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戰國策黃丕烈札記/齊/四 - 维基文库,自由的图书馆 とべ转到内容ないよう

戰國せんごくさく丕烈さつ/ひとし/よん

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ひとしさくさん 戰國せんごくさくまきじゅういち ひとしよん
作者さくしゃりゅうむかい 西にしかん
ひとしさく

ひとしじんゆう馮諼しゃ[编辑]

ひとしじんゆう馮諼あわびほん「諼」さく「煖」。○ 曰:そく「諼」。「諼」あるさくやかまし」。 さつ丕烈あん史記しきさく「驩」。しゅうかいうんふくさく「煖」。あわび本當ほんとう此注也。もの貧乏びんぼう不能ふのう自存じそん使つかいじんぞくあわびほんぞく」,「しょくどうはじめ嘗君,ねがい寄食きしょく門下もんかはじめ嘗君曰:「きゃくなんこう?」曰:「きゃくこう也。」曰:「きゃくなんのう?」曰:「きゃく無能むのう也。」はじめ嘗君わらい而受曰:「だく。」左右さゆう以君賤之也,しょく以草あわび本草ほんぞう不精ぶしょう也。,饌具。せい曰:くささい也。陳平ちんぺいでんあくくさちゅうさかなにく云云うんぬん

きょゆうごろ,倚柱だん姚本いちほん「其」けんあわびほん曰:以下いか文例ぶんれいうたぐとうゆうやっとこ。 さつ丕烈あん:此文さんかく不同ふどうくれせつうた曰:「ちょうやっとこ歸來きらい乎!あわびほんやっとこけん也。よくあずか俱去。曰:そう音義おんぎやっとこしたがえ棱向しょくさかな。」左右さゆう以告。はじめ嘗君曰:「しょく門下もんかきゃく。」姚本いちほんきゃくじょうぶんゆうさかな。 あわびほん曰:れつでんはじめ嘗君廚有さんれつ上客じょうきゃく食肉しょくにくちゅうきゃくしょくぎょしもきゃくしょくさい一本いっぽんもん下之したのぎょきゃく」。きょゆうごろふくだん其鋏,うた曰:「ちょうやっとこ歸來きらい乎!くるま。」左右さゆうみなわらい,以告。はじめ嘗君曰:「為之ためゆきもん下之したのしゃきゃく。」あわびほん乘車じょうしゃきゃく於是じょう其車,揭あわびほんしゅういん,揭,舉也,擔也。其劍,其友曰:「はじめ嘗君きゃく。」あわびほんまちわが以客。こうゆうごろふくだん其劍やっとこうた曰:「ちょうやっとこ歸來きらい乎!以為。」あわびほん曰:いんいえみなとこう乎反。左右さゆうみなあく,以為むさぼ而不知足ちそくはじめ嘗君とい:「馮公有こうゆうおや乎?」たい曰:「ゆう老母ろうぼ。」はじめ嘗君使じんきゅう其食よう使つかいとぼし。於是馮諼ふく

こうはじめ嘗君あわびほん,疏也。とい門下もんかしょきゃく:「だれ習計かいあわびほんけいかいかい總合そうごう也。せい曰:かいそとはんしゅうあや司會しかいちゅう大計たいけい也。しょうおさむようかいちゅうけいさいこれ簿しょがつけい曰要,歲計さいけい曰會。のうためぶんおさむせめあわびほんせめ」,「さいどうあつまりいん,逋財也。於薛しゃ乎?」馮諼しょあわび本署ほんしょしょ也。曰:「のう。」はじめ嘗君かい,曰:「此誰也?」左右さゆう曰:「乃歌おっとちょうやっとこ歸來きらいしゃ也。」はじめ嘗君わらい曰:「きゃくはて有能ゆうのう也,あわびほんげんはてのりはじめ嘗固其能也。われまけ嘗見也。」請而これしゃ曰:「ぶん倦於ごとあわびほんことさく」。○ いい國事こくじせい曰:一本いっぽんさくこと」,ぶたいんおん而訛。せつ閔王あきらのりさくのりごと」,また此類。憒於ゆうあわびほん「憒」,「たかどう。憒,らん也,以憂おもえ昏亂。而性懧あわびほん「懧」,とうさく「儜」。あつまりいんじゃく也。,沉あわびほん曰:沉,ぼつおぼれ也。した「沉於」よしどう國家こっかことひらきざい先生せんせいあわびほんとくざい於煖,自我じが啟之ひろゆき先生せんせい羞,乃有意欲いよくためおさむせめ於薛乎?」馮諼曰:「ねがい。」於是やくくるまそうけんちぎりあわびほんけんまたちぎりちぎりべつしょ,以刀ばん其旁。而行,曰:「せめ畢收,以何而反?」はじめ嘗君曰:「われしょ寡有しゃ。」

而之薛,使つかい吏召しょみんとうつぐなえしゃ,悉來ごうけんけんへんあいあわびほん凡券,しゃあずかしゃかくおさむいちせめそくごうけんへんごう矣,乃來聽らいちょういのちおこりあわびほんおこりさく「赴」。○ 曰:一本いっぽん「赴」さくおこり」,のりおこりぞくぶんいいさくおこり而矯いのち也。「ごう」讀,「おこりまたつう矯命あわびほん汲黯でんちゅう,矯,たく也。たくごとはじめ嘗之いのち以責たまものしょみんいんしょう其券,みんしょうまんさいあわびほんほうりはじめ嘗也。

長驅ちょうくいたひとしあわびほんくだりとめ也。晨而もとめみるはじめ嘗君かい其疾也,衣冠いかん而見,曰:「せめ畢收乎?なにやまし也!」曰:「おさむ畢矣。」「以何而反?」あわびもとはじめ嘗問也。馮諼曰:「きみうんわれしょ寡有しゃ』。しん竊計,きみ宮中きゅうちゅうせき珍寶ちんぽういぬじつそと廄,美人びじんたかし下陳しもじんあわびほんひねなおれつきみしょ寡有しゃ以義みみ!竊以ためくん。」はじめ嘗君曰:「柰何?」曰:「いまくんゆう區區まちまち薛,あわびほん拊,循,なお也。愛子あいこ其民,いん而賈利之としゆきしん竊矯君命くんめい,以責たまものしょみんいんしょう其券,みんしょうまんさい。乃臣所以ゆえんためくん巿義也よしや。」はじめ嘗君あわびほんさく「乃」。○ 曰:一本いっぽんさく」。せつ,曰:「だく先生せんせいきゅうあわびほんきゅういき也。矣!」

