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ニコラ・ブルバキ

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Nicolas Bourbakiから転送てんそう

ニコラ・ブルバキふつ: Nicolas Bourbaki, ブールバキとも)は、架空かくう数学すうがくしゃであり、おもフランス若手わかて数学すうがくしゃ集団しゅうだんペンネームである。当初とうしょこの数学すうがくしゃ集団しゅうだん秘密ひみつ結社けっしゃとして活動かつどうし、ブルバキを一個人いっこじんとして活動かつどうさせつづけた。日本にっぽん出版しゅっぱんされた38さつおよ[1]数学すうがく原論げんろんや、定期ていきてき開催かいさいされるセミネール・ブルバキ英語えいごばん有名ゆうめい

概要がいよう[編集へんしゅう]

1934ねん解析かいせきがく教科書きょうかしょ編纂へんさんするプロジェクトがはじまり、1935ねんにブルバキという架空かくう人物じんぶつされ、論文ろんぶん発表はっぴょうのちに「1886ねんなまモルダヴィア出身しゅっしん」というプロフィールがあたえられた。

1939ねん数学すうがく原論げんろん刊行かんこうしはじめたとき、論文ろんぶん紹介しょうかい雑誌ざっしMathematical Reviewにてアイレンベルグのペンネームでもあることが露呈ろてい次第しだい集団しゅうだんであることがられはじめ、様々さまざま軋轢あつれきむこととなった[2]

ブルバキの業績ぎょうせき[編集へんしゅう]

集合しゅうごうろん』〈数学すうがく原論げんろん〉の初版しょはん表紙ひょうし

ブルバキのおも業績ぎょうせきは、7000ページ以上いじょうおよぶ『数学すうがく原論げんろん』(Éléments de mathématique) の執筆しっぴつである。もと微分びぶん積分せきぶんがく現代げんだいてき教科書きょうかしょくのがかれらの目的もくてきだったが、作業さぎょう中途ちゅうと肥大ひだいし、その目的もくてきられた。最終さいしゅうてきには集合しゅうごうろんうえ現代げんだい数学すうがく厳密げんみつかつ公理こうりてきてることにその目標もくひょうけられる。かれらはそこで、代数だいすう構造こうぞう順序じゅんじょ構造こうぞう位相いそう構造こうぞうというみっつの構造こうぞう概念がいねんフィルターなどいくつかのあたらしい概念がいねん術語じゅつご導入どうにゅうし、現代げんだい数学すうがくおおきな影響えいきょうあたえた。その完璧かんぺき厳密げんみつせい一般いっぱんせいもとめる叙述じょじゅつブルバキスタイルばれるようになる。ただしブルバキのねらいは、けっして最大限さいだいげん一般いっぱんせいではなく、最大限さいだいげん有効ゆうこうせいそなえた一般いっぱんせい最小限さいしょうげん一般いっぱんである[3]

ブルバキの影響えいきょうとしとも次第しだい低下ていかしていった。その理由りゆうひとつは、ブルバキの影響えいきょうけたほんほかにも出版しゅっぱんされるようになり、ブルバキのほん独自どくじしょくうしなわれたためである。またひとつには、重要じゅうようかんがえられるようになったべつ抽象ちゅうしょうたとえばけんろんなどをカバーしていないためでもある。ブルバキのメンバーの一人ひとりアイレンベルグはけんろん創始そうししゃであり、グロタンディークもけんろん積極せっきょくてきろんじた。だがけんろん導入どうにゅうするには、それまでに発表はっぴょうされてきたブルバキの著作ちょさく根本こんぽんてき修正しゅうせいあたえなければならなかった。そのためけんろんについてのブルバキの著作ちょさく準備じゅんびされていたものの、結局けっきょくかれなかった。

若干じゃっかんぞくかんされてはいるものの、38さつをかけた日本語にほんごばん全部ぜんぶ絶版ぜっぱんである。ただし、数学すうがくだけが文庫ぶんこはいる。

ブルバキの参加さんかしゃ[編集へんしゅう]

創立そうりつメンバーはつぎの5にんで、高等こうとう師範しはん学校がっこう (ENS) の出身しゅっしんしゃだった。

創立そうりつ公式こうしきメンバーとして、つぎの4にんがいた。

マンデルブロをのぞいて、すべてのメンバーがENSの卒業生そつぎょうせいである。ブルバキは50さい定年ていねんとしていて、そのつぎの10にんあらたにくわわった。

アレクサンドル・グロタンディークも、一時期いちじきメンバーだった。

数学すうがく原論げんろん』の執筆しっぴつ1998ねんからまっていた[4]が、2010年代ねんだいつづけかんさつした[5]。ブルバキはセミネール・ブルバキのかたちいまでもその活動かつどうつづけている。

