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UB-5000F

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

UB-5000Fはソビエトの誘導ゆうどうばくだん

概要がいよう[編集へんしゅう]

UB-5000Fは1950年代ねんだい開発かいはつされた初期しょき無線むせんによる誘導ゆうどうだんだった。ナチスドイツから接収せっしゅうしたフリッツX源流げんりゅうで、どう時期じき開発かいはつすすめられたUB-2000Fの拡大かくだいばん共通きょうつうてんおお[1][2]主要しゅよう問題もんだいてんはUB-2000Fの開発かいはつ段階だんかい解決かいけつずみだったので開発かいはつはより容易よういだった。よりおもく、高速こうそく飛行ひこうするので構造こうぞうたい強化きょうかされた[3]

UB-5000Fの飛行ひこう試験しけんは1954ねんTu-4からマッハ0.9の速度そくど落下らっか試験しけん開始かいしされた。費用ひよう削減さくげんするために従来じゅうらい航空機こうくうき生産せいさん使用しようされるリベットとめからジュラルミンいたから一体いったいつくられた。1955ねん視認しにん誘導ゆうどうの18と2実物じつぶつだい模型もけいTu-16試射ししゃじょうおくられ翌年よくねん初頭しょとう完了かんりょうした[3]

1956ねん3がつ試験しけんでは高度こうど11㎞から時速じそく800㎞の速度そくど放出ほうしゅつする試験しけん実施じっしされ、落下らっかには音速おんそくえ、マッハ1.1に到達とうたつした。制御せいぎょチャンネルの開発かいはつちゅう回転かいてん開始かいしして安定あんていそこなわれた。ロール制御せいぎょ向上こうじょうした。そらりょく特性とくせい変化へんか静的せいてき安定あんていせい過大かだいになり、それが標的ひょうてきへの誘導ゆうどう困難こんなんにしたこと判明はんめいした[3]。 ピッチチャンネルの制御せいぎょせい向上こうじょうのためによこ方向ほうこうのV角度かくどは24から31えた。しかしながら、6がつにの投下とうか試験しけん安定あんていせい不十分ふじゅうぶんであることが判明はんめいした。ちいさい安定あんていつばさ追加ついか飛行ひこう速度そくど全体ぜんたい安定あんていせい向上こうじょうしたことが4かい投下とうか試験しけんしめされた[3]

UB-5000Fの開発かいはつ初期しょき段階だんかいでは手動しゅどう指令しれい照準しょうじゅんせん一致いっち誘導ゆうどう方式ほうしきテレビジョン誘導ゆうどうの2方式ほうしき検討けんとうされた[3]。1954ねんの2かい試験しけんではテレビジョン誘導ゆうどうしきがTu-4に装備そうびされた。地上ちじょう標的ひょうてき画像がぞうばくだんからながら操作そうさしゅはジョイスティックで制御せいぎょ指令しれいをUB-5000Fへ送信そうしんしてどうつばさうごかす。さらに照準しょうじゅん精度せいどたかめ、天候てんこうへの依存いぞんらすためにテレビ装置そうち使用しよう標的ひょうてき頭上ずじょう通過つうかする必要ひつようせいはいすることはは生存せいぞんせいたかめる[3]

1955ねん8がつにテレビ装置そうち装備そうびした5のUB-5000Fが配備はいびされた。年末ねんまつまでに3試験しけん良好りょうこう結果けっかたが、同様どうよう装置そうちそなえる5トンのBWB-5誘導ゆうどうだん開発かいはつ決定けっていされた。すでちょう音速おんそく時代じだいはじまっており、そのような大型おおがたばくだん搭載とうさいすることで鈍重どんじゅうになり、なおつ、はは高速こうそく飛行ひこうするため着弾ちゃくだんまで遠隔えんかく操作そうさでの誘導ゆうどう実用じつようてきではなくなりつつあった[3]

その、ソビエトでそら対地たいち誘導ゆうどうだん開発かいはつ再開さいかいするのは1971ねん応用おうよう流体りゅうたい力学りきがく研究所けんきゅうじょでのMiG-27戦闘せんとう爆撃ばくげき搭載とうさいするレーザー誘導ゆうどうだんであるKAB-500とKAB-1500の開発かいはつまでたなければならなかった[3]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ narod.ru”. 2019ねん1がつ1にち閲覧えつらん
  2. ^ УПРАВЛЯЕМЫЕ БОМБЫ "ЧАЙКА", "КОНДОР" И "УБВ-5"”. 2019ねん1がつ1にち閲覧えつらん
  3. ^ a b c d e f g h otechestvennye”. 2019ねん1がつ1にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]