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鉄道てつどう時間じかん

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パディントンえきえき時計とけい

鉄道てつどう時間じかん(てつどうじかん、英語えいご: railway time)とは、標準時ひょうじゅんじ先駆さきがけて、鉄道てつどう運行うんこうのために導入どうにゅうされた、標準ひょうじゅんされた時間じかんかんするめである。

1840ねん11月にイギリスのグレート・ウェスタン鉄道てつどうによってはじめて適用てきようされた。いくつかのことなる地方ちほう平均へいきん同期どうきして、単一たんいつ標準時ひょうじゅんじ適用てきようされたのは、記録きろくのこなかではこれが最初さいしょである。そのの2・3ねんあいだに、イギリスのすべての鉄道てつどう会社かいしゃ鉄道てつどう時間じかん採用さいようした。列車れっしゃ運行うんこうダイヤやえき時計とけい英語えいごばんは、ロンドンの地方ちほう平均へいきん(ロンドン時間じかん)にわせられた。これはグリニッジ王立おうりつ天文台てんもんだい設定せっていされた時刻じこくであり、グリニッジ平均へいきん(GMT)としてすでひろられていたものである。

1850年代ねんだいきたアメリカ[1]、1860ねんごろのインド[2]、そしてイギリス以外いがいのヨーロッパにおける鉄道てつどうもう発達はったつ標準時ひょうじゅんじ導入どうにゅううながした。それは地理ちりがく産業さんぎょう発展はってん政治せいじてき統治とうちにも影響えいきょうけたものである。

鉄道てつどう時間じかん導入どうにゅう背景はいけいにあるおも目標もくひょうは2つある。1つは、鉄道てつどうもう拡大かくだいするにつれ、沿線えんせんまちえきごとに統一とういつ地方ちほう時間じかんもとづいて列車れっしゃ停止ていしさせることによりこされる混乱こんらん克服こくふくすること、もう1つは、列車れっしゃ本数ほんすうえるにつれ増加ぞうかした事故じこやニアミスの発生はっせいらすことであった。

鉄道てつどう会社かいしゃはしばしば、公的こうてき時間じかんをロンドン時間じかんわせることを拒否きょひする地元じもと人々ひとびとからの抵抗ていこうった。その結果けっかまち時計とけいえき時計とけいことなる時刻じこく表示ひょうじされ、出版しゅっぱんされた列車れっしゃ時刻じこくひょう時計とけいすうふんことなるという事態じたいとなった。このような初期しょき抵抗ていこうにもかかわらず、鉄道てつどう時間じかんはイギリス全体ぜんたい暗黙あんもく時間じかんとして急速きゅうそく採用さいようされるようになった。しかし、イギリス政府せいふが、単一たんいつ標準時ひょうじゅんじ設定せっていし、イギリス全体ぜんたいを1つの時間じかんたい設定せっていする法律ほうりつ制定せいていしたのは、1880ねんになってからである[3]

現代げんだい評論ひょうろんなかには、日々ひび生活せいかつにおける、よりたか精度せいど時間じかん厳守げんしゅ奨励しょうれい鉄道てつどう時間じかん影響えいきょうあたえたことを指摘してきするものもいる[4]

歴史れきしてき背景はいけい[編集へんしゅう]

18世紀せいき後半こうはんまでは通常つうじょう、それぞれのまち日時計ひどけいによって時間じかん決定けっていしていた。日時計ひどけい決定けっていされる太陽たいよう太陽たいよう)は、太陽たいよう位置いち基準きじゅんにして計算けいさんされる。太陽たいようかけの運動うんどう速度そくどぶしによってわるため(ひとし時差じさ)、時間じかんながさがぶしによって変動へんどうすることになり、日々ひび使用しようには不適切ふてきせつになっていた。ひとし時差じさ排除はいじょ平均へいきんてきうご仮想かそう太陽たいようもとにした平均へいきん太陽たいよう導入どうにゅうにより、つね一定いってい間隔かんかく時間じかん定義ていぎできるようになった。これを地方ちほう平均へいきんという。地方ちほう平均へいきん経度けいどによって時刻じこく正確せいかく補正ほせい可能かのうになった。

