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はないかだ

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はないかだ(はないかだ)は、上方かみがた落語らくご演目えんもくひとつ。東京とうきょうにも移植いしょくされている。

あらすじ

[編集へんしゅう]

提灯屋ちょうちんやいさおさん【東京とうきょう落語らくごではくまさん。以下いか同様どうよう】にいの相撲すもう部屋へや親方おやかたからしがかかる。親方おやかた播州ばんしゅう高砂たかさご下総しもうさ銚子ちょうし】への巡業じゅんぎょうっていたのだが、部屋へや看板かんばん力士りきしである大関おおぜきはないかだ急病きゅうびょう寝込ねこんでしまい、とても巡業じゅんぎょうになどはられる状態じょうたいではない。この巡業じゅんぎょう成否せいひはないかだ人気にんき左右さゆうされ、いまさらことわるわけにもいかないので、たまたまはないかだ容貌ようぼうがそっくりないさおさんをにせはないかだとしてれてきたいというのだ。相撲すもうったことなどなく、ただふとっているだけのいさおさんはことわろうとするが、はないかだ病気びょうきのため相撲すもうれず土俵入どひょういりだけつとめると周知しゅうちする、さらに普段ふだん手間賃てまちんばいかねす、とわれてはなしることにする。

巡業じゅんぎょうさきではいさおさんをはないかだしんじる現地げんち人々ひとびと歓待かんたいされ、いいになってしまうが、千秋楽せんしゅうらくになって千鳥ヶ浜ちどりがはまという地元じもと力士りきしはないかだとの一番いちばんまれてしまう。網元あみもと息子むすこである千鳥ヶ浜ちどりがはま素人しろうとながら、取組とりくみ参加さんかしてこれまできゅうせん全勝ぜんしょう強豪きょうごうだった。約束やくそくちがうといさおさんが文句もんくうと、連日れんじつ派手はでいや、宿屋やどや女中じょちゅうのところへ夜這よばいしたことから、体調たいちょうもどっているのではないかと一部いちぶからうたがわれているとかされる。親方おやかたから、立合たちあすぐに両手りょうてして、相手あいてさわったなとおもったらそのままひっくりかえってわざとけろ、やまいをおして相撲すもうってくれたんだと観客かんきゃくかんがえてくれるから大関おおぜき名誉めいよきずつかず、いさおさんのからだ無事ぶじだとわれて仕方しかたなくける。

一方いっぽう千鳥ヶ浜ちどりがはま天下てんか大関おおぜき相撲すもうれるとよろこんでいたが、父親ちちおやから、いままでってきたのはこっちがご贔屓ひいきしゅだからいてくれたおかげだ、はないかだ素人しろうと相手あいて相撲すもうれるかとばかり、いにれている。その鬱憤うっぷんらしにおまえ土俵どひょううえころだ、だから明日あした相撲すもうるなとわれてしまう。

しかし当日とうじつみをるだけのつもりで会場かいじょう千鳥ヶ浜ちどりがはまっからの相撲すもうきのため、しのこえくと父親ちちおやとの約束やくそくをついわすれて土俵どひょうがってしまい、仕切しきりがはじまる。いさおさんはこわろしさになみだをこぼし、これがこの見納みおさめかとおもわず「南無阿弥陀仏なむあみだぶつ」ととなえてしまう。ところが念仏ねんぶつこえいた千鳥ヶ浜ちどりがはまほうも、はないかだ本当ほんとう自分じぶんころそうとしているのだと、あわれなやつだとなみだながして念仏ねんぶつとなえているのだとおもんですくみあがり、おもわずなみだおとして「南無阿弥陀仏なむあみだぶつ」。そこに行司ぎょうじこえがかかり、がったふたりだったが、ころされるとおもっている千鳥ヶ浜ちどりがはま身体しんたいちからはいらない。そこへ親方おやかたうとおりにばしたいさおさんのたって千鳥ヶ浜ちどりがはまはあっけなくたおれてしまう。観客かんきゃくたちは、一発いっぱつ千鳥ヶ浜ちどりがはまばすとはさすが大関おおぜきだと感心かんしんする。「るのは上手うまいはず。提灯屋ちょうちんやですから」