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国家(コッカ)とは? 意味や使い方 - コトバンク

国家こっかみ)コッカ英語えいご表記ひょうき)state
Staat[ドイツ]
État[フランス]

デジタル大辞泉だいじせん国家こっか」の意味いみみ・例文れいぶん類語るいご

こっ‐か〔コク‐〕【国家こっか

くに。
一定いってい領土りょうどとそこに居住きょじゅうする人々ひとびとからなり、統治とうち組織そしきをもつ政治せいじてき共同きょうどうたい。または、その組織そしき制度せいど主権しゅけん領土りょうど人民じんみんがその3要素ようそとされる。
[類語るいご]くに邦家ほうか社稷しゃしょく

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精選せいせんばん 日本にっぽん国語こくごだい辞典じてん国家こっか」の意味いみみ・例文れいぶん類語るいご

こっ‐かコク‥国家こっか

  1. 名詞めいし
  2. 一定いってい地域ちいき人々ひとびと支配しはい統治とうちする組織そしきくに(くに)邦国ほうこく(ほうこく)邦家ほうか(ほうか)朝廷ちょうてい。おおやけ。
    1. [初出しょしゅつ実例じつれい]「百姓ひゃくしょうゆうれい国家こっか自治じち」(出典しゅってんじゅうなな箇条かじょう憲法けんぽう(604))
    2. また国家こっかいのりたてまつことおろそかならず」(出典しゅってん平家ひらか物語ものがたり(13Cまえ)
    3. [その文献ぶんけん]〔えきけい繋辞けいじ
  3. とくに、近代きんだい一定いってい領土りょうどゆうし、そこに居住きょじゅうする人々ひとびと構成こうせいされ、ひとつの統治とうち組織そしきをもつ団体だんたい基本きほん条件じょうけんとして、国民こくみん領土りょうど統治とうちけんさん要素ようそ必要ひつようとする。その起源きげんについては神意しんいせつ契約けいやくせつじつ力説りきせつなどがある。
    1. [初出しょしゅつ実例じつれい]「国家こっか安全あんぜん丹誠たんせいシテいのりル」(出典しゅってんかずらん字彙じい(1855‐58))
  4. とく天皇てんのうをさす。
    1. [初出しょしゅつ実例じつれい]「まこと国家こっか及大将軍しょうぐん太守たいしゅせんねんうえぶくもと万劫まんごうさくふつほん」(出典しゅってん円覚寺えんかくじ文書ぶんしょ‐(弘安ひろやすろくねん)(1283)なながついちはちにち無学むがくもと書状しょじょう)
  5. 戦国せんごく大名だいみょう領国りょうごく
    1. [初出しょしゅつ実例じつれい]「もろそつ下知げじし、国家こっか恙候」(出典しゅってん朝倉あさくらたかしけい条々じょうじょう(1471‐81)いちろくじょう)
  6. くにいえ。〔にち葡辞しょ(1603‐04)〕
  7. 江戸えど時代じだいいちこく以上いじょう領有りょうゆうする大名だいみょう国持くにもち(くにもち)
    1. [初出しょしゅつ実例じつれい]「其時は国家こっか御用ごようあいきよしいちそん国家こっかたい言上ごんじょう差控さしひかえやめざいこう」(出典しゅってん葉隠はがくれ(1716ごろはち)

くに‐いえ‥いへ国家こっか

  1. [ 1 ] 名詞めいし ( 「国家こっか」を訓読くんどくしたかたり ) =こっか(国家こっか
    1. [初出しょしゅつ実例じつれい]「宗廟そうびょう社稷しゃしょく(クニイヘ)たてまつへまつるはおもことなり。ぼく(やつかれ)(みつな)うして以称(かな)ふにらず」(出典しゅってん日本書紀にほんしょき(720)仁徳にんとく即位そくいまえ寛文ひろふみばんくん))
  2. [ 2 ]あわたぐちくにいえ(粟田口あわだぐち国家こっか

くに‐け【国家こっか

  1. 名詞めいし 地方ちほうから江戸えどてきた武家ぶけくにしゅ国武くにたけ
    1. [初出しょしゅつ実例じつれい]「むかふへきなはるは、ぬしのちかづきのお国家こっか(クニケ)だね。あれは四国しこくひとさ」(出典しゅってん洒落本しゃれぼん広街ひろこうじ一寸いっすんあいだゆう(1778))

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日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ)国家こっか」の意味いみ・わかりやすい解説かいせつ

国家こっか政治せいじてき共同きょうどう社会しゃかい
こっか
state 英語えいご
Staat ドイツ
État フランス語ふらんすご

国家こっかとは、一定いってい地域ちいきない人間にんげん集団しゅうだんが、生命せいめい安全あんぜん生活せいかつ保障ほしょうもとめて、また外敵がいてき侵入しんにゅうふせぐために形成けいせいした政治せいじてき共同きょうどう社会しゃかいである。

 現在げんざい、この地球ちきゅうじょうにはやく200かこくちか国家こっか共存きょうぞんしている。これらの国々くにぐにのうち、だい世界せかい大戦たいせんまえからすでに独立どくりつ国家こっかであった国々くにぐに大半たいはん資本しほん主義しゅぎ体制たいせいをとる国家こっかである。これに対抗たいこうして、ソ連それんつづき、だい世界せかい大戦たいせんじゅうすうこく以上いじょうにのぼる社会しゃかい主義しゅぎ国家こっか出現しゅつげんした。しかし、1989ねん以降いこう東欧とうおう諸国しょこくソ連それん社会しゃかい主義しゅぎ放棄ほうきし、現在げんざいでは、社会しゃかい主義しゅぎ国家こっか中国ちゅうごく・ベトナム・北朝鮮きたちょうせん・キューバとなった。また戦後せんごから現在げんざいいたるまでに、しゅとしてアジア、アフリカのしょ地域ちいきにおいて、かつて西欧せいおう列強れっきょう植民しょくみん支配しはいにあった多数たすう民族みんぞく独立どくりつ達成たっせいし、これらの国々くにぐにはいまや100かこくちかくにのぼり、国際こくさい連合れんごう国際こくさい政治せいじのなかで活躍かつやくしている。

 では、国家こっかとはいったいなになのか。現在げんざいみられるような国家こっかという政治せいじ社会しゃかい政治せいじ形態けいたいはいつごろ成立せいりつしたのか。そもそも近代きんだい国家こっか成立せいりつしたとき、その国家こっか構成こうせい原理げんり政治せいじ運営うんえいのルール・原則げんそくはどのようなものとしてかんがえられていたのか。現代げんだい国際こくさい社会しゃかいには、なにゆえ、資本しほん主義しゅぎ国家こっか社会しゃかい主義しゅぎ国家こっかとよばれるような、経済けいざい制度せいど政治せいじ制度せいどもきわめてことなるふたつのタイプの国家こっか共存きょうぞんするようになったのか。だい世界せかい大戦たいせん多数たすう新興しんこう独立どくりつ国家こっか出現しゅつげんしたことによっておおきく変化へんかした国際こくさい政治せいじ舞台ぶたいにおいて国家こっか性格せいかくはどのような変貌へんぼう(へんぼう)をみせ、国家こっか将来しょうらいについては今後こんごどのような展開てんかい予想よそうされるのであろうか。

田中たなか ひろし

国家こっかとは

国家こっか成立せいりつ要件ようけんとしては、普通ふつうには、それが、領土りょうど人民じんみん国民こくみん)、主権しゅけんの3要素ようそ具備ぐびしていなければならないことがあげられる。

 いかなる国家こっかも、境界きょうかいせん国境こっきょう)によってくぎられた一定いってい地域ちいき領域りょういきをもっている。アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく、ロシア、中国ちゅうごく、カナダ、オーストラリア、インドのような広大こうだい領土りょうどをもつくにもあれば、スリランカ、モナコ、シンガポールトリニダード・トバゴのような小規模しょうきぼくにもある。また、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、スイス、日本にっぽんなどのような中規模ちゅうきぼ程度ていどくにもある。いずれにせよ、地球ちきゅう全体ぜんたい境界きょうかいせっした多数たすう国々くにぐにによってくされている。

 つぎに、国家こっか人民じんみん国民こくみん)によって構成こうせいされている。なにおくにんという人口じんこうようするくにもあれば、わずかすうまんにんすうじゅうまんにん人口じんこうしかもたないくに、あるいはすうひゃくまんすうせんまんにんといった両者りょうしゃなかあいだ規模きぼ人口じんこうからなるくにもある。また、これらの国々くにぐにのうちには、人口じんこう大半たいはんいち民族みんぞく構成こうせいされている単一たんいつ民族みんぞく国家こっかもあれば、数種類すうしゅるいすうじゅう種類しゅるい、さらにすうひゃく種類しゅるい以上いじょう民族みんぞく人種じんしゅによって構成こうせいされている民族みんぞく国家こっかもある。後者こうしゃのような国々くにぐにでは、当然とうぜん言語げんご宗教しゅうきょう風俗ふうぞくなどにさまざまな差異さいがみられ、それなりに困難こんなん問題もんだいかかえている。しかし、たとえ民族みんぞく国家こっかであっても、その地域ちいき共同きょうどうたい人々ひとびと統合とうごうされており、ひとつのまとまりを保持ほじしている。

 そして、そのような一定いっていのまとまりを人々ひとびと保障ほしょうしているのが、すべての国家こっかにあるとされる主権しゅけん、すなわちくに政治せいじ最終さいしゅうてき決定けっていする最高さいこう権力けんりょくである。現代げんだい国家こっかにおいては、この主権しゅけん国民こくみんがもつとされている(国民こくみん主権しゅけん)。このことはつぎみっつのことを意味いみする。まずだいいち国民こくみん安全あんぜん快適かいてき生活せいかつができるように最高さいこう権力けんりょく主権しゅけん存在そんざいみとめることに同意どういし、それによって政治せいじ社会しゃかい国家こっか設立せつりつしたのであるから、国民こくみんみずかすすんでこの主権しゅけんのもとに統合とうごうされるべきである。だいに、各国かっこく存在そんざいする議会ぎかい内閣ないかく政府せいふ)、裁判所さいばんしょなどの各種かくしゅ政治せいじ機関きかんは、主権しゅけん形成けいせいした主権しゅけんしゃである国民こくみんにかわって、その委託いたくけて最高さいこう権力けんりょく国民こくみん安全あんぜん利益りえきのために行使こうしする政治せいじ制度せいどであるとかんがえられるべきである。国家こっかがしばしば統治とうち構造こうぞう同一どういつされる理由りゆうはここにあるが、ともあれ、国家こっか役割やくわりは、国民こくみん権利けんり自由じゆう保障ほしょうできるような法律ほうりつ制定せいていし(立法りっぽう)、その法律ほうりつ誠実せいじつ執行しっこうし(行政ぎょうせい)、国家こっかないにおけるすべての紛争ふんそうについて法律ほうりつただしく解釈かいしゃく適用てきようして解決かいけつし(司法しほう)、それによって人々ひとびと平和へいわ安全あんぜん維持いじすること、つまり政治せいじ隅々すみずみにまでわたって「ほう支配しはい」を貫徹かんてつすることにある、といえよう。こうして国民こくみん主権しゅけんのもとに結集けっしゅうした目的もくてき達成たっせいされるのである。

 だいさんに、以上いじょうのような民主みんしゅてき権力けんりょく行使こうし実現じつげんされるという条件じょうけんもとで、各種かくしゅ政治せいじ機関きかんは、かれらが決定けっていしたことを遵守じゅんしゅするように国民こくみん強制きょうせいできる権限けんげん付与ふよされているのであって、これによって、国家こっか権力けんりょくによる強制きょうせい絶対ぜったい君主くんしゅ独裁どくさいしゃのようなたんなる暴力ぼうりょくではなくて平和へいわてきな「ほう支配しはい」にえられるのである。

 ところで、国家こっかには、国内こくない平和へいわ安全あんぜん保持ほじするという重要じゅうよう役割やくわりのほかに、もうひと外敵がいてきから国民こくみんまもるという役割やくわりがある。国家こっかが、主権しゅけん独立どくりつせい不可侵ふかしん原則げんそくたかかかげて他国たこくからの干渉かんしょう排除はいじょし、そのために軍隊ぐんたいのような権力けんりょく手段しゅだんをもつことが国家こっかみとめられているのはそのためである。したがって、近代きんだい国家こっか形成けいせい登場とうじょうした主権しゅけんというかんがかたのなかには、国民こくみん主権しゅけんほう支配しはい外敵がいてき排除はいじょなどの内容ないようふくまれていたことに注意ちゅういすべきである。近代きんだい国家こっかろんホッブズが、国家こっか身体しんたいになぞらえて、主権しゅけん国家こっか(コモンウェルス)における頭部とうぶたましい位置いちづけたのはこうした意味いみからである。いずれにせよ、領土りょうど人民じんみん主権しゅけんの3要素ようそのうちどれひとつをいても、ある共同きょうどう社会しゃかい国家こっかとよぶことはできないのである。

田中たなか ひろし

国家こっか成立せいりつ

では、主権しゅけんというかんがかた国家こっか構成こうせい中核ちゅうかく原理げんりとする主権しゅけん国家こっか民族みんぞく国家こっかなどとよばれる近代きんだい国家こっかはいつごろ形成けいせいされたのであろうか。われわれはその時期じきを17世紀せいき中葉ちゅうようのイギリス市民しみん革命かくめいもとめることができる。この時期じき形成けいせいされた国民こくみん国家こっか(ネーション・ステート)こそ、今日きょうのあらゆる現代げんだい国家こっかのモデルとなったものである。もちろん、それ以前いぜんにも、エジプトや中国ちゅうごくにおける古代こだい国家こっか、ギリシアの都市とし国家こっかマ帝国まていこく中世ちゅうせい封建ほうけん国家こっか絶対ぜったい主義しゅぎ国家こっかのような政治せいじ共同きょうどうたい存在そんざいしていたことをわれわれはっている。しかし、これらの国家こっかはいずれも今日きょう近代きんだい民主みんしゅ主義しゅぎ国家こっかあたいするような条件じょうけんいていた。アテネの都市とし国家こっかはしばしば政治せいじ共同きょうどうたい理想りそうとして賞賛しょうさんされてきた。たしかに、ギリシア民主みんしゅせい最盛さいせいにおけるアテネでは、そこに市民しみんたちは、個人こじん利益りえきとポリス(国家こっか)の利益りえきとが一致いっちするように行動こうどうすべきことをこころがけていた。ソクラテス、プラトン、アリストテレスなどが「とく」の政治せいじ実現じつげん主張しゅちょうしたのはこうした状況じょうきょう背景はいけいとしていたのである。しかし、そのような政治せいじは、ひとつには、一目いちもく見渡みわたされる程度ていど小規模しょうきぼ地域ちいき一気いっきにその頭数とうすう計算けいさんできるほどの少数しょうすう人口じんこうという条件じょうけんしたでのみ可能かのうであったろうし、ひとつには、人口じんこうの3ぶんの1以上いじょうめる奴隷どれいがもっぱら生産せいさん従事じゅうじし、自由じゆうみん政治せいじ専念せんねんできたことにもその成功せいこうかぎ(かぎ)があったようにおもわれる。ところが、17世紀せいきイギリスにおいて成立せいりつした近代きんだい国家こっかは、500まんにんほどの人口じんこうようする、かつ、都市とし国家こっかとは比較ひかくにならないほどのだい規模きぼ地域ちいきをもつ政治せいじ社会しゃかいであった。ここではもはや、都市とし国家こっかのような「える政治せいじ」を前提ぜんていとする政治せいじ運営うんえいはほとんど不可能ふかのうとなる。こうした条件じょうけんのなかで、ぜん国民こくみん自発じはつてき協力きょうりょく基礎きそにしつつ、ある一定いっていのまとまりをもった民主みんしゅてき政治せいじ運営うんえい実現じつげんするにはどうすればよいのか、というまったくあたらしい政治せいじ問題もんだい登場とうじょうする。そして、そのための政治せいじ原理げんり政治せいじ制度せいど模索もさくする努力どりょくのなかから今日きょうみられるような近代きんだい国家こっか設立せつりつされたのである。このてんについてはのちべるとして、その都市とし国家こっか運命うんめいについていえば、あまりにも狭小きょうしょう領土りょうどときわめて少数しょうすう人口じんこうによっては、とうてい、近代きんだい資本しほん主義しゅぎ社会しゃかいにみられるような生産せいさんりょく飛躍ひやくてき増大ぞうだいのぞめず、また強大きょうだい外敵がいてき侵入しんにゅうふせぐこともできず、都市とし国家こっかという形態けいたいしょう国家こっかはやがてこの地上ちじょうから消滅しょうめつするのである。