後期こうきねんひとしおういいはじめ嘗君曰:「寡人敢以先王せんおうしんためしん。」あわびほん曰:此遣其就こく而為やめなおかん所謂いわゆる列侯れっこうまたよし教訓きょうくん其民。はじめ嘗君就國於薛,いたりひゃくみん扶老攜幼,むかいくん道中どうちゅうあわびほんなかしもゆう正日じょんいるまたあらためただしさくおわり」。○ 曰:一本いっぽんはじめ嘗君顧謂馮諼:姚本りゅうさく「顧謂馮諼曰」。先生せんせい所為しょいぶんしゃ,乃今日見ひみ。」馮諼曰︰「ずるうさぎゆうさんくつ,僅あわびほん「僅」さくいま」。○ 曰:姚本「いまさく「僅」。とくめん其死みみいまくんあわびほんきみ。○ゆういちくつとく高枕たかまくら而臥也。請為くんふくくつ。」はじめ嘗君しゃじゅうじょうかねひゃくきん西遊せいゆう於梁,いいめぐみあわびほんめぐみさくはり」。○ あきらせい曰:ぶん奔魏,ざいあきらおう。此固辭こじ往,こと必在まえさくしんおうおう曰:「ひとし大臣だいじんはじめ嘗君於諸こうあわびほん此非當時とうじしょたたえおいしょうんなんじ諸侯しょこうさきむかえこれしゃとみ而兵きょう。」於是,はりおうきょ上位じょうい,以故しょうためじょう將軍しょうぐんあわびほん曰:徙故しょうためじょう將軍しょうぐん,而虛しょう以待はじめ嘗也。使者ししゃ黃金おうごんせんきんくるまひゃくじょう,往聘はじめ嘗君。馮諼先驅せんく誡孟嘗君曰:「千金せんきんじゅうぬさ也;ひゃくじょうあらわ使也。ひとし其聞矣。」はり使さんたんはじめ嘗君固辭こじ往也。ひとしおう聞之,君臣くんしん恐懼きょうくふとでんあわびほんほんしゅうかん,此齊大臣だいじん也。賫黃きんせんきんぶんしゃあわび本文ほんぶん彩繪さえ也。ふくけんあわびほんおうしょ佩者。いち封書ふうしょあわびほんしょしもゆういち。○ 曰:一本いっぽんしょしもいちのり上當かみとう以「ふう字句じく。 さつ丕烈あん,「封書ふうしょれんぶんくれせつしゃはじめ嘗君曰:「寡人不祥ふしょう宗廟そうびょうたたり,沉於諂諛しんひらきざい於君,寡人不足ふそくため也。ねがいくん顧先おう宗廟そうびょうしゅうとはんくにみつるあわびほんしゅういんすべ攝理せつり也。まんにん乎?」馮諼誡孟嘗君曰:「ねがい請先おう祭器さいきたて宗廟そうびょう於薛。」あわびほんぜんやすしかくくんすんでりつびょう矣,いままた請立,のり所謂いわゆる宗廟そうびょうしゃいちおう也。びょうなりかえむくいはじめ嘗君曰:「さんくつやめ就,きみしゅうと姚本しゅう、曾本しゅうと高枕たかまくらためらく矣。」

はじめ嘗君為相ためすけすうじゅうねん纖介あわびほんかいどく也。どくそく眾,ため微細びさい。一說喻草芥也。せい曰:「かい」,「あくたどおりこれしゃ,馮諼けい也。あわびもとはじめ嘗傳ゆうあやいいのうしゃきゃくにん不能ふのうきゃく無能むのうしゃはじめ嘗於ため不可ふかいく也!煖之義賢よしかた矣,而為營窟,のりまたこえ利之としゆききゃくみみ!嗟乎,ぞくうつりにん覺悟かくご也!以煖けん不能ふのう擢於眾,きょう賢者けんじゃ乎?曰:ぶんややまつさんくつせつためしょうせい曰:馮公げん無能むのう無能むのう也。はじめ嘗蓋やめ知之ともゆき聞其しょのり曰「きゃくはて有能ゆうのう也」。あわ,馮公焚券,はじめ嘗卒こうむ其力。ひゃくじょういえ畜聚斂之しんあにまが也哉?「しょく以」、「しょくしょく」,おと嗣。「ためくん」、「ためぶん」、「あしためため」,去聲きょしょう

はじめ嘗君ためしたがえ[编辑]

はじめ嘗君ためしたがえあわび本文ほんぶん以襄おうはつ中立ちゅうりつため諸侯しょこうすわえごろじょうじゅうさんねん天下てんか合從がっしょう。此はちねんせい曰:ぶん以襄おうねん中立ちゅうりつため諸侯しょこう,其後とげそつじょうおうはちねん諸侯しょこうごう從事じゅうじ。此閔おうじゅうろくねんぶん怨秦,やくかんたかししんごと也,とうはたあきらきゅうねんあわびさくゆう薛地ひゃくぶんとげ以為ぶん中立ちゅうりつため諸侯しょこうあやま矣。公孫こうそんひろしあわびもとひとしじんいいはじめ嘗君曰:「きみ姚本りゅうほんさくきみなに使つかいじんさきかんしんおう」。あわびほん「以」さく「如」。○ さつ今本いまもと「以」さく「如」,乃誤わたるあわび也,あわびあらため「以」ため「如」。丕烈あんりょ春秋しゅんじゅうさくわか」。使つかいじんさきかんしんおうあわびもとあきらしゃあわびほんしつらえうたぐこれはたおう帝王ていおうしゅ也,きみおそれとくためしんあわびほんためしんしん奚暇したがえ以難しゃしんおう不肖ふしょうしゅ也,きみしたがえ以難ばん。」はじめ嘗君曰:「ぜんねがいいん請公往矣。」