このようなあたらしく発見はっけんされた時間じかん精度せいどをもってしても、べつ問題もんだい克服こくふくすることはできなかった。それは、近隣きんりんまちとの地方ちほうちがいである。イギリスでは、地方ちほうはロンドンの地方ちほうくらべて最大さいだいで20ふんことなっていた。たとえば、オックスフォード時間じかんはグリニッジの時間じかんより5ふんリーズ時間じかんは6ふんカーンフォース英語えいごばん時間じかんは11ふんバロー時間じかんは13ふんおそ[5]。インドやきたアメリカでは、これらのは60ふん以上いじょうになる可能かのうせいがある。時差じさひょう掲載けいさいした年鑑ねんかん出版しゅっぱんされ、地方ちほうちがいを計算けいさんして日時計ひどけい補正ほせいする方法ほうほう掲載けいさいされた[6]

鉄道てつどう登場とうじょう以前いぜんには、まちからまちへの移動いどうには数時間すうじかんから数日すうじつかかり、このような時刻じこくちがいは時計とけいはりをその都度つど調整ちょうせいすることで対処たいしょできた。イギリスでは、乗用じょうよう馬車ばしゃ会社かいしゃは、乗客じょうきゃくたい時計とけい修正しゅうせいのスケジュールを発表はっぴょうしていた。しかし、それまでの交通こうつう機関きかんくらべて高速こうそく移動いどうする鉄道てつどう運行うんこうにおいては、この地方ちほうちがいはおおきな問題もんだいとなった。たとえば、リーズ時間じかんはロンドンから6ふんおくれていたが、ブリストルは10ふんおくれていた。ぎゃくノリッジのようなひがしまちでは、はロンドンよりすうふんはやかった。鉄道てつどう運行うんこう開始かいしされるとすぐに、そのようなちいさな時間じかんちがいでさえも鉄道てつどう運行うんこう混乱こんらんこし、さらには事故じこ原因げんいんとなることがあきらかとなった。

電信でんしん影響えいきょう[編集へんしゅう]

電信でんしんは、19世紀せいき初頭しょとう発明はつめいされ、ウィリアム・フォザーギル・クック英語えいごばんチャールズ・ホイートストンによって改良かいりょうされ、1839ねんグレート・ウェスタン鉄道てつどうみじか区間くかん設置せっちされた。1852ねんまでに、グリニッジに設置せっちされたあらたな電磁気でんじきしき時計とけいが、最初さいしょルイシャムえきに、それにつづいてすぐにロンドン・ブリッジえきに、電信でんしん接続せつぞくされた。その時計とけいはまた、ロンドンにあるElectric Time Companyの中央ちゅうおう電信でんしんきょくかいして鉄道てつどう電信でんしんもう沿いのほかえきにも接続せつぞくされ、時報じほう送信そうしん可能かのうとなった。1855ねんまでに、グリニッジからの時報じほうは、鉄道てつどう沿いの電信でんしんせんかいしてイギリス全土ぜんどおくられるようになった[7]。この技術ぎじゅつはインドでも鉄道てつどう時刻じこくわせるために使つかわれていた。

鉄道てつどう時間じかん導入どうにゅう[編集へんしゅう]

イギリス[編集へんしゅう]

2つの分針ふんしんがついたブリストル時計とけい

電信でんしん登場とうじょう以前いぜんは、駅長えきちょうが、鉄道てつどう会社かいしゃから提供ていきょうされたひょう使用しようし、地方ちほうをロンドン時間じかん換算かんさんしてえき時計とけい調整ちょうせいしていた[8]。その列車れっしゃ車掌しゃしょうが、各自かくじのクロノメーターをえき時計とけいわせていた。

鉄道てつどう時間じかん導入どうにゅうは、直接的ちょくせつてきではなかったが、最終さいしゅうてきにはすみやかにわった。1840ねん11月、グレート・ウエスタン鉄道てつどうがグリニッジ平均へいきんもとづいた時刻じこくひょう標準ひょうじゅんした。鉄道てつどうにおける時間じかん標準ひょうじゅんとく声高こわだか支持しじしたもの1人ひとりとして、リバプール・アンド・マンチェスター鉄道てつどう書記官しょきかんヘンリー・ブース英語えいごばんがいる。かれは、1846ねん1がつまでにリバプールえきマンチェスターえき時計とけいをグリニッジ平均へいきんわせることをめいじた。