 つづいて、西にしヨーロッパ全体ぜんたいにまたがる広大こうだい版図はんとをもつマ帝国まていこく出現しゅつげんするが、この巨大きょだい帝国ていこく全体ぜんたい半永久はんえいきゅうてきにかつ統一とういつてき維持いじつづけることは、強大きょうだい軍隊ぐんたいキリスト教きりすときょうによる精神せいしんてき服従ふくじゅうちからをもってしても不可能ふかのうであって、7、8世紀せいきになると西にしヨーロッパの辺境へんきょう地域ちいき多数たすう地域ちいき共同きょうどうたい形成けいせいされる。そして、これらの地域ちいき共同きょうどう体内たいないにはなんじゅうなんひゃくというかず封建ほうけん領主りょうしゅ支配しはいする封建ほうけん国家こっか出現しゅつげんするが、12、13世紀せいきから17、18世紀せいきにかけて、封建ほうけん領主りょうしゅのなかから、同輩どうはい封建ほうけん領主りょうしゅたちを次々つぎつぎにその支配しはい国家こっか統一とういつへのみちざしてあゆはじめる強大きょうだい絶対ぜったい君主くんしゅが、イギリス、フランス、スペイン、ポルトガルなどの地域ちいき登場とうじょうする。とくに、世界せかい最初さいしょ近代きんだい国家こっか形成けいせいすることに成功せいこうしたイギリスでは、13世紀せいきまつまでに王国おうこく政治せいじ円滑えんかつならしめるために身分みぶんせい議会ぎかい設立せつりつされ、しかも、フランスやスペインの場合ばあいとはことなり、このくに議会ぎかいはその着実ちゃくじつにその地位ちい権限けんげん強化きょうかしていったから、17世紀せいき前半ぜんはんまでにはイギリスの議会ぎかいぜん国家こっかてき統合とうごう機能きのうをもつ政治せいじ機関きかん成長せいちょうしていた。

 またイギリスでは、経済けいざいめんにおいても国々くにぐに先駆さきがけて資本しほん主義しゅぎ発展はってんしたため、各地かくち局地きょくちてき市場いちばけん形成けいせいされ、そのことは全国ぜんこくてき経済けいざい統合とうごう方向ほうこうをも促進そくしんした。そして、このような政治せいじてき経済けいざいてき統合とうごう進展しんてんこそ、絶対ぜったい主義しゅぎ国家こっかから近代きんだい国家こっかへの転換てんかん可能かのうにした政治せいじてき経済けいざいてき要因よういんであった。すなわち、こうした政治せいじ経済けいざい過程かてい進行しんこう当然とうぜんに、生産せいさんになであった市民しみん階級かいきゅう勢力せいりょく増大ぞうだいさせることになり、イギリスでは、ついに17世紀せいきはいって、封建ほうけん階級かいきゅう利益りえき擁護ようごする国王こくおう資本しほん主義しゅぎてきしょう工業こうぎょう階級かいきゅう立場たちば支持しじする議会ぎかいとのあいだ衝突しょうとつこり(ピューリタン革命かくめい名誉めいよ革命かくめい)、議会ぎかいがわ勝利しょうりによって、ようやく議会ぎかいせい民主みんしゅ主義しゅぎ中心ちゅうしんとする近代きんだい国家こっか形成けいせいされたのである。では、このようにして成立せいりつした国家こっかにおいて、国民こくみん権利けんり自由じゆうはどのように位置いちづけられ、またそれを保障ほしょうする制度せいど政治せいじ運営うんえいのルールや原理げんりはどのように構築こうちくされたのであろうか。

田中たなか ひろし

近代きんだい国家こっか原理げんり制度せいど

近代きんだい国家こっかしょ原理げんり最初さいしょあきらかにしたのはホッブズである。かれは、17世紀せいき中葉ちゅうようのイギリスにおいて国王こくおう議会ぎかいそうたたか悲惨ひさん内乱ないらん(ピューリタン革命かくめい)を眼前がんぜんにして、共同きょうどう社会しゃかい平和へいわ確立かくりつし、構成こうせいいんすべての生命せいめい安全あんぜん確保かくほするためにはどうすればよいか、をかんがえた。この場合ばあいかれは、国王こくおう議会ぎかいがそれぞれの立場たちば自己じこ正当せいとうするだけではあらそいは永遠えいえん決着けっちゃくがつかないとみて、いずれの党派とうはにもくみせず、まず、人間にんげんにとってなにがもっとも重要じゅうようであるかをかんがえ、そこから政治せいじ問題もんだい回答かいとうあたえようとした。このような人間にんげん政治せいじ考察こうさつ基本きほん単位たんいとする思考しこう方法ほうほうは、従来じゅうらい政治せいじがくがもっぱら家族かぞく党派とうはてき立場たちばからのみ政治せいじ考察こうさつしてきたのにたいし、きわめて斬新ざんしん(ざんしん)なものであり、これによって、ホッブズの政治せいじろんは、あたらしい近代きんだい国家こっか理論りろんとなりえたのであった。かれは、人間にんげんにとってもっとも重要じゅうよう価値かち生命せいめい尊重そんちょう自己じこ保存ほぞん)にある、とべる。

 ついでホッブズは、もしも人間にんげん法律ほうりつ政治せいじ組織そしきをもたないアナーキー状況じょうきょう自然しぜん状態じょうたい)のしたきていたらどうなるか、という問題もんだい提起ていきし、自然しぜん状態じょうたいにおいては、人間にんげんは、自分じぶん生命せいめいまもるためにはいかなることをしてもよい権利けんり――ひところすことさえもみとめられる――、つまり「自然しぜんけん」をもつ、という。しかしかれは、このような自然しぜん状態じょうたいにあっては、人間にんげんはまったく自由じゆうであり、それゆえに自分じぶん自分じぶん裁判官さいばんかんであるにもかかわらず、他方たほうでは各人かくじん自然しぜんけんをもっていることから、もしも安全あんぜん保障ほしょうされないような状況じょうきょう発生はっせいしたときには、相互そうご相手あいてころ危険きけん状態じょうたいにつねにさらされている、と指摘してきし、そうした状態じょうたいを「まんにんまんにんたいする闘争とうそう状態じょうたい」とよび、現在げんざい内乱ないらん(ピューリタン革命かくめい)も自然しぜん状態じょうたいひとしいものと言明げんめいしている。では、こうした危険きけんせいをつねにはらんだ自然しぜん状態じょうたいから人間にんげん脱出だっしゅつするためにはどうすればよいのか。ホッブズは、その方法ほうほうとしては、人間にんげん理性りせいをもち、この理性りせいは、人間にんげん平和へいわ安全あんぜんきるにはどのように行動こうどうしたらよいかを判断はんだんする最終さいしゅうてき基準きじゅん人間にんげんおしえてくれるから、人間にんげんはこの理性りせいしめしょ戒律かいりつすなわち「自然しぜんほう」にしたがって行動こうどうせよ、と人々ひとびとすすめる。かれ自然しぜんほうを19ほど列挙れっきょしているが、かれのいうだいいち基本きほんてき自然しぜんほうとは、人間にんげん自己じこ保存ほぞんのために全力ぜんりょくをあげて平和へいわ獲得かくとくせよ、ということである。そこでかれは、平和へいわ確保かくほするためには、人間にんげん各人かくじんのもつ「自然しぜんけん」を放棄ほうきして(つまり自分じぶん自分じぶんまもることをやめて)、共同きょうどう社会しゃかいのなかにもうけたひとつの共通きょうつう権力けんりょく(コモン・パワー)に譲渡じょうとするような「契約けいやく」をむすび、この共通きょうつう権力けんりょくのなかでえらばれた代表だいひょう主権しゅけんしゃが、共通きょうつう利益りえきはかるために制定せいていする法律ほうりつしたがって統治とうち統治とうちされるようにせよ、と人々ひとびとすすめる。これが、有名ゆうめい社会しゃかい契約けいやくせつであり、このかんがかたこそ、近代きんだい国家こっかろん近代きんだい民主みんしゅ主義しゅぎ思想しそう原点げんてんとなったものである。なぜなら、まずだいいちに、このかんがえによれば、国家こっかのもつ権力けんりょくは、人々ひとびと同意どうい契約けいやくによって設立せつりつされたものとなるから、これは今日きょう国民こくみん主権しゅけん主義しゅぎ原型げんけいといえる。だいに、この設立せつりつされた共通きょうつう権力けんりょくは、ホッブズによればくに最高さいこう権力けんりょくすなわち主権しゅけんであり、そこでえらばれた主権しゅけんしゃとは、国民こくみん代表だいひょうして主権しゅけん行使こうしするひとまたは機関きかんである。そこでホッブズは、人々ひとびとたいしては、かれらの代表だいひょうである主権しゅけんしゃ制定せいていした法律ほうりつしたがってきることをすすめ、他方たほう主権しゅけんしゃたいしては、自己じこ保存ほぞん確保かくほするための内容ないようしめ自然しぜんほうはんするような法律ほうりつ制定せいていすることをきんじているから、結局けっきょくかれ主張しゅちょうは、現代げんだい国家こっかでいわれている「ほう支配しはい」にもとづく政治せいじ確立かくりつざしていることになる。

 ところで、ホッブズのいう自然しぜんけん放棄ほうきとは、各人かくじんきる権利けんりつまり自分じぶん生命せいめいまでも放棄ほうきし、すべてのことを主権しゅけんしゃのままにまかせるということを意味いみするものではない。それどころか、各人かくじんのもつきる権利けんりは、政治せいじ社会しゃかい設立せつりつされたのちにも当然とうぜん保障ほしょうされるべきものであって、自然しぜんけん放棄ほうきするというのは、具体ぐたいてきには自分じぶん自分じぶん生命せいめいまもること、つまり武器ぶきてて、共通きょうつう権力けんりょく制定せいていした法律ほうりつした平和へいわ安全あんぜんきることを意味いみする。このかんがかたこそ、各国かっこく憲法けんぽうにおいて基本きほんてき人権じんけん不可侵ふかしんのもの、まれながらのものとして保障ほしょうする思想しそう原理げんりとなったものである。

 ホッブズの政治せいじ思想しそうは、各国かっこく近代きんだい国家こっか形成けいせいするさい実践じっせんされている。近代きんだい国家こっかにおいては、地域ちいき分権ぶんけんてき封建ほうけん諸侯しょこうによる支配しはい廃止はいしされ、人々ひとびとひとつの権力けんりょくひとつの法律ほうりつしたきる。またかく個人こじんかく集団しゅうだんは、武器ぶきをもって他人たにん支配しはいしたり、自分じぶん生命せいめいまもることをきんじられ、社会しゃかい平和へいわみだ犯罪はんざい行為こうい暴力ぼうりょく行為こういたいしてはくに法律ほうりつその統制とうせい手段しゅだんによって刑罰けいばつする。日本にっぽんでも明治維新めいじいしんに、版籍はんせき奉還ほうかん廃藩置県はいはんちけん廃刀はいとうれいなどが実施じっしされたのはそのためである。このような「同意どういによる権力けんりょく設立せつりつ」と「ほう支配しはい」を基調きちょうとした近代きんだい国家こっか理論りろんこそ、ホッブズが体系たいけいしたものである。

 ところで、近代きんだい国家こっかは、都市とし国家こっかとはことなり、統治とうち委託いたくされたものたちがすべての成員せいいん直接ちょくせつって政治せいじおこなうことはできない(えない政治せいじ)。とすれば、近代きんだい国家こっかにおいて成員せいいん全体ぜんたい安心あんしんして生活せいかつでき、また国家こっか自体じたい安定あんていせい保持ほじできるという保障ほしょうはどこにあるのか。まずだいいちかんがえられることは、近代きんだい国家こっかにおいては、国民こくみん代表だいひょうしゃえらんで共通きょうつう利益りえきはか法律ほうりつをつくらせ、国民こくみんはそれにしたがってきることが最良さいりょう方法ほうほうである、という論理ろんりてき仮説かせつ国民こくみんあいだ定着ていちゃくしていることが必要ひつようである。もうひとつは、近代きんだい国家こっかないでは、国民こくみん大半たいはん生産せいさん商業しょうぎょうなどの経済けいざい活動かつどう従事じゅうじし、みずからの生活せいかつ保持ほじはかるとともに、人々ひとびとにとっても有用ゆうようなものを生産せいさん分配ぶんぱいし、そのような国民こくみん経済けいざい活動かつどう保障ほしょうしているのが国家こっか権力けんりょく各種かくしゅ政治せいじ組織そしきである、という経済けいざい政治せいじ分業ぶんぎょうによる安定あんていせいという仮説かせつ定着ていちゃくしている必要ひつようがある。このように、近代きんだい国家こっかは、まさに自立じりつした自由じゆう個人こじん活動かつどう基礎きそとして、それを保障ほしょうするほう制度せいど整備せいびすることにより、成員せいいん全体ぜんたい平和へいわ快適かいてき生活せいかつ増進ぞうしんする政治せいじ共同きょうどうたいとして創出そうしゅつされたものである。そして、ホッブズの政治せいじろんは、このふたつの仮説かせつ論理ろんりしたものであるとかんがえられ、それゆえにかれ政治せいじ理論りろん近代きんだい政治せいじ思想しそう史上しじょう決定的けっていてき重要じゅうよう位置いちめるものといえよう。

 さて、ホッブズの政治せいじ思想しそうをさらに現実げんじつ政治せいじのなかで具体ぐたいし、議会ぎかいせい民主みんしゅ主義しゅぎ保障ほしょうする政治せいじ形態けいたい構築こうちくしたのが、名誉めいよ革命かくめいちちロックである。ホッブズは、当時とうじ議会ぎかい特殊とくしゅ利益りえき代表だいひょうしているとみて、よりいっそう国民こくみんてき利益りえき代表だいひょうできるなんらかべつ政治せいじ形態けいたい設立せつりつかんがえていたようであるが、それがなにであるかについてはべることはなく、結局けっきょく政治せいじのあるべき原理げんり提示ていじしたままにとどまった。これにたいし、ロックは、まようことなくイギリス議会ぎかいをイギリス政治せいじ中心ちゅうしんえた。かれもまたホッブズりゅうに、自然しぜん状態じょうたい自然しぜんけん自然しぜんほう契約けいやくなどの用語ようご使つかいながら、人間にんげんはその所有しょゆうけん生命せいめい自由じゆう財産ざいさん)を保護ほごする必要ひつようから契約けいやくむすび、政治せいじ社会しゃかいをつくった、とべる。

