げんふみ/まき097

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 まききゅうじゅうろく もとまききゅうじゅうなな
こころざしだいよんじゅう
まききゅうじゅうはち 

しょく貨五

しょく貨前こころざしよりどころ經世けいせい大典たいてん為之ためゆき,凡じゅうゆうきゅうてんれき以前いぜんこれしょう矣。わかおっともとすべ以後いご海運かいうん多寡たか,鈔法さらへんしおちゃ利害りがい,其見於ろくじょうせいるいなか,及有さいおとずれ事蹟じせき,凡有あしちょうしゃろく于篇,以備參考さんこう;而喪らんさい,其亡いっそんしゃのり闕之。

海運かいうん[编辑]

もとようはくがおげんさいこげ東南とうなんあわゆかり海道かいどう以給京師けいしはじめいたりもとじゅうねんいたり于天れきいたりじゅんよし四萬石以上增而為三百萬以上,其所以ゆえん為國ためくにけいしゃだい矣。れきとしすんでひさしへい以生,みずひでりしょう仍,公私こうし俱困,つかれさんしょう民力みんりょく,以充としうんつねすう,而押うんかん臨之かんあずかおっと出納すいとう吏,ほしいままためむさぼ黷,あし以時きゅう收支しゅうしとく其平,船戶ふなと貧乏びんぼう,耗損えき甚。けん以風濤不測ふそく盜賊とうぞく出沒しゅつぼつひょうげ刼覆ほろび患,仍改いたり元之もとゆきゆう不可ふかかちげんしゃ矣。よしとしうんかずやや如舊。いたりせい元年がんねんえき以河みなみあわ通計つうけい江南こうなん三省みつよししょうんとめとくひゃくはちじゅうまんせきねんまたれいこう浙行しょう及中(ただし)〔せいいんざいそうかん[1]ばちたまもの諸人もろびとてらかんかてつきすうおこりうん,僅得ひゃくろくじゅうまんせき而已。及汝、潁倡らんひろこうみぎしょうつぎ陷沒かんぼつ,而方こくちんちょうまこと竊據浙東、西之にしの,雖縻以好爵,ため藩屏はんぺい,而貢きょう,剝民以自たてまつ,於是海運かいうんふねいたり京師けいししゃ積年せきねん矣。

いたりじゅうきゅうねんあさ廷遣兵部ひょうぶ尚書しょうしょはくがおじょう戶部とべ尚書しょうしょひとしくつとおるちょう海運かいうん于江浙,[2]よし海道かいどういたりけいもと,抵杭しゅうとき達識たっしきじょうむつみ邇為こう浙行中書ちゅうしょしょう丞相じょうしょうちょうまことためふとしじょうぽうこくちん為平ためひらあきら政事せいじみことのりいのちまこと輸粟,くにちんふね達識たっしきじょうむつみ邇總とく既達きたつ朝廷ちょうていめいじ,而方、ちょう互相猜疑さいぎまことおもんばかかた其粟而不以輸于京也,くにめずらしこわちょう掣其ぶね而因じょうきょ以襲おのれ也。はくがおじょうしろ于丞しょう正辭まさこと以責たつみげん以諭,乃釋いえうたぐかつずみ其事。さきりつ海舟かいしゅう俟于よしみきょう澉浦,而平江ひらえあわてんうたて以達くいいし墩,また一舍而後抵澉浦,乃載于舟。うみなだあさ澀,躬履艱苦かんくあわ于舟しゃ為石ためしじゅうゆういちまんじゅうねんがつ赴京。ねんあきまた遣戶やりど尚書しょうしょおうそうあやとういたりこう浙。じゅういちねんがつうんかて赴京,如上じょじょうねんかず九月くがつまた兵部ひょうぶ尚書しょうしょてってっはなさむらいろうかん祺往ちょう海運かいうんいちひゃくまんせきじゅうねんがつうんかて赴京,じょうねんすう,僅加まん而已。九月くがつ遣戶やりど尚書しょうしょだつだつ歡察なんじ兵部ひょうぶ尚書しょうしょじょういたりこう浙。じゅうさんねんがつ,仍運かてじゅうゆうさんまんせき赴京。九月くがつまた遣戶やりどさむらいろうはくじょうかんすすむさいいんはな往徵海運かいうんまことたく以拒いのちゆかり東南とうなんあわきゅう京師けいししゃとげとめ於是としうん

鈔法[编辑]

いたりせいじゅうねんみぎ丞相じょうしょうだつだつよくさら鈔法,乃會中書ちゅうしょしょう樞密院すうみついんだい及集けん翰林かんりん兩院りょういんかんどもさきひだりつかさごとたけ祺嘗建言けんげんうん:「鈔法やめくだりこれじょばちささえりょうほんたおせえき昏鈔以布天下でんかがいゆうごうささえ名目めいもく,於寶鈔總りょう鈔轉ばち所以ゆえん鈔法疏通そつうみん受其ねん以來いらいしつ祖宗そそうもとくだり鈔法本意ほんいあずかうたてばち民間みんかん流轉るてんしゃしょう,致偽鈔滋。」とげじゅん其所ごと,凡合ささえ名目めいもくやめ於總うたてささえいたり,吏部尚書しょうしょ偰哲あつし及武祺,俱欲迎合げいごう丞相じょうしょう。偰哲あつしげんさら鈔法,以楮ぬさ一貫文省權銅錢一千文為母,而錢ため。眾人みな唯唯ただただ敢出いちおもんみしゅうけんだい學士がくしけん國子くにこさいしゅりょおもえまことどく奮然ふんぜん曰:「なかみつるいたりもとゆう母子ぼしうえりょうためははしたりょうためこれたち達人たつじん乞養かん人為じんいおわりため漢人かんど之子ゆきこ而已,あにゆう故紙こしためちち,而以どうためぼうしゃ乎!」いちすわみなわらいおもえまことまた曰:「ぜに鈔用ほう,以虛かわじつ,其致一也かずやこん歷代れきだいぜに及至せいぜになかみつる鈔及いたりもと鈔、交鈔,ふんためこうわかしたみん知之ともゆきぞう其實而棄其虛,こわ國之くにゆき利也としや。」偰哲あつしたけ祺又曰:「いたりもと鈔多にせさらしか。」おもえまこと曰:「いたりもと鈔非にせ人為じんいにせなんじ,交鈔わかまたゆう偽者にせもの矣。且至もと鈔猶戚也,いえわらわややみな識之矣。交鈔なおしん戚也,雖不敢不おやにん識也,其偽はんしげるなんじきょう祖宗そそうなりけんあにけいあらため。」偰哲あつし曰:「祖宗そそうほうへいまたあらため矣。」おもえまこと曰:「なんじやからさらほうまたよくじょう誣世すめらぎなんじまたほしあずかすめらぎそう高下こうげ也。且自すめらぎ以來いらいしょみかどみなおくりな曰孝,あらため其成けんいいこう乎!」たけ祺又よくぜに兼行けんこうおもえまこと曰:「ぜに兼行けんこう輕重けいちょう不倫ふりん何者なにものためはは何者なにものためなんじ不通ふつう古今ここん道聽塗說どうちょうとせつなんそく以行,以口したこび大臣だいじん乎?」偰哲あつし曰:「とうさくすんで不可ふかぎょう公有こうゆうなんさく?」おもえまこと曰:「わがゆうさんさく,曰行とくぎょうとく。」また曰:「丞相じょうしょう勿聽此言。如向日開ひがい金口きんぐちかわなりそくこうなんじとうなりそくざい丞相じょうしょう矣。」だつだつ其言じき猶豫ゆうよ未決みけつ大夫たいふ也先じょうげん曰:「りょさいしゅげんゆうしゃゆうしゃただし不當ふとうすわ廟堂びょうどうだかごえ厲色。わかしたがえ其言,此事おわりくだり耶!」明日あした,諷御劾之,おもえまこと歸臥きが不出ふしゅつとげていさら鈔之而奏したみことのりうん:「ちん聞帝おういん時制じせいよろし損益そんえきこれかたざい乎通へんおもんみわが皇帝こうていたて元之もとゆきはつ,頒行ちゅうすべ交鈔,以錢ためぶん,雖鼓ぶんまわし遑,而錢ぬさ兼行けんこうやめ。厥後しるしづくりいたりもとたから鈔,以一とうめい曰子ははしょうけん,而錢じつひつじようれきとししげるひさ,鈔法へんきょ物價ぶっかあが踴,かんにせにちもえみんよう匱乏。爰詢廷臣ていしんひろしさい輿論よろん,僉謂拯弊必合さらはり。其以ちゅうすべ交鈔いちぬきぶんしょうけん銅錢どうせんいちせんぶんじゅんいたりもとたからかん,仍鑄いたりせい通寶つうほうぜにあずか歷代れきだい銅錢どうせんなみよう,以實鈔法。いたりもとたから鈔,通行つうこう如故。ははしょうけん新舊しんきゅうしょうずみうえふく立法りっぽうはつ。」