公孫こうそんひろけいだく,以車じゅうじょうはたあきらおう聞之,而欲媿あわびほん「媿」さく「愧」。○ 使つかいひろ愧。 さつ丕烈あんりょ春秋しゅんじゅうさくみにく」。「媿」そくみにくしお醜女しこめたけはり祠堂しどう畫像がぞうさく「媿女」,其證。あわびほんさく「愧」しゃあやまこれ以辭。公孫こうそん弘見ひろみあきらおう曰:「薛公大小だいしょう幾何きか?」公孫こうそんひろたい曰:「ひゃくさと。」あきらおうえみ而曰:「寡人すう千里せんりなおあわびほんなおさくゆかり」。○ しもどう曰:「ゆかり」,「なおどおり。 さつ丕烈あんりょ春秋しゅんじゅうさくなお」,したどう敢以有難ありがた也。あわびほんためじんなんいまはじめ嘗君地方ちほうひゃく,而因ほしあわびほんよくしも「以」。○なん寡人,なお乎?」公孫こうそんひろたい曰:「はじめ嘗君こうひとあわび本人ほんにん賢人けんじん大王だいおうこのみじん。」あきらおう曰:「はじめ嘗君こうひと也,奚如?」公孫こうそんひろ曰:「よししん姚本しん,曾本さく𢘑」,りゅうほんさく𢘑」。此武きさきこわりゅうこう乎天とも乎諸こうとくこころざし慚為じんぬしとくこころざし肯為人臣じんしん,如此しゃさんにん;而治あわびほん曰:「而」うたぐ衍。「おさむ」,とうぞくある「而」じょうゆう缺文けつぶん。 さつ丕烈あんくれせつりょ春秋しゅんじゅうさくのう」。「而」、「のうどうためかんしょうあわび本管ほんかんなかしょう鞅。これせつ聽行,あわびほん所說しょせつゆうあるのう聽而ぎょうのう致其あわびほんのう致其」しもしゅ霸王」さん。○ さつ丕烈あんゆうしゃ是也これやりょ春秋しゅんじゅうさく「其能致主霸王」。如此しゃにん;萬乘之嚴主也;はずかしめ其使しゃ退すさ自刎じふんあわびほんしゅういん,刎,だん也。必以其血洿其ころも,如臣しゃじゅうにん。」あきらおうえみ而謝,曰:「きゃくえびすためわか此,寡人ちょくあずかきゃくろんみみ!寡人ぜんはじめ嘗君,よくきゃく必諭寡人こころざし也!」あわびほん以己こころざしあかつきつげはじめ嘗。公孫こうそんひろ曰:「けいだく。」

公孫こうそんひろしいいおかせ矣。あわびほん著書ちょしょしゃ不可侵ふかしんはずかしめあきらおう大國たいこく也。はじめ嘗,せんじょう也。だて千乘之義而不可陵,いいあしあわびほんあしなおのう使つかい矣。あわびほんあやいい公孫こうそんしょひねまた一概いちがいなんじ曹沫こう桓公かんこうべんせつ莫不以藉口しゃこうかれぶたがくれい也。夾谷之やのかい孔子こうしみことのりづけ有司ゆうしみみ矣!あに厓柴わか猘狗しか哉?みかど曰,あかつきじん不當ふとう如是にょぜ乎?此說しゃこれしょとう知也ともや

魯仲れんいいはじめ[编辑]

魯仲れんいいはじめ嘗:姚本ぞくべつ本有ほんゆうきみ曰」きみこう也!あわびほんしもひつじ,「きみうえゆうきみ曰」。○ 曰:一本いっぽんいいはじめ嘗好也」,一本いっぽんいいはじめ嘗君曰好也」。 さつ今本いまもとしもゆうひつじ,乃誤わたるあわび也。あわびひつじ。丕烈あん:此讀以魯なかれんいいはじめ嘗為いちはじめ嘗即はじめ嘗君也。うえぶんゆうきみこう也」よんべつためいち。「也」、「よこしまどうあずかしたきみこう也」あいわたるあわび誤用ごようみみ雍門あわびほんもんしも。○ 此士以所きょためしょうせい曰:雍門ゆう缺文けつぶんせつえんゆう雍門あき、雍門しゅうこん曰雍もんのりまたこう。雍門まえ。 さつ丕烈あん:此多脫字だつじただしところやしなえはじかみまたあわびほんやしなえなおおおやけやしなえやしなえはじかみせいまためい。雍門ところようせい曰:未知みちはてはじかみせいまためい得子とくこやしなえあわびほん此下だっしょやしなえじん飲食いんしょくころも裘與どうこれあわびほんどうしもこれ。○みなとく其死。あわび本並もとなみしょういまくん家富いえとみ於二こうあわびほん雍門、とく而士有為ゆういくんつきゆうしゃ也。」あわびもとゆうなお友也ともやげん不盡ふじん於交ゆうみちきみ曰:「ぶんとくにん也。あわびほんはじかみまたひとし使つかいぶんとくにんしゃあわびほんひとしもしゃ。○あにどくとくつき?」たい曰:「きみ廄馬ひゃくじょう繡衣而食まめあわしゃあにゆう騏麟あわびほん「騏」さく「麒」。○ さつ今本いまもと「麟」さく「驎」。騄耳哉?後宮こうきゅうじゅうみなころもあわびほんころも。○しま紵,あわびほんしま,鮮色繪いろえ也。紵,檾屬ほそしゃせい曰:しょちゅうしま白也はくやしょくはりにくあわびほんはりべいめい本草ほんぞうちゅうあおはりあわるいせい曰:はりまいぜんしゃゆうあおしろさんしゅあに有毛ありげ廧、西にしほどこせ哉?いろあずかうま於今なん必待いにしえあわびほん曰:「きみ廄馬」いたり此,あずかおう云云うんぬんあいせい曰:れんうえあきらゆうはじめ嘗君,序次じょじまた不當ふとうざい此。哉?曰君こう也。」あわびほん曰:はじめ嘗君もんこうしゃ如馮驩、のうめんなんほまれ而已。むかしじんそし其未嘗得とく雞鳴いぬとうゆうせい以為名言めいげんいまかん魯連曰,きみこう也,のり當時とうじやめゆうろん矣。なかれんげんまた引以いい,而非區區まちまち於孟嘗者。雞鳴いぬとう其門,むべなかれんとめ也。