 つぎにロックは、政治せいじ社会しゃかいのなかでもっとも重要じゅうようなものは立法りっぽう機関きかんであるとし、それによって当時とうじのイギリス議会ぎかい国権こっけん最高さいこう機関きかんとして位置いちづけ、さらにこの議会ぎかい権力けんりょく国王こくおう権力けんりょく行政ぎょうせいけん)よりも優位ゆういするとべた。こうしてロックは、今日きょう議会ぎかいせい民主みんしゅ主義しゅぎあるいは議院ぎいんないかくせい政治せいじ原理げんりのモデルを創出そうしゅつしたのである。ホッブズ、ロックによって、国王こくおう権力けんりょくかみから授ったとするフィルマーりゅう王権おうけん神授しんじゅせつ神権しんけんせつ)は、イギリスでは早々そうそう姿すがたしてしまったのである。

 ホッブズやロックの政治せいじろんをさらに発展はってんさせ、絶対ぜったい王制おうせい封建ほうけん主義しゅぎ同時どうじに、資本しほん主義しゅぎ経済けいざい矛盾むじゅんという問題もんだいせいかかえた18世紀せいき中葉ちゅうよう時代じだい状況じょうきょう看取かんしゅしつつあたらしい国家こっかろん提起ていきしたのがルソーである。ホッブズやロックは、絶対ぜったい君主くんしゅせいにかわるあたらしい政治せいじ社会しゃかい確立かくりつすることによって平和へいわ安全あんぜん自由じゆう民主みんしゅ政治せいじなどが実現じつげん可能かのうである、とかんがえていた。事実じじつかれらの国家こっか構想こうそう政治せいじ原理げんりはその民主みんしゅ政治せいじ発展はってんおおきく寄与きよした。しかし、ホッブズ、ロックからやく1世紀せいきほどおくれてまれ、しかもきわめてきびしいフランス絶対ぜったい君主くんしゅ統治とうちにあったルソーは、フランスの封建ほうけんてき統治とうちはもとより、イギリスのほこ政治せいじ経済けいざい実態じったいにもおおくの不満ふまんいだくようになった。かれには、財産ざいさん資格しかくもとづく成年せいねん男子だんしの7ぶんの1によって選出せんしゅつされるイギリス下院かいんしん民主みんしゅてきなものとはうつらなかった。また私有しゆう財産ざいさんせい基本きほんとするイギリス市民しみん社会しゃかい貧富ひんぷやさまざまな社会しゃかいてき経済けいざいてき不平等ふびょうどう数多かずおお存在そんざいしていることも見抜みぬいていた。かれは『人間にんげん不平等ふびょうどう起源きげんろん』(1755)において、自然しぜん状態じょうたいでは人間にんげん自由じゆう平等びょうどうであったこと、しかし、やがて、私有しゆう財産ざいさんせいや、ごくいちにぎりの少数しょうすうしゃ多数たすうしゃ組織そしきして生産せいさんさせる方式ほうしき確立かくりつしてくる文明ぶんめい社会しゃかいはいって人間にんげんあいだ不平等ふびょうどう発生はっせいしたこと、また当時とうじ絶対ぜったい君主くんしゅせい法律ほうりつ制度せいど政治せいじ組織そしきなどのいっさいがむすいて人民じんみん塗炭とたんくるしみにおとしいれていることをするど指摘してきしている。そして自然しぜんほう人間にんげん不平等ふびょうどう是認ぜにんしないとして、このような矛盾むじゅんした事態じたい解決かいけつするためには、これまでのいっさいの制度せいど破壊はかいすること、そのさいには暴力ぼうりょくたいしては暴力ぼうりょく対抗たいこうする革命かくめい必要ひつようであるとべている。

 この不平等ふびょうどう是正ぜせい問題もんだいこそ19世紀せいき中葉ちゅうよう以降いこうかく国家こっかにおけるさい重要じゅうようなテーマとなるものであって、この意味いみ私有しゆう財産ざいさんせい否定ひてい暴力ぼうりょく革命かくめいろんとなえたルソーは、社会しゃかい契約けいやくろん大成たいせいしゃであるとともに、19世紀せいき出発しゅっぱつてんにたつ思想家しそうかでもあったといえよう。しかし、ルソーは、そのような革命かくめいがただちにこるのは不可能ふかのうであることをっていたから、つづく『社会しゃかい契約けいやくろん』(1762)においては、国民こくみん政治せいじ意識いしき変革へんかくする作業さぎょうざし、個人こじん利益りえき公共こうきょう利益りえき同時どうじ考慮こうりょしうるような市民しみん(シトワイヤン)の育成いくせいと、そのような市民しみん全員ぜんいん意志いしとしての「一般いっぱん意志いし(ボロンテ・ジェネラール)」の確立かくりつもとづく政治せいじ実現じつげん主張しゅちょうした。実際じっさいには、このような「一般いっぱん意志いし」の確立かくりつ可能かのうかぎ多数たすう人々ひとびと政治せいじ参加さんか実現じつげんすることにほかならなかったから、結局けっきょくのところ、ルソーの「一般いっぱん意志いしろんは、人民じんみん主権しゅけん主張しゅちょう誘導ゆうどうすることとなり、したがって、この「一般いっぱん意志いし」つまり人民じんみん主権しゅけんは、国王こくおう意志いし従来じゅうらい限定げんていされた国民こくみん代表だいひょう機関きかんである議会ぎかい決定けってい、そのほかいかなる種類しゅるい団体だんたい集団しゅうだん利害りがいよりも優位ゆういし、それゆえに「一般いっぱん意志いし」は最高さいこう単一たんいつ不可分ふかぶん不可ふか譲渡じょうとなものとされ、ここに徹底てっていした民主みんしゅ主義しゅぎ理論りろん国家こっかろん政治せいじ運営うんえい原理げんり中心ちゅうしんえられたのである。こうして、近代きんだい国家こっか原理げんり制度せいどかんするしょ理論りろんは、やく1世紀せいきほどのあいだに、ホッブズ、ロック、ルソーなどの社会しゃかい契約けいやくろんによってそのモデルがようやく確立かくりつされたのである。

田中たなか ひろし

国家こっか役割やくわり変化へんか

さて、17、18世紀せいき市民しみん革命かくめい構想こうそうされた初期しょき国民こくみん国家こっか役割やくわりは、個人こじん自由じゆう自立じりつ基調きちょうとした経済けいざい活動かつどう保障ほしょう主眼しゅがんとし、そのためには、国家こっか政府せいふ仕事しごとは、外敵がいてきふせ治安ちあん維持いじはか最小限さいしょうげん限定げんていされることがよしとされ、ここに「夜警やけい国家こっか」や「最小さいしょう政治せいじ最良さいりょう政治せいじ」という思想しそうまれた。しかし、18世紀せいきまつごろからしだいに先進せんしん諸国しょこく産業さんぎょう革命かくめいこり、資本しほん主義しゅぎ急速きゅうそく発達はったつ周期しゅうきてき恐慌きょうこう発生はっせいすると、貧富ひんぷ増大ぞうだい失業しつぎょう劣悪れつあく労働ろうどう条件じょうけんなどの社会しゃかい労働ろうどう問題もんだいをめぐって国内こくない矛盾むじゅん一挙いっきょ顕在けんざいする。ここで国家こっかは、国内こくない治安ちあん維持いじ経済けいざい発展はってん安定あんてい確保かくほするためにも、対外たいがいてき経済けいざい競争きょうそうつためにも、国家こっか権力けんりょく拡大かくだい強化きょうかはからざるをえなくなる。そして国家こっかは、不満ふまんつのらせた国民こくみんはん政府せいふ行動こうどうるのを過酷かこく弾圧だんあつするとともに、他国たこくたいしては、戦争せんそう侵略しんりゃく行為こういうったえて国家こっか利益りえき(ナショナル・インタレスト)をまもろうとする軍国ぐんこく主義しゅぎてき帝国ていこく主義しゅぎてき態度たいどる。

 こうした経済けいざいてき社会しゃかいてき矛盾むじゅんもとづく国家こっか権力けんりょく抑圧よくあつてき侵略しんりゃくてき態度たいどをみて、それに反対はんたいするマルクスやエンゲルスなどの社会しゃかい主義しゅぎ理論りろん登場とうじょうし、抑圧よくあつされた多数たすう労働ろうどうしゃ階級かいきゅうしんをとらえる。社会しゃかい主義しゅぎは、ルソーりゅう私有しゆう財産ざいさんせい資本しほん主義しゅぎてき生産せいさん仕組しくみにすべての矛盾むじゅん根源こんげんがあるとみて、この体制たいせい打倒だとうするには、無産むさんの、搾取さくしゅされつづけているプロレタリアートによる暴力ぼうりょく革命かくめい以外いがいにはない、と主張しゅちょうする。この思想しそうは、これまたルソーりゅうに、国家こっかをはじめとするあらゆるしょ制度せいど支配しはい階級かいきゅう抑圧よくあつする道具どうぐである、という階級かいきゅう国家こっかろんとなえ、したがって、社会しゃかい主義しゅぎ革命かくめい、「プロレタリアートの独裁どくさい」という政治せいじ方式ほうしきによって社会しゃかい主義しゅぎ社会しゃかいから共産きょうさん主義しゅぎ社会しゃかいへの建設けんせつ成功せいこうし、階級かいきゅう社会しゃかい消滅しょうめつしたあかつきには、暴力ぼうりょく手段しゅだんをもつ国家こっか死滅しめつする運命うんめいにある、とく。

 20世紀せいき登場とうじょうした社会しゃかい主義しゅぎ国家こっかは、このようなマルクス主義まるくすしゅぎ基礎きそにして建設けんせつされたものである。しかし、これらの社会しゃかい主義しゅぎ国家こっか経済けいざいてき発展はってん失敗しっぱいし、共産党きょうさんとう民主みんしゅてき政治せいじ運営うんえい反発はんぱつする人民じんみんの「自由じゆう」「民主みんしゅ要求ようきゅうによって、社会しゃかい主義しゅぎ体制たいせいをやめ、現存げんそんする社会しゃかい主義しゅぎ国家こっかのうち中国ちゅうごくやベトナムは、市場いちば原理げんりをとりれた社会しゃかい主義しゅぎてき市場いちば経済けいざい」によって、国家こっか建設けんせつはかっている。

 他方たほう先進せんしん資本しほん主義しゅぎ国家こっかでも、社会しゃかい主義しゅぎ批判ひはん対応たいおうして、19世紀せいきちゅうごろより、少数しょうすうしゃ支配しはい貧困ひんこん失業しつぎょう劣悪れつあく労働ろうどう条件じょうけんなどの政治せいじてき経済けいざいてき社会しゃかいてき不平等ふびょうどう改善かいぜんする努力どりょく漸進ぜんしんてきではあるがこころみられることになる。それは、ひとつには、選挙せんきょけん拡大かくだいによって国民こくみん政治せいじ参加さんかへのはばひろげ、ひとつには、社会しゃかい福祉ふくし社会しゃかい保障ほしょう拡充かくじゅう各種かくしゅ労働ろうどう立法りっぽうによる労働ろうどうしゃ地位ちい改善かいぜん生活せいかつ保障ほしょうなどの方向ほうこうをとった。そして、こうした施策しさく実現じつげんするとなると、いきおい政府せいふ行政ぎょうせい官庁かんちょう職務しょくむ増大ぞうだいせざるをえず、今日きょうみられるような行政ぎょうせい機構きこういちじるしい肥大ひだいまねき、そのため、国家こっかは、従来じゅうらいのような議会ぎかい中心ちゅうしんとする立法りっぽう国家こっかから、政府せいふ中心ちゅうしんとする行政ぎょうせい国家こっかへとその性格せいかくえ、こうした国家こっか今日きょうでは「福祉ふくし国家こっか」とよばれている。また、だいいち世界せかい大戦たいせんの1920、1930年代ねんだいこった数次すうじにわたる経済けいざい恐慌きょうこう、とくに1929ねんはじまる世界せかいだい恐慌きょうこうによって主要しゅよう資本しほん主義しゅぎ国家こっかにおける経済けいざい危機きき状況じょうきょうおちいったのちには、各国かっこくはケインズなどの理論りろんしたがって従来じゅうらい自由じゆう主義しゅぎ経済けいざい修正しゅうせいして、国家こっか政府せいふ経済けいざい活動かつどう多面ためんてき干渉かんしょうする方向ほうこうつよまった。このため、今日きょう経済けいざいは「混合こんごう経済けいざい」とか「国家こっか独占どくせん資本しほん主義しゅぎ」とかよばれ、かつて理想りそうとされた政治せいじ経済けいざい分業ぶんぎょう基礎きそにする最小さいしょう政治せいじは、現在げんざいでは政治せいじ経済けいざい統合とうごうによるつよ政治せいじへとその性格せいかくえつつある、といってよいだろう。

 このように、近代きんだい国家こっかは、1920、1930年代ねんだいには、修正しゅうせい資本しほん主義しゅぎ基調きちょうとする福祉ふくし国家こっか社会しゃかい主義しゅぎ国家こっかとに分裂ぶんれつすることになったが、ここにもうひとつ、ふたつの国家こっか形態けいたいとはことなるだいさん国家こっか形態けいたいとしてのファシズム国家こっかがこの時期じき登場とうじょうした。イタリア、ドイツ、日本にっぽんは、1860、1870年代ねんだいにようやく近代きんだい国家こっか体裁ていさいそなえ、後発こうはつ資本しほん主義しゅぎ国家こっかとして出発しゅっぱつした。これらの国々くにぐには、もともと資源しげんとぼしく、また先進せんしん諸国しょこくのような植民しょくみんをほとんどもたなかった。したがって、ドイツや日本にっぽん西欧せいおう列強れっきょう対抗たいこうするためには、富国強兵ふこくきょうへいさくによって強大きょうだい統一とういつ国家こっか確立かくりつ推進すいしんする必要ひつようがあった。また、当時とうじこれらの国々くにぐにでは、西欧せいおう先進せんしん諸国しょこくとはことなり、人権じんけん思想しそうがいまだほとんど定着ていちゃくせず、民主みんしゅてき政治せいじ制度せいど十分じゅうぶん整備せいびされず、国民こくみん主権しゅけん主義しゅぎのかわりに、せいぜい国家こっか主権しゅけんろん国家こっか法人ほうじんせつ(ドイツ)や天皇てんのう機関きかんせつ日本にっぽん)などがとなえられ、基本きほんてきにはきみ専制せんせいがた政治せいじ強行きょうこうされていた。そこで、だいいち世界せかい大戦たいせんゆう(みぞう)の経済けいざいてき危機きき発生はっせいするなかで、ヒトラー、ムッソリーニ日本にっぽん軍部ぐんぶなどのリーダーシップによるファシズム独裁どくさい国家こっか出現しゅつげんした。

