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漢書/卷044 - 维基文库,自由的图书馆 とべ转到内容ないよう

漢書かんしょ/まき044

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 酈陸しゅりゅう叔孫でん だいじゅうさん 漢書かんしょ
まきよんじゅうよん 淮南ワイナン衡山ずみきたおうつたえ だいじゅうよん
蒯伍こういきおっとでん だいじゅう 

淮南ワイナンおう

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淮南ワイナン厲王ちょうこうみかど少子しょうし也,其母ちょうおうちょう敖美じんこうみかどはちねんしたがえ東垣ひがしがきちょうちょうおうけんじ美人びじん,厲王はは也,みゆきゆうちょうおう敢內みやためちく外宮げくうしゃ。及貫高等こうとう謀反ぼうほんごとさとし,并逮おうつきおうはは兄弟きょうだい美人びじん,繫之かわ內。厲王ははまた繫,つげ吏曰:「にちとくこうじょう有子ゆうこ。」吏以聞,上方かみがたいかちょう及理厲王はは,厲王ははおとうとちょうけんいん辟陽こうげんりょきさきりょきさき妒,肯白,辟陽こうつよしそう。厲王ははやめなま厲王,恚。そく自殺じさつ。吏奉厲王まいじょううえ悔,れいりょきさきはは,而葬其母じょうじょう,厲王ははけん也。

じゅういちねん淮南ワイナンおうぬのはんじょうしょう擊滅げきめつぬのそく立子たつこちょうため淮南ワイナンおうおうしつははつねりょきさき孝惠たかえりょきさき以故とくこう患,しかつねしん怨辟こう敢發。及孝ぶんはつ即位そくい以為さいおやおごあしなえすうたてまつほううえひろし赦之。さんねん入朝にゅうちょう,甚橫。したがえじょうにゅうえんりょうあずかじょうどう輦,つねいいじょう大兄たいけい」。厲王ゆうざいりょくちから扛鼎,乃往請辟こう。辟陽こうこれそくそできんしいしいいのち從者じゅうしゃけいはせまい闕下,にく袒而しゃ曰:「しんはは不當ふとうすわちょう時事じじ,辟陽こうりょくのうどくりょきさきそうつみ一也かずやちょうおう如意にょいはは無罪むざいりょきさきころせこれ,辟陽こうそうつみ也。りょきさきおうしょりょよく以危りゅう,辟陽こうそうつみ三也みつやしん謹為天下でんか誅賊,ほうははかたきふく下請したうけざい。」ぶんみかどきず其志,ためおや不治ふち,赦之。

とううすきふとしきさき太子たいししょ大臣だいじんみなはばか厲王。厲王以此歸國きこくえきほしいまま不用ふようかんほう出入でいり警蹕けいひつしょうせい自作じさく法令ほうれいすう上書うわがき不遜ふそんじゅんぶんみかどおもきりせめときみかどしゅうとうすきあきらため將軍しょうぐん尊重そんちょううえれいあきら厲王しょ諫數,曰:

竊聞大王だいおう剛直ごうちょく而勇,慈惠じえ而厚,さだしんじだんてん以聖じんたてまつ大王だいおう也甚もり不可ふか察。こん大王だいおう所行しょぎょうしょう天資てんし皇帝こうていはつ即位そくいえきこう邑在淮南ワイナンしゃ大王だいおう肯。皇帝こうていそつえき使つかい大王だいおうとくさんけん,甚厚。大王だいおう以未嘗與皇帝こうていしょうもとめ入朝にゅうちょう畢昆おとうと歡,而殺列侯れっこう以自ためめい皇帝こうてい使つかい吏與其間,赦大おう,甚厚。かんほうせんせきかけ,輒言かんおぎなえ大王だいおう逐漢しょおけ,而請おけしょうせんせき皇帝こうてい骫天正法しょうぼう而許大王だいおう,甚厚。大王だいおうよく屬國ぞっこくため布衣ふいまもり冢真じょう皇帝こうていもと使つかい大王だいおう毋失南面なんめんみこと,甚厚。大王だいおうよろし日夜にちやたてまつ法度はっとおさむみつぎしょく,以稱皇帝こうていあつとくこん乃輕ごとほしいままぎょう,以負そし於天,甚非けい也。

