げんふみ/まき075

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 まきななじゅうよん もとまきななじゅう
こころざしだいじゅうろく
まきななじゅうろく 

祭祀さいしよん

宗廟そうびょう[编辑]

しん謝儀しゃぎ,其目ゆうはち

いち齋戒さいかいぜんとおるさんにち皇帝こうていときにち於別殿どの,致齋いちにち於大おだいおうとおる官員かんいん受誓戒於中書ちゅうしょしょう,如常

曰陳しつらえ,如前おやまつ

三曰車駕出宮。ぜんとおるいちにち所司しょし備儀したがえ、內外仗,あずかおうとおるこれかん兩行りょうこうじょりつ於崇てん門外もんがいふとぼくきょうひかえ馬立うまたて於大おだいあきら門外もんがいしょ侍臣じしん及導かんじゅうよんにん,俱於ひとし殿どのぜん左右さゆうぶんはんりつ俟。通事つうじ舍人とねり引侍ちゅう奏請そうせいちゅういむ,俛伏きょうすくなころさむらいちゅうばんそうがい辦,皇帝こうていそく御座ぎょざ。四品以上應享執事官起居訖,さむらいちゅう奏請そうせいます輿こし皇帝こうていひとし殿どのくだせいかいじょう輿こしはなぶた繖扇如常しるべかんぜんしるべいたり大明だいめい門外もんがいさむらいちゅうすすむとう輿こしまえ奏請そうせいくだ輿こし乘馬じょうば訖,しるべかんぶん左右さゆうしるべ門下もんかさむらいろう奏請そうせい進發しんぱつ,俛伏きょうぜんしょう警蹕けいひついたりたかしてんもん門下もんかさむらいろう奏請そうせいけんとま,敕眾かん上馬かみうまさむらいちゅううけたまわむね退すさしょうせい門下もんかさむらいろう退すさつてせいしょう眾官上馬かみうまさんしゃうけたまわつて,眾官櫺星門外もんがい上馬かみうま訖,門下もんかさむらいろう奏請そうせい進發しんぱつぜんしょう警蹕けいひつはなぶた繖扇仗與眾官左右さゆうぜん引,きょうぼうらく鼓吹こすい振作しんさくいたりふとしびょう櫺星門外もんがいべにきょうみなみさんしゃうけたまわつて眾官下馬げば下馬げば訖,卑而みこと與儀よぎ仗倒まき而北,兩行りょうこうちゅうりついたりびょうもんさむらいちゅう奏請そうせい皇帝こうてい下馬げばにゅうびょうもんにゅうびょうもん訖,さむらいちゅう奏請そうせいます輿こしなお輦奉輿こしはなぶた繖扇如常しるべかんまえみちびけ皇帝こうていじょう輿こし至大しだいまえさむらいちゅう奏請そうせいくだ輿こし皇帝こうていくだ輿こしにゅう就位しゅういすだれくださむらいまもる如式。なおしょくしん饍,如常禮儀れいぎ使以祝さつそうしょ訖,たてまつふとしびょうれい受之,かく奠於坫,おけ各室かくしつしゅくあんじょう通事つうじ舍人とねりうけたまわむね,敕眾かんかくかえとき

よん曰省牲器,ぜんおやまつ

曰晨祼。とおるにちうしまえこくひかり祿ろくきょうりょう醞令、ふとしかんれいいれじつ籩豆簠簋みこと罍,かく如常ふとらくれいりつこうじんまい,以次にゅう就位しゅういれいじきかん引御執事しつじしゃ以次にゅう就位しゅういれいじきかん引太つねきょうます殿どのてんひねしつらえ退すさ復位ふくいれいじきかん引司とうかんまい各室かくしつふんしつらえしゅ如常れいじきかんふく引太つねきょう及御ふとしびょうれいふとししゅくみや闈令ます殿どのたてまつみかどきさき神主かんぬし訖,かく退すさ就拜たてじょうたてまつれい於殿じょうさんたてまつ神主かんぬし訖,たてまつ禮贊らいさん曰「再拜さいはい」,さんしゃうけたまわつて以下いかみな再拜さいはい訖,かく就位しゅういれいじきかん引攝ふとしじょうよしみなみしん門東もんとうへんもんにゅう就位しゅういたてじょうきょう律郎りつろう跪俛ふく,舉麾きょうこう柷,みやけんらくさくおもえ成之しげゆききょく,以黃がねためみや大呂おおろためかくふとむらがためちょうおうがねため作文さくぶんまいきゅうなりどめふとしじょう以下いかみな再拜さいはい訖,れいじきかん引太じょうまいたらいあらいみやけんらくさく肅寧きょくいたりらくやめ北向きたむきりつ,搢笏、たらいしゅ、帨手,しゃくまい爵洗北向きたむきりつ,搢笏、あらい瓚、ぬぐえ瓚,以瓚授執事しつじしゃしゃくます殿どのみやけんらくさくいたり阼階らくどめ。陞自阼階,とうらくさくまいふとみことつねしょ西向にしむきりつらくどめ執事しつじしゃ以瓚奉ふとしじょうふとしじょう搢笏瓚。つかさ尊者そんじゃ舉冪しゃくうつ鬯訖,ふとしじょう以瓚授執事しつじしゃしゃくまいふと祖神そしんまえ,搢笏跪,三上みかみかおり執事しつじしゃ以瓚奉ふとしじょうふとしじょう瓚以鬯祼訖,以虛瓚授執事しつじしゃしゃく俛伏きょう退出たいしゅつ戶外こがい北向きたむき再拜さいはい訖,まい各室かくしつなみ如上じょじょうれい畢,くだ阼階,復位ふくい