じゅういちねんおけたからいずみつつみ舉司,てのひらいたりせい通寶つうほうぜにしるしづくり交鈔,れい民間みんかん通用つうようくだりひさ物價ぶっかあが踴,じゅうばいまた值海內大みだれぐんもうか供給きょうきゅう賞賜しょうし犒勞,每日まいにちしるしづくり不可ふかすうけいふねしゃそううんじく轤相せっ,交料滿まん人間にんげんしゃしょこれ。昏軟しゃふく行用ぎょうよう京師けいしりょうじゅうじょうえきあわ不可ふかとくすんで而所ざいぐんけんみな以物貨相貿易ぼうえき公私こうししょせき鈔,とげ俱不ぎょうにんわかへいこうぞ,而國ようよしとげとぼし矣。

しおほう[编辑]

だいしおもとすべねんよんがつだい備監察御げん:「竊覩京畿けいききょみん繁盛はんじょう日用にちようなかしお不可ふか闕。大德だいとくちゅういんしょう把握はあくあるきみんしょくしお,乃置きょくしつらえかんうりなかみつる一貫いっかんかいしおよんきんはちりょうこう雖倍其價,なおじきみんよう。及泰ていあいだいんしょにんきょくかんとく其人,ざいうえしゃしつ於鈐たばね,致有みじかしょうこれへい。於是きょしょう趨利しゃ營屬とうみち,以局かんおかせぬすめためゆかり,輒奏やめこれふくしたがえみん販賣はんばい一貫いっかん,僅買しおいちきん無籍むせきわたししょうはんかいせんじうりどく受其かん為所しどころおかせ礙。而民しょくしおえき甚,貧者ひんじゃとくしょく,甚不ふく朝廷ちょうてい恤小みん。如朝廷仍きゅうしつらえきょくかんため發賣はつばい,庶課虧,而民受賜矣。」

すんで而大都路みやこじさんじゅんいん及大きょうあてたいらけんしょさるまた戶部とべ尚書しょうしょ建言けんげんみな如御しょひね戶部とべ乃言,以謂「榷鹽ほうほん以裕こく而便みんはじめ自大じだいとくななねんやめだいうんれい河間こうまうんけん辦。每歲まいさいそんとめしおすうこれまいしきしたがえ發賣はつばいこういん富商ふしょうせんとげ於南きたしろしつらえきょく,凡じゅうゆうしょかんためうり當時とうじ立法りっぽういむあきらみん甚便えきたいじょうねんいんきょくかんつな船人ふなびととうゆうおかせぬすめへいふくしたがえみん販賣はんばい,而罷しょおけこれきょく及數有司ゆうし屢言富商ふしょうだかもたげ直之なおゆきがいうんしょげんつなせんさくへいぶたいん立法りっぽうげんしつ於關ぼうしょ致。且各しょ俱有官設かんせつしおしきあずか商賈しょうこ販賣はんばい並無ならびな窒礙,あにゆうきょうじょう內,乃革やめかんうりこれきょくむべじゅん本部ほんぶ尚書しょうしょしょげん,及大都路みやこじしょさる舊制きゅうせい於南きた二城置局十有五處。まいきょくうりじゅう引,しつらえうりしおかんいん,以歲一周いっしゅうため滿まんせめ奉公ほうこう發賣はつばいまいなかみつる一貫いっかんかいしおきんよんりょう,毋令ざつはい其中,及權衡けんこうとく其平。凡買しおじゅうかんしゃきん及貫しゃしたがえしょ買與かいあたえこれ。如滿としたんしょう失陷しっかん及元てい分數ぶんすうしゃげんいちかいますようわかゆうおかせぬすめしゃれいついだん其合うりしおすうれい河間こうまうんぶんため四季しきおこり赴京厫,ようかん定法じょうほうぶつりょうたいらたたえおさむふんきゅう各局かくきょく。其所賣價ばいか鈔,逐旬おこりかい本部ほんぶかんひさげ調ちょう。仍委かん巡視じゅんし,如有ごうきょうけん利之としゆきしきかいきょくしお增價ぞうか轉賣てんばい於外しゃしたがえひさげ調ちょうじゅんとくかんつう治之はるゆき。仍令うんいむただし押運これにんしつらえほうぼうきん,毋致縱令たといつな船人ふなびととうさくへい。其客しょうしお貨,したがえ便びんしょうさん發賣はつばい。」よんがつじゅうろくにち中書ちゅうしょしょう上奏じょうそう,如戶しょなずらえくだり

いたりもとさんねんさんがつだいきょう厫申戶部とべうん:「きん奉文ともゆきじょうおこりうんいたりもと二年京厫發賣食鹽一萬五千引,れいりょうたいらたたえおさむ,如數じつさるじょかくつな渰沒みじかしょうしおけいはちひゃくよんじゅうはち引,ほん實收じっしゅういちまんよんせんいちひゃくじゅうゆう引,やめささえいちまんいちひゃく引付ひきつけ各局かくきょく發賣はつばいそんしおよんせんじゅうゆう引,ささえばちよくつきところよりどころいたりもとさんねん食鹽しょくえんむべれい於河あいだうんおこりうんいちまんせん引赴庶民しょみん間食かんしょくよう闕。」戶部とべじゅん其所ごと,乃議:「きょう厫食しおこんとしむべしたがえ河間こうまうんいちまん千引せんびき,其脚むしろさくとうれいうん於鹽ぜに通算つうさんささえよう。仍召募しょうぼ有產ゆうさんぎょう船戶ふなと,互相識,まいいちせん引為いちつな,就差かく該場かん一員いちいん,并本そうあるかんうんじゅんしおかんまいかん押一つな於大おだい興國こうこくとうじょうおさむしお內驗すう分派ぶんぱぶんかん監視かんし,如數りょうたいらささえおさむきり三月內赴京厫交卸,ぶん憑赴銷照。ただしゆうざつすな濕潤しつじゅんたん少數しょうすうなみれいほんつな船戶ふなと、押運じょうかんそうかんうん諸人もろびと,如數ひとし賠,れいすわつみ。」中書ちゅうしょ如戶しょぎょう

