ラクダ
らくだ / 駱駝
camel
哺乳(ほにゅう)綱偶蹄(ぐうてい)目ラクダ科ラクダ属に含まれる動物の総称。この属Camelusには、ヒトコブラクダC. dromedariusとフタコブラクダC. bactrianusの2種が含まれる。ヒトコブラクダの原産地は北アフリカとアラビア半島と思われるが、野生種は絶滅し、家畜化したものがインド、北アフリカ、ヨーロッパ南部、カナリア諸島などに分布している。フタコブラクダの原産地はイランから中央アジア、中国北部であるが、現在ではアルタイ山脈の麓(ふもと)のゴビ砂漠などに若干の野生種が残存するのみで、国際的に保護され、2002年には国際自然保護連合により絶滅危惧(きぐ)種に指定されている。家畜種は中央アジアに分布する。
[中川志郎]
ヒトコブラクダは、体長2.5~3メートル、体高1.8~2.1メートル、尾長50~70センチメートル、体重450~700キログラムで、背中の中央に大きなこぶが隆起している。指は2本で、ひづめは小さいが、足が地面につく面積は大きく弾力に富む。鼻は自由に開閉でき、内側にも毛が密生している。また、まつげや耳の周りの毛も長く、耳介の内部にも毛が密生していて、砂漠の砂嵐(すなあらし)などに適応している。体色は淡黄褐色で、体毛は、夏期は短く綿毛をもたないが、冬期は長毛で綿毛が密生している。胃は反芻(はんすう)胃であるが、四つのうち第3胃と第4胃の境があまりはっきりしないため、肉眼的には三つに分かれる。第1胃には小さな憩室があり、この中に水分の多い内容を入れるため、胃壁外面は多数のこぶ状にみえる。背中にあるこぶは、内容としては白色の光沢ある脂肪を含み、その重量は50キログラム前後に達する。
フタコブラクダは、外見上ヒトコブラクダに類似するが、背中には2個のこぶ状隆起がある。体長2.5メートル前後、体高1.8メートル、尾長55センチメートル、体重400~600キログラムで、体毛は褐色、頸(くび)やのど、およびこぶの上には濃い長毛が生えている。飼育下の野生種は、中国の北京(ペキン)動物園や甘粛(かんしゅく)省絶滅危機動物研究センターなどで飼育されているが、家畜種に比べ四肢および頸が細長く、こぶが小さく、全体的に引き締まった体つきをしている。
[中川志郎]
両種とも、「砂漠の舟」と呼称されるように、厳しい砂漠地帯の気象に適応した形態と生理をもつ。背中のこぶは、脂肪の貯蔵所で、食物が不足するときの予備エネルギーとして機能するとともに、強烈な直射日光に対して断熱的効果をもっている。また、脂肪がこぶに集中し皮下に貯蔵されないため、放熱を容易にし炎暑に対応しやすくなっている。体温は、通常36℃前後であるが、外温の高低によって変動し、1日の体温の幅は34~40℃に及ぶ。このことは、水分の消費、エネルギーの消耗を調節するのに役だっている。また、尿量はほかの動物に比べ、日量1リットルほどと極端に少なく、一度に大量の水を飲むこともでき、水の少ない砂漠生活のなかで、水分の採取、放出を巧みに調節している。性成熟は3~5年で、フタコブラクダがやや遅い。交尾期は春、1~3月で、この時期になると、雄では後頭部の分泌腺(せん)からタール状の分泌液を出し、性質は荒くなり、しばしば頻尿となる。妊娠期間は13か月前後で、1産1子。離乳は8か月から1年に及ぶ。両種の間には雑種ができ、こぶも1個半となることが多いが、二代雑種はできないといわれている。
[中川志郎]
家畜種は、砂漠地帯では重要な財産で、荷役としては、170~270キログラムの荷を、時速4キロメートルの速さで、1日47キロメートルも運ぶことができるといわれる。また、毛、肉、乳なども利用され、糞(ふん)も乾燥して燃料として用いられている。寿命は20~25年である。
[中川志郎]
ラクダがいつごろ家畜化されたかは明らかでないが、ヒトコブラクダは紀元前3000年ごろにはアラビア地方で飼養されていたといわれる。ヒトコブラクダはおもに乗用で、アラビア遊牧民はこれを軍事用に重用した。ムハンマドの西遷にもラクダが用いられている。フタコブラクダは、中央アジア地方などでおも運搬用に使われた。シルク・ロードの砂漠を往来する隊商が用いたのはこのラクダである。このほか、ラクダは農耕などにも使われている。
ラクダが初めて日本にきたのは599年(推古天皇7)9月のことで、『日本書紀』に「百済(くだら)、駱駝(らくだ)一匹(ひとつ)、驢(うさぎうま)一匹、羊二頭(ふたつ)、白雉(しろきぎす)一隻(ひとつ)を貢(たてまつ)れり」とみえる。その後も高句麗(こうくり)や百済などからラクダがもたらされている。江戸時代には、1821年(文政4)、百児斉(はるしや)国(ペルシア)産の牡牝(おすめす)2頭の単峰駱駝(ひとこぶらくだ)がオランダ人によって輸入され、香具師(やし)により日本各地を回って見世物とされた。のち北国の興行に引いて行かれたが、寒気に触れて倒れたという。