おっと大王だいおう以千さとためたく,以萬民ばんみんためしんわらわ,此高皇帝こうていあつ德也とくやこうみかどこうむしも,沬風,赴矢せき野戰やせんじょう創痍そうい,以為子孫しそんなりまんせいこれぎょう艱難かんなん危苦甚矣。大王だいおうおもえ先帝せんてい艱苦かんくにちよる怵惕,修身しゅうしん正行まさゆきやしなえ犧牲ぎせいゆたかきよししとぎもりたてまつ祭祀さいし,以無忘先帝せんてい功德くどく,而欲屬國ぞっこくため布衣ふい,甚過。且夫むさぼゆずる國土こくどけいはい先帝せんていこれぎょう不可ふか以言こうちち為之ためゆきもと,而不能ふのうもりけんもとめもりちょうりょう,而求じょうさきははちちよしみかずぎゃく天子てんしれい不順ふじゅんげんぶしぎょう以高けい無禮ぶれいこうしん有罪ゆうざいだいしゃたてだん小者こものにくけい不仁ふじん布衣ふいいちけんにん,賤王こうくらい不知ふちこう學問がくもん大道だいどうさわじょう妄行,しょう。此八しゃ,危亡みち也,而大おうぎょう。棄南めんくらい,奮諸、賁之いさむつね出入でいり危亡みちしん所見しょけんこう皇帝こうていかみ必不びょうしょく於大おだいおう明白めいはく

むかししゃしゅうこう誅管叔,蔡叔,以安しゅうひとし桓殺其弟,以反こくはたはじめすめらぎころせりょうおとうと,遷其はは,以安しんごろおうほろびだいこうみかどだつこれこく,以便ごとずみきた舉兵,皇帝こうてい誅之,以安かんしゅうひとしぎょう於古,はたかんよう於今,大王だいおう古今ここん所以ゆえん安國やすくに便びんごと,而欲以親戚しんせきもち於太じょう不可ふかとく也。ほろび諸侯しょこうゆう宦事じん,及舍匿者,ろんみなゆうほう。其在おうしょ,吏主しゃすわこん諸侯しょこうため吏者,しゅためぐん吏者,中尉ちゅういぬしきゃく出入でいり殿どのもんしゃまもるじょうだいぎょうぬししょしたがえ蠻夷ばんいらいよしみ及以ほろび名數めいすういにしえしゃ,內史縣令けんれいぬしあいよく吏,あずか其禍,不可ふかとく也。おうわかあらためかん繫大おうていろんしょう以下いか為之ためゆき奈何いかんおっと墮父大業おおわざ退すさため布衣ふいしょあいこうしんみなふくほう而誅,ため天下でんかわらい,以羞先帝せんていとく,甚為大王だいおう也。

むべきゅうあらためみさおえきぎょう上書うわがき謝罪しゃざい,曰:「しん不幸ふこうはやしつ先帝せんていしょうりょ嘗忘陛下へいか即位そくいしん怙恩とくおごみつるぎょう不軌ふきついねん罪過ざいか恐懼きょうくふくまち誅不敢起。」皇帝こうてい聞之必喜。大王だいおうこんおとうと歡欣於上,群臣ぐんしんみなとく延壽えんじゅ於下おした上下じょうげどくむべうみ內常やすねがい孰計而疾ぎょうくだりゆううたぐわざわい如發不可ふかついやめ

おうとくしょせつろくねんれい男子だんしただしとうなな十人與棘蒲侯柴武太子奇謀,以輦しゃよんじゅうじょうはん谷口たにぐちれいひと使閩越、匈奴きょうどことさとし治之はるゆき,乃使使召淮みなみおう

