長距離ちょうきょり走者そうしゃ孤独こどく

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長距離ちょうきょり走者そうしゃ孤独こどく(ちょうきょりそうしゃのこどく、原題げんだい: The Loneliness of the Long Distance Runner)は、イギリス小説しょうせつアラン・シリトー1959ねん出版しゅっぱんした短篇たんぺん小説しょうせつしゅう、また同書どうしょ収録しゅうろくされた短篇たんぺん小説しょうせつめい。「おこれる作家さっか」とばれたシリトーは、この作品さくひん青春せいしゅん大人おとな社会しゃかいへの反抗はんこう若者わかものいかりをえがいた。たん編集へんしゅうホーソーンデンしょう受賞じゅしょうし、表題ひょうだいさくは1962ねん映画えいがされた。

ストーリー[編集へんしゅう]

主人公しゅじんこうのスミスは、労働ろうどうしゃ階級かいきゅうまずしい母子ぼし家庭かていそだち、学校がっこう中退ちゅうたいし、仲間なかままちをうろつく不良ふりょう少年しょうねん。あるばんかれ友人ゆうじんまちパンしのんでかねぬすむ。やがて警察けいさついえかれつかまり、感化院かんかいんおくられる。そこでかれ長距離ちょうきょりはし選手せんしゅとしてえらばれ、トレーニングをけるうち、自分じぶんでも長距離ちょうきょりはしあいするようになり、練習れんしゅうむようになった。

かれ才能さいのうてとった感化院かんかいん院長いんちょうは、かれいん代表だいひょうとして陸上りくじょう競技きょうぎ大会たいかい出場しゅつじょうさせることにし、特別とくべつ院外いんがいでの練習れんしゅう許可きょかした。入所にゅうしょしゃがスポーツで優秀ゆうしゅう成績せいせきおさめることは、いん評価ひょうか、ひいては自分じぶん評価ひょうかにつながるからであった。

大会たいかい当日とうじつかれおもいきりはしる。以下いかはなしたかれはゴールラインのまえにくるが、なぜかそこでまった。やがて後続こうぞく選手せんしゅがあえぎながらいついてきてさきにゴールラインをえ、かれ結局けっきょく等外とうがいとなった。かれはゴールラインをむことを拒否きょひすることで、院長いんちょうや、周囲しゅうい大人おとな思惑おもわく反抗はんこうしたのだった。

収録しゅうろく作品さくひん[編集へんしゅう]

たん編集へんしゅう長距離ちょうきょり走者そうしゃ孤独こどく』の収録しゅうろく作品さくひん以下いかとお[1]

  • 長距離ちょうきょり走者そうしゃ孤独こどく」The Loneliness of the Long-Distance Runner
  • 「アーネストおじさん」Uncle Ernest
  • 「レイナー先生せんせい」Mr Raynor the Schoolteacher
  • 漁船ぎょせん」The Fishing-boat Picture
  • 土曜どよう午後ごご」On Saturday Afternoon
  • 試合しあい」The Match
  • 「ジム・スカーフィデイルの屈辱くつじょく」The Disgrace of Jim Scarfedale
  • 「フランキー・ブラーの没落ぼつらく」The Decline and Fall of Frankie Buller

映像えいぞう[編集へんしゅう]

1962ねん、『長距離ちょうきょりランナーの孤独こどく』のタイトルで映画えいがされた。

訳書やくしょ[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 長距離ちょうきょり走者そうしゃ孤独こどく新潮しんちょう文庫ぶんこばんによる。