逸話いつわ[編集へんしゅう]

ブルバキの由来ゆらい[編集へんしゅう]

ブルバキの名前なまえ由来ゆらいは、アンドレ・ヴェイユがいた友人ゆうじん悪戯いたずらもとになっている。ENS学生がくせいだった1923ねん友人ゆうじんのラウル・ユッソンが新入生しんにゅうせいをだますためにひげをつけて講義こうぎはじめて、最後さいごには高度こうどなレベルまではなし飛躍ひやくさせ、架空かくうの「ブルバキの定理ていり」ではなしめくくった。一説いっせつではブルバキのは、ひろしふつ戦争せんそう活躍かつやくしたシャルル・ブルバキフランス語ふらんすごばん将軍しょうぐん (Charles Denis Bourbaki) に由来ゆらいするといわれている。出版しゅっぱんぶつなが連名れんめいをすることをきらったヴェイユたちは、すぐに著者ちょしゃをブルバキとすることにめた。ブルバキの採用さいようされたときにはまだファースト・ネームはまっておらず、はじめは頭文字かしらもじ N をくわえることになった[ちゅう 1]1935ねん、ブルバキのらしめるためにヴェイユがエリ・カルタンとおして学士がくしいん論文ろんぶん提出ていしゅつするさいにフルネームや経歴けいれき必要ひつようとなり、(のちにヴェイユのつまとなる)エヴリンの提案ていあんでニコラと名付なづけられた。

定年ていねん[編集へんしゅう]

一説いっせつには、年齢ねんれいかさねたメンバーにたいするテストとして、論理ろんりてきにはただしいが数学すうがくてきにはなん面白おもしろみもない「しん理論りろん」のはなしをもちかけ、「面白おもしろくない」と判断はんだんできないようであれば定年ていねんとする、という了解りょうかいがあった、という。50さい強制きょうせい引退いんたいだったともわれる。

数学すうがく原論げんろん[編集へんしゅう]

数学すうがく原論げんろん1939ねんの『集合しゅうごうろん 要約ようやく』を皮切かわきりに11部門ぶもん出版しゅっぱんされ

1.集合しゅうごうろん
2.代数だいすう
3.位相いそう
4.じつ一変いっぺんすう関数かんすう
5.位相いそう線型せんけい空間くうかん
6.積分せきぶん

の6部門ぶもんにおいてはとく順序じゅんじょにこだわり部門ぶもん順序じゅんじょふくめてすでしめした結果けっかもちいて記述きじゅつされている。それで集合しゅうごうろん土台どだい数学すうがく再編さいへんおこなったということであるが、実際じっさい出版しゅっぱん順序じゅんじょかならずしもこのようにはいかなかった。その部門ぶもん

7.リーぐんとリーたまき
8.かわ代数だいすう
9.多様たようたい
10.スペクトルろん
11.代数だいすうてき位相いそう幾何きかがく

では順序じゅんじょまっているわけではない。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ これは通常つうじょう講師こうし確定かくていしていない講義こうぎについての告示こくじもちいられるものであった。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ 外部がいぶリンク
  2. ^ 井関いせき清志きよし近藤こんどうはじめよし共著きょうちょ、『現代げんだい数学すうがく成立せいりつ課題かだい―』、共立きょうりつ出版しゅっぱん、1977ねんISBN 978-4-535-78114-6
  3. ^ Mashaal 2012, pp. 198–199.
  4. ^ 外部がいぶリンク
  5. ^ 外部がいぶリンク

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • モーリス・マシャル『ブルバキ 数学すうがくしゃたち秘密ひみつ結社けっしゃ高橋たかはし礼司れいじわけシュプリンガー・フェアラーク東京とうきょう〈シュプリンガー数学すうがくクラブ〉、2002ねん10がつISBN 4-431-70926-6 
    • Mashaal, Maurice『ブルバキ 数学すうがくしゃたち秘密ひみつ結社けっしゃ高橋たかはし礼司れいじ やく丸善まるぜん出版しゅっぱん〈シュプリンガー数学すうがくクラブ だい10かん〉、2012ねんISBN 978-4-621-06361-3 
  • アミール・D・アクゼルちょ水谷みずたにあつしわけ、『ブルバキとグロタンディーク』、日経にっけいBP、2007ねんISBN 978-4-82228-3322
  • ファング 『ブルバキの思想しそう』、もりあつし監訳かんやく河村かわむら勝久かつひさやく東京とうきょう図書としょ、1975ねん

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]