おういたる長安ながやす丞相じょうしょうちょうあおてんきゃく馮敬ぎょう大夫たいふごとあずかそうただし、廷尉ざつそう:「ちょうはい先帝せんていほう天子てんしみことのりきょしょためぶた儗天,擅為法令ほうれい不用ふようかんほう。及所おけ吏,以其ろうちゅうはるため丞相じょうしょうおさむ聚漢諸侯しょこうじん及有ざい亡者もうじゃ,匿與ためしつたまものあずか財物ざいぶつ爵祿しゃくろくたく,爵或いたりせき內侯,たてまつせんせきしょとうとく大夫たいふただしひらけあきらとうなな十人與棘蒲侯太子奇謀反,よく以危宗廟そうびょう社稷しゃしょくはかりごと使閩越及匈やつはつ其兵。ことさとし長安ながやすじょうとう往捕ひらけあきらちょう匿不あずか中尉ちゅうい蕑忌はかりごところせ閉口へいこうためかん槨衣ふすまそうこえりょう,謾吏曰『不知ふち安在あんざい』。また聚土,ひょう其上曰『ひらくあきらそう此下』。及長身ちょうしんぞくころせ無罪むざいしゃ一人ひとりれい吏論ころせ無罪むざいしゃろくにんため亡命ぼうめい棄市いつわりいのちしゃ以除ざい;擅罪じんつげ劾繫じょうだん以上いじょうじゅうよんにんはい免罪めんざいじん死罪しざいじゅうはちにんしろだんうす以下いかじゅうはちにんたまもの人爵じんしゃくせき內侯以下いかきゅうじゅうよんにんぜん日長ひながびょう陛下へいか心憂こころうこれ使つかい使者ししゃたまものなつめ脯,なが肯見はい使者ししゃ南海なんかいみんしょいおりかいちゅうしゃはん淮南ワイナン吏卒げき陛下へいか使者ししゃ齎帛じゅうひき,以賜吏卒勞苦ろうくしゃながよく受賜,謾曰『勞苦ろうくしゃ』。南海なんかいおう上書うわがきけんじ璧帛皇帝こうてい擅燔其書,以聞。吏請召治なが,謾曰『びょう』。長所ちょうしょはん不軌ふきとう棄市,しん請論如法にょほう。」

せい曰:「ちんにんおけほう於王,其與列侯れっこうせんせき。」列侯れっこう千石臣嬰等四十三人議,みな曰:「むべろん如法にょほう。」せい曰:「其赦ちょう死罪しざいはい勿王。」有司ゆうしそう:「請處しょくげんどう邛郵,其子、ははしたがえけんためちくぶたしつみなさんしょくきゅうたきぎさいしお炊食せき蓐。」せい曰:「しょくちょうきゅうにくきんさけれい美人びじんざいじんとくこうしゃじゅうにんしたがえきょ。」於是つき所與しょよはかりごとしゃ。乃遣ちょう以輜しゃれいけんでん

爰盎諫曰:「うえもとおご淮南ワイナンおう不為ふためおけげんしょうでん,以故いたり此。且淮みなみおうためじんつよしこん暴摧おりしんおそれ其逢きり病死びょうし陛下へいかゆうころせおとうと奈何いかん!」じょう曰:「われとくみみれいふく。」淮南ワイナンおういい侍者じしゃ曰:「だれいい乃公勇者ゆうしゃわれ以驕聞過,いたり此。」乃不しょく而死。けんでんしゃ敢發しゃふういたり雍,雍令はつ,以死聞。うえ悲哭,いい爰盎曰:「われしたがえ公言こうげんそつほろび淮南ワイナンおう。」盎曰:「淮南ワイナンおう不可ふか奈何いかんねがい陛下へいかひろし。」じょう曰:「為之ためゆき奈何いかん?」曰:「どく丞相じょうしょう以謝天下でんか乃可。」じょうそくれい丞相じょうしょう逮諸けんでん淮南ワイナンおう不發ふはつふう餽侍しゃみな棄市。乃以列侯れっこうそう淮南ワイナンおう于雍,おけもりさんじゅういえ

孝文たかふみはちねん,憐淮みなみおうおう有子ゆうこよんにんとしみなななはちさい,乃封子安こやすため阜陵こう勃為安陽あんようこうたまものためしゅうこうりょうため東城とうじょうこう

