見習みならい士官しかん

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見習みならい士官しかん時代じだい小野田おのだひろしろうみぎ)とおとうとしげるろう陸軍りくぐん少尉しょうい。1944ねん12がつごろ撮影さつえい

見習みならい士官しかん(みならいしかん)は、大日本帝国だいにっぽんていこく陸軍りくぐんかんめいひとつ。

概要がいよう[編集へんしゅう]

陸軍りくぐん将校しょうこうとなるにふさわしい教育きょういくえたものが、少尉しょうい任官にんかんぜん段階だんかいとして見習みならい士官しかんにんじられる。太平洋戦争たいへいようせんそうだい東亜とうあ戦争せんそう場合ばあいおも以下いかもの該当がいとうしゃである。

  1. 士官しかん候補こうほせいとして陸軍りくぐん士官しかん学校がっこう陸軍りくぐん航空こうくう士官しかん学校がっこうまたは陸軍りくぐん経理けいり学校がっこう卒業そつぎょうしゃ
  2. 甲種こうしゅ幹部かんぶ候補こうほせいとして陸軍りくぐん予備よび士官しかん学校がっこう卒業そつぎょう、またはどう程度ていど教育きょういく終了しゅうりょうしたもの
  3. 衛生えいせい技術ぎじゅつ法務ほうむなど各部かくぶ将校しょうこう要員よういん採用さいようされた高等こうとう教育きょういく機関きかん卒業そつぎょうしゃ
  4. 陸軍りくぐん特別とくべつ操縦そうじゅう見習みならい士官しかん

士官しかん候補こうほせい出身しゅっしん現役げんえき兵科へいか将校しょうこういちれいでは、陸軍りくぐん士官しかん学校がっこうまなび、さだめられた部隊ぶたい(これを原隊げんたいぶ)で士官しかん候補こうほせいとしてたい勤務きんむ経験けいけんし、陸軍りくぐん士官しかん学校がっこう本科ほんか)にすすんでこれを卒業そつぎょうすると、見習みならい士官しかんにんじられ原隊げんたいもど一定いってい期間きかん勤務きんむしたのち伝統でんとう建前たてまえである原隊げんたい将校しょうこうだんによる推薦すいせんけ(あくまでも形式けいしきじょうである)少尉しょうい任官にんかんする。

見習みならい士官しかんやく停年ていねん[1]基本きほんてき数ヶ月すうかげつ[2]で、戦況せんきょうにより短縮たんしゅくされるようになった。

階級かいきゅう自体じたい曹長そうちょうであるが編制へんせいじょうでは見習みならい士官しかんとして独立どくりつした存在そんざいである。待遇たいぐうおよび職域しょくいき職責しょくせき少尉しょういとほぼちがいがなく、配属はいぞくされた部隊ぶたい[3]ではまさに将校しょうこう見習みならいとして週番しゅうばん士官しかんへい教育きょういくにおける教官きょうかんつとめ、演習えんしゅう戦時せんじにはしょう部隊ぶたい指揮しきすることもあった。ふくせいにおいては、軍服ぐんぷく一般いっぱん下士官かしかんわらない官給かんきゅうひんであるが、えりには特別とくべつ徽章きしょう星章せいしょう[4]を、ひじには士官しかん勤務きんむしゃしょうけ(昭和しょうわ18ねん以降いこう)、将校しょうこう軍刀ぐんとう佩用はいようし、軍服ぐんぷくうえから尉官いかんようせいかたなたいめること差別さべつされていた。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ つぎ階級かいきゅうすすむまでに最低限さいていげん必要ひつよう勤務きんむ期間きかん陸軍りくぐんない規定きていがある。
  2. ^ 士官しかん候補こうほせい出身しゅっしんしゃ甲種こうしゅ幹部かんぶ候補こうほせいより短期間たんきかん少尉しょうい昇任しょうにんできる。特別とくべつ操縦そうじゅう見習みならい士官しかんぐんれきみじかい、まさに「とく别」な存在そんざいであるので1年間ねんかんこの身分みぶんかれる。
  3. ^ 部隊ぶたい配属はいぞくまえ陸軍りくぐん歩兵ほへい学校がっこう陸軍りくぐん工兵こうへい学校がっこう陸軍りくぐん飛行ひこう学校がっこうなど各種かくしゅ実施じっし学校がっこうすう週間しゅうかんからすうヶ月かげつ乙種おつしゅ学生がくせい教育きょういくける場合ばあいもあった。
  4. ^ えり星章せいしょう士官しかん候補こうほせい出身しゅっしんしゃはシンプルな☆、それ以外いがいものは○のなかに☆とデザインがことなり、士官しかん候補こうほせいより一段いちだんひくられた甲種こうしゅ幹部かんぶ候補こうほせい出身しゅっしんしゃ徽章きしょうのデザインから「座金ざがね」と揶揄やゆされることもあった。

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]