デジタル大辞泉だいじせん 「大村おおむら智さとし」の意味いみ・読よみ・例文れいぶん・類語るいご おおむら‐さとし〔おほむら‐〕【大村おおむら智さとし】 [1935~ ]化学かがく者しゃ。薬学やくがく者しゃ。山梨やまなしの生うまれ。微生物びせいぶつから発見はっけんした新しん物質ぶっしつによって、多おおくの医薬いやく・農薬のうやく・生化学せいかがく研究けんきゅう用よう試薬しやくの実用じつよう化かに寄与きよ。このうち、エバーメクチンをもとに開発かいはつされた、抗こう寄生虫きせいちゅう薬くすりのイベルメクチンは、熱帯ねったい病びょうのオンコセルカ症しょうの治療ちりょうに用もちいられ、多おおくの患者かんじゃを失明しつめいから救すくった。平成へいせい27年ねん(2015)、ノーベル生理学せいりがく医学いがく賞しょう受賞じゅしょう。同年どうねん、文化ぶんか勲章くんしょう受章じゅしょう。 出典しゅってん 小学館しょうがくかんデジタル大辞泉だいじせんについて 情報じょうほう | 凡例はんれい
日本にっぽん大だい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ) 「大村おおむら智さとし」の意味いみ・わかりやすい解説かいせつ 大村おおむら智さとしおおむらさとし(1935― ) 化学かがく者しゃ。山梨やまなし県けん北巨摩きたこま(きたこま)郡こおり神山かみやま(かみやま)村むら(現げん、韮崎にらさき(にらさき)市し)出身しゅっしん。1958年ねん(昭和しょうわ33)山梨大学やまなしだいがく学芸がくげい学部がくぶ卒業そつぎょう。東京とうきょう都立とりつ墨田すみだ工業こうぎょう高等こうとう学校がっこう教諭きょうゆ、東京教育大学とうきょうきょういくだいがく研究けんきゅう生せいを経へて、1963年ねん東京理科大学とうきょうりかだいがく大学院だいがくいん理学りがく研究けんきゅう科か修士しゅうし課程かてい修了しゅうりょう。同年どうねん、山梨大学やまなしだいがく工学部こうがくぶ助手じょしゅ。1965年ねん北里きたさと研究所けんきゅうじょに入所にゅうしょ。1971年ねんアメリカのウェズリアン大学だいがく客員きゃくいん教授きょうじゅ。1975年ねんより北里大学きたさとだいがく薬学部やくがくぶ教授きょうじゅ(~1989年ねん)。1990年ねん北里きたさと研究所けんきゅうじょ所長しょちょう、2008年ねん(平成へいせい20)同どう研究所けんきゅうじょ名誉めいよ理事りじ長ちょう、2012年ねんより同どう研究所けんきゅうじょ顧問こもん。なお、美術びじゅつ作品さくひんの収集しゅうしゅう家かとしても知しられ、2007年ねんに韮崎にらさき大村おおむら美術館びじゅつかんを開設かいせつした。 大村おおむらは、微生物びせいぶつの生産せいさんする有用ゆうような天然てんねん有機ゆうき化合かごう物ぶつの探索たんさく研究けんきゅうを行おこない、480種しゅを超こえる新あたらしい化合かごう物ぶつを発見はっけん。そのうち25種しゅが医薬品いやくひんや試薬しやくとなり、感染かんせん症しょうなどの創そう薬やくにつながり、さらに生命せいめい現象げんしょう解明かいめいの研究けんきゅうに貢献こうけんした。1974年ねん、静岡しずおか県けん伊東いとう市しの土どの中なかから発見はっけんされた放線ほうせん菌きんが産さん生せいするエバーメクチンが、動物どうぶつの抗こう寄生きせい虫むし作用さようがあることをメルク社しゃと共同きょうどうで発見はっけんして動物どうぶつ抗生こうせい物質ぶっしつを開発かいはつ。さらにヒト寄生虫きせいちゅう病びょうの予防よぼう・治療ちりょうの特効薬とっこうやくとなったイベルメクチンを同社どうしゃと共同きょうどうで開発かいはつした。