はじめ嘗君逐於齊おさい而復はん[编辑]

はじめ嘗君逐於齊おさい而復はんあわびほんさんじゅうねんはじめ嘗奔薛,此言ふくはん傳言でんごんおう召之,いんしゃびょうろう於薛」,あずか此駮。せい曰:じゅうねんたんじつあわびもとひとしじんむかい於境,いいはじめ嘗君曰:「きみゆうしょあわびほん「怨」しもゆう「於」。○ひとし大夫たいふ?」はじめ嘗君曰:「ゆう。」「きみ滿まんころせ乎?」あわびほんひろえ以殺ため愜乎?はじめ嘗君曰:「しか。」たんじつ曰:「ことゆう必至ひっしゆうかたしかきみ知之ともゆき乎?」はじめ嘗君曰:「不知ふち。」たんじつ曰:「こと必至ひっししゃ也;かたしかしゃ富貴ふうきそく就之,ひん賤則これ。此事必至ひっし理之まさゆきかたしかしゃ。請以さとしちょうそく滿みつるゆうのりむなしあさ愛市あいいち而夕にくこれ也,もとめそん往,あわび本所ほんじょもとむしゃそん往趨ほろびねがいくん勿怨。」はじめ嘗君乃取しょ怨五ひゃくあわびほん牒,さつ也,しょしょ怨人。そぎこれ敢以ためごとあわびほん馮驩でんりゃくどう。以此さく及驩でんこうぶたはん而後しゃびょう也。

ひとしせんおうがお[1][编辑]

ひとしせんおうあわびほん曰:けんあまねはんかお斶,あわびほんしゅういんおんさわ,引呂春秋しゅんじゅうひとしゆうがお斶。曰:春秋しゅんじゅうさくおう蠋。 さつ丕烈あん古今ここんじんひょうちゅう上作じょうさくがお歜,其王歜別ざい未知みちなんよりどころ乃以ためいちにん也。曰:「斶前!」斶亦曰:「おうまえ!」あわび本並もとなみ使そくおのれせんおうえつ左右さゆう曰:「おう人君じんくん也。斶,人臣じんしん也。おう曰『斶前』,またあわびほんまたうえゆう「斶」。○ さつ今本いまもとまたうえゆう「斶」曰『おうまえ』,乎?」斶對曰:「おっと斶前ため慕勢,おうぜんため趨士。あずか使つかい斶為趨あわびほん「趨」さく「慕」。○ 趨,就也。いきおい如使おうため趨士。」おう忿然さくしょく曰:「王者おうじゃ乎?乎?」たい曰:「みみ王者おうじゃとうと。」おう曰:「ゆうせつ乎?」斶曰:「ゆうむかししゃはたおさむひとしれいあわびほん「曰」。○曰:『ゆう敢去柳下やぎしたあわびほん魯展禽字しょくさい柳下やぎしたまたうんきょ壟,其冢らちはたひとしさきみち魯,うん壟五じゅう而樵さいしゃ赦。』れい曰:『有能ゆうのうひとしおうあたましゃふうまんこう賜金しきんせん鎰。』ゆかりかんなまおうあたま,曾不若死わかじに壟也。」せんおう默然もくぜんえつ

左右さゆうみな曰:「斶來,斶來!大王だいおうよりどころせんじょう,而建せんせきあわびほんいちせきひゃくじゅうきんかねまんせき虡。あわびほん「虡」さく「簴」。○ 鐘鼓しょうこ桴。 さつ今本いまもと「虡」あやま「簴」。天下てんか仁義じんぎあわびほん仁義じんぎ。○ 曰:姚本,「天下てんか仁義じんぎみならいやくしょ」。おそれ仁義じんぎとうざいこれじょうみならいあわびほんさくため」。○やくしょあわびほんやく為之ためゆき使しょざい其位。べん並進へいしん,莫不らい東西とうざい南北なんぼく,莫敢不服ふふくあわびほんふくもとめさくらいふく」。○ 曰:「もとむぞくもとめ萬物ばんぶつさつ今本いまもとうえゆう備具,而百あわびほんひゃくしもゆうせい。○ さつ今本いまもとひゃくしもゆうせいおやこんおっとこうしゃ,乃稱匹夫ひっぷ徒步とほ而處のううねしたそくひなあわびほん酇為ひなび郊外こうがい曰野,またところしょ也。曰:ひなびひゃくいえかんもん、閭里,あわびほん閭,在鄉ざいきょうさと在野ざいやなみひゃくいえみな有門ありかどせい曰:しゅうあやだいつかさいえためため閭。とげじんいえため鄰,鄰為さと。閭、さとみなじゅういえさといい閭,とげいいさとじゅういえ共有きょうゆうちまたちまたしゅ有門ありかど賤也,また甚矣!」