 これらの国々くにぐには、反共はんきょう主義しゅぎ前面ぜんめんかかげながら同時どうじはん西欧せいおうとなえ、国民こくみん総動員そうどういんするためにいっさいのはん体制たいせい運動うんどう、たとえば社会しゃかい主義しゅぎ運動うんどう労働ろうどう農民のうみん運動うんどう、またいっさいの人権じんけん自由じゆう制限せいげん禁止きんしし、ついには議会ぎかい政党せいとう組合くみあいなどの民主みんしゅてきしょ制度せいどをも破壊はかいした。さらには満州まんしゅう事変じへんエチオピア戦争せんそうなどにはじまる一連いちれん侵略しんりゃく戦争せんそう行動こうどうによって国民こくみんナショナリズム喚起かんきし、それがだい世界せかい大戦たいせんがねとなった。だい世界せかい大戦たいせん基本きほんてきには帝国ていこく主義しゅぎ戦争せんそうであったにもかかわらず、「民主みんしゅ主義しゅぎとファシズムとのたたかい」としてとらえられたのはこのためである。

 ところで、1920、1930年代ねんだい危機きき時代じだいまえにして、イギリスのようなくにでさえ、国家こっか権力けんりょく集中しゅうちゅうとなえる傾向けいこうあらわれた。たとえば、1910年代ねんだいにボーズンキットらがヘーゲルりゅう国家こっか優位ゆうい思想しそう喧伝けんでん(けんでん)し、これにたいホッブハウス、ラスキ、G・D・H・コールなどが多元的たげんてき国家こっかろん主張しゅちょうした。多元的たげんてき国家こっかろんは、国家こっか国家こっかないにおけるさまざまな社会しゃかい集団しゅうだん絶対ぜったいてき優位ゆういするというかんがかた批判ひはんし、国家こっか社会しゃかいひとつであること、国家こっか国民こくみん忠誠ちゅうせい要求ようきゅうできるのは国家こっか国民こくみん権利けんり自由じゆう生活せいかつ十分じゅうぶん保障ほしょうしていることが条件じょうけんであるとべている。またラスキは、イギリス議会ぎかいが「資本しほん論理ろんり」によって有産ゆうさんしゃ擁護ようごするために行動こうどうしていると批判ひはんし、労働ろうどう大衆たいしゅう権利けんり生活せいかつをよりよく保障ほしょうできるように議会ぎかい構造こうぞう改革かいかくすべきであるという社会しゃかい民主みんしゅ主義しゅぎ主張しゅちょうしている。このかんがかたは、ロシア革命かくめいのような暴力ぼうりょく革命かくめいによる方法ほうほうは、資本しほん主義しゅぎ高度こうど発達はったつしまた議会ぎかいせい民主みんしゅ主義しゅぎ思想しそう制度せいど広範こうはん形成けいせいされているくにでは、議会ぎかいつうじて平和へいわのうちに社会しゃかいてき矛盾むじゅん是正ぜせいしようというもので、先進せんしん諸国しょこくにおける社会しゃかい主義しゅぎ政党せいとうおおくは、ラスキの平和へいわ革命かくめいろん採用さいようしており、先進せんしん諸国しょこく共産党きょうさんとうおおくも議会ぎかい主義しゅぎ平和へいわ革命かくめい基調きちょうとする民主みんしゅ国家こっか確立かくりつという、いわゆる「ユーロコミュニズム」の路線ろせんした。

田中たなか ひろし

戦後せんご世界せかい国家こっか

以上いじょうべたように、今日きょうでは、途上とじょうこくのぞ国々くにぐにおおくは、民主みんしゅ主義しゅぎ国家こっかとしてのみちあゆんでいる。しかし、戦後せんご独立どくりつした新興しんこうしょ国家こっかのうちには、いまだに経済けいざい自立じりつがうまくいかず、政治せいじてき不安定ふあんていのために独裁どくさい政治せいじ軍事ぐんじ政権せいけんつづいている国家こっかもある。したがって、紛争ふんそう戦争せんそう危険きけんせい除去じょきょするためにも、先進せんしん諸国しょこく途上とじょうこく経済けいざいてき自立じりつ援助えんじょ国際こくさい協力きょうりょくをいままで以上いじょうつよめる必要ひつようがある。つまり、国際こくさい平和へいわ基礎きそは、貧富ひんぷ格差かくさのない均衡きんこうのとれた各国かっこくにおける経済けいざい発展はってん保障ほしょうされなければならないのであって、そのうえで、かく国家こっか国家こっか利益りえきをどのように調節ちょうせつ抑制よくせいするかが今後こんごしょ国家こっかにとっての最大さいだい課題かだいとなろう。かつて国家こっか情報じょうほう独占どくせんし、自国じこくみんたいしててき意識いしき対外たいがい恐怖きょうふかん醸成じょうせいしつつ国家こっか強大きょうだいはかった。しかし、現在げんざいでは、交通こうつう手段しゅだん、テレビ・新聞しんぶんそのによる情報じょうほう社会しゃかい急速きゅうそく発達はったつによって、だれでもが世界せかいこったできごとを容易よういることが可能かのうになり、そのことは世界せかい平和へいわ促進そくしんするうえで有利ゆうり要因よういんといえよう。すでに1950年代ねんだいから、世界せかいしょ国民こくみん国際こくさいてき反核はんかく運動うんどうにおいて連帯れんたいした経験けいけんをもち、インドシナ戦争せんそうやベトナム戦争せんそうさいしては国際こくさい世論せろんたかまりがその終結しゅうけつ促進そくしんした。また、これまで3かいひらかれた国連こくれん軍縮ぐんしゅく特別とくべつ総会そうかいには政府せいふ代表だいひょうのほかに多数たすう政府せいふ組織そしき(NGO)の代表だいひょう参加さんかしている。この意味いみで、世界せかい最大さいだい平和へいわ組織そしきである国際こくさい連合れんごうは、いまやしょ国家こっか連合れんごうではなく、しょ国民こくみん連合れんごうとしての性格せいかくをもつようにせまられつつある。

田中たなか ひろし

田中たなかひろしちょ『ホッブズ研究けんきゅう序説じょせつ』(1982・御茶おちゃみず書房しょぼう)』田口たぐち富久ふく田中たなかひろしへん国家こっか思想しそう上下じょうげ(1974・青木あおき書店しょてん)』田中たなかひろしちょ国家こっか個人こじん』(1990・岩波書店いわなみしょてん)』田中たなかひろしへん現代げんだい世界せかい国民こくみん国家こっか将来しょうらい』(1990・御茶おちゃみず書房しょぼう)』


国家こっか(プラトンの対話たいわへん
こっか
polīteiā ギリシア

ギリシアの哲学てつがくしゃプラトンの中期ちゅうき対話たいわへん(へん)のひとつで、ぜん10かん大作たいさくただしさとはなにであるかをい、たましいにおけるただしさがひと幸福こうふくにすることをろんじた。しかし、たましいにおけるただしさそのものを(み)るのは容易よういではなく、まず国家こっかにおけるただしさをるのが便宜べんぎであるとし、国家こっかのありかたのさまざまなかたおうじて同数どうすうたましいかたがあるとしたので、くにせいろんにもなっている(本書ほんしょ題名だいめいはここからくる)。最善さいぜんただしいくにせいから名誉めいよ支配しはいせい(ティーモクラティアー)をて、寡頭せい(オリガルキアー)、民衆みんしゅうせい(デーモクラティアー)、僭主せんしゅ(せんしゅ)せい(テュラニス)にいたるまで順次じゅんじに、よりわるくにせいへとくずおれ落(たいらく)していくくにせい移行いこう経緯けいい原因げんいん――それは同時どうじ人間にんげんのありかたかたくずおれ落の経緯けいい原因げんいんでもある――の解明かいめいはみごとであり、ただしさがなにであり、人間にんげんにおけるあくがどこから、どのようにしょうじてきたかというプラトン哲学てつがく最大さいだい関心かんしんこたえるものである。国家こっか構成こうせいする支配しはいしゃ戦士せんし生産せいさんしゃの3部分ぶぶんと、たましい構成こうせいする理性りせいてき部分ぶぶん(ロギスティコン)、気概きがいてき部分ぶぶん(テュモエイデス)、欲情よくじょうてき部分ぶぶん(エピテュメーティコン)の3部分ぶぶん類比るいひせつは、その説明せつめいのために導入どうにゅうされた模型もけいである。

 国家こっかにおける――したがってまた、人間にんげんたましいにおける――ただしさを実現じつげんするための唯一ゆいいつ方途ほうと哲人てつじんおう理想りそうである。その説明せつめいのためになされた哲学てつがくしゃとはなにであるかのろんは、そこにふくまれる線分せんぶん比喩ひゆ(ひゆ)、洞窟どうくつ(どうくつ)の比喩ひゆぜんのイデアのせつとともに、中期ちゅうきプラトン哲学てつがくのイデアろん代表だいひょうするものとして名高なだかい。

 初期しょき対話たいわへん手法しゅほうならった問答もんどうほうによるただしさの論究ろんきゅうだい1かん)、たましい国家こっか類比るいひによる最善さいぜんかたくずおれ落諸がたろんだい2~4かんだい8~9かん)、哲学てつがくしゃろんだい5~7かん)、詩人しじん追放ついほうろん死後しごのミュトスをふくだい10かんからなる全巻ぜんかん構成こうせい統一とういつ(み)るのは容易よういではない。しかし、『法律ほうりつへんならんで、対話たいわへんりょうにおいて圧倒あっとうする、この大冊たいさつられた壮大そうだい構想こうそうは、壮年そうねんプラトンの哲学てつがく理念りねん結晶けっしょうであり、それがこの著作ちょさくに、プラトン対話たいわへんのなかで初期しょき後期こうきむすようせき(かなめいし)としてのどくいち位置いちあたえている。

加藤かとうしんろう

藤沢ふじさわれいおっとやく国家こっか上下じょうげ岩波いわなみ文庫ぶんこ)』

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改訂かいてい新版しんぱん 世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん国家こっか」の意味いみ・わかりやすい解説かいせつ

国家こっか (こっか)
state
Staat[ドイツ]
État[フランス]

一定いってい境界きょうかいせん区切くぎられた地縁ちえん社会しゃかい成立せいりつする政治せいじ組織そしきで,そこに居住きょじゅうする人々ひとびとたいして排他はいたてき統制とうせいおよぼす統治とうち機構きこうそなえているところにその特徴とくちょうがある。

一般いっぱん政治せいじ機能きのうは,社会しゃかい内部ないぶことなる利害りがい調整ちょうせいし,社会しゃかい秩序ちつじょ安定あんてい維持いじしていくことにあるが,こうした機能きのう達成たっせいのためには,社会しゃかい組織そしき必要ひつようである。国家こっかは,政治せいじ機能きのう遂行すいこうするためにつくられた社会しゃかい組織そしきにほかならない。社会しゃかい構成こうせいいん国家こっかという組織そしきからみられるときには,国民こくみんあるいは公民こうみんばれる。社会しゃかいにおいて個人こじん集団しゅうだん相互そうごあいだ紛争ふんそう共通きょうつう規範きはんによって解決かいけつされ,必要ひつよう場合ばあいには相互そうご協力きょうりょく十分じゅうぶん期待きたいできるような状態じょうたい秩序ちつじょある状態じょうたいぶならば,国家こっか機能きのうは,なによりもまず,社会しゃかい秩序ちつじょきずき,それを保持ほじし,かつ外敵がいてき侵入しんにゅうたいして,それを防衛ぼうえいすることにある。国家こっかには,そのために必要ひつよう権力けんりょく付与ふよされている。たとえば,近代きんだい以前いぜん西欧せいおう社会しゃかいでは,教会きょうかい領主りょうしゅ,ギルドといった多様たよう個人こじん集団しゅうだんが,それぞれ社会しゃかい秩序ちつじょ維持いじしていくのに必要ひつよう権力けんりょく保持ほじしていた。しかし近代きんだい社会しゃかいでは,秩序ちつじょ維持いじするのに必要ひつよう権力けんりょく近代きんだい国家こっか集中しゅうちゅうされており,集団しゅうだんゆうする権力けんりょくはその集団しゅうだん目的もくてき必要ひつようかぎられた範囲はんいにしかゆるされていない。もとより,今日きょう国家こっかは,秩序ちつじょ形成けいせい保持ほじ以外いがいにも,おおくの公的こうてき問題もんだい処理しょりする責任せきにんわされている。しかし,秩序ちつじょたもたれていないかぎり,こうした責任せきにんたすことはほとんど不可能ふかのうであるといえるから,今日きょうにおいてもやはり国家こっか機能きのうは,なによりもまず社会しゃかい秩序ちつじょきずき,たもつことにあるといってよい。

国家こっかは,こうした独自どくじ機能きのうをもつ組織そしきであるために,組織そしきとはことなった性質せいしつゆうする。だい1に,普通ふつう組織そしき,たとえば,企業きぎょう組合くみあい教会きょうかい,クラブ,学校がっこうなどの場合ばあいには,それらの組織そしき参加さんかするかしないかは各自かくじ自由じゆうであるが,国家こっか場合ばあいには,まれながらにして,いずれかのくに一員いちいんである。ある国家こっか一員いちいんであることをやめるには,原則げんそくとしてほか国家こっか一員いちいんとなることをもとめられる。だい2に,どの組織そしきも,その規則きそく違反いはんしたものにたいしては,おおかれすくなかれ,なんらかの制裁せいさいすることによって,規則きそく遵守じゅんしゅさせようとするが,国家こっかばれる組織そしきは,組織そしきくらべてはるかに強大きょうだい制裁せいさいりょくをもっている。組織そしき場合ばあいには,組織そしきのそれぞれの目的もくてき達成たっせいするのに必要ひつよう範囲はんいにおいてのみ制裁せいさいりょく行使こうしみとめられるが,国家こっか場合ばあいには社会しゃかい全体ぜんたい秩序ちつじょ保持ほじし,その秩序ちつじょやぶもの制裁せいさいすることが,その目的もくてき一部いちぶだとかんがえられるからである。だい3に,国家こっか規則きそく,すなわちほうは,組織そしき規則きそくとはことなり,国家こっかのなかにあるすべての個人こじん組織そしきとを拘束こうそくする。組織そしき国家こっかほう許容きょようする範囲はんいでしか規則きそく制定せいていすることができないし,規則きそく遵守じゅんしゅさせるための制裁せいさいりょくも,ほうみとめられる範囲はんいないでしか行使こうしできない。

 国家こっか権力けんりょく非常ひじょう強大きょうだいであるため,その濫用らんよう危険きけんもきわめておおきい。とくに,社会しゃかい内部ないぶ階級かいきゅう対立たいりつのような深刻しんこく亀裂きれつ存在そんざいする場合ばあいには,ある特定とくてい集団しゅうだん集団しゅうだん抑圧よくあつ支配しはいするために,国家こっか権力けんりょく濫用らんようする可能かのうせいたかい。また,国家こっか権力けんりょく行使こうし委託いたくされた人々ひとびとは,しばしば自己じこ私的してき利益りえきのために国家こっか権力けんりょく濫用らんようするおそれがある。こうしたことのために,自由じゆう権力けんりょく対抗たいこう関係かんけいにおいて自由じゆう確保かくほするには,権力けんりょく制限せいげんしなければならないとする自由じゆう主義しゅぎや,権力けんりょくしゃ恣意しいてき統治とうちえて,あらかじめ定立ていりつされた規則きそくもとづく統治とうちすすめようとする立憲りっけん主義しゅぎたか説得せっとくせいをもつことになる。おおくの近代きんだい国家こっかにおいて,憲法けんぽう制定せいていされ,権力けんりょく分立ぶんりつせい地方ちほう分権ぶんけんせい制度せいどされているのも,国家こっか権力けんりょく濫用らんようあるいは恣意しいてき権力けんりょく行使こうし抑制よくせいしようとするものであるといえよう。