[渡辺公三]
サウジアラビアのベドウィン、ソマリアおよびケニアのソマリ、サハラ砂漠のトゥアレグなど、砂漠地方の遊牧民にとってラクダは貴重な財であり、交通・運搬手段であり、社会生活の中心ともなっている。ソマリにおいては、スーダンの牧牛民におけるウシと同様、ラクダは結婚の際の女性への代償、殺人に対する賠償とされ、また男の一生はラクダ100頭、女性は50頭といったい方がある。ベドウィンは、良質の乳を出す純血の雌ラクダをだいじにし、有名な血統は10代ほど前まで母系によってたどられる。ラクダは、おりおり創作され歌われる詩のテーマとなり、一頭一頭に固有名が与えられる。アラブには、「死はすべての家の戸口の前に膝(ひざ)を折る黒いラクダ」という諺(ことわざ)があるという。キリスト教の図像学においては、フランス、アミアンのカテドラルの浮彫りにみられるように、ラクダは従順さ、謙譲の美徳の象徴とされる。しかし、逆にラクダは、頑迷さ、愚鈍さ、高慢さの象徴とされる場合もある。
[渡辺公三]
らくだ
落語。上方(かみがた)落語の「らくだの葬礼」を明治中期に3代目柳家小さんが東京へ移したもの。らくだの馬とあだ名されている乱暴者のところへ兄弟分が訪ねてくると、らくだは前夜に食べたフグにあたって死んでいた。そこへ通りかかった屑屋(くずや)を脅して手伝わせ、通夜に入用だからと大家(おおや)に酒と煮しめを持ってくるようにかけ合わせる。大家に断られると、屑屋に死骸(しがい)を背負わせて「カンカンノウ」を踊らせる。驚いた大家が届けた酒を2人で飲むが、屑屋は酔うほどに強くなり、兄弟分を逆に脅す。酔っぱらった2人はらくだを四斗樽(だる)に詰めて火屋(ひや)(焼き場)へ担いで行くが、途中で樽の底が抜けたのを知らずに火屋まで行き、あわてて拾いに戻る。酔って道に寝ていた願人(がんにん)坊主をかわりに詰めて火屋へくる。願人坊主が目を覚まして「ここはどこだ」「火屋だ」「ひや(冷酒)でもいいからもう一杯」。江戸時代の風俗を活写し、変化に富む。東京の現行演出は3代目小さん型だが、大阪型もおもしろい。
[関山和夫]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
らくだ
落語。明治中期に3代柳家小さんが上方の《らくだの葬礼》を東京へ移入したもの。〈らくだの馬〉と異名をとる乱暴者がフグにあたって死んだ。仲間のやくざ者半次が,通りかかったくず屋の久六をおどして,通夜に酒と煮しめを届けるように大家に掛けあわせ,断られると嫌がらせに大家のところへ行き,死骸にカンカンノウ(看々踊)を踊らせる。おどろいた大家が届けた酒を,半次と久六が飲みはじめるが,酔いがまわるにつれて,はじめおとなしかったくず屋の久六が,逆に半次をしかりつけておどかす。ふたりで空樽(あきだる)に死骸を入れてかつぎ出すが,途中で底がぬけて死骸を落とす。火屋(ひや)(焼き場)に着いてから気がついて引き返し,酔って道に寝ていた願人(がんにん)坊主をまちがえてかついで来る。目覚めた坊主がどこだと聞くと,〈ここは火屋だ〉〈なに,ひやだ。ひやでもいいからもう一ぱいくれ〉。変化に富む長編で,芝居や映画にも脚色された。
執筆者:興津 要
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
ラクダ
Camelus; camel
偶蹄目ラクダ科ラクダ属に属する大型草食獣の総称で,ヒトコブラクダとフタコブラクダの2種から成る。四肢ともそれぞれ指は2本で,蹠球が大きく,接地面積が広くなっていて砂地の歩行に適している。また鼻を閉じることができ,耳のまわりの毛も長く,砂ぼこりを防いでいる。長時間水を飲まずに生活することができる。なお,背中の瘤は脂肪のたまったものであって,貯水袋ではない。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
らくだ〔落語〕
古典落語の演目のひとつ。上方ばなし「らくだの葬礼(そうれん)」を、三代目柳家小さんが東京へ移したもの。八代目三笑亭可楽が得意とした。オチは考えオチ。主な登場人物は、町人。
らくだ〔生活用品〕
ポピー製紙が販売するちり紙の商品名。古紙を使用。ソフトタイプ、1200枚入り。
出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報
世界大百科事典(旧版)内のラクダの言及
【柳屋小さん】より
…浅薄な滑稽噺に人情噺の人物描写の技法を導入し,落語を高度な芸術にした近代の名人で,第1次〈落語研究会〉の中心をなした。《らくだ》《碁泥(ごどろ)》《にらみ返し》などの上方落語を東京に移植して,近代東京落語の発展に貢献した。得意は《らくだ》《うどんや》など。…
※「ラクダ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」