ろく曰進饌。ふとしじょう祼將畢,しん饌如ぜん

なな曰酌けんじふとしじょうすんでます祼,れいじきかん博士はかせ博士はかせ禮儀れいぎ使至大しだいまえ北向きたむきりつ通事つうじ舍人とねり引侍ちゅうまいだいつぎまえはん奏請そうせいちゅういむ皇帝こうていふく衮冕。すわすくなころさむらいちゅうそうがい辦,禮儀れいぎ使奏請そうせい皇帝こうていぎょうれい,俛伏きょうすだれめく禮儀れいぎ使ぜんしるべいたり西にし神門ごうどはなぶた繖扇とま於門がいきん侍從じじゅういれふとしれい使したがえ殿中でんちゅうかん跪進鎮圭,皇帝こうていけい入門にゅうもんきょう律郎りつろう跪,俛伏きょう,舉麾,みやけんじゅん成之しげゆきらくさくいたりばん東向こちむきりつらくどめ。引禮かんぶん左右さゆう侍立じりつ禮儀れいぎ使奏請そうせい皇帝こうてい再拜さいはいたてまつれい曰「眾官再拜さいはい」,さんしゃうけたまわつて,凡在位ざいいしゃみな再拜さいはい禮儀れいぎ使奏請そうせい皇帝こうていまいたらいあらいみやけんらくさくいたりらくどめ。內侍跪取𠤷,きょう,沃水,また內侍跪取ばんうけたまわみず禮儀れいぎ使奏請そうせい搢鎮けい皇帝こうてい搢圭たらいしゅ。內侍跪取はば於篚,きょうしん。帨手訖,たてまつ爵官以爵跪進。皇帝こうてい受爵,內侍たてまつ𠤷沃水,また內侍たてまつばんうけたまわみず皇帝こうていあらい爵訖,內侍たてまつはば跪進。皇帝こうていぬぐえ爵訖,內侍奠盤𠤷,また奠巾於篚,たてまつ爵官受爵。禮儀れいぎ使奏請そうせい鎮圭,しるべます殿どのみやけんらくさくいたり西階にししならくどめます西階にししなとうらくさく禮儀れいぎ使まえみちびけまいふとしつみことつねしょ東向こちむきりつらくどめみやけんらくさくそう開成かいせいきょくたてまつ爵官以爵蒞尊,執事しつじしゃ舉冪,さむらいちゅう跪酌犧尊泛齊,以爵授執事しつじしゃ禮儀れいぎ使まえみちびけにゅうまいふと祖神そしんまえ北向きたむきりつ禮儀れいぎ使奏請そうせい搢鎮けい,跪,また奏請そうせいさんうえうえ訖,たてまつ爵官以爵授進しゅかんしんさけかん東向こちむき以爵跪進,禮儀れいぎ使奏請そうせい爵祭しゅ爵三祭酒於茅苴訖,以虛爵授しんさけかんしんさけかん受爵以授奉爵官,退すさたてみことつねしょすすむさけかんしんとおるかみあん上所かみところ奠玉爵馬湩,東向こちむき跪進,禮儀れいぎ使奏請そうせい爵祭湩。まつり訖以きょ爵授しんさけかんしんさけかんしん奠神あんじょう訖,退すさ禮儀れいぎ使奏請そうせいけい,俛伏きょうつかさ搢笏跪俎まえ,舉牲ばん西向にしむき以進。禮儀れいぎ使奏請そうせい搢鎮けい皇帝こうてい搢圭,俯受牲盤,北向きたむき跪,奠神あんじょう訖,禮儀れいぎ使奏請そうせいけいきょうぜん導出どうしゅつ戶外こがいしとね北向きたむきりつらくどめ。舉祝かん搢笏跪,たい舉祝ばん。讀祝かん北向きたむき跪,讀祝ぶん訖,俛伏きょう。舉祝かん奠祝ばん訖,さきまいつぎしつつぎこうむしゅくまいしつぜん致祠訖,禮儀れいぎ使奏請そうせい再拜さいはいはい訖,禮儀れいぎ使まえみちびけまい各室かくしつそう各室かくしつらく。其酌けんじすすむ牲體、まつり湩,なみ如第いちしつすんで畢,禮儀れいぎ使奏請そうせいまいいんぶくとうらくさくいたり西向にしむきりつらくどめみやけん釐成らくさくれいじきかん引司りつ於飲ぶくがわふとししゅく以爵しゃくうえ尊福たかとみしゅごうおけいち爵,以奉さむらいちゅうさむらいちゅう受爵奉以立。禮儀れいぎ使奏請そうせい皇帝こうてい再拜さいはいはい訖,そう搢鎮けい跪,さむらいちゅう東向こちむき以爵跪進。禮儀れいぎ使奏請そうせい爵三さいしゅまた奏請そうせい啐酒。啐訖,以爵授侍ちゅう禮儀れいぎ使奏請そうせい受胙,ふとししゅく以黍きびめし籩授つかさ東向こちむき跪進,皇帝こうてい受,以授左右さゆうふとししゅくまた以胙にくまないた跪授つかさ跪進,皇帝こうてい受,以授左右さゆうれいじきかん引司退すさだてさむらいちゅうさい以爵しゅ跪進,禮儀れいぎ使奏請そうせい皇帝こうてい受爵,いんぶくしゅ訖,さむらいちゅう受虛爵興,以授ふとししゅく禮儀れいぎ使奏請そうせい鎮圭,俛伏きょうまた奏請そうせい再拜さいはいはい訖,らくどめ禮儀れいぎ使まえみちびけかえばんとうらくさくくだ西階にししならくどめみやけんらくさくいたりらくどめたてまつれい於殿じょう唱太ほうりとおる籩豆。みやけんゆたかやすしらくさくそつてっらくどめたてまつれい曰「たまもの胙」,さんしゃ唱「眾官再拜さいはい」,在位ざいいしゃみな再拜さいはいおく神樂かぐらさく成之しげゆききょくさく一成いっせいとめ禮儀れいぎ使奏請そうせい皇帝こうてい再拜さいはいさんしゃうけたまわつて在位ざいいしゃみな再拜さいはいはい訖,禮儀れいぎ使前奏ぜんそうれい畢,皇帝こうていかえだいつぎみやけんあきらやすしらくさくもんらくどめ禮儀れいぎ使奏請そうせいしゃく鎮圭,殿中でんちゅうかん跪受,はなぶた繖扇如常いれすだれくだれいじきかん引太つねきょうふとしびょうれいふとししゅくみや闈令ます殿どのおさめ神主かんぬし訖,かくくだ就位しゅういさんしゃ於殿じょう唱升おさめ神主かんぬし訖,たてまつれい曰「再拜さいはい」,以下いかしょ執事しつじしゃみな再拜さいはい訖,以次通事つうじ舍人とねりれいじきかんかく引享かん以次ふとらくれいりつこうじんまい以次ふとしびょうれい闔戶以降いこう乃退。しゅくばんぞう於匱。