われわれが今日きょう国家こっかんでいるのは,近代きんだい国民こくみん国家こっかのことである。歴史れきしてきにさかのぼれば,近代きんだい国民こくみん国家こっか以前いぜんには古代こだい国家こっか中世ちゅうせい国家こっか存在そんざいしていた。ギリシアの都市とし国家こっか(ポリス),ローマの古代こだい帝国ていこく中国ちゅうごくしょ王朝おうちょう日本にっぽん古代こだい国家こっか律令制りつりょうせい国家こっか),さらにヨーロッパの封建ほうけん国家こっか日本にっぽん徳川とくがわまくはん体制たいせい等々とうとうがそれである。いずれも,独自どくじ編成へんせい原理げんり支配しはい統治とうち機構きこうそなえた公権力こうけんりょくとして国家こっかのさまざまな類型るいけいしめし,その成立せいりつ過程かていはそれぞれ歴史れきし研究けんきゅうおおきな主題しゅだいとなっている。とくに日本にっぽんにおける国家こっか成立せいりつは,天皇てんのうせい歴史れきしてき解明かいめいふかむすびついており,古代こだい中世ちゅうせい主要しゅようなテーマである。

 ここでは,典型てんけいてきには西欧せいおう近代きんだい世界せかい出現しゅつげんし,19世紀せいき以後いご世界せかいつよ影響えいきょうあたえた国家こっかしょ類型るいけいについて記述きじゅつする。ちなみに,欧米おうべい国家こっかすstate,Étatなどのかたりは,16世紀せいきのイタリアにおけるstatoというかたり由来ゆらいするが,これはおもに中世ちゅうせい都市とし国家こっか統治とうち機構きこう意味いみするものであった。近代きんだいてき国家こっか概念がいねんはこの系統けいとうぞくし,マキアベリが《君主くんしゅろん》でもちいたのがもっとはやれいとされているが,これはラテン語らてんごで〈組織そしき〉を意味いみするstatusと同義どうぎである。

国民こくみん国家こっか

絶対ぜったい主義しゅぎ国家こっかは,中世ちゅうせい共同きょうどうたい崩壊ほうかい過程かてい成立せいりつしたことによって,共同きょうどうたいから解放かいほうされた人々ひとびと基礎きそとして,社会しゃかい秩序ちつじょ安定あんていをつくりだす課題かだいわなければならなかった。その意味いみでそれは,あきらかに近代きんだい国家こっか最初さいしょ形態けいたいであったといってよい。しかし,その内部ないぶには経済けいざいてき利害りがいをめぐるするど対立たいりつ存在そんざいしていた。その出発しゅっぱつてんにおいては,封建ほうけん領主りょうしゅそうあるいは貴族きぞくそう特権とっけんを剝奪し,中世ちゅうせい共同きょうどうたい解体かいたいしようとするてんで,絶対ぜったい君主くんしゅしょう農民のうみん商人しょうにんそうとのあいだには利害りがい一致いっちがあったとかんがえられる。しかし,共通きょうつうてきちからうしないはじめると,こうした一致いっちやぶれざるをえない。共同きょうどうたいから解放かいほうされたかく個人こじんにとっては,私的してき観点かんてんからするとみ追求ついきゅうこそ当然とうぜん要求ようきゅうであったが,こうした要求ようきゅう絶対ぜったい君主くんしゅ利害りがい相反あいはんするものであった。一般いっぱん民衆みんしゅう不満ふまん増大ぞうだいして政府せいふ状態じょうたい危険きけんせい現実げんじつし,しかも絶対ぜったい君主くんしゅがこうした事態じたい対応たいおうしうる手段しゅだんをもちえなくなれば,絶対ぜったい主義しゅぎ崩壊ほうかいする。ただ,絶対ぜったい主義しゅぎ存在そんざい理由りゆうあたらしい社会しゃかい体制たいせいにおけるあたらしい統合とうごう必要ひつようせいにあったとすれば,たとえその存在そんざい理由りゆううたがわれることになったとしても,統合とうごう必要ひつようせいそのものは消滅しょうめつしないであろう。それゆえ,絶対ぜったい王政おうせい打倒だとうするためには,統合とうごう単一たんいつ推進すいしんしゃであった絶対ぜったい君主くんしゅわるべきあらたな統合とうごうにな登場とうじょうしなければならない。

 絶対ぜったい君主くんしゅのもとで平準へいじゅん強行きょうこうされ,封建ほうけん領主りょうしゅなどいわゆる中間ちゅうかん団体だんたい支配しはい特権とっけん排除はいじょされて,すべての人々ひとびと平等びょうどう臣民しんみんとして君主くんしゅ支配しはいふくしていたことは,支配しはいしゃとしての一体いったいせいすことによって,こうした統合とうごうにな準備じゅんびすることになったとかんがえられる。かくて絶対ぜったい主義しゅぎののちにくるものは,一体いったいかんをもった支配しはいしゃがみずからを支配しはいしゃ位置いちくことであった。ここに,絶対ぜったい主義しゅぎ時代じだい成立せいりつした主権しゅけん概念がいねんは,君主くんしゅ主権しゅけんから国民こくみん主権しゅけんへと転換てんかんし,文字もじどおり近代きんだい国民こくみん国家こっか形成けいせいされる。絶対ぜったい主義しゅぎ国家こっかすくなくともその版図はんとにおいてはすでに国民こくみん国家こっかであった。しかし国民こくみん主権しゅけん確立かくりつされることによって,国民こくみんてき自覚じかく(そのイデオロギーてき表現ひょうげん国民こくみん主義しゅぎにほかならない)をそなえた国民こくみん国家こっか成立せいりつすることになったのである。

近代きんだい国民こくみん国家こっかは,まず市民しみん社会しゃかい基盤きばんとして成立せいりつするが,この時期じき近代きんだい国家こっか特徴とくちょうは,夜警やけい国家こっかであり,立法りっぽう国家こっかであることにもとめられよう。夜警やけい国家こっかは,自由じゆう放任ほうにん主義しゅぎした国家こっか機能きのう最小限さいしょうげんにとどめようとするものであった。さまざまなかたちしょうずる利害りがい対立たいりつ自由じゆう放任ほうにんすることが,社会しゃかい秩序ちつじょ安定あんていにとってもっとのぞましい結果けっかをもたらすものであるとすれば,国家こっかたすべき機能きのう外敵がいてき侵入しんにゅうふせぎ,国内こくない基本きほんほう遵守じゅんしゅ確保かくほすることで十分じゅうぶんである。19世紀せいきのドイツの革命かくめいF.ラサールは,こうした国家こっか皮肉ひにくをこめて〈夜警やけい国家こっか〉とんだ。このように,自由じゆう放任ほうにん主義しゅぎした国家こっか機能きのう極小きょくしょうされていた時期じきには,法律ほうりつ制定せいていすることが重要じゅうよう意味いみをもっていた。国内こくない社会しゃかいにおいて国家こっか干渉かんしょうしうる領域りょういきは,市民しみん安全あんぜん社会しゃかい秩序ちつじょ保持ほじするのに必要ひつよう最小さいしょう限度げんど事柄ことがら限定げんていされていたから,必要ひつよう事項じこうはすべて明確めいかく法文ほうぶんかたちしめすことができた。したがって,法律ほうりつをいかなるかたち制定せいていするかが政治せいじじょうもっと重要じゅうよう問題もんだいであり,制定せいていされたほうをいかに執行しっこうするかは,第二義だいにぎてき意味いみしかもちえなかったといってよい。

 国家こっか機能きのう区分くぶんするさいにも,まず立法りっぽうけん司法しほうけんがとりだされ,執行しっこうあるいは行政ぎょうせいけん残余ざんよ領域りょういきかんがえられていた。この時期じき国家こっかは,立法りっぽう政治せいじ中心ちゅうしんてき位置いちめていたという意味いみで,〈立法りっぽう国家こっか〉とぶことができよう。

20世紀せいきはいるとともに加速度かそくどてき進行しんこうげた工業こうぎょう都市としは,社会しゃかいだい規模きぼ複雑ふくざつとを促進そくしんすることによって,市民しみん社会しゃかい前提ぜんていである個人こじん予測よそく可能かのうせい自律じりつせいいちじるしく低下ていかさせた。とくに普通ふつう選挙せんきょせい確立かくりつされて,市民しみんかわ大衆たいしゅう政治せいじ過程かてい登場とうじょうするとともに,夜警やけい国家こっかささえる自由じゆう主義しゅぎ基本きほん理念りねん後退こうたいせざるをえなかった。自由じゆう主義しゅぎ基本きほんてき理念りねんとは,国民こくみん自由じゆう保障ほしょうにほかならないが,自由じゆう保障ほしょう意味いみをもちうるのは,人々ひとびと保障ほしょうされた自由じゆうによって積極せっきょくてき個々人ここじん福祉ふくし追求ついきゅうしうる場合ばあいかぎられる。それゆえ,自律じりつてき市民しみん自己じこ責任せきにんにおいて各自かくじ福祉ふくし追求ついきゅうすることが原則げんそくとされ,しかもその原則げんそく現実げんじつにも意味いみをもちえた市民しみん社会しゃかいにおいてのみ,自由じゆう主義しゅぎ意味いみをもちえたのである。しかし,大衆たいしゅう登場とうじょうとともに自己じこ責任せきにん原則げんそくくずれる。個人こじんはもはや失敗しっぱい責任せきにん全面ぜんめんてきうことにはえられないし,実際じっさい恐慌きょうこう戦争せんそうのように,個人こじん予測よそく能力のうりょく統制とうせい能力のうりょくをはるかにこえたところに,その原因げんいんもとめられる場合ばあいおおい。かくて人々ひとびとは,各自かくじ個別こべつてき福祉ふくし実現じつげんかんしても,おおくの事柄ことがら政治せいじ期待きたいすることになる。それゆえ,現代げんだい社会しゃかいしょ条件じょうけんした社会しゃかい統合とうごう必要ひつようせいにこたえようとするならば,国家こっかはこうしたかく個人こじん期待きたいたすように努力どりょくするほかはない。ようするに,現代げんだい国家こっか社会しゃかいのあらゆる領域りょういき介入かいにゅうしつつ,かく個人こじん個別こべつてき福祉ふくし実現じつげんちからすことによってのみ,社会しゃかい秩序ちつじょ安定あんていたもちうるといってよい。こうして,あらゆる現代げんだい国家こっかは,たんなる政治せいじ体制たいせい相違そういをこえて,福祉ふくし国家こっか移行いこうする必然ひつぜんてき傾向けいこうをもっているのである。

夜警やけい国家こっかから福祉ふくし国家こっかへの転換てんかんは,国家こっか機能きのういちじるしい増大ぞうだいともなうものであった。たとえば,労働ろうどうしゃ発言はつげんけん増大ぞうだいとともに,失業しつぎょう貧困ひんこん国家こっかによって救済きゅうさいされるべきであるとする要求ようきゅうつよまり,失業しつぎょう救済きゅうさい社会しゃかい保障ほしょう国家こっか重要じゅうよう任務にんむとなるにいたった。また,資本しほん主義しゅぎ高度こうど発展はってんをみたくにでは,恐慌きょうこう飛躍ひやくてきだい規模きぼする傾向けいこうあらわれ,資本しほん主義しゅぎ秩序ちつじょ維持いじするためにも,経済けいざい計画けいかくてき統制とうせいくわえる必要ひつようしょうじた。

 こうして,国家こっか機能きのういちじるしく複雑ふくざつし,かつだい規模きぼしたが,それにともなって行政ぎょうせい比重ひじゅう急激きゅうげき増大ぞうだいする傾向けいこうあらわれたのである。一般いっぱんに,法律ほうりつ問題もんだい処理しょりする枠組わくぐみをしめすだけであるから,問題もんだい複雑ふくざつとともに,法律ほうりつ施行しこうにあたってほう規定きていをいかに適用てきようするかが重要じゅうよう意味いみをもってくる。いいかえれば,行政ぎょうせいによる自由じゆう裁量さいりょう範囲はんい意味いみとが,かつてみられなかったほどの重要じゅうようせいあたえられることになったのである。また,これらの複雑ふくざつ問題もんだい処理しょりしていくためには,高度こうど専門せんもんてき能力のうりょく必要ひつようとされることになり,法律ほうりつ制定せいていさいしても,立法りっぽうよりは専門せんもんてき熟達じゅくたつしゃおおふくんでいる行政ぎょうせいのほうが有利ゆうり地位ちいかれることになった。こうしておおくのくにで,立法りっぽう自身じしん法律ほうりつあん起草きそうにあたるよりは,むしろ行政ぎょうせい法律ほうりつあん起草きそうにあたることを常態じょうたいとみなすような傾向けいこうあらわれた。立法りっぽうたん行政ぎょうせい提案ていあん賛否さんぴ意思いし表明ひょうめいするにとどまる場合ばあいすくなくない。さらに戦争せんそう恐慌きょうこうのような非常ひじょう事態じたいさいしては,立法りっぽうがその権限けんげん大幅おおはば委譲いじょうする委任いにん立法りっぽうがみられることもまれではない。こうして,行政ぎょうせい比重ひじゅう圧倒的あっとうてき増大ぞうだいしたために,現代げんだい国家こっかはしばしば〈行政ぎょうせい国家こっか〉とばれている。夜警やけい国家こっかから福祉ふくし国家こっかへの転換てんかんは,同時どうじ立法りっぽう国家こっかから行政ぎょうせい国家こっかへの転換てんかん意味いみしたといってよい。

これは,国家こっか絶対ぜったいてき意義いぎあたえ,国家こっか権力けんりょく倫理りんりてき意義いぎ強調きょうちょうする立場たちばである。教会きょうかい領主りょうしゅ権力けんりょく対抗たいこうしつつ,近代きんだい国家こっか形成けいせいされる過程かてい成立せいりつした主権しゅけんろんは,近代きんだいにおける一元いちげんてき国家こっかかん最初さいしょかたちであった。ホッブズやルソーにみられる社会しゃかい契約けいやくせつも,共同きょうどうたいから解放かいほうされた原子げんしてき個人こじんから出発しゅっぱつして,近代きんだい国家こっか主権しゅけんわきまえあかしようとするものであり,やはり一元いちげんてき国家こっかかんぞくするものであった。しかし,近代きんだい国家こっか完成かんせいともな自由じゆう主義しゅぎ国家こっか成立せいりつは,こうした一元いちげんてき国家こっかかん積極せっきょくてき主張しゅちょうする理由りゆううしなわせたといえる。