じゅうねん民有みんゆう作歌さっか淮南ワイナンおう曰:「いちしゃくぬのなおぬいいちあわなおうす兄弟きょうだいにんあいよう!」上聞じょうぶん曰:「むかし堯舜放逐ほうちく骨肉こつにくしゅうこうころせかん蔡,天下てんかたたえきよし以私がいこう天下てんかあに以為わがむさぼ淮南ワイナンよこしま?」乃徙城陽じょうようおうおう淮南ワイナン,而追みことおくりな淮南ワイナンおうため厲王,おけえん如諸こう

じゅうろくねんうえ憐淮みなみおうはいほう不軌ふき使つかいしつこくはや夭,乃徙淮南ワイナンおうふくおう城陽じょうよう而立じりつ厲王三子王淮南故地,さんふん:阜陵こうやすため淮南ワイナンおう安陽あんようこう勃為衡山おうしゅうこうたまものためいおりおう東城とうじょうほうりょうぜん薨,

こうけいさんねんすわえななこくはん使者ししゃいたり淮南ワイナン淮南ワイナンおうよくはつへいおう。其相曰:「おう必欲おうくれしんねがいためしょう。」おう乃屬あいやめ將兵しょうへいいんじょうもり聽王而為かんかんまた使つかいきょくしろこう將兵しょうへいすくい淮南ワイナン淮南ワイナン以故とくかん使者ししゃいたりいおりこういおりこうおうおう,而往來おうらい使えついたり衡山,衡山おう堅守けんしゅ二心ふたごころこうけいよんねんすわえやめやぶ,衡山王朝おうちょううえ以為さだしんじ,乃勞曰:「南方なんぽう卑溼。」徙王おう於濟きた以褒。及薨,とげたまものおくりなためさだおういおりおう以邊えつかず使つかい使しょう交,徙為衡山おうおう江北こうほく

淮南ワイナンおうやすためじんこのみしょつづみきん弋獵いぬ馬馳まばせ騁,またよく以行陰德いんとく拊循百姓ひゃくしょうりゅう名譽めいよ招致しょうち賓客ひんきゃく方術ほうじゅつすうせんにん作為さくい內書じゅういちへんそとしょ甚眾,またゆう中篇ちゅうへんはちかんげん神仙しんせん黃白こうはくじゅつまたじゅうあまり萬言まんげんときたけみかどかたこう藝文げいぶん,以安ぞくためしょちちべんはくぜんため文辭ぶんじ,甚尊重そんちょうまいためほうしょ及賜,つね召司しょう如等くさ乃遣。はつやす入朝にゅうちょうけんじ所作しょさ內篇,新出にいでうえあい使つかいためはなれ騷傳,だん受詔,日食にっしょくじょうまたけんじ頌德及長安ながやすこく頌。まいうたげだん說得せっとくしつ及方わざ頌,昏莫しかやめ

やすはつ入朝にゅうちょうまさよしふとしじょう武安たけやすこう武安たけやすこうむかえ霸上,與語よご曰:「方今ほうこんじょう太子たいしおうちかしだか皇帝こうていまごぎょう仁義じんぎ天下てんか莫不聞。みやしゃいちにち晏駕,おうなおだれりつしゃ!」淮南ワイナンおう大喜だいぎあつのこ武安たけやすこうたからまいない。其群臣ぐんしん賓客ひんきゃくこう淮間輕薄けいはく,以厲おう遷死感激かんげきやすけんもとろくねん彗星すいせい淮南ワイナンおうこころかいあるせつおう曰:「さきくれぐん彗星すいせいちょうすうしゃくしかなお流血りゅうけつ千里せんりこん彗星すいせい竟天,天下てんかへいとう大起だいき。」おうこころ以為じょう太子たいし天下てんかゆうへん諸侯しょこうなみそういよいよ益治ますじおさむせんせき金錢きんせんまいないのこぐんこく遊士ゆうし妄作妖言ようげん阿諛あゆおうおうたまもの

