかざいとう一覧いちらんひょう(pdf)、2017ねん7がつ27にち閲覧えつらん
  4. ^ 沼津ぬまづ教育きょういく委員いいんかい (2005ねん3がつ31にち発行はっこう). 沼津ぬまづへんさん調査ちょうさ報告ほうこくしょ だい15しゅう しん明塚あかつか古墳こふんだい2発掘はっくつ調査ちょうさ報告ほうこくしょ. 沼津ぬまづ教育きょういく委員いいんかい. pp. 52. 
  5. ^ a b c 沼津ぬまづ教育きょういく委員いいんかいへん沼津ぬまづ文化財ぶんかざい調査ちょうさ報告ほうこくしょだい29しゅう 神明しんめいづか古墳こふん』(1983ねん)1-5ぺーじ
  6. ^ 沼津ぬまづ編纂へんさん調査ちょうさ委員いいん (1983ねん3がつ31にち発行はっこう). 沼津ぬまづ編纂へんさん調査ちょうさ報告ほうこくしょ だい15しゅう. 15. 沼津ぬまづ教育きょういく委員いいんかい. pp. 20と報告ほうこくしょ抄録しょうろく. 
  7. ^ 沼津ぬまづ編纂へんさん調査ちょうさ委員いいん (1983ねん3がつ31にち発行はっこう). 沼津ぬまづ編纂へんさん調査ちょうさ報告ほうこくしょ だい15しゅう. 15. 沼津ぬまづ教育きょういく委員いいんかい. pp. 24-29と報告ほうこくしょ抄録しょうろく. 
  8. ^ 沼津ぬまづ編纂へんさん調査ちょうさ委員いいん (1983ねん3がつ31にち発行はっこう). 沼津ぬまづ編纂へんさん調査ちょうさ報告ほうこくしょ だい15しゅう. 15. 沼津ぬまづ教育きょういく委員いいんかい. pp. 22-24と報告ほうこくしょ抄録しょうろく. 

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]