そぞろごと

• 姉妹しまいプロジェクト：引用いんよう集しゅう

• 底本ていほん: 小林こばやし富美枝とみえ『『青鞜せいとう』セレクション 「新あたらしい女おんな」の誕生たんじょう』人文書院じんぶんしょいん、1987年ねん10月がつ30日にち　初版しょはん第だい一いち刷さつ発行はっこう
• 初出しょしゅつ: 雑誌ざっし『青鞜せいとう』1911年ねん9月がつ1日にち創刊そうかん号ごう
• 底本ていほん中ちゅうの表記ひょうきについて
  • 字体じたい、かなづかいを常用漢字じょうようかんじ・新しんかなづかいに改あらためた。
  • 副詞ふくし・接続詞せつぞくし・代名詞だいめいしに使つかわれている一部いちぶの漢字かんじをかなにした。
  • 送おくりがなや句読点くとうてんを整理せいりし、誤記ごき・誤植ごしょく・脱字だつじを補おぎなった。
  • 新あらたにふりがなをつけている。
• 本ほん項こうの表記ひょうきについて
  • 底本ていほんには、その説明せつめいに反はんし、なお旧きゅう字じが使つかわれていたため（例れい: 「青あお」の旧きゅう字じなど）、それらはすべて新字しんじに改あらためた。

ふりがな付つき版ばん

　○

山やまの動うごく日ひ来き（きた）る。
かく云いえども人ひとわれを信しんぜじ。
山やまは姑しゅうと（しばら）く眠ねむりしのみ。
その昔むかしに於おいて
山やまは皆みな火ひに燃もえて動うごきしものを。
されど、そは信しんぜずともよし。
人ひとよ、ああ、唯ただこれを信しんぜよ。
すべて眠ねむりし女おんな（おなご）今いまぞ目覚めざめて動うごくなる。

　○

一人称いちにんしょう（いちにんしょう）にてのみ物もの書しょかばや。
われは女おんな（おなご）ぞ。
一人称いちにんしょうにてのみ物もの書しょかばや。
われは、われは。

　○

額がく（ひたい）にも肩かたにも
わが髪かみぞほつるる
しおたれて湯瀧ゆだき（ゆだき）に打うたるるこころもち、
ほとつくため息いきは火ひの如ごとく且かつ狂くるおし。
かかること知しらぬ男おとこ。
われを褒ほめ、やがてまた譏そし（そし）るらん。

　○

われは愛あい（め）ず。新あたらしき薄手うすで（うすで）の玻璃はり（はり）の鉢はちを。
水みずもこれに湛たたえふれば涙なみだと流ながれ。
花はなもこれに投なげ入はいるれば火ひとぞ燃もえゆる。
愁ふるは、若わかし粗忽そこつ（そこつ）なる男おとこの手てに碎（くだ）け去さらば。――
素焼すやきの土器どき（どき）より更さらに脆もろく、かよわく。

　○

青あおく、且かつ白しろく、
剃刀かみそりの刃はのこころよきかな。
暑あつ（あつ）き草くさいきれにきりぎりす啼なき、
ハモニカを近所きんじょの下宿げしゅくに吹ふくは懶ものぐさ（ものう）けれども。
わが油あぶらじみし櫛笥くしげ（くしげ）の底そこをかき探さがせれば、
陸奥みちのく紙し（みちのくがみ）に包つつまれし細身ほそみの剃刀かみそりこそ出でづるなれ。

　○

にがきか、からきか、煙草たばこの味あじは。
煙草たばこの味あじは云うんひがたし、
甘あま（あま）しと云うんはば、かの粗忽そこつ者しゃ（そこつもの）
砂糖さとうの如ごとく甘あましとや思おもはん。
われは近頃ちかごろ煙草たばこを喫（の）み習へど、
喫むことを人ひとに秘ひめぬ。
蔭かげ口こうに男おとこに似にると云うんはるるもよし。
唯ただおそる。かの粗忽そこつ者しゃこそいと多おお（さわ）なれ。

