余少年好易。得周易經翼通解讀之。反覆玩味、稍々通易理。而後反求之群籍中。涉獵頗勉。二十餘年於茲。始挾疑於序卦。求筮於經驗。渾然如會。渙乎似釋。脫卻舊套。別成此說。不遜之罪。謭劣之謗。所不辞。古人曰。吾師可愛。不如道。有所信也。大正二年九月上旬。遠藤隆吉識於巢園學舍。
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易と人生
文學博士 遠藤隆吉 著
此の周易六十四卦の話は、全体餘りスペシヤルであつて、興味が無いだらうと思ふけれども、易の専門の方面から見ると興味のあることゝ自分は信じて居る。斯う云ふ意見は腦髓を破壞するやうな恐れがあつて隨分精神を刺激することゝ思ふ。
全体六十四卦の順序と云ふのは、周易に於て一定して居るが、此の順序が必ずしも學理的でないと云ふことは六十四卦をー目見れば能く分る。十翼中の最後に序卦傅と云ふのがあつて、六十四卦は斯う云ふ道理の順序であると云つて書いてあるけれども、夫は全然牽强附會の說で聖人が書いたとは思はれない。夫は兎に角易卦の排列夫れ自身に於て學理的でないと思ふ。所で六十四卦の順序は他の順序と取換へた方が宜からう、他の新らしい順序に排列せらるゝであらうと云ふ考えはどう云ふところから起つて來たかと云ふと周易を哲學として抽象して見たいと云ふ硏究の結果から出て來たのである。周易には上下經と其他に十翼と云ふのがある、十翼は普通の文章であるからして其十翼各篇に付て哲學を抽象することは容易く出來る、例へば上象下象、上象、下象、上繫辞、下繫辞、文言、說卦、序卦、雜卦の哲學のやうな工合に、各篇に於て其哲學思想を抽象することが出來る、夫れに依て十翼全体に亘つて抽象すると云ふことは出來ないことではない、所が上經下經になるとどうも一つに偏つて哲學系統として一種の思想を見はすことは出來ない、どう考へても上下經から哲學の系統を編出すと云ふことは困難である。上下經は六十四卦行列して長い間歷史的に此順序で排列されて居るから之を崩すことも出來ない、崩さないで考へて見るとどうかと云ふと言葉が餘り簡單で其上六十四卦あるものが如何にも種類が一樣でないから、六十四卦の方面に於て哲學を抽象することは出來ない。
次に何か之を西洋の哲學流に考へたならば六十四卦を解釋し得ることは出來まいか、其に就て苦心して見たのである。どうか六十四卦から哲學思想を抽象して見たい、一種の哲學を作つて見たいと考へた。ナカ〳〵善い考へが出なかつたと云ふのは六十四卦は皆六爻から成つて居つて、一二三四五六と下から六本である、一番始めが人民の位、次が士、次が大夫、次が公卿、次が天子、其次が無位の地位と云ふやうな譯で社會的の順序に當嵌つて居る、例へば乾の卦に就て言ふと「初九潛龍勿用』と書いて人民であるから意見を出したり何かする事はせぬ方が宜いと云ふ、第二は士のことが書いてある、龍が初めて田に出た所であるから『九二見龍在田利見大人』と書いてある、九三は乃ち大夫今で言ふと縣知事位の位置で段々貴顯に近い、夫れで『九三君子終日乾々夕惕若厲无咎』と書いてある、九四は宰相の位或は公卿の位であるから『九四或躍在淵无咎』と書いてある、九五は天子の位であるから『九五飛龍在天利見大人』次に『上九亢龍有悔』と書いてある、天子の次か無位の位置で夫れ〳〵社會的位置に當嵌めてある、其社會的位置に相當した言葉が書いてある。崩して哲學思想を抽象することは困難である。
或場合には斯く云ふ樣にやつて見た。一番下の人民はどう云ふことをやるべきか云はゞ人民の處世訓とか又道德訓とかいふ樣に考へて見た事がある、夫から士は如何樣にやるかといふことを下から二番目の爻辞を六十四合せて考へたこともある、三番目四番目の者も同く六十四の言葉を夫れ〳〵集めて來て大夫はどう云ふ位或は公卿はどう云ふ位と云ふやうに考へて見たこともあつた。次の五は天子の位であるから天子はどう云ふ具合か矢張六十四合せて考へたこともある、或は在野の賢人は如何樣にすべきかと全体六つに分けて考へて見たならば哲學思想を抽象することが出來まいかと思ふたのである、倂しそう云ふ工合にやると全く六十四の言葉を彼方からも此方からも集めて來る丈に止まる。而も夫れが六章だけと極つて來る、夫では餘り意味が淺薄で面白くないと思つたのである。