斶對曰:「しか。斶聞ふるだい禹之諸侯しょこう萬國ばんこくなにそくとくあつこれどうとく貴士たかし力也りきやあわびほんげんのう貴士たかしとくあつしゅんおこりのううね於野ひなび,而為天子てんし。及湯とき諸侯しょこうさんせん當今とうぎん南面なんめんしょう寡者,乃じゅうよんよし此觀得失とくしつさくあずかあわびほんむかし諸侯しょこうゆかり得策とくさく也;こん失策しっさく誅滅ちゅうめつ而寡。得策とくさく貴士たかし也。やややや誅滅ちゅうめつ滅亡めつぼうぞく姚本あきら滅亡めつぼうぞくよん三本みもとどういちゆうよんしゅうこれほしためかんもん、閭里,やすとく而有乎あわびほん「乎」さく「也」。○哉?えきでんうん乎:『きょ上位じょういとく其實,以あわびほん「以」さく「而」。○ 曰:おそれとうさく「而」。其為めいしゃ,必以驕奢きょうしゃためぎょうすえあわびほん曰:「倨」、「すえどおり驕奢きょうしゃのりきょうしたがえあわびほんしたがえうえゆう「必」。○これ其實而喜其名しゃそぎあわびほんそぎ也。せい曰:そぎじゃく也。とく而望其福しゃやくあわびほんやくきゅう也。こう而受其祿しゃはずかしめわざわい必握。』姚本ぞくうん高士こうし傳作でんさく「渥」。 あわびほんげんはずかしめずい捨也。曰:『矜功だてあわびほんげんゆう矜大こうこうこころざし不為ふためこうだてきょねがいいたり。』あわびほんもとめ不為ふため而欲どくきょねがい也,ものいたり此皆こうらく其名,はなあわびほんはな。○而無其實とくしゃ也。以堯ゆうきゅうあわびほんきゅうかん也。しゅんゆうななとも姚本ぞくうん陶元とうげんあきらしゅう聖賢せいけんぐん輔錄引戰國策こくさくしゅんゆうななともすえかたかいぞくきばはくひがし訾、はたきょれいはじめあわび本雄もとおすえかたかいぞくきばはくひがし訾、はたきょれいはじめとうふかしあかりよんはちもくせい曰:すえ云云うんぬんまたすめらぎはじめ謐逸でん訾或うん識,きょあるうん不空ふくうしかばねれいはじめいい,此類みな不可ふかふかかんがえある後人こうじんしょ妄造。禹有すすむあわびほんすわえやめはち三后さんこうがい有益ゆうえききび、皋陶、たれちぎりゆうさん輔,あわびほんしょうしょ、虺そうがいゆうよしみはくなかはくとがめたんあに此?しょう及今而能きょなりめい於天しゃゆう以君おう羞亟あわびほん亟,なおかずとえ媿下がくあわび本學ほんがく於臣これゆえ姚本「ゆえしも曾、りゅう本有ほんゆうのうなり道德どうとく而揚功名こうみょう於後しゃ,堯、しゅん、禹、しゅうぶんおう是也これや曰:『無形むけいあわびほんかたちさくけい」。○ 無形むけいいいそぎやくこれ著者ちょしゃ曰:とうさくかたち」,したどう古書こしょどおり。「かたちみんちから」,いえさくけい」。朱子しゅしいいとうしたがえものかたちきみ也。はしあわびほんせい曰:無形むけいはしみなゆびじつとくごとものことほん也。』おっと上見うわみ其原そのはら下通しもとおり其流,いたり聖人せいじんあわびほん衍「ひと。 さつ今本いまほんひと,乃誤わたるあわび也,あわび衍「ひとあかりがくあわび本明ほんみょうがくがくあかりしゃ言上ごんじょうつうひじりあきらこれごとなに不吉ふきつゆう哉!老子ろうし曰:『雖貴,必以賤為ほん;雖高,必以ためもと。』以侯おうしょう寡不こく其賤ほんあずか姚本曾本おっとあわびほんなおげんよこしま曰:うたぐとうざい「歟」じょう。而「おっとおと「扶」,ぞくあずかしもぶんあに下人げにん而尊貴士たかし歟?おっと堯」云云うんぬんどう一本いっぽんさくほん歟」,義明よしあき寡者,にんこま賤下也,而侯おう以自いいあに下人げにんあわびほん以身下人げにん而尊貴士たかしあずかおっと堯傳しゅんしゅんでん禹,しゅうしげるおうつとむしゅうこうだん,而世世せぜしょう曰明ぬし以明乎士也。」

せんおう曰:「嗟乎!君子くんし焉可あなど哉,寡人やまいみみあわびほん曰:やめいい斶言おう賤。及今聞君げん,乃今聞細じんあわびほんほそじんおう自稱じしょうせい曰:ほそじんまえ所謂いわゆる無實むじつとく貴士たかししゃこれぎょうねがい請受姚本りゅうほん「受」ため弟子でし。且顏先生せんせいあずか寡人ゆうしょく必太ろうあわびほんうしひつじいのこためふとしろう必乘しゃ妻子さいし衣服いふくうらら。」あわびほんみな美稱びしょう

かお辭去じきょ曰:「おっと玉生たまにゅう於山,せい姚本曾本さくせい」,しゅう」。 あわびほんせい裁斷さいだんのりやぶ焉,どるたからたか矣,しかおっとあわびほんおっとさくだい」。璞不かんせい乎鄙推選すいせんそく祿ろく焉,とくあわびほんとく。○みこととげあわびほんとげなおたち也,しか而形しん不全ふぜん。斶願とく晚食ばんしょく以當にくあわびほんばんげんかつえ而食也,其美食肉しょくにく曰:とうてき也,如字。安步あぶ以當しゃ無罪むざい以當とうとせいしずさだせい以自おそれあわびほんおそれ」,「娛」どうらく也。せいごとあわびほんげんいい命令めいれいものおう也,盡忠じんちゅう直言ちょくげんしゃ斶也。げんようみちやめ備矣,ねがいとくたまもの安行あんぎょう而反しん邑屋。」のり再拜さいはいあわびほん「而」。○辭去じきょ也。あわびほん「也」

あわびほん「斶」うえゆう「曰」また君子くんし。○知足ちそく矣,あわびほんかえりしもゆうしん。○はんなぐあわびほんしらきさく「璞」。○のり終身しゅうしんはずかしめ也。あわびほん「也」。○  あわびほんせい曰:「曰」しゃ,斶既而又げん也。うえげんだい璞不かん,以喻かたちしん不全ふぜん曰歸はん云云うんぬん文意ぶんい甚明,添字そえじ謬。

先生せんせいおうづくりもん而欲ひとしせんおう[编辑]

