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史記|世界文学大事典・世界大百科事典|ジャパンナレッジ
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史記しき

ジャパンナレッジで閲覧えつらんできる『史記しき』の世界せかい文学ぶんがくだい事典じてん世界せかいだい百科ひゃっか事典じてんのサンプルページ

デジタルばん 集英社しゅうえいしゃ世界せかい文学ぶんがくだい事典じてん
史記しき』 【しき】
中国ちゅうごく
中国ちゅうごく史書ししょ代表だいひょうする歴史れきし名著めいちょであり,かつ伝記でんき文学ぶんがく傑作けっさくぜん130かん前漢ぜんかん司馬しばしるぜん91(たけみかどせい2)ねんころ完成かんせい。もと『ふとしおおやけしょ』としょうされた。〈ふとしおおやけ〉は司馬しば遷とそのちち司馬しばだん(しばたん)官職かんしょくたいれい自称じしょうしたもの。司馬しば遷はちちだん意志いし継承けいしょうして『史記しき』をあらわした。『史記しき』は中国ちゅうごく最初さいしょ紀伝きでんたい史書ししょで,その構成こうせい司馬しば遷の独創どくそうである。その紀伝きでんたい構成こうせいは5からなる。(1)「本紀ほんぎ(ほんぎ)」12かん,(2)「ひょう」10かん,(3)「しょ」8かん,(4)「(せいか)」30かん,(5)「列伝れつでん」70かん
(1)「本紀ほんぎ」は,しゅとして王朝おうちょうもしくは天子てんし歴史れきし記録きろく天子てんし社会しゃかい中心ちゅうしん位置いちし,その周囲しゅういしんみん幾重いくえもの同心円どうしんえんえがいてとりまく構造こうぞうの,封建ほうけん君主くんしゅ専制せんせい時代じだいにあっては,天子てんし記録きろくもしくはその集合しゅうごうたる王朝おうちょう記録きろくは,歴史れきし大綱たいこう記録きろくであると認識にんしきされる。「本紀ほんぎ」,そして『史記しき』が,聖人せいじんでありかつ天子てんしであった5にんせい天子てんし記録きろくみかど本紀ほんぎ」を首巻しゅかんとしてはじまるのは,歴史れきし人間にんげん原始げんしてき存在そんざいをもってではなく,人間にんげん文明ぶんめい開始かいしをもってはじまる,との著者ちょしゃ意識いしきによる。もとより当時とうじみかどなどみかど実在じつざいはかたくしんぜられていた。なついん(いん)しゅうはた(しん)王朝おうちょう本紀ほんぎて,最初さいしょ中華ちゅうか大帝たいていこく創立そうりつしゃ記録きろくたる「はたはじめすめらぎ本紀ほんぎ」からは,個人こじん天子てんし記録きろくであり,おおむねは高祖こうそからたけみかどいた前漢ぜんかん天子てんし記録きろくである。が「項羽こうう本紀ほんぎ」と「りょきさき(りよこう)本紀ほんぎ」は,天子てんしたる称号しょうごうこそゆうしないが,天子てんしたる実権じっけんにぎって天下てんか君臨くんりんした両人りょうにんの,強力きょうりょく支配しはい強烈きょうれつ個性こせい記録きろく著者ちょしゃ司馬しば遷のどう時代じだい英主えいしゅたけみかどの「たけみかど本紀ほんぎ」をもって「本紀ほんぎ」は終結しゅうけつするが,その批判ひはん鋭利えいりさのゆえはらたけみかど本紀ほんぎ」ははやく『史記しき』からけずられてうしなわれ,げんたけみかど本紀ほんぎ」は「ふうぜん(ほうぜん)しょ」のたけみかど部分ぶぶん後人こうじんっておぎなったもの。司馬しば遷のするどどう時代じだい理解りかい評価ひょうかきょへんほろびいっしたのはしまれる。なお原書げんしょ130かんのうち,「たけみかど本紀ほんぎ」のほかに9かんけい10かんが,『史記しきなりしょほどなくうしなわれた,とつたえられる。
(2)「ひょう」は,年表ねんぴょうもしくは月表げっぴょうなどのまき々。の,文章ぶんしょうによるなが記述きじゅつを,一覧いちらんひょう要約ようやくし,事項じこう一目いちもく理解りかいしうるよう工夫くふうしたまき々で,上古じょうこから著者ちょしゃ司馬しば遷の現代げんだいへ,せいだい)ごとのひょう,そしてとしごとのひょう,さらにつきごとのひょうと,時代じだい降下こうかにつれ記述きじゅつ詳細しょうさいとなる。
(3)「しょ」は,事項じこう・テーマごとの歴史れきしであって,「れいしょ」(礼法れいほう)・「ふうぜんしょ」(ふうぜん)・「平準へいじゅんしょ」(経済けいざい)など,重要じゅうよう歴史れきし事象じしょう社会しゃかいテーマの,上古じょうこ以来いらいの,ただし前漢ぜんかん重点じゅうてんをおいた,ろんまき々である。