ミッドランド鉄道てつどうは1846ねん1がつ1にちすべてのえきでロンドン時間じかん採用さいようした[9]。その結果けっか、1846ねん2がつ沿線えんせんノッティンガム町議会ちょうぎかいは、まち時計とけい地方ちほうよう鉄道てつどう時間じかんようの2つの分針ふんしんをつけるよう命令めいれいした[10]

1847ねん9がつ22にち鉄道てつどう会社かいしゃあいだ収入しゅうにゅう分配ぶんぱい調整ちょうせいするためにその5ねんまえ設立せつりつされていた鉄道てつどう運賃うんちん交換こうかんしょ英語えいごばんは、「ロンドン郵便ゆうびん本局ほんきょく英語えいごばん許可きょかりれば、GMTをすぐにすべてのえき採用さいようする」と布告ふこくした。1847ねん12月1にちに、ロンドン・アンド・ノースウェスタン鉄道てつどう英語えいごばんカレドニア鉄道てつどう英語えいごばんがGMTにえた。ブラッドショー・ガイド英語えいごばんによれば、1848ねん1がつまでに、ロンドン・アンド・サウスウエスタン鉄道てつどう英語えいごばんミッドランド鉄道てつどうチェスター・アンド・バーケンヘッド鉄道てつどう英語えいごばんランカスター・アンド・カーライル鉄道てつどう英語えいごばんイーストランカシャー鉄道てつどう英語えいごばんヨーク・アンド・ノースミッドランド鉄道てつどう英語えいごばんがロンドン時間じかん採用さいようした[3]

1855ねんまでに98%のまち都市としがGMTに移行いこうしたとつたえられている[4]。その一方いっぽうで、すべての鉄道てつどう会社かいしゃが、GMTによる時計とけい公共こうきょう建物たてものならべることについて、はげしい抵抗ていこうなしに地方ちほう名士めいし説得せっとくできたわけではなかった。1844ねんまでにブリストル・アンド・エクセター鉄道てつどう英語えいごばんはロンドン時間じかん移行いこうしていたが、エクセターとブリストルの公衆こうしゅう時計とけい地方ちほう表示ひょうじしており、だい2の分針ふんしんでロンドン時間じかん表示ひょうじしていた。エクセターにおけるこの状況じょうきょうは、エクセターだい聖堂せいどうちょう鉄道てつどう会社かいしゃ要求ようきゅうこたえようとしなかったためにこった。だい聖堂せいどう時計とけいまち主要しゅよう時計とけいである。同様どうように、1822ねん設置せっちされたブリストル取引とりひきしょ英語えいごばん時計とけいには、まもなくだい2の分針ふんしん追加ついかされた[11]。ブリストルは1852ねん9がつまで鉄道てつどう時間じかん単独たんどく使用しようすることをみとめなかった[12]バースデボンポート英語えいごばんプリマスなどのイングランド西部せいぶ地方ちほう英語えいごばんまち鉄道てつどう時間じかん唯一ゆいいつみとめられた時間じかんとなるには、電信でんしん到達とうたつするまであと8ねんたなければならなかった。鉄道てつどう時間じかん導入どうにゅう反対はんたいしたまちであるオックスフォードでは、クライスト・チャーチトム・タワー英語えいごばんだい時計とけいに2つの分針ふんしんがついている[13]

1880ねん8がつ2にち法令ほうれい時間じかん定義ていぎほう1880(Statutes (Definition of Time) Act 1880)が公布こうふされ、はじめてイギリス全体ぜんたい統一とういつされた標準時ひょうじゅんじ法的ほうてき地位ちい獲得かくとくした[14]

アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく[編集へんしゅう]

アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく鉄道てつどう時刻じこく取扱とりあつかい変更へんこうのきっかけとなった事故じこの1つは、1853ねん8がつニューイングランド発生はっせいしたものである。おな軌道きどうじょう対向たいこうする2つの列車れっしゃ車掌しゃしょう各自かくじ時計とけいことなる時刻じこく設定せっていしていたため、列車れっしゃ衝突しょうとつし、14にん乗客じょうきゃく死亡しぼうした。この事故じこ直後ちょくご、ニューイングランドでは鉄道てつどうダイヤが調整ちょうせいされることになった[15]ほかにもおおくの衝突しょうとつ事故じこきたため、一般いっぱん時刻じこく協議きょうぎかい(General Time Convention)が設立せつりつされた。これは、鉄道てつどう会社かいしゃあいだ鉄道てつどうダイヤについての同意どういるための委員いいんかいであった[16]

1870ねんチャールズ・F・ダウド英語えいごばんは、鉄道てつどう政府せいふ当局とうきょくとは関係かんけいっていなかったが、鉄道てつどうのための国内こくない時間じかんシステム(A System of National Times for Railroads)を提案ていあんした。これは、鉄道てつどうようには単一たんいつ時間じかん使用しようし、かくまちでは地方ちほう使つかつづけるというものであった。これは鉄道てつどう経営けいえいしゃにはこのまれなかったが、1881ねんかれらは、一般いっぱん時刻じこく協議きょうぎかい事務じむ局長きょくちょうで、「旅行りょこうしゃのための鉄道てつどう公式こうしきガイド」(Travellers' Official Guide to the Railways)の編集へんしゅうちょうのウィリアム・フレデリック・アレンが調査ちょうさしたアイデアに同意どういした。かれは50のことなるときあいだたいを5つの時間じかんたいえることを提案ていあんした。かれ最終さいしゅうてきに、鉄道てつどう時刻じこく都市とし時刻じこくをあわせるというかれのより簡単かんたん提案ていあん迅速じんそく採用さいようすることがかれらの利益りえきになると、鉄道てつどう経営けいえいしゃ鉄道てつどうえきのある政治せいじ説得せっとくすることに成功せいこうした。こうすることで、かれらはことなるしゅう議会ぎかい議員ぎいん海軍かいぐん当局とうきょく(どちらも地方ちほう維持いじすることに好意こういてき)によるより厄介やっかい調停ちょうてい回避かいひしたのである[16]

最後さいごまで、おおくのちいさなまち都市とし鉄道てつどう時間じかんすことに反対はんたい意見いけん表明ひょうめいした。たとえば、インディアナポリスでは、1883ねん11月17にち日刊にっかんセンチネルの記事きじによれば、人々ひとびとが「鉄道てつどう時間じかんによって食事しょくじし、睡眠すいみんし、労働ろうどうし、結婚けっこんする」ことを余儀よぎなくされるとして抗議こうぎした[17]。しかし、ほぼすべての鉄道てつどう会社かいしゃ、ほとんどの都市とし、そしてエールやハーバードなどの影響えいきょうりょくのある天文台てんもんだい支持しじけて、1883ねん11月18にち正午しょうごから鉄道てつどう時間じかん導入どうにゅうされた。この同意どういは1918ねんに、連邦れんぽう政府せいふ法律ほうりつまれた[16][18][19]

フランス[編集へんしゅう]

フランスは1891ねん国内こくない標準時ひょうじゅんじとしてパリ平均へいきん採用さいようした。また、乗客じょうきゃくおくれても列車れっしゃうようにするため、鉄道てつどうえきない時計とけい列車れっしゃ時刻じこくひょうを 5 ふんおくらせることも要求ようきゅうした。しかし、えき外壁がいへき時計とけいはパリ平均へいきん表示ひょうじしていた。1911ねん、フランスはパリ平均へいきんを9ふん21びょうおくらせた。これはグリニッジ平均へいきんわせたのであるが、グリニッジという言葉ことばには言及げんきゅうしなかった。わせて、えき時計とけいを5ふんおくらせる規定きてい撤廃てっぱいした[20][21]

ドイツ[編集へんしゅう]

