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二銭銅貨 (江戸川乱歩) - Wikisource コンテンツにスキップ

ぜに銅貨どうか (江戸川えどがわ乱歩らんぽ)

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「あの泥棒どろぼううらやましい」二人ふたりのあいだにこんな言葉ことばがかわされるほど、そのころは窮迫きゅうはくしていた。場末ばすえ貧弱ひんじゃく下駄げたかいの、ただひとあいだしかないろくじょうに、一閑張いっかんばりのやぶつくえふたつならべて、松村まつむらたけし(たけし)とこのわたしとが、へん空想くうそうばかりたくましくして、ゴロゴロしていたころのおはなしである。もうなにもかもまってしまって、うごきのれなかった二人ふたりは、ちょうどそのころ世間せけんさわがせていた、だい泥棒どろぼうたくみなやりくちうらやむような、さもしい心持こころもちになっていた。
その泥棒どろぼう事件じけんというのは、このおはなし本筋ほんすじだい関係かんけいっているので、ここにざっとそれをおはなししておくことにする。
しばのさるおおきな電機でんき工場こうじょう職工しょっこう給料きゅうりょう出来事できごとであった。じゅうすうめい賃金ちんぎん計算けいさんかかわりが、せんにんちか職工しょっこうのタイム・カードから、それぞれいちヵ月かげつ賃銀ちんぎん計算けいさんして、やままれた給料きゅうりょうぶくろなかへ、当日とうじつ銀行ぎんこうからされた、だいトランクにいちはいもあろうという、じゅうえんじゅうえんえんなどの紙幣しへいあせだくになってんでいるさなかに、事務所じむしょ玄関げんかん一人ひとり紳士しんしおとずれた。
受付うけつけおんな来意らいいをたずねると、わたし朝日新聞社あさひしんぶんしゃ記者きしゃであるが、支配人しはいにんにちょっとおにかかりたいという。そこでおんな東京とうきょう朝日新聞社あさひしんぶんしゃ社会しゃかい記者きしゃ肩書かたがきのある名刺めいしって、支配人しはいにんにこのことをつうじた。さいわいなことには、この支配人しはいにん新聞しんぶん記者きしゃ操縦そうじゅうほうがうまいことを、ひとつの自慢じまんにしているおとこであった。のみならず、新聞しんぶん記者きしゃ相手あいてに、ほらをいたり、自分じぶんはなしなにだんなどとして、新聞しんぶんせられたりすることは、おとなげないとはおもいながらも、だれしもわる気持きもちはしないものである。社会しゃかい記者きしゃしょうするおとこは、こころよ支配人しはいにん部屋へやへ請じられた。
おおきな鼈甲べっこうえん(べっこうぶち)のがねをかけ、うつくしい口髭くちひげ(くちひげ)をはやし、のきいたくろのモーニングに、流行りゅうこう折鞄おりかばん(おりかばん)といういでたちのそのおとこは、いかにも物慣ものなれた調子ちょうしで、支配人しはいにんまえ椅子いすこしをおろした。そしてシガレット・ケースから、高価こうかなエジプトの紙巻かみまき煙草たばこして、卓上たくじょう灰皿はいざらえられたマッチを手際てぎわよくこすると、あおあじがかったけむりを、支配人しはいにんさきへフッとした。
貴下きか職工しょっこう待遇たいぐう問題もんだいについて意見いけんを」とか、なんとか、新聞しんぶん記者きしゃ特有とくゆうの、相手あいてんでかかったような、それでいて、どこか無邪気むじゃきな、人懐ひとなつっこいところのある調子ちょうしで、そのおとこはこうした。そこで支配人しはいにんは、労働ろうどう問題もんだいについて、多分たぶん労資ろうし協調きょうちょう温情おんじょう主義しゅぎというようなことを、おおいにろんじたわけであるが、それはこのはなし関係かんけいがないからりゃくするとして、やくさんじゅうふんばかり支配人しはいにんしつにおったところの、その新聞しんぶん記者きしゃが、支配人しはいにんいちせきべんおわって、「ちょっと失敬しっけい」といって便所べんじょったあいだに、姿すがたしてしまったのである。
支配人しはいにんは、不作法ぶさほうなやつだくらいで、べつにもとめないで、ちょうど昼食ちゅうしょく時間じかんだったので、食堂しょくどうへと出掛でかけてったが、しばらくすると、近所きんじょ洋食ようしょくからったビフテキかなんかを頰ばっていたところの支配人しはいにんまえへ、会計かいけい主任しゅにんおとこが、顔色かおいろえてんできて、報告ほうこくすることには、
賃銀ちんぎん支払しはらいのかねがなくなりました。とられました」
というのだ。おどろいた支配人しはいにんが、食事しょくじなどはそのままにして、かねのなくなったという現場げんばへきて調しらべてみると、この突然とつぜん盗難とうなん仔細しさいは、だいたいつぎのように想像そうぞうすることができたのである。
ちょうどその当時とうじ工場こうじょう事務じむしつ改築かいちくちゅうであったので、いつもならば、厳重げんじゅう戸締とじまりのできる特別とくべつ部屋へやおこなわれるはずの賃銀ちんぎん計算けいさんが、そのは、りに支配人しはいにんしつとなり応接間おうせつまおこなわれたのであるが、昼食ちゅうしょく休憩きゅうけい時間じかんに、どうしたもの間違まちがいか、その応接間おうせつまそら(から)になってしまったのである。事務じむいんたちは、おたがいにだれのこってくれるだろうというようなかんがえで、一人ひとりのこらず食堂しょくどうってしまって、あとにはシナかばん充満じゅうまんした札束さつたばが、ドアにはかぎもかからない部屋へやに、やく半時はんときあいだほども、ほうりされてあったのだ。そのすきに、何者なにものかがしのはいって、大金たいきんったものにちがいない。それも、すでに給料きゅうりょうぶくろれられたぶんや、こまかい紙幣しへいにはもつけないで、シナかばんなかじゅうえんさつじゅうえんさつたばだけをったのである。損害そんがいだかやくまんえんであった。
いろいろ調しらべてみたが、結局けっきょく、どうもさっきの新聞しんぶん記者きしゃあやしいということになった。新聞しんぶんしゃ電話でんわをかけてみると、やっぱり、そういうおとこ本社ほんしゃいんなかにはいないという返事へんじだった。そこで、警察けいさつ電話でんわをかけるやら、賃銀ちんぎん支払しはらいばすわけにはいかぬので、銀行ぎんこうあらためてじゅうえんさつじゅうえんさつ準備じゅんびたのむやら、たいへんなさわぎになったのである。
かの新聞しんぶん記者きしゃ自称じしょうして、おひとよしの支配人しはいにん無駄むだ議論ぎろんをさせたおとこは、じつは、当時とうじ新聞しんぶん紳士しんし盗賊とうぞくという尊称そんしょうをもっててていたところの、有名ゆうめいだい泥棒どろぼうであったのだ。