(4)「」は,しゅとして諸侯しょこう国々くにぐに歴史れきしである。しゅうだいから前漢ぜんかん前期ぜんきにかけて,あまたの諸侯しょこうこく興亡こうぼうした。天子てんし諸侯しょこうと,あるいは抗争こうそうし,あるいは友好ゆうこうした,その交錯こうさく軌跡きせきは,中央ちゅうおう集権しゅうけんすすみ,独立どくりつした諸侯しょこうこくがほとんど存在そんざいしえなくなった前漢ぜんかんたけみかど以降いこうとは,様相ようそうことにする,中国ちゅうごく政治せいじ社会しゃかい重要じゅうよう側面そくめんである。ほかに,中国ちゅうごく文明ぶんめいしゅはしらたる儒学じゅがく創設そうせつしゃへの尊崇そんすうまき孔子こうし」や,大秦たいしん帝国ていこくたいして最初さいしょ反乱はんらんへいをあげ,だいかん帝国ていこく成立せいりつみちびいた功労こうろうしゃへの評価ひょうかまきちんわたる」は,「」のなか特異とくいまき
(5)「列伝れつでん」は,『史記しき』の5のうちもっともすぐれた内容ないようをもつ部分ぶぶんであり,『史記しき』を代表だいひょうする価値かちゆうする。「列伝れつでん」は,しゅとして個人こじん伝記でんき歴史れきし形成けいせいし,歴史れきし代表だいひょうする個人こじん伝記でんきまき々である。しゅうだいから前漢ぜんかんたけみかどいたなが時代じだいの,大臣だいじん将軍しょうぐん学者がくしゃ文人もんと商人しょうにん・俠客(きようかく)・テロリスト・易者えきしゃかつえ(う)えたとらのごとき非情ひじょう残酷ざんこく官僚かんりょうなどなど,多種たしゅ多彩たさい人間像にんげんぞうが,司馬しば遷の犀利さいり(さいり)きわまりない人間にんげん洞察どうさつ熱情ねつじょうこもった描写びょうしゃによって,り,った過去かこやみからよみがえる。いな,それはたんなるよみがえりではなく,かれらは,一人ひとり人間にんげんがいかなるきざまをきたのかの典型てんけいとして,つまり,人間にんげん存在そんざいのさまざまの典型てんけいとしてされ,つかみされ,提示ていじされているのである。ひろ(りこう)優秀ゆうしゅう勇猛ゆうもうで,かつ部下ぶかおもいの名将めいしょうぐんであるが,いかんともしがたい悲運ひうんにたびたびおそわれ,武人ぶじん名誉めいよほこりをおもんじ,ついに自決じけつしててる(「将軍しょうぐん列伝れつでん」)。ちょうだか(ちようこう)は,最後さいごには反対はんたいころされるが,そもそもは卑賤(ひせん)いち宦官かんがん(かんがん)からあらゆる権謀けんぼうろう(ろう)して,まず太子たいし自殺じさつせしめ,つぎ宰相さいしょうころし,ついには天子てんしをもみ,自分じぶん天子てんしくらいにつかんとする(「(りし)列伝れつでん」)。これら,才能さいのう非運ひうんあくさかえは,もとよりはたかん時代じだいのただ一人ひとり人間にんげんきざまにのみられるのではない。これらのまきに,そして「列伝れつでん」のまき々に定着ていちゃくされた人間像にんげんぞうは,その個人こじんしても,人間にんげん存在そんざい深刻しんこくさをものつよ理解りかいせしめる。それらは,個人こじんめいはなれて象徴しょうちょうてき実在じつざいにまで昇華しょうかした,人間にんげん存在そんざいしょ典型てんけいたる形象けいしょうしているのである。『史記しき』の著者ちょしゃ司馬しば遷がみずからあじわった悲運ひうん不当ふとうなる宮刑きゅうけいは,司馬しば遷のをことに悲運ひうん不遇ふぐうひとかわせ,にん生涯しょうがいのうちでもことに挫折ざせつ(ざせつ)逆境ぎゃっきょう時期じきかわせるかたむきがあるが,それは,そうしたひとのそうした時期じきにこそ,まさしく人間にんげんきざまの鮮明せんめいさがいっそう鮮明せんめいになるゆえである。「列伝れつでん」は1人ひとりかんおもとするが,ほかに,「列伝れつでん」のうちで,共通きょうつうしたきざまをゆうした2人ふたりをくくったまきは「ごうでん」とばれ(たとえば「こごめはら・賈生(かせい)列伝れつでん」),3にん以上いじょうをくくったまきは「ざつでん」とばれる(たとえば「酷吏こくり列伝れつでん」)。また「列伝れつでん」のおおきな特色とくしょくすのは民族みんぞく中国ちゅうごく周辺しゅうへんしょ外国がいこく記録きろくまき々で,中国ちゅうごくきた西北せいほくかたの「匈奴きょうど(きようど)」,南方なんぽうの「南越なんごし」「ひがしこし」,東方とうほうの「朝鮮ちょうせん」,西方せいほうの「だいあて(だいえん)」(中央ちゅうおうアジア諸国しょこくとう),中国ちゅうごく西南せいなんの「西南せいなんえびす(い)」の記録きろくは,中国ちゅうごく中心ちゅうしんに,当時とうじられたぜん世界せかい記録きろく,つまり当時とうじにおける世界せかい構成こうせいすることを著者ちょしゃ意図いとし,たした結果けっかである。中華ちゅうかくに世界せかい中心ちゅうしんたる文明ぶんめいくに,すなわち中国ちゅうごくにとって,その周辺しゅうへん民族みんぞくは,〈夷狄いてき(いてき)〉つまり人間にんげん動物どうぶつ中間ちゅうかん存在そんざいだとふるくは認識にんしきされたのであったが,司馬しば遷は中国ちゅうごくイコール世界せかいではないことを明確めいかく教示きょうししたのである。