おうゆうおんなりょうとしゆうこうおうあいりょう金錢きんせんためちゅう詗長やすやくゆいじょう左右さゆうもとついたちねんうえたまもの淮南ワイナンおう几杖,あさきさき荼愛こう生子おいご遷為太子たいし皇太后こうたいごう外孫そとまご修成しゅうせいくんおんなため太子たいしおうはかりごとためはんかしこ太子たいし而內泄事,乃與太子たいしはかりごとれいいつわりあいさんがつ同席どうせきおうよういか太子たいし,閉使あずかどう內,おわりこんもとめおう上書うわがきしゃきさき荼、太子たいし遷及おんなりょう擅國けんだつ民田たみだたく,妄致繫人。

太子たいしがくようけん以為じん莫及,聞郎ちゅうかみなりたくみ,召與おどけいちさいゆずるあやまちゅう太子たいし太子たいしいかおそれ。此時ゆうよく從軍じゅうぐんしゃ輒詣長安ながやすそくねがい奮擊匈奴きょうど太子たいしすうあくおう使ろうちゅうれい斥免,よく以禁もとついたちねんとげほろび長安ながやす上書うわがき自明じめいこと廷尉、河南かなん河南かなん,逮淮みなみ太子たいしおうおうきさきけいよく毋遣太子たいしとげはつへいけい未定みていなおあずかじゅうにちかいゆうみことのりそく太子たいし淮南ワイナンしょういかことぶきはるすすむとめ太子たいし逮不,劾不けいおう請相,あい聽。おう使じん上書うわがきつげしょうこと廷尉したがえあとれんおうおう使つかいじんこうかん公卿くぎょう逮捕たいほおうおうおそれよくはつへい太子たいし遷謀曰:「かん使そく逮王,れいじんころも衛士えじころももち戟居おうつくりゆうしゃそく刺殺しさつしんまた使つかいじん刺殺しさつ淮南ワイナン中尉ちゅうい,乃舉へいばん也。」これじょうもと公卿くぎょう,而遣かん中尉ちゅういひろしそく訊驗おうおうかん中尉ちゅうい顏色かおいろもん斥雷ことみみなに不發ふはつ中尉ちゅういかえ,以聞。公卿くぎょう治者ちしゃ曰:「淮南ワイナンおうやす雍閼もとめ奮擊匈奴きょうどしゃかみなりとうかくあかりみことのりとう棄市。」みことのりもと。請廢勿王,うえもと。請削けんけん使つかい中尉ちゅういひろし赦其ざいばっ以削中尉ちゅういいれ淮南ワイナンかい宣言せんげん赦王。おうはつ公卿くぎょう請誅知得ちとくそぎ,聞漢使らいおそれ其捕,乃與太子たいしはかりごと如前けい中尉ちゅういいたりそくおうおう以故不發ふはつ。其後きず曰:「われ行仁ぎょうにん義見よしみそぎ,寡人甚恥。」ためはんはかりごとえき甚。しょ使者ししゃ道長みちなが安來やすぎため妄言ぼうげん言上ごんじょうおとこそくげんかん廷治,有男くにおそくいか,以為妄言ぼうげん也。

日夜にちやあずかひだりひとし按輿地圖ちず部署ぶしょへいしょしたがえいれおう曰:「うえ太子たいしみやしゃそく晏駕,大臣だいじん必徵にかわひがしおうそくつね山王さんのう諸侯しょこうなみそうわれ以無備乎!且吾だかみかどまごおやぎょう仁義じんぎ陛下へいかぐうわがあつわれのうにんまんせいこれわれやすしのう北面ほくめんごと豎子じゅし乎!」