さて、所轄しょかつ警察けいさつしょ司法しほう主任しゅにんその臨検りんけんして調しらべてみると、手掛てがかりというものがひとつもない。新聞しんぶんしゃ名刺めいしまで用意よういしてくるほどのぞくだから、なかなか一筋縄ひとすじなわくやつではない。遺留いりゅうひんなどあろうはずもない。ただひとつわかっていたことは、支配人しはいにん記憶きおくのこっているそのおとこ容貌ようぼう風采ふうさいであるが、それが甚(はなは)だたよりないのである。というのは、服装ふくそうなどはむろんりかえることができるし、支配人しはいにんがこれこそ手掛てがかりだともうたところの、鼈甲べっこうえんがねにしろ、口髭くちひげにしろ、かんがえてみれば、変装へんそうにはもっともよく使つかわれる手段しゅだんなのだから、これもてにはならぬ。そこで、仕方しかたがないので、めくらさがしに、近所きんじょ車夫しゃふだとか、煙草たばこのおかみさんだとか、露店ろてん商人しょうにんなどという連中れんちゅうに、かくかくの風采ふうさいおとこかけなかったか、わか(も)しかけたらどの方角ほうがくったかとたずねまわる。むろん市内しないかく巡査じゅんさ派出所はしゅつじょへも、この人相書にんそうがきがまわる。つまり非常ひじょうせんられたわけであるが、なんのごたえもない。いちにちにちさんにち、あらゆる手段しゅだんつくされた。各駅かくえきには見張みはりがつけられた。かく府県ふけん警察けいさつしょへは依頼いらい電報でんぽうはっせられた。こうして、いち週間しゅうかんぎさったけれどもぞくがらない。もう絶望ぜつぼうかとおもわれた。かの泥棒どろぼうが、なにべつつみをでもおかしてげられるのをつよりほかはないかとおもわれた。工場こうじょう事務所じむしょからは、そのすじ怠慢たいまんめるように、毎日まいにち毎日まいにち警察けいさつしょ電話でんわがかかった。署長しょちょう自分じぶんつみででもあるようにあたまなやました。
そうした絶望ぜつぼう状態じょうたいなかに、一人ひとりおなしょぞくする刑事けいじが、市内しない煙草たばこみせいちけんずつ丹念たんねんあるきまわっていた。
市内しないには、舶来はくらい煙草たばこをひととおそなけているという煙草たばこが、各区かっくに、おおいのはすうじゅうけんすくないところでもじゅうけん内外ないがいはあった。刑事けいじはほとんどそれをまわりつくして、いまやま牛込うしごめ四谷よつや区内くないのこっているばかりであった。きょうはこのりょうまわってみて、それで目的もくてきたさなかったら、もういよいよ絶望ぜつぼうだとおもった刑事けいじは、富籤とみくじあた番号ばんごうむときのような、たのしみともおそれともつかぬ感情かんじょうをもって、テクテクとあるいていた。時々ときどき交番こうばんまえまっては、巡査じゅんさ煙草たばこ所在しょざいきただしながら、テクテクとあるいた。刑事けいじあたまなかはFIGARO,FIGARO,FIGAROと、エジプト煙草たばこ名前なまえいちはいになっていた。ところが、牛込うしごめ神楽かぐらざかいちけんある煙草たばこたずねるつもりで、飯田橋いいだばし電車でんしゃ停留所ていりゅうじょから神楽坂かぐらざかかって、あの大通おおどおりをあるいていたときであった。刑事けいじは、いちけん旅館りょかんまえで、フトまったのである。というのは、その旅館りょかんまえの、下水げすいぶたねた御影石みかげいし敷石しきいしうえに、よほど注意深ちゅういぶかひとでなければにとまらないような、ひとつの煙草たばこ吸殻すいがらちていた。そして、なんとそれが、刑事けいじさがしまわっていたところのエジプト煙草たばこおなじものだったのである。
さて、このひとつの煙草たばこ吸殻すいがらからあしがついて、さしもの紳士しんし盗賊とうぞくもついにごくうら(ごくり)のひととなったのであるが、その煙草たばこ吸殻すいがらからは盗賊とうぞく逮捕たいほまでの経路けいろに、ちょっと探偵たんてい小説しょうせつじみた興味きょうみがあるので、当時とうじのある新聞しんぶんには、つづものになって、そのときの何某なにぼう刑事けいじ手柄てがらばなしせられたほどであるが――このわたし記述きじゅつも、じつはその新聞しんぶん記事きじったものである――わたしはここには、さきいそぐために、ごく簡単かんたん結論けつろんだけしかおはなししているひまがないことを残念ざんねんおもう。
読者どくしゃ創造そうぞうされたであるように、この感心かんしん刑事けいじは、盗賊とうぞく工場こうじょう支配人しはいにん部屋へやのこしてったところの、ちんらしい煙草たばこ吸殻すいがらから探偵たんていすすめたのである。そして、各区かっくおおきな煙草たばこをほとんどまわりつくしたが、たとえおな煙草たばこそなえてあっても、エジプトのなかでも比較的ひかくてき売行うれゆきのよくない、そのFIGAROを最近さいきんったみせはごく僅(わず)かで、それがことごとく、どこのだれそれと、うたがうまでもないようなられていたのである。ところがいよいよ最終さいしゅうというになって、いまもおはなししたように、偶然ぐうぜんにも、飯田橋いいだばし附近ふきんいちけん旅館りょかんまえで、おな吸殻すいがら発見はっけんして、じつはあてずっぽうに、その旅館りょかんさぐりをれてみたのであるが、それがなんと僥倖ぎょうこうにも、犯人はんにん逮捕たいほ端緒たんしょとなったのである。
そこで、いろいろ苦心くしんすえ、たとえば、その旅館りょかん投宿とうしゅくしていたその煙草たばこぬしが、工場こうじょう支配人しはいにんからいた人相にんそうとはまるでちがっていたりして、だいぶ苦労くろうをしたのであるが、結局けっきょく、そのおとこ部屋へや火鉢ひばちそこから、犯行はんこうもちいたモーニングその服装ふくそうだとか、鼈甲べっこうえんがねだとか、つけひげだとかを発見はっけんして、逃がれぬ証拠しょうこによって、いわゆる紳士しんし泥棒どろぼう逮捕たいほすることができたのである。
で、その泥棒どろぼう調しらべをけて白状はくじょうしたところによると、犯行はんこう当日とうじつ――もちろん、その職工しょっこう給料きゅうりょうって訪問ほうもんしたのだが――支配人しはいにん留守るすのまに、となり計算けいさんしつにはいってれいかねると、折鞄おりかばんなかにただそれだけをれておいたところの、レインコートとハンチングをして、そのかわりに、かばんなかへは、ぬすんだ紙幣しへい一部分いちぶぶんれて、がねをはずし、口髭くちひげをとり、レインコートでモーニング姿すがたつつみ、中折なかおれのかわりにハンチングをかぶって、きたときとはべつ出口でぐちから、なにくわぬかおをしてしたのであった。あのまんえんという紙幣しへいを、どうして、だれにもうたがわれぬように、すことができたかという訊問じんもんたいして、紳士しんし泥棒どろぼうがニヤリと得意とくいらしいわらいをかべてごたえたことには、
