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PlayStation Magazine

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
Play Station Magazineから転送てんそう

PlayStation Magazine』(プレイステーションマガジン)は、徳間書店とくましょてんインターメディア1994ねん11月から1999ねん12月まで刊行かんこうしていたソニー・コンピュータエンタテインメントPlayStationせんもんゲーム雑誌ざっし。PlayStation専門せんもんとしては唯一ゆいいつPlayStation 2発売はつばいされるまえ休刊きゅうかんとなったゲーム雑誌ざっしである。

概要がいよう[編集へんしゅう]

ソニー・コンピュータエンタテインメント (SCEI) が、1994ねん12月にPlayStationを発売はつばいしたさいどうはっした雑誌ざっしぐんの1つで、月刊げっかん創刊そうかんされ、翌年よくねん9がつよりつき2かいかんとなる(のち隔週かくしゅうかんになる)。

創刊そうかんは、『ファミリーコンピュータMagazine』とおなみぎびらき(たてき)を採用さいようしていたが、のち他誌たしおなひだりびらき(横書よこがき)へ変更へんこうされた。

略称りゃくしょうは「プレマガ」だが、SCEIが「プレステ」の略称りゃくしょう使用しようみとめていなかった(「ステ」の部分ぶぶんから「て」が連想れんそうされるとされた)ため、誌面しめんじょうでは「PSマガジン」のように記載きさいされることがおおかったが、「プレステ」の略称りゃくしょう一般いっぱんひろまるにつれ、本誌ほんしないでも「プレマガ」とも記述きじゅつされるようになる。

ライターによるレビューだけでなく読者どくしゃ投票とうひょうによるソフトの採点さいてんはやくから採用さいようしていたり、ユーザーからの要望ようぼうをメーカーへつたえるコーナーがあったりと、『ファミマガ』ゆずりの読者どくしゃこえのくみげを積極せっきょくてきっており、一時いちじはPS専門せんもん5なかでも上位じょういはい部数ぶすうだった。

しかし、1998ねん以降いこう他誌たしとくに『ザ・プレイステーション』)が月刊げっかんから隔週かくしゅう、そして週刊しゅうかんへと発行はっこうペースが移行いこうするようになって、新作しんさく情報じょうほう掲載けいさいおくれをりがちになって部数ぶすう低迷ていめい。これにともない、本誌ほんし発売はつばいペースを隔週かくしゅうげるとともに、本誌ほんし最後さいご編集へんしゅうちょうである杉村すぎむらともあらわの「かんがえるゲームしか紹介しょうかいしない」という発言はつげんともロールプレイングゲームシミュレーションゲーム紹介しょうかい攻略こうりゃく重視じゅうしする路線ろせんへの変更へんこう決定けっていする。

また、PSソフトの発売はつばい金曜日きんようびから木曜日もくようび変更へんこうされたのを発売はつばい木曜日もくようび変更へんこうしたが、メーカーからの情報じょうほう解禁かいきん従来じゅうらいどお金曜日きんようびのままだったため、実質じっしつてきには他誌たしより1しゅうおくれとなり速報そくほうせい結果けっかになってしまった。

廃刊はいかん直前ちょくぜんかたちこそ隔週かくしゅうかん名乗なのっていたが、合併がっぺいごうでの発刊はっかん相次あいつぎ、事実じじつじょうはほとんど月刊げっかんひとしい状態じょうたいだった。2000ねん3がつ徳間書店とくましょてんインターメディアが親会社おやがいしゃ徳間書店とくましょてん吸収きゅうしゅう合併がっぺいされるのに先駆さきがけてゲーム雑誌ざっし部門ぶもん整理せいり統廃合とうはいごう決定けっていし、本誌ほんし廃刊はいかんした。最終さいしゅうごうとなった1999ねん12月発売はつばいごう記事きじ掲載けいさいされたタイトルは、年末ねんまつにもかかわらず12ほんのみにまり(どう時期じき近辺きんぺん実際じっさい発売はつばいされたソフトはもちろんそれよりもはるかにおおい)、ゲーム専門せんもんとしてもおよそからだをなしていなかったといえる。

ちょうスギムラ[編集へんしゅう]

ちょうスギムラ(チョー スギムラ)とは、本誌ほんし刊行かんこう末期まっきやく半年はんとしあいだ巻末かんまつ掲載けいさいされていた本誌ほんし最後さいご編集へんしゅうちょう杉村すぎむらともあらわによる日記にっきけんコラムである。「業界ぎょうかい裏側うらがわえる編集へんしゅうちょう日記にっき」と銘打めいうたれており、杉村すぎむらによるゲーム業界ぎょうかいたいする率直そっちょく私見しけんが、よくもわるくも読者どくしゃ注目ちゅうもくあつめた。

なかでも、スクウェア(げんスクウェア・エニックス)の『レーシングラグーン』について、「メーカー公称こうしょうの"ハイスピードドライビングRPG"ではなく、たんなるレースゲームとしかおもえず残念ざんねんで、本誌ほんしはRPG紹介しょうかいにページを編集へんしゅう方針ほうしんなので、このゲームの紹介しょうかいにページをわけにはいかないこともうわけおもう」というむね見解けんかいしめしたことで、スクウェアがわからすると不当ふとうなバッシングをけたとして不興ふきょうったのはとく有名ゆうめいである(詳細しょうさいは、レーシングラグーン#Play Station Magazine編集へんしゅうとのトラブル」を参照さんしょう)。

のち両者りょうしゃ和解わかいするが、この事件じけん同社どうしゃからの『せいけん伝説でんせつ LEGEND OF MANA』の素材そざい提供ていきょう拒否きょひまねき、本誌ほんし刊行かんこうにかなりのダメージをあたえたとされる。

なお、当時とうじの『PlayStation Magazine』にはこのいちけん以外いがいにも、杉村すぎむらともあらわ原因げんいんによる休刊きゅうかんつながるおおきな要因よういんがいくつも存在そんざいしていたため、上記じょうき直接ちょくせつ原因げんいんとなって休刊きゅうかんつながったわけではない。