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大老(タイロウ)とは? 意味や使い方 - コトバンク

大老たいろうみ)タイロウ

デジタル大辞泉だいじせん大老たいろう」の意味いみみ・例文れいぶん類語るいご

たい‐ろう〔‐ラウ〕【大老たいろう

豊臣とよとみ時代じだい職名しょくめい奉行ぶぎょううえにいて政務せいむ総轄そうかつした最高さいこう執政しっせいかん。→大老たいろう
江戸えど幕府ばくふ職名しょくめい必要ひつようおうじて老中ろうじゅううえかれ、政務せいむ総轄そうかつした最高さいこうしょく定員ていいん1めい

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精選せいせんばん 日本にっぽん国語こくごだい辞典じてん大老たいろう」の意味いみみ・例文れいぶん類語るいご

たい‐ろう‥ラウ大老たいろう

  1. 名詞めいし
  2. 賢者けんじゃとして尊敬そんけいされる老人ろうじん。また、とくよわいともにたかひとてんじて、たんに、非常ひじょう年寄としよりのにももちいられる。
    1. [初出しょしゅつ実例じつれい]「比丘尼びくにちゅう大老たいろう也」(出典しゅってん実隆さねたかおおやけえいただしねん(1505)よんがつにち)
    2. 少年しょうねんときは、なん分別ふんべつもなし。また大老たいろうになれば、却て少年しょうねんときごとし」(出典しゅってん中華ちゅうか若木わかぎ詩抄ししょう(1520ごろちゅう)
    3. [その文献ぶんけん]〔孟子もうしはなれ婁・うえ
  3. 祖父そふ。〔通俗つうぞくへんたたえいい大老たいろう
  4. 豊臣とよとみ秀吉ひでよしさだめた豊臣とよとみ最高さいこう執政しっせいかんめいであったので大老たいろうとよぶ。
    1. [初出しょしゅつ実例じつれい]「天正てんしょうじゅうきゅうねんだい権現ごんげん前田まえだ利家としいえ浮田うきた秀家ひでいえ毛利もうり輝元てるもと小早川こばやかわ隆景たかかげいちため天下てんか大老たいろういち」(出典しゅってん豊臣とよとみ秀吉ひでよし(1642)ちゅう古事ふるごとるいえん官位かんい〇))
  5. 江戸えど幕府ばくふ最高さいこう役職やくしょく常置じょうちではなく、定員ていいんいちめい老中ろうじゅううえにあり、老中ろうじゅう将軍しょうぐん上申じょうしんする政務せいむ関知かんちしないものはない。さんだいこう土井どい酒井さかい堀田ほった井伊いいよんいえからた。大老たいろうしょく
    1. [初出しょしゅつ実例じつれい]「土井どい大炊おおいあたま利勝としかつ酒井さかいたたえ岐守忠勝ただかつりゃく大政たいせいことあらば、まうのぼり、老臣ろうしん会議かいぎして、おこたるべからざるむねめいぜらる。これ、いまにいふ大老たいろうなり」(出典しゅってん徳川とくがわ実紀みき寛永かんえいいちねん(1638)いちいちがつななにち)

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日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ)大老たいろう」の意味いみ・わかりやすい解説かいせつ