八曰車駕還宮。皇帝こうていすんでかえだいつぎさむらいちゅう奏請そうせいかいげんすめらぎ帝釋たいしゃく衮冕,とまだいつぎこくごろなおしょくしんぜん,如常所司しょし備儀したがえ、內外仗,あずかしたがえまつしょ執事しつじかん兩行りょうこうじょりつ於太びょう櫺星門外もんがいさむらいちゅうばんそうがい辦,皇帝こうています輿こししるべかんまえみちびけはなぶた繖扇如常いたりびょうもんふとぼくきょうすすむ御馬おんまさむらいちゅう奏請そうせい皇帝こうていくだ輿こし乘馬じょうば乘馬じょうば訖,門下もんかさむらいろう奏請そうせい進發しんぱつ,俛伏きょう退すさぜんしょう警蹕けいひついたり櫺星門外もんがい門下もんかさむらいろう奏請そうせいけんとま,敕眾かん上馬かみうまさむらいちゅううけたまわむね退すさしょう曰「せい」,門下もんかさむらいろう退すさつてせいさんしゃうけたまわつて,眾官上馬かみうま畢,しるべかん及華ぶた繖扇ぶん左右さゆうまえみちびけしょう警蹕けいひつきょうぼうらく鼓吹こすい振作しんさくいたりたかしてんもん櫺星門外もんがい門下もんかさむらいろう奏請そうせいけんとま,敕眾かん下馬げばさんしゃうけたまわつて,眾官下馬げば訖,左右さゆうぜん引入內石きょうきた與儀よぎ仗倒めく而北,ちゅうだてにゅうたかしてんもんいたり大明だいめい門外もんがいくだうましょう輿こし以入。すんでいれ通事つうじ舍人とねりうけたまわむね敕眾かんみな退すさ宿衞しゅくえいかんりつ衞士えじ宿衞しゅくえい如式。

まつ,其目ゆうきゅう

いち齋戒さいかいとおるぜんさんにち,三獻官以下凡與祭員,みなおおやけふく受誓戒於中書ちゅうしょしょうしつあきら有司ゆうししつらえきん椅於しょうにわ,一人執紅羅繖立於其左。たてまつれいろうりつ鸞局ひねしつらえばんけんじかんしょ執事しつじ,俱藉以席,仍加むらさきあやしとねしつらえはつけんじぶとじょう於省かいしょう西にしみなみこう大禮たいれい使於其ひがししょうみなみ西向にしむきかんさい,于通どう西にし東向こちむきかんれい博士はかせ,于通どうひがし西向にしむき;俱北上ほくじょうしつらえおわりけんじ於其みなみ北向きたむき西上にしがみつぎじょ奠七祀獻官,ふとしつねきょうひかり祿ろくきょうひかり祿ろくすすむしょしゅくかん、讀祝かんふとしかんれいりょう醞令、廪犧れいつかさたかしつね、舉祝かんふとしかんすすむ、廪犧すすむたてまつ爵官、たてまつ瓚官、たらい爵官はば篚官、こうむふとししゅく巫祝ふしゅくてんまもる清道きよみちかん及與さいかんしなきゅうひねしつらえみなこと重行しげきふとしびょうれいふとらくれい、郊社れいふとししゅく於通どう西にし北向きたむき東上とうじょうふとしびょうすすむふとらくすすむ、郊社すすむたてまつれいろうきょう律郎りつろうつかさ天生あもう於通どうひがし北向きたむき西上にしがみときろう於其さんしゃ行事ぎょうじとうかんかく就位しゅういたてじょうつぎ引初けんじ官立かんりつじょうれいじきかん搢笏,讀誓文せいもん曰「ぼうとしぼうがつぼうとおる于太びょうかくあげ其職,其或不敬ふけい國有こくゆうつねけい」。ときにち宿やど于正,致齋いちにち宿やど於祠しょときごと如故,ちょうといびょう作樂さくらはんしょけいころせ文字もじけつばつ罪人ざいにんあずかけがれ惡事あくじ。致齋おもんみとおるごととくぎょう悉禁。凡與とおるこれかんやめとき而闕しゃつう行事ぎょうじ。七品以下官先退,あまりかん再拜さいはいれいじきかんさんきく躬」,「はい」,「きょう」,「はい」,「きょう」,「たいらりつ」,「れい畢」。まもりびょう兵衞ひょうえ與太よたらくこうじん,俱清ときいち宿しゅく。赴祝しょこれにち官給かんきゅうしゅ饌。

曰陳しつらえとおるぜんにち所司しょししつらえ兵衞ひょうえ於廟もん禁斷きんだん行人こうじん鸞局しつらえ幄幔於饌殿どの所司しょししつらえ三獻官以下行事執事官次於齋房之所。ぜんいちにちふとらくれいりつ其屬しつらえみやけんらく於庭ちゅう東方とうほう西方にしかたかおる簴起きたかね簴次南方なんぽう北方きたがたかおる簴起西にしかね簴次しつらえじゅう二鎛鐘於編縣之間。かくたつけん於四すみおけ柷敔於北けん內。柷一ざい道東どうとう,敔一ざいみち西にしみちいちざい柷之東南とうなんすすむいちざい其後,またみちいちざい柷之西南せいなんしょこうじんかく於其東方とうほう西方せいほう以北いほくためじょう南方なんぽう北方ほっぽう以西いせいためじょうぶんまいざいきたたけまいざいみなみたてまいひょう於酇つづりあいだまたしつらえとうらく於殿上前うわまえ楹間。たまかおるいち簴在西にしきむ鐘一しょういち簴在ひがし,柷一在金鐘北稍西,敔一在玉磬北稍東。搏拊,〔いちざい柷北〕,いちざい敔北,東西とうざいしょうむこう[1]うたこうこう各位かくい於縣。其匏ちくしゃたて於階あいだ重行しげき北向きたむき相對そうたいためくび