 以上いじょうの(1)「本紀ほんぎ」から(5)「列伝れつでん」までの5のうち,ことに重要じゅうような「本紀ほんぎ」と「列伝れつでん」の1ずつをり,こうした構成こうせい史書ししょを〈紀伝きでんたい〉としょうする。『史記しき』は最初さいしょ紀伝きでんたい史書ししょ司馬しば遷は紀伝きでんたい創始そうししゃである。紀伝きでんたいは,『史記しき以後いごの〈正史せいし〉,つまり中国ちゅうごくのいわば正統せいとうてき史書ししょ中心ちゅうしんてき史書ししょいち王朝おうちょういち原則げんそくとする歴史れきししょ構成こうせい原理げんりとして,ずっと継承けいしょうされた。しかし,のちの正史せいしは,形式けいしきは『史記しき』の紀伝きでんたいならっても,するど人間にんげん洞察どうさつき,高官こうかん官爵かんしゃく列記れっき集合しゅうごうした,史書ししょならぬ,履歴りれきしょしゅうしょに堕(お)としがちで,『史記しき』の精神せいしん内容ないようはおおむね継承けいしょうされなかった。
史記しき』の特長とくちょうは,要約ようやくすれば,まずだい1に,歴史れきし個人こじん次元じげんにおいてとらえ解明かいめいせんとし,個人こじんきざまをなによりも問題もんだいとした,人間にんげん中心ちゅうしん個人こじん中心ちゅうしん史書ししょたるてんにある。時間じかん経過けいかい,事件じけん始終しじゅう史書ししょとは,まったく性格せいかくことにする。人間にんげんきざまを熟視じゅくしする視点してんは,「天道てんとうなるものこれか」(「はくえびす列伝れつでん」),宇宙うちゅう主宰しゅさいしゃたるてんは,もしくはてんかみたして善人ぜんにんさいわいし悪人あくにんばっするのか,という強烈きょうれつにして切実せつじつ問題もんだい意識いしき疑念ぎねんからもたらされる。だい2は,『史記しき』は,上古じょうこみかど時代じだいから司馬しば遷のきた前漢ぜんかんたけみかど時代じだいまでの歴史れきしぜん時代じだい通観つうかんした,〈通史つうし〉たるてんにある。いち王朝おうちょう歴史れきし対象たいしょうとする史書ししょは〈だんだい〉とばれ,『史記しき以後いご正史せいしはおおむねだんだいであるが,歴史れきし全体ぜんたいぞう理解りかいするには通史つうしこそ必要ひつよう重要じゅうようであり,『史記しき』はそのにんおうずる。だい3は,『史記しき』は,中国ちゅうごく中心ちゅうしんとはするが,中国ちゅうごくよんしゅう歴史れきしをも包括ほうかつした,当時とうじ世界せかいたるてんである。そうしてだい4に,『史記しき』は,個人こじんきざまを凝視ぎょうしし,そのあかりくら鮮明せんめい記録きろくすることによって,ある時代じだい地域ちいき歴史れきししょたる限界げんかいやぶり,深刻しんこく伝記でんき文学ぶんがく人間にんげんせい深淵しんえん(しんえん)えがいた文学ぶんがく傑作けっさくともなったしょなのである。
福島ふくしま吉彦よしひこ


改訂かいてい新版しんぱん 世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん
史記しき
しき
Shǐ jì

司馬しば遷(しばせん)がいた中国ちゅうごく最初さいしょ通史つうし当時とうじ中国ちゅうごく中心ちゅうしんとして,られていたかぎりのすべての世界せかいにわたるぜん歴史れきし過程かてい総合そうごうてき体系たいけいてき叙述じょじゅつしたもので,当時とうじ中国人ちゅうごくじんから最初さいしょ世界せかいといってよい。その構成こうせいは,まず有史ゆうし以来いらいのおもな王朝おうちょう編年史へんねんしを〈本紀ほんぎ(ほんぎ)〉12かんとし,政治せいじ中心ちゅうしんとする歴史れきし過程かてい大綱たいこうしめす。つぎに,その歴史れきし過程かてい認識にんしきをより正確せいかくにするために,系図けいずおよび年表ねんぴょうを10かんの〈ひょう〉にしめす。この年表ねんぴょうによって諸侯しょこう国々くにぐにのおもな事件じけん王朝おうちょう編年史へんねんしむすびつけ,また事件じけんがめまぐるしくこった時代じだいについては,がつ単位たんい月表げっぴょうつくった。そのつぎには,本紀ほんぎひょう政治せいじかたむきすぎたかけおぎなって,儀礼ぎれい制度せいど音楽おんがく天文てんもん暦法れきほう祭祀さいし治水ちすい問題もんだい経済けいざい政策せいさくなど,文化ぶんかのさまざまなジャンルにかんする概観がいかんを8かんの〈しょ〉にまとめてしめす。