おうゆう孽子がい最長さいちょうおうあいきさき太子たいしみな以為けいすうがいけんざいだかゆうつね怨望太子たいししょう其父。とき諸侯しょこうみな得分とくぶん子弟していためこう淮南ワイナンおうゆう兩子ふたご一子いっしため太子たいし,而建ちちとくためこうかげゆい交,よくがい太子たいし,以其ちちだい太子たいし知之ともゆきかず繫笞けん建具たてぐ太子たいしよく謀殺ぼうさつかん中尉ちゅういそく使つかいしょぜんことぶきはる嚴正げんせい上書うわがき天子てんし曰:「毒藥どくやくこうびょう忠言ちゅうげんぎゃくみみ利行としゆきこん淮南ワイナンおうまご建材けんざいのうだか淮南ワイナンおうきさき荼、荼子遷常やましがいけんけんちちがい無罪むざい,擅數繫,よくころせこれこんけんざいちょうとえ淮南ワイナンおうかげごと。」しょすんで聞,うえ以其ごと廷尉、河南かなんとしもとついたちろくねん也。辟陽こうまごしんきょうぜん丞相じょうしょう公孫こうそんひろし,怨淮みなみ厲王ころせ其大ちちかげもとめ淮南ワイナンごと而搆於弘。ひろ乃疑淮南ワイナンゆうほとりぎゃくけいふかさがせ其獄。河南かなんけん太子たいし及黨あずか

はつおうすう以舉へいはかりごとといつね諫之,以吳すわえななこくためこうおう引陳しょうひろふくごと形勢けいせい不同ふどう,必敗亡はいぼう。及建おうおそれこくかげごと泄,よくはつふくといためげんはつ兵權へいけんへんかたりざいつて。於是おうするどほっはつ,乃令かんやつにゅう宮中きゅうちゅうさく皇帝こうてい璽,丞相じょうしょう大夫たいふ將軍しょうぐん、吏中せんせきかんれいすすむしるし,及旁きんぐん太守たいしゅじょうしるしかん使節しせつほうかんむりよく如伍けい使つかい人為じんいとくざい而西,事大じだい將軍しょうぐん丞相じょうしょういちにちはつへいそくとげ大將軍だいしょうぐんまもるあお,而說丞相じょうしょうひろ,如發こうむみみよくはつ國中くになかへいおそれしょうせんせき聽,おう乃與はかりごとため失火しっか宮中きゅうちゅうそうせんせきすくいいんころせこれまたよくれいじんころももとむぬすめころもげきしたがえ南方なんぽうらいよびげん曰「南越なんごしへいいれ」,よくいん以發へい。乃使じんいおりこうかい稽為もとめぬすめ未決みけつ

廷尉以建れん太子たいし遷聞,うえ廷尉かんあずか淮南ワイナン中尉ちゅうい逮捕たいほ太子たいしいたり淮南ワイナンおう聞,與太よたはかりごと召相、せんせきよくころせ而發へい。召相,そういたり;內史以出ためかい中尉ちゅうい曰:「しん受詔使とくおう。」おうねんどくころせしょう而內中尉ちゅうい無益むえき也,そくやめしょうけいなおあずか未決みけつ太子たいしねんしょすわしゃ謀殺ぼうさつかん中尉ちゅうい所與しょよ謀殺ぼうさつしゃやめ,以為こうぜっ,乃謂おう曰:「群臣ぐんしん可用かようしゃみなぜん繫,こんあしあずか舉事しゃおう非時ひじはつこわこうしんねがいかい逮。」おうまたいよいよよくきゅうそくもと太子たいし太子たいしけいことまい吏,つげあずか淮南ワイナンおう謀反ぼうほん。吏因太子たいしおうきさきかこえ王宮おうきゅうつきおう賓客ひんきゃく在國ざいこくちゅうしゃさくとくはん以聞。上下じょうげ公卿くぎょうしょれん引與淮南ワイナンおう謀反ぼうほん列侯れっこうせんせきごう桀數せんにんみな以罪輕重けいちょう受誅。

