目次 国家の機能 国家の特性 国家の諸形態 国民国家 夜警国家 福祉国家 行政国家 現代の国家観 一元的国家観 多元的国家観 階級国家観 国家批判の系譜 国家の起源をめぐる諸学説 国際法上の国家の類型 現代の国際社会と民族国家 国家と国家体系の変質 一定 いってい の境界 きょうかい 線 せん で区切 くぎ られた地縁 ちえん 社会 しゃかい に成立 せいりつ する政治 せいじ 組織 そしき で,そこに居住 きょじゅう する人々 ひとびと に対 たい して排他 はいた 的 てき な統制 とうせい を及 およ ぼす統治 とうち 機構 きこう を備 そな えているところにその特徴 とくちょう がある。
国家 こっか の機能 きのう 一般 いっぱん に政治 せいじ の機能 きのう は,社会 しゃかい 内部 ないぶ の異 こと なる利害 りがい を調整 ちょうせい し,社会 しゃかい の秩序 ちつじょ と安定 あんてい を維持 いじ していくことにあるが,こうした機能 きのう の達成 たっせい のためには,社会 しゃかい の組織 そしき 化 か が必要 ひつよう である。国家 こっか は,政治 せいじ の機能 きのう を遂行 すいこう するためにつくられた社会 しゃかい の組織 そしき にほかならない。社会 しゃかい の構成 こうせい 員 いん が国家 こっか という組織 そしき からみられるときには,国民 こくみん あるいは公民 こうみん と呼 よ ばれる。社会 しゃかい において個人 こじん や集団 しゅうだん 相互 そうご 間 あいだ の紛争 ふんそう が共通 きょうつう の規範 きはん によって解決 かいけつ され,必要 ひつよう な場合 ばあい には相互 そうご の協力 きょうりょく が十分 じゅうぶん に期待 きたい できるような状態 じょうたい を秩序 ちつじょ ある状態 じょうたい と呼 よ ぶならば,国家 こっか の機能 きのう は,何 なに よりもまず,社会 しゃかい の秩序 ちつじょ を築 きず き,それを保持 ほじ し,かつ外敵 がいてき の侵入 しんにゅう に対 たい して,それを防衛 ぼうえい することにある。国家 こっか には,そのために必要 ひつよう な権力 けんりょく が付与 ふよ されている。たとえば,近代 きんだい 以前 いぜん の西欧 せいおう 社会 しゃかい では,教会 きょうかい ,領主 りょうしゅ ,ギルドといった多様 たよう な個人 こじん や集団 しゅうだん が,それぞれ社会 しゃかい の秩序 ちつじょ を維持 いじ していくのに必要 ひつよう な権力 けんりょく を保持 ほじ していた。しかし近代 きんだい 社会 しゃかい では,秩序 ちつじょ を維持 いじ するのに必要 ひつよう な権力 けんりょく は近代 きんだい 国家 こっか の手 て に集中 しゅうちゅう されており,他 た の集団 しゅうだん の有 ゆう する権力 けんりょく はその集団 しゅうだん の目的 もくてき に必要 ひつよう な限 かぎ られた範囲 はんい にしか許 ゆる されていない。もとより,今日 きょう の国家 こっか は,秩序 ちつじょ の形成 けいせい と保持 ほじ 以外 いがい にも,多 おお くの公的 こうてき な問題 もんだい を処理 しょり する責任 せきにん を負 お わされている。しかし,秩序 ちつじょ が保 たも たれていない限 かぎ り,こうした責任 せきにん を果 は たすことはほとんど不可能 ふかのう であるといえるから,今日 きょう においてもやはり国家 こっか の機能 きのう は,何 なに よりもまず社会 しゃかい の秩序 ちつじょ を築 きず き,保 たも つことにあるといってよい。
国家 こっか の特性 とくせい 国家 こっか は,こうした独自 どくじ の機能 きのう をもつ組織 そしき であるために,他 た の組織 そしき とは異 こと なった性質 せいしつ を有 ゆう する。第 だい 1に,普通 ふつう の組織 そしき ,たとえば,企業 きぎょう ,組合 くみあい ,教会 きょうかい ,クラブ,学校 がっこう などの場合 ばあい には,それらの組織 そしき に参加 さんか するかしないかは各自 かくじ の自由 じゆう であるが,国家 こっか の場合 ばあい には,生 う まれながらにして,いずれかの国 くに の一員 いちいん である。ある国家 こっか の一員 いちいん であることをやめるには,原則 げんそく として他 ほか の国家 こっか の一員 いちいん となることを求 もと められる。第 だい 2に,どの組織 そしき も,その規則 きそく に違反 いはん したものに対 たい しては,多 おお かれ少 すく なかれ,何 なん らかの制裁 せいさい を課 か することによって,規則 きそく を遵守 じゅんしゅ させようとするが,国家 こっか と呼 よ ばれる組織 そしき は,他 た の組織 そしき に比 くら べてはるかに強大 きょうだい な制裁 せいさい 力 りょく をもっている。他 た の組織 そしき の場合 ばあい には,組織 そしき のそれぞれの目的 もくてき を達成 たっせい するのに必要 ひつよう な範囲 はんい においてのみ制裁 せいさい 力 りょく の行使 こうし が認 みと められるが,国家 こっか の場合 ばあい には社会 しゃかい 全体 ぜんたい の秩序 ちつじょ を保持 ほじ し,その秩序 ちつじょ を破 やぶ る者 もの に制裁 せいさい を課 か することが,その目的 もくてき の一部 いちぶ だと考 かんが えられるからである。第 だい 3に,国家 こっか の規則 きそく ,すなわち法 ほう は,他 た の組織 そしき の規則 きそく とは異 こと なり,国家 こっか のなかにあるすべての個人 こじん と組織 そしき とを拘束 こうそく する。他 た の組織 そしき は国家 こっか の法 ほう の許容 きょよう する範囲 はんい でしか規則 きそく を制定 せいてい することができないし,規則 きそく を遵守 じゅんしゅ させるための制裁 せいさい 力 りょく も,法 ほう に認 みと められる範囲 はんい 内 ない でしか行使 こうし できない。
国家 こっか の権力 けんりょく は非常 ひじょう に強大 きょうだい であるため,その濫用 らんよう の危険 きけん もきわめて大 おお きい。とくに,社会 しゃかい の内部 ないぶ に階級 かいきゅう 対立 たいりつ のような深刻 しんこく な亀裂 きれつ が存在 そんざい する場合 ばあい には,ある特定 とくてい の集団 しゅうだん が他 た の集団 しゅうだん を抑圧 よくあつ し支配 しはい するために,国家 こっか の権力 けんりょく を濫用 らんよう する可能 かのう 性 せい が高 たか い。また,国家 こっか 権力 けんりょく の行使 こうし を委託 いたく された人々 ひとびと は,しばしば自己 じこ の私的 してき 利益 りえき のために国家 こっか 権力 けんりょく を濫用 らんよう するおそれがある。こうしたことのために,自由 じゆう と権力 けんりょく の対抗 たいこう 関係 かんけい において自由 じゆう を確保 かくほ するには,権力 けんりょく を制限 せいげん しなければならないとする自由 じゆう 主義 しゅぎ や,権力 けんりょく 者 しゃ の恣意 しい 的 てき 統治 とうち に代 か えて,あらかじめ定立 ていりつ された規則 きそく に基 もと づく統治 とうち を推 お し進 すす めようとする立憲 りっけん 主義 しゅぎ が高 たか い説得 せっとく 性 せい をもつことになる。多 おお くの近代 きんだい 国家 こっか において,憲法 けんぽう が制定 せいてい され,権力 けんりょく 分立 ぶんりつ 制 せい や地方 ちほう 分権 ぶんけん 制 せい が制度 せいど 化 か されているのも,国家 こっか 権力 けんりょく の濫用 らんよう あるいは恣意 しい 的 てき な権力 けんりょく の行使 こうし を抑制 よくせい しようとするものであるといえよう。