 ただヘーゲルは,ドイツの後進こうしんせいのゆえに,国家こっか権力けんりょく存在そんざい理由りゆうつよ主張しゅちょうすべき立場たちばにあり,市民しみん社会しゃかい一定いってい意義いぎみとめながらも,同時どうじ国家こっか倫理りんりてき理念りねんげん実態じったいとしてたか評価ひょうかした。ヘーゲルてき立場たちばは,工業こうぎょう進展しんてんともな社会しゃかい問題もんだい拡大かくだい帝国ていこく主義しゅぎ成立せいりつともな国際こくさい緊張きんちょう増大ぞうだいともなって,国家こっか権力けんりょく積極せっきょくてき意義いぎ評価ひょうかされはじめるとともに,ドイツ以外いがいくにでも注目ちゅうもくされるようになった。たとえば,イギリスでもT.H.グリーン,F.H.ブラッドリー,B.ボーザンケトらが,ヘーゲルの影響えいきょうしたに,国家こっか倫理りんりせい強調きょうちょうしつつ,国家こっか社会しゃかい問題もんだい積極せっきょくてき介入かいにゅうすることを正当せいとうしたのである。ヘーゲルてき立場たちばは,のちにいちじるしくゆがめられたかたちで,ナチズムやファシズムの国家こっかかんあらわれたが,しかしそこではすくなくともヘーゲル哲学てつがく合理ごうりせい完全かんぜん排除はいじょされ,国家こっか一元論いちげんろんいちじるしく非合理ひごうりてきかつ神話しんわてきかたちをとることになったといえよう。

理想りそう主義しゅぎてき国家こっか一元論いちげんろんたいする批判ひはんとして,おもにイギリスにあらわれた国家こっかかんで,国家こっかほか社会しゃかい集団しゅうだんたいする絶対ぜったいてき優位ゆういせい拒否きょひし,国家こっか経済けいざいてき文化ぶんかてきあるいは宗教しゅうきょうてきしょ集団しゅうだん同様どうよう特定とくてい有限ゆうげん目的もくてきをもつ集団しゅうだんひとつであるとみなす立場たちばである。この立場たちばしゅとして,バーカーE.Barker,G.D.H.コール,H.J.ラスキらによって主張しゅちょうされた。多元的たげんてき国家こっかかんは,まず国家こっか全体ぜんたい社会しゃかい同一どういつすることを拒否きょひし,国家こっか全体ぜんたい社会しゃかいからみれば,その機能きのう一部いちぶ分担ぶんたんする部分ぶぶん社会しゃかいにすぎないとする。さらに,これまで国家こっか主権しゅけんとされてきた権能けんのうは,しょ集団しゅうだんにおいても集団しゅうだん統制とうせいのために行使こうしされているもので,したがって,国家こっか主権しゅけん絶対ぜったいせいをもちえないとされ,主権しゅけん複数ふくすうせい主張しゅちょうされる。多元的たげんてき国家こっかかんという呼称こしょうも,こうした主権しゅけん多元たげんせいあるいは可分かぶんせい主張しゅちょうもとづく。国家こっか社会しゃかい集団しゅうだんとが並列へいれつてきにとらえられる場合ばあいには,国家こっか存在そんざい理由りゆうはその機能きのうもとめられなければならない。その意味いみでは,多元的たげんてき国家こっかかんは,国家こっか構造こうぞう形式けいしきよりも国家こっか活動かつどう内容ないよう重視じゅうしする機能きのうてき国家こっかかんといってよい。この国家こっかかんは,なによりもまず国家こっか機能きのう圧倒的あっとうてき増大ぞうだいもとで,国家こっか絶対ぜったいふせぎ,自由じゆう主義しゅぎ原則げんそくつらぬこうとする立場たちばであったとかんがえられる。

国家こっか階級かいきゅう抑圧よくあつ機関きかんであるとみなす立場たちばである。この理論りろんはおもにマルクス主義まるくすしゅぎ国家こっかろんとして展開てんかいされてきた。マルクス主義まるくすしゅぎによれば,生産せいさんりょく増大ぞうだいするにしたがって,あらゆる社会しゃかいには階級かいきゅう対立たいりつ発生はっせいするが,それとともに社会しゃかい必要ひつよう共同きょうどう事務じむ遂行すいこうたす公権力こうけんりょくは,その社会しゃかい機能きのう同時どうじに,支配しはい階級かいきゅうによる支配しはい階級かいきゅう抑圧よくあつという政治せいじてき機能きのうたすことになる。階級かいきゅう対立たいりつ形態けいたいが,古代こだい社会しゃかい奴隷どれいせい),中世ちゅうせい社会しゃかい農奴のうどせい),近代きんだい社会しゃかい資本しほんせい)と歴史れきしてき変化へんかしてきたのにおうじて,国家こっか形態けいたいもまた古代こだい国家こっか封建ほうけん国家こっか近代きんだい国家こっか変化へんかしてきた。こうした階級かいきゅう対立たいりつは,これまできわめてなが歴史れきしをもってきたが,それはちょう歴史れきしてきなものではない。原始げんし社会しゃかいにおいては,まだ階級かいきゅう対立たいりつ発生はっせいしていなかったのであり,したがって国家こっか存在そんざいしていなかった。国家こっか起源きげん原始げんし社会しゃかい氏族しぞくてき権力けんりょく組織そしき崩壊ほうかいして,奴隷どれいせい社会しゃかい形成けいせいされたときにもとめられる。

 このように,国家こっか起源きげん階級かいきゅう対立たいりつ発生はっせいもとめられるとすれば,階級かいきゅう対立たいりつ消滅しょうめつ当然とうぜん国家こっか死滅しめつをもたらすであろう。すなわち,最後さいご階級かいきゅう社会しゃかいである資本しほん主義しゅぎ社会しゃかい廃止はいしされて,社会しゃかい主義しゅぎ社会しゃかい形成けいせいされるならば,〈プロレタリアートの独裁どくさい〉をて,やがて国家こっか消滅しょうめつするとされる。プロレタリアート独裁どくさいは,過渡かとてき国家こっか権力けんりょく一時いちじてき極大きょくだいしめすけれども,それは国家こっか権力けんりょく役割やくわり肯定こうていかいして,それを否定ひていする過程かていとして,いわば弁証法べんしょうほうてき理解りかいされている。しかし,現実げんじつ社会しゃかい主義しゅぎ国家こっか社会しゃかい主義しゅぎ)においては,資本しほん主義しゅぎ国家こっか同様どうよう国家こっか機能きのういちじるしい拡大かくだいがみられ,今日きょうまでのところ国家こっか死滅しめつ予告よこくするいかなる兆候ちょうこうあらわれていない。

近代きんだい国家こっか最初さいしょ形態けいたい絶対ぜったい王政おうせいであったから,国家こっかたいする批判ひはんもまず絶対ぜったい王政おうせいたいする批判ひはんというかたちをとった。そのひとつは信仰しんこう自由じゆうまも立場たちばから暴君ぼうくん放伐ほうばついたモナルコマキmonarchomachi(ラテン語らてんご)であり,ひとつは封建ほうけん時代じだいみとめられていた特権とっけん回復かいふくをめざす立憲りっけん主義しゅぎである。とくに立憲りっけん主義しゅぎ主張しゅちょうはのちに普遍ふへんされて,国家こっか権力けんりょくたい基本きほんてき人権じんけん保障ほしょうもとめる権利けんり章典しょうてん制度せいどみちびいた。絶対ぜったい主義しゅぎ国家こっかはやがて市民しみん革命かくめいることで,国民こくみん国家こっかへと変貌へんぼうするが,この過程かていにおいて指導しどうてき役割やくわりたしたブルジョアジーは,国家こっか機能きのう最小限さいしょうげんにとどめることをのぞんだ。その帰結きけつ夜警やけい国家こっかかんにほかならないが,それは同時どうじ市民しみん社会しゃかい自体じたい安定あんていした秩序ちつじょ実現じつげんしうると想定そうていしていた。すなわち,まず国民こくみん共同きょうどう生活せいかつ国家こっかという形式けいしきてき側面そくめん市民しみん社会しゃかいという実質じっしつてき側面そくめんをもつとされる。そして市民しみん社会しゃかいでは,かく個人こじん利己りこてき経済けいざい活動かつどうつうじて相互そうご結合けつごうされるが,自他じた利害りがい計算けいさん支配しはいする合理ごうりせいのゆえに,市民しみん社会しゃかい自体じたいたか予測よそく可能かのうせい成立せいりつし,それにもとづいて安定あんていした秩序ちつじょ成立せいりつする。かくして,市民しみん社会しゃかいたか評価ひょうかする人々ひとびとは,国家こっかたいしてはむしろ消極しょうきょくてき態度たいどをとる。たとえば,J.ロックは国家こっか市民しみん社会しゃかい区別くべつし,市民しみん社会しゃかい国家こっか一定いってい限度げんどない統治とうち信託しんたくしているにすぎないと主張しゅちょうした。またA.スミスは,人間にんげんは〈かみえざる〉によってみちびかれているとして,市民しみん社会しゃかい自律じりつせいき,最小さいしょう政府せいふこそ最良さいりょう政府せいふであるとした。このように,市民しみん社会しゃかい自律じりつせい主張しゅちょうすることは,国家こっか批判ひはん系譜けいふにおいても重要じゅうよう位置いちめる。マルクスの階級かいきゅう国家こっかろんも,国家こっか階級かいきゅうてき性格せいかく指摘してきし,国家こっか中立ちゅうりつせい仮面かめんをはぎ,さらに階級かいきゅう社会しゃかいにおける国家こっか消滅しょうめつ必然ひつぜんせいくことで,国家こっか批判ひはんあらたな観点かんてん確立かくりつした。しかし,市民しみん社会しゃかい衰退すいたいは,当然とうぜん国家こっかたいする批判ひはんをもよわめることになり,むしろ大衆たいしゅう社会しゃかいにおいては,国家こっか積極せっきょくてき役割やくわり是認ぜにんする立場たちばつよくなっていく。また,ドイツのような後発こうはつてき近代きんだい国家こっかにあっては,市民しみん社会しゃかい一定いってい評価ひょうかあたえながらも,市民しみん社会しゃかい内在ないざいする分裂ぶんれつ克服こくふくするために,国家こっか積極せっきょくてき役割やくわり強調きょうちょうする立場たちばあらわれる。ヘーゲルの国家こっかかんはその代表だいひょうてきれいといえよう。20世紀せいきはいってイギリスやアメリカでさかんになった多元的たげんてき国家こっかろんは,国家こっか多元的たげんてき政治せいじ社会しゃかいひとつにすぎないとして,その絶対ぜったい拒否きょひするこころみであり,国家こっか批判ひはん側面そくめんをもっていたことはいうまでもない。

 今日きょうでは,かつてヨーロッパに成立せいりつした国民こくみん国家こっか理念りねん制度せいどが,ヨーロッパ以外いがいぜん世界せかい普及ふきゅう拡大かくだいするにいたっている。こうした傾向けいこうたいして,国民こくみん国家こっかはそのヨーロッパてき起源きげんのゆえに,アジアやアフリカなどのだいさん世界せかいにはかならずしも適合てきごうしないとする批判ひはんつよい。ただヨーロッパてき国民こくみん国家こっかには,人権じんけん尊重そんちょうほう支配しはいなどのすぐれた成果せいかもある。今後こんご課題かだいは,国家こっかかく地域ちいき伝統でんとう風土ふうど融合ゆうごうすることで多様たよう方向ほうこうをとるのをみきわめながら,国家こっか成果せいかというべきものをいかにぐかにあるといえよう。
執筆しっぴつしゃ

国家こっか起源きげんをめぐる議論ぎろんは,すでにべたようになにをもって国家こっかとみなすか,国家こっか定義ていぎ問題もんだいとかかわっている。ここでは,20世紀せいき主要しゅよう議論ぎろん紹介しょうかいする。E.マイヤーやW.コッパースは国家こっか人類じんるい社会しゃかい普遍ふへんてき存在そんざいするものとかんがえ,狩猟しゅりょう採集さいしゅうみんれ(バンド)にさえ国家こっかてき要素ようそみとめていた。またR.H.ローウィのように,小規模しょうきぼれやむらべつとしても,血縁けつえん地縁ちえんきずな(きずな)をこえて形成けいせいされる結社けっしゃ国家こっかてきなるものの萌芽ほうがいだそうとした学者がくしゃもいる。

 しかし今日きょうでは,だい部分ぶぶん人類じんるい学者がくしゃ国家こっか起源きげんろんずるにあたって,まず社会しゃかい経済けいざいてき階層かいそう権威けんい権力けんりょく集中しゅうちゅう労働ろうどう専門せんもん分化ぶんかなどの問題もんだいをとりあげるようになってきている。たとえばフリードM.H.Friedは国家こっか形成けいせい第一歩だいいっぽとして社会しゃかいてき政治せいじてき階層かいそう強調きょうちょうしたし,カーネイロR.L.Carneiroは社会しゃかい階層かいそうひいては国家こっか背景はいけいとして特殊とくしゅ地理ちりてき環境かんきょう重視じゅうしした。カーネイロのいわゆる地理ちりてき限定げんてい理論りろんによれば,それ自体じたい良好りょうこう土地とちだが,周囲しゅうい不毛ふもう砂漠さばく山岳さんがく,あるいはうみなどにかこまれた地域ちいきにおいて国家こっかおこりやすいという。そうした地域ちいきでは人口じんこう集中しゅうちゅうによって人口じんこうあつしょうじ,土地とちをめぐるあらそいが激化げきかし,その結果けっか敗者はいしゃ勝者しょうしゃたいする服属ふくぞく納税のうぜいはじまり,政治せいじ経済けいざいてき階層かいそうしょうずるというのである。ちなみに,こうした地域ちいきでは征服せいふくしゃ周囲しゅうい地域ちいきのがれてあたらしいむらをつくることはきわめて困難こんなんだからである。

 一方いっぽう,サービスE.R.Serviceは国家こっか形成けいせい寄与きよする要因よういんとして,(1)さい分配ぶんぱい経済けいざいシステム,(2)戦争せんそう組織そしき,(3)公共こうきょう事業じぎょう,の3しゅ組織そしき効用こうようないしは社会しゃかい統合とうごうおよぼす効果こうか強調きょうちょうする。ちなみに,(1)は多様たよう生態せいたい条件じょうけんにある地域ちいき開発かいはつされるとともに労働ろうどう特殊とくしゅ専門せんもん助長じょちょうされる場合ばあいに,さまざまの地域ちいきのさまざまな産物さんぶつをある指導しどうしゃしたあつめてさい分配ぶんぱいすることによってしょうずるし,また遠隔えんかく貿易ぼうえきなどによっても促進そくしんされる。(2)は成功せいこうをおさめたときには種々しゅじゅとみ戦利せんりひん捕虜ほりょみつぎおさめなど)をもたらすのみならず,〈民族みんぞくてきほこり〉をもたかめ,結局けっきょく軍事ぐんじ指導しどうしゃ中核ちゅうかくとする統治とうち機構きこうつよめる。(3)は神殿しんでん建造けんぞうしたり水利すいりシステムをつくるために組織そしきされる。ようするにこのたね組織そしきはじまることによって,当初とうしょ一時いちじてきであり限定げんていされていた指導しどうけん恒久こうきゅう強化きょうかされ,ついには世襲せしゅうないしは制度せいどされて,国家こっかてき機構きこう基礎きそきずかれるというのである。

 従来じゅうらい国家こっか起源きげんをめぐって,たとえばF.オッペンハイマーやR.トゥルンワルトがとなえた征服せいふくせつや,K.A.ウィットフォーゲルの灌漑かんがいせつなどが注目ちゅうもくびたが,それらは,サービスの理論りろんによれば,上述じょうじゅつ組織そしき指導しどうけん制度せいどすいくつかの要因よういんひとつにすぎないことになる。国家こっか形成けいせいへいたる道筋みちすじかならずしもひとつではなく複数ふくすうでありうるという見解けんかいはR.コーエンやL.クレーダーによってもしめされている。
執筆しっぴつしゃ