　○

「鞭むちを忘るな」と
ツアラツストラは云うんひけり。
女おんなこそ牛うしなれ、また羊ひつじなれ。
附つけ足たして我がは云うんはまし。
「野のに放はなてよ。」

　○

わが祖母そぼ（そぼ）の母はははわが知しらぬ人ひとなれど、
すべてに華奢きゃしゃ（かしゃ）を好このみしとよ
水晶すいしょうの数珠じゅずにも倦（あ）き、珊瑚さんごの数珠じゅずにも倦き、
この青玉せいぎょく（せいぎょく）の数珠じゅずを爪繰つまぐ（つまぐ）りしとよ。
我がはこの青玉せいぎょくの数珠じゅずを解かい（ほぐ）して、
貧まずしさに与あずかふべき玩具おもちゃ（おもちゃ）なきまま、
一ひとつ一ひとつ児こ等とう（こら）の手てに置おくなり。

　○

わが歌うたの短みじかければ
言葉ことばを省しょう（はぶ）くと人ひとおもえり
わが歌うたに省はぶくべきもの無なかりき。
また何なにを附つけ足たさん。
わが心しんは魚さかなならねば鰓えら（えら）を有ゆう（も）たず、
ただ一息ひといき（ひといき）にこそ歌うたふなれ。

　○

すいつちよよ、すいつちよよ。
初秋しょしゅう（はつあき）の小しょう（ちいさ）き篳篥ひちりき（ひちりな）を吹ふくすいつちよよ。
蚊帳かや（かや）にとまれるすいつちよよ。
汝なんじ（な）が声こえに青あおき蚊帳かやは更さらに青あおし。
すいつちよよ、なぜに声こえをば途切とぎれ（とぎら）すぞ。
初秋しょしゅう（はつあき）の夜よるの蚊帳かやは水銀すいぎん（みずがね）の如ごとく冷ひや（つめた）きを、
ついつちよよ、すいつちよ。

　○

油蝉あぶらぜみのじじ、じじと啼なくは、
アルボオス石鹸せっけん（しゃぼん）の泡あわなり、
慳貪けんどん（けんどん）なる男おとこ（おとこ）の方形ほうけい（ほうけい）に開ひらく（ひら）く大口おおぐち（おおぐち）なり、
手て握にぎ（てづか）みの二に錢ぜに銅貨どうかなり、
近頃ちかごろの芸術げいじゅつの批評ひひょうなり、
誇ほこりかに語かたるかの若わかき人ひと等とうの恋こいなり

　○

夏なつの夜よるのどしや降くだ（ぶり）の雨あめ、
わが家やは泥田どろたの底そことなるらん。
柱はしらみな草くさの如ごとく撓たわみ、
そを伝つて（つた）ふ雨あめ漏も（あまもり）の水みずは蛇へびの如ごとし。
寝汗ねあせ（ねあせ）の香こう、かなしさよ。よわき子この歯はぎしり。
青あおき蚊帳かやは蛙かえる（かえる）の如ごとく脹（ふく）れ、
肩かたなる髪かみは鹿子かのこ菜さい（ひるむしろ）の如ごとく戦せん（そよ）ぐ。
この中なか（なか）に青白あおじろきわが顔かおこそ。
芥あくた（あくた）に流ながれて寄よれる月見草つきみそうなれ。

ふりがななし版ばん

　○

山やまの動うごく日ひ来くる。
かく云いえども人ひとわれを信しんぜじ。
山やまは姑しゅうとく眠ねむりしのみ。
その昔むかしに於おいて
山やまは皆みな火ひに燃もえて動うごきしものを。
されど、そは信しんぜずともよし。
人ひとよ、ああ、唯ただこれを信しんぜよ。
すべて眠ねむりし女おんな今いまぞ目覚めざめて動うごくなる。

　○

一人称いちにんしょうにてのみ物もの書しょかばや。
われは女おんなぞ。
一人称いちにんしょうにてのみ物もの書しょかばや。
われは、われは。

　○

額がくにも肩かたにも
わが髪かみぞほつるる
しおたれて湯瀧ゆだきに打うたるるこころもち、
ほとつくため息いきは火ひの如ごとく且かつ狂くるおし。
かかること知しらぬ男おとこ。
われを褒ほめ、やがてまた譏そしるらん。