其處で今度は改めて考へて見るのに周易の六十四卦と云ふものは何を示して居るだらうか六十四卦の名稱を考へると或は人間社會に關係あるものあり或は天地自然の現象に關係のあるものもある、又食物とか或は井といふやうな極些細な事に關係のあるものもある、又は單に太陽が昇るとか風で氷を解くとかいふ工合に性質若くは活勒に關係のある者もある六十四といふと數は少ないやうだけれども示して居る種類は甚だ多樣である、ソコで此方面から考へたけれども矢張統一が出來惡い、倂し周易の六十四卦を論ずる場合には折角昔しからの聖人が一卦は一卦として有する意味を持たせて居つたのであるから、其積りで系統を作つて見なければ面白ないと考へて、自分は斯う云ふことを考へたのである、夫は六十四卦は今いふた樣な工合に種々の現象を示して居るけれども、何れも人間社會に關係がある、直接間接に關係を持て居る。其關係とはどう云ふ方面かといふことを聯想したのである、例へば井があると云ふと其が如何に人間社會に關係するかといふと人間を養ふといふ方に解釋する、又は鼎といへば物體であるけれども矢張人間社會に關係する。ヒユウマンライフの中の養ふといふ中に含まれて居る、又は竹の節といふやうなことがあるが矢張人間の節操といふやうに解釋される、其他太陽が昇るといふのは矢張人間が段々立身出世する意味に解釋される、夫であるから六十四といふものは直接間接皆ヒユウマンライフの一方面を示したものであると考へた。之が最後の考へであつた。
然らば此考へに從つて周易六十四卦を排列したら面白くなからうかと考へた。大体の意味をいふと斯ういふことになる。ヒユウマンライフといふ者の方面を分類するには如何樣にすべきか之がナカ〳〵問題であらうと思ふ。けれども兎に角周易六十四卦は人間生活の各方面を書いたものである。其の方面はどんな者であるか。分け方の精密であると精密でないとは別として兎に角六十四卦に依つて考へたらどうかといふに、人間の立身出世といふものを示した卦が隨分ある、又結婚を解釋した者も隨分ある。旅行、又朋友の義理を解釋したものもある。夫から食物を解釋した者もあり戰を解釋したものもある、又物を贈る受るといふことを解釋したものもある又困難若くは逆境に處することを解釋したものもあり或は順境に處したことを書いたものもある。其他言はなくとも大槪想像が付くと思ふけれどもそういふ工合にヒユウマンライフの各方面を解釋した者と見ると六十四卦全体を考へても此の如き意味が出て來ることと思ふのである。夫であるから更に斯ういふやうに縮めて學理的にヒユウマンライフといふ者を分析する、其れが十になり或は二十になる。其處へ持て來て六十四卦を排列すると完全なる周易六十四卦の系統が立つと自分は考へた。ソコでスツカリ順序を直して分類したが其分類が果して精密であるかどうかは疑問である。分け方が必ずしも一致することが出來まいと思ふ。夫が一つ困る点である。も一つはそういふ學理的の分類の仕方で排列した處で、一卦が兩方に關係したのがある。此困難を許すとすれば今いふたやうな順序に直すことが出來る。夫で先づ一段落である。
ソコで周易といふ書物は如何に利用すべきかといふ段になる、元來周易といふは元卜筮の書であるといふ人もあるが夫は別として一種の處世上の訓戒として解釋する方が面白いかと思ふ。其卜筮を排除して全く處世訓道德訓として後に今學理的に排列された者を應用することが出來る、どういふ工合に應用するかといふと自分が今度結婚しやうと思ふ。其時には今迄はトひで卦を出して周易を的テにしたがさうでなく結婚の處を開いて見て昔しの聖人は何と云つて居つたか夫を參酌する、又は戰をする時には戰さの卦を見ると戰さに關する心持が分かる。又朋友と交際する場合にもさうである、矢張其處を開いて見て交際のことも知るといふ樣になる。斯樣な工合に見る時は易といふ書物が唯卜筮といふ方面から効力があるのではなくして人々の實際生活の伴侶となるものである、所で是等の周易などアテにするは今日の人から見て羞かしくないかどうか、他の言葉でいふと周易に夫れだけの價値があるかといふ一段になる。夫は人々の見解で斯んな者はアテにならぬといつて終へば夫迄であるが自分の考へでは大變アテになると思ふのである。昔し周易の言葉を作つた人々は孰れも海に千年山に千年餘程毛の生へた人間で處世に就ては隨分精神を練つた人であると思ふ、文王とか周公とかが作つたか否やは別として社會に經驗のある人の作つたものに違ひない。社會に經驗のある人の言ふた事は極平々凡々の中に意味ある。さういう所から考へると確かに周易を伴侶として相談相手として宜いと思ふのである。之は周易を贔負目に見た樣な解釋であるが贔負目ではない。福澤先生が獨立自尊といふことを言はれた、そんなことは雜作なく言はれるやうに思へるが其獨立自尊といふ言葉を初めて作るが困難である。餘程世の中に熟れた人でなければ出來ないと思ふ。夫であるから平々凡々の中に動かすべからざる格言がある。學問ばかり發達したのでは學問上の理窟は旨くなるが平々凡々の中に廣大無邊の意味を發見するといふ樣なことは出來ない。故に議論の上からいつても相談相手にすべしと思ふけれども夫は人々の思ふ所に依てどうかと思はるゝのであるが自分はさう考へて居る。之は第三段になる。夫から易を何故に處世上道德上の訓戒として相談相手にするか。又座右に置く時はどういふ心持を惹起すかといふことを一言しなければならぬと思ふ。處世上の訓戒例へば朋友と交るとか或は旅行するといふやうなことは之は古へとか今とか時代の變遷に依つて變はるべきものではない。元より朋友間の交際は細かいことになれば違つて居るが心持は異なるやうなことはない。其根本の心持を修養する夫れが周易の好い所ではないかと思ふ。例へば人と交はるに道德上の考へがなくて交つ