衡山おう

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衡山おうたまもの淮南ワイナンおうおとうととうすわおさむ有司ゆうし逮捕たいほ衡山おううえ曰:「諸侯しょこうかく以其こく為本ためもと不當ふとうしょうすわあずか諸侯しょこうおう列侯れっこう。」ちょうおう彭祖、列侯れっこうゆずるとうよんじゅうさんにんみな曰:「淮南ワイナンおうやす大逆無道だいぎゃくむどう謀反むほん明白めいはくとうふく誅。」にかわ西にしおうはし曰:「やすはい法度はっとぎょうよこしま辟,ゆう詐偽さぎしん,以亂天下でんか,營惑百姓ひゃくしょうほとり宗廟そうびょう,妄作妖言ようげん春秋しゅんじゅう曰『しん毋將,はた而誅。』やすざいじゅう於將,謀反むほんがたやめじょうしんはし所見しょけん其書しるし及它ぎゃくほろびどうごとけん明白めいはくとうふくほうろんこくひゃくせき以上いじょう及比しゃ宗室そうしつきんこうしん不在ふざいほうちゅうしゃ不能ふのうしょうきょうみなとうめんそぎ爵為,毋得かんため吏。其非吏,它贖死金しにがねきんはちりょう,以章安之やすゆきざい使つかい天下でんか明知めいち臣子しんしみち,毋敢ふくゆうよこしまへきほとり。」丞相じょうしょうひろし、廷尉とう以聞,上使じょうしそうただし以符節治せつじおういたりやすけいころせきさき太子たいししょ所與しょよはかりごとみなおさむえびすくにじょためきゅうぐん

衡山おうたまものきさきじょう舒生さんにん長男ちょうなん爽為太子たいし次女じじょさいしょうおとここうひめじょ來生きすぎ男女だんじょよんにん美人びじん厥姬生子おいご二人ふたり淮南ワイナン、衡山しょうせめもち禮節れいせつあいだ相能あいのう。衡山おう聞淮みなみおう作為さくいほとりぎゃくまたこころゆい賓客ひんきゃく以應おそれ為所しどころ并。

もとひかりろくねん入朝にゅうちょう,謁者まもるけいゆう方術ほうじゅつよく上書うわがきごと天子てんしおういか劾慶死罪しざいつよ榜服。內史以為,卻其ごくおう使じん上書うわがきつげ內史,內史げんおうじきまたかずおかせだつひと,壞人冢以為田ためだ有司ゆうし請逮衡山おううえもとためおけひゃくせき以上いじょう。衡山おう以此恚,あずか奚慈、ちょうひろあきらはかりごともとめのうため兵法ひょうほうこうぼししゃにちよるたて臾王謀反ぼうほんごと

きさきじょう舒死,たてじょらいためきさき,厥姬俱幸。りょう人相にんそう妒,厥姬乃惡じょらい太子たいし,曰「じょらい使つかい婢蠱ころせ太子たいしはは。」太子たいしこころ怨徐らいじょらいあにいたり衡山,太子たいしあずかいん,以刃けいきずきさき以此怨太すうあく於王。おんなおとうとさいよめ,棄歸,あずかきゃくかん太子たいしすう以數ゆずるさいいか與太よたどおりきさき聞之,そくぜんぐうさい及孝。こうしょうしつははきさききさき以計あいあずかきょう太子たいしおう以故すう繫笞太子たいしもとついたちよんねんちゅうにんゆうぞくきずきさきかりははしゃおううたぐ太子たいし使じんきずむち太子たいしこうおうびょう太子たいししょうびょうさむらいこうさいあく太子たいし:「じつやまいげん有喜うきしょく。」おう於是だいいかよくはい太子たいし而立じりつおとうとこうきさきおうけつはい太子たいしまたよく并廢こうきさきゆう侍者じしゃぜんまいおうみゆききさきほっれいあずかこうらん以污よく并廢二子而以己子廣代之。太子たいし知之ともゆきねんきさきすうあくおのれやめほしあずからん以止其口。きさきいん太子たいし太子たいしぜんためことぶきいんよりどころきさきまたもとめあずかきさきいか,以告おうおう乃召,よくばくむち太子たいしおうつねよくはいおのれ而立じりつこう,乃謂おう曰:「こうあずかおう御者ぎょしゃかんさいあずかやつかんおうつよししょく,請上書うわがき。」そくおうおう使じんとめ,莫能きんおう乃自つい太子たいし太子たいし妄惡ごとおう械繫宮中きゅうちゅう