先生せんせいおうあわびもとひとしじん曰:一本標文樞鏡要作「おうます」。 さつ丕烈あん:「ますとう是也これや古今ここんじんひょうちゅう上作じょうさくおうます」。こん高士こうし傳作でんさくおう」,またみやつこもん而欲ひとしせんおうせんおう使謁者のべいれあわびほん謁者,てのひらまろうどさん受事。のべ,引也。おう曰:「趨見おうためこういきおいおう趨見ためこう,於王なん如?」使者ししゃふくかえほうおう曰:「先生せんせいじょあわびほん使つかいまち其至。せい曰:使つかい趨至。寡人請從。」あわびほん就之也。せんおういん趨而むかえ於門,あずかいれ,曰:「寡人たてまつ先君せんくん宗廟そうびょうまもり社稷しゃしょく,聞先生せんせい直言ちょくげんせい諫不いみな。」おうたい曰:「おう聞之あわびほん如所聞。せい亂世らんせいことらんくん,焉敢直言ちょくげんせい諫。」せんおう忿然さくしょくせつ

ゆうあいだおう曰:「むかし先君せんくんあわびほん此桓こう雖非でんさきひとしじん也,とくたたえためさき公所ぐぞこのみしゃあわびほんしゃしも。○ 曰:一本標文樞鏡要有「。 さつ丕烈あんゆうしゃとう是也これやせつえんあつし于髡曰「いにしえしゃしょこうよん」,ためしょうきゅうごう諸侯しょこういちただし天下でんか天子てんしあわびほん「受」さく「授」。○ 曰:とうさく「授」,どおりせきあわびほん土地とち人民じんみんせきなおたまものくつ也。たてためだいはくあわびほんはくはくこんおうゆうよん焉。」せんおうせつ,曰:「寡人陋,まもりひとしこくただおそれしつ姚本曾、あつまりほんさくおっと。 あわびほんしつさくおっと」。○あわびほん抎,しつ也。春秋しゅんじゅうでん,「抎子はずかしめ矣」。これ,焉能ゆうよん焉?」おう曰:「いなあわびほんいな。○先君せんくんこううまおうまたこううま先君せんくんこういぬおうまたこういぬ先君せんくんこうさけおうまたこうさけ先君せんくん好色こうしょくおうまた好色こうしょく先君せんくんこう姚本りゅうほん,曾有。 あわびほんさく「而」。○おうこのみ」。あわびほん曰:「先王せんおうこううま以下いかせつえん以為じゅん于髡げん小異しょういせんおう曰:「當今とうぎん,寡人なんこう?」おう曰:「騏驎騄耳,姚本りゅう本有ほんゆうこれしゅう。 あわび本字ほんじしょせつ,騏驎ただだまへんうんうまくろ脊,また不言ふげんりょうりく璣疏,「麒麟きりんぎょうちゅうりつりょ」,のり此馬以麒麟きりん也。騄耳,はち駿しゅんいちせい曰:たまへんたんごと「驎」なんじ。此たんげん,如詩及說ぶんしかみやび不一ふいつおうあわびほんおうしもゆうこれ。○やめ備矣。ひがしかくしゅんあわびほん曰:一本いっぽんさく「逡」。ぜんゆういぬおう走狗そうくやめ矣。嬙、西にしほどこせあわび本莊ほんじょう疏,もう嬙,えつおう嬖妾。西にしほどこせえつおんなおうひめ王宮おうきゅうやめたかし矣。おうまたこのみ也,なに患無?」おう曰:「寡人憂國ゆうこくあいみんかたねがいとく以治。」おう曰:「おう憂國ゆうこくあいみんわかおうあいじゃくあわびほん縠,ほそ繗也。せい曰:ぞういん,縠,縐紗。ひとしさんふくかんけい綃」ちゅうこんしゃしたあきら「曳綺縠」,またあきらみかどしょうひとし冰紈かたそら縠」,ひとしさんぜん也。せつぶん,縠,ほそばくおそれ此注あやま也。」おう曰:「なにいい也?」おう曰:「おう使人為じんいかんむり使つかい左右さゆう便びんあわびほん便びんじゅん其所こう;辟,避其しょあく而使こうしゃなん也?ためのう也。姚本しゅうほん「也」さんどうこんおうおさむひとし左右さゆう便びん辟無使也,しん曰不如愛じゃく縠也。」

せんおうしゃ曰:「寡人有罪ゆうざい國家こっか。」於是舉士にん任官にんかんひとし國大こくだいあわびほんあやいいおうしょもんもとめ卑甚矣。而徒以趨於咫じゃくあいだ以為だか,此孟所謂いわゆる不能ふのう三年而緦小功之察」しゃ也。そもそも其陳よしみまが而不きりどく所謂いわゆるがく縠者可知かちみみしかわか牟之ごと慤,而彪ためじょしゃ牟而取ため牟之げん於斗也。せい曰:おうづくりもんもとめ以趨於咫じゃくあいだためだかあわびろんとう矣。其言おうこのみ不可ふかいいきり也。とく桓公かんこうこういぬ酒色しゅしょくせつまたかんなかがい霸之。此其所以ゆえんため辯士べんしげん,而非君子くんし正爾しょうじがく縠之げんあずか牟合,またなにわかゆう戰國せんごく論說ろんせつしょうるいしゃ甚多,牟豈はて於斗乎?曰:せんおう文學ぶんがくゆうせつたまものれつだいためじょう大夫たいふしゃななじゅうろくにん不治ふち而議ろんきび學士がくしいたりすうひゃくせんにんもり也。しか鄒衍、あつし于髡るいみな詼誕無實むじつ不治ふち而議,しょやしなえ所用しょようくになんよりゆき焉?かお斶勸以貴おうそし其不こうゆう以也!しかわかあずか斶者,また未知みち其何如也。ゆう一孟子而不能用,安用やすもちかれすうひゃくせんにん哉!