いたりせいさんねんかん察御王思おうしまことほうおもえれいとう建言けんげん:「京師けいし自大じだいとく七年罷大都鹽運司,しつらえかんうりしおおけきょくじゅうゆうしょたいじょう二年以其不便罷之,げんすべねんまたふく,迨今じゅうねんほうひさへいせいざいふねそくゆうおかせぬすめ滲溺患,入局にゅうきょくそくゆうざつはい奸。めい一貫いっかんきんよんりょうじつとくいちきんうえ。其潔きよしざつ,而斤兩足りょうあししゃただ上司じょうしひさげ調ちょうすうしょみみまたつねしろしおいちせんひゃく引,用船ようせんじゅうそう每歲まいさいよんがつおこりうんかんしお萬引まんびき用船ようせんじゅうそう每歲まいさいなながつおこりうん,而運しょこれにん,擅作ぶくみなみ抵臨きよしきたとおりしゅうところいたる以索截河どうふねかじ往來おうらい擾。めいため顧,じつ強奪ごうだついちさいなか千里せんり內,凡富しょうきょ賈之べいあわしゃたちかん貴人きじん家室かむろしゃ,一概遮截,とくじゅうまかない而放ぎょうしょ拘留こうりゅうしゃみな貧弱ひんじゃく無力むりょくこれにんみみ。其舟しょう而不かた,滲溺おかせぬすめへいびょう多端たたん既達きたつきょう厫,またとき交收,淹延歲月さいげつこまもり無聊ぶりょう,鬻妻子さいししつぶねかじしゃ往往おうおうゆう。此客せん所以ゆえんおおかみ顧不まえ使つかい京師けいし百物湧貴者,じつよし於此。竊計かんしお萬引まんびきまい引脚ちゅうすべななかんそうためさんせんじょう,而じゅうきょくかんてん俸給ほうきゅう,以一歲計さいけいまたひゃくななじゅうろくじょう,其就ささえちんぼうたんあしあたいむしろくさ諸物しょぶつまた在外ざいがい焉。當時とうじおけきょくしつらえかんただしためみんしょくしおことりょうかんうりへいはん如商販之賤,あににん徒費とひ國家こっか,而使ひゃくぶつ也。むべしたがえけんだいてい中書ちゅうしょしょうやめ其(かん)〔しおきょく[3]及來としおこりうんとき榜文播告しおしょうしたがえ便びん入京にゅうきょうきょう販。わかつねしろしおしょ用船ようせんじゅうそうまたむべ於江みなみづくりしょうりょうせんしょ如數づくり既成きせいこれづけうん顧人うん,庶舟かじどおり而商賈集,のり京師けいしひゃくぶつ賤,而鹽また矣。」だい以其げんてい中書ちゅうしょ,而河あいだうんしょさるまた如前

戶部とべげん:「うん及大都路みやこじ講究こうきゅうそくどうかん察御しょげんもとしつらえかん)〔しおきょくごうじゅんかわやめ聽從ちょうじゅうきゃくたびきょう販。其常しろしお繫內必用ひつようものおこりうん如故,むべしたがえしょう聞奏。」がつはつにち中書ちゅうしょしょう上奏じょうそう,如戶しょなずらえくだり

河間こうましおいたりせいねん河間こうまうんさる戶部とべうん:「ほんとし辦額あまりしおどもさんじゅうはち萬引まんびきけい鈔一ひゃくいちじゅうよんまんじょう,以供こくよう不為ふためじゅう近年きんねん以來いらいかくしょわたししお及犯かいしお販賣はんばいしゃ眾,ぶたいん軍民ぐんみんかんしつ於禁,以致おかせ礙官しおほう澀滯,じつよし於此。乞轉ていしょう,頒降みことのりむねせんさとし所司しょし,欽依ぶんまわし辦。」本部ほんぶてい中書ちゅうしょしょうとげよんがつじゅうななにち上奏じょうそうくだむね戒飭かいしょく

なながつまたよりどころ河間こうまうんさる:「ほん辦課,ぜん藉郡けんぎょうしお地方ちほうかいしょくかんしお去歲きょさい河間こうまとうひでりいなご闕食,るいこうむ賑恤しんじゅつ民力みんりょく食鹽しょくえんしゃしょうまたいん北口きたぐちとうしょ隘官及軍じん不為ふため用心ようじんつめだい都路みやこじ所屬しょぞく有司ゆうしまた奉公ほうこうじゅんきん,致令諸人もろびとそう疙疸しお於街うりあるりょう以斗,あるもり以盤,あかりしょう饋送。こんむらさき荊關捕獲ほかく犯人はんにんちょうずる羣等所載しょさい疙疸しおけいいちせんろくひゃくきんいたりもとろくねんさんがつまでこんはんしゃはたひゃくおこりわか申聞もうしきけおそれねんおわり如數,むなし其咎。」本部ほんぶてい中書ちゅうしょしょう照會しょうかい樞密院すうみついんきゅうくだ榜文きん治之はるゆき

さんねんまたよりどころ河間こうまうんさる:「なまざい節用せつようかた治國ちこくつねけいうすけい徭,實理じつりみん大本おおもとほんつかさとしがくしおさんじゅう萬引まんびき近年きんねんまた添餘しおさん萬引まんびきもと簽竈せんななひゃくななじゅうよんじょ逃亡とうぼうがいとめそんよんせんさんひゃくゆういち每年まいとしがくしお,勒令ざいつかれとぼしこれ勉強べんきょうつつみせんじこんとしわかきゅうせんじ辦,人力じんりき不足ふそくまた兼行けんこうしお地方ちほうひでりいなごしょう仍,百姓焉有買鹽之資。如蒙矜閔,いたりせいねんためはじめけんめんあまりしおさん萬引まんびき,俟豐稔之としゆきとしせんじ辦如きゅう。」本部ほんぶ以錢かてささえようじきけんなずらえじゅうせんじいち萬引まんびきてい中書ちゅうしょしょう正月しょうがつじゅうはちにち上奏じょうそう,如戶しょなずらえくだり

すんで而運またげん:「いたりもとさんじゅういちねんほん辦鹽がくじゅう萬引まんびき累增るいぞういたりさんじゅうゆうまんもとすべ元年がんねんまたぞうあまりしおさん萬引まんびきやめけいていこうむしょうそうなぞらえじゅうせんじいち萬引まんびきそとゆう萬引まんびきわかぜん勒令つつみせんじじつためなんこらえ。如并しょうあまりしお萬引まんびきじゅうせんじまことため便益べんえき。」戶部とべまた以所げんてい中書ちゅうしょしょうけんなずらえあまりしお萬引まんびきじゅうせんじいちねんいたりせいよんねんせんじ辦如ゆえよんがつじゅうにち上奏じょうそう,如戶しょなずらえくだり

山東さんとうしおもとすべねん戶部とべてい:「よりどころ山東さんとううんじゅんずみみなみ牒,ふくたち魯花あかかんしゃどう闍里じょうしょげんだい河間こうまうんあらためしつらえめぐしおかんいちじゅういんせんいちじゅんきん本部ほんぶしょう山東さんとううんさい辦鈔ななじゅうまんじょうぎょうしお周圍しゅういさんまんあまりさととめうんばん一員いちいんあにのう遍歷へんれきこわわたししお來往らいおうおかせ礙國ほんつかさすんであずかすみみなみ講究こうきゅう便益べんえきむべじゅんしょげん。」中書ちゅうしょ省令しょうれい戶部とべふく本部ほんぶごと:「河間こうまうんつかさじょうしつらえそういちじゅうめいじゅんしおかんいちじゅうろくめい山東さんとううんしつらえそうじゅうよんめいこんすんで比例ひれい添設じゅんしおかんがいよりどころもとしつらえそう內減いちじゅうめい。」てい中書ちゅうしょしょう,如所なずらえくだり