大老たいろう
たいろう

江戸えど幕府ばくふ役職やくしょくちゅう最高さいこう職名しょくめい常置じょうちしょくではない。そうおけしょう酒井さかい忠世ただよ(ただよ)(雅楽ががくあたま(うたのかみ))にはじまるとつたえるが確証かくしょうはなく、むしろ1638ねん寛永かんえい15)の老中ろうじゅう土井どい利勝としかつ(としかつ)(大炊おおいあたま(おおいのかみ))・どう酒井さかい忠勝ただかつ雅楽ががく頭分かしらぶん讃岐さぬきもり(さぬきのかみ))両人りょうにん格上かくあをもって大老たいろうしょく設置せっちとしたほうがよかろう。こののち、酒井さかい忠清ただきよ(ただきよ)(雅楽ががくあたま、1666~80)、井伊いいただしきよし(なおすみ)(掃部あたま(かもんのかみ)、1668~76)、堀田ほった正俊まさとし(まさとし)(筑前ちくぜん(ちくぜん)もり、1681~84)、井伊いいただしきょう(なおおき)(ちょく該(なおもり)、掃部あたま、1697~1700、1711~14)、どう直幸なおゆき(なおひで)(掃部あたま、1784~87)、どうちょくあきら(なおあき)(どう、1835~41)、どう直弼なおすけ(なおすけ)(どう、1858~60)、酒井さかいただし(ただしげ)(雅楽ががくあたま、1865.2~65.11)の順序じゅんじょ補任ほにん(ぶにん)された。ちなみに、大老たいろうかく柳沢やなぎさわ吉保よしやす(やなぎさわよしやす)(松平まつだいら美濃みの(みの)もり、1706~09)は役職やくしょくじょう終始しゅうし側用人そばようにん(そばようにん)であったとおもわれる。定員ていいん通常つうじょう1にん官位かんい井伊いいのみ家格かかくによってせいよん(しょうしい)中将ちゅうじょうしたがえ(じゅ)よん少将しょうしょうとなり、日々ひび登城とじょうし、老中ろうじゅううえはんにあって大政たいせい総理そうりしたが、月番つきばん御用ごよう評定ひょうじょうしょ(ひょうじょうしょ)だし奉書ほうしょばんめんじられ、ときに御内おんうちしょのことをつかさどった。老中ろうじゅう若年寄わかどしよりともども殿中でんちゅう用部屋ようべやめ、そのうち上之うえのあいだいれがわ上座かみざ屏風びょうぶ(びょうぶ)さま太鼓たいこちょう(たいこばり)の障子しょうじをもっていちかくしたところで執務しつむした。

 ところで、4だい将軍家しょうぐんけつな(いえつな)の時期じき酒井さかい忠清ただきよ井伊いいただしきよし両人りょうにん並行へいこうして大老たいろう補任ほにんされ、くわえて阿部あべ忠秋ただあき(ただあき)(豊後ぶんご(ぶんご)もり、1666~71致仕ちし、1675ぼつ)が大老たいろうなみ(なみ)の処遇しょぐうけた。しかし、これはさんしゃさんようであったと推測すいそくされる。忠清ただきよ門閥もんばつ譜代ふだい(ふだい)の代表だいひょうとして名実めいじつともにまくかく首班しゅはんちょくきよし譜代ふだい棟梁とうりょう(とうりょう)として徳川とくがわ元老げんろう地位ちいにあり、忠秋ただあきまくかく長老ちょうろうとして優待ゆうたいされたものとほぐせようか。とりわけ井伊いいは、江戸えど時代じだいつうじて歴代れきだい会津あいづ高松たかまつりょう松平まつへいとともに、将軍家しょうぐんけ政治せいじ顧問こもん役目やくめためあいだ(たまりのま)にはんをもち、またなかば世襲せしゅうのように大老たいろう補任ほにんされて大政たいせいのぞんだが、ただ1人ひとり幕末ばくまつ直弼なおすけ例外れいがいとして、酒井さかい忠清ただきよ堀田ほった正俊まさとしのようにまくかく首班しゅはん執政しっせいとして政治せいじじょう絶大ぜつだい権力けんりょくるったものはなかったかにみえ、このことから、おな大老たいろうといっても井伊いいとでは本来ほんらい格式かくしき性質せいしつことなるものとかんがえられよう。なお、臨時りんじ設置せっちされ大政たいせい関与かんよした役職やくしょく後見こうけん輔佐ほさ(ほさ)、政事せいじ総裁そうさい政事せいじ輔翼(ほよく)などがあったが、このうちの政事せいじ総裁そうさい大老たいろうちか性質せいしつのものであったとおもわれる。また3だい将軍家しょうぐんけこう(いえみつ)の時期じき井伊いい直孝なおたか松平まつだいら奥平おくだいら忠明ただあき(ただあきら)、保科ほしな正之まさゆき(ほしなまさゆき)(のち家綱いえつな後見こうけんとなる)、家綱いえつな時期じき直孝なおたか継続けいぞく)、榊原さかきばら(さかきばら)(松平まつだいら忠次ただつぐなどが元老げんろうとして大老たいろう老中ろうじゅううえはんにあって大政たいせい参画さんかくした。これはおそらくためあいだつめ原型げんけいをなすものであろう。豊臣とよとみ(とよとみ)にも大老たいろうがあった。

北原きたはら章男あきお

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改訂かいてい新版しんぱん 世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん大老たいろう」の意味いみ・わかりやすい解説かいせつ