ひとしおう使使者ししゃもんちょうたけしきさき[编辑]

ひとしおう使使者ししゃもんちょうたけしきさきあわびもとめぐみぶんきさきこうふとしきさきしょ未發みはつあわびほん曰:未發みはつ其封。きさきとい使者ししゃ曰:「としまた恙耶?あわびほん恙,ゆう也。みんまた恙耶?おうまた恙耶?」使者ししゃせつ,曰:「しんたてまつ使つかい使きさきこん不問ふもんおう,而先といとしあずかみんあにさき賤而とうととうとしゃ乎?」きさき曰:「しか。苟無としなに姚本りゅう本有ほんゆうりょう「以」。 あわびほんりょう「以」。○ゆうみん?苟無みんなに以有くんゆうとい姚本いちといしゃほん而問まつしゃ耶?」乃進而問曰:「ひとしゆう處士しょし曰鍾はなれあわびほん鍾離ぞくきゅうせい曰:みちうん,沂之うけたまわおと懲)ゆう鍾離じょう,乃魯、くれかいしょなりじゅうねんもりうん淮南ワイナンけんこんぞくほりしゅうしゃおう劭云,鍾離こくざいきゅうぶた其後徙于此,めつ曰:鍾離,せい也,かんゆう鍾離昧,ぶた以地しゃ恙耶?其為じん也,ゆうかてしゃまたくえかてしゃまたしょくゆうころもしゃまたころもころもしゃまたころもじょおうよう其民也,あわびほん「也」じょうしゃ。○なに以至こんぎょう也?あわびほんげんとく在位ざいいなり其職ぎょうあわびほんもろしょみな。范睢でんちゅう,「はないちさく」。曰:正義まさよしうんようこんもとしゅうけんまたさく恙乎?其為じんあい鰥寡,卹孤獨こどく困窮こんきゅう不足ふそくじょおういきあわびほんいきなま也。其民しゃ也,なに以至こんぎょう也?北宮きたみやじょ嬰兒えいじ恙耶?とおるあわびほんしゅういん,撤,也,つうさくとおる」。其環瑱,いたりろうよめ,以養父母ちちははみなりつみん而出於孝じょうあわびほんじょうなおまこともの也,えびすためいたりこんあさ也?あわび本命ほんめいそくあさ此二どるさつ今本いまもとどるあやま」。ごう一女いちじょ姚本「いちさくどる」。あさなに以王ひとしこく萬民ばんみん乎?於陵なかなおそん乎?あわびほん於陵ぞくずみみなみみな以所きょためごう,此自いちにんわか孟子もうししょたたえやめななはちじゅうねん矣。曰:みち,於陵,こん淄之長山ながやませい曰:此言於陵仲子なかごこれぎょうあずか孟子もうこしょしょうしゃごうこわそく此人也。ちょうめぐみぶんおうあずかひとし閔王同時どうじめぐみぶんきさき用事ようじじつこう成之しげゆき,其在めぐみぶんのり仲子なかごなおあい及。其為じん也,うえしん於王,しも不治ふち其家,ちゅうさく交諸こう。此率みん而出於無ようしゃなにためいたりこんころせ乎?」あわびほんあやいいきさきけん矣,其是非ぜひ乃不詭於きよしひとしゆう此數不能ふのう察,いたり使鄰國ろう女子じょし愧之,おうけん不足ふそく道也みちやとき君王くんのうきさき恙,えびすためまた察乎?せい曰:といおう而不及后,必非君王くんのうきさきおうけんあわびいんさくげんいいきさきためけんさとしきょくせついたり此。 「おう使使つかい」,如字。瑱,它典、它甸たん

ひとしじん見田みた[编辑]

ひとしじん見田みた駢,あわびほんひとし處士しょし曰:「聞先生せんせいだかあわびほん曰:おそれよし。 さつ今本いまもとあやまよしみ」。しつらえため宦,あわびほんしつらえしゃ虛假こけ而願ためやく。」あわびほんため駢給使駢曰:「なん聞之?」たい曰:「しん聞之鄰人おんな。」駢曰:「なにいい也?」たい曰:「しん鄰人おんなしつらえためよめ行年ぎょうねんさんじゅう而有ななよめそくよめしかよめあわびほん畢,なおやめげん於嫁やめ矣。矣。こん先生せんせいしつらえため宦,訾あわびほん「訾」,「どうところしょやしなえ也。やしなえせん鍾,あわびもとあきらさんねんちゅうよんまめため四以登至於釜,じゅうのり鍾。また㮚氏ちゅうよんしょうためまめのり鍾凡ろくよん也。さつ今本いまもと「鍾」あやまかね」。あわびほんしたがえしゃしゃひゃくにん宦則しか矣,而富畢也」。あわびほん「也」さく「矣」。○田子たつこあわびほんしゃ也。

かんつばめとくざいひとしおう[编辑]

かんつばめあわびもとひとしじんせい曰:こうしんじょさくつばめしょう。 さつ丕烈あんしんじょとうゆうあやまとくざいひとしおういい左右さゆう曰:「孰而姚本いちほん「而」。 あわびほん而,也。あずかわが赴諸こう乎?」左右さゆう嘿然莫對。かんつばめれんあわびほんれんあずかさざなみどう,泣下也。しか流涕りゅうてい曰:「悲夫!なん其易とく而難よう也!」あわびほん曰:需,さくあずか公孫こうそん衍並相者そうしゃあにそく此人歟?たい曰:「さんしょくとく饜,あわびほん飽也。而君鵝鶩有餘ゆうよしょくあわびほん鶩,舒鳧。下宮したみやかて紈,あわびほん下宮したみや後宮こうきゅうれつ。 かてざつ;紈,也。曳綺縠,あわびほんあやぎぬ文繪ふみえ而士とく以為えんあわびほんえんころもじゅん且財しゃくんこれしょけい死者ししゃところしげるきみ肯以しょけいあずかさつ今本いまもとあやまほろび」。而責以所じゅうごとくんえきとく而難よう也。」あわびほん曰:せつえんそうまもるしょうひとしやめ召田めすだにょうとうとえにょうたいまたあずか此合。 さつ丕烈あんかん外傳がいでんうんそうつばめしょうひとし逐,やめがえこれしゃ,召門じょうひねにょうとうじゅうろくにん。此策ぶんとうゆうあやま