そのつぎには,諸侯しょこう国々くにぐに歴史れきしを30かんの〈(せいか)〉として記述きじゅつし,さらに,さまざまなめん人間にんげんとしての意味いみ歴史れきし刻印こくいんしたおおくの人物じんぶつ伝記でんきを70かんの〈列伝れつでん〉において叙述じょじゅつした。この列伝れつでんなかには,匈奴きょうど西域せいいき諸国しょこくをはじめ,当時とうじられたかぎりのしょ外国がいこく民族みんぞくかんする地誌ちし歴史れきし民俗みんぞくなども記述きじゅつされており,最後さいご列伝れつでんだい70〈ふとしおおやけ自序じじょ〉において,このような総合そうごうてき体系たいけいてき世界せかいくにいたった意図いとべられる。以上いじょう合計ごうけい130かん司馬しば遷はこのしょを《ふとしおおやけしょ(たいしこうしよ)》とづけた。史記しきとは,もともと史官しかん記録きろくかん,ふひと)がしるした記録きろくという意味いみ普通ふつう名詞めいしであって,《ふとしおおやけしょ》が史官しかん記録きろく代表だいひょうてき作品さくひんとして,《史記しき》という固有名詞こゆうめいしをもってばれるようになるのは,司馬しば遷の死後しごやく400ねんののち,3世紀せいきごろから以後いごのことである。なお,現行げんこうほん史記しき》のなかには,司馬しば遷の原文げんぶんうしなわれて,後人こうじんくわえた部分ぶぶん若干じゃっかん存在そんざいする。

 《史記しき》の記述きじゅつ形式けいしきは,このように年代ねんだい年表ねんぴょう問題もんだい伝記でんきなど,おおくのれき史記しきじゅつ形式けいしき部類ぶるいべつ整然せいぜん統合とうごうしたもので,みごとな構成こうせいしめしており,《史記しき》をついでこうかん時代じだいはじめにかれた《漢書かんしょ(かんじよ)》以後いご,〈しょ〉の部分ぶぶんは〈こころざし〉にあらためられたり,〈〉の部類ぶるいはなくなったりするが,〈本紀ほんぎ〉と〈列伝れつでん〉とを本質ほんしつてき構成こうせい要素ようそとするこの記述きじゅつ形式けいしきは〈紀伝きでんたい〉とよばれて,以後いご2000ねんにわたる中国ちゅうごく正史せいし正統せいとうみとめられたれき史記しきじゅつ)はこの〈紀伝きでんたい〉によってくべきものとされた。ただ,以後いご正史せいしはすべてひとつの王朝おうちょうか,またはいくつかの王朝おうちょうをまとめただんだいとなり,《史記しき》のような通史つうしではなくなった。《史記しき》は司馬しば遷にとって,歴史れきし人間にんげん行為こうい価値かち時間じかん推移すいいとともに相対そうたいぼつ価値かちしてゆくのにたいして,文明ぶんめい維持いじ発展はってんさせてきた人間にんげん行為こうい正当せいとう位置いちづけ顕彰けんしょうするためのしょであり,かれ自身じしんがそれらの人々ひとびととともに永遠えいえんきうるという意味いみで,すくいのしょでもあったのである。
川勝かわかつ 義雄よしお

索引さくいん
Shǐ jì 司馬しば本紀ほんぎ ひょう しょ 列伝れつでん たいおおやけしょ(たいしこうしよ) 紀伝きでんたい
上記じょうきは、日本にっぽん最大さいだいきゅうのオンライン辞書じしょ事典じてん叢書そうしょサービス「ジャパンナレッジ」のサンプル記事きじです。

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1. 『史記しき
日本にっぽん年表ねんぴょう
769ねん神護かんごけいくも3 おのれとり〉 10・10 大宰府だざいふに 『史記しき』 『漢書かんしょ』 などをたまい、学業がくぎょう興隆こうりゅうさせる(ぞく)。
2. 史記しき画像がぞう
日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ
学者がくしゃであり、中国ちゅうごく歴史れきしちちしょうされる。とくにかれ創始そうしした本紀ほんぎ列伝れつでんなどのように性質せいしつことなったれき史記しきじゅつ仕方しかた併存へいそんした総合そうごう形式けいしき紀伝きでんたい(きでんたい)とよばれ、
3. 史記しき
世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん
る。なお,現行げんこうほん史記しき》のなかには,司馬しば遷の原文げんぶんうしなわれて,後人こうじんくわえた部分ぶぶん若干じゃっかん存在そんざいする。 《史記しき》の記述きじゅつ形式けいしきは,このように年代ねんだい年表ねんぴょう問題もんだい伝記でんきなど,
4. し‐き【史記しき
日本にっぽん国語こくごだい辞典じてん