てはいかぬとか幾らか自分の腹の修養が出來て居つて交はる。さう
いふ考へがあつてやる方が宜いだらう。或は逆境に處した時は尙更
のことであるが、どういふ心持でやつたら宜いかといふやうな根本の
心持を作つて置くといふことに就ては確かに周易が一の助けになる
と思ふ。之は先づ第四段になるのである。
夫から又最後に一つ周易からして吾々が益を得る点は斯ういふこ
とにあると思ふ。逆境に處して泰然自若たり、順境に處して必ずしも
順境のまゝに喜ばない。さういふ精神狀態を養ふのが肝要な点では
ないかと思ふのである。言換れば人間の精神といふものを通常の感
情狀態より更に一段深くせしめて社會に處するといふやうな意味合
になつて來る。だから愉快に無闇に騷ぎ廻るといふやうなことはなく
なつて來る、愉快に騷いだり或は直ちに哀んだりすることは或意味からいふと宜いことであるけれども矢張腹に耐へるといふに至つては左樣でなく通常以上に進んで腹の置場を極めて置く方が宜いと思ふ後世の道家は一般にさういふことをやつた。ツマリ吾々が周易の書物の中から認めたる實際上の價値は其等の点であつて疑ふことは出來ない。之で第五段になる。先づ大体の点はさういふ所に止るのである。
占筮は未來の現象を知らんとする者である。故に曰はく占事知來〈下繫第十二章〉と又曰はく遂知來物〈上繫第十章〉と又曰はく極數知來之謂占〈上繫第五章〉と來は卽ち未來である。占筮の司る所を見るべきである。又曰はく
- 數往者順。知來者逆。是故易逆數也。〈說卦第三章〉
往を數ふるとは過去を知るの意にあらずして筮竹を數ふることを謂ふ。筮竹を數ふるは則ち過去の因果的連絡を踪蹤するに象るのである。是れより一直線に進むで未來なる某の現象を知らんとす。卽ち本文は未來を知ることを言ふたのである。然るに未來に關する「逆」なる文字より直ちに「是故易逆數也」と言へるを以て見れば占筮の未來にあるを知るに足る。又曰はく。
- 夫易彰往而察來。而顯微關幽。開而當名。辨物正言。斷辭則備矣。〈下繫第六章〉
彰往とは卽ち筮竹を數ふるに外ならない。易の占筮は過去の進路より推して以て未來を知らんとする者なること此れ等の引用文によりて明かである。然らば占筮の此の思想は易の哲學より如何にして起り來るかと云ふに字宙生成の思想よりする者に外ならない。易の哲學は宇宙生成の進路を以て「太極、兩儀、四象、八卦」となす。自然現象を指すのである。八卦を重ねたる六十四卦は社會に於ける六十四の狀態を示めす者而して今占せんとする某の現象は其の中の何れか一に該當すとなす。卽ち某現象卽ち六十四卦の或る一個は「太極兩儀四象八卦」の順序を經て生成せし者となさゞるを得ない。是れ易の哲學にありては正當なる思想である。
天文學に在りて日月の蝕を豫測するは自然の法則を數ふるによる。易も亦宇宙生成の自然の法則を數へて以て未來を豫測せんとするものである。此の「數ふる」と云ふことが易の作者に取りては占筮の正確なる所以の某礎と思はれたのである。故に十翼の中「數」なる文字は屢々用ひられた。易の作者以爲らく。太極陰陽四象八卦の順序を追ふて以て重卦を得るときは其の重卦たるや自然の法則を數へて以て得たる者なるが故に正確にして誤りなき者であると。然れども今日より見れば重卦を得る所以の此の方法は易の作者の符號にして知らざる者より見れば必ずしも宇宙自然の法則を數ふる者とは思はれない又天文學が計算によりて未來を豫測し得るは具躰的事實に對する具躰的の計算によるがためであるが易の占筮にて宇宙自然の進路を數ふるとすれば此れ一般的の計算法にして隨て某の具躰的現象を豫知することは出來ない譯だ。進化論と比較して之を示さんに進化論は敎へて曰はく。無機物の後に有機物あり、有機物の後に精神あり、精神の後に人類あり、人類には幾種ありと。若し人あり。無機有機精神人類の四段階を或有形的方法によりて想像し、而して後我出でたりとなさむか。此れ進化論を其儘心に反覆せるに外ならない。今占筮が一二四八の順序を說くも亦單に易哲學を心に反覆せるに外ならない。進化の一般の四段階を如何に心に反覆するも某の現象は指名せられない。占筮法によりて重卦を得たりとするも其の重卦は一般の理論を指すもので某の現象を指すのではない。但だ占筮は之を以て某の現象を指すとなす、若し某の現象を指すものとすれば各一現象は二、四、八の順序を經て作られし者となさゞる可らず。此二四八は其現象の原因るが故に具躰的ならざる可らず。若し具躰的となさば占筮せんとする刹那に於て己に今の占筮は普遍なる意味ある者でなく其の具躰的因果關係を示めす者となさゞるを得ない。是れ易の占筮の唯一の核で其理論的方面より言はんか。天地の數五十五を弄びつゝありし間に一面には天文が數學的に未來を豫見することに思ひ及び、又他の一面には天地間の進動は陰陽の分裂を以て根抵となすことに思ひ至り、此に占筮法を生じ來つたのである。