とおるぜんいちにちふとしびょうれいりつ其屬掃除そうじびょうにわ內外;樞密院すうみついんぐんかん一員いちいんりつ軍人ぐんじん除草じょそうけがれ平治へいじ道路どうろまたしつらえ七祀燎柴於廟門之外。また於室內鋪しつらえ神位しんい於北牖下,とうみなみむこうまいくらいしつらえ黼扆いちむらさきあやあつしとねいちうすしとねいちふといせきいち,繅席とらがわ次席じせきとき暄則よう桃枝ももえちくせき,几在むしろじょうまたしつらえ三獻官拜跪褥位二,いち在室ざいしつ內,いち在室ざいしつがい學士がくしいんていせんしゅくさつ訖,しょしゅくかん於饌まくおおやけふくしょしゅく訖,請初けんじ官署かんしょ御名ぎょめい訖,以授ふとしびょうれいまたしつらえしゅくあん於室戶外こがいみぎまたしつらえ三獻官位於殿下橫街之南,やや西にし東向こちむきけんじおわりけんじやや却,じょ奠七祀獻官又於其南;しょしゅくかん、讀祝かん、舉祝かんふとしびょうれいふとしかんれいりょう醞令、廪犧れいふとしびょうすすむふとしかんすすむまた於其みなみみことつねたてまつ瓚官、たてまつ爵官、たらいあらいはば篚、爵洗はば篚、こうむふとししゅくこうむ巫祝ふしゅくふとししゅくみや闈令及七祀司尊彝、たらいあらいはば篚,以次而南。またしつらえときろう於其まいとうこと重行しげゆき東向こちむき北上ほくじょうまたしつらえ大禮たいれい使於南しん門東もんとうへんもんややきた北向きたむきまたしつらえふとしつねきょう等位とうい於橫がいみなみややひがし西向にしむきあずかおわりけんじ相對そうたいつかさざいきたふとしつねきょうやや却;ふとつねどうひかり祿ろくきょう、僉院、どう僉、いんばんひかり祿ろくすすむ、拱衞使,以次而南。またしつらえかんさいかんれい博士はかせ于橫がいきた西向にしむき以北いほくためじょうまたしつらえきょう律郎りつろうざいみやけんらく簴西きた東向こちむきふとらくすすむざいらく簴之あいだまたしつらえふとらくれいきょう律郎りつろう於登らく簴之あいだまたしつらえ牲榜于東しん門外もんがいみなみむこうしつらえぶとつねきょう於牲みなみむこうかんさいざいふとしつねきょうひだりふとしかんれいひかり祿ろくすすむふとしかんすすむまたつぎ,廪犧れいざい西南せいなん,廪犧すすむやや却,俱北向きたむき,以右ためじょうまたしつらえしょふとししゅく於牲ひがし西向にしむき以北いほくためじょうまたしつらえこうむ巫祝ふしゅく於牲東南とうなん北向きたむきまたしつらえしょう饌位於省饌殿まえふとしつねきょうひかり祿ろくきょうひかり祿ろくすすむふとしかんれい於東おひがし西向にしむきかんさいかんれい於西,東向こちむきみな北上ほくじょうふとしびょうれいひねしゅくばん於室みぎしゅくあんまたりつ祠祭しさいきょくしつらえ籩豆簠簋。まいしつひだりじゅうゆう籩,みぎじゅうゆうまめ,俱為よんぎょうとうさんざい籩豆あいだ,鉶さん,簠二、簋二又ふたまた,簠左簋右,まないたななざい簠簋みなみこうあんいちすないけ又次またじこれまたしつらえごとしつみこと罍于どおりろう,斝彝、つねかくいちはるなつよう雞彝、とりつね、犧尊ぞうみこと秋冬あきふゆようちょみことつぼみこと、(ちょ)〔ふとしみことやま罍二,[2]以次ざいほんしつみなみひだりみなしゃくべきためしゃくみことしょ北向きたむき西上にしがみつねゆうふね坫冪。またしつらえつぼみことふとしみことやま罍四,ざい殿下でんかかいあいだ,俱北向きたむきもち室戶むろとひだりみなゆう坫加べきしつらえ而不しゃく。凡祭みな藉以せきまたしつらえ七祀位於橫階之南道東,西向にしむき以北いほくためじょうせきみな以莞。しつらえかみばんかく於座くびまたしつらえ祭器さいきまいひだり籩,みぎまめ,簠一、簋一ざい籩豆あいだまないたいちざい籩前,爵坫いちつぼみことざい神位しんい西にし東向こちむき以北いほくためじょうみなゆう坫勺べきまたしつらえ三獻さんこんたらいあらい、爵洗ざいつうがい西にしよこがいみなみ北向きたむき。罍在あらい西にししゃく,篚在あらいひがし皆實みなみ以巾。爵洗仍實以瓚,爵加ばん坫。罍篚しゃ各位かくい于後。またしつらえ七祀獻官盥洗位於七祀神位前,ややきた。罍在あらい西にし,篚在あらいひがしじつ以巾。またじつ爵於坫。罍篚しゃ各位かくい於後。

さん曰習とおるぜんにち,三獻以下諸執事官員赴太廟習儀。つぎはやかくおおやけふく乘馬じょうば赴東はなもん迎接げいせつこういたりびょうしょう牲。

よん曰迎とおるぜんいちにち有司ゆうし告諭こくゆぼう,灑掃けいぎょう衢路,祗備あんとおるぜんいちにちしつあきら,三獻官以下及諸執事官,かくおおやけふく,六品以下官皆借紫服,まいたかしてん門下もんかふとつね禮儀れいぎいんかん一員いちいんたてまつこう一員いちいんたてまつさけ,二員奉馬湩,內出;かんさいかんれいたてまつれいろうふとししゅくふんりょうはんぜんしるべひかえづるにん一人ひとり繖,從者じゅうしゃよんにん儀仗ぎじょうざいまえぎょういたり大明だいめいもん由正よしまさ門出かどできょうぼうだいらくさくいたりたかしてん門外もんがいたてまつこうさけうま湩者安置あんちこし輿こししるべ引如まえくだりいたり外垣とのがき櫺星門外もんがい百官ひゃっかん上馬かみうまふんりょうはんぎょう於儀仗之がい清道きよみちかんぎょう於儀まもるこれさき兵馬へいばじゅんへい夾道きむまたつぎきょういんただししたがえまたつぎきょうぼうだいらくためいちたいひかえづるいしゆみしゅかくふく其服,儀仗ぎじょう左右さゆうなりれつ,拱衞使きょ其中,おおとりつかさほそらく又次またじこれふとつねきょうあずか博士はかせしるべ於輿まえけんじかんつかさ大禮たいれい使じょ奠官したがえ於輿いたりびょうにゅうみなみもんいたりしん門外もんがい,百官及儀衞皆止。ふとつねきょう博士はかせしるべ輿こし三獻さんこんつかさ大禮たいれい使じょ奠官したがえにゅういたり殿下でんかけんじかんたてまつこうしゅ湩陞ふとしかいにゅう殿しんがり內通ろうせい安置あんちれいじきかん引獻かんくだひがしかいゆかりひがし神門ごうどきたへん門出かどでしゃくふく