主権しゅけん国家こっかは,日本にっぽんのように,原則げんそくとして単一たんいつ国家こっかである。単一たんいつ国家こっかは,どう国家こっか代表だいひょうする単一たんいつ中央ちゅうおう政治せいじ権力けんりょくをもつ。ところが,国家こっかなかには,他国たこく結合けつごうすることによって,主権しゅけん喪失そうしつはしないが,制限せいげんされるものがある。こうして,国家こっか種類しゅるいけがなされるが,それは,18世紀せいきから20世紀せいきにかけて現実げんじつ存在そんざいした種々しゅじゅ国家こっか結合けつごうから帰納きのうされたタイプにすぎない。したがって,実際じっさいにはコモンウェルスのように,どのタイプにも該当がいとうしない独特どくとく国家こっか結合けつごうもありうる。通常つうじょう国家こっか結合けつごうとしてしめされるのは,同君どうくん連合れんごう国家こっか連合れんごう連邦れんぽうせい保護ほごこく保護ほごこく宗主そうしゅこく従属じゅうぞくこくである。同君どうくん連合れんごう君主くんしゅこくについてみとめられ,複数ふくすう国家こっか偶然ぐうぜんどう一人物いちじんぶつ君主くんしゅとする身上しんじょう連合れんごうpersonal union(れい,1714-1837ねんのイギリスとハノーバーちょう)と,複数ふくすう国家こっか合意ごういしてどう一人物いちじんぶつ君主くんしゅとする物上ぶつじょう連合れんごうreal union(れい,1814-1905ねんのスウェーデンとノルウェー)とに細分さいぶんされる。国家こっか連合れんごうconfederation of states(れい,1815-66ねんのドイツ連合れんごう)も連邦れんぽうせいも,複数ふくすう国家こっか結合けつごうして,それ自身じしん機関きかんもうけるときに成立せいりつするが,国家こっか連合れんごうでは,その機関きかん権限けんげん直接ちょくせつには構成こうせいこくだけにしかおよばないのにたいし,連邦れんぽうせいでは,構成こうせいこく国民こくみんにもおよぶ。保護ほごこく保護ほごこくは,主権しゅけん重要じゅうよう部分ぶぶん委譲いじょうするという方法ほうほうで,弱国じゃっこく保護ほごこく)が強国きょうこく保護ほごこく)の保護ほごくっするときにみられる。宗主そうしゅこく従属じゅうぞくこくは,国家こっか一部いちぶ従属じゅうぞくこく)が独立どくりつしようとする過程かていで,本国ほんごく宗主そうしゅこく)の国内こくないほうによって制限せいげんされた主権しゅけんみとめられるときに成立せいりつする。これらの国家こっか結合けつごうのうちで現存げんそんしているといえるのは,連邦れんぽうせいのみである。

 なお,国家こっか基本きほんてき権利けんり義務ぎむとしてあげられるのは,主権しゅけん独立どくりつけん平等びょうどうけん自衛じえいけん不干渉ふかんしょう義務ぎむ内政ないせい干渉かんしょう)などである。こうした国家こっか基本きほんけん観念かんねんは,歴史れきしてきには自然しぜんほう思想しそうもとづき,国家こっか生来せいらいてき固有こゆう権利けんりをもつというかたち主張しゅちょうされた。しかし,前記ぜんき保護ほごこく従属じゅうぞくこく場合ばあいのように,主権しゅけんかならずしも固有こゆうのものでなく,制限せいげんされることがあることに注意ちゅういする必要ひつようがある。
執筆しっぴつしゃ

国際こくさい政治せいじ基本きほんてき行為こうい主体しゅたいactorとして,国家こっかは,戦争せんそうから平和へいわにいたるさまざまな国際こくさい現象げんしょうにな役割やくわりたしてきている。国家こっかは,ふつう,民族みんぞく国家こっかnation stateとばれる。民族みんぞく国家こっかは,近世きんせいヨーロッパを舞台ぶたいにして,17世紀せいきちゅうごろ以降いこう,その誕生たんじょうをみた。さんじゅうねん戦争せんそう決着けっちゃくをつけたウェストファリア条約じょうやく(1648)が,民族みんぞく国家こっか体系たいけい成立せいりつせしめる歴史れきし一大いちだい契機けいきとなった。それ以前いぜん国際こくさい社会しゃかいは,なによりも政治せいじ宗教しゅうきょうとが分化ぶんか中世ちゅうせい世界せかいであった。ローマ教皇きょうこう国家こっか次元じげんえてヨーロッパの教会きょうかいりょう君臨くんりんしたり,また神聖しんせいマ帝国まていこくでは,いろいろなりょうくに領主りょうしゅ選挙せんきょこうとして皇帝こうてい選出せんしゅつするというように,異質いしつ政治せいじ行為こうい主体しゅたいじり世界せかいであった。

 多元的たげんてき政治せいじ体系たいけいわって,共通きょうつう構造こうぞう属性ぞくせいをもつ国家こっかが,その規模きぼ大小だいしょうにかかわらず,国際こくさい政治せいじ主役しゅやくとなったのである。そのさい共通きょうつう構造こうぞう属性ぞくせいとは,だい1に,国家こっか固有こゆう領土りょうどをもつこと,だい2に,固有こゆう人口じんこうをもつこと,そしてだい3に,対外たいがいてき主権しゅけんをもつことである。国際こくさいほうは,一般いっぱん国家こっかを,〈一定いってい領土りょうどない居住きょじゅうする国民こくみんたいして,これを支配しはいする政府せいふ組織そしきゆうする法的ほうてき主体しゅたい〉として定義ていぎする。ここで大事だいじてんは,国家こっか物理ぶつりてき暴力ぼうりょく警察けいさつりょくおよび軍事ぐんじりょく)の唯一ゆいいつ正統せいとう独占どくせん主体しゅたいであり,かつ,より高次こうじのいかなる政治せいじてき権威けんいにもふくさないことである。このような国家こっか主権しゅけん平等びょうどうせい基礎きそにして現代げんだい国際こくさい社会しゃかいっている。

 民族みんぞく国家こっか体系たいけい生成せいせい発展はってんしていく背景はいけいには,たしかにその一方いっぽうで,世俗せぞくてき権威けんいによる宗教しゅうきょうてき権威けんいへの優越ゆうえつという発展はってんがあったが,その他方たほうでは,それぞれの国家こっかが,農業のうぎょう社会しゃかいから工業こうぎょう社会しゃかい脱皮だっぴしていく経済けいざいてき近代きんだい過程かていがあり,同時どうじ常備じょうびぐん官僚かんりょう機構きこうをあわせそなえていく政治せいじてき近代きんだい過程かていがあった。

この体系たいけいは,最初さいしょは,ヨーロッパ,それからアメリカ大陸あめりかたいりく,そしてアジアへと拡大かくだいする歴史れきしをたどったが,とくにだい2大戦たいせんさかいにして,国家こっかぐん増大ぞうだいをみることとなった。たとえば,1945ねん国際こくさい連合れんごう発足ほっそくしたとき,構成こうせいこくかずは51ヵ国かこくであった。ところが,80年代ねんだいはいって,そのかずは3ばいの150ヵ国かこくをこし,90年代ねんだいまつには180ヵ国かこくをこえた。民族みんぞく国家こっか体系たいけいは,ここで一挙いっきょ膨張ぼうちょうをみた。しかし,この膨張ぼうちょう過程かていは,同時どうじ国家こっか体系たいけいおよび国家こっか重要じゅうよう変質へんしつをまねいてきている。

 まずだい1に,民族みんぞく国家こっかとを一体いったいとする構成こうせい原理げんりおおきな変容へんようをみてきていることである。それはとくに,なが植民しょくみん地位ちいにおかれたがゆえに,民族みんぞく国家こっかとをそとちからによって人為じんいてき分断ぶんだんせしめざるをえなかったおおくの開発かいはつ途上とじょうこく事例じれいにみられる。だい2大戦たいせん独立どくりつをみたおおくの途上とじょうこくは,民族みんぞく国家こっか構成こうせいモデルに容易よういにあてはまらず,いまなお国家こっか形成けいせい過程かていにある。

 だい2には,国家こっかあいだちからpowerの均質きんしつさがいっそう顕著けんちょになる方向ほうこうでの変容へんようである。軍事ぐんじりょく次元じげんでは,圧倒的あっとうてきかく兵力へいりょくをもつべいソが国際こくさい政治せいじで〈2しゃ独占どくせん〉の状況じょうきょうにあったし,また経済けいざいりょく次元じげんでは,先進せんしん工業こうぎょう諸国しょこく開発かいはつ途上とじょう諸国しょこくとのあいだ貧富ひんぷひろがる一方いっぽうである。まさに国家こっかぐん膨張ぼうちょうは,国々くにぐに不平等ふびょうどう構造こうぞう,ゆがみをつよめることとなった。そのことが国際こくさい政治せいじでさまざまな紛争ふんそうみ,その解決かいけつをますます困難こんなんなものとしている。

 だい3に,国家こっかおよび国家こっか体系たいけい変質へんしつとしてのがせない現象げんしょうに,国々くにぐにの〈相互そうご依存いぞん〉の深化しんかといったあらたな現実げんじつがある。とくに先進せんしん工業こうぎょう諸国しょこく中心ちゅうしんとして,貿易ぼうえき金融きんゆうにん情報じょうほうなど有形ゆうけい無形むけい相互そうご交流こうりゅういちじるしい速度そくど発展はってんし,その結果けっか国々くにぐには,相互そうご政策せいさく変化へんか敏感びんかんにかつおおきく影響えいきょうをうけるようになった。国々くにぐに相互そうご依存いぞんすと同時どうじ相互そうご脆弱ぜいじゃく(ぜいじやく)せいをもしている。このような〈相互そうご依存いぞん〉の深化しんか状況じょうきょうでは,国家こっかは,紛争ふんそう解決かいけつ手段しゅだんとして,軍事ぐんじりょく安易あんいたよることができなくなった。むしろ軍事ぐんじてき方法ほうほう重要じゅうようされるようになった。これによって国際こくさい紛争ふんそう処理しょり危機きき管理かんりはかられねばならない。なに世紀せいきにもわたって国際こくさい政治せいじ実践じっせんされてきた〈砲艦ほうかん外交がいこう〉の行動こうどう様式ようしきつよ疑問ぎもんげかけられている。〈相互そうご依存いぞん〉の深化しんか国家こっか行動こうどう様式ようしき変化へんか顕著けんちょにしてきている事例じれいとして,ヨーロッパ連合れんごう(EU)域内いきない国際こくさい関係かんけいがあげられよう(国際こくさい統合とうごう)。

 だい4の変化へんかとして,国籍こくせき企業きぎょうやさまざまな営利えいり営利えいり政府せいふ組織そしきNGO)が国際こくさい政治せいじあらたな行為こうい主体しゅたいとしてその重要じゅうようせいしていることがある。国際こくさい政治せいじあらたに〈だつ国家こっか国際こくさい関係かんけいtransnational relations〉の登場とうじょうをみることとなった(トランスナショナリズム)。この変化へんか呼応こおうするかのように,国々くにぐにによっては,国内こくない人種じんしゅ文化ぶんかの〈アイデンティティ〉をもとめる地方ちほう主義しゅぎ台頭たいとうし,国家こっか社会しゃかい細分さいぶん方向ほうこうへと重要じゅうよう変化へんかがみられるようになった。
世界せかい政治せいじ
執筆しっぴつしゃ


国家こっか (こっか)
Politeia[ギリシア]

プラトン著作ちょさく対話たいわへん)。ぜん10かんからり,かれ主著しゅちょといえる。《饗宴きょうえん》や《ファイドン》につづいて50さいだい執筆しっぴつされ,完成かんせいまえ375ねんころと推定すいていしうる。ぜん387ねんにアカデメイアを創設そうせつして以来いらい研究けんきゅう教育きょういく活動かつどうもっと充実じゅうじつしていた時期じき所産しょさんである。ソクラテスを主役しゅやくとするこの対話たいわへんは〈正義せいぎとはなにか〉の吟味ぎんみはじまり(だい1かん),そのテーマは全編ぜんぺん一貫いっかんしているが,議論ぎろん進展しんてんにつれて,正義せいぎのありかた国家こっか次元じげん拡大かくだいして考察こうさつすることが提起ていきされ,言論げんろんによる理想りそう国家こっか構築こうちくこころみられることになる(だい2~5かん)。議論ぎろん重点じゅうてんはとくに国家こっか防衛ぼうえい統治とうち担当たんとうしゃたちにかんする機構きこう教育きょういく問題もんだいにおかれ,かれらのあいだでの私有しゆう財産ざいさんせい家族かぞくせい撤廃てっぱいなどの大胆だいたん提案ていあんがなされている。いで,理想りそう実現じつげん唯一ゆいいつ方途ほうととして,いわゆる〈哲人てつじんおう思想しそう表明ひょうめいされると(だい5かんまつ),それに内実ないじつ裏付うらづけをあたえるべく,哲学てつがくしゃ哲学てつがくてき認識にんしき本質ほんしつ規定きていぜんイデア究極きゅうきょくするイデアろん構造こうぞう,イデア認識にんしき達成たっせいするための学問がくもん過程かていなどがくわしくろんじられる(だい6~7かん)。その理想りそう国家こっか不完全ふかんぜん国家こっかしょ形態けいたいへと転落てんらくしていく過程かていが,個々人ここじんのうちの悪徳あくとく規定きてい並行へいこうてきべられたうえで,〈正義まさよし〉こそが人間にんげん幸福こうふくにするものであることが宣明のぶあきされる(だい8~9かん)。そして最終巻さいしゅうかんにおいて,詩歌しか文芸ぶんげい批判ひはんてき考察こうさつおよびたましい不死ふし論証ろんしょうこころみられたのち,死後しごたましい運命うんめいべた〈エルの物語ものがたり〉によって全巻ぜんかんわる。
執筆しっぴつしゃ

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百科ひゃっか事典じてんマイペディア国家こっか」の意味いみ・わかりやすい解説かいせつ