今直ちに占筮法の一般を示めして見よう。先づ五十本の筮竹を取り內一本を除き、手に任せて二に分ち、右の一本を左の小指に懸け、(之を掛と云ふ)以て天地人三才に象り、更に左手に握りしものを四本づゝ數へ、卽ち四時に象る。其餘れるものを仝じく小指に懸け、更に右手のものを四本づゝ數へ、其の餘れるものを同じく左の小指に懸く。是にて第一變を終る。更に左右の筮竹を取り來り、手に從つて中分し、右方の一本を小指の間に懸け、四を以て分け、其餘れるものを小指の間に懸け、左右のものを合せて之にて第二變を終ふ。更に二つに分け一本を懸け、四本づゝ數へ、其餘れるものを取る。之にて第三變を終ふ。三變を終りし後に餘れるものは二十四本、二十八本、三十二本、三十六本、此四つの場合を出ない。之にてー爻を得。卽ち左の中の一つである。
- 24=4×6= ⚋゜(老陰)
- 28=4×7= ⚊ (少陽)
- 32=4×8= ⚋ (小陰)
- 36=4×9= ⚊゜(老陽)
老陽と老陰とは後に變つて陰となり陽となる。故に゜でしるして置く。七と八とは少陽と少陰とにして此等は變化しない。斯くして一爻を得る。以下同じ方法にて六爻を得るのである。六爻を得たる後は其卦を名づけて遇卦又は本卦といふ。六本の中老陰老陽あるときは其の爻は變じて陽となり陰となる。此くして變つた卦を名づけて之卦といふ。其二つの卦の關係によりて吉凶善惡を判斷するのである。
今六爻を得たとする。例へば。(註:゜は3本目)が出た。此れにて占はんとする時は如何にすべきかといふに、此卦は本卦又は遇卦といふので゜の付いたものがあれば變ずるからとなる。左傅に何々の何々に之くに遇ふとあるのは之をいふのである。而して其の變ずるのは今は一本の例であるがニ本のことも三本のことも乃至は六本のこともある。變つた卦を變卦又は之卦といふ。
占ふには變はる爻を主とすべきか如何。例へば今の例でいへば九四(乃ち下から第四)を主として占ふべきかといふに、一本の場合は其れでも善いが四本五本となつたら何れを主とすべきか。朱子に易學啓蒙に於て之れに付いて詳かに述べて居る。曰はく
- 一爻變ずる時は本卦の變爻の辞を以て占ふ。
- 二爻變ずる時は本卦の二つの變爻の辞を以て占ふ。但だ上爻(二つの中の)を以て主となす。
- 三爻變ずる時は本卦及び之卦の象の辞(一卦全体の辞)を占ふ。而して本卦を以て貞となし、之卦を悔となす。前の十卦は貞を主とす。後の十卦は悔を主とす。(六十四卦は何れも一爻變ずるものとすれば六卦となり、二爻變ずるものとすれば十五卦となり、三爻變ずるものとすれば二十卦となる。以下略す。其二十卦に就て前の十卦後の十卦といふのであるが要するに人爲的の弊を免れない。貞は不變悔は變ずることで不變と變との關係を見せしむるのである)。
- 四爻變ずる時は之卦の二つの不變爻を以て占ひ下の爻を以て主となす。
- 五爻變ずる時は之卦の不變爻を以て占ふ。
- 六爻變ずる時は乾坤は二用(二用は用九用六をいふ。易の本文を見れば乾坤二卦に限つて六本以外に用九用六といふ言葉がある。)を用ひ、餘卦は之卦の象辞を占ふ。
以上は朱子の解であるが。其の據る所明かでない。之れに付いて異論もある。例へば春台の如き是れである。今述べないが、要するに占ひは周易の本文の言葉位では出來ない。餘り簡單であるから如何しても他の種々なる聯想を雜へなければ駄目である。其故に古來種々なる方法を以て占をなさんとして居る。中には易は活斷だと喝破して居る者もある。
占筮の方法は一つでない。今述べたのは所謂本筮である。最も完全なものである。之れに付いてすら異論がある。今のは十八變の筮法であるが之れに對して三十六變の筮法といふがある。此れは繫辞傳中の十有八變して卦をなし。八卦して小成すとあるに思ひ付いたもので十八變で出來るのは八卦卽ち三爻の卦であるから六爻を得るには三十六變でなければならぬといふのである。皆川愿は此の說であつたが其筮法を試みに作つたのは根本羽嶽翁である。翁の筮法は周易復古筮法といふに備つて居る。自分は此筮法を以て穩かでないとする。何故なれば四つゞゝ數へんとしても己に其の策(竹のこと)のなきこともある。此れは不都合と思はれる。又爻の陰陽を定むる所が如何にも人爲的で面白くない。故に自分は筮法としては矢張り十八變が善いと思ふ。又谷川龍山の如きは四十九を用ひずして四十八を用ひて居る(周易本筮指南)。中には四十五本を用ひて居るのもある。又扐で占ふのもあるし、過筮で占ふのもある。或は畧筮とて、始め一を除き二分し右方の一を掛け、左方の分を八づゝ數へ掛けし一本と餘れるものとを合し、其數に由つて直ちに乾(一本の時)兌(二本の時)離震巽坎艮