曰省牲器,おやまつ

ろく曰晨祼。まつうしまえこくふとしつねきょうひかり祿ろくきょうふとしびょうれいりつ其屬しつらえしょく於神とげどう三獻さんこんかんつかさ大禮たいれい使とうごとしついちにんふんしつらえこうしゅ醴,以金だま爵斝,しゃく湩、蒲萄ぶどうなお醞酒奠於かみあんまたひね籩豆。籩よんぎょう,以右ためじょうだいいちぎょうさかな鱐在まえ,糗餌、こな餈次だいぎょういぬい䕩在まえいぬいなつめかたちしおだいさんぎょう鹿しか脯在まえはしばみいぬいももだいよんぎょうひしざいまえ,芡、ぐりまめよんぎょう,以左ためじょうだいいちぎょうせり菹在まえたけのこ菹、あおい菹次だいぎょう,菁菹ざいまえにら菹、𨠑しょくだいさんぎょうさかなひしおざいまえうさぎひしお、䐁拍だいよんぎょう鹿しか臡在まえ,醓醢、糝食。簠實以稻粱,簋實以黍きびのぼりみのる以大あつもの,鉶實以和あつものみことつね、斝彝じつ以明すいつねじつ以鬱鬯,犧尊じつ以泛ひとしぞうとうとじつ以醴ひとししるとうとじつ以盎ひとしやま罍實以三しゅつぼとうとじつ以醍ひとしふととうとじつ以沈ひとし。凡齊うえたかしじつ以明すいさけうえたかしじつ以玄しゅ,其酒ひとしみな以上いじょう醞代またじつななまつこれ祭器さいきまいひだり籩,ぐりざいまえ鹿しか脯次みぎまめ,菁菹ざいまえ鹿しか臡次。簠實以黍,簋實以稷,つぼとうとじつ以醍ひとし,其酒ひとしまた以上いじょう醞代ひねしつらえ訖,けんじかん以下いか行事ぎょうじ執事しつじかんかくふく其服,かい於齊おさいはんちょうれいじきかん引太つねきょうかんさいかんれいふとしびょうれいふとししゅくみや闈令、しょ執事しつじかんときろうみなみしん門東もんとうへんもんにゅう就位しゅうい東西とうざいしょうこうたてじょう。俟監さいかんれい按視殿どの上下じょうげとおるぶたべき,糾察如儀しゃ退すさ復位ふくいれいじきかん引太つねきょうかんさいかんれいふとしびょうれいふとししゅくみや闈令陞自ひがしかいまいふとしつこうむふとししゅくおこりみかど主神しゅしんべきみや闈令おこりきさき主神しゅしんべきつぎまいまいしつなみ如常畢,れいじきかん引太つねきょう以下いかしょ執事しつじかんとうよこがいあいだ重行しげゆき以西いせいためじょう北向きたむきりつじょうたてまつれいろうさん曰「たてまつ神主かんぬし訖,再拜さいはい」。れいちょくうけたまわつてふとしつねきょう以下いかみな再拜さいはい訖,たてまつれいろうまたさん曰「かく就位しゅうい」。れいじきかん引諸執事しつじかんかく就位しゅうい引太かんれいりつときろうよしみなみしん門東もんとうへんもん以次さんしゃ三獻さんこんかんつかさ大禮たいれい使ななまつけんじかんしょ行事ぎょうじかんゆかりみなみしん門東もんとうへんもんいれかく就位しゅういたてじょうれいじきかんしん於初けんじかんひだりさん曰「有司ゆうし謹具,請行事ぎょうじ」,退すさ復位ふくいきょう律郎りつろう跪,俛伏きょう,舉麾(きょう),[3]こう柷,みやけんらくそうおもえ成之しげゆききょくきゅうなりぶんまいきゅうへんたてまつれいろうさん再拜さいはい在位ざいいしゃみな再拜さいはいたてまつれいまたさんしょ執事しつじしゃかく就位しゅういれいじきかん引奉瓚、たてまつ爵、たらい爵、あらいはば執事しつじかんかく就位しゅういたてじょうれいじきかん引初けんじかんまいたらいあらいみやけんらくさくみや肅寧きょくいたり北向きたむきりつてい;搢笏、たらいしゅ、帨手,しゃくまい爵洗いたり北向きたむきりつてい;搢笏、瓚、あらい瓚、ぬぐえ瓚,以瓚授執事しつじしゃしゃくらくどめとうらくさくそう夾鍾みや肅寧きょくますひがしかいらくどめまいふとしゃくみことしょ西向にしむきりつ,搢笏,執事しつじしゃ以瓚授初けんじかん瓚。つかさたかしつね跪舉べきりょう醞令跪酌つねうつ鬯,はつけんじ以瓚授執事しつじしゃしゃくまいふと祖神そしんまえ北向きたむきりつ,搢笏跪,三上みかみかおり執事しつじしゃ以瓚授初けんじはつけんじ瓚以鬯灌於沙,以瓚授執事しつじしゃしゃく,俛伏きょうしつ戶外こがい北向きたむきりつ再拜さいはい訖,まいまいしつ祼鬯如上じょじょう。俱畢,れいじきかん引初けんじひがしかいとうらくさくそう夾鐘みや肅寧きょく復位ふくいらくどめ