さんねんがつまたよりどころ山東さんとううん備臨朐、沂水とうけんさる:「本縣ほんけんじゅうやまきゅうみずきょみん稀少きしょうもとかかり食鹽しょくえん地方ちほういんあらためためぎょうしお民間みんかんとげしょくしお公私こうし不便ふべん。如蒙仍舊あらためため食鹽しょくえんれいきょみんけん戶口とぐち多寡たか,以輸おさめ鈔,のり官民かんみん俱便,そもそも且可かわわたししおへい。」うんうつりぶんぶん,并益都路みやこじ及下滕、嶧等しゅうしたがえちょう講究こうきゅう,互言食鹽しょくえんため便びん。及准ほんうん使からしあされつ牒云:「ところよりどころれいしおなずらえとう、萊等しょ,銓注きょくかんきゅうしるしおけきょくうれ於民,おもんみだい虧,かんしゃくわたししおゆうみんめんけいはいつみ。」戶部とべ:「山東さんとううんしょげん,於滕、嶧等しょ增置ぞうちじゅうゆういちきょく,如登、萊さんじゅうきょくたとえ,於錢こくかん通行つうこう銓注きょくかんうれ食鹽しょくえん官民かんみん俱便。すんでけい有司ゆうし講究こうきゅうむべしたがえしょ。」てい中書ちゅうしょしょう,如所なずらえくだり

いたりもとねんだいよりどころ山東さんとう肅政かどおとずれさる:「じゅんずみみなみ備章おかけんさるたてまつ山東さんとううん為本ためもとがく辦鹽じゅうはち萬引まんびきじょきゃくしょううけたまわ辦之がいそんじゅうさん萬引まんびき絕無ぜつむかいしゃはた及年おわりさい不能ふのう如數。ところよりどころ新城しんじょうあきらおか長山ながやま、鄒平、すみみなみ俱近しおじょうあずかだい小清こせい河相かあいせっきゃくたびきょう販,むべしょうかわ、滕、嶧等しょあらためため食鹽しょくえんけんはち千引せんびき責付せめつけほんしょ有司ゆうし備蓆さく脚力きゃくりょく,赴已なずらえかたつつみひとしじょう,於元すべさんねんれい支出ししゅつひとし於民』ひとしこと,竊照山東さんとううんはつ上司じょうし明文めいぶん,輒擅散みん食鹽しょくえんついおさめ鈔,使つかいみんとくやすぎょうこん於至もと元年がんねん正月しょうがつがつ兩次りょうじたてまついた中書ちゅうしょ戶部とべぶんぎょうしお食鹽しょくえんぶんやめゆう定例ていれい,毋得樁配於民。ほんつかさ遵省所行しょぎょう匿符ぶんぜんじんはせえきとくせめしゅうけん,臨逼百姓ひゃくしょう追徵ついちょう食鹽しょくえん鈔,擾害。よりどころほん恣意しい行事ぎょうじ,玩法擾民,おうとええん繫辦ときむべしたがえけんだい區處くしょまたよりどころかん察御しょていまたため茲事。わか便びんぎょうとえそく繫辦がつてい中書ちゅうしょしょう區處くしょ。」戶部とべてい:「くだりしお食鹽しょくえんやめ有定ありさだしょむべしたがえ改正かいせいわかじゅん臺所だいどころていというん,却緣しお法例ほうれいおうしたがえちょうぶんまわしなんべつ。」中書ちゅうしょしょう如所なずらえくだり

陝西せんせいしおいたりもとねんきゅうがつだいじゅん陝西せんせいゆきだい咨備かん察御じょうはな建言けんげん:「きんこうむ巡歷じゅんれきたてまつもと東道とうどういたりもと元年がんねん各州かくしゅうけん戶口とのくちがく辦鹽,其陝西にしうんかんおもえてんうんこれかた每年まいとし豫期よきじんふんどう齎引,へんしゅうけんはじめ及旬がつつえげんつい鈔,不問ふもんみんゆう。竊照諸處しょしょうんたとえみなうんかん召商發賣はつばいおもんみ陝西せんせいとうしょしお近年きんねん於民。且如陝西せんせいゆきしょう食鹽しょくえん,該辦じゅうまんさんせんいちひゃくろくじゅうよんじょう有餘ゆうよ。於內鞏昌、のべやすとうしょ認定にんてい鈔一まんろくせんひゃくななじゅういちじょうけいたまきしゅうおおとりしょうきょうもととうしょとし辦課いちまんななせんきゅうひゃくはちじゅうじょう,其餘鈔,さきいんせき陝旱ひだるみん流亡りゅうぼうじゅん中書ちゅうしょしょう咨,いたりじゅんさんねんしお十分じゅうぶんためりつ減免げんめんよんふん,于今さんなおゆう虧負。ぶたいん戶口とぐち凋殘,じゅうほろびはちきゅうたてあるゆう復業ふくぎょうしゃ家產かさんやめそら爾來じらいとし頗豐おさむ,而物價ぶっか甚賤,とく鈔為艱。ほんつかさかんみな勒有ちょう辦,ぶん高下こうげ一概いちがいきゅうしょうしゃ下二しもふた三引みびきまいいち引收さんじょう富家ふうか以應辦,まずし下安しもやすのう措畫。せりおわり歲之としゆきかてむくいいち引之なるすなわち輸息而借かしきゅうのりてん鬻妻たて引目ひきめいたちから不能ふのうそううんとめしたがえかくしょしおしょう,勒價おさむかい舊債きゅうさいつぐなえしん引又いたり民力みんりょく有限ゆうげんかん無窮むきゅうまたやすしなつ所產しょさん韋紅鹽池しおいけ辦課ほどじょ鞏昌とうしょ循例みとめおさめいぬいしたがえ便びん食用しょくようがい,其池隣接りんせつ陝西せんせいたまきしゅうひゃくあまりさとべに鹽味しおあじあま而價賤,かい鹽味しおあじ而價とうと百姓ひゃくしょうわたししょう販易,不可ふかきんやく。以此さんしょう河東かわとう鹽池しおいけじょ撈鹽戶口とぐち食鹽しょくえんがい,辦課引數ひきすう今後こんごむべしたがえうん官設かんせつほうつのしょうきょう販。ただしぐうぎょうしおしょ諸人もろびと毋得おかせ擾韋べにしおほううん每歲まいさいぶん官吏かんり監視かんし,聽民さい立法りっぽう抽分,れい發賣はつばいまい引收さんじょう黃河こうが以西いせいしたがえみん食用しょくようつう辦運もとがく鈔。いん夾帶いたり黃河こうが東南とうなんしゃどうわたししおほうざい陝西せんせいきょう販解しおしゃきん。如此庶望官民かんみんりょう便びん,而課また虧矣。」

またよりどころ陝西せんせいかん中道ちゅうどう肅政かどおとずれ使えびすどおりたてまつところひねうん:「陝西せんせい百姓ひゃくしょうもとしょくかいしおきんだつあら儉,りゅううつややふくただしよろしやす輯,而鹽吏不察民瘼,とめ以恢辦為めいろん貧富ひんぷ引收あるおさめぜにいれかんどうけい歲月さいげつなおとくしおぶたいんとお脚力きゃくりょく艱澀。今後こんごわかれい大河たいが以東いとうみんふんじょう課程かていかいしょくかいしお,其以西之にしのみんけいくち攤課,にんしょく韋紅しおのりかん擾,みんとろけさんわざわい矣。且解しおゆい於風,韋紅しおさん於地,ひがし鹽味しおあじ西にし鹽味しおあじあままたあに肯舍其美而就其惡乎。使つかい陝西せんせい百姓ひゃくしょう,一概均攤解鹽之課,れいしょく韋紅しおのりしお吏免じゅんきんろう,而民また受惠矣。」本臺もとだいしょうしょげんしおほうむべしたがえしょうていなずらえてい中書ちゅうしょしょうおく戶部とべ本部ほんぶうん:「陝西せんせいゆき臺所だいどころげんしおごとむべしたがえしょうせんかんぜん赴陝西にしあずかくだりしょうくだりだい河東かわとうはこぶつかさ官一かんいちどう講究こうきゅう便益べんえき明白めいはく咨呈。」