国家 こっか の諸 しょ 形態 けいたい われわれが今日 きょう 国家 こっか と呼 よ んでいるのは,近代 きんだい 国民 こくみん 国家 こっか のことである。歴史 れきし 的 てき にさかのぼれば,近代 きんだい 国民 こくみん 国家 こっか 以前 いぜん には古代 こだい 国家 こっか や中世 ちゅうせい 国家 こっか が存在 そんざい していた。ギリシアの都市 とし 国家 こっか (ポリス),ローマの古代 こだい 帝国 ていこく ,中国 ちゅうごく の諸 しょ 王朝 おうちょう ,日本 にっぽん の古代 こだい 国家 こっか (律令制 りつりょうせい 国家 こっか ),さらにヨーロッパの封建 ほうけん 国家 こっか や日本 にっぽん の徳川 とくがわ 幕 まく 藩 はん 体制 たいせい 等々 とうとう がそれである。いずれも,独自 どくじ の編成 へんせい 原理 げんり と支配 しはい ・統治 とうち の機構 きこう を備 そな えた公権力 こうけんりょく として国家 こっか のさまざまな類型 るいけい を示 しめ し,その成立 せいりつ 過程 かてい はそれぞれ歴史 れきし 研究 けんきゅう の大 おお きな主題 しゅだい となっている。とくに日本 にっぽん における国家 こっか 成立 せいりつ 史 し は,天皇 てんのう 制 せい の歴史 れきし 的 てき な解明 かいめい と深 ふか く結 むす びついており,古代 こだい 史 し ,中世 ちゅうせい 史 し の主要 しゅよう なテーマである。
ここでは,典型 てんけい 的 てき には西欧 せいおう 近代 きんだい 世界 せかい に出現 しゅつげん し,19世紀 せいき 以後 いご の世界 せかい に強 つよ い影響 えいきょう を与 あた えた国家 こっか の諸 しょ 類型 るいけい について記述 きじゅつ する。ちなみに,欧米 おうべい で国家 こっか を指 さ すstate,Étatなどの語 かたり は,16世紀 せいき のイタリアにおけるstatoという語 かたり に由来 ゆらい するが,これはおもに中世 ちゅうせい の都市 とし 国家 こっか の統治 とうち 機構 きこう を意味 いみ するものであった。近代 きんだい 的 てき な国家 こっか 概念 がいねん はこの系統 けいとう に属 ぞく し,マキアベリが《君主 くんしゅ 論 ろん 》で用 もち いたのが最 もっと も早 はや い例 れい とされているが,これはラテン語 らてんご で〈組織 そしき 〉を意味 いみ するstatusと同義 どうぎ である。
国民 こくみん 国家 こっか 絶対 ぜったい 主義 しゅぎ 国家 こっか は,中世 ちゅうせい 共同 きょうどう 体 たい の崩壊 ほうかい 過程 かてい に成立 せいりつ したことによって,共同 きょうどう 体 たい から解放 かいほう された人々 ひとびと を基礎 きそ として,社会 しゃかい の秩序 ちつじょ と安定 あんてい をつくりだす課題 かだい を負 お わなければならなかった。その意味 いみ でそれは,明 あき らかに近代 きんだい 国家 こっか の最初 さいしょ の形態 けいたい であったといってよい。しかし,その内部 ないぶ には経済 けいざい 的 てき 利害 りがい をめぐる鋭 するど い対立 たいりつ が存在 そんざい していた。その出発 しゅっぱつ 点 てん においては,封建 ほうけん 領主 りょうしゅ 層 そう あるいは貴族 きぞく 層 そう の特権 とっけん を剝奪し,中世 ちゅうせい 共同 きょうどう 体 たい を解体 かいたい しようとする点 てん で,絶対 ぜったい 君主 くんしゅ と小 しょう 農民 のうみん や商人 しょうにん 層 そう との間 あいだ には利害 りがい の一致 いっち があったと考 かんが えられる。しかし,共通 きょうつう の敵 てき が力 ちから を失 うしな いはじめると,こうした一致 いっち は破 やぶ れざるをえない。共同 きょうどう 体 たい から解放 かいほう された各 かく 個人 こじん にとっては,私的 してき 観点 かんてん からする富 とみ の追求 ついきゅう こそ当然 とうぜん の要求 ようきゅう であったが,こうした要求 ようきゅう は絶対 ぜったい 君主 くんしゅ の利害 りがい と相反 あいはん するものであった。一般 いっぱん 民衆 みんしゅう の不満 ふまん が増大 ぞうだい して無 む 政府 せいふ 状態 じょうたい の危険 きけん 性 せい が現実 げんじつ 化 か し,しかも絶対 ぜったい 君主 くんしゅ がこうした事態 じたい に対応 たいおう しうる手段 しゅだん をもちえなくなれば,絶対 ぜったい 主義 しゅぎ は崩壊 ほうかい する。ただ,絶対 ぜったい 主義 しゅぎ の存在 そんざい 理由 りゆう が新 あたら しい社会 しゃかい 体制 たいせい における新 あたら しい統合 とうごう の必要 ひつよう 性 せい にあったとすれば,たとえその存在 そんざい 理由 りゆう が疑 うたが われることになったとしても,統合 とうごう の必要 ひつよう 性 せい そのものは消滅 しょうめつ しないであろう。それゆえ,絶対 ぜったい 王政 おうせい を打倒 だとう するためには,統合 とうごう の単一 たんいつ 推進 すいしん 者 しゃ であった絶対 ぜったい 君主 くんしゅ に代 か わるべき新 あら たな統合 とうごう の担 にな い手 て が登場 とうじょう しなければならない。
絶対 ぜったい 君主 くんしゅ のもとで平準 へいじゅん 化 か が強行 きょうこう され,封建 ほうけん 領主 りょうしゅ などいわゆる中間 ちゅうかん 団体 だんたい の支配 しはい 特権 とっけん が排除 はいじょ されて,すべての人々 ひとびと が平等 びょうどう な臣民 しんみん として君主 くんしゅ の支配 しはい に服 ふく していたことは,被 ひ 支配 しはい 者 しゃ としての一体 いったい 性 せい を生 う み出 だ すことによって,こうした統合 とうごう の担 にな い手 て を準備 じゅんび することになったと考 かんが えられる。かくて絶対 ぜったい 主義 しゅぎ ののちにくるものは,一体 いったい 感 かん をもった被 ひ 支配 しはい 者 しゃ がみずからを支配 しはい 者 しゃ の位置 いち に置 お くことであった。ここに,絶対 ぜったい 主義 しゅぎ の時代 じだい に成立 せいりつ した主権 しゅけん の概念 がいねん は,君主 くんしゅ 主権 しゅけん から国民 こくみん 主権 しゅけん へと転換 てんかん し,文字 もじ どおり近代 きんだい 国民 こくみん 国家 こっか が形成 けいせい される。絶対 ぜったい 主義 しゅぎ 国家 こっか も少 すく なくともその版図 はんと においてはすでに国民 こくみん 国家 こっか であった。しかし国民 こくみん 主権 しゅけん が確立 かくりつ されることによって,国民 こくみん 的 てき 自覚 じかく (そのイデオロギー的 てき 表現 ひょうげん が国民 こくみん 主義 しゅぎ にほかならない)を備 そな えた国民 こくみん 国家 こっか が成立 せいりつ することになったのである。