なな曰饋しょくはつけんじすんで祼,如前進ぜんしん饌儀。

はち曰酌けんじふとししゅくりつちがや苴于ばんれいじきかん引初けんじまいたらいあらいみやけんらくさくそうみや肅寧きょくいたり北向きたむきりつ;搢笏、たらいしゅ、帨手,しゃくまい爵洗いたり,搢笏、爵、あらい爵、ぬぐえ爵,以爵授執事しつじしゃしゃくらくどめとうらくさくそう夾鐘みや肅寧きょく。陞自ひがしかいらくどめまいふとしゅみことしょ西向にしむきりつ,搢笏爵。つかさたかしつね搢笏跪舉べきりょう醞令搢笏跪酌犧尊泛齊,以爵授執事しつじしゃしゃくみやけんらくさくそうみやひらく成之しげゆききょくまいふと祖神そしんまえ北向きたむきりつややまえ,搢笏跪,三上みかみかおり爵,三祭酒于茅苴,以爵授執事しつじしゃしゃく,俛伏きょうたいらりつ。請出しつ戶外こがい北向きたむきりつらくやめ,俟讀しゅく。舉祝かん搢笏跪,たい舉祝ばん,讀祝かん跪讀しゅくぶん。讀訖,舉祝かんみことしゅくばん于案,しゃくきょう,讀祝かん俛伏きょうれいじきかんさん再拜さいはい訖,まいまいしつしゃくけんじ如上じょじょうかくそうほんしつらくけんじ畢,みやけんらくどめくだひがしかいとうらくさくそう夾鐘みや肅寧きょくはつけんじ復位ふくいたてじょうぶんまえ退ずさたけまいすすむみやけんらくさくそうみや肅寧きょくまいしゃたてじょうらくどめれいじきかん引亞けんじまいたらいあらいいたり北向きたむきりつ,搢笏、爵、あらい爵、ぬぐえ爵,以爵授執事しつじしゃ。陞自ひがしかいまいふとしゃくみことしょ西向にしむきりつ,搢笏,爵。つかさたかしつね搢笏跪舉べきりょう醞令搢笏跪酌ぞうみこと醴齊,以爵授執事しつじしゃしゃくみやけんらくさくそうみや肅寧きょくまいふと祖神そしんまえ北向きたむきりつややまえ,搢笏跪,三上みかみかおり爵三祭酒于茅苴,以爵授執事しつじしゃしゃく俛伏きょうたいらりつ,請出しつ戶外こがい北向きたむきりつ再拜さいはい訖,まいまいしつしゃくけんじなみ如上じょじょうけんじ畢,らくどめくだひがしかい復位ふくいりつじょうれいじきかん引終けんじ,如亞けんじただしゃくちょみこと盎齊。れい畢,くだ復位ふくいはつおわりけんじ將行まさゆきさんしゃ引七祀獻官詣盥洗位,搢笏、たらいしゅ、帨手訖,しゃくまいさけみことしょ,搢笏、爵、しゃくしゅ,以爵授執事しつじしゃしゃくまい首位しゅい神座かんざまえ東向こちむきりつややまえ,搢笏跪執爵,さんさいしゅ于沙,奠爵于案,しゃく俛伏きょうしょう退すさたて再拜さいはい訖,まいなみ如上じょじょう。俱畢,七祀獻官俟終獻官降復位,たてじょう

きゅう曰祭湩。おわりけんじしゃくけんじはた畢,れいじきかん分引ぶびきはつけんじけんじかんつかさ大禮たいれい使じょ奠官、ななまつけんじかんふとしつねきょうかんさいかんれいふとしびょうれいすすむこうむ庖人、巫祝ふしゅくとう陞殿。まいしつけんじかん一員各立於戶外,ふとしつねきょうかんさいかんれい以下いかたて於其れいじきかん引獻かんまい神座かんざまえこうむ庖人わり牲體以授けんじかんけんじかん搢笏跪奠于帝主神しゅしんまえ奠于きさき主神しゅしんぜん訖,しゃく退すさ就拜,搢笏跪。ふとしびょうれいあんじょうさきしつらえ金玉きんぎょく爵斝湩、蒲萄ぶどうなお醞酒,以次授獻かんけんじかんみなさい于沙こうむ巫祝ふしゅく致詞訖,みやけんらくさくどうすすむ饌之きょくはつけんじしゃく就拜きょう,請出しつ戶外こがい北向きたむきりつ。俟眾けんじかん畢立,れいちょくかんどおりさん曰「はい」,「きょう」,凡四はいかんさいかんれい以下いかしたがえはいみなさく本朝ほんちょう跪禮。はい訖退,とうらくさくくだかいらくどめふとしほうりとおる籩豆,とうらくさくそう夾鐘みやゆたかやすしこれきょくたてまつ禮贊らいさんたまもの胙,さんしゃうけたまわつて,眾官再拜さいはいきょうおく神樂かぐらさくそうがね宮保みやのほ成之しげゆききょく一成いっせい而止。ふとししゅくかくたてまつまいしつしゅくばんくだふとしかいもち瘞位,れいじきかん引三けんじつかさ大禮たいれい使じょ奠、ななまつけんじかんふとしつねきょうひかり祿ろくきょうかんさいかんれい燔祝ばんいたり坎北みなみこう跪,以祝ばん奠于しば,就拜きょう。俟半燎,れいじきかんさん瘞。れいじきかん引三獻以下及諸執事者齋郎等,よしみなみしん門東もんとうへん門出かどでいたり揖位,えん揖。らくこう二舞以次從出。三獻さんこん也,れいじきかん分引ぶびきふとつねきょうふとしびょうれいかんさいかんれいこうむふとししゅくみや闈令及各しつふとししゅく,陞自ひがしかいまいふと祖神そしんまえ,陞納神主かんぬしまいしつ如儀。俱畢,くだひがしかいいたりよこがいみなみ北向きたむき西上にしかみりつじょうたてまつ禮贊らいさん曰「陞納神主かんぬし訖,再拜さいはい」,さんしゃうけたまわつて再拜さいはい訖,以次れい畢,三獻さんこんかんつかさ大禮たいれい使ふとしつね禮儀れいぎいん使ひかり祿ろくきょうとうかんたてまつ胙進于闕にわこううえのり以驛赴奉しん