ドイツでは、1870年代ねんだい時間じかん標準ひょうじゅん議論ぎろんされはじめた。1874ねんきたドイツの鉄道てつどうすでにベルリン時間じかん統一とういつされていた。全国ぜんこくてき導入どうにゅうは、1893ねん4がつ1にちにドイツ帝国ていこく制定せいていされた「一様いちよう時間じかん計算けいさん導入どうにゅうについて」という法律ほうりつによってであった。この法律ほうりつにより、すべての鉄道てつどう統一とういつされた鉄道てつどう時間じかんによって運行うんこうし、社会しゃかい産業さんぎょうおよび市民しみん活動かつどうのあらゆる側面そくめん時刻じこく厳密げんみつ規定きていされることとなった[22]

イタリア[編集へんしゅう]

イタリアは1866ねん12月12にちあらたな統一とういつ国家こっかとなったが、そのふゆはじめから、トリノヴェローナフィレンツェローマナポリパレルモ中心ちゅうしんとする鉄道てつどう時刻じこくがローマ時間じかん同期どうきされた。ローマは1870ねんまで実質じっしつてきにフランスぐん支配しはいにあったが、いまだにイタリアの中心ちゅうしんとみなされていた。単一たんいつ鉄道てつどう時間じかん採用さいようくわえ、民生みんせいおよ商用しょうよう目的もくてき時刻じこく漸進ぜんしんてき標準ひょうじゅんがあった。ミラノはすぐに採用さいようし、1867ねん1がつ1にちトリノボローニャ、1880ねん5がつ1にちヴェネツィア、1886ねんカリャリ採用さいようした[20]

アイルランド[編集へんしゅう]

当時とうじ政治せいじ感情かんじょう反映はんえいして、アイルランドとフランスはグリニッジ平均へいきん正式せいしきには採用さいようしなかった。ダブリン平均へいきんはロンドン時間じかんより25ふんおそ設定せっていされていたが、1916ねん10がつ夏時間なつじかん終了しゅうりょう国際こくさい標準時ひょうじゅんじあいだ移行いこうした。すなわち、アイルランドのほとんどの鉄道てつどう時計とけいは、このに1あいだではなく35ぶん調整ちょうせいをしたのである。また、ベルファストバンゴーなどのアルスターえきでは、鉄道てつどうようのダブリン平均へいきんのほか、グリニッジより23ふん39びょうおそいベルファスト平均へいきん時計とけいばん表示ひょうじされていた[23]

オランダ[編集へんしゅう]

オランダ鉄道てつどう時刻じこくはGMTにもとづいていたが、1909ねん国内こくない標準時ひょうじゅんじあいだとしてGMTより19ふんすすんだアムステルダム時間じかん採用さいようされ、鉄道てつどうもそれにしたがった。1940ねんにオランダがナチスに占領せんりょうされ、ドイツ時間じかんへの移行いこう要求ようきゅうされた。これが現在げんざいいたるまで標準ひょうじゅんとなっている[24]

スウェーデン[編集へんしゅう]

スウェーデンでは、私鉄してつによる鉄道てつどうはいくつか建設けんせつされたが、公営こうえい鉄道てつどう建設けんせつのヨーロッパ諸国しょこくよりもおそかった。それは、建設けんせつコストへの懸念けねん商船しょうせん会社かいしゃからのつよ抵抗ていこうがあったためである。1862ねん開業かいぎょうしたストックホルムヨーテボリあいだ幹線かんせん鉄道てつどう路線ろせん鉄道てつどう時間じかん導入どうにゅうされた。時刻じこくひょうは、路線ろせんさい西端せいたんのヨーテボリでの地方ちほうもとづいていた。その結果けっか乗客じょうきゃくがその地域ちいきでの地方ちほう時間じかんどおりにえきについても、列車れっしゃ到着とうちゃくするまえということになる。おおくの私鉄してつは、地方ちほうかその会社かいしゃ独自どくじ鉄道てつどう時間じかんしたがって運行うんこうしていた。1879ねん1がつ1にち、スウェーデン全土ぜんど全国ぜんこく標準時ひょうじゅんじ導入どうにゅうされたが、これはグリニッジ平均へいきんより1時間じかんはやいものだった[25]

ロシア[編集へんしゅう]