さんねんしょううつり咨陝西行さいぎょうしょう,仍摘河東かわとうはこぶつかさただしかん一員いちいん赴省,一同いちどうさいくだり講究こうきゅうさんがつはつにち陝西せんせいゆきしょうかん及李うんどう郝中じゅんかい鞏昌、のべやすきょうもとたてまつもとおおとりしょう、邠州とうかんあずか總帥そうすいひろしどおりとう,俱稱とうしたがえじょうはな及廉使えびすどおりたてまつところげんげん以黃かわためかいれい陝西せんせいみんしたがえ便びん食用しょくよう韋紅しお[4]かいしおきゅう西行さいぎょうべにしおもとひがしわたり。其咸やすし長安ながやすろくことさんしょ未散みちるしゃやめしゅうけん一體いったい斟酌しんしゃくみとめおさめいぬいあずかうんやめ食鹽しょくえん引價どうおさめいぬい,辦鈔ななまんじょう通行つうこう按季輸納,うん須散引。如此そくみん受害,而課以無虧矣。郝同獨言ひとりごと:「うん每歲まいさい辦課よんじゅうまんじょう陝西せんせい該辦じゅうまんじょうこんとめみとめななまんじょうあまりじゅうさんまんじょうしたがえ何處どこ恢辦?」ごう而散。本省ほんしょうけんあきらうん逐年ちくねんさるほうぶんさつ陝西せんせいとめななまんせんろくじゅうじょう,郝遂たたえやまし不出ふしゅつ,其後訖無定論ていろん

戶部とべ參照さんしょういたりじゅん二年中書省嘗遣兵部郎中井朝散,あずか陝西せんせいゆきしょうかん一同いちどう講究こうきゅう,以涇しゅうしろかわながためじょうかい,聽民食用しょくよう。仍督所在しょざい軍民ぐんみんかんいむこうきんやく,毋致韋紅しおはんさかいおかせ中書ちゅうしょ如所なずらえくだり

りょう淮之しおいたりもとろくねんはちがつりょう淮運じゅん行戶ゆくど尚書しょうしょうん使おうただしたてまつ牒:「もとつかさいたりもとじゅうよんねん創立そうりつ當時とうじしお有定ありさだがくただししたがえじつ恢辦,累增るいぞういたりろくじゅうまんななじゅう引。客人きゃくじんかい引,くだり赴場ささえしおかん逼勒かまど其斛めん,以通しおしょう壞亂かいらんしおほう大德だいとくよんねん中書ちゅうしょしょうそうなぞらえあらため法立ほうりゅうくらしつらえつな儹運,ばちぶくろささえはつ,以革ぜんへいほんつかさこうしおこう浙、江西えにし河南かなんみずうみこう所轄しょかつぶん上江うわえ下流かりゅうしおほう通行つうこう至大しだいあいだせんじ添正がくあまりしおさんじゅう萬引まんびきつうきゅうじゅうまんななじゅう引。きゃく商運しょううんいたりあげしゅう東關ひがしせき,俱於じょうかわ停泊ていはく,聽候どおりしたさんよんじゅうまんあまり引,せきたたみ數多すうた不能ふのう以時はついたりじゅんよんねんぜんうん使かん大中でじゅんとうまたげん:『としうりがくしおきゅうじゅうまんななじゅう引。きゃくしょうかい引,せききゅう勘合かんごう,赴倉ささえしおやといせん脚力きゃくりょくまい引遠くら該鈔じゅうさんかんきんくらしたななはちかんうんいたりあげしゅう東關ひがしせき,俟候以次どおり。其船こずえじんとう,恃以しおぬし不能ふのうあきらかんどうおのれぶつほしいままためおかせぬすめへいびょう多端たたん。及事はいいたかんいむ懲治,莫能禁止きんし。其所ぬすめしお,以鈔けいおり其舊せん以償而已,やすのう如數ちょう以裏かわきゃくしょう,虧陷資本しほん外江とのえきょう販,欺侮,而百姓高價以買不潔之鹽,公私こうし俱受其害。』竊照あげしゅう東關ひがしせきじょうがい,沿河りょうきしゆう官民かんみんそら閑之。如蒙聽從ちょうじゅうしおしょうくだりちんかい基地きちおこりづくりくらぼうささえうんしおぶくろいたけやき)〔〕,[5]せきてい,貯置くら內,以俟どおり,臨期用船ようせん往真しゅう發賣はつばいすんでぼうおかせぬすめ患,ため悠久ゆうきゅう,其於しおほうしょう也。」

すんでさる中書ちゅうしょ戶部とべ河南かなんゆきしょうあきらかんなずらえぶんうつり往復おうふくまがえ紜不けつ久之ひさゆき戶部とべ乃定れいうん於已おさむ在官ざいかんきゃくしょうたいおさめ挑河ぜに內,ばち鈔一まんじょうおこりぶたくらぼう,仍從しょううつり河南かなんゆきしょうゆだねかんあずかうん偕往,そう空地くうちはてたがえ礙,而後ぎょう

