デジタル大辞泉
「コロンボ」の意味・読み・例文・類語
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コロンボ
- 〘 名詞 〙 ( [ポルトガル語] colombo ) ツヅラフジ科のつる性多年草。東アフリカ原産。根は紡錘状に肥大する。茎と葉には短毛を密布。葉は柄をもち、掌状に五~七裂する。雌雄異株。花は淡緑色で、円錐状に多数密生する。根を輪切りにして乾燥したものをコロンボ根といい健胃薬に使う。〔医語類聚(1872)〕
コロンボ
- ( Colombo ) スリランカの旧首都。セイロン島南西岸に位置する世界的港湾都市で、インド洋航路の重要港。紅茶をはじめ、ココヤシ、カカオ、ゴムなどを輸出。一六世紀以来ポルトガル、オランダ、イギリスの支配下に軍事的・経済的要地として発展。
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コロンボ
Colombo
スリランカ民主社会主義共和国の前首都。人口64万(2001)。1505年にポルトガルの船隊が漂着し,17年にニッケイ貿易のための商館を築いて以来,1656年から1796年までのオランダ領時代,それにつづく1948年までのイギリス領時代を通じて,西ヨーロッパ列強によるスリランカ支配の中心であった。コロンボ市の東部に隣接したスリ・ジャヤワルダナプラ・コーッテ市に建設された国会議事堂の完成とともに,行政機関も徐々に移転し,コロンボの首都機能を分散させる計画が1982年から実施され,85年1月からスリ・ジャヤワルダナプラ・コーッテに首都は移転した。かつて要塞の築かれていたフォート地区は,今日商業活動の中心地に変貌してしまっている。
植民地経済の発展と運命をともにしてきたこの港湾都市は,宗主国から輸入する工業製品,宗主国へ輸出する香料,コーヒー,紅茶,ゴム,ココナッツなどの農産物を中心に,コロンボ港を基点にして市域を拡大してきた。独立を達成した後は,工業化に力を入れる政策が採用され,南と北の双方にスリランカ最大の工業地帯が形成されつつある。とりわけコロンボ市の北部からカトナヤカ国際空港に至る一帯は,1978年より〈自由貿易地帯〉に指定され,大コロンボ経済委員会Greater Colombo Economic Commissionに統轄され,外国企業の誘致が推進されている。
多民族国家スリランカの首都にふさわしく,コロンボにはシンハラ人,タミル人,マラッカラム人(アラブ・インド系イスラム教徒),バーガー人(ヨーロッパ人との混血による民族集団)などが混住し,仏教だけでなくヒンドゥー教,イスラムおよびキリスト教の宗教施設も多い。教育,医療,文化の施設が整備され,残余の農村地帯との格差拡大が大きな社会問題となっている。コロンボ市に隣接するデヒワラ・マウント・ラビニア市,モラトゥワ市およびスリ・ジャヤワルダナプラ・コーッテ市を含めると,人口約100万の大都市となる。
執筆者:中村 尚司
コロンボ
calumba
colombo
Jateorhiza
薬用植物として知られるツヅラフジ科のつる性木本。葉は大きく,掌状に切れ込んでいる。雌雄異花。雄花は細長い総状の円錐花序につく。雌花は総状花序につく。萼片6枚,花弁6枚,雄花ではおしべ6本,雌花ではめしべ3本。実は核果で,たくさんのとげがある。J.columba,J.miersii,J.macranthaなどが熱帯アフリカに分布している。
J.columba Miers.は塊根が生薬となり,アルカロイド,パルマチンpalmatine,ヤテオリジンjateorhizineなどを含み,苦味健胃薬として家庭薬の配合原料となる。現在では主にインドで栽培され,そこから世界各地へ輸出されている。
執筆者:寺林 進+新田 あや
コロンボ
Matteo Realdo Colombo
生没年:1516-59
イタリアの医者。クレモナに生まれ,ベネチアとパドバで医学を学ぶ。1544年A.ベサリウスのあとをついで,パドバ大学で解剖学と外科を講じた。46年ピサ大学に移り,2年後に法王パウロ4世の招きでローマに赴いた。59年出版の遺著《De reanatomica(解剖書)》のなかに,左右心室中隔の閉鎖性と肺循環を述べ,のちのW.ハーベーの血液循環説に寄与した。コロンボが生前セルベトゥスの肺循環(1553)を知っていたかどうかは,いまだにわかっていない。
執筆者:古川 明
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コロンボ
スリランカ最大の都市でかつての首都。セイロン島の南西部,インド洋岸の港湾都市。紅茶,ゴム,ココナッツ製品,コプラを輸出する。北郊に〈自由貿易地帯〉が設定され経済,工業開発が進む。1517年ポルトガルが領有,1656年オランダ領,1796年英領。1885年最初の防波堤の完成後,南のガルに代わって繁栄。博物館(1873年創立),大学があり,仏教,ヒンドゥー教,イスラム,キリスト教の宗教施設が多い。1985年,コロンボの南東部に隣接するスリジャヤワルダナプラコッテに首都が移転した。67万3000人(2007)。
→関連項目ゴール|スリランカ
コロンボ
イタリアの家具・プロダクトデザイナー。ミラノ生れ。現代美術からデザインに転身し,1962年にはミラノにデザイン事務所を開設。FRPを使った椅子〈エルダ〉(1963年)や,プラスチック成形技術を使った量産の椅子として画期的な〈ユニバーサル〉(1965年)など新素材を積極的に採用。ワゴンに小型冷蔵庫,電気コンロ等を組み込んだ〈ミニキッチン〉(1963年)や,ポリウレタン製クッションの組み合わせで好みの形態のベッドや椅子にできる〈アディッショナル・システム〉(1967年)など,複合的機能をもつ製品をデザイン。機能やシステムまでデザインするという斬新なアプローチで1960年代のイタリア・デザインをリードした。1969年バイエル社の展示会のため未来の住居空間〈ビジオーナ〉を製作。SF映画の一場面のような空間だが,その裏には緻密に計算された合理的空間構成がなされている。
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コロンボ
Colombo
1985年までスリランカの首都。16世紀以来香辛料などの南海貿易の中継港として栄えた港湾都市。1656~1796年のオランダ領時代,つづく1948年までのイギリス領時代を通じてスリランカ植民地経営の中心となった。48年の独立後もコロンボ港を中心として発展し,香辛料,コーヒー,紅茶などの輸出,工業製品輸入の中心となっている。近年都市化が進み,環境悪化などが大きな問題となっている。
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コロンボ
Colombo
スリランカ(旧名セイロン)の前首都。インド洋航路の重要貿易港
16世紀以来インド洋航路の要港として重要視され,ポルトガル・オランダ・イギリスの支配を受けた。1948年のセイロン独立後,85年にスリジャヤワルダナプラコッテに遷都するまで首都。
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世界大百科事典(旧版)内のコロンボの言及
【スリランカ】より
… 15世紀初頭に鄭和の船隊が来島し,中国(明朝)の朝貢国となるが,植民地として実質的な支配を受けることはなかった。1505年にポルトガルの艦隊がコロンボ近くに漂着した。この頃,南部のシンハラ王朝は分裂し,三つの小王国に分かれていた。…
※「コロンボ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」