ロシアでは2017ねんまで、標準時ひょうじゅんじとはべつ鉄道てつどう時間じかん使用しようしており、ロシア鉄道てつどう時刻じこくひょう切符きっぷ記載きさいされる時刻じこく現地げんち時間じかんではなくモスクワ時間じかんもとづいていた[26]。しかし、2018ねん8がつ1にちにこれを廃止はいしし、その地域ちいき標準時ひょうじゅんじ使用しようするようになった[27]

インド[編集へんしゅう]

インド鉄道てつどうでもイギリスと同様どうよう、ボンベイ(現在げんざいムンバイ)、カルカッタ(現在げんざいコルカタ)、ラホール、マドラス(現在げんざいチェンナイ)から急速きゅうそく延伸えんしんする鉄道てつどう沿ってことなる時間じかん使つかっており、その問題もんだい必要ひつようてきた。1860年代ねんだいわりごろになると、それぞれの鉄道てつどう接続せつぞくされるようになり、さらに混乱こんらんするようになった。1870ねん問題もんだい解決かいけつのために、マドラス時間じかん英語えいごばんすべての鉄道てつどう採用さいようすることが決定けっていされた。これは、マドラスの経度けいどがカルカッタとボンベイのあいだのほぼ中間ちゅうかんにあることと、マドラスにある天文台てんもんだいすで電信でんしんサービスを開始かいししており、1852ねんにイギリスで最初さいしょ使用しようされたのとおな時報じほうシステムをかいして鉄道てつどう時間じかん同期どうきさせることができたからである。マドラス時間じかんは、ニューマンの「インドのブラッドショー時刻じこくひょう」で使用しようされたことにより普及ふきゅうした[28]

しかし、鉄道てつどう時間じかん全国ぜんこくてき急速きゅうそく採用さいようされ、それがのち標準時ひょうじゅんじ発展はってんしていったイギリスとはことなり、インドでは、国土こくどはるかにひろいことと、ボンベイとカルカッタで自治じち享受きょうじゅしたことにより、どちらの首長しゅちょうも20世紀せいきはいっても地方ちほう維持いじしている。19世紀せいきのこりの期間きかんとおして、マドラス時間じかんすべての鉄道てつどうによって使用しようされつづけた[29]

1884ねん以降いこうすくなくとも1つの子午線しごせん基準きじゅんとするインドの標準時ひょうじゅんじなん提案ていあんされたが、合意ごういたっすることはできなかった。1906ねんにようやく、イラーハーバード子午線しごせん基準きじゅんとする標準時ひょうじゅんじ導入どうにゅうされ、鉄道てつどうはこれにしたがった。それにもかかわらず、カルカッタは1948ねんまで地方ちほう公式こうしき使用しようし、ボンベイでも1955ねんまで非公式ひこうしき地方ちほう使用しようつづけた[30]

朝鮮ちょうせん[編集へんしゅう]

1904ねんきょうがま鉄道てつどうは、朝鮮ちょうせん伝統でんとうてき時間じかん(UTC+08:28)ではなく日本にっぽん中央ちゅうおう標準時ひょうじゅんじ(UTC+9)を導入どうにゅうした[31]。1908ねんきょうがま鉄道てつどう韓国かんこく標準時ひょうじゅんじ(UTC+08:30)を採用さいようした。

鉄道てつどう時間じかん社会しゃかい[編集へんしゅう]