りょう浙之しおいたりもとねんりょう浙運さる中書ちゅうしょしょううん

もとつかさいたりもとじゅうさんねん創立そうりつ當時とうじ有定ありさだがくいたりじゅう年始ねんしりつがく,辦鹽じゅうまんきゅう千引せんびき累增るいぞういたりよんじゅう萬引まんびきげんみつる元年がんねんまたぞうあまりしおさん萬引まんびき每歲まいさい總計そうけいよんじゅうゆうはちまんまい引初じょうかんちゅうすべかんこうぞうためきゅうかんじゅうかん,以至さんじゅうじゅうろくじゅういちひゃくこんのりためさんじょう矣。每年まいとし辦正ちゅうすべ鈔一ひゃくよんじゅうよんまんじょう,較之初年しょねん,引增じゅうばいぞうさんじゅうばいがくいよいよおもせんじ辦愈なんけん以行しおかいしょかかわ戶口とぐち有限ゆうげんまえ聽從ちょうじゅうきゃくしょう就場支給しきゅう設立せつりつ檢校けんぎょうしょしょうけん出場しゅつじょうしおぶくろまたいんささえ查停せきのべゆうななねんりょう淮之れいあらため法立ほうりゅうくらつなかん押船いたじょううんしお赴倉おさむ貯,きゃくたび就倉ささえしおはじめのりため便びんけいいまじゅうねん綱場つなばくらかんにん其人,おもんみつとむ掊克。きょう淮、浙風不同ふどうりょう淮跨わたるよんしょうがく雖大,こうみんしょくこれしゃ眾,以辦しゅうほんつかさかいきょまくらうみせんじしおていかまど散漫さんまんうみすみぎょうしおうらかわそくあずかりょう隣接りんせつ海洋かいようそくあずか遼東りゃおとんしょうどおりばん往來おうらいわたししお出沒しゅつぼつおかせ礙官,雖有けいきんなんつき防禦ぼうぎょしおほう隳壞,ちんみんしょうはい,其弊ゆう
ほんつかさ所轄しょかつじょうさんじゅうよんしょかくしつらえれいすすむかん勾、てん管領かんりょうかまどひのとようこうとき正當せいとう炎暑えんしょこれがつ晝夜ちゅうや不休ふきゅう。纔值かげたばしゅ彷徨ほうこう貧窮ひんきゅう小戶おうべ生理せいり衣食いしょくしょぜんせきこうほんややそん抵業いえじゅういち有司ゆうしからだ其勞,またふくたかしやくかくもと簽竈いちまんななせん有餘ゆうよいんすいひでり疫癘えきれいりゅううつり死亡しぼうとめそんななせん有餘ゆうよ即今そっこんこうむ簽補,しょよりどころ拋下がくしおただ勒見つつみせんじ而已。わかはやため簽補,優加ゆかそん恤,將來しょうらい必致そん而虧だい。此弊一也かずや
また如所しつらえさんじゅうつなかんうんつなせんてのひら召募しょうぼ船戶ふなとあきらずいじょうせんじつき辦課がく官給かんきゅうすいあしぜに,就場ささえそうしょせんじしおぶくろまい引元がくよんひゃくきんまたおり耗等しおじゅうきんそうためふくろつなかん押運ぜん赴所ばちくら而交おさめ焉。客人きゃくじんいたくらささえしお,如自二月至於十月河凍之時,以運あしため,其立ほう周密しゅうみつ也。こんかくつなうんしお船戶ふなとけいぎょうとしひさし,奸弊しげる。凡遇いたじょうそうしおときわたしぞくしおじょう官吏かんりばかりじんとうじゅう其斤りょうそうためかたぶくろ出場しゅつじょうこれ,沿途ぬすめうりざつ以灰其所虧。及到しょ赴之くら,而倉かんばかりじんまたかく受賄,すんでべんばかりばんまた如法にょほうざいくらひさまたふくしょうおりふくろほうひとしまことほそゆえわか仍舊れいきゃくしょう就場支給しきゅうすんでめんつなうん俸給ほうきゅうすいあしこれまたしおほう一新いっしん。此弊也。
ほんつかさとし辦額しおよんじゅうはち萬引まんびきぎょうしおりょう浙、江東こうとう凡一せんきゅうひゃくろくまんくち每日まいにち食鹽しょくえんよんぜにいちふんはち釐,そう而計ためよんじゅうよんまんきゅうせんあまり引。雖賣つき其數,なおあましおさんまんいちせんあまり引。每年まいとしとく勒有けん戶口とぐち請買。また值荒歉連ねん流亡りゅうぼうしゃ眾,けん以瀕江並えなみかいわたししおこうぎょう軍民ぐんみんかんしつ防禦ぼうぎょ所以ゆえんかくくらとませきるいとしうれしお,凡九じゅうあまり萬引まんびきしたがえささえ。如蒙はやくだじょうせい,以憑遵守じゅんしゅ賞罰しょうばつすんであきらわたししお減少げんしょう戶口とぐち食鹽しょくえん致廢たゆ。此弊三也みつや
またまいかかわおさむ退すさ引,凡遇客人きゃくじんうんしおいたしょうりさき須住ほうすいほど及所とめてん肆,繳納退すさ引。あにかくしょひさげ調ちょうかん不能ふのう用心ようじんけん舉,縱令たとい吏胥ぼうさとせいとう,需求ぶんれいぜに不滿ふまんしょよくのり多端たたんとめなん客人きゃくじんあるいん發賣はつばい遲滯ちたいうたて往他しょみずほど雖住,引不かかわおさめとげゆう埋沒まいぼつ,致容かんみん藏匿ぞうとく在家ありいえかげわたししお所司しょしまたけんかんかかわおさむ。其懦ぜんしゃうれかんしおこれそくはた引目ひきめとうさと胥。またゆう狡猾こうかつくだり納官のうかんつうどうしお以為憑,きょう販私しお。如蒙はた有司ゆうし官吏かんりあきらてい黜降罪名ざいめい使つかい退すさ引盡じつかえかん致影わたししお。此弊よん也。
もとつかさのべゆう七年改立杭州等七倉,設置せっち轄,てのひらおさむかくつな船戶ふなとうんいたしおぶくろ,貯頓ざいくら,聽候客人きゃくじんささえしお,俱有定ありさだせいねん以來いらいかくくらかん攢,肆其貪欲どんよく出納すいとうあいだりょうおさむ其利。凡遇つなせんいたくら,必受船戶ふなとまかなえたて其雜はい收納しゅうのう入倉いりくらある船戶ふなとはこぶいたりこうしおぜに致賄,のりなまこととめなん,以致停泊ていはく河岸かわぎしおかせ欺盜うり其倉そのくらかんあずかかんうんじんとうためへい多端たたん以各くらつもるしおきゅうじゅうあまり萬引まんびき新舊しんきゅうしょうなみ充溢じゅういつろう不能ふのうささえはつはし鹵消おり利害りがいけい。雖繫客人きゃくじんかいこれぶつ鈔入かんじつおそれねんふくいちねんため患益甚。わか仍舊れいきゃくしょう備脚りょく,就場ささえそう,庶免とませき。此弊也。
しゃなかかくくらとませきさいため急務きゅうむしるしいちさいごううりすうとめ該四じゅうよんまんあまり引,儘賣ねんなお不能ふのうつきまたふくせんじうんいたくらせきるいてん。如蒙とくたまもの奏聞そうもんせん德望とくぼう重臣じゅうしんあずかかかわ該官したがえちょう講究こうきゅう參酌さんしゃく時宜じぎさらちょう法制ほうせいていためりょうぶんまわしめぐみずみはじむもと,庶望だい虧。ためじゅうせんじあまりしおさん萬引まんびきじん齎江浙行しょう咨文赴中しょしょう,請照しょう焉。

戶部とべしょううんしょげんじょあまりしおさん萬引まんびきべつがい,其餘事理じりけいぎょうしょう明白めいはくていなずらえていしょううつり咨,したがえちょう講究こうきゅうろくねんがつ中書ちゅうしょしょうかなでせんかんせい治江はるえ浙鹽ほういのちこう浙行しょうみぎすすむおさめ麟及首領しゅりょうかんちょうろう中等ちゅうとうひさげ調ちょうすんで而納麟又以他

いたりせい元年がんねんうん使霍亞ちゅうまたげん:「りょう淮、福建ふっけんうん,俱有あまりしおやめくだりじゅうめんほんつかさ繫同いちたい,如蒙れいじゅうせんじさん萬引まんびき,庶大えきため辦集。」中書ちゅうしょしょう上奏じょうそうとくむねけんしょうあまりしおさんまん引倚かく,俟鹽ほう通行つうこう而後辦之。

ねんじゅうがつ中書ちゅうしょみぎ丞相じょうしょうだつだったいらあきらてつとう識等そう:「りょう浙食しおがいみんため甚,こう浙行しょうかんうんかん屢以ためごとなずらえあい欽依皇帝こうてい舊制きゅうせいじょきんしおじゅう內,れいみんみとめかいかわやめしつらえしおくらつなうん聽從ちょうじゅうきゃくしょう赴運かい引,就場ささえしおもと於行しお地方ちほう發賣はつばいかわこれへい。及設檢校けんぎょう批驗しょよんしょ選任せんにんかどみきこれにんちょく隸運,如遇きゃくしょうしお經過けいかれいばかりばんひとしひらふくろほう,批驗引目ひきめうんかん常行つねゆきたいきわむまたいたりもとじゅうさんねんとし辦鹽がくしょうあたいけいいまぞういたりよんじゅうまんがくあたいじゅうてんうんくだりこん戶部とべじょうなずらえいたりせいさんねんためはじめはたりょう浙額しおりょうげんいちじゅう萬引まんびき,俟鹽ほう流通りゅうつうふく還元かんげんがく食鹽しょくえんなずらえあいじゅうやめ。」ゆうむねしたがえこれ

福建ふっけんしおいたりもとろくねん正月しょうがつこう浙行しょうよりどころ福建ふっけんうんさる:「ほんとし辦額しおじゅうゆうさんまんきゅう引一ひゃくはちじゅうきんこん查勘とくうみこうとうななじょういたりもとよんねんうるうはちがつおわりせきあまりぞう辦等しおじゅうまんいちせんきゅうひゃくろくじゅうひゃくろくじゅうきんしょうすんでゆうせき儹附あまりしおすうよりどころいたりもとねんがくしおなずらえあいあきらてんれき元年がんねんじゅうせんじせいがく萬引まんびききゅうこうほんはたうえこうあまりしおまんじゅんさくせいがくしょうかんほんまんじょうめん致亭みんおもこま本年ほんねんとめ辦額しおはちまんきゅう引一ひゃくはちじゅうきんけいしおじゅうゆうさんまんきゅう引有通行つうこう發賣はつばい,辦納正課せいかじょとめあまりしおまんあまり引,あずかささえねん軍民ぐんみん食鹽しょくえんじつため官民かんみん便益べんえき。」本省ほんしょう如所なずらえ,咨呈中書ちゅうしょしょうおく戶部とべさんしょうまた如所なずらえ。其下あまりしおまんいちせんきゅうひゃくろくじゅう引,發賣はつばいため鈔,通行つうこうおこりかいかい咨本しょうしたがえしょなずらえくだり