イベルメクチンは、アフリカ、南米なんべい大陸たいりくなど温あつし・熱帯ねったい地方ちほうで蔓延まんえん(まんえん)していたオンコセルカ症しょう(河川かせん盲目もうもく症しょう)、リンパ系けいフィラリア症しょう、糞くそ(ふん)線せん虫むし症しょう、疥癬かいせん(かいせん)などの特効薬とっこうやくとなり、年間ねんかん約やく3億おく人にんの人々ひとびとの予防よぼう・治療ちりょう薬やくとなっている。さらにスタウロスポリン(抗こう癌がん(がん)作用さよう)、ラクタシスチン(酵素こうそ阻害そがい作用さよう)、セルレニン(脂肪酸しぼうさん生せい合成ごうせい阻害そがい剤ざい)など重要じゅうような化学かがく物質ぶっしつを発見はっけん、遺伝子いでんし操作そうさによる初はじめての新規しんき化合かごう物ぶつの創製そうせいにも成功せいこうしている。 2015年ねん「線せん虫ちゅうの寄生きせいによって引ひき起おこされる感染かんせん症しょうに対たいする新あらたな治療ちりょう法ほうに関かんする発見はっけん」の業績ぎょうせきで、アメリカのドルー大学だいがく名誉めいよ研究けんきゅうフェローのウイリアム・キャンベルとともにノーベル医学いがく生理学せいりがく賞しょうを受賞じゅしょうした。2012年ねんに文化ぶんか功労こうろう者しゃ、2013年ねんに北里大学きたさとだいがくの特別とくべつ栄誉えいよ教授きょうじゅとなり、2015年ねん文化ぶんか勲章くんしょうを受章じゅしょうした。[馬場ばば錬成れんせい 2016年ねん5月がつ19日にち]『馬場ばば錬成れんせい著ちょ『大村おおむら智さとし物語ものがたり――ノーベル賞しょうへの歩あゆみ』(2015・中央公論ちゅうおうこうろん新しん社しゃ)』[参照さんしょう項目こうもく] | イベルメクチン | エバーメクチン | オンコセルカ症しょう | 疥癬かいせん | キャンベル | フィラリア症しょう | 糞くそ線せん虫むし | 放線ほうせん菌きん 出典しゅってん 小学館しょうがくかん 日本にっぽん大だい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ)日本にっぽん大だい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ)について 情報じょうほう | 凡例はんれい
ブリタニカ国際こくさい大だい百科ひゃっか事典じてん 小しょう項目こうもく事典じてん 「大村おおむら智さとし」の意味いみ・わかりやすい解説かいせつ 大村おおむら智さとしおおむらさとし [生せい]1935.7.12. 山梨やまなし,韮崎にらさき化学かがく者しゃ。1958年ねん山梨大学やまなしだいがく学芸がくげい学部がくぶ自然しぜん科学かがく科かを卒業そつぎょうし,東京とうきょう都立とりつ墨田すみだ工業こうぎょう高等こうとう学校がっこう教諭きょうゆ(夜よる間あいだ部ぶ)として働はたらきながら,東京理科大学とうきょうりかだいがく大学院だいがくいん理学りがく研究けんきゅう科か修士しゅうし課程かていを 1963年ねんに修了しゅうりょう。北里大学きたさとだいがく薬学部やくがくぶ助教授じょきょうじゅなどを経へて,1971~73年ねんアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくのウェスリアン大学だいがく客員きゃくいん教授きょうじゅを務つとめた。アメリカの大手おおて製薬せいやく会社かいしゃメルクと北里大学きたさとだいがく薬学部やくがくぶの産学さんがく連携れんけい研究けんきゅうの仕組しくみを築きずき,大学だいがく研究けんきゅうへの民間みんかん資金しきん導入どうにゅうのさきがけとされる。