夜警 やけい 国家 こっか 近代 きんだい 国民 こくみん 国家 こっか は,まず市民 しみん 社会 しゃかい を基盤 きばん として成立 せいりつ するが,この時期 じき の近代 きんだい 国家 こっか の特徴 とくちょう は,夜警 やけい 国家 こっか であり,立法 りっぽう 国家 こっか であることに求 もと められよう。夜警 やけい 国家 こっか は,自由 じゆう 放任 ほうにん 主義 しゅぎ の下 した で国家 こっか の機能 きのう を最小限 さいしょうげん にとどめようとするものであった。さまざまな形 かたち で生 しょう ずる利害 りがい の対立 たいりつ を自由 じゆう に放任 ほうにん することが,社会 しゃかい の秩序 ちつじょ と安定 あんてい にとって最 もっと も望 のぞ ましい結果 けっか をもたらすものであるとすれば,国家 こっか の果 は たすべき機能 きのう は外敵 がいてき の侵入 しんにゅう を防 ふせ ぎ,国内 こくない の基本 きほん 法 ほう の遵守 じゅんしゅ を確保 かくほ することで十分 じゅうぶん である。19世紀 せいき のドイツの革命 かくめい 家 か F.ラサールは,こうした国家 こっか を皮肉 ひにく をこめて〈夜警 やけい 国家 こっか 〉と呼 よ んだ。このように,自由 じゆう 放任 ほうにん 主義 しゅぎ の下 した で国家 こっか の機能 きのう が極小 きょくしょう 化 か されていた時期 じき には,法律 ほうりつ を制定 せいてい することが重要 じゅうよう な意味 いみ をもっていた。国内 こくない 社会 しゃかい において国家 こっか が干渉 かんしょう しうる領域 りょういき は,市民 しみん の安全 あんぜん と社会 しゃかい の秩序 ちつじょ を保持 ほじ するのに必要 ひつよう な最小 さいしょう 限度 げんど の事柄 ことがら に限定 げんてい されていたから,必要 ひつよう な事項 じこう はすべて明確 めいかく に法文 ほうぶん の形 かたち で示 しめ すことができた。したがって,法律 ほうりつ をいかなる形 かたち で制定 せいてい するかが政治 せいじ 上 じょう の最 もっと も重要 じゅうよう な問題 もんだい であり,制定 せいてい された法 ほう をいかに執行 しっこう するかは,第二義 だいにぎ 的 てき な意味 いみ しかもちえなかったといってよい。
国家 こっか の機能 きのう を区分 くぶん する際 さい にも,まず立法 りっぽう 権 けん と司法 しほう 権 けん がとりだされ,執行 しっこう 部 ぶ あるいは行政 ぎょうせい 権 けん は残余 ざんよ の領域 りょういき と考 かんが えられていた。この時期 じき の国家 こっか は,立法 りっぽう 部 ぶ が政治 せいじ の中心 ちゅうしん 的 てき 位置 いち を占 し めていたという意味 いみ で,〈立法 りっぽう 国家 こっか 〉と呼 よ ぶことができよう。
福祉 ふくし 国家 こっか 20世紀 せいき に入 はい るとともに加速度 かそくど 的 てき な進行 しんこう を遂 と げた工業 こうぎょう 化 か と都市 とし 化 か は,社会 しゃかい の大 だい 規模 きぼ 化 か と複雑 ふくざつ 化 か とを促進 そくしん することによって,市民 しみん 社会 しゃかい の前提 ぜんてい である個人 こじん の予測 よそく 可能 かのう 性 せい と自律 じりつ 性 せい を著 いちじる しく低下 ていか させた。とくに普通 ふつう 選挙 せんきょ 制 せい が確立 かくりつ されて,市民 しみん に代 かわ り大衆 たいしゅう が政治 せいじ 過程 かてい に登場 とうじょう するとともに,夜警 やけい 国家 こっか を支 ささ える自由 じゆう 主義 しゅぎ の基本 きほん 理念 りねん も後退 こうたい せざるをえなかった。自由 じゆう 主義 しゅぎ の基本 きほん 的 てき 理念 りねん とは,国民 こくみん の自由 じゆう の保障 ほしょう にほかならないが,自由 じゆう の保障 ほしょう が意味 いみ をもちうるのは,人々 ひとびと が保障 ほしょう された自由 じゆう によって積極 せっきょく 的 てき に個々人 ここじん の福祉 ふくし を追求 ついきゅう しうる場合 ばあい に限 かぎ られる。それゆえ,自律 じりつ 的 てき 市民 しみん が自己 じこ の責任 せきにん において各自 かくじ の福祉 ふくし を追求 ついきゅう することが原則 げんそく とされ,しかもその原則 げんそく が現実 げんじつ にも意味 いみ をもちえた市民 しみん 社会 しゃかい においてのみ,自由 じゆう 主義 しゅぎ は意味 いみ をもちえたのである。しかし,大衆 たいしゅう の登場 とうじょう とともに自己 じこ 責任 せきにん の原則 げんそく は崩 くず れる。個人 こじん はもはや失敗 しっぱい の責任 せきにん を全面 ぜんめん 的 てき に負 お うことには耐 た えられないし,実際 じっさい ,恐慌 きょうこう や戦争 せんそう のように,個人 こじん の予測 よそく 能力 のうりょく や統制 とうせい 能力 のうりょく をはるかにこえたところに,その原因 げんいん が求 もと められる場合 ばあい も多 おお い。かくて人々 ひとびと は,各自 かくじ の個別 こべつ 的 てき な福祉 ふくし の実現 じつげん に関 かん しても,多 おお くの事柄 ことがら を政治 せいじ に期待 きたい することになる。それゆえ,現代 げんだい 社会 しゃかい の諸 しょ 条件 じょうけん の下 した で社会 しゃかい の統合 とうごう の必要 ひつよう 性 せい にこたえようとするならば,国家 こっか はこうした各 かく 個人 こじん の期待 きたい を満 み たすように努力 どりょく するほかはない。要 よう するに,現代 げんだい の国家 こっか は社会 しゃかい のあらゆる領域 りょういき に介入 かいにゅう しつつ,各 かく 個人 こじん の個別 こべつ 的 てき な福祉 ふくし の実現 じつげん に力 ちから を貸 か すことによってのみ,社会 しゃかい の秩序 ちつじょ と安定 あんてい を保 たも ちうるといってよい。こうして,あらゆる現代 げんだい 国家 こっか は,単 たん なる政治 せいじ 体制 たいせい の相違 そうい をこえて,福祉 ふくし 国家 こっか に移行 いこう する必然 ひつぜん 的 てき な傾向 けいこう をもっているのである。
行政 ぎょうせい 国家 こっか 夜警 やけい 国家 こっか から福祉 ふくし 国家 こっか への転換 てんかん は,国家 こっか 機能 きのう の著 いちじる しい増大 ぞうだい を伴 ともな うものであった。たとえば,労働 ろうどう 者 しゃ の発言 はつげん 権 けん の増大 ぞうだい とともに,失業 しつぎょう や貧困 ひんこん も国家 こっか によって救済 きゅうさい されるべきであるとする要求 ようきゅう が強 つよ まり,失業 しつぎょう 救済 きゅうさい や社会 しゃかい 保障 ほしょう も国家 こっか の重要 じゅうよう な任務 にんむ となるにいたった。また,資本 しほん 主義 しゅぎ の高度 こうど な発展 はってん をみた国 くに では,恐慌 きょうこう が飛躍 ひやく 的 てき に大 だい 規模 きぼ 化 か する傾向 けいこう が現 あらわ れ,資本 しほん 主義 しゅぎ の秩序 ちつじょ を維持 いじ するためにも,経済 けいざい に計画 けいかく 的 てき 統制 とうせい を加 くわ える必要 ひつよう が生 しょう じた。