「わたしどもは、からだじゅうがふくろでできています。その証拠しょうこには、押収おうしゅうされたモーニングを調しらべてごらんなさい。ちょっとると普通ふつうのモーニングだが、じつ手品てじな使づかいのふくのように、けられるだけのかくぶくろいているんです。まんえんくらいのかねかくすのはわけはありません。シナじん手品てじな使づかいは、おおきな、みずのはいったどんぶりばちでさえ、からだのなかかくすではありませんか」
さて、この泥棒どろぼう事件じけんがこれだけでおしまいなら、別段べつだん興味きょうみもないのであるが、ここにひとつ、普通ふつう泥棒どろぼうとちがったみょうてんがあった。そして、それがわたしのおはなし本筋ほんすじに、おおいに関係かんけいがあるわけなのである。というのは、この紳士しんし泥棒どろぼうは、ぬすんだまんえんかく場所ばしょについて、いちことも白状はくじょうしなかったのである。警察けいさつと、検事けんじ廷と、公判廷こうはんていと、このみっつの関所せきしょで、ひんえてわれても、かれはただらないの一点張いってんばりでとおした。そしておしまいには、そのわずいち週間しゅうかんばかりのあいだに、使つかたしてしまったのだというような、でたらめをさえいいだしたのである。そのすじとしては、探偵たんていちからによって、そのかねのありかをさがすほかはなかった。そして、ずいぶんさがしたのらしいのであるが、いっこうつからなかった。そこで、その紳士しんし泥棒どろぼうは、まんえん隠匿いんとくのかどによって、窃盗せっとうはんとしてはなりおも懲役ちょうえきしょせられたのである。
こまったのは被害ひがいしゃ工場こうじょうである。犯人はんにんよりはまんえん発見はっけんしてほしかったのである。もちろん、警察けいさつほうでも、そのかね捜索そうさくをやめたわけではないが、どうもぬるいようながする。そこで、工場こうじょうとう責任せきにんしゃたる支配人しはいにんは、そのかね発見はっけんしたものには、発見はっけんがくいちわりしょうけるということを発表はっぴょうした。つまりせんえん懸賞けんしょうである。
これからおはなししようとする、松村まつむらたけしわたし自身じしんかんするちょっと興味きょうみのある物語ものがたりは、この泥棒どろぼう事件じけんがこういうふうに発展はってんしているときにこったことなのである。
このはなし冒頭ぼうとうにもちょっとべたように、そのころ、松村まつむらたけしわたしとは、場末ばすえ下駄げたかいろくじょうに、もうどうにもこうにもうごきがとれなくなって、窮乏きゅうぼうドン底どんぞこしずんでいたのである。でも、あらゆるみじめさのなかにも、まだしも幸運こううんであったのは、ちょうど時候じこうはるであったことだ。これは貧乏人びんぼうにんだけにしかわからない、ひとつの秘密ひみつであるが。ふゆおわりからなつのはじめにかけて、貧乏人びんぼうにんはだいぶもうけるのである。いや、もうけたとかんじるのである。というのは、さむいときだけ必要ひつようであった、羽織はおりだとか、下着したぎだとか、ひどいのになると、夜具やぐ火鉢ひばちるいいたるまで、質屋しちやぞうはこぶことができるからである。わたしどもも、そうした気候きこう恩恵おんけいよくして、あすはどうなることか、月末げつまつあいだだい支払しはらいはどこから捻出ねんしゅつするか、というようなさき心配しんぱいをのぞいては、ずちょっといきをついたのである。そして、しばらくは遠慮えんりょしておった銭湯せんとうへもけば、床屋とこやへもく、めしではいつもの味噌汁みそしるこうものかわりに、さしみでいちごうかなんかを奮発ふんぱつするといったあんばいであった。
あるのこと、いい心持こころもちになって、銭湯せんとうからかえってきたわたしが、きずだらけのこぼれかかった一閑張いっかんばり(いっかんば)りのつくえまえに、ドッカとすわったときに、一人ひとりのこっていた松村まつむらたけしが、みょうな、一種いっしゅ興奮こうふんしたようなかおつきをもって、わたしにこんなことをいたのである。
きみ、この、ぼくつくえうえぜに銅貨どうかをのせておいたのはきみだろう。あれはどこからってきたのだ」
「ああ、おれだよ。さっき煙草たばこったおつりさ」
「どこの煙草たばこだ」
めしとなりの、あのばあさんのいる不景気ふけいきなうちさ」
「フーム、そうか」
と、どういうわけか、松村まつむらはひどくかんがえこんだのである。そして、なおも執拗しつようにそのぜに銅貨どうかについてたずねるのであった。
きみ、そのとき、きみ煙草たばこったときだ、だれかほかにおきゃくはいなかったかい」
かくか、いなかったようだ。そうだ。いるはずがない、そのときあのばあさんは居眠いねむりをしていたんだ」
このこたえをいて、松村まつむらはなにか安心あんしんした様子ようすであった。
「だが、あの煙草たばこには、あのばあさんのほかに、どんな連中れんちゅうがいるんだろう。くんらないかい」
「おれは、あのばあさんとはなかよしなんだ。あの不景気ふけいき仏頂面ぶっちょうづらが、みょうっているのでね。だから、おれは相当そうとうあの煙草たばこについてはくわしいんだ。あそこはばあさんのほかに、ばあさんよりはもっと不景気ふけいきじいさんがいるきりだ。しかし、きみはそんなことをいてどうしようというのだ」
「まあいい。ちょっとわけがあるんだ。ところできみくわしいというのなら、もうすこしあの煙草たばこのことをはなさないか」
「ウン、はなしてもいい。じいさんとばあさんとのあいだに一人ひとりむすめがある。おれはいちそのむすめかけたが、そうわるくないきりょうだぜ。それがなんでも、監獄かんごく差入さしいれとかへよめはいっているというはなしだ。その差入さしいれ相当そうとうらしているので、その仕送しおくりで、あの不景気ふけいき煙草たばこも、つぶれないで、どうかこうかやっているのだと、いつかばあさんがはなしていたっけ……」
わたし煙草たばこかんする知識ちしきについてはなしはじめたとき、おどろいたことには、それをはなしてくれとたのんでおきながら、もうきたくないといわぬばかりに、松村まつむらたけしがったのである。そして、ひろくもない座敷ざしきを、すみからすみへ、ちょうど動物どうぶつえんくまのように、ノソリノソリとあるきはじめたのである。わたしどもは、二人ふたりとも、日頃ひごろからずいぶんまぐれなほうであった。はなしのあいだに突然とつぜんがるなどは、そうちんらしいことでもなかった。けれども、この場合ばあい松村まつむら態度たいどは、わたしをして沈黙ちんもくせしめたほども、かわっていたのである。松村まつむらはそうして、部屋へやなかをあっちへったり、こっちへったり、やくさんじゅうふんくらいあるきまわっていた。わたしはだまって、一種いっしゅ興味きょうみって、それをながめていた。その光景こうけいは、傍観ぼうかんしゃがあって、これをたら、おそろしくちがいじみたものであったにちがいないのである。