1975年ねんに北里大学きたさとだいがく薬学部やくがくぶ教授きょうじゅに就任しゅうにん。1979年ねんに静岡しずおか県けん伊豆いずのゴルフ場じょう隣接りんせつ地ちの土中どちゅうの微生物びせいぶつから,家畜かちくの寄生虫きせいちゅうの駆除くじょに劇的げきてきな効果こうかを示しめす化合かごう物ぶつエバーメクチンを発見はっけんした。メルクではウィリアム・キャンベルらが,これをイベルメクチンに化学かがく変換へんかんして 1981年ねんに動物どうぶつ薬やくとして発売はつばい。ヒトにも効果こうかがあるとわかり,1988年ねん,アフリカと中南米ちゅうなんべいの寄生虫きせいちゅう病びょうオンコセルカ症しょうを対象たいしょうにメルクと北里きたさと研究所けんきゅうじょが薬くすりの無償むしょう提供ていきょうを開始かいしした。オンコセルカ症しょうは寄生虫きせいちゅうにより失明しつめいすることもある病気びょうきだが,イベルメクチン服用ふくようで数すう千せん万まん人にんが感染かんせんを免まぬかれた。2013年ねんに北里大学きたさとだいがく特別とくべつ栄誉えいよ教授きょうじゅとなる。2015年ねん,線せん虫むし症しょうの新あたらしい治療ちりょう法ほうを発見はっけんし熱帯ねったい地方ちほうを中心ちゅうしんに多おおくの患者かんじゃを救すくった功績こうせきにより,キャンベル,屠ほふ呦呦とともにノーベル生理学せいりがく・医学いがく賞しょうを受賞じゅしょうした。1990年ねん日本学士院にほんがくしいん賞しょう,1991年ねんチャールズ・トム賞しょう,2014年ねんガードナー国際こくさい保健ほけん賞しょうなど国内外こくないがいの受賞じゅしょう多数たすう。1992年ねん紫綬褒章しじゅほうしょう,2007年ねんレジオン・ドヌール勲章くんしょう,2011年ねん瑞みず宝たから重光しげみつ章あきらを受章じゅしょう。2012年ねん文化ぶんか功労こうろう者しゃに選えらばれ,2015年ねん文化ぶんか勲章くんしょうを受章じゅしょうした。(→感染かんせん症しょう,熱帯ねったい医学いがく) 出典しゅってん ブリタニカ国際こくさい大だい百科ひゃっか事典じてん 小しょう項目こうもく事典じてんブリタニカ国際こくさい大だい百科ひゃっか事典じてん 小しょう項目こうもく事典じてんについて 情報じょうほう
デジタル版ばん 日本人にっぽんじん名めい大だい辞典じてん+Plus 「大村おおむら智さとし」の解説かいせつ 大村おおむら智さとし おおむら-さとし 1935- 昭和しょうわ後期こうき-平成へいせい時代じだいの薬学やくがく者しゃ。昭和しょうわ10年ねん7月がつ12日にち生うまれ。昭和しょうわ50年ねん北里大きたざとだい教授きょうじゅ,平成へいせい2年ねん北里きたさと研究所けんきゅうじょ長ちょうとなる。微生物びせいぶつから300ちかくの新しん物質ぶっしつを発見はっけんし,その一部いちぶを人ひとや家畜かちくの寄生虫きせいちゅうに有効ゆうこうな抗生こうせい物質ぶっしつなどとして実用じつよう化かした。平成へいせい2年ねん学士がくし院いん賞しょう(秦はた藤樹とうじゅとの共同きょうどう研究けんきゅう)。13年ねん北里きたさと生命せいめい科学かがく研究所けんきゅうじょ所長しょちょう。同年どうねん学士がくし院いん会員かいいん。24年ねん文化ぶんか功労こうろう者しゃ。27年ねん朝日あさひ賞しょう。同年どうねんノーベル生理学せいりがく・医学いがく賞しょうを受賞じゅしょう。山梨やまなし県けん出身しゅっしん。山梨大やまなしだい卒そつ。編著へんちょに「微生物びせいぶつ薬品やくひん化学かがく」など。 出典しゅってん 講談社こうだんしゃデジタル版ばん 日本人にっぽんじん名めい大だい辞典じてん+Plusについて 情報じょうほう | 凡例はんれい