鉄道てつどう時間じかん導入どうにゅうには論争ろんそうがなかったわけではない。当時とうじ芸術げいじゅつによりその様子ようす記録きろくされている。

  • ウィリアム・ワーズワースは1844ねんケンダル・アンド・ウィンダミア鉄道てつどう英語えいごばん建設けんせつ抗議こうぎして、「それでは、イギリスには性急せいきゅう攻撃こうげきからかくれる場所ばしょがないのか?」といている。かれ心配しんぱいしていたのは、工業こうぎょう都市としからの群衆ぐんしゅう影響えいきょうけて、しずかな牧歌ぼっかてき田園でんえん地帯ちたいから時代じだい超越ちょうえつした孤独こどく個性こせいうしなわれることであった[32]
  • チャールズ・ディケンズ懸念けねんなん表明ひょうめいしており、たとえば『ドンビー父子ふし英語えいごばん』では「太陽たいよう自身じしん屈服くっぷくしたかのように、鉄道てつどう時間じかんさえ時計とけい表示ひょうじされている」といている[33]
  • トーマス・ハーディは『あお英語えいごばん』のなかで、鉄道てつどう時間じかんと、一見いっけんして縮小しゅくしょうつづける人間にんげん時間じかんへの影響えいきょうについて具体ぐたいてき言及げんきゅうしている[34]
  • 2002ねん、イギリスのげき作家さっかアラン・プラター英語えいごばんOnly A Matter Of Timeというげきいた。このなかでは、ウェールズの農民のうみんブルネル使節しせつ出会であい、農民のうみんむらとロンドンをむす鉄道てつどう開通かいつうするとなぜ時間じかん標準ひょうじゅん必要ひつようになるのか、それが村人むらびと生活せいかつにどのように影響えいきょうするのかという議論ぎろんおこなわれる[35]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ Smithsonian's NMAH - Anniversary Exhibition Press Release 1999 "Standard Time in America" - Retrieved March 4, 2008.
  2. ^ Kosambi, Meera “Bombay Time in Intersections: Socio-cultural Trends in Maharashtra p161 ISBN 978-81-250-1878-0 Orient Longman (2000)”- Retrieved March 4, 2008.
  3. ^ a b Davies, Peter E "History of Railway Time" - Reproduced from original article on http://www.carnforth-station.co.uk/ - Retrieved March 4, 2008.
  4. ^ a b Harrington, Ralph. “Trains, Technology and Time Travel - How the Victorians Reinvented Time”. 2008ねん8がつ28にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2013ねん9がつ2にち閲覧えつらん
  5. ^ Greenwich mean time - Railway time, Accessed 14-10-2011
  6. ^ Walker, Phil - Sundial Website "Inscription attached to Sundial - Lilleshall Shropshire, England" - Retrieved March 4, 2008.
  7. ^ Science Museum - Making of the Modern World "Railway Time co-ordinated by the Electronic Telegraph" - Retrieved March 4, 2008.
  8. ^ ICONS of England -DCMS 2007 "Stationmasters instructions issued by railway companies" - Retrieved March 4, 2008.
  9. ^ “Railway Time”. Leicester Journal (British Newspaper Archive). (1845ねん12月26にち). http://www.britishnewspaperarchive.co.uk/viewer/bl/0000205/18451226/010/0003 2016ねん9がつ9にち閲覧えつらん 
  10. ^ “The Town Council of Nottingham”. Lincolnshire Chronicle (British Newspaper Archive). (1846ねん3がつ6にち). http://www.britishnewspaperarchive.co.uk/viewer/bl/0000354/18460306/003/0002 2016ねん9がつ9にち閲覧えつらん 
  11. ^ Brunel 200 Victorian Bristol: a guide to Victorian buildings in the city Brunel 200 Creative Bristol, Retrieved February 28, 2010
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  18. ^ NY Times Archive - October 10, 1883 "Railway Time Belt William (Frederick) Allen" - Retrieved March 4
  19. ^ Smithsonian's NMAH - Anniversary Exhibition Press Release 1999 "North American Standard Time introduced 1883" - Retrieved March 4
  20. ^ a b Parmeggiani, Gianluigi - Osservatorio Astronomico di Bologna "The origin of time zones" Archived 2007-08-24 at the Wayback Machine. - Retrieved March 17, 2008.
  21. ^ French time set back - New York Times archive
  22. ^ Procter, Greg. “German Railway History”. 2013ねん9がつ2にち閲覧えつらん
  23. ^ BBC Northern Ireland An Idea Whose Time Had Come..Ellen Hanna Elder Retrieved April 29, 2009
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  26. ^ Russian Railways - Time tables
  27. ^ All change: Russia's odd train time custom finally hits the buffers
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  30. ^ Kosambi, Meera: Bombay Time in Intersections: Socio-cultural Trends in Maharashtra p161 (ISBN 978-81-250-1878-0: Orient Longman, 2000)]. Retrieved March 4, 2008.
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  32. ^ Tate online "William Wordsworth Protest on Railway expansion in the lake District - Retrieved March 4
  33. ^ Dickens, Charles "Dombey and Son" p217 - Retrieved March 4
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参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]