いたりせい元年がんねんみことのり:「福建ふっけん山東さんとうたわらうり食鹽しょくえんやまいみんため甚。くだりしょうかん察御れんおとずれかかわ有司ゆうしかんむべおおやけどう講究こうきゅう。」ねんろくがつこう浙行しょうひだりすすむあずかくだりだいかん察御福建ふっけんかどおとずれかん及運使常山つねやまほう舉、漳州とう八路正官講究得食鹽不便,其目有三ゆうぞういち曰餘しおさん萬引まんびきなんどうせいがくなずらえごうじょめん。二曰鹽額太重,こううみれいとめおさむじょうさん曰住やめ食鹽しょくえんなみれいきゃくしょう通行つうこう

福建ふっけんしおはじめいたりもとじゅうさんねんざいしおろくせんじゅう引,まい引鈔きゅうかんじゅうねんせんじうりしおまんよんせんひゃく引,まい引鈔じゅうよんかんじゅうねんぞうためいちじょうさんじゅういちねんはじめたてしおうんぞうしおがくためなな萬引まんびきげんさだねんまい增價ぞうかじゅうかん大德だいとくはちねんやめうん,併入せん慰使恢辦。じゅうねんたてつつみ舉司,ぞうしおがくためじゅう萬引まんびき至大しだい元年がんねんかくせんじあまりしおさん萬引まんびきよんねんふくりつうんとげ定額ていがくためじゅうさん萬引まんびき增價ぞうか鈔為じょうのべゆう元年がんねんまたぞうためさんじょううんまたしたがえけんあらためほうけんのべみぎわ、邵仍きゅうきゃくしょうきょう販,而福、きょう、漳、いずみ四路樁配民食,りゅうがいまでいまさんじゅうねん本道ほんどうさん多田おおたしょうやせみんひんみんしおがくぞうじゅうはちあきかて每歲まいさいとめじゅうななまんはちせんきゅうひゃくせきなつみつぐいちまんいちせんひゃくじょう,而鹽じゅうさん萬引まんびき,該鈔さんじゅうきゅうまんじょう民力みんりょくへいまいぐう催徵,貧者ひんじゃしつつま鬻子以輸いたりぶんまわし措,往往おうおう逃移他方たほう近年きんねん漳寇擾攘,またよし於此。うんかんみみ聞目ぶたいんしょくせん恢辦,めぐみところほどこせ。如蒙欽依詔書しょうしょごとやめあまりしおさん萬引まんびきかわうれ食鹽しょくえんへい聽從ちょうじゅうきゃくしょうはち通行つうこう發賣はつばいまことため官民かんみんりょう便びん。其正がくしおわかこううみしおまい引中すべじょうむべしたがえしょう區處くしょ

こう浙行しょうとげ以左すすむしょ講究こうきゅう,咨呈中書ちゅうしょしょうおく戶部とべじょうなずらえいたりせいさんねんためはじめしょうあまりしおさん萬引まんびきけんれい減免げんめん食鹽しょくえんなずらえあいじゅうやめ。其減せいがくしおそくあずかこううみひさげ舉司事例じれい不同ふどうべつなんさらじゅうがつじゅうはちにちみぎ丞相じょうしょうだつだったいらあきらじょうたちしつとう,以所なずらえそう而行

廣東かんとんしおいたりもとねんだいじゅん江南こうなんしょ道行みちゆきだい咨備かん察御かんうけたまわつとむ建言けんげん:「こう東道とうどう所管しょかんしおつつみ舉司,いたりもとじゅうろくねんためはじめとめ辦鹽がくろくひゃくじゅういち引,累增るいぞういたりさんまんせんひゃく引,のべゆうあいだまたぞうあまりしおつうせいがくけいまんひゃくじゅう引。かまど窘於工程こうてい官民かんみんはさま於催とく呻吟しんぎん愁苦,やめじゅうねんやすしていあいだこうむけんだい及奉使宣撫せんぶ,交章じきひね減免げんめんあまりしおいちまん千引せんびきもとすべ元年がんねんしょう支持しじじきけんはたやめげんあまりしおきゅうせんじ辦,いまやめさんこうむじゅうやめ。竊意しゃ,必謂廣東かんとんひかえせい海道かいどう連接れんせつしょしげるふねしょう輳集,みんぶつとみ庶,えき以辦おさめぶたのうふかかれちゅうことよろし本道ほんどう所轄しょかつななはちしゅうひらぜっしょう以嵐瘴毒癘,其民がたなこう火種ひだね顛穴がんさき辛苦しんく貧窮ひんきゅういえけいとしあわしょくがくがい辦鹽,うれはただれ售。所謂いわゆるとみ庶者,城郭じょうかくしょう賈與舶船交易こうえきしゃすういえ而已。かまどしおひのとじゅうさんよん官吏かんりかしこざいとめはたそんじん,勒令たいせんじまたゆうだいおもんばかしゃ本道ほんどうひそか邇蠻獠,民俗みんぞく頑惡,まことおそれ有司ゆうしせめ辦太げん,斂怨せいごとしょ繫非けい。如蒙捐此ほろ,以示大信たいしんつかれみん幸甚こうじん。」てい中書ちゅうしょしょうおく戶部とべじょうなずらえもとすべさんねんためはじめ廣東かんとんつつみ舉司しょ辦餘しおりょうげん千引せんびきじゅうがつはつきゅうにち中書ちゅうしょしょう以所なずらえ奏聞そうもんとくむねしたがえこれ

こううみしおいたりもとねんさんがつ廣行ひろゆきしょう咨中しょしょううん:「こううみしおつつみ舉司がくしおさんまんせんいちひゃくろくじゅう引,あまりしおいちまん千引せんびき近因きんいんはじむぞくためがいみん聊生,せいがくせき虧四まんあまり引,おさむ在庫ざいこわかふく添辦あまりしお困苦こんくよみがえおそれ不安ふあんことせき利害りがい,如蒙憐憫れんびん,聞奏じょまぬかれ,庶期もとがく辦,致遺患邊みん。」戶部とべうん:「うえこうあまりしおわかぜん恢辦,えんもとがくけん以本へきざいうみすみ所轄しょかつかまどみんるい遭刼かすめ死亡しぼう逃竄,みんぶつ凋弊,なずらえ於一まんせん引內,りょうげん千引せんびき,以舒民力みんりょく。」中書ちゅうしょ以所なずらえ奏聞そうもんとくむねしたがえこれ

四川しせんしおもとすべさんねん,四川行省據鹽茶轉運使司申:「いたりじゅんよんねん中書ちゅうしょすわいた添辦あまりしおいち萬引まんびきがいまたおび辦兩浙運千引せんびきあずかせいがくしお通行つうこうせんじ辦,やめささえよう闕,さいくだりなずらえ。卑司ためかくべつせんじあまりしおめん勒令かまど承認しょうにんぶんまわし劃,こうやめあし備。以後いごねんぶんわかさるくつがえまことおそれかまど逃竄,ゆうさまたげ正課せいか。如蒙憐憫れんびん,備咨中書ちゅうしょしょう,於所辦餘しおいちまん引內,りょうげんたい辦兩浙之すう。」またじゅんぶんうんかんしょげんうん:「四川しせん鹽井しおい,俱在まんやまあいだはらうらりょう淮,ゆう不同ふどうまたくだりたい辦餘しおかまどみんよし此而つかれ矣。」ぎょうしょう咨呈中書ちゅうしょしょう上奏じょうそうむねけん以帶辦餘しおせん引倚かく

