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茶臼山城 (摂津国) - Wikipedia コンテンツにスキップ

茶臼山ちゃうすやまじょう (摂津せっつこく)

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茶臼山ちゃうすやまじょう(ちゃうすやまじょう)は、兵庫ひょうごけん神戸こうべきたにあった戦国せんごく時代じだい日本にっぽんしろ

現在げんざい長尾町上津ながおちょうこうづ茶臼山ちゃうすやまじょうは、地元じもと住民じゅうみん要望ようぼう沿かたち公園こうえんおこなわれ、展望てんぼうだい顕彰けんしょうなどの整備せいびもされた。「茶臼山ちゃうすやま城跡じょうせき(ちゃうすやましろあと)」をあらため、名称めいしょうは「茶臼ちゃうす山城やましろ緑地りょくち」となった[1]

織田おだ信長のぶなが家臣かしんであった羽柴はしば秀吉ひでよし三木みきしろめ(三木みき合戦かっせん)のさいには、「いちはちすぼう(いちれんぼう)祐之ひろゆき井上いのうえはじめ太夫たゆう)」という土豪どごうが250あまり家臣かしんひきいて茶臼山ちゃうすやまじょう指揮しきっていたが、秀吉ひでよし配下はいかによる攻撃こうげき降伏ごうぶく開城かいじょうした。いちはちすぼう祐之ひろゆき自分じぶん自害じがい条件じょうけんに、家臣かしんいのちすくったとつたわる[1]。その茶臼山ちゃうすやまじょう秀吉ひでよし家臣かしん仙石せんごく秀久ひでひさあたえられた。


脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]