そうこうするうちに、わたしはらがへってきたのである。ちょうど夕食ゆうしょく時分じぶんではあったし、にはいったわたし余計よけいはらがへったようながしたのである。そこで、まだちがいじみた歩行ほこうつづけている松村まつむらに、めしかぬかとすすめてみたところが、「すまないが、きみ一人ひとりおこなってくれ」という返事へんじだ。仕方しかたなく、わたしはそのとおりにした。
さて、満腹まんぷくしたわたしが、めしからかえってくると、なんとちんらしいことには、松村まつむら按摩あんま(あんま)をんで、もませていたではないか。以前いぜんわたしどものお馴染なじみであったわかめくら学校がっこう生徒せいとが、松村まつむらかたにつかまって、しきりになにか、まえのおしゃべりをやっているのであった。
きみ贅沢ぜいたくだとおもっちゃいけない。これにはわけがあるんだ。まあ、しばらくだまってていてくれ、そのうちにわかるから」
松村まつむらは、わたし機先きせんせいして、非難ひなん予防よぼうするようにいった。きのう、質屋しちや番頭ばんがしらきつけて、むしろ強奪ごうだつして、やっとれたじゅうえんなにがしの共有きょうゆう財産ざいさん寿命じゅみょうが、按摩あんまちんろくじゅうぜにだけちぢめられることは、このさい贅沢ぜいたくにちがいなかったからである。
わたしは、これらの、ただならぬ松村まつむら態度たいどについて、あるげんれぬ興味きょうみおぼえた。そこで、わたし自分じぶんつくえまえすわって、古本屋ふるほんやってきた講談こうだんほんなにかを、みふけっている様子ようすをした。そして、じつ松村まつむら挙動きょどうをソッとぬすていたのである。
按摩あんまかえってしまうと、松村まつむらかれつくえまえすわって、なにかみきれにいたものをんでいるようであったが、やがてかれ懐中かいちゅうからもういちまい紙切かみきれをして、つくえうえいた。それは、ごくうすすん四方しほうほどのちいさな紙切かみきれで、こまかい文字もじいちめんいてあった。かれはこのまい紙片しへんを、熱心ねっしん比較ひかく研究けんきゅうしているようであった。そして、鉛筆えんぴつ新聞紙しんぶんし余白よはくに、なにいてはし、いてはししていた。そんなことをしているあいだに、電灯でんとうがついたり、表通おもてどおりを豆腐とうふのラッパがとおぎたり、縁日えんにちにでもくらしい人通ひとどおりが、しばらくつづいたり、それが途絶とだえると、シナ蕎麦そばあわれげなチャルメラのおとこえたりして、いつのにかよるけたのである。それでも、松村まつむら食事しょくじさえわすれて、このみょう仕事しごと没頭ぼっとうしていた。わたしはだまって自分じぶんゆかいて、ゴロリとよこになると、退屈たいくつにも、一度いちどんだ講談こうだんほんを、さらにかえしでもするほかはなかったのである。
きみ東京とうきょう地図ちずはなかったかしら」
突然とつぜん松村まつむらがこういって、わたしほういた。
「さア、そんなものはないだろう。したのおかみさんにでもいてみたらどうだ」
「ウン、そうだね」
かれはすぐにがって、ギシギシという梯子段はしごだんを、したりてったが、やがて、いちまいからやぶれそうになった東京とうきょう地図ちずりてきた。そして、またつくえまえすわると、熱心ねっしん研究けんきゅうをつづけるのであった。わたしはますますつの(つの)る好奇心こうきしんをもって、かれ様子ようすながめていた。
した時計とけいきゅうった。松村まつむらは、ながいあいだの研究けんきゅう一段落いちだんらくげたとえて、つくえまえからがって、わたしまくらもとへすわった。そしてすこいにくそうに、
きみ、ちょっと、じゅうえんばかりしてくれないか」
というのだ。わたし松村まつむらのこの不思議ふしぎ挙動きょどうについては、読者どくしゃにはまだかしていないところの、ふか興味きょうみっていた。それゆえ、かれじゅうえんという、当時とうじわたしどもにっては、ぜん財産ざいさん半分はんぶんであったところの大金たいきんあたえることに、すこしも異議いぎとなえなかった。
松村まつむらは、わたしからじゅうえんさつると、あわせ(ふるあわせ)いちまいに、しわくちゃのハンチングといういでたちで、なにもいわずに、プイとどこかへった。
一人ひとりのこされたわたしは、松村まつむらのその行動こうどうについていろいろの想像そうぞうをめぐらした。そしてひとりほくそんでいるうちに、いつか、ついうとうとと夢路ゆめじはいった。しばらくして松村まつむらかえったのを、ゆめうつつにおぼえていたが、それからは、なにらずに、グッスリとあさまで寝込ねこんでしまったのである。
ずいぶん朝寝坊あさねぼうわたしは、じゅうごろでもあったろうか、ましてみると、まくらもとにみょうなものがっているのにおどろかされた。というのは、そこにはしま着物きものに、角帯かくおびめて、こん前垂まえだれをつけた一人ひとり商人しょうにんふうおとこが、ちょっとした風呂敷ふろしきつつみを背負せおってっていたのである。
「なにをみょうかおをしているんだよ。おれだよ」
おどろいたことには、そのおとこ松村まつむらたけしこえをもって、こういったのである。よくよくると、それはいかにも松村まつむらにちがいないのだが、服装ふくそうがまるでかわっていたので、わたしはしばらくのあいだ、なにがなんだか、わけがわからなかったのである。
「どうしたんだ。風呂敷ふろしきつつみなんか背負せおって。それに、そのなりはなんだ。おれはどこの番頭ばんがしらさんかとおもった」
「シッ、シッ、おおきなこえだなあ」松村まつむら両手りょうておさえつけるような恰好かっこうをして、ささやくような小声こごえで、「たいへんなお土産みやげってきたよ」というのである。
きみはこんなはやく、どこかへってきたのかい」
わたしも、かれへん挙動きょどうにつられて、おもわずこえひくくしてききかえした。すると、松村まつむらは、おさえつけてもおさえつけても、あふすようなニタニタわらいを、かおいちはいにみなぎらせながら、かれくちわたしみみのそばまでってきて、まえよりはいっそうひくい、あるかなきかのこえで、こういったものである。
「この風呂敷ふろしきつつみのなかには、きみまんえんというかねがはいっているのだよ」