こうして,国家 こっか の機能 きのう は著 いちじる しく複雑 ふくざつ 化 か し,かつ大 だい 規模 きぼ 化 か したが,それに伴 ともな って行政 ぎょうせい 部 ぶ の比重 ひじゅう が急激 きゅうげき に増大 ぞうだい する傾向 けいこう が現 あらわ れたのである。一般 いっぱん に,法律 ほうりつ は問題 もんだい を処理 しょり する枠組 わくぐ みを示 しめ すだけであるから,問題 もんだい の複雑 ふくざつ 化 か とともに,法律 ほうりつ の施行 しこう にあたって法 ほう の規定 きてい をいかに適用 てきよう するかが重要 じゅうよう な意味 いみ をもってくる。いいかえれば,行政 ぎょうせい 部 ぶ による自由 じゆう 裁量 さいりょう の範囲 はんい と意味 いみ とが,かつてみられなかったほどの重要 じゅうよう 性 せい を与 あた えられることになったのである。また,これらの複雑 ふくざつ な問題 もんだい を処理 しょり していくためには,高度 こうど の専門 せんもん 的 てき 能力 のうりょく が必要 ひつよう とされることになり,法律 ほうりつ の制定 せいてい に際 さい しても,立法 りっぽう 部 ぶ よりは専門 せんもん 的 てき 熟達 じゅくたつ 者 しゃ を多 おお く含 ふく んでいる行政 ぎょうせい 部 ぶ のほうが有利 ゆうり な地位 ちい に置 お かれることになった。こうして多 おお くの国 くに で,立法 りっぽう 部 ぶ 自身 じしん が法律 ほうりつ 案 あん の起草 きそう にあたるよりは,むしろ行政 ぎょうせい 部 ぶ が法律 ほうりつ 案 あん の起草 きそう にあたることを常態 じょうたい とみなすような傾向 けいこう が現 あらわ れた。立法 りっぽう 部 ぶ は単 たん に行政 ぎょうせい 部 ぶ の提案 ていあん に賛否 さんぴ の意思 いし を表明 ひょうめい するにとどまる場合 ばあい も少 すく なくない。さらに戦争 せんそう や恐慌 きょうこう のような非常 ひじょう 事態 じたい に際 さい しては,立法 りっぽう 部 ぶ がその権限 けんげん を大幅 おおはば に委譲 いじょう する委任 いにん 立法 りっぽう がみられることもまれではない。こうして,行政 ぎょうせい 部 ぶ の比重 ひじゅう が圧倒的 あっとうてき に増大 ぞうだい したために,現代 げんだい の国家 こっか はしばしば〈行政 ぎょうせい 国家 こっか 〉と呼 よ ばれている。夜警 やけい 国家 こっか から福祉 ふくし 国家 こっか への転換 てんかん は,同時 どうじ に立法 りっぽう 国家 こっか から行政 ぎょうせい 国家 こっか への転換 てんかん を意味 いみ したといってよい。
現代 げんだい の国家 こっか 観 かん 一元 いちげん 的 てき 国家 こっか 観 かん これは,国家 こっか に絶対 ぜったい 的 てき な意義 いぎ を与 あた え,国家 こっか 権力 けんりょく の倫理 りんり 的 てき 意義 いぎ を強調 きょうちょう する立場 たちば である。教会 きょうかい と領主 りょうしゅ の権力 けんりょく に対抗 たいこう しつつ,近代 きんだい 国家 こっか が形成 けいせい される過程 かてい で成立 せいりつ した主権 しゅけん 論 ろん は,近代 きんだい における一元 いちげん 的 てき 国家 こっか 観 かん の最初 さいしょ の形 かたち であった。ホッブズやルソーにみられる社会 しゃかい 契約 けいやく 説 せつ も,共同 きょうどう 体 たい から解放 かいほう された原子 げんし 的 てき 個人 こじん から出発 しゅっぱつ して,近代 きんだい 国家 こっか の主権 しゅけん を弁 わきまえ 証 あか しようとするものであり,やはり一元 いちげん 的 てき 国家 こっか 観 かん に属 ぞく するものであった。しかし,近代 きんだい 国家 こっか の完成 かんせい に伴 ともな う自由 じゆう 主義 しゅぎ 国家 こっか の成立 せいりつ は,こうした一元 いちげん 的 てき 国家 こっか 観 かん を積極 せっきょく 的 てき に主張 しゅちょう する理由 りゆう を失 うしな わせたといえる。
ただヘーゲルは,ドイツの後進 こうしん 性 せい のゆえに,国家 こっか 権力 けんりょく の存在 そんざい 理由 りゆう を強 つよ く主張 しゅちょう すべき立場 たちば にあり,市民 しみん 社会 しゃかい に一定 いってい の意義 いぎ を認 みと めながらも,同時 どうじ に国家 こっか を倫理 りんり 的 てき 理念 りねん の現 げん 実態 じったい として高 たか く評価 ひょうか した。ヘーゲル的 てき 立場 たちば は,工業 こうぎょう 化 か の進展 しんてん に伴 ともな う社会 しゃかい 問題 もんだい の拡大 かくだい と帝国 ていこく 主義 しゅぎ の成立 せいりつ に伴 ともな う国際 こくさい 緊張 きんちょう の増大 ぞうだい に伴 ともな って,国家 こっか 権力 けんりょく の積極 せっきょく 的 てき 意義 いぎ が評価 ひょうか されはじめるとともに,ドイツ以外 いがい の国 くに でも注目 ちゅうもく されるようになった。たとえば,イギリスでもT.H.グリーン,F.H.ブラッドリー,B.ボーザンケトらが,ヘーゲルの影響 えいきょう の下 した に,国家 こっか の倫理 りんり 性 せい を強調 きょうちょう しつつ,国家 こっか が社会 しゃかい 問題 もんだい に積極 せっきょく 的 てき に介入 かいにゅう することを正当 せいとう 化 か したのである。ヘーゲル的 てき 立場 たちば は,のちに著 いちじる しくゆがめられた形 かたち で,ナチズムやファシズムの国家 こっか 観 かん に現 あらわ れたが,しかしそこでは少 すく なくともヘーゲル哲学 てつがく の合理 ごうり 性 せい は完全 かんぜん に排除 はいじょ され,国家 こっか 一元論 いちげんろん は著 いちじる しく非合理 ひごうり 的 てき かつ神話 しんわ 的 てき な形 かたち をとることになったといえよう。
多元的 たげんてき 国家 こっか 観 かん 理想 りそう 主義 しゅぎ 的 てき 国家 こっか 一元論 いちげんろん に対 たい する批判 ひはん として,おもにイギリスに現 あらわ れた国家 こっか 観 かん で,国家 こっか の他 ほか の社会 しゃかい 集団 しゅうだん に対 たい する絶対 ぜったい 的 てき 優位 ゆうい 性 せい を拒否 きょひ し,国家 こっか を他 た の経済 けいざい 的 てき ,文化 ぶんか 的 てき あるいは宗教 しゅうきょう 的 てき 諸 しょ 集団 しゅうだん と同様 どうよう に特定 とくてい の有限 ゆうげん な目的 もくてき をもつ集団 しゅうだん の一 ひと つであるとみなす立場 たちば である。この立場 たちば は主 しゅ として,バーカーE.Barker,G.D.H.コール,H.J.ラスキらによって主張 しゅちょう された。多元的 たげんてき 国家 こっか 観 かん は,まず国家 こっか と全体 ぜんたい 社会 しゃかい を同一 どういつ 視 し することを拒否 きょひ し,国家 こっか は全体 ぜんたい 社会 しゃかい からみれば,その機能 きのう の一部 いちぶ を分担 ぶんたん する部分 ぶぶん 社会 しゃかい にすぎないとする。さらに,これまで国家 こっか 主権 しゅけん とされてきた権能 けんのう は,他 た の諸 しょ 集団 しゅうだん においても集団 しゅうだん 統制 とうせい のために行使 こうし されているもので,したがって,国家 こっか の主権 しゅけん は絶対 ぜったい 性 せい をもちえないとされ,主権 しゅけん の複数 ふくすう 性 せい が主張 しゅちょう される。多元的 たげんてき 国家 こっか 観 かん という呼称 こしょう も,こうした主権 しゅけん の多元 たげん 性 せい あるいは可分 かぶん 性 せい の主張 しゅちょう に基 もと づく。国家 こっか と他 た の社会 しゃかい 集団 しゅうだん とが並列 へいれつ 的 てき にとらえられる場合 ばあい には,国家 こっか の存在 そんざい 理由 りゆう はその機能 きのう に求 もと められなければならない。その意味 いみ では,多元的 たげんてき 国家 こっか 観 かん は,国家 こっか の構造 こうぞう や形式 けいしき よりも国家 こっか の活動 かつどう 内容 ないよう を重視 じゅうし する機能 きのう 的 てき 国家 こっか 観 かん といってよい。この国家 こっか 観 かん は,何 なに よりもまず国家 こっか 機能 きのう の圧倒的 あっとうてき 増大 ぞうだい の下 もと で,国家 こっか の絶対 ぜったい 化 か を防 ふせ ぎ,自由 じゆう 主義 しゅぎ の原則 げんそく を貫 つらぬ こうとする立場 たちば であったと考 かんが えられる。