こうえき以親こうおうこうざいのう,乃佩おうしるしごう曰將ぐん今居いまいそと給金きゅうきんぜに招致しょうち賓客ひんきゃく賓客ひんきゃく來者らいしゃほろ淮南ワイナン、衡山ゆうぎゃくけいみなはたやしなえすすむこれおう乃使こうきゃくじんまい赫、ちん喜作きさく輣車きたえこく天子てんし璽,はたそうぐん吏印。おう日夜にちやもとめ壯士そうし如周おかとうすうしょう引吳すわえはん時計とけい約束やくそく。衡山おう敢效淮南ワイナンおうもとむそく天子てんしかしこ淮南ワイナンおこり并其こく,以為淮南ワイナンやめ西にしはつへい定江さだえ淮間而有もち如是にょぜ

もとついたちねんあきとうあさろくねん淮南ワイナン淮南ワイナンおう乃昆おとうとじょぜんすき約束やくそくはん。衡山おうそく上書うわがきしゃびょううえたまものあさ。乃使じん上書うわがき請廢太子たいし爽,たてこうため太子たいし。爽聞,そく使つかいしょぜんしろ嬴之長安ながやす上書うわがきげん衡山おうあずかはかりごとぎゃくこと孝作こうさくへいしゃきたえあずかおう御者ぎょしゃかんいたり長安ながやす上書うわがきそく吏捕嬴,以淮みなみごと繫。おう聞之,おそれ其言こくかげごとそく上書うわがきつげ太子たいし,以為みちこと沛郡もとかり元年がんねんふゆ有司ゆうしもとめあずか淮南ワイナンおう謀反ぼうほんしゃとくひね於孝。吏劾こうくび匿喜。こう以為ひねみやびすうあずかおうけいはんおそれ其發,聞律さきつげじょ其罪,またうたぐ太子たいし使しろ上書うわがきはつ其事,そくさきつげ所與しょよ謀反ぼうほんしゃまい赫、ちんとう。廷尉ことけん,請逮捕たいほ衡山おううえ曰:「勿捕。」中尉ちゅういやすだいくだりいきそくといおうおう情實じょうじつたい。吏皆かこえ王宮おうきゅう守之もりゆき中尉ちゅういだいくだりかえ,以聞。公卿くぎょう請遣そうただしだいくだりあずか沛郡ざつおうおう聞,そく自殺じさつこうさきつげはんつげじょ其罪。こうすわあずかおう婢姦,及后じょらいすわ蠱前きさきじょう舒,及太子たいし爽坐つげおうちち不孝ふこうみな棄市。しょすわあずかおう謀反ぼうほんしゃみな誅。くにじょためぐん

すみきたおう

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すみきたさだおう勃者,けいみかどよんねん徙。徙ねんいんぜんおう衡山,凡じゅうよんねん薨。しきおうえびす嗣,じゅうよんねん薨。ひろし嗣。じゅうねんひろしすわあずかちちしきおうきさきこうひめたかしかん,誖人倫じんりんまた祠祭しさいしゅくのろいじょう有司ゆうし請誅。うえだいおおとり臚利召王,おう以刃剄死。くにじょためきたやすけんぞく泰山たいざんぐん

さん

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さん曰:《うんえびす狄是膺,荊舒懲」,信哉のぶやげん也!淮南ワイナン、衡山おやため骨肉こつにく,疆土千里せんりれつざい諸侯しょこうつとむ遵蕃しんしょく,以丞輔天,而剸ふところよこしま辟之けいはかりごとためほとりぎゃく,仍父子ふしさい亡國ぼうこくかくおわり其身。此非どくおう也,また其俗うす臣下しんかやや靡使しかおっと荊楚剽輕ひょうきんこうさくみだれ,乃自古記こき矣。

 酈陸しゅりゅう叔孫でん だいじゅうさん かえしかいいただき 蒯伍こういきおっとでん だいじゅう

ほんひがしかん作品さくひんざいぜん世界せかいぞく公有こうゆう领域いん为作しゃ逝世やめ经遠とおちょう过100ねん

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