織田おだ 信好のぶよし(おだ のぶよし)は、安土あづち桃山ももやま時代じだいから江戸えど時代じだい初期しょきにかけての武士ぶし・茶人ちゃじん。官位かんいは従したがえ五ご位い下か・左京さきょう亮あきら。
織田おだ信長のぶながの十じゅう男おとことして誕生たんじょう。幼名ようみょうは良好りょうこう。
信長のぶながの子こであったが、天正てんしょう10年ねん(1582年ねん)に信長のぶながが死去しきょしたときはまだ幼少ようしょうであったため、羽柴はしば秀吉ひでよしに引ひき取とられてその家臣かしんとなった。茶人ちゃじんであり、織田おだ信しん益えきらは彼かれに師事しじしたという。
慶長けいちょう14年ねん(1609年ねん)7月がつ14日にち、死去しきょ。法号ほうごうは清巌せいがん円えん公徳こうとく林りん院いん。