坤等の三爻卦を得るとし、二回之を行ひて六爻卦を得。此度は八づゝの代りに六づゝ數へ、餘れる數により下より第一番目から變ずる方法もある。此塲合には變爻は何時でも一つだ。又或は擲筮法といふて三個の筮を持ち來り、之を同時に投じて陰陽の老少を定め、六回試みて六爻を得る所の者もある。此れは寧ろ便法である。
斯くして筮法には種々あるが何れが善く中るかは分らない。中る根據があるかないか之れ等の筮法と原理とを述べたら明かであらうと思ふ。
是故に自分は占筮を以て易を用ひようとは思はない。平生に在りて易を以て相談對手となし、何か事ある時は易を繙きて其れに關係ある條項を參照し、能く其味を味ひて以て靜かに之れに處せんとする樣にするのが必要である。是れが筮法に由らずして易を用ひたものである。故に平生より熱心に易經を味ひ、能く聖人の心理に通ずる時は則ち易經を繙かずして能く萬變に處することが出來る樣になる。此れが易の活用である。虞世南擧して曰はく易を讀まざるものは宰相となす可らずと。乃ち這般の消息を言ふたものである。
何人も處世上には相談對手を要するなるべし。易は最も老練なる相談對手たるべきである。易を中心として處世的智識を養成する時は活動の基礎を得ることと信ずる。勿論余は易を以て十全なるものとは信じない。人生の分類が十七といふも疑はしい。或は其れ以上であらう。經濟の如きが缺けて居るのも見える。然れども兎に角人生全般の意味を解釋せんとしたものが支那の古代にあつたことは實に面白い。易は吾人より見れば一種の處世學又は社會學の應用的方面を稱すべきである。
余は易のために特に一室を設け特に此種の精神を養い兼ねて世人
の易を問ふものに答へたく思ふ。
さて又陰中陽陽中陰といふことがある。此說は所謂道家の根本主義
で、古來其徒の常に唱道して居る處であるが、其が易から出て居ることは
疑ひない。卽ち八卦の中のは水を意味し、離は火を意味するが水
と火とは陰陽相對する天地間の二大現象である。其處で道家は水火
兩者を以て陰陽の符號となし、之を弄ぶことをした。遂には日月を火水
と見て金鳥玉兎などと言ひ出し陰陽日月の理に隨て其の心を養ふこと
を稱して鳥兎に由つて養ふとか、或は金鼎玉爐に由りて養ふとかいふ樣になつた。水火匡廓といふ文字は道家の金科玉條とする處であるが卽ち水火を以て一切萬物を包含するといふ意味である。
宋代周子の太極圖も亦此の水火の卦形より出來たものであることは一見して明かである。水火の卦形は最も明かに陰中の陽と陽中の陰
とを示めしたものであるが、其意味は陰の中にも陽ある如く禍の中に福あり、衰の中に盛の理がある。又陽中に陰あるが如く如何に盛んなものにても其中に衰亡の機なきを保せず、禍中に禍機の存するものあるが如くである。
禍の中に福を發見し、福の中に禍を發見するなどいふは其れ自身人の意表に出でたることにして此說の立脚地が表裏二面に付いて言へば
裏面に存することは槪見することが出來る。乃ち事物を表よりのみ見ずして其裏面より觀察せんとするのである。陰符經の書物は卽ち這般の眞理を發揮したものである。著者は黃帝と稱せらるれども元より漢時代の產物であつて不明である。僅かに四百四十四字の小篇であるが之を實行する時は終身盡きざるものがある。
陰符經は普通の人よりも深き見識を以て著はされたるものであるから凡て人の氣の付かざる所又は氣付いても實行し難き處に其立脚地を置いたものである。されば表面を見ずして裏面を見、動を主とせずして靜を主とし、明に居らずして暗部に居るといふが如き具合である。
故に曰はく
- 天發殺機移星易宿地發殺機龍蛇起陸。人發殺機天地反覆。
生殺の二端に付いて殺の力あることを認めたものである。又「天有五賊一見之者昌」とある樣に五行(水火木金土)が相剋することをいふた迄であるが之を賊として觀察したのが普通人に異なる處である。
宋の周茂叔は「主靜焉」といふたが矢張り道家者流の思想である。陰符經は人間の大々的に活動せんことを希望するけれども而も又其心を靜かにするの必要あるを認めて居る。心を靜かにし居る時は百般の理が明々白々地に映じ來りて洞察せらるゝに至る。陰符經の作者は此の種の立脚地に立たんことを希望して居るのである。
要之。陰符經一書の主とする所は事物の裏面を觀察するに在る。人の氣付かざる所を見るに在る。心を靜かにして機の欲なる處を察するに在る。獅子を殺すものは匕首を懷にして深く荒漠の野に入り其の來るを見るや右膝を地に付け匕首を右にし虛心平氣些の逼る氣なし。九尺に餘る猛獸は烟を立て疾驅し來り怒りて見、口を開きて將さに嚙まんとす。電光一閃、匕首其喉を割、流石の猛獸も地を撼かさん許りに倒る。此れなどは死中に活路を發見するものである。心を靜かにするにあらざれば此種の藝をなすことは出來ない。陰符經の主とする所は這般の心的狀態に在る。乃ち莊子の養生主に庖丁が文惠君のために說いた所と同樣である。禍中に福の機あり、福中に禍の機がある。之を洞察するのが人間に取つて最も必要なることである。此れさへ出來れば則ち如何なる困難に遭遇するも捲土重來の勢を挽回することが出來る。陰中陽陽中陰は此くて極めて興味ある處の主旨である。