(はいいん)の「史記しきしゅうかい」、とう司馬しばさだの「史記しきさくかくれ」、とうちょうまもるぶしの「史記しき正義まさよし」、あかりしのげややたかしの「史記しきひょうりん」などの注釈ちゅうしゃくしょられている。たいおおやけしょ
5. しき【史記しき
国史こくしだい辞典じてん
(はいいん)の『史記しきしゅうかい』、から司馬しばさだの『史記しきさくかくれ』、からちょうまもるぶしの『史記しき正義まさよし』がのこっており、「さんいえちゅう」としょうされる。ぜんしょ単行本たんこうぼんがあるが、『史記しき正義まさよし』はさんちゅうごうていほん
6. 『史記しき』 【しき】
世界せかい文学ぶんがくだい事典じてん
形式けいしきは『史記しき』の紀伝きでんたいならっても,するど人間にんげん洞察どうさつき,高官こうかん官爵かんしゃく列記れっき集合しゅうごうした,史書ししょならぬ,履歴りれきしょしゅうしょとしがちで,『史記しき』の精神せいしん内容ないようはおおむね継承けいしょう
7. 【史記しき】しき
新選しんせん漢和かんわ辞典じてんWebばん
ふとしおおやけしょという。南朝なんちょうそうの裴駰(はいいん)の史記しきしゅうかい(しっかい)、とう司馬しばさだ(しばてい)の史記しきさくかくれ(さくいん)、ちょうまもるぶし(ちょうしゅせつ)の史記しき正義まさよし(せいぎ)のさんいえ
8. 史記しき著作ちょさくID:4362229)
しん日本にっぽん古典こてんせきデータベース
しき 太子たいしおおやけしょ 太子たいしおおやけ 司馬しば遷(しばせん) せん 
9. 史記しき著作ちょさくID:4405569)
しん日本にっぽん古典こてんせきデータベース
しき 
10. 史記しき刊行かんこう 見出みだ史記しき
古事ふるごとるいえん
文學部ぶんがくぶ ようまき だい3かん 1074ページ
11. 史記しき竟宴 見出みだ史記しき
古事ふるごとるいえん
文學部ぶんがくぶ ようまき だい2かん 509ページ
12. 讀書どくしょはじめ史記しきいち 見出みだ史記しき
古事ふるごとるいえん
文學部ぶんがくぶ ようまき だい3かん 247ページ
13. こう史記しきいち 見出みだ史記しき
古事ふるごとるいえん
文學部ぶんがくぶ ようまき だい2かん 847ページ
14. 史記しき(しきか)
古事ふるごとるいえん
文學部ぶんがくぶ ようまき だい3かん 212ページ
15. しき‐け【史記しき
日本にっぽん国語こくごだい辞典じてん
〕「史記しき」を研究けんきゅうし、てんくわえて訓読くんどく方式ほうしきをきめたひと。また、そのいえ仲間なかま。*史記しきしょう〔1477〕ろく項羽こうう本紀ほんぎいま史記しきいえ漢書かんしょとの読くせをるに史記しきいえてんなお
16. 『史記しきしょう
日本にっぽん年表ねんぴょう
1477ねん文明ぶんめい9 ちょうとり①〉 12・17 桃源とうげん瑞仙ずいせん史記しきしょうる。
17. しきしょう[シキセウ]【史記しきしょう
日本にっぽん国語こくごだい辞典じてん
桃源とうげん瑞仙ずいせんちょ文明ぶんめいきゅうねんいちよんなななな成立せいりつ史記しきについてこうじたもので、いわゆる抄物しょうものひとつ。講義こうぎ調ちょう用語ようごしるされており、当時とうじ言語げんご生活せいかつ資料しりょうとして貴重きちょう史記しき桃源とうげんしょう
18. しきしょう【史記しきしょう
国史こくしだい辞典じてん
む」(『東方とうほうがくほう京都きょうといち〇ノいち)、大塚おおつか光信みつのぶ史記しきしょうしょほん本文ほんぶん」(『国語こくご国文こくぶんさんさん)、寿ことぶきたけし章子あきこ史記しきしょう文章ぶんしょう」(どうさん)、史記しきしょう研究けんきゅうかいへん史記しき桃源とうげんしょうだか
19. 史記しき異字いじ著作ちょさくID:1184856)
しん日本にっぽん古典こてんせきデータベース
しきいじ 漢学かんがく 
20. 史記しきただし謬(著作ちょさくID:1185213)
しん日本にっぽん古典こてんせきデータベース
しききょうびゅう 古賀こが侗庵(こがどうあん) 漢学かんがく 
21. 史記しき觽(著作ちょさくID:31129)
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しきけい おか白駒しろこま(おかはっく) 漢学かんがく たかられきろくかん
22. 史記しきこう国字こくじかい著作ちょさくID:1185406)
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しきこうこくじかい 漢学かんがく 
23. 史記しきしょう著作ちょさくID:1186205)
