改訂かいてい新版しんぱん 世界せかい大だい百科ひゃっか事典じてん 「ハカス族ぞく」の意味いみ・わかりやすい解説かいせつ ハカス族ぞく (ハカスぞく)Khakas ロシア連邦れんぽう,南みなみシベリアのミヌシンスク盆地ぼんちに住すむ牧まき農民のうみん。チュルク諸語しょごに属ぞくする言語げんごを話はなす。旧称きゅうしょうはミヌシン・タタール,アバカン・タタール,エニセイ・タタール。人口じんこう7万まん8500(1989)。《唐とう書しょ》の黠戞斯,突厥碑文ひぶんのキルキスKirkis,元げん代だいの乞力吉きち思おもえ,17世紀せいきのエニセイ・キルギスの末裔まつえいと考かんがえられるが,18世紀せいき初頭しょとうにエニセイ・キルギスの支配しはい層そうがジュンガリアを経へて中央ちゅうおうアジアへ逃のがれ,キルギス族ぞくの中核ちゅうかくとなった。一方いっぽう,残留ざんりゅうした5集団しゅうだん(チュルク系けいのほかにサモエード系けい,ケート系けいの部族ぶぞくも含ふくむ)であるカチン,サガイ,キジル,コイバル,ベリチルを糾合きゅうごうして現代げんだいのハカス族ぞくが成立せいりつしてゆく。ただし名称めいしょうの認知にんちはクラスノヤルスク地方ちほうにハカス郡ぐんが設置せっちされた1923年ねんのことであり,これがハカス民族みんぞく管区かんくを経へて30年ねんに自治じち州しゅうへ昇格しょうかくした。1991年ねんロシア連邦れんぽうのもとでハカス(ハカシア)共和きょうわ国こくとなった(主しゅ都とアバカン)。ハカス族ぞくにはそれ以前いぜんに共通きょうつうの呼称こしょう・自称じしょうが存在そんざいしなかったので,中国ちゅうごく史料しりょうの伝つたえるミヌシンスク盆地ぼんちの古代こだい民族みんぞく黠戞斯にちなんで新あらたに命名めいめいされたのである。執筆しっぴつ者しゃ:井上いのうえ 紘一こういち 出典しゅってん 株式会社かぶしきがいしゃ平凡社へいぼんしゃ「改訂かいてい新版しんぱん 世界せかい大だい百科ひゃっか事典じてん」改訂かいてい新版しんぱん 世界せかい大だい百科ひゃっか事典じてんについて 情報じょうほう