ちゃほう[编辑]

いたりもとねん江西えにしみずうみこう兩行りょうこうしょう以茶うんどう萬家閭所言添印茶由事,咨呈中書ちゅうしょしょううん:「ほんとし辦額じゅうはちまんきゅうせんひゃくじょうじょもん攤批けん鈔外,すう內茶引一ひゃくまんちょうまいじゅうりょうせんきょうためじゅうまんじょうすえちゃゆう官印かんいんとうぶくろせきぼう,其れいきんくさちゃよしじょう每年まいとししるしづくりいちせんさんひゃくはちまんせんひゃくはちじゅうきゅうきん,該鈔まんきゅうせんはちじゅうじょうちゃ引一ちょうあきらちゃきゅうじゅうきんきゃくしょうきょう販。其小みんかいしょく江南えなさんちゃしょれいきんうれみな須由じょうためあきらはるくび發賣はつばいちゃゆかりいたり於夏あきちゃよしつきぜっ民間みんかん闕用。以此こうちゃよしすうしょうけい便びん於民よう而不じきちゃ引課じゅう數多すうたとめ於商たびきょう販,ねんおわりひさしゆうとま閑未うりしゃ每歲まいさい合印あいいんちゃゆかり,以じゅうふんためりつりょうふんけいひゃくろくじゅういちまんななせんじゅうはちきんさん引目ひきめ內官(鈔)〔ちゃ〕,[6]まいきんおさむ鈔一錢三分八釐八毫八絲,けいぞうななせんひゃくろくじゅうきゅうじょうななりょうけんげん引目ひきめまんきゅうせんななじゅうろくちょう庶幾しょき引不とま閑,ちゃ無私むしせき中書ちゅうしょ戶部とべじょうなずらえこう西茶にしちゃうんとし辦公よりどころじゅうまんみち,引一ひゃくまんけいじゅうはちまんきゅうせんひゃくじょうちゃ引便於商販,而山じょうしょうみんぜん憑茶よしためあきらとし辦茶よしいちせんさんひゃくはちまんせんひゃくはちじゅうきゅうきんまいきんいちぜにいちふんいち一毫いちごういとけい鈔五せんはちひゃくいちじゅうろくじょうななりょうよんぜにいちふんげんまんさんせんひゃくろくじゅうよんはりちゃ引一ちょうみやつこちゃきゅうじゅうきん納官のうかんじゅうりょうぜに。如於ちゃよしりょうふんけいひゃくろくじゅういちまんななせんじゅうはちきんまいきん添收鈔一錢三分八釐八毫八絲,けいななせんひゃくろくじゅうきゅうじょうななりょうせきあまりれい鈔數,かん虧,而便於民よう。」ごうじゅん本省ほんしょうしょなずらえてい中書ちゅうしょしょううつり咨行しょう,如所なずらえくだり

いたりせいねんひろしひねげんいちせつげんしゅうちゃよりどころ引不便びんごとうん:「榷茶これせい古所ふるところゆうとう以來いらい,其法はじめ備。くにあさすんで於江しゅう設立せつりつ榷茶てんうん,仍於かくみちちゃ設立せつりつひさげ舉司ななしょ專任せんにんよりどころうり引,ぶんまわし辦國,莫敢誰何すいかまいいたりじゅうがつはつじん勾集かくしょひさげ舉司官吏かんりせきりょうねんよりどころ引。及其到旬月じゅんげつあいだつかさかん不能ふのう偕聚。吏貼需求,かく滿所まんしょよくぽうのう給付きゅうふよりどころ引。此時春月しゅんげつやめ。乃還ほんぽうよくてんたいきゅうまたゆうぶん官吏かんりいたかくしょけんよりどころうり引。まい引十ちょうじょせい納官のうかんいちひゃくじゅうりょうがいまたようなかみつるじゅうりょうめいため搭頭事例じれいぜに,以為ぶんかん吏饋𩟝ひさげ舉司雖以榷茶ためめい,其實不能ふのうせんよりどころうり引之にんためうん官吏かんり營辦資財しざい而已。うえぎょうこういきおいしょ必然ひつぜんひさげ舉司すんで見分けんぶん官吏かんり所為しょいわかまたふく倣效遷延せんえん。及茶とくよりどころかえいえやめ及五ろくがつ矣。中間ちゅうかんまたそんとめちゃさんせんほん,以茶けしとぼしためめい轉賣てんばいあずか新興しんこうまいよりどころまたちゅうみつるじゅうりょう上下じょうげ分派ぶんぱかくためおのれわたし不知ふち此等ぜになん而出,其為茶戶ちゃどゆう不可ふかげんいたり如得よりどころざい,碾磨かたきょう,吏卒かかともん,催併はつげん不知ふちちゃ發賣はつばいなにしたがえぜにあいだゆうたかし裕之ひろゆき必須ひっすべつぎょう措辦。其力うすしゃれいかかわかんてん鬻家わたし,以應かんげん。及終げん不能ふのうあし備,上司じょうし緊併,じゅうふく勾追,ほうすわえ。此皆よしうんきゅう引之おそふん苛取茶戶ちゃどほんもとめはん受其がい日見ひみけしとぼし逃亡とうぼう情實じょうじつこらえ憫。こんわかさるあかり舊制きゅうせい每歲まいさい正月しょうがつ須要しゅよううんつきはたよりどころ引給づけつつみ舉司,隨時ずいじとく停留ていりゅう在庫ざいこおさむぶんれいさまたげあやまみやつこちゃがつ;如有べつぎょうじょうざい。仍不もとうんまえぶんくだりうれよりどころ引,たがえしゃしたがえ肅政かどおとずれれい糾治。如此,庶茶しょうかわむさぼ黷之ふう茶戶ちゃどめんそんとぼしこれがい。」中書ちゅうしょしょう以其げんおく戶部とべじょうなずらえふくうつり咨江西行さいぎょうしょうゆだねかんあずかちゃうん講究こうきゅう,如果便益べんえき,如所言行げんこう

校勘こうかん[编辑]

  1. なかただし)〔せいいん まきさんさん校勘こうかん[いち]。
  2. 戶部とべ尚書しょうしょひとしくつとおる 按「ひとしくつとおるほん書卷しょかん四五順帝紀至正十九年九月條作「曹履とおる」,かんめい事跡じせきひとしどうまき四七順帝紀至正二十六年六月己未條又有命「曹履とおるなでさとし沿海えんかいかまどことうたぐ此處ここらひとしとうさく「曹」。
  3. やめ其(かん)〔しおきょく 按本書卷しょかんさん八順帝紀元統二年四月癸未有「たてしおきょく于京南北なんぼくじょうかんうれしお,以革せん利之としゆきへい」。此處ここら請罷おけしゃそく京師けいし南北なんぼくじょうじゅうしょしおきょく,「かんためしおあやまこんあらためしたどうおう圻續どおりこうやめこう
  4. れい陝西せんせいみんしたがえ便びん食用しょくよう韋紅しお 「うたぐためこれあやま。「韋紅しおおう如上じょじょうぶんさく「韋紅しお」,そくげん韋州地面じめんべにしお池之いけのしおしたどう
  5. ささえうんしおぶくろいたけやき)〔〕 從道つぐみち光本みつもとあらため
  6. さん引目ひきめ內官(鈔)〔ちゃ〕 よりどころ文義ふみよしあらため新元しんもとやめこう

ほん明朝みんちょう作品さくひんざいぜん世界せかいぞく公有こうゆう领域いん为作しゃ逝世やめ经遠とおちょう过100ねん

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 まききゅうじゅうろく かえしかいいただき まききゅうじゅうはち