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しきしょう 史記しきしゅうかい 史記しき桃源とうげんしょう 桃源とうげん史記しきしょう 桃源とうげん瑞仙ずいせん(とうげんずいせん) 漢学かんがく 注釈ちゅうしゃく 
24. 史記しき鈔(著作ちょさくID:308565)
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しきしょう 外国がいこく 明治めいじきゅう
25. 史記しきじゅうでん/項羽こうう著作ちょさくID:4401944)
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しきじゅうでん/こううき 
26. 史記しき助字じょじほう聞書ききがき著作ちょさくID:1186272)
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しきじょじほうききがき 語学ごがく 
27. 史記しき雕題(著作ちょさくID:1007574)
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しきちょうだい 中井なかい履軒りけん(なかいりけん) 漢学かんがく 文化ぶんかじょ
28. 史記しき雕題そぎかき著作ちょさくID:1007585)
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しきちょうだいさくし 中井なかい履軒りけん(なかいりけん) ちょ 竹島たけしま簣山(たけしまきざん) へん 漢学かんがく 
29. 史記しきどおり著作ちょさくID:3662020)
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しきつう 角田つのだ九華きゅうか(つのだきゅうか) 漢学かんがく 
30. 史記しきてんかんしょ図解ずかい著作ちょさくID:2821832)
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しきてんかんしょずかい 西村にしむらどおさと(にしむらとおさと) 天文てんもん たかられきよん
31. 史記しきてんかんしょ図解ずかい補注ほちゅう著作ちょさくID:2821843)
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しきてんかんしょずかいほちゅう てんかんしょ図解ずかい補註ほちゅう 天文てんもん図解ずかい補註ほちゅう 西村にしむらどおさと(にしむらとおさと) 天文てんもん たかられきよんじょ
32. 史記しき抜語/本紀ほんぎ著作ちょさくID:4357839)
しん日本にっぽん古典こてんせきデータベース
しきばつご/ほんぎ 
33. 史記しきひょうりん著作ちょさくID:4359808)
しん日本にっぽん古典こてんせきデータベース
しきひょうりん しのげややたかし(りょうちりゅう) へん ひかり縉(りこうしん)  
34. 史記しきりつれきしょかい著作ちょさくID:214482)
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しきりつれきしょかい 池永いけながあおい於亭(いけながへきおてい) こよみ よしみ永二えいじじょどうかん
35. 史記しきれきしょ/甲子きのえねへんかい著作ちょさくID:31265)
しん日本にっぽん古典こてんせきデータベース
しきれきしょ/かっしへんかい だい曾効(おおそいたる) 天文てんもん 
36. 史記しきれきしょかん窺(著作ちょさくID:4375180)
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しきれきしょかんき 猪飼いかい敬所けいしょ(いかいけいしょ) 漢学かんがく とおるもとじょ
37. 史記しきれきしょこう著作ちょさくID:290120)
しん日本にっぽん古典こてんせきデータベース
しきれきしょこう あきら(つあきら) 
38. 史記しきれきしょかい著作ちょさくID:4379479)
しん日本にっぽん古典こてんせきデータベース
しきれきしょのかい 
39. 史記しき列伝れつでんななひろえろくしょう名前なまえ著作ちょさくID:4357838)
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しきれつでんしちじゅうろくしょうなまえ 
40. 史記しき論文ろんぶん著作ちょさくID:4374193)
しん日本にっぽん古典こてんせきデータベース
しきろんぶん ひとしけん(ごせいけん) せん 