階級 かいきゅう 国家 こっか 観 かん 国家 こっか を階級 かいきゅう 抑圧 よくあつ の機関 きかん であるとみなす立場 たちば である。この理論 りろん はおもにマルクス主義 まるくすしゅぎ の国家 こっか 論 ろん として展開 てんかい されてきた。マルクス主義 まるくすしゅぎ によれば,生産 せいさん 力 りょく が増大 ぞうだい するに従 したが って,あらゆる社会 しゃかい には階級 かいきゅう 対立 たいりつ が発生 はっせい するが,それとともに社会 しゃかい に必要 ひつよう な共同 きょうどう 事務 じむ の遂行 すいこう を果 は たす公権力 こうけんりょく は,その社会 しゃかい 機能 きのう と同時 どうじ に,支配 しはい 階級 かいきゅう による被 ひ 支配 しはい 階級 かいきゅう の抑圧 よくあつ という政治 せいじ 的 てき 機能 きのう を果 は たすことになる。階級 かいきゅう 対立 たいりつ の形態 けいたい が,古代 こだい 社会 しゃかい (奴隷 どれい 制 せい ),中世 ちゅうせい 社会 しゃかい (農奴 のうど 制 せい ),近代 きんだい 社会 しゃかい (資本 しほん 制 せい )と歴史 れきし 的 てき に変化 へんか してきたのに応 おう じて,国家 こっか の形態 けいたい もまた古代 こだい 国家 こっか ,封建 ほうけん 国家 こっか ,近代 きんだい 国家 こっか と変化 へんか してきた。こうした階級 かいきゅう 対立 たいりつ は,これまできわめて長 なが い歴史 れきし をもってきたが,それは超 ちょう 歴史 れきし 的 てき なものではない。原始 げんし 社会 しゃかい においては,まだ階級 かいきゅう 対立 たいりつ は発生 はっせい していなかったのであり,したがって国家 こっか も存在 そんざい していなかった。国家 こっか の起源 きげん は原始 げんし 社会 しゃかい の氏族 しぞく 的 てき 権力 けんりょく 組織 そしき が崩壊 ほうかい して,奴隷 どれい 制 せい 社会 しゃかい が形成 けいせい されたときに求 もと められる。
このように,国家 こっか の起源 きげん が階級 かいきゅう 対立 たいりつ の発生 はっせい に求 もと められるとすれば,階級 かいきゅう 対立 たいりつ の消滅 しょうめつ は当然 とうぜん に国家 こっか の死滅 しめつ をもたらすであろう。すなわち,最後 さいご の階級 かいきゅう 社会 しゃかい である資本 しほん 主義 しゅぎ 社会 しゃかい が廃止 はいし されて,社会 しゃかい 主義 しゅぎ 社会 しゃかい が形成 けいせい されるならば,〈プロレタリアートの独裁 どくさい 〉を経 へ て,やがて国家 こっか は消滅 しょうめつ するとされる。プロレタリアート独裁 どくさい は,過渡 かと 的 てき に国家 こっか 権力 けんりょく の一時 いちじ 的 てき 極大 きょくだい 化 か を示 しめ すけれども,それは国家 こっか 権力 けんりょく の役割 やくわり の肯定 こうてい を介 かい して,それを否定 ひてい する過程 かてい として,いわば弁証法 べんしょうほう 的 てき に理解 りかい されている。しかし,現実 げんじつ の社会 しゃかい 主義 しゅぎ 国家 こっか (社会 しゃかい 主義 しゅぎ )においては,資本 しほん 主義 しゅぎ 国家 こっか と同様 どうよう に国家 こっか 機能 きのう の著 いちじる しい拡大 かくだい がみられ,今日 きょう までのところ国家 こっか の死滅 しめつ を予告 よこく するいかなる兆候 ちょうこう も現 あらわ れていない。
国家 こっか 批判 ひはん の系譜 けいふ 近代 きんだい 国家 こっか の最初 さいしょ の形態 けいたい は絶対 ぜったい 王政 おうせい であったから,国家 こっか に対 たい する批判 ひはん もまず絶対 ぜったい 王政 おうせい に対 たい する批判 ひはん という形 かたち をとった。その一 ひと つは信仰 しんこう の自由 じゆう を守 まも る立場 たちば から暴君 ぼうくん の放伐 ほうばつ を説 と いたモナルコマキmonarchomachi(ラテン語 らてんご )であり,他 た の一 ひと つは封建 ほうけん 時代 じだい に認 みと められていた特権 とっけん の回復 かいふく をめざす立憲 りっけん 主義 しゅぎ である。とくに立憲 りっけん 主義 しゅぎ の主張 しゅちょう はのちに普遍 ふへん 化 か されて,国家 こっか 権力 けんりょく に対 たい し基本 きほん 的 てき 人権 じんけん の保障 ほしょう を求 もと める権利 けんり 章典 しょうてん の制度 せいど 化 か を導 みちび いた。絶対 ぜったい 主義 しゅぎ 国家 こっか はやがて市民 しみん 革命 かくめい を経 へ ることで,国民 こくみん 国家 こっか へと変貌 へんぼう するが,この過程 かてい において指導 しどう 的 てき 役割 やくわり を果 は たしたブルジョアジーは,国家 こっか 機能 きのう を最小限 さいしょうげん にとどめることを望 のぞ んだ。その帰結 きけつ が夜警 やけい 国家 こっか 観 かん にほかならないが,それは同時 どうじ に市民 しみん 社会 しゃかい 自体 じたい が安定 あんてい した秩序 ちつじょ を実現 じつげん しうると想定 そうてい していた。すなわち,まず国民 こくみん の共同 きょうどう 生活 せいかつ は国家 こっか という形式 けいしき 的 てき 側面 そくめん と市民 しみん 社会 しゃかい という実質 じっしつ 的 てき 側面 そくめん をもつとされる。そして市民 しみん 社会 しゃかい では,各 かく 個人 こじん は利己 りこ 的 てき な経済 けいざい 活動 かつどう を通 つう じて相互 そうご に結合 けつごう されるが,自他 じた の利害 りがい 計算 けいさん を支配 しはい する合理 ごうり 性 せい のゆえに,市民 しみん 社会 しゃかい 自体 じたい に高 たか い予測 よそく 可能 かのう 性 せい が成立 せいりつ し,それに基 もと づいて安定 あんてい した秩序 ちつじょ も成立 せいりつ する。かくして,市民 しみん 社会 しゃかい を高 たか く評価 ひょうか する人々 ひとびと は,国家 こっか に対 たい してはむしろ消極 しょうきょく 的 てき 態度 たいど をとる。たとえば,J.ロックは国家 こっか と市民 しみん 社会 しゃかい を区別 くべつ し,市民 しみん 社会 しゃかい は国家 こっか に一定 いってい 限度 げんど 内 ない で統治 とうち を信託 しんたく しているにすぎないと主張 しゅちょう した。またA.スミスは,人間 にんげん は〈神 かみ の見 み えざる手 て 〉によって導 みちび かれているとして,市民 しみん 社会 しゃかい の自律 じりつ 性 せい を説 と き,最小 さいしょう の政府 せいふ こそ最良 さいりょう の政府 せいふ であるとした。このように,市民 しみん 社会 しゃかい の自律 じりつ 性 せい を主張 しゅちょう することは,国家 こっか 批判 ひはん の系譜 けいふ においても重要 じゅうよう な位置 いち を占 し める。