読者どくしゃもすでに想像そうぞうされたであろうように、松村まつむらたけしは、問題もんだい紳士しんし泥棒どろぼうかくしておいたまんえんを、どこからかってきたのであった。それは、かの電機でんき工場こうじょう持参じさんすれば、せんえん懸賞けんしょうきんにあずかることのできるまんえんであった。だが、松村まつむらはそうしないつもりだといった。そして、その理由りゆうつぎのように説明せつめいした。
かれにいわせると、そのかねをばか正直しょうじきとどるのは、おろかなことであるばかりでなく、同時どうじに、非常ひじょう危険きけんなことであるというのであった。そのすじせんもん刑事けいじたちが、やくいちヵ月かげつもかかってさがしまわっても、発見はっけんされなかったこのかねである。たとえこのまま、われわれが頂戴ちょうだいしておいたところで、だれうたがうもんか。われわれにしたって、せんえんよりまんえんほう有難ありがたいではないか。それよりもおそろしいのは、あいつ、紳士しんし泥棒どろぼう復讐ふくしゅうである。これがおそろしい。刑期けいきびるのを犠牲ぎせいにしてまでかくしておいたこのかねを、横取よこどりされたとったら、あいつ、あの悪事あくじにかけては天才てんさいといってもよいところのあいつが、見逃みのがしておこうはずがない――松村まつむらはむしろ泥棒どろぼう畏敬いけいしているようなくちぶりであった――このままだまっておってさえあぶないのに、これをぬしとどけて、懸賞けんしょうきんもらいなどしようものなら、すぐ松村まつむらたけし新聞しんぶんる。それは、わざわざ、あいつに、かたきのありかをおしえるようなものではないか、というのである。
「だが、すくなくとも現在げんざいにおいては、おれはあいつにったのだ。え、きみ、あの天才てんさい泥棒どろぼうったのだ。このさいまんえんもむろん有難ありがたいが、それよりも、おれはこの勝利しょうり快感かいかんでたまらないんだ。おれのあたまはいい、すくなくとも貴公きこうよりはいいということをみとめてくれ。おれをこの大発見だいはっけんみちびいてくれたものは、きのうくんがおれのつくえうえにのせておいた、煙草たばこのつりせんぜに銅貨どうかなんだ。あのぜに銅貨どうかのちょっとしたてんについて、きみづかないでおれがづいたということはだ、そして、たったいちまいぜに銅貨どうかから、まんえんというかねを、え、きみぜにひゃくじゅうまんばいであるところのまんえんというかねさがしだしたのは、これはなんだ。すくなくとも、きみあたまよりは、おれのあたまほうがすぐれているということじゃないかね」
二人ふたり多少たしょう知識ちしきてき青年せいねんが、ひとあいだのうちに生活せいかつしていれば、そこに、あたまのよさについての競争きょうそうおこなわれるのが、至極しごくあたりまえのことであった。松村まつむらたけしわたしとは、そのごろ、ひまにまかせて、よく議論ぎろんたたかわしたものであった。夢中むちゅうになってしゃべっているうちに、いつのにかよるけてしまうようなこともちんらしくなかった。そして、松村まつむらわたしたがいにゆずらず、「おれのほうあたまがいい」ことを主張しゅちょうしていたのである。そこで、松村まつむらがこの手柄てがら――それはいかにもおおきな手柄てがらであった――をもって、われわれのあたま優劣ゆうれつ証拠立しょうこだてようとしたわけである。
「わかった、わかった。威張いばるのはきにして、どうしてそのかねれたか、その筋道すじみちはなしてみろ」
「まあいそぐな。おれは、そんなことよりも、まんえんのつかいみちについてかんがえたいとおもっているんだ。だが、きみ好奇心こうきしんたすために、ちょっと、簡単かんたん苦心くしんだんをやるかな」
しかし、それはけっしてわたし好奇心こうきしんたすためばかりではなくて、むしろかれ自身じしん名誉めいよしん満足まんぞくさせるためであったことはいうまでもない。それはともかく、かれつぎのように、いわゆる苦心くしんだんかたしたのである。わたしは、それを、しんやすだてに、蒲団ふとんなかから、得意とくいそうにうごかれあごのあたりを見上みあげて、いていた。
「おれは、きのうくんったあとで、あのぜに銅貨どうかをもてあそんでいるうちに、みょうなことに、銅貨どうかのまわりに一本いっぽんすじがついているのを発見はっけんしたんだ。こいつはおかしいとおもって、調しらべてみると、なんとおどろいたことには、あの銅貨どうかふたつにれたんだ。たまえ、これだ」
かれは、つくえきだしから、そのぜに銅貨どうかして、ちょうどやく容器ようきをあけるように、ネジをまわしながら、上下じょうげにひらいた。
「そら、ね、なか空虚くうきょ(うつろ)になっている。銅貨どうかつくったなにかの容器ようきなんだ。なんと精巧せいこう細工ざいくじゃないか。ちょっとたんじゃ、普通ふつうぜに銅貨どうかとちっともかわりがないからね。これをて、おれはおもあたったことがあるんだ。おれはいつか牢破ろうやぶりの囚人しゅうじんもちいるというのこはなしいたことがある。それは懐中時計かいちゅうどけいのゼンマイにをつけた、小人こびととう帯鋸おびのこみたようなものを、まい銅貨どうかこすりへらしてつくった容器ようきなかれたもので、これさえあれば、どんな厳重げんじゅう牢屋ろうやてつぼうでも、なんなくやぶって脱牢だつろうするんだそうだ。なんでももと外国がいこく泥棒どろぼうからつたわったものだそうだがね。そこでおれは、このぜに銅貨どうかも、そうした泥棒どろぼうから、どうかしてまぎれしたものだろうと想像そうぞうしたんだ。だが、みょうなことはそればかりじゃなかった。というのは、おれの好奇心こうきしんを、ぜに銅貨どうかそのものよりも、もっと挑発ちょうはつしたところの、いちまい紙片しへんがそのなかからてきたんだ。それはこれだ」
それは、ゆうべ松村まつむら一生懸命いっしょうけんめい研究けんきゅうしていた、あのうすちいさな紙片しへんであった。そのすん四方しほうほどの日本にっぽんには、こまかいひだりのような、わけのわからぬものがきつけてあった。
陀、わたるふつ南無なむわたるふつおもね陀仏
わたるみなみ阿弥陀あみだ
わたるわたる陀仏、陀、陀、
南無なむ陀仏、南無なむふつ、陀、阿弥陀あみだ
陀、南仏なんふつみなみ陀、わたる
阿弥陀あみだふつわたるおもね
阿弥あみみなみ陀仏、みなみ阿弥陀あみだおもね
みなみわたる南無なむわたるふつ阿弥陀あみだ
南無なむわたる陀、みなみわたる南無なむわたるふつ
阿弥陀あみだ南無なむ陀、南無なむ陀、おもね陀仏
阿弥あみみなみおもねみなみ阿仏あぶつ、陀、みなみおもね
南無なむわたるふつみなみわたるふつ阿弥あみ
わたるわたる陀仏、陀、
南無なむ阿弥陀あみだおもね陀仏、