周易の本文には此く迄遙か說明した處はないが「物窮必通」といひ、「陰陽相倚」といふ思想があるから詮じ詰むれば則ち陰符經の意味になるのであるが、易を讀むで此處迄應用出來れば則ち最も善く其效を認めることが出來るのである。
四 八卦六十四卦生成の理
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易の哲學を論述する順序としては之れが第一章にあるべきなれども本章は但だ初學者のために易の一般を講述せんとするのみ。所謂附錄の類である。
易の發明は多分支那人が中央亞細亞に住して牧畜を以て業として居る時にあつたのであらう。卽ち伏犧氏は牧畜時代の名稱であつて神農氏は耕作時代を指すのである。易は伏犧氏の作だとは古來の傅說であるが卽ち易が支那の漢人種が黃河の上流に居た時に出來たものであるといふことを證明するものと思われる。ド・ラクーペリーが易はバビロニアから傅はつたものだといふ說は首肯出來ないが、易の創設が中央亞細亞にあつたといふことは面白いと思ふ。
伏犧氏は牧畜時代で中央亞細亞に居り神農氏は耕作時代で黃河の上流に來つたものであることは自分は種々な書に於て述べたことがあるが、各社會を通じて此の種の變遷あることは社會學上の事實にして、支那に於て牧民、群牧などいふ牧の字の用ひられ居ることや、又は其中央亞細亞より移住せしことなどが確實なる以上此斷定も亦必ずしも誤つて居るとも思はれない。
漢人種中に自然界を觀察して男性女性となすの習慣があつた。彼等は如何なるものをも此二方面より見た。人間に男女の別あり、禽獸草木に雌雄の別ある如く一切萬物にも亦此種の對照的區別があるものと信じて居た。此れを陰と名け又陽と名けた。日月星辰、晝夜寒暑の如き何れも此種の中に排列せられた。數字に付いても奇偶の別があるが卽ち陰陽の別である。
彼等は之を示すに⚊と⚋とを以てした。如何なる現象も皆兩者何れにか排列せられたのである。例へば君臣、上下、內外、强弱の如き、皆然らざるはなしといふべきである。今日の言葉にて言へば位置でも、性質でも、狀態でも、物象でも盡く兩者の中に配せられた。如何なる現象を見ても陰か陽か何れかでないものはない。
男女交つて人を生ずる如く陰陽交りて一切萬象を生ずる。有形物以外に於て陰陽二種の氣を假定したる如く思はれる。周易の書中には乾元坤元といふて二種の氣の假定してあることは明白であるが中央亞細亞に居た頃も亦あつたらしい。西洋も男女兩性の原理を假定したことはピユタゴラス學派中に在る。自分は近頃之を綜合心理學中に述べた。餘り東西の暗合が甚しいからである。
陰陽の思想に次いで⚊ ⚋の符號が出來た。之を以て自然界を觀察する時は不十分な点が多ぃ。卽ち一槪に男性女性といふ丈では精密に其物を示めすことが出來ない。如何なる物も一面から見れば男性である樣だけれども一面に於ては女性の處もある。此複雜なる意味を示めすには如何せば可なるか。爻を積むより外はない、此に於て爻を積み始めたが三爻八卦にて一段落とした。卽ち左の如きである。
卦德 |
卦象 |
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健 |
天 乾 |
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⚌ |
⚊
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說 |
澤 兌 |
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麗 |
火 離 |
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⚍
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動 |
雷 震 |
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入 |
風 巽 |
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⚎ |
⚋
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陷 |
水 坎 |