マルクスの階級 かいきゅう 国家 こっか 論 ろん も,国家 こっか の階級 かいきゅう 的 てき 性格 せいかく を指摘 してき し,国家 こっか の中立 ちゅうりつ 性 せい の仮面 かめん をはぎ,さらに無 む 階級 かいきゅう 社会 しゃかい における国家 こっか 消滅 しょうめつ の必然 ひつぜん 性 せい を説 と くことで,国家 こっか 批判 ひはん の新 あら たな観点 かんてん を確立 かくりつ した。しかし,市民 しみん 社会 しゃかい の衰退 すいたい は,当然 とうぜん に国家 こっか に対 たい する批判 ひはん をも弱 よわ めることになり,むしろ大衆 たいしゅう 社会 しゃかい においては,国家 こっか の積極 せっきょく 的 てき な役割 やくわり を是認 ぜにん する立場 たちば が強 つよ くなっていく。また,ドイツのような後発 こうはつ 的 てき な近代 きんだい 国家 こっか にあっては,市民 しみん 社会 しゃかい に一定 いってい の評価 ひょうか を与 あた えながらも,市民 しみん 社会 しゃかい に内在 ないざい する分裂 ぶんれつ を克服 こくふく するために,国家 こっか の積極 せっきょく 的 てき な役割 やくわり を強調 きょうちょう する立場 たちば が現 あらわ れる。ヘーゲルの国家 こっか 観 かん はその代表 だいひょう 的 てき な例 れい といえよう。20世紀 せいき に入 はい ってイギリスやアメリカで盛 さか んになった多元的 たげんてき 国家 こっか 論 ろん は,国家 こっか も多元的 たげんてき 政治 せいじ 社会 しゃかい の一 ひと つにすぎないとして,その絶対 ぜったい 化 か を拒否 きょひ する試 こころ みであり,国家 こっか 批判 ひはん の側面 そくめん をもっていたことはいうまでもない。
今日 きょう では,かつてヨーロッパに成立 せいりつ した国民 こくみん 国家 こっか の理念 りねん と制度 せいど が,ヨーロッパ以外 いがい の全 ぜん 世界 せかい に普及 ふきゅう 拡大 かくだい するにいたっている。こうした傾向 けいこう に対 たい して,国民 こくみん 国家 こっか はそのヨーロッパ的 てき 起源 きげん のゆえに,アジアやアフリカなどの第 だい 三 さん 世界 せかい には必 かなら ずしも適合 てきごう しないとする批判 ひはん も強 つよ い。ただヨーロッパ的 てき 国民 こくみん 国家 こっか には,人権 じんけん の尊重 そんちょう や法 ほう の支配 しはい などのすぐれた成果 せいか もある。今後 こんご の課題 かだい は,国家 こっか が各 かく 地域 ちいき の伝統 でんとう や風土 ふうど と融合 ゆうごう することで多様 たよう 化 か の方向 ほうこう をとるのをみきわめながら,国家 こっか の成果 せいか というべきものをいかに受 う け継 つ ぐかにあるといえよう。執筆 しっぴつ 者 しゃ :阿部 あべ 斉 ひとし
国家 こっか の起源 きげん をめぐる諸 しょ 学説 がくせつ 国家 こっか の起源 きげん をめぐる議論 ぎろん は,すでに述 の べたように何 なに をもって国家 こっか とみなすか,国家 こっか の定義 ていぎ の問題 もんだい とかかわっている。ここでは,20世紀 せいき の主要 しゅよう な議論 ぎろん を紹介 しょうかい する。E.マイヤーやW.コッパースは国家 こっか を人類 じんるい 社会 しゃかい に普遍 ふへん 的 てき に存在 そんざい するものと考 かんが え,狩猟 しゅりょう 採集 さいしゅう 民 みん の群 む れ(バンド )にさえ国家 こっか 的 てき な要素 ようそ を認 みと めていた。またR.H.ローウィのように,小規模 しょうきぼ な群 む れや村 むら は別 べつ としても,血縁 けつえん ・地縁 ちえん の絆 きずな (きずな)をこえて形成 けいせい される結社 けっしゃ に国家 こっか 的 てき なるものの萌芽 ほうが を見 み いだそうとした学者 がくしゃ もいる。
しかし今日 きょう では,大 だい 部分 ぶぶん の人類 じんるい 学者 がくしゃ は国家 こっか の起源 きげん を論 ろん ずるにあたって,まず社会 しゃかい 経済 けいざい 的 てき な階層 かいそう 化 か や権威 けんい ・権力 けんりょく の集中 しゅうちゅう ,労働 ろうどう の専門 せんもん 分化 ぶんか などの問題 もんだい をとりあげるようになってきている。たとえばフリードM.H.Friedは国家 こっか 形成 けいせい の第一歩 だいいっぽ として社会 しゃかい 的 てき ,政治 せいじ 的 てき な階層 かいそう 化 か を強調 きょうちょう したし,カーネイロR.L.Carneiroは社会 しゃかい 階層 かいそう ひいては国家 こっか を生 う み出 だ す背景 はいけい として特殊 とくしゅ な地理 ちり 的 てき 環境 かんきょう を重視 じゅうし した。カーネイロのいわゆる地理 ちり 的 てき 限定 げんてい 理論 りろん によれば,それ自体 じたい は良好 りょうこう な土地 とち だが,周囲 しゅうい を不毛 ふもう の砂漠 さばく や山岳 さんがく ,あるいは海 うみ などに囲 かこ まれた地域 ちいき において国家 こっか が興 おこ りやすいという。そうした地域 ちいき では人口 じんこう 集中 しゅうちゅう によって人口 じんこう 圧 あつ が生 しょう じ,土地 とち をめぐる争 あらそ いが激化 げきか し,その結果 けっか ,敗者 はいしゃ の勝者 しょうしゃ に対 たい する服属 ふくぞく と納税 のうぜい が始 はじ まり,政治 せいじ 経済 けいざい 的 てき 階層 かいそう が生 しょう ずるというのである。ちなみに,こうした地域 ちいき では被 ひ 征服 せいふく 者 しゃ が周囲 しゅうい の地域 ちいき に逃 のが れて新 あたら しい村 むら をつくることはきわめて困難 こんなん だからである。
一方 いっぽう ,サービスE.R.Serviceは国家 こっか 形成 けいせい に寄与 きよ する要因 よういん として,(1)再 さい 分配 ぶんぱい の経済 けいざい システム,(2)戦争 せんそう の組織 そしき ,(3)公共 こうきょう 事業 じぎょう ,の3種 しゅ の組織 そしき の効用 こうよう ないしは社会 しゃかい 統合 とうごう に及 およ ぼす効果 こうか を強調 きょうちょう する。ちなみに,(1)は多様 たよう な生態 せいたい 条件 じょうけん にある地域 ちいき が開発 かいはつ されるとともに労働 ろうどう の特殊 とくしゅ 化 か ,専門 せんもん 化 か が助長 じょちょう される場合 ばあい に,さまざまの地域 ちいき のさまざまな産物 さんぶつ をある指導 しどう 者 しゃ の下 した に集 あつ めて再 さい 分配 ぶんぱい することによって生 しょう ずるし,また遠隔 えんかく 地 ち 貿易 ぼうえき などによっても促進 そくしん される。(2)は成功 せいこう をおさめたときには種々 しゅじゅ の富 とみ (戦利 せんり 品 ひん ,捕虜 ほりょ ,貢 みつぎ 納 おさめ など)をもたらすのみならず,〈民族 みんぞく 的 てき な誇 ほこ り〉をも高 たか め,結局 けっきょく は軍事 ぐんじ 指導 しどう 者 しゃ を中核 ちゅうかく とする統治 とうち 機構 きこう を強 つよ める。(3)は神殿 しんでん を建造 けんぞう したり水利 すいり システムをつくるために組織 そしき される。要 よう するにこの種 たね の組織 そしき 化 か が始 はじ まることによって,当初 とうしょ は一時 いちじ 的 てき であり限定 げんてい されていた指導 しどう 権 けん が恒久 こうきゅう 化 か し強化 きょうか され,ついには世襲 せしゅう 化 か ないしは制度 せいど 化 か されて,国家 こっか 的 てき 機構 きこう の基礎 きそ が築 きず かれるというのである。