41. ためため
新選しんせん漢和かんわ辞典じてんWebばん
任命にんめいして雍王とした)〈史記しき項羽こうう本紀ほんぎ〉❷〈なる〉…になる。 「ちんわたる乃立ためおう(ちんしょう(せふ)すなわち(すなはち)たちておう(わう)となる)」(ちんわたるはそこでおう
42. 〓
新選しんせん漢和かんわ辞典じてんWebばん
宿将しゅくしょう(かくさくたるしゅくしょう)」〈史記しきしんりょうくん列伝れつでん〉 (オ)とりがなく。 ②ああ。おどろきのこえ
43. 〓
新選しんせん漢和かんわ辞典じてんWebばん
(ぶんのへいはしょうじんもってしなり)」(文明ぶんめいがすすむにつれて、つまらない人間にんげん誠実せいじつさがなくなってくる。)〈史記しき高祖こうそ本紀ほんぎ(こうそほんぎ)〉 ②粗野そや(そや)な。
44. 史記しき竟宴 見出みだ:竟宴)
古事ふるごとるいえん
文學部ぶんがくぶ ようまき だい2かん 509ページ
45. たいおおやけ助字じょじほう著作ちょさくID:356343)
しん日本にっぽん古典こてんせきデータベース
たいしこうじょじほう 史記しき助字じょじほう 皆川みなかわ淇園きえん(みながわきえん) ちょ れいりゅう(れいきりゅう) おか彦良(おかげんりょう) へん 語学ごがく たかられきいちかん
46. 誹諧はいかい根源こんげんしゅう著作ちょさくID:1578058)
しん日本にっぽん古典こてんせきデータベース
はいかいこんげんしゅう 根源こんげんしゅう 史記しき滑稽こっけいでんどおり俗解ぞっかい もとがい(そがい) へん 俳諧はいかい 寛政かんせいきゅう自序じじょどういちさんかん
47. 『だい史記しき
日本にっぽん年表ねんぴょう
1150ねん久安ひさやす6 庚午こうご〉 このとし そうきゃく りゅうぶん来日らいにちし、藤原ふじわらよりゆきちょうに 『だい史記しき』 『とうしょ』 などの史書ししょおくる(宇槐しょう仁平にだいら元年がんねんきゅうがつよんにちじょう)。
48. ごだいしき【だい史記しき
日本にっぽん国語こくごだい辞典じてん
「ごだいし(だい)〔〕」におなじ。
49. さん国史こくし
日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ
朝鮮ちょうせんしん(しらぎ)、高句麗こうくり(こうくり)、百済くだら(くだら)さんこく歴史れきししるした書籍しょせき朝鮮ちょうせん現存げんそん最古さいこ歴史れきししょで、古代こだい研究けんきゅう基本きほん史料しりょう高麗こうらい(こうらい)、ひとしそう(じんそう)の
50. さん国史こくし
世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん
朝鮮ちょうせん古代こだいしん高句麗こうくり百済くだら3こくかんする歴史れきししょ。1145ねん金富かなとみ軾らが編纂へんさんしたかんせんしょぜん50かんで,しん本紀ほんぎ(1~12),高句麗こうくり本紀ほんぎ(13~22),百済くだら本紀ほんぎ(23
史記しき」の情報じょうほうだけではなく、「史記しき」にかんするさまざまな情報じょうほう同時どうじ調しらべることができるため、幅広はばひろ視点してんからることができます。
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史記しき世界せかい文学ぶんがくだい事典じてん世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん
中国ちゅうごく史書ししょ代表だいひょうする歴史れきし名著めいちょであり,かつ伝記でんき文学ぶんがく傑作けっさくぜん130かん前漢ぜんかん司馬しば遷のしるぜん91(たけみかどせい2)ねんころ完成かんせい。もと『ふとしおおやけしょ』としょうされた。〈ふとしおおやけ〉は司馬しば遷とそのちち司馬しばだん(しばたん)の官職かんしょくたいれい自称じしょうしたもの。司馬しば遷はちちだん意志いし継承けいしょうして
漢書かんしょ世界せかい文学ぶんがくだい事典じてん国史こくしだい辞典じてん世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん
中国ちゅうごく史書ししょこうかんはんかたせん(せん)。かん高祖こうそからおう莽(おうもう)政権せいけん崩壊ほうかいいたるまで,じゅうだい,230年間ねんかん前漢ぜんかん歴史れきし記述きじゅつする。中国ちゅうごく正史せいしひとつ。本紀ほんぎ12かんひょうかんこころざし10かん列伝れつでん70かんからなり,わせて100かんこうかんあかりみかどなが平年へいねんあいだ(58−75)に