「この坊主ぼうず寝言ねごとみたようなものは、なんだとおもう。おれは最初さいしょは、いたずらきだとおもった。前非ぜんぴいた泥棒どろぼうかなんかが、つみほろぼしに南無阿弥陀仏なむあみだぶつ(なむあみだぶつ)をたくさんならべていたのかとおもった。そして、牢破ろうやぶりの道具どうぐかわりに銅貨どうかなかれておいたのじゃないかとおもった。が、それにしては、南無阿弥陀仏なむあみだぶつつづけていてないのがおかしい。陀とか、わたるふつとか、どれも南無阿弥陀仏なむあみだぶつろく範囲はんいないではあるが、完全かんぜんいたのはひとつもない。いちきりのやつもあれば、よんのやつもある。おれは、こいつはただのいたずらきではないとかんづいた。ちょうどそのとき、きみ湯屋ゆやからかえって足音あしおとがしたんだ。おれはいそいで、ぜに銅貨どうかとこの紙片しへんかくした。どうしてかくしたというのか。おれにもはっきりわからないが、たぶんこの秘密ひみつ独占どくせんしたかったのだろう。そしてすべてがあきらかになってからきみせて、自慢じまんしたかったのだろう。ところが、きみ梯子段はしごだんがっているあいだに、おれのあたまに、ハッとするようなすばらしいかんがえが閃(ひらめ)いたんだ。
というのは、れい紳士しんし泥棒どろぼうのことだ。まんえん紙幣しへいをどこへかくしたのからないが、まさか、刑期けいきおわるまでそのままでいようとは、あいつだってかんがえてないだろう。そこで、あいつには、あのかね保管ほかんさせるところの手下てした乃至ないし(ないし)は相棒あいぼうといったようなものがあるにちがいない。いまりにだ、あいつが不意ふい捕縛ほばくのためにまんえんかく場所ばしょ相棒あいぼうらせるひまがなかったとしたらどうだ。あいつとしては、未決監みけつかんにいるあいだに、なにかの方法ほうほうでそのなかまに通信つうしんするほかはないのだ。このえたいのしれない紙片しへんが、しやその通信つうしんぶんであったら……こういうかんがえがおれのあたまひらめいたんだ。むろん空想くうそうさ。だが、ちょっとあま空想くうそうだからね。そこで、くんぜに銅貨どうか出所しゅっしょについてあんな質問しつもんをしたわけだ。ところがきみは、煙草たばこむすめ監獄かんごく差入さしいれよめはいっているというではないか。未決監みけつかんにいる泥棒どろぼう外部がいぶ通信つうしんしようとすれば、差入さしいれ媒介ばいかいしゃにするのがもっと容易よういだ。そして、しその目論見もくろみ(もくろみ)がなにかの都合つごう手違てちがいになったとしたら、その通信つうしん差入さしいれのこっているはずだ。それが、そのいえ女房にょうぼうによって親類しんるいいえはこばれないと、どうしてえよう。さア、おれは夢中むちゅうになってしまった。
さて、しこの紙片しへん無意味むいみ文字もじがひとつの暗号あんごうぶんであるとしたら、それをくキイはなんだろう。おれはこの部屋へやなかあるきまわってかんがえた。なりむずかしい。全部ぜんぶひろってみても、南無阿弥陀仏なむあみだぶつろく読点とうてんだけしかない。このななつの記号きごうをもってどういう文句もんくつづれるだろう。おれは暗号あんごうぶんについては、以前いぜんにちょっと研究けんきゅうしたことがあるんだ。シャーロック・ホームズじゃないが、ひゃくろくじゅうしゅくらいの暗号あんごうかたはおれだってっているんだ。で、おれは、おのれのっているかぎりの暗号あんごう記法きほうを、ひとつひとつあたまかべてみた。そして、この紙切かみきれのやつにているのをさがした。ずいぶん手間取てまどった。かくか、そのとききみめしくことをすすめたっけ。おれはそれをことわって一生懸命いっしょうけんめいかんがえた。で、とうとうすこしはてんがあるとおもうのをふたつだけ発見はっけんした。そのひとつはベイコンの考案こうあんしたtwo letters暗号あんごうほうというやつで、それはaとbとのたったのいろいろなわせで、どんな文句もんくでもつづることができるのだ。たとえばflyという言葉ことばげんわすためには、aabab,aabba,ababa.とつづるといった調子ちょうしのものだ。もひとつは、チャールズ一世かずよ王朝おうちょう時代じだいに、政治せいじじょう秘密ひみつ文書ぶんしょさかんにもちいられたやつで、アルファベットのかわりに、ひとぐみ数字すうじもちいる方法ほうほうだ。たとえば……」
松村まつむらつくえすみ紙片しへんをのべて、ひだりのようなものをいた。
A B C D………………
1111 1112 1121 1211……………
「つまりAのかわりにはいちせんひゃくじゅういちき、Bのかわりにはいちせんひゃくじゅうくといったふうのやりかただ。おれは、この暗号あんごうも、それらのれいおなじように、いろはよんじゅうはち南無阿弥陀仏なむあみだぶつをいろいろにえたものだろうと想像そうぞうした。さて、こいつを方法ほうほうだが、これが英語えいごフランス語ふらんすごなら、ポーのGold bugにあるようにeをさがしさえすればわけはないんだが、こまったことに、こいつは日本語にほんごにちがいないんだ。ねんのためにちょっとポーしきのディシファリングをやってみたが、すこしもけない。おれはここでハタとまってしまった。ろくわせ、ろくわせ、おれはそればかりかんがえて、また部屋へやあるきまわった。おれはろくというてんに、なに暗示あんじがないかとかんがえた。そしてむっつのかずでできているものをおもしてみた。
めったやたらにろくというのつくものをならべているうちに、ふと、講談こうだんほんおぼえたところの真田さなだ幸村ゆきむら旗印はたじるし六連むつれぜにおもかべた。そんなものが暗号あんごうになんの関係かんけいもあるはずはないのだが、どういうわけか「六連むつれぜに」と、くちなかでつぶやいた。すると、するとだ。インスピレーションのように、おれの記憶きおくからしたものがある。それは、六連むつれぜにをそのまま縮小しゅくしょうしたようなかたちをしている盲人もうじん使つか点字てんじであった。おれはおもわず「うまい」とさけんだよ。だって、なにしろまんえん問題もんだいだからなあ。おれは点字てんじについてくわしくはらなかったが、むっつのてんわせということだけは記憶きおくしていた。そこで、さっそく按摩あんまんできて伝授でんじゅにあずかったというわけだ。これが按摩あんまおしえてくれた点字てんじのいろはだ」
そういって松村まつむらは、、つくえ引出ひきだしからいちまい紙片しへんした。それには、点字てんじ五十音ごじゅうおん濁音だくおんはん濁音だくおん拗音ようおん長音符ちょうおんぷ数字すうじなどが、ズッとべていてあった。
いま南無阿弥陀仏なむあみだぶつを、ひだりからはじめてさんずつぎょうならべれば、この点字てんじおな配列はいれつになる。南無阿弥陀仏なむあみだぶついちずつが、点字てんじのおのおののいちてん符合ふごうするわけだ。そうすれば、点字てんじのアはみなみ、イは南無なむと、いうぐあいにてはめることができる。この調子ちょうしで、けばいいのだ。そこで、これは、おれがゆうべこの暗号あんごういた結果けっかだがね。いちばんじょうくだり原文げんぶん南無阿弥陀仏なむあみだぶつ点字てんじおな配列はいれつにしたもの、まんなかくだりがそれに符合ふごうする点字てんじ、そしていちばんくだりが、それを翻訳ほんやくしたものだ。
こういって、松村まつむらはまたもやしめしたような紙片しへんしたのである。
   