従来 じゅうらい ,国家 こっか の起源 きげん をめぐって,たとえばF.オッペンハイマーやR.トゥルンワルトが唱 とな えた征服 せいふく 説 せつ や,K.A.ウィットフォーゲルの灌漑 かんがい 説 せつ などが注目 ちゅうもく を浴 あ びたが,それらは,サービスの理論 りろん によれば,上述 じょうじゅつ の組織 そしき 化 か と指導 しどう 権 けん の制度 せいど 化 か を生 う み出 だ すいくつかの要因 よういん の一 ひと つにすぎないことになる。国家 こっか 形成 けいせい へいたる道筋 みちすじ は必 かなら ずしも一 ひと つではなく複数 ふくすう でありうるという見解 けんかい はR.コーエンやL.クレーダーによっても示 しめ されている。執筆 しっぴつ 者 しゃ :中村 なかむら 孚 まこと 美 び
国際 こくさい 法 ほう 上 じょう の国家 こっか の類型 るいけい 主権 しゅけん 国家 こっか は,日本 にっぽん のように,原則 げんそく として単一 たんいつ 国家 こっか である。単一 たんいつ 国家 こっか は,同 どう 国家 こっか を代表 だいひょう する単一 たんいつ の中央 ちゅうおう 政治 せいじ 権力 けんりょく をもつ。ところが,国家 こっか の中 なか には,他国 たこく と結合 けつごう することによって,主権 しゅけん を喪失 そうしつ はしないが,制限 せいげん されるものがある。こうして,国家 こっか の種類 しゅるい 分 わ けがなされるが,それは,18世紀 せいき から20世紀 せいき にかけて現実 げんじつ に存在 そんざい した種々 しゅじゅ の国家 こっか 結合 けつごう から帰納 きのう されたタイプにすぎない。したがって,実際 じっさい にはコモンウェルス のように,どのタイプにも該当 がいとう しない独特 どくとく な国家 こっか 結合 けつごう もありうる。通常 つうじょう ,国家 こっか 結合 けつごう として示 しめ されるのは,同君 どうくん 連合 れんごう ,国家 こっか 連合 れんごう ,連邦 れんぽう 制 せい ,保護 ほご 国 こく ・被 ひ 保護 ほご 国 こく ,宗主 そうしゅ 国 こく ・従属 じゅうぞく 国 こく である。同君 どうくん 連合 れんごう は君主 くんしゅ 国 こく について認 みと められ,複数 ふくすう 国家 こっか が偶然 ぐうぜん に同 どう 一人物 いちじんぶつ を君主 くんしゅ とする身上 しんじょう 連合 れんごう personal union(例 れい ,1714-1837年 ねん のイギリスとハノーバー朝 ちょう )と,複数 ふくすう 国家 こっか が合意 ごうい して同 どう 一人物 いちじんぶつ を君主 くんしゅ とする物上 ぶつじょう 連合 れんごう real union(例 れい ,1814-1905年 ねん のスウェーデンとノルウェー)とに細分 さいぶん される。国家 こっか 連合 れんごう confederation of states(例 れい ,1815-66年 ねん のドイツ連合 れんごう )も連邦 れんぽう 制 せい も,複数 ふくすう の国家 こっか が結合 けつごう して,それ自身 じしん の機関 きかん を設 もう けるときに成立 せいりつ するが,国家 こっか 連合 れんごう では,その機関 きかん の権限 けんげん が直接 ちょくせつ には構成 こうせい 国 こく だけにしか及 およ ばないのに対 たい し,連邦 れんぽう 制 せい では,構成 こうせい 国 こく 国民 こくみん にも及 およ ぶ。保護 ほご 国 こく ・被 ひ 保護 ほご 国 こく は,主権 しゅけん の重要 じゅうよう 部分 ぶぶん を委譲 いじょう するという方法 ほうほう で,弱国 じゃっこく (被 ひ 保護 ほご 国 こく )が強国 きょうこく (保護 ほご 国 こく )の保護 ほご 下 か に屈 くっ するときにみられる。宗主 そうしゅ 国 こく ・従属 じゅうぞく 国 こく は,国家 こっか の一部 いちぶ (従属 じゅうぞく 国 こく )が独立 どくりつ しようとする過程 かてい で,本国 ほんごく (宗主 そうしゅ 国 こく )の国内 こくない 法 ほう によって制限 せいげん された主権 しゅけん を認 みと められるときに成立 せいりつ する。これらの国家 こっか 結合 けつごう のうちで現存 げんそん しているといえるのは,連邦 れんぽう 制 せい のみである。
なお,国家 こっか の基本 きほん 的 てき 権利 けんり ・義務 ぎむ としてあげられるのは,主権 しゅけん ,独立 どくりつ 権 けん ,平等 びょうどう 権 けん ,自衛 じえい 権 けん ,不干渉 ふかんしょう 義務 ぎむ (内政 ないせい 干渉 かんしょう )などである。こうした国家 こっか の基本 きほん 権 けん の観念 かんねん は,歴史 れきし 的 てき には自然 しぜん 法 ほう 思想 しそう に基 もと づき,国家 こっか も生来 せいらい 的 てき に固有 こゆう の権利 けんり をもつという形 かたち で主張 しゅちょう された。しかし,前記 ぜんき の被 ひ 保護 ほご 国 こく ,従属 じゅうぞく 国 こく の場合 ばあい のように,主権 しゅけん は必 かなら ずしも固有 こゆう のものでなく,制限 せいげん されることがあることに注意 ちゅうい する必要 ひつよう がある。執筆 しっぴつ 者 しゃ :松田 まつだ 幹夫 みきお
現代 げんだい の国際 こくさい 社会 しゃかい と民族 みんぞく 国家 こっか 国際 こくさい 政治 せいじ の基本 きほん 的 てき な行為 こうい 主体 しゅたい actorとして,国家 こっか は,戦争 せんそう から平和 へいわ にいたるさまざまな国際 こくさい 現象 げんしょう の担 にな い手 て の役割 やくわり を果 は たしてきている。国家 こっか は,ふつう,民族 みんぞく 国家 こっか nation stateと呼 よ ばれる。民族 みんぞく 国家 こっか は,近世 きんせい ヨーロッパを舞台 ぶたい にして,17世紀 せいき 中 ちゅう ごろ以降 いこう ,その誕生 たんじょう をみた。三 さん 十 じゅう 年 ねん 戦争 せんそう に決着 けっちゃく をつけたウェストファリア条約 じょうやく (1648)が,民族 みんぞく 国家 こっか 体系 たいけい を成立 せいりつ せしめる歴史 れきし の一大 いちだい 契機 けいき となった。それ以前 いぜん の国際 こくさい 社会 しゃかい は,なによりも政治 せいじ と宗教 しゅうきょう とが未 み 分化 ぶんか の中世 ちゅうせい 世界 せかい であった。ローマ教皇 きょうこう が国家 こっか の次元 じげん を超 こ えてヨーロッパの教会 きょうかい 領 りょう に君臨 くんりん したり,また神聖 しんせい ロ ろ ーマ帝国 まていこく では,いろいろな領 りょう 邦 くに の領主 りょうしゅ が選挙 せんきょ 侯 こう として皇帝 こうてい を選出 せんしゅつ するというように,異質 いしつ な政治 せいじ の行為 こうい 主体 しゅたい が混 ま じり合 あ う世界 せかい であった。