あるきつげ謝儀しゃぎつげまえさんにち,三獻官以下諸執事官,かくおおやけふく赴中しょしょう受誓戒。つげまえいちにちせいこくしょう牲器。いたりしつあきら,三獻官以下諸執事者各服法服,れいじきかん引太つねきょうかんさいかんれい博士はかせ、五令諸執事官先入就位。れいじきかん引監さいかんれいてんひねしつらえ畢,復位ふくいれいじきかん引太つねきょうかんさいかんれいふとしびょうれいふとししゅくみや闈令奉遷ほうせん各室かくしつ神主かんぬし訖,くだよこがい[4]北向きたむきりつじょうたてまつれいろうさん再拜さいはい在位ざいいかんみな再拜さいはい訖,たてまつれいろうさんかく就位しゅうい訖,ふとしかんれいときろうれいじきかん引三けんじつかさひかり祿ろくきょうささげ瓚、爵盥、爵洗かんにゅう就位しゅういたてじょうれいじきかんさん有司ゆうし謹具,請行事ぎょうじ」,くだ神樂かぐらさくきゅうなりどめたてまつれいろうさん再拜さいはい三獻さんこん以下いか再拜さいはい訖,たてまつれいろうさんしょ執事しつじしゃかく就位しゅういたてじょうれいじきかん引初けんじまいたらいあらいたらいしゅまい爵洗あらい瓚。まいだい一室いっしつしゅみことしょしゃくうつ鬯。まい神座かんざぜん北向きたむき跪,搢笏三上みかみかおり,奠幣瓚,以鬯灌於すなしゃく俛伏きょうだししつ戶外こがい再拜さいはい訖,まい各室かくしつなみ如上じょじょう。俱畢,くだ復位ふくいつかさりつときろうしん饌,如常。奠畢,くだ復位ふくいれいじきかん引初けんじまいたらいあらいたらいしゅまい爵洗あらい爵。まいだい一室いっしつしゅみことしょしゃくしゅまい神座かんざまえ北向きたむき搢笏跪,三上みかみかおり爵三祭酒於茅苴,以爵授執事しつじしゃしゃく俛伏きょうしつ戶外こがい北向きたむきりつ。俟讀しゅくかん讀祝ぶん訖,再拜さいはいまいまいしつなみ如上じょじょう俱畢,くだ復位ふくいれいじきかん引亞けんじかんたらいしゅあらい爵、しゃくけんじなみ如初けんじおもんみ讀祝。俱畢,くだ復位ふくいれいじきかん引終けんじなみ如亞けんじ。俱畢,復位ふくいふとしほうりとおる籩豆,たてまつれいろうさんたまもの胙,眾官再拜さいはい在位ざいいかんみな再拜さいはい訖,れいじきかん三獻さんこんかんつかさふとしつねきょうかんさいかんれい焚祝ばん幣帛へいはくれいじきかんさん瘞。れい畢,ふとしつねきょうかんさいかんれいますおさめ神主かんぬし訖,くだよこかいたてまつれいろうさん再拜さいはい在位ざいいかんみな再拜さいはい訖,退すさ

こもしんいたりしつあきらふとしつね禮儀れいぎいんかんぞく赴廟しょみなおおやけふく俟于ふとしびょうれいりつ其屬ます殿どのひらき室戶むろと不出ふしゅつ神主かんぬししつらえ籩豆まないたさけ醴、うま湩及室戶むろと內外しとねまたしつらえたらいあらい于階しょうひがし西向にしむきたてまつれいろうりつ鸞局しつらえせきしとねばん于橫がいみなみまたしつらえたらいぼんはば帨二所于齊班幕前。凡與さい執事しつじかんみなたらいしゅ訖,ふとしつねかんまいかみくりやてん神饌しんせん執事しつじしゃたてまつところこも饌物,かくひね饌幕內。ふとつねかん以下いかにゅう就位しゅうい東西とうざい重行しげき北向きたむきりつじょうれいじきかんさんみな再拜さいはい」,「きく躬」,「はい」,「きょう」,「はい」,「きょう」,「たいらりつ」,「かく就位しゅうい」。れいじきかん引太つね次官じかん一員いちいんりつ執事しつじしゃまい饌所,たてまつ饌入正門せいもんますふとしかい,奠各しつ神位しんいまえ執事しつじしゃしんくえいんかん搢笏受而奠之。れいじきかん引太つね禮儀れいぎ使まいたらいあらいたらいしゅ帨手。ます殿どのまいだい一室いっしつ神位しんいまえ,搢笏,執事しつじしゃちゅうさけ于杯,さんさいしゅまたちゅううま湩于はいまたさんさい,奠杯于案。しゃく,就拜きょうしつ戶外こがい北向きたむきりつ再拜さいはいまいしつ俱畢,くだ復位ふくい執事しつじしゃみなくだれいじきかんさん再拜さいはい」,「きく躬」,「はい」,「きょう」,「はい」,「きょう」,「たいらりつ」。かんりつ執事しつじしゃますてっ饌,いずる殿どの闔戶。れいじきかん引太つねかん以下いか俱出ひがししん門外もんがいえん揖。

かみ御殿ごてん[编辑]

かみ御殿ごてん舊稱きゅうしょうかげどうところたてまつ祖宗そそうようみなもんあやぎぬきょくにしき為之ためゆきかげどう所在しょざいみかどきさきだい聖壽せいじゅまん安寺あてらひろしそうみかどきさきまたざい焉;じゅんむねみかどきさきだい慶寺けいじひとしそうみかどきさきまたざい焉;なりむねみかどきさきだい天壽てんじゅまんやすしてらたけ宗及そうきゅう二后大崇恩福元寺,ため東西とうざい殿どのあかりむねみかどきさきだいてんげんのべせいてらえいむねみかどきさきだい永福寺えいふくじ;也可皇后こうごうだい護國ごこく仁王におうてらたけはじめかげどうみな藏玉くらだまさつじゅうゆう牒,たまたからいちぼたんじんむねかげどうぞう皇太子こうたいしだまさつじゅうゆう牒,皇后こうごうだまさつじゅうゆう牒,たまたからいちぼたんえいむねかげどうぞう皇帝こうていだまさつじゅうゆう牒,たまたからいちぼたん皇太子こうたいしだまさつじゅうゆう牒。凡帝きさきさつたから,以匣匱金くさり鑰藏於太びょう,此其ぶんおけしゃ

其祭のり黃金おうごん缾斝ばん盂之ぞく以十すう黃金おうごんぬりぎん香合こうごうわんゆずりはぞく以百すうぎんつぼがまさかずき匜之ぞくしょうたま水晶すいしょう瑪瑙めのううつわためすう不同ふどうゆう玻瓈びん琥珀こはくしゃくかげどうゆう真珠しんじゅすだれまたみなゆう珊瑚樹さんごじゅあお甸子やまぞく