  陀
 
 わたる 
 
 ふつ
みなみわたる
 
 ふつ
  
 陀
阿仏あぶつ
 わたる
 
 わたる

おもね


 
 わたる
 
 
 わたる

 ふつ


 

 陀
 
みなみ 
陀 
 ふつ
みなみ 
 
 ふつ
濁音だくおん 濁音だくおん

 陀
 
 わたる

おもね


 
みなみ
 
 ふつ
みなみ
 陀
 
 わたる
 
 
 わたる

阿仏あぶつ
 わたる

みなみ 
 陀
おもね
 わたる
 
おもね
みなみ 
 陀
 ふつ
みなみわたる 
 陀
おもね

 陀
おもね
濁音だくおん
みなみわたる

 
みなみわたる

 ふつ
 わたる

おもね
みなみわたる

 
みなみわたる

 
みなみわたる

 ふつ
 わたる

おもね
みなみ

 
みなみ

おもね

 陀
阿仏あぶつ
 わたる

おもね
みなみ

おもね
みなみ

阿仏あぶつ
 
 陀
 
みなみ
 陀
おもね
みなみ

 わたる

 ふつ
みなみわたる
 
 ふつ
 わたる
 
おもね
 わたる
 
 
 わたる

 ふつ
 

 
みなみわたる

おもね
 
 陀
阿仏あぶつ
濁音だくおん
「ゴケンチヨーシヨージキドーカラオモチヤノサツヲウケトレウケトリニンノナハダイコクヤシヨーテン。つまり五軒ごけんまち正直しょうじきどうからおもちゃの紙幣しへいれ、受取うけとりじん大黒屋だいこくや商店しょうてんというのだ。意味いみはよくわかる。だが、なんのためにおもちゃの紙幣しへいなんかるのだろう。そこでおれはまたかんがえさせられた。しかし、このなぞわれ簡単かんたんくことができた。そしておれはつくづくあの紳士しんし泥棒どろぼうの、あたまがよくって敏捷びんしょうで、なおそのうえ小説しょうせつのようなウイットをっていることに感心かんしんしてしまった。え、きみ、おもちゃの紙幣しへいとはすてきじゃないか。
おれはこう想像そうぞうしたんだ。そして、それがさいわいにもことごとく的中てきちゅうしたわけだがね。紳士しんし泥棒どろぼうは、万一まんいち場合ばあいをおもんぱかって、ぬすんだかねもっと安全あんぜんかく場所ばしょを、あらかじめ用意よういしておいたにちがいないんだ。さてなかにいちばん安全あんぜんかくかたは、かくさないことだ。衆人しゅうじんまえに曝(さら)しておいて、しかもだれもそれにづかないというようなかくかたもっと安全あんぜんなんだ。おそれるべきあいつは、このてんづいたんだ。と想像そうぞうするんだがね。で、おもちゃの紙幣しへいという功名こうみょうなトリックをかんがした。おれは、この正直しょうじきどうというのは、たぶんおもちゃの紙幣しへいなんかを印刷いんさつするみせだと想像そうぞうした。――これもあたっていたがね。――そこへ、あいつは大黒屋だいこくや商店しょうてんというで、あらかじめおもちゃの紙幣しへい注文ちゅうもんしておいたんだ。
近頃ちかごろ本物ほんもの寸分すんぶんちがわないようなおもちゃの紙幣しへいが、花柳かりゅうかいなどで流行りゅうこうしているそうだ。それはだれかからいたっけ。ああ、そうだ。きみがいつかはなしたんだ。ビックリはこだとか、本物ほんものとちっともちがわないどろつくった菓子かし果物くだものだとか、へびのおもちゃだとか、ああしたものとおなじように、おんなをびっくりさせてよろこ粋人すいじんのおもちゃだといってね。だから、あいつが本物ほんものおなおおきさの紙幣しへい注文ちゅうもんしたところで、ちっともうたがいをけるはずはないんだ。そうしておいて、あいつは、本物ほんもの紙幣しへいをうまくぬすすと、たぶんその印刷いんさつしのんで、自分じぶん注文ちゅうもんしたおもちゃの紙幣しへいこすえておいたんだ。そうすれば、注文ちゅうもんぬしりにくまでは、まんえんという天下てんか通用つうよう紙幣しへいが、おもちゃとして、安全あんぜん印刷いんさつ物置ものおきのこっているわけだからね。
これはたんにおれの想像そうぞうかもしれない。だが、ずいぶん可能かのうせいのある想像そうぞうだ。おれはとにかくあたってみようと決心けっしんした。地図ちず五軒ごけんまちというまちさがすと、神田かんだ区内くないにあることがわかった。そこでいよいよおもちゃの紙幣しへいりにくのだが、こいつがちょっとむずかしい。というのは、このおれがりにったという痕跡こんせきを、すこしだってのこしてはならないんだ。もしそれがわかろうものなら、あのおそろしい悪人あくにんがどんな復讐ふくしゅうをするか、おもっただけでも、よわいおれはゾッとするからね。とにかく、できるだけおれでないようにせなければいけない。そういうわけで、あんな変装へんそうをしたんだ。おれはあのじゅうえんで、あたまさきからあしさきまでなりをえた。これをたまえ、これなんかちょっといいおもいつきだろう」
そういって、松村まつむらはそのよくそろった前歯まえばしてせた。そこには、わたしがさきほどからづいていたところの、一本いっぽん金歯きんばひかっていた。かれ得意とくいそうに、ゆびさきでそれをはずして、わたしまえへつきした。
「これは夜店よみせっている、ブリキにメッキしたやつだ。ただうえかんせておくだけの代物しろものさ。わずかじゅうぜにのブリキのかけらがたいしたやくつからね。金歯きんばというやつはひどくひと注意ちゅういくものだ。だから、後日ごじつおれをさがすやつがあるとしたら、ずこの金歯きんば目印めじるしにするだろうじゃないか。
これだけの用意よういができると、おれはけさはや五軒ごけんまち出掛でかけた。ひとつ心配しんぱいだったのはおもちゃの紙幣しへい代金だいきんのことだった。泥棒どろぼうのやつ、きっと、転売てんばいなんかされることをおそれて、前金まえきん支払しはらっておいただろうとはおもったが、しまだだったら、すくなくともさんじゅうえん入用にゅうようだからね。あいにくわれわれにはそんなかねわせがない。なあに、なんとかごまかせばいいとこう(たか)をくくって出掛でかけた。うまいぐわいに、印刷いんさつかねのことなんかいちこともいわないで、品物しなものわたしてくれたよ。かようにして、まんまと首尾しゅびよくまんえん横取よこどりしたわけさ。……さてそのつかいみちだ。どうだなにかんがえはないかね」
松村まつむらが、これほど興奮こうふんして、これほど雄弁ゆうべんにしゃべったことはちんらしい。わたしはつくづくまんえんというかね偉力いりょく驚嘆きょうたんした。わたしはその都度つど(つど)、形容けいようするはん(はん)をけたが、松村まつむらがこの苦心くしんだんをしているあいだのうれしそうなかおというものは、まったくものであった。かれははしたなくよろこかおせまいとして、おおいに努力どりょくしておったようであるが、つとめても、つとめても、はらそこからげてくる、なんともいえぬうれしそうな笑顔えがおかくすことができなかった。はなしのあいだあいだにニヤリとらす、その形容けいようのしようもない、ちがいのようなわらいをていると、なんだかおそろしくなってきた。むかしせんりょうとみくじにあたって発狂はっきょうした貧乏人びんぼうにんがあったというはなしもあるのだから、松村まつむらまんえん狂喜きょうきするのはけっして無理むりではなかった。
わたしはこのよろこびがいつまでもつづけかしとねがった。松村まつむらのためにそれをねがった。だが、わたしには、どうすることもできぬひとつの事実じじつがあった。めようにもめることのできないわらいが爆発ばくはつした。わたしわらうんじゃないと自分じぶん自身じしんしかりつけたけれども、わたしなかちいさないたずらきの悪魔あくまが、そんなことにはへこたれないでわたしをくすぐった。わたし一段いちだんたかこえで、もっともおかしい笑劇しょうげきているひとのようにわらった。松村まつむらはあっけにとられて、わらいころげるわたしていた。そしてちょっとへんなものにぶっつかったようなかおをしてった。
きみ、どうしたんだ」
わたしはやっとわらいを嚙みごろしてそれにこたえた。
きみ想像そうぞうりょくじつにすばらしい。よくそれだけのだい仕事しごとをやった。おれはきっといままでのすうばいきみあたま尊敬そんけいするようになるだろう。なるほどきみのいうように、あたまのよさではてきわない。だが、きみは、現実げんじつというものがそれほどロマンチックだとしんじているのかい」
松村まつむら返事へんじもしないで、一種いっしゅ異様いよう表情ひょうじょうをもってわたしつめた。
いかえれば、きみは、あの紳士しんし泥棒どろぼうにそれほどのウイットがあるとおもうのかい。くん想像そうぞうは、小説しょうせつとしてはじつもうぶんがないことをみとめる。けれどもなか小説しょうせつよりもっと現実げんじつてきだからね。そして、小説しょうせつについてろんじるのなら、おれはすこくん注意ちゅういきたいてんがある。それは、この暗号あんごうぶんには、もっとほかのかたはないかということだ。くん翻譯ほんやくしたものを、もう一度いちど翻訳ほんやくする可能かのうせいはないかということだ。たとえばだ、この文句もんくはちずつばしてむといううことはできないことだろうか」
わたしはそういって、松村まつむらいた暗号あんごう翻訳ほんやくぶんひだりのようなしるしをつけた。