多元的 たげんてき な政治 せいじ 体系 たいけい に代 か わって,共通 きょうつう の構造 こうぞう 属性 ぞくせい をもつ国家 こっか が,その規模 きぼ の大小 だいしょう にかかわらず,国際 こくさい 政治 せいじ の主役 しゅやく となったのである。その際 さい ,共通 きょうつう の構造 こうぞう 属性 ぞくせい とは,第 だい 1に,国家 こっか が固有 こゆう の領土 りょうど をもつこと,第 だい 2に,固有 こゆう の人口 じんこう をもつこと,そして第 だい 3に,対外 たいがい 的 てき に主権 しゅけん をもつことである。国際 こくさい 法 ほう は,一般 いっぱん に国家 こっか を,〈一定 いってい 領土 りょうど 内 ない に居住 きょじゅう する国民 こくみん に対 たい して,これを支配 しはい する政府 せいふ 組織 そしき を有 ゆう する法的 ほうてき 主体 しゅたい 〉として定義 ていぎ する。ここで大事 だいじ な点 てん は,国家 こっか が物理 ぶつり 的 てき 暴力 ぼうりょく (警察 けいさつ 力 りょく および軍事 ぐんじ 力 りょく )の唯一 ゆいいつ 正統 せいとう な独占 どくせん 主体 しゅたい であり,かつ,より高次 こうじ のいかなる政治 せいじ 的 てき 権威 けんい にも服 ふく さないことである。このような国家 こっか 主権 しゅけん の平等 びょうどう 性 せい を基礎 きそ にして現代 げんだい 国際 こくさい 社会 しゃかい が成 な り立 た っている。
民族 みんぞく 国家 こっか 体系 たいけい が生成 せいせい ・発展 はってん していく背景 はいけい には,確 たし かにその一方 いっぽう で,世俗 せぞく 的 てき 権威 けんい による宗教 しゅうきょう 的 てき 権威 けんい への優越 ゆうえつ という発展 はってん があったが,その他方 たほう では,それぞれの国家 こっか が,農業 のうぎょう 社会 しゃかい から工業 こうぎょう 社会 しゃかい へ脱皮 だっぴ していく経済 けいざい 的 てき 近代 きんだい 化 か の過程 かてい があり,同時 どうじ に常備 じょうび 軍 ぐん と官僚 かんりょう 機構 きこう をあわせ備 そな えていく政治 せいじ 的 てき 近代 きんだい 化 か の過程 かてい があった。
国家 こっか と国家 こっか 体系 たいけい の変質 へんしつ この体系 たいけい は,最初 さいしょ は,ヨーロッパ,それからアメリカ大陸 あめりかたいりく ,そしてアジアへと拡大 かくだい する歴史 れきし をたどったが,とくに第 だい 2次 じ 大戦 たいせん を境 さかい にして,国家 こっか 群 ぐん の増大 ぞうだい をみることとなった。たとえば,1945年 ねん に国際 こくさい 連合 れんごう が発足 ほっそく したとき,構成 こうせい 国 こく の数 かず は51ヵ国 かこく であった。ところが,80年代 ねんだい に入 はい って,その数 かず は3倍 ばい の150ヵ国 かこく をこし,90年代 ねんだい 末 まつ には180ヵ国 かこく をこえた。民族 みんぞく 国家 こっか 体系 たいけい は,ここで一挙 いっきょ に膨張 ぼうちょう をみた。しかし,この膨張 ぼうちょう 過程 かてい は,同時 どうじ に国家 こっか 体系 たいけい および国家 こっか の重要 じゅうよう な変質 へんしつ をまねいてきている。
まず第 だい 1に,民族 みんぞく と国家 こっか とを一体 いったい とする構成 こうせい 原理 げんり に大 おお きな変容 へんよう をみてきていることである。それはとくに,長 なが く植民 しょくみん 地 ち の地位 ちい におかれたがゆえに,民族 みんぞく と国家 こっか とを外 そと の力 ちから によって人為 じんい 的 てき に分断 ぶんだん せしめざるをえなかった多 おお くの開発 かいはつ 途上 とじょう 国 こく の事例 じれい にみられる。第 だい 2次 じ 大戦 たいせん 後 ご 独立 どくりつ をみた多 おお くの途上 とじょう 国 こく は,民族 みんぞく 国家 こっか の構成 こうせい モデルに容易 ようい にあてはまらず,いまなお国家 こっか の形成 けいせい 過程 かてい にある。
第 だい 2には,国家 こっか 間 あいだ の力 ちから powerの不 ふ 均質 きんしつ さがいっそう顕著 けんちょ になる方向 ほうこう での変容 へんよう である。軍事 ぐんじ 力 りょく の次元 じげん では,圧倒的 あっとうてき な核 かく 兵力 へいりょく をもつ米 べい ソが国際 こくさい 政治 せいじ で〈2者 しゃ 独占 どくせん 〉の状況 じょうきょう にあったし,また経済 けいざい 力 りょく の次元 じげん では,先進 せんしん 工業 こうぎょう 諸国 しょこく と開発 かいはつ 途上 とじょう 諸国 しょこく との間 あいだ の貧富 ひんぷ の差 さ が広 ひろ がる一方 いっぽう である。まさに国家 こっか 群 ぐん の膨張 ぼうちょう は,国々 くにぐに の不平等 ふびょうどう 構造 こうぞう ,ゆがみを強 つよ めることとなった。そのことが国際 こくさい 政治 せいじ でさまざまな紛争 ふんそう を生 う み,その解決 かいけつ をますます困難 こんなん なものとしている。
第 だい 3に,国家 こっか および国家 こっか 体系 たいけい の変質 へんしつ として見 み のがせない現象 げんしょう に,国々 くにぐに の〈相互 そうご 依存 いぞん 〉の深化 しんか といった新 あら たな現実 げんじつ がある。とくに先進 せんしん 工業 こうぎょう 諸国 しょこく を中心 ちゅうしん として,貿易 ぼうえき ,金融 きんゆう ,人 にん ,情報 じょうほう など有形 ゆうけい 無形 むけい の相互 そうご 交流 こうりゅう が著 いちじる しい速度 そくど で発展 はってん し,その結果 けっか ,国々 くにぐに は,相互 そうご の政策 せいさく の変化 へんか に敏感 びんかん にかつ大 おお きく影響 えいきょう をうけるようになった。国々 くにぐに は相互 そうご の依存 いぞん を増 ま すと同時 どうじ に相互 そうご の脆弱 ぜいじゃく (ぜいじやく)性 せい をも増 ま している。このような〈相互 そうご 依存 いぞん 〉の深化 しんか の状況 じょうきょう 下 か では,国家 こっか は,紛争 ふんそう の解決 かいけつ の手段 しゅだん として,軍事 ぐんじ 力 りょく に安易 あんい に頼 たよ ることができなくなった。むしろ非 ひ 軍事 ぐんじ 的 てき な方法 ほうほう が重要 じゅうよう 視 し されるようになった。これによって国際 こくさい 紛争 ふんそう の処理 しょり や危機 きき 管理 かんり が図 はか られねばならない。何 なに 世紀 せいき にもわたって国際 こくさい 政治 せいじ で実践 じっせん されてきた〈砲艦 ほうかん 外交 がいこう 〉の行動 こうどう 様式 ようしき に強 つよ い疑問 ぎもん が投 な げかけられている。〈相互 そうご 依存 いぞん 〉の深化 しんか が国家 こっか の行動 こうどう 様式 ようしき の変化 へんか を顕著 けんちょ にしてきている事例 じれい として,ヨーロッパ連合 れんごう (EU)域内 いきない の国際 こくさい 関係 かんけい があげられよう(国際 こくさい 統合 とうごう )。
第 だい 4の変化 へんか として,多 た 国籍 こくせき 企業 きぎょう やさまざまな営利 えいり ・非 ひ 営利 えいり の非 ひ 政府 せいふ 組織 そしき (NGO )が国際 こくさい 政治 せいじ で新 あら たな行為 こうい 主体 しゅたい としてその重要 じゅうよう 性 せい を増 ま していることがある。国際 こくさい 政治 せいじ に新 あら たに〈脱 だつ 国家 こっか 国際 こくさい 関係 かんけい transnational relations〉の登場 とうじょう をみることとなった(トランスナショナリズム )。この変化 へんか に呼応 こおう するかのように,国々 くにぐに によっては,国内 こくない に人種 じんしゅ や文化 ぶんか の〈アイデンティティ〉を求 もと める地方 ちほう 主義 しゅぎ も台頭 たいとう し,国家 こっか 社会 しゃかい の細分 さいぶん 化 か の方向 ほうこう へと重要 じゅうよう な変化 へんか がみられるようになった。 →世界 せかい 政治 せいじ 執筆 しっぴつ 者 しゃ :鴨 かも 武彦 たけひこ