はたつばめひとし[编辑]

はたあわびほんはたさく」。○ さくだい」,曰:あやま。 さつ丕烈あん史記しきさくだいつばめらいいれひとしつばめひとしあわびほんさんじゅうろくねんせい曰:じゅうろくねん於華あきらあわびほんはなあきらさくあきらはな」。○ 曰:姚及一本いっぽんさくはなあきら」。みなみもんあわびほんさく東門ひがしもん」。ちゅうひとし小城おぎ北門きたもん」,不知ふち一門いちもん也。曰:くくこころざしひとし城東じょうとうゆう閭門、たけ鹿しかあきらはなもんひとしおう曰:「嘻!あわびほんしゅういんゆうしょ多大ただいこえせい曰:嘆聲たんせい也。しん使冉致みかどあわびほん致帝ごう於齊おさい以為なん如?」たい曰:「おうとえしん也卒,あわびほんあずか「猝」どう而患これしょしたがえせいあわびほんせいさく「往」。○ 曰:一本いっぽんさくせい」,。 さつ丕烈あん史記しきさく」。ものほろあわびほん患在げんしたがえ往」,あずか從來じゅうらい也。こんひつじちょげんほろこん聽,恨秦あわびほんたがえはたはた恨之。也;聽之,恨天也。如聽以卒あわびほんそつさくため」。○ なおぜんせい曰:そつなるしんことはた,勿庸あわびもといさおよう也。しょう也以ため天下でんかはたしょう天下てんか聽之,おうまたしょう先後せんごことみかどめいため無傷むきず也。あわびほん雖稱ゆう先後せんご無害むがい於帝。はたしょう,而天聽,おういん勿稱,其姚本いちほん「其」。 あわびほん衍「其」。 さつ丕烈あん史記しき「其於」於以おさむ天下でんか,此大也。」あわびもとひとしさんじゅうろくねんゆうあやいい:此策ため智則とものりあきらためじんはかりごとそくただしちょうきょ擘也。せい曰:受帝ごう以順しん,而不しょう以收天下でんかいつわりはかりごとみみ曰:「以為」ため」,如字。

はたいいひとしおう[2][编辑]

はたあわびほんはたさく」。○ 曰:あやまさくだい」。 さつ丕烈あん史記しき此句,以意ごとみみとうざいじょうにゅう此者いいひとしおう曰:あわびほんといひとしはたたてためりょうみかどおう以天ためみことしん乎?且尊ひとし乎?」おう曰:「みことしん。」「しゃくみかどそく天下でんかあいひとし乎?且愛しん乎?」おう曰:「あいひとし而憎しん。」「りょうみかどりつやくちょうあわびほんまたとい孰與そう利也としや?」姚本りゅう本有ほんゆうおう曰,如伐そう」。 あわびほん「也」しもゆうたい曰伐そうとし。○ さつ丕烈あん史記しきゆうおう曰,桀宋」。たい曰:「おっとやくしか姚本いちほんしか。 あわび本然ほんぜん其伐そうやく曰:さくおっとやくひとししか」,げんひとしはた俱相やく如此。一本いっぽんしかおそれひとし」,「やくなまりしか,而以「やくあずかれんぶん讀為。 さつ丕烈あん史記しき,「おっとやくひとしぜっ,「しかしもぞく。此當ゆうあやまあずかしんためみかど,而天どくみことしん而輕ひとしひとししゃくみかどのり天下でんかあいひとし而憎しんちょう如伐そうしんねがいおうあきらしゃくみかど,以就天下でんかばいあわびほんばい」,どうやくあわびほん「儐」,「擯」どうあつまりいん,棄也。曰:「擯」、「儐」、「まろうど」,通用つうようさくゆう倣此。 さつ丕烈あん史記しきさくまろうど」。はた,勿使そうじゅう;而王以其あいだ舉宋。おっとゆうそうそくまもるじょうあわびほんなんじみなみ穎川えいせんみなゆうせい曰:まもるさく」,ちゅう,濮陽危;ゆう淮北あわびほん淮水きた。淮出たいらきりかしわせい曰:淮出みなみ陽平ようへいけん胎簪さん。禹自きりかしわしるべひがしかい泗、沂入海いりうみのりすわえ東國とうごく危;ゆうずみ西にしあわび本莊ほんじょうじゅうはちねんちゅうすみすい西にしのりちょう河東かわとうあわびほんちょうかわひがしぐん也。危;ゆうかげあわびほんかげぞく南陽なんようせい曰:かげそくすえせつちょうさく。 さつ丕烈あん史記しきさくすえひらりくそくはりもんあわび本大もとだいはりもんけいしゃくみかど而貳以伐そうことあわびほんあずかしんあい也。はたやくちょう,而此伐そうのり國重くにしげ而名みことつばめすわえ以形ふくあわびほんかたちさくけい」。○ けいなお也。げんかしこたけし而服。 さつ丕烈あん史記しきさくかたち」。天下てんか敢不聽,此湯、武之たけゆき舉也。たかしはた以為めいあわびほんじつ敬之たかゆき而後使天下てんかにくこれ,此所謂いわゆる以卑えき尊者そんじゃ也!ねがいおう熟慮じゅくりょ也!」あわびほんひとしあずかうわためいちしょうこんしょううえあきらなおよく聽秦,此章けつよく儐之,いちにちだんためしょう可也かなり

  1. こういち]此篇姚本あずかはじめ嘗君逐於齊おさい而復はんれんへんあわびほん另列いちへんよりどころ文義ふみよししたがえあわびほん
  2. こういち]此篇姚本あずかはたつばめひとしれんへんあわびほん另列いちへんよりどころ文義ふみよししたがえあわびほん
 ひとしさくさん かえしかいいただき ひとしさく

ほん作品さくひんざいぜん世界せかいぞく公有こうゆう领域いん为作しゃ逝世やめ经超过100ねん,并且于1929ねん1がつ1にちぜん出版しゅっぱん

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