国家こっか【こっか】

一定いってい領土りょうど定住ていじゅうする多数たすうじん構成こうせいされる団体だんたいで,排他はいたてき統治とうち組織そしきをもつもの。一般いっぱんに,領土りょうど人民じんみん主権しゅけん統治とうちけん)の3要素ようそからなるとされるが,憲法けんぽうなどで国家こっか権力けんりょく範囲はんいさだめる近代きんだい国家こっかにおいては,国家こっかのみが主権しゅけんをもつことに反対はんたいする解釈かいしゃくもある(多元的たげんてき国家こっかろん)。またマルクス主義まるくすしゅぎでは,国家こっかは,支配しはい階級かいきゅう支配しはい階級かいきゅう支配しはい搾取さくしゅするための権力けんりょく機構きこうとみなされる(階級かいきゅう国家こっかかん)。歴史れきしてきには古代こだい奴隷どれいせい国家こっか奴隷どれいせい社会しゃかい),中世ちゅうせい封建ほうけん国家こっかて,絶対ぜったい主義しゅぎ国家こっか登場とうじょうともない,国家こっか国際こくさい政治せいじ主役しゅやくとなると同時どうじに,中央ちゅうおう集権しゅうけん機構きこうをもつ近代きんだい国家こっかとして整備せいびされる。ブルジョア革命かくめいののちの国民こくみん国家こっかでは,〈人民じんみん〉のだい多数たすう国家こっか動向どうこう関心かんしんをもつ〈国民こくみん〉に転化てんかする。この段階だんかいでの国家こっかは,自由じゆう放任ほうにん主義しゅぎのもとで国家こっか機能きのう最小限さいしょうげんにとどめようとする〈夜警やけい国家こっか〉であり,立法りっぽう政治せいじ中心ちゅうしんめるため〈立法りっぽう国家こっか〉ともばれる。20世紀せいきはいると,工業こうぎょう都市とし進行しんこうによる社会しゃかい複雑ふくざつともない,国家こっか社会しゃかいぜん領域りょういき介入かいにゅうする〈福祉ふくし国家こっか〉に移行いこうするが,そこでは行政ぎょうせい比重ひじゅう急増きゅうぞうして〈行政ぎょうせい国家こっか〉の様相ようそうていする。後者こうしゃはまた〈積極せっきょく国家こっか〉ともばれる。こうして今日きょう大衆たいしゅう国家こっかでは,国家こっか国民こくみん日常にちじょう生活せいかつのすみずみにまでふか関係かんけいをもち,のあらゆる社会しゃかい集団しゅうだん圧倒あっとうする巨大きょだい機構きこうとして確立かくりつされている。なお,ナチズムやファシズムのもとでの全体ぜんたい主義しゅぎてき国家こっかにおいては,国民こくみん国家こっか利害りがいへの全面ぜんめんてき従属じゅうぞくせまられる。社会しゃかい主義しゅぎ革命かくめいプロレタリア革命かくめい)を成立せいりつする社会しゃかい主義しゅぎ国家こっかは,国家こっか権力けんりょく労働ろうどうしゃ階級かいきゅうのために行使こうしされる国家こっかであり,マルクス主義まるくすしゅぎによれば,その発展はってん結果けっかもたらされる共産きょうさん主義しゅぎ段階だんかいでは,国家こっかは〈死滅しめつする〉とされる。
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ブリタニカ国際こくさいだい百科ひゃっか事典じてん しょう項目こうもく事典じてん国家こっか」の意味いみ・わかりやすい解説かいせつ

国家こっか
こっか
state

一般いっぱんに,一定いってい領土りょうど国民こくみん排他はいたてき統治とうち組織そしきとをもつ政治せいじ共同きょうどうたいをいい,また一定いってい地域ちいき (領土りょうど) を基礎きそ固有こゆう統治とうちけんによって統治とうちされる継続けいぞくてきおおやけ組織そしきてき共同きょうどう社会しゃかいともいうことができる。 (1) 広義こうぎ固有こゆう国家こっかとは,統治とうち主体しゅたいとしての統治とうち機構きこうである政府せいふと,統治とうち客体かくたいとしての人民じんみんをともにふくんでいるが,政府せいふだけをさして国家こっかぶこともあり,語源ごげんてき国家こっかとは,この狭義きょうぎ概念がいねん由来ゆらいしている。今日きょう国家こっか起源きげんをなすイタリア・ルネサンスのスタート statoは,統治とうちしゃおよびその属僚ぞくりょうから実力じつりょくてき統治とうち機構きこうかんがえられていた。このように近代きんだいヨーロッパの国家こっかとは,なによりも権力けんりょくおよびその支配しはい機構きこう意味いみしていたが,やがてそれが主権しゅけん観念かんねんむすびついて,国民こくみん国家こっか nation stateの機構きこう準備じゅんびした。こうして国家こっかとは合法ごうほうてき物理ぶつりてき強制きょうせいりょく独占どくせん背景はいけいとして,社会しゃかい秩序ちつじょ維持いじ管理かんりするための支配しはい機構きこう意味いみするにいたった。しかし国家こっか本質ほんしつをめぐっては,大別たいべつして2つの見解けんかい対立たいりつしている。 (a) 国家こっか共同きょうどう目標もくひょう達成たっせいすることによって社会しゃかい全体ぜんたい奉仕ほうしするものとみる見方みかたと,(b) 国家こっかをその時代じだい生産せいさん手段しゅだん所有しょゆうする支配しはいしゃ階級かいきゅう利益りえき擁護ようごするための機関きかんとみなすせつである。前者ぜんしゃ国家こっか最高さいこうぜん実現じつげんとみるプラトン以来いらい国家こっかろん主流しゅりゅうであって,近代きんだい政治せいじがく継承けいしょうされている。後者こうしゃマルクス主義まるくすしゅぎ立場たちば代表だいひょうされている。国家こっか起源きげんかんする主張しゅちょうには,イデオロギーとしての意味いみをもつものと,その歴史れきしてき説明せつめいとがある。前者ぜんしゃには神権しんけんせつ社会しゃかい契約けいやくせつが,後者こうしゃには征服せいふくせつ搾取さくしゅせつ原始げんし存在そんざいせつなどがある。国家こっか形態けいたいを,通常つうじょう歴史れきしてき観点かんてんから,奴隷どれいせい基盤きばんとする古代こだい国家こっか農奴のうどせいもとづく封建ほうけんせい国家こっか資本しほん主義しゅぎ依拠いきょした近代きんだい国家こっか,および社会しゃかい主義しゅぎ国家こっか区分くぶんするのはマルクス主義まるくすしゅぎ学説がくせつである。 (2) 法学ほうがくてき国家こっかろんとしては,国家こっか統治とうちけん主体しゅたいとみる権利けんり主体しゅたいせつ統治とうちけん客体かくたいとみる権利けんり客体かくたいせつ統治とうちしゃ被治者ひちしゃとの法的ほうてき関係かんけいとみる権利けんり関係かんけいせつなどがある。国家こっか形態けいたいについては種々しゅじゅ観点かんてんから分類ぶんるいされるが,君主くんしゅこく共和きょうわこく専制せんせい国家こっか立憲りっけん国家こっか単一たんいつ国家こっか連邦れんぽう国家こっかなどの区別くべつ基本きほんてきなものである。

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普及ふきゅうばん どおり国家こっか」のみ・字形じけい画数かくすう意味いみ

国家こっか】こくか

くに。〔つるりん玉露ぎょくろかぶとさん罪人ざいにん國家こっか一統いっとうごうごうしてくるは、おうやすしせきつみなり。けてふく(ま)たあわせざるは、はたひのきつみなり。

どおりくに」の項目こうもく

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山川やまかわ 世界せかいしょう辞典じてん 改訂かいてい新版しんぱん国家こっか」の解説かいせつ

国家こっか』(こっか)
Politeia

プラトン対話たいわへん中期ちゅうき著作ちょさくぞくし,作者さくしゃ50~60さいのときのさっかといわれる。主題しゅだい正義せいぎとその実現じつげんとしての国家こっかにある。プラトンが,人間にんげんたましいみっつの部分ぶぶん相応そうおうするみっつの身分みぶん,すなわち支配しはいしゃ戦士せんし生産せいさんしゃ構想こうそうし,哲学てつがくしゃ支配しはいしゃとする著名ちょめい理想りそうこくぞうえがいたのはこのさくにおいてである。

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デジタルばん 日本人にっぽんじんめいだい辞典じてん+Plus国家こっか」の解説かいせつ

国家こっか くにいえ

?-? 鎌倉かまくら時代じだい刀工とうこう
くによりゆき(くにより)の大和やまと(奈良ならけん)から京都きょうと粟田口あわだぐち(あわたぐち)に移住いじゅうしてさくがたな従事じゅうじ,粟田口あわだぐちとされる。国友くにとも,久国ひさくに,国安くにやす,国清くにきよ,ゆうこく,国綱くにつなの6にんがいる。通称つうしょう藤林ふじばやし(とうりん)わたる九郎くろう

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世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん旧版きゅうばんうち国家こっか言及げんきゅう

愛国心あいこくしん】より

…すなわち愛国心あいこくしんは,本来ほんらい愛郷あいきょうしん郷土きょうどあい,あるいは祖国そこくあいであって,地域ちいき固有こゆう生活せいかつ環境かんきょうなかはぐくまれた心性しんせいであり,自分じぶんぞくしている生活せいかつ様式ようしきそとから侵害しんがいしようとするものあらわれた場合ばあい,それにたいして防御ぼうぎょてき対決たいけつする〈生活せいかつ様式ようしきへのあい〉である。どの時代じだいどの地域ちいきにもられるこの意味いみ愛国心あいこくしんたいして,19世紀せいき成立せいりつしたナショナリズムは,個人こじん忠誠ちゅうせいしん民族みんぞく国家こっかという抽象ちゅうしょうてき枠組わくぐみに優先ゆうせんてきにふりむけることによって成立せいりつする政治せいじてき意識いしき行動こうどうであるてんにおいて区別くべつされる。しかしながら世界せかい国家こっか単位たんいとして編成へんせいされるようになると,愛国心あいこくしん国家こっか目的もくてき動員どういんされたり,ぎゃく国家こっか抵抗ていこうするはたらきをせたりすることで,国家こっかとの関係かんけいふかめた。…

主権しゅけん】より

近代きんだい国家こっか基本きほんてき構成こうせい要素ようそとして,それに帰属きぞくさせられてきた最高さいこう権力けんりょく概念がいねん。フランスの法学ほうがくしゃJ.ボーダンがその《国家こっかろん》(1576)において最初さいしょもちいたとされる。…

【ヨーロッパ】より

…しかしこのすう世紀せいきにわたる漸次ぜんじ変化へんか具体ぐたいてき内容ないようそくして概説がいせつすることはとうてい不可能ふかのうであるから,ここでは〈ヨーロッパ〉をかんがえるうえもっと特徴とくちょうてきな,この時期じき変化へんか指摘してきするにとどめたい。ケルトじんゲルマンじんスラブじん民族みんぞくだい移動いどうラテン民族みんぞく
国家こっかのありかたの2類型るいけい
 まずそのひとつは,政治せいじ形態けいたい,とりわけ国家こっかのありかたおよびその性格せいかく基本きほんてき変質へんしつについてである。地中海ちちゅうかい内海うちうみとしたマ帝国まていこくは,いうまでもなく民族みんぞく支配しはい世界せかい帝国ていこくであり,類型るいけいてきにいうならば,政教せいきょう合致がっち絶大ぜつだい権力けんりょくをもつ皇帝こうていした画一かくいつてき法典ほうてん多数たすう軍隊ぐんたい煩瑣はんさ役人やくにんせいにより,租税そぜいつうじて人民じんみん掌握しょうあく支配しはいする制度せいど国家こっかであった。…

政体せいたい】より

古代こだいギリシアにおけるポリスの自由じゆう観念かんねん自体じたい,オリエントの専制せんせい政治せいじとの対比たいひによって意識いしきされたといえよう。プラトンは《国家こっか》において哲学てつがくしゃ支配しはいする優秀ゆうしゅうしゃ支配しはいせい理想りそうてき政体せいたいとし,現実げんじつしょ政体せいたいをそれからの逸脱いつだつ形態けいたいとしてえがく。名誉めいよ支配しはいせいとはではなく勝利しょうり名誉めいよおもんじる体制たいせいであり,これがさらに堕落だらくすると,少数しょうすう富者ふしゃ支配しはいする寡頭せいになる。…

体育たいいく】より


[ヨーロッパ]
 古代こだいギリシアではオリンピックなどの祭典さいてん全国ぜんこくてき規模きぼおこなわれ,ぜん5世紀せいきのペルシア戦争せんそうでみせたような民族みんぞく団結だんけつをもたらした。また,ポリス(都市とし国家こっか)の青少年せいしょうねんき,算数さんすうとムシケmousikē(音楽おんがく文芸ぶんげい),ギュムナスティケgymnastikē(体育たいいく)の教育きょういくけたが,そこでも祭典さいてん競技きょうぎ種目しゅもく採用さいようされた。体育たいいく実習じっしゅうをする場所ばしょはパライストラpalaistraといわれ,一般いっぱんひとがスポーツをおこなうギュムナシオンgymnasionと併設へいせつされることがおおかった。…

【プラトン】より

前期ぜんき著作ちょさく:《ラケス》《リュシス》《カルミデス》《エウテュフロン》《ソクラテスの弁明べんめい》《クリトン》《エウテュデモス》《プロタゴラス》《ゴルギアス》《メノン》など。中期ちゅうき著作ちょさく:《饗宴きょうえん》《ファイドン》《国家こっかぜん10かん,《ファイドロス》《パルメニデス》《テアイテトス》(ただし文体ぶんたい研究けんきゅうによる区分くぶんとはべつに,〈イデアろんてき対話たいわへん〉であるぜん4しゃのみを中期ちゅうき著作ちょさくび,《パルメニデス》以降いこう後期こうき著作ちょさくとする場合ばあいもある)。後期こうき著作ちょさく:《ソフィステス》《ポリティコス(政治せいじ)》《フィレボス》《ティマイオス》《クリティアス》《法律ほうりつぜん13かん,《エピノミス(法律ほうりつ後編こうへん)》。…

【ボエティウス】より

かれはその家系かけいから〈最後さいごのローマじん〉,また著作ちょさくおよぼした影響えいきょうから〈最初さいしょスコラ哲学すこらてつがくしゃ〉としょうされる。かれは,養父ようふであり義父ぎふでもあるシンマクスとなら有数ゆうすう文人ぶんじん政治せいじであるが,プラトンの《国家こっかだい5かんにみられる〈哲人てつじんおう〉を終生しゅうせい理想りそうとし,おなじく《国家こっかだい7かんにそれとの関連かんれんから提示ていじされている教育きょういく課程かてい,すなわち哲学てつがく研究けんきゅう予備よび教養きょうようとして数学すうがく幾何きか天文てんもん音楽おんがく研鑽けんさんをつむべきだとする教育きょういく課程かてい踏襲とうしゅう,それぞれゲラサのニコマコス,エウクレイデス(ユークリッド),プトレマイオスの著書ちょしょ翻案ほんあんもとづくこれら4学科がっか入門にゅうもんしょあらわした。これらは,のち確立かくりつする〈ななつの自由じゆう学芸がくげい〉(自由じゆうなな)のうち〈クアドリウィウム〉としょうされる自然しぜん科学かがく主体しゅたいとする4教科きょうか基礎きそとなる。…

【ユートピア】より


[ユートピアの系譜けいふ
 ヨーロッパでは古代こだい以来いらい,ユートピア思想しそう運動うんどう伝統でんとう形成けいせいされている。最古さいこのものは,プラトンの対話たいわへん国家こっか》にあらわれる。プラトンはここで,哲人てつじん支配しはいしゃによって厳格げんかく統治とうちされる国家こっかえがき,現実げんじつのアテナイをあん批判ひはんするとともに,人間にんげん政治せいじ本質ほんしつ理想りそうてき発現はつげんされる形式けいしき記述きじゅつした。…

※「国家こっか」について言及げんきゅうしている用語ようご解説かいせつ一部いちぶ掲載けいさいしています。

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タコノキ常緑じょうりょく高木たかぎ小笠原諸島おがさわらしょとう特産とくさんする。みき直立ちょくりつしてふとえだをまばらにはすじょうし,下部かぶには多数たすうふと気根きこんがある。みき頂上ちょうじょう密生みっせいし,ながさ1〜2m,はばやく7cmで,さきほそくとがり,えんにはするど鋸歯きょし(きょし)...

タコノキの用語ようご解説かいせつ

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