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止 |
山 艮 |
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⚏
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順 |
地 坤 |
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象は卦を自然界の現象に當てたもので卦德は卦の性質である。何故に三爻八卦で止めて、四爻十六卦としなかつたかといふに、此れには
理由がある。卽ち第一には天地人三才は古代に於ける主要なる現象
であるが今彼の三爻は此の三なる數を示し居ること、第二には八個の卦
象は自然界に於る重もなる現象なること、第三には易の根本思想に於て
は一切現象は陰か又は陽なれども今三爻なれば陰一又は陽一にして
陰が勝つか陽が勝つか何れかの場合にして兩者平均といふことなきこと。
此れ等の理由より彼等は三爻にて止めたのである。
八卦が出來て見ると一切の現象は盡く八卦の中に配せられた。今
述べた卦象は最も普通のものであるが其他のものも皆此中に配せら
れたのである。乾の天坤の地なることは誰れ人も疑ふ餘地はない。兌の澤なることは一陰二陽の上に悅ぶといふ所から來たものである。
卽ち陰は下にあるべき者なれども今は却て陽の上にあるが故に悅べ
りとなす。說は悅の意である。悅ぶことは潤ひを意味す。故に澤としたのである。從て艮が山となる。此れは一陽が二陰の上に止まつて居ると稱せられて居るが陽が泰然として止まつて居ることを指したのである。坎は一陽二陰の間に陷つて居るといふ意味に解せられた。陷つたものは水であるから取つて以て象とした。水の反對は火であるから離は火とせられた。又卦形から云ふても外明かにして內暗きものは火。外柔にて內剛なるものは水である。此れ等が水と火とを以て坎と離とに當てた所以である。又巽を入となすは一陰二陽の下に入るといふ意に解したのであつて、入り來るものは風であるから取りて以て象とした。震は其反對で上にあるべき陽が陰の下にあつて奮起せんとして居るものであるから雷を以て其象とした。文字に就ては一々說明する迄もない。
又之を人間にすれば乾を父となし、坤を母となし、震坎艮を各長男中男少男となし、巽離兌を以て各長女中女少女となす。其他の象に就いては易經中の說卦傅を參照すべきである。
八卦は天地間の物象を包含するためには充分なれども未だ一切の事象を包含せしむるに足りない。例へば人事界なる旅行戰爭の如き敎育養生の如き、或は又自然界の「將雨」「陰陽和順」の如き狀態を示めすことは殆んど不可能に屬す。其處で一切萬象を包含せんとする勇氣を有つたる易の作者は三爻の卦を二個づゝ重ねることに由つて此の目的を達せんとした。例へば乾の上に坎を重ねて水天上に在るの象となし、「將雨」を意味するとなし、之を名けて需〈マツの意〉とした。或は坎を震の上に重ね、雨雷交々至るの象となし、屯と命名した。
六十四卦皆其の意味あり、意味に從て其名がある。
此名を命じたのは誰かは分らない。或は伏犧だといひ或は文王だといふ。何れにしても確實なる材料はない。此れ等六十四卦の各一の全體の意昧を說明した文(短いけれども)と六爻の各一の意味を說明した文(此れも短い)とがある。此れ等兩者を倂せて一卦の說明が成り、六十四卦の說明文を倂せて易經が成り立つて居る。
前者は文王の作、後者は周公の作と稱せられて居る。文王の作つた其文を名けて象と曰ふ。象は斷なりとあつて、一卦の意味を判斷したといふ義である。周公の作つた其文を名けて象と曰ふ。一爻の象卽ち形を見せすといふ意味である。六十四卦を味ふ時は處世上の妙味は善く之を解することが出來る。
易の本文を見る時は初九だの九二だの又は初六、六二上六などいふことがある。此れは何のことかといふに、九は陽を示し、六は陰を示めす。
筮法に由つて爻を出すには九八七六の四場合である。九と七とは陽にして八と六とは陰である。今陽は進むを主とし陰は退くを主とすといふ易の根本の假定に本きて九七に付き九を以て老陽となし、八六に付き六を以つて老陰とした。而して易は變を尙ぶがために九六の數を以て陰陽を示したのである。
初九といふは下より第一番の陽を指し、九二といふは下より第二番上九といふは第六番の陽を指す。六に付いても亦同じでる。
イ 六十四卦の包含的なること
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六十四卦が極めて包含的であることは前述せる處に由りて想像せられる。自然界の現象は勿論、人事界一切の現象は皆其中に包含せらる