ケンチヨーシヨーキドーカラオモチノサツヲウケトレケトリニンノハナイコクヤシヨーテ


「ゴジヤウダン。きみ、この『冗談じょうだん』というのはなんだろう。エ、これが偶然ぐうぜんだろうか。だれかのいたずらという意味いみではないだろうか」
松村まつむらものもいわずがった。そしてまんえん札束さつたばだとしんじきっているところの、かの風呂敷ふろしきつつみをわたしまえってた。
「だが、この事実じじつをどうする。まんえんというかねは、小説しょうせつなかからはうまれないぞ」
かれこえには、たしいをするときのような真剣しんけんさがこもっていた。わたしおそろしくなった。そして、わたしのちょっとしたいたずらの、予想よそうがいおおきな効果こうかを、後悔こうかいしないではいられなかった。
「おれは、くんたいしてじつまないことをした。どうかゆるしてくれ。きみがそんなに大切たいせつにしてってきたのは、やはりおもちゃの紙幣しへいなんだ。まあそれをひらいてよく調しらべてみたまえ」
松村まつむらは、ちょうどやみなかものさぐるような、一種いっしゅ異様いようつきで――それをて、わたしはますますどくになった――ながいあいだかかって風呂敷ふろしきつつみをいた。そこには、新聞紙しんぶんし丁寧ていねいつつんだふたつの四角しかくつつみがあった。そのうちのひとつは新聞紙しんぶんしやぶれて中味なかみあらわれていた。
「おれは途中とちゅうでこれをひらいて、このたんだ」
松村まつむらのどにつかえたようなこえでいって、なおも新聞紙しんぶんしをすっかりった。
それは、いかにもしんにせまったにせものであった。ちょっとたのでは、すべてのてん本物ほんものであった。けれども、よくると、それらの紙幣しへい表面ひょうめんには、えんというかわりにだんというが、おおきく印刷いんさつされてあった。じゅうえんじゅうえんではなくて、じゅうだんじゅうだんであった。松村まつむらはそれをしんぜぬように、幾度いくど幾度いくど見直みなおしていた。そうしているうちに、かれかおからは、あのわらいのかげがすっかりってしまった。そして、あとにはふかふか沈黙ちんもくのこった。わたしまぬという気持きもちいちはいであった。わたしは、わたしのやりぎたいたずらについて説明せつめいした。けれども、松村まつむらはそれをこうともしなかった。そのいちにち、おしのようにだまりんでいた。
これで、このおはなしはおしまいである。けれども読者どくしゃ諸君しょくん好奇心こうきしんたすために、わたしのいたずらについていちこと説明せつめいしておかねばならぬ。正直しょうじきどうという印刷いんさつじつわたしとお親戚しんせきであった。わたしある、せっぱまったくるしまぎれに、そのふだんは不義理ふぎりかさねているところの親戚しんせきおもした。そして「いくらでもかね都合つごうがつけば」とおもって、すすまぬながらひさりでそこを訪問ほうもんした。――むろんこのことについては松村まつむらすこしもらなかった。――借金しゃっきんほう予想よそうどお失敗しっぱいであったが、そのときはからずも、あの本物ほんものすこしもちがわないような、そのとき印刷いんさつちゅうであったところのおもちゃの紙幣しへいたのである。そしてそれが大黒屋だいこくやという長年ながねん得意とくいさき注文ちゅうもんひんだということをいたのである。
わたしはこの発見はっけんを、われわれの毎日まいにち話柄わへい(わへい)となっていた、あの紳士しんし泥棒どろぼういちけんむすびつけて、ひと芝居しばいってみようと、くだらぬいたずらをおもいついたのであった。それは、わたし松村まつむら同様どうように、あたまのよさについて、わたし優劣ゆうれつしめすような材料ざいりょうが摑みたいと、日頃ひごろから熱望ねつぼうしていたからでもあった。
あのぎこちない暗号あんごうぶんは、もちろんわたしつくったものであった。しかし、わたし松村まつむらのように外国がいこく暗号あんごうつうじていたわけではない。ただちょっとしたおもいつきにすぎなかったのだ。煙草たばこむすめ差入さしいれとついでいるというようなことも、やはりでたらめであった。だいいち、その煙草たばこむすめがあるかどうかさえあやしかった。ただ、このお芝居しばいで、わたしもっとあやぶんだのは、それらのドラマチックな方面ほうめんではなくて、もっとも現実げんじつてきな、しかし全体ぜんたいからてはきわめて些細ささいな、すこ滑稽こっけいあじびた、ひとつのてんであった。それはわたしたところのあの紙幣しへいが、松村まつむらりにくまで、配達はいたつされないで、印刷いんさつのこっているかどうかということであった。
おもちゃの代金だいきんについては、わたしすこしも心配しんぱいをしなかった。わたし親戚しんせき大黒屋だいこくやとはひきであったし、そのうえもっといいことは、正直しょうじきどうきわめて原始げんしてきな、ルーズな商売しょうばいのやりかたをしていたことで、松村まつむら別段べつだん大黒屋だいこくや主人しゅじん受取うけとりしょう持参じさんしないでも、失敗しっぱいするはずはなかったからである。
最後さいごにあのトリックの出発しゅっぱつてんとなったぜに銅貨どうかについては、わたしはここにくわしい説明せつめいけねばならぬことを残念ざんねんおもう。わかし、わたしがへまなことをいては、後日ごじつ、あのしなわたしにくれたあるにんが、とんだ迷惑めいわくをこうむるかもしれないからである。読者どくしゃは、わたし偶然ぐうぜんそれを所持しょじしていたとおもってくださればよいのである。

この著作ちょさくぶつは、環太平洋かんたいへいようパートナーシップにかんする包括ほうかつてきおよ先進せんしんてき協定きょうてい発効はっこう(2018ねん12月30にち)の時点じてん著作ちょさくしゃ共同きょうどう著作ちょさくぶつにあっては、最終さいしゅう死亡しぼうした著作ちょさくしゃ)の没後ぼつご団体だんたい著作ちょさくぶつにあっては公表こうひょうまた創作そうさく)50ねん以上いじょう経過けいかしているため、日本にっぽんにおいてパブリックドメイン状態じょうたいにあります。


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