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わだかま龍峡りゅうきょう

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地図
地図ちず
蟠龍峡の位置(島根県内)
蟠龍峡
わだかま龍峡りゅうきょう位置いち島根しまねけん

わだかま龍峡りゅうきょう(ばんりゅうきょう)は、島根しまねけん邑智おうちぐん美郷みさとまちみや地域ちいき比敷ひじき村之郷むらのごう宮内くない)を代表だいひょうする景勝けいしょうすみ谷川たにがわ上流じょうりゅうにあたる。ばし、ゆるやかな遊歩道ゆうほどう整備せいびされているので、落下らっかするたきいわりなす景色けしきながら散策さんさくたのしめる。10ふん程度ていどで、したまでりてたき見上みあげられる。

概要がいよう

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やく1,000m2川辺かわべ平地ひらちぎると、四方しほうやまかこまれた峡谷きょうこく断崖だんがいがほぼ直角ちょっかくそびち、大小だいしょう3つのたき落下らっかし、ふちつくっている。絶壁ぜっぺきいただきにのぼることも可能かのう断崖だんがいには、張出はりだ遊歩道ゆうほどうたきうえには、吊橋つりばし歩道橋ほどうきょうとう整備せいびされている。

峡谷きょうこく公園こうえん入口いりくちには公園こうえん紹介しょうかいと、たきにまつわる秘話ひわ紹介しょうかいされている。また、公園こうえんないには、ながだいやトイレが設置せっちされてあって、野外やがいキャンプが可能かのうである。

わだかま龍峡りゅうきょうきょうふち

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13世紀せいきまつに、阿波あわこく麻生あそうそう領主りょうしゅ小笠原おがさわら長親ながちか功績こうせきをあげて、石見いわみこく村之郷むらのごう(むらのごう)を獲得かくとくし、瀬戸内海せとないかいわたって、定住ていじゅうした。その家臣かしん一人ひとりに、げん太夫たゆう宗利むねとし[1]という武術ぶじゅつすぐれたわか軍師ぐんしがいた。

南北なんぼくあさ時代じだい足利尊氏あしかがたかうじ小笠原おがさわらわだかま龍峡りゅうきょう対峙たいじしたが、「さかなきり」(さかなことわり)ともばれるこの地形ちけいを、小笠原おがさわらぐんはフルに活用かつようして、たたかったため、足利あしかがぐん進軍しんぐん断念だんねんして、退却たいきゃくした。

このときの褒美ほうびとして、宗利むねとし長親ながちかむすめつまとしたが、すうねんやくびょうつま美貌びぼうかげもなくなってしまった。そんなおり宗利むねとしうつくしい女中じょちゅう執着しゅうちゃくするようになった。

女中じょちゅう嫉妬しっとしたつまは、宗利むねとし女中じょちゅうとともに、さかなことわりで遊山ゆさんたのしんだ。そして、明鏡めいきょうだい(めいきょうだい)とばれる岩頭がんとう休憩きゅうけいちゅうに、ふところから手鏡てかがみしてかみのほつれをげていた女中じょちゅうを、背後はいごからしのり、いわからとした。

それにづいた女中じょちゅうは、なばもろともと、奥方おくがた着物きものをつかんだため、二人ふたりたにそこちていった。宗利むねとしあわててたにそこをのぞきむと、二人ふたり頭髪とうはつけて、りゅうとなってあらそつづけていた。やがて、二人ふたり頭髪とうはつまつえだにかかり、二人ふたりおんなふかたにふち姿すがたしていった。

二人ふたり責任せきにんかんじた宗利むねとしは、二人ふたりいたみつつ、ひきでん(がまた)というところで、自害じがいしててた。

二人ふたりおんなちていったところは、「かがみふち」とづけられ、いわかくにはいまでも「かみかけのまつ」がのこっているという。1934ねん昭和しょうわ9ねん)、わだかま龍峡りゅうきょうの「たき明神みょうじん」を勧請かんじょうするときに、宗利むねとしさんにん合祀ごうしした。また、宗利むねとし自害じがいしたところを、宗利むねとしはらといい、そこにある宗利むねとし方形ほうけいはかは、いつもわだかま龍峡りゅうきょうほうかたむいているとわれている。

交通こうつう

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JR三江線さんこうせん 江津ごうつえきより石見都賀いわみつがえき(所要しょよう時間じかんやく2あいだ)あるいは三次みつぎえきより石見都賀いわみつがえき(所要しょよう時間じかんやく1あいだ)、下車げしゃタクシーで県道けんどう55ごうとおり15ふん。(三江線さんこうせんは2018ねん3がつまつ廃止はいし

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ わだかま龍峡りゅうきょう周辺しゅうへん散策さんさく - 美郷みさとまち観光かんこう協会きょうかい

参考さんこう文献ぶんけん

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  • グラフィックカラー「日本にっぽん民話みんわ」11 兵庫ひょうご中国ちゅうごくI〈兵庫ひょうご鳥取とっとり島根しまねけんしげる出版しゅっぱん1977ねん

外部がいぶリンク

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座標ざひょう: 北緯ほくい3456ふん06.3びょう 東経とうけい13236ふん13.2びょう / 北緯ほくい34.935083 東経とうけい132.603667 / 34.935083; 132.603667