となすのである。少くとも占筮を許すの精神は此れである。占筮は何々と種類を限らない。如何なることでも占ふことが出來る。如何なることでも六十四卦で表はされて居ると見るにあらざれば占筮せんとする勇氣の起るべき筈がない。現在は勿論未來に亘りても一切の現象盡く此中に包含せらるべきである。例へば明日の天氣を占はんとしても其れが六十四卦の何れにても表はされなければならない。何んとなれば占筮して見れば六十四卦の何れが出るとも限らないからである。又盜難のことにしても六十四卦の何れにも之れに關する意味がなくてはならぬ。卽ち前と同じ論法で五十本を取つて筮する時は六十四中の何れが出るか不明であるからである。去れば六十四卦は何れも字宙萬般の現象を示めすものとして意味極めて廣汎なるものである。否寧ろ無限である。此に至りて一驚を喫せざるを得ない。
然らば何故に此くの如き廣汎なる意味を發見するかといふに要するに聯想に由るのである。例へば結婚を占はんとして豫の卦を得たりとせよ。此場合に於て豫は悅ぶとか和ぐとか樂むとかいふ意味がある。故に結婚も其方面から何んとか聯想されるに相違ない。或は戰爭にしても、豫と何れの点に於てか聯想される。斯くして六十四卦の各一が宇宙萬般の意味を表はすといふ廣汎無限なる解釋は只だ聯想の一道に由るのである。
六爻は下より順次に數へて上に至る。之を社會的位置に當てはめて
⎧ 天⎨ ⎩ |
⚊ 無位(上)
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⚊ 天子(五)
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⎧ 人⎨ ⎩ |
⚊ 公卿(四)
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⚊ 大夫(三)
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⎧ 地⎨ ⎩ |
⚊ 士(二)
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⚊ 庶人(初)
|
として居る。庶人は未だ仕へざる人である。士大夫以上は今日に應
用して略其れに該當するものを得る。卽ち高等官六七等から、知事、大臣といふ具合である。無位といふは無位の賢人を指すので、下の庶人とは其意味大に同じからず。
又六爻づゝを天人地に應用して居る。此れ等も古代の聖人が定めたといふのであつて其の人爲的なることは言ふ迄もない。殊に六爻は初と四、二と五、三と六とは相應して居ると見られる。其れも一方が陽一方が陰でなければならぬ。陽と陽、陰と陰とは應ぜぬ。其れに例外がある。此外に承乘比應などいふ六爻相互の關係があるが今之れを述べない。又六爻は上三爻(八卦の何れか)下三爻(同上)の二つに分れる。
上下二卦の關係は一卦全体の意味と大關係がある。上卦を外といひ往くといひ、下卦を內といひ來るといふ。卽ち易は爻を下から積むのであるから自然此く思はれるのである。此樣な意味から六爻の卦の全体の意味を考へ出したのである。故に六爻卦には全体として一つの意味あることは前述の通りである。從て古から卦は時を示めし爻は位を示めすといふて、此時勢に當りて此位に居つたならば如何に行動すべきか。是れ易の敎ふる所であるとせられて居る。
六十四卦は乾坤より始めて次第に排列せられて居る。上下二部に分れる。上經下經といふのは此れだ。其れ等六十四卦の排列の順序は序卦傅といふに書いてあるが牽强附會の弊を免れない。古來の學者は之れに種々の意味を附して神聖視せんとして居るけれども到底附會の說たるを免れない。之れを以て孔子の作だなどいふのは誤れる甚だしきものである。此れに就て自分は東洋哲學中に詳かに述べた。
六十四卦の順序を改めて以て一の新なる順序にせんとしたのが卽ち自分の意見のある所であつて、此の小なる論文を公にした主趣も亦此に在るのだ。
易の哲學を完全に叙述するは極めて困難なることである。自分は東洋哲學と題する著作に於て詳かに之を述べた。博文館から出版させる積りだ。易を十分に讀むで咀嚼すれば其味眞に忘れ難いものがある。簡單に易を知らうと思ふものは周易述義、經翼通解を見るべく、來知德の周易集註は我見が多い。周易新疏も亦大に價値がある。周易訂詁も亦熟讀すべきものだ。易に關する書物は極めて多い。今一々之を擧げないが、周易折中、易本義(中村惕齋)、易古註、周易集解、程朱註易經又は東涯の讀易私說などは忘るべからざるものだ。
同州王氏日、易以元亨利貞爲四德、而不及誠。孟子以仁義禮智爲四端、而不及信。四時之氣。春木王。夏火王。秋金王。冬水王。而土王於四季之末。是知五也者四數之大成。而難名者也。故雖四。而可以謂之五。雖五。而可以謂之四焉。(讀易瑣記所藏)
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易と人生 終