大老たいろう (たいろう)

江戸えど幕府ばくふ職名しょくめい幕府ばくふ最高さいこうしょく定員ていいんは1めい常置じょうちしょくではない。老中ろうじゅううえ位置いちするが,日常にちじょうてき幕政ばくせい関与かんよすることは免除めんじょされ,ごく重要じゅうよう政策せいさく決定けっていのみに関与かんよした。官位かんいよん少将しょうしょうないしさん中将ちゅうじょう老中ろうじゅうよりもたかく,老中ろうじゅう同道どうどうのときは1,2さきあるき,江戸城えどじょうないではそう下座げざれいけた。

 3だい将軍家しょうぐんけこうのとき,1638ねん寛永かんえい15),酒井さかい忠勝ただかつ土井どい利勝としかつにんじられたのが最初さいしょとされるが,家康いえやす将軍しょうぐん就任しゅうにん以前いぜんでは,石川いしかわすうただし酒井さかい忠次ただつぐ井伊いい直政なおまさなど軍事ぐんじてき有能ゆうのう大身たいしん武将ぶしょう徳川とくがわ宿老しゅくろうとして内外ないがいから重視じゅうしされていた。家康いえやす将軍しょうぐんとなりその政治せいじてき権威けんいたかまると,本多ほんだ正信まさのぶ正純まさずみ父子ふしなどの側近そっきん武将ぶしょうさえて家老がろうばれるようになった。これらの2類型るいけい後世こうせい大老たいろう原形げんけいかんがえられるが,家光いえみつ忠勝ただかつ利勝としかつ朔日さくじつと15にちそう出仕しゅっしだけ江戸城えどじょう登城とじょうさせ,大事だいじきたときだけ老中ろうじゅう合議ごうぎするようにめいじたのは,秀忠ひでただ側近そっきん第一人者だいいちにんしゃとして権勢けんせいをふるった利勝としかつと,秀忠ひでただから後見こうけんやくとして自分じぶんけられた忠勝ただかつを,表面ひょうめんじょう優遇ゆうぐうするようにせながらじつ幕政ばくせい実権じっけんからとおざけたものと推測すいそくされる。以後いごは,下馬げば将軍しょうぐんしょうされた酒井さかい忠清ただきよ井伊いいただしきよし堀田ほった正俊まさとし井伊いいただしきょう直幸なおゆき(なおひで)・ちょくあきら(なおあき),幕末ばくまつ井伊いい直弼なおすけ(なおすけ)の7にん就任しゅうにんしたにとどまる。このほかに,5だい綱吉つなよし側近そっきん柳沢やなぎさわ吉保よしやす大老たいろうかく待遇たいぐうけ,またごく幕末ばくまつ政事せいじ総裁そうさいしょく実質じっしつじょう大老たいろう相当そうとうしたしょくといえよう。
執筆しっぴつしゃ

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百科ひゃっか事典じてんマイペディア大老たいろう」の意味いみ・わかりやすい解説かいせつ

大老たいろう【たいろう】

江戸えど幕府ばくふ職名しょくめい幕府ばくふ最高さいこうしょく常置じょうちではなく,必要ひつようさいして老中ろうじゅううえかれた。1638ねん土井どい利勝としかつ酒井さかい忠勝ただかつ当時とうじだい年寄としよりなどともよんだ元老げんろうしょくについたのがその起源きげんとされ,大老たいろう職名しょくめい正式せいしきかんしたのは1666ねん酒井さかい忠清ただきよ最初さいしょ。10まんせき以上いじょう譜代ふだい大名だいみょうである酒井さかい堀田ほった井伊いいなどの独占どくせんであった。
関連かんれん項目こうもく井伊いい井伊いい直弼なおすけ江戸えど幕府ばくふ用部屋ようべや酒井さかい忠清ただきよ政治せいじ総裁そうさいしょく土井どい利勝としかつ本多ほんだ正信まさのぶ柳沢やなぎさわ吉保よしやす

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ブリタニカ国際こくさいだい百科ひゃっか事典じてん しょう項目こうもく事典じてん大老たいろう」の意味いみ・わかりやすい解説かいせつ