　○

われは愛あいず。新あたらしき薄手うすでの玻璃はりの鉢はちを。
水みずもこれに湛たたえふれば涙なみだと流ながれ。
花はなもこれに投なげ入はいるれば火ひとぞ燃もえゆる。
愁ふるは、若もし粗忽そこつなる男おとこの手てに碎くだけ去ざらば。――
素焼すやきの土器どきより更さらに脆もろく、かよわく。

　○

青あおく、且かつ白しろく、
剃刀かみそりの刃はのこころよきかな。
暑あつき草くさいきれにきりぎりす啼なき、
ハモニカを近所きんじょの下宿げしゅくに吹ふくは懶ものうけれども。
わが油あぶらじみし櫛笥くしげの底そこをかき探さがせれば、
陸奥みちのく紙しに包つつまれし細身ほそみの剃刀かみそりこそ出でづるなれ。

　○

にがきか、からきか、煙草たばこの味あじは。
煙草たばこの味あじは云うんひがたし、
甘あましと云うんはば、かの粗忽そこつ者しゃ
砂糖さとうの如ごとく甘あましとや思おもはん。
われは近頃ちかごろ煙草たばこを喫み習へど、
喫むことを人ひとに秘ひめぬ。
蔭かげ口こうに男おとこに似にると云うんはるるもよし。
唯ただおそる。かの粗忽そこつ者しゃこそいと多おおなれ。

　○

「鞭むちを忘るな」と
ツアラツストラは云うんひけり。
女おんなこそ牛うしなれ、また羊ひつじなれ。
附つけ足たして我がは云うんはまし。
「野のに放はなてよ。」

　○

わが祖母そぼの母はははわが知しらぬ人ひとなれど、
すべてに華奢きゃしゃを好このみしとよ
水晶すいしょうの数珠じゅずにも倦き、珊瑚さんごの数珠じゅずにも倦き、
この青玉せいぎょくの数珠じゅずを爪繰つまぐりしとよ。
我がはこの青玉せいぎょくの数珠じゅずを解かいして、
貧まずしさに与あずかふべき玩具おもちゃなきまま、
一ひとつ一ひとつ児じ等とうの手てに置おくなり。

　○

わが歌うたの短みじかければ
言葉ことばを省はぶくと人ひとおもえり
わが歌うたに省はぶくべきもの無なかりき。
また何なにを附つけ足たさん。
わが心しんは魚さかなならねば鰓えらを有ゆうたず、
ただ一息ひといきにこそ歌うたふなれ。

　○

すいつちよよ、すいつちよよ。
初秋しょしゅうの小ちいさき篳篥ひちりきを吹ふくすいつちよよ。
蚊帳かやにとまれるすいつちよよ。
汝なんじが声こえに青あおき蚊帳かやは更さらに青あおし。
すいつちよよ、なぜに声こえをば途切とぎれすぞ。
初秋しょしゅうの夜よるの蚊帳かやは水銀すいぎんの如ごとく冷れいきを、
ついつちよよ、すいつちよ。

　○

油蝉あぶらぜみのじじ、じじと啼なくは、
アルボオス石鹸せっけんの泡あわなり、
慳貪けんどんなる男おとこの方形ほうけいに開ひらく大口おおぐちなり、
手て握にぎみの二に錢ぜに銅貨どうかなり、
近頃ちかごろの芸術げいじゅつの批評ひひょうなり、
誇ほこりかに語かたるかの若わかき人ひと等とうの恋こいなり

　○

夏なつの夜よるのどしや降くだの雨あめ、
わが家やは泥田どろたの底そことなるらん。
柱はしらみな草くさの如ごとく撓たわみ、
そを伝つてふ雨う漏もの水みずは蛇へびの如ごとし。
寝汗ねあせの香こう、かなしさよ。よわき子この歯はぎしり。
青あおき蚊帳かやは蛙かえるの如ごとく脹ふくれ、
肩かたなる髪かみは鹿子かのこ菜さいの如ごとく戦そよぐ。
この中なかに青白あおじろきわが顔かおこそ。
芥あくたに流ながれて寄よれる月見草つきみそうなれ。