三国志さんごくし世界せかい文学ぶんがくだい事典じてん国史こくしだい辞典じてん世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん
中国ちゅうごくさんこく時代じだい(220−280)をえが歴史れきししょすすむ(しん)のちん寿ひさしせん(せん)。65かんこうかんまつはば(こうきん)のらん(184)以後いご混乱こんらんはやがて収束しゅうそくし,中原なかはらめるたかし(ぎ),淮水(わいすい)以南いなん支配しはいする四川しせんしょう本拠ほんきょとするしょく(しよく)のさんこく鼎立ていりつ
すすむしょ国史こくしだい辞典じてん世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん
中国ちゅうごくすすむあさ正史せいしみかどじゅうこころざしじゅう列伝れつでんななじゅうさんじゅうけいひゃくさんじゅうかんからふとしむね勅命ちょくめいさだかんじゅうねんろくよんろくうるうさんがつ)により、つかさそらぼうげんよわい中書ちゅうしょれいとげ以下いかさんじゅうめい高官こうかん学者がくしゃ参加さんかさんねんたらずで完成かんせい奏上そうじょうされた。一般いっぱんじゅうはちいえすすむしょ総称そうしょうされる先行せんこう史籍しせき総括そうかつ
そうしょ国史こくしだい辞典じてん日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ
中国ちゅうごく南朝なんちょうりゅうそう正史せいし著名ちょめい文人ぶんじん官僚かんりょう沈約せんひゃくかんやくひゃくよんじゅうまん巻末かんまつ自序じじょ編纂へんさん経緯けいいつたえ、それによればそうじょ爰らの『国史こくし』などにおおり、ひとしえいあきらねんよんはちななはる勅命ちょくめいけて撰集せんしゅうしたがい、翌年よくねんがつじゅうかん列伝れつでんろくじゅうかん完成かんせい奏上そうじょう、のちこころざしさんじゅうかんつづけした
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野白のばく内証ないしょうかん日本にっぽん古典こてん文学ぶんがく全集ぜんしゅう
野白のばく内証ないしょうかんいちこれかん目録もくろく自分じぶん行状ぎょうじょう弁解べんかいをした野郎やろうはなし秘密ひみついろあそびはばれたが、はじめよりすえいたって情勢じょうせい好転こうてんした野郎やろう大臣だいじん。その相手あいてはねぶりのよい撞木しゅもくまち女郎じょろう悪性あくせいをささやいてすすめるみみづか籠屋かごやきゃくはだせない白人はくじんはなし 外面がいめん菩薩ぼさつのようだが内情ないじょう
豊後ぶんごこく風土記ふどき日本にっぽん古典こてん文学ぶんがく全集ぜんしゅう
豊後ぶんごくにぐんはちしょ、〔さとよんじゅうさとひゃくじゅうえききゅうしょ、〔みな小路こうじ〕烽はしょ、〔みなこくてらしょひとつはそうてらひとつはあまてら〕である。

豊後ぶんごくには、ほん豊前ぶぜんくにわせてひとつのくにであった。むかしまといむこうにちだいみや天下てんかをおおさめになった大足おおあし彦の天皇てんのう
魯迅ろじん その文学ぶんがく革命かくめい東洋文庫とうようぶんこ
中国ちゅうごく近代きんだい文学ぶんがくちちであり,偉大いだい思想家しそうかでもある魯迅ろじんは,知識ちしきじんとしての苦悩くのうのなかで,中国ちゅうごくの「寂寞せきばく」をつめ,みずからをもきずつける「革命かくめい」を志向しこうする。著者ちょしゃ会心かいしん魯迅ろじんでん。1965ねん07月刊げっかん
論語ろんごちょう東洋文庫とうようぶんこ
はたかん以前いぜん文辞ぶんじたいする確固かっこたる自信じしんから孔子こうし言論げんろんみとく,論語ろんご注釈ちゅうしゃくのなかでもっとも論争ろんそうてき注釈ちゅうしゃくしょ卓抜たくばつした孔子こうしろん展開てんかいするとともに,徂徠そらい自身じしん思想しそう開陳かいちんする。だいかんは,がく而,為政いせいはち佾,里仁さとにおおやけ冶長,雍也,じゅつ而,たいはく。1994ねん03月刊げっかん
近世きんせい和歌集わかしゅう日本にっぽん古典こてん文学ぶんがく全集ぜんしゅう
年内ねんない立春りっしゅん 去年きょねん今年ことしほんいとぐちわせてけておなねん一本いっぽんにまとまらないように、こんがらがってなかなか理解りかいできないはるはやってた。やや趣向しゅこうたおれのかんがある。長嘯ちょうしょうとしては機知きちはたらかせたのだろうが。うぐいす 軒端のきばうめいていて、いちばんちゅううぐいす到来とうらい
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