大老たいろう
たいろう

豊臣とよとみ政権せいけんおよび江戸えど幕府ばくふ職名しょくめい豊臣とよとみ政権せいけん大老たいろう奉行ぶぎょううえにおかれ,前田まえだ利家としいえ毛利もうり輝元てるもと徳川とくがわ家康いえやす上杉うえすぎ景勝かげかつ宇喜多うきた秀家ひでいえにんじられた。江戸えど幕府ばくふでは,老中ろうじゅううえにおかれる臨時りんじしょくで,政務せいむ総理そうりする幕府ばくふ最高さいこうしょくであった。徳川とくがわ三河みかわ大名だいみょうであったころ家老がろう起源きげんとみられ,譜代ふだい大名だいみょうでもさんかわ以来いらい有力ゆうりょく家臣かしんである井伊いい酒井さかいなどがにんじられることがおおかった。そのほかには土井どい保科ほしな堀田ほった柳沢やなぎさわなどが1かいずつであることから,家格かかく大老たいろうしょくとの密接みっせつ関係かんけいがわかる。権限けんげん非常ひじょうつよく,老中ろうじゅうから将軍しょうぐん上申じょうしんする事務じむいて将軍しょうぐんにみずからも建言けんげんし,その意見いけん幕府ばくふない非常ひじょうおもんじられた。

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山川やまかわ 日本にっぽんしょう辞典じてん 改訂かいてい新版しんぱん大老たいろう」の解説かいせつ

大老たいろう
たいろう

江戸えど幕府ばくふ最高さいこうしょく。3だい将軍しょうぐん徳川とくがわ家光いえみつ時代じだいの1638ねん(寛永かんえい15)に土井どい利勝としかつ酒井さかい忠勝ただかつ両人りょうにんにんじられたのにはじまり,その幕末ばくまつまでに7にん任命にんめいされ,うち4にん井伊いいからでた。家光いえみつ時代じだい井伊いい直孝なおたかはこの4にんにはふくまれないが,実質じっしつてきにのちの大老たいろう同様どうようはたらきをしており,大老たいろう起源きげんともかんがえられる。常置じょうちではなく,定員ていいん1にん老中ろうじゅうのうえに位置いちし,少将しょうしょうあるいは中将ちゅうじょうにんじられ,江戸城えどじょうないではそう下座げざれいをうけた。4だい将軍家しょうぐんけつな時代じだい酒井さかい忠清ただきよ,5だい将軍しょうぐん綱吉つなよし時代じだい堀田ほった正俊まさとし幕末ばくまつ井伊いい直弼なおすけ(なおすけ)などは実質じっしつてき幕政ばくせい主導しゅどうしたとみられるが,ほかは日常にちじょうてき幕政ばくせい運営うんえいには関与かんよせず,重要じゅうよう政策せいさく決定けっていだけに関与かんよした。綱吉つなよし時代じだい柳沢やなぎさわ吉保よしやす(よしやす)は少将しょうしょうにんじられて老中ろうじゅう上座かみざ大老たいろうかく待遇たいぐうをうけたが,役職やくしょく側用人そばようにんであった。

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大老たいろう
たいろう

江戸えど幕府ばくふ臨時りんじ最高さいこうしょく
老中ろうじゅううえ必要ひつようおうじてかれたもので常置じょうちではない。1638ねん土井どい利勝としかつ酒井さかい忠勝ただかつにんじたのがはじまりで,10まんせき以上いじょう譜代ふだい大名だいみょうから選任せんにんされ,酒井さかい土井どい井伊いいらが独占どくせんした。老中ろうじゅうより将軍しょうぐん上申じょうしんする政務せいむはすべて関知かんちし,将軍しょうぐん幼少ようしょう場合ばあいには将軍しょうぐんわって政務せいむ決裁けっさいした。

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世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん旧版きゅうばんうち大老たいろう言及げんきゅう

大名だいみょう】より

…ここは毎日まいにちだれかがめていて,場合ばあいによっては幕政ばくせいにつき諮問しもんけることがあった。幕末ばくまついたためつめかく出現しゅつげんしたが,これもふく幕末ばくまつには11いえあり,大老たいろうはこの部屋へや大名だいみょうがなることがおおい。(3)大広間おおひろま親藩しんぱん大名だいみょうと10まんせき以上いじょう外様とざま大名だいみょう(国主こくしゅである外様とざまはすべてここにはいる)からなり,幕末ばくまつで37いえ存在そんざいした。…

※「大老たいろう」について言及げんきゅうしている用語ようご解説かいせつ一部いちぶ掲載けいさいしています。

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