其祭にちつねさい每月まいつきはついちにちはつはちにちじゅうにちじゅうさんにちふしさい元日がんじつ清明せいめい、蕤賓、重陽ちょうよう冬至とうじ忌辰きしん。其祭ぶつつねさい以蔬はてせつさい忌辰きしんよう牲。まつりかん便服べんぷくぎょう三獻さんこんれいこもようひつじ羔、あぶさかな饅頭まんじゅう、[ひだり飠右其]西域せいいきもち、圜米かゆ砂糖さとうめしあつもの

たいじょうねんまたさく顯宗けんそうかげどう于大てんげんのべせいてらてんれき元年がんねんはいきゅうゆうたかしぶくこと祥二しょうじいんたてまつかげどうまつこと,乃改ためたい禧院。ねんまたあらためためふとし禧宗禋院,秩ひんすんで而,ふく祖宗そそうしょ御殿ごてんなおたたえかげどうさらごうかみ御殿ごてん殿しんがりみなせいめい以冠曰元ことぶきあきら睿順せい皇后こうごう曰睿ことぶきみなみ皇后こうごう曰懿ことぶきひろしそう曰明ことぶきなりむね曰廣ことぶきじゅんむね曰衍ことぶきたけはじめ曰仁ことぶき文獻ぶんけんあきらせい皇后こうごう曰昭ことぶきひとしそう曰文ことぶきえいむね曰宣ことぶきあきらそう曰景ことぶき。且命學士がくしなずらえ祭祀さいしちゅうこん闕。

またゆうだまはなみやたかしおもえ殿でんざいじょうせいしょりつ。以忌とおるまつふと上皇じょうこう皇太后こうたいごうようほん官吏かんりさい奠,ふとしつね博士はかせそうかいようてい其儀。所司しょし前期ぜんきおけ辦茶しょくこうはてしつあきられいじきかん、引獻かんあずか陪位かん以下いかなみおおやけふくにゅうびょうにわ西向にしむきりつ。俱再拜さいはい訖,引獻かんまい殿しんがりせい階下かいか再拜さいはいますかいいたりあんぜんしとね三上みかみかおりさん奠酒訖,就拜きょうまた再拜さいはい訖,引獻かん復位ふくいあずか陪位かん以下いか再拜さいはい退すさじんむねすめらぎけいねんあきはちがつかのえたついのちだいつかさでん忠良ただよしまいてい致祭,としれいきゅうこうしゅ犧牲ぎせいさいぶつぜにちゅうすべ鈔壹ひゃくじょうのべゆうよんねんはじめようとうらくぎょう三獻さんこんれいななねんふとしつね博士はかせげんかげどうようふとしつね禮樂れいがくせいやめさいほんしょきゅうれい致祭。

其太ふとしそう、睿宗ようざい翰林かんりんしゃいたりもとじゅうねん十一月じゅういちがついのちうけたまわむねかずあや霍孫うつしふとしようじゅうろくねんがつ復命ふくめいうつしふとし上皇じょうこうよう與太よたそうきゅうよう,俱置翰林院かんりんいんいんかん春秋しゅんじゅう致祭。じゅうよんねんがつ翰林院かんりんいんげんきゅういん敝,新院しんいんろくあいだ,三朝御容宜於太常寺安奉,仍遷新院しんいん至大しだいよんねん翰林院かんりんいんうつりしょきゅう尚書しょうしょしょうゆうむねがつさい中書ちゅうしょたいらあきらかんさわひとしげん:「祭祀さいし小事しょうじふとしびょうとしいちさい執事しつじしょしん受戒じゅかいちかいさんにち行事ぎょうじこん輕易けいいよろしきゅうおけ翰林院かんりんいんよう春秋しゅんじゅうさい增益ぞうえき。」せいわか曰「」。いたりさんねん遷置あまね慶寺けいじまつれいはいたいじょうねんはちがつ中書ちゅうしょしょうしんげんとうさい如故,乃命うけたまわむね斡赤齎香しゅ至大しだい同省どうしょうしんさい于寺。よんねん造影ぞうえいどう於石佛寺ぶつじ及遷。いたりじゅん元年がんねんなながつそくあまね慶寺けいじさい故事こじねんふくまつ于翰りん國史こくしいんじゅうあらためいたりもとろくねん翰林院かんりんいんげん三朝御容祭所甚隘,けんとし久屋ひさや,於石佛寺ぶつじしんかげどう奉安ほうあんためよろし中書ちゅうしょしょうしんそう,此世じょうせいとう仍其きゅうせい

校勘こうかん[编辑]

  1. 搏拊いちざい柷北〕一在敔北東西相向 按此げん宗廟そうびょう祭祀さいしまつちゅうひねしつらえすんでげん搏拊有二ゆうじ,而下ぶん僅書其一ひねしつらえ位置いちほん書卷しょかんななさん祭祀さいしこころざしゆう「搏拊いちざい柷北,いちざい敔北」。よりどころ
  2. 秋冬あきふゆようちょみことつぼみことちょ)〔ふとしみことやま罍二 按「ちょみこと重出じゅうしゅつあらわゆうますなまりしたぶんじゅつ晨祼ちゅうげん:「しるとうとじつ以盎ひとしやま罍實以三しゅつぼとうとじつ以醍ひとしふととうとじつ以沈ひとし。」此處ここらだいちょみこと」乃「ふとしみことあやまこんあらため
  3. 俛伏きょう舉麾(きょう) 從道つぐみち光本みつもと刪。
  4. くだよこがい 按本書卷しょかんななよん祭祀さいしこころざしゆう殿下でんかどうちょく東西とうざい神門ごうど曰橫がいちょくみなみもん曰通がい」。よこがい不能ふのうさいくだ,「くだよこがい不可解ふかかいしたぶんゆうくだよこかい」,此處ここらまちとうがかりかいあやま

ほん明朝みんちょう作品さくひんざいぜん世界せかいぞく公有こうゆう领域いん为作しゃ逝世やめ经遠とおちょう过100ねん

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 まきななじゅうよん かえしかいいただき まきななじゅうろく