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海運(カイウン)とは? 意味や使い方 - コトバンク

海運かいうんみ)カイウン

デジタル大辞泉だいじせん海運かいうん」の意味いみみ・例文れいぶん類語るいご

かい‐うん【海運かいうん

海上かいじょう航行こうこうする船舶せんぱくによって旅客りょかく貨物かもつはこぶこと。海上かいじょう運送うんそう海上かいじょう運輸うんゆ海上かいじょう交通こうつう海上かいじょう輸送ゆそう
[類語るいご]水運すいうん交通こうつうはこ運送うんそう輸送ゆそう運搬うんぱん搬送はんそう配送はいそう通運つううん運輸うんゆ郵送ゆうそう移送いそう配達はいたつ宅配たくはい発送はっそう逓送ていそう陸運りくうん空輸くうゆ

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精選せいせんばん 日本にっぽん国語こくごだい辞典じてん海運かいうん」の意味いみみ・例文れいぶん類語るいご

かい‐うん【海運かいうん

  1. 名詞めいし 海上かいじょうふね旅客りょかく貨物かもつ運送うんそうすること。海上かいじょう運送うんそう
    1. [初出しょしゅつ実例じつれい]「海運かいうんにはさえぎようせんもちい」(出典しゅってん和漢わかん船用せんようしゅう(1766)よん)
    2. [その文献ぶんけん]〔もとしょく貨志〕

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日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ)海運かいうん」の意味いみ・わかりやすい解説かいせつ

海運かいうん
かいうん

船舶せんぱくによる貨物かもつ旅客りょかく海上かいじょうにおける運送うんそう海上かいじょう運送うんそう)をいう。営利えいり目的もくてきとして海上かいじょう運送うんそうおこなうものが海運かいうん企業きぎょうであり、それを総称そうしょうして海運かいうんぎょうという。このうち旅客りょかく長距離ちょうきょり海上かいじょう運送うんそうは、だい世界せかい大戦たいせん航空機こうくうき自動車じどうしゃ運送うんそう発達はったつのために重要じゅうようせいうしない、とくに国際こくさい運送うんそうにおいてほぼ完全かんぜん航空こうくう運送うんそうそらうん)にとってかわられ、旅客船りょかくせんは、クルーズ目的もくてきのものをのぞくとほとんどない。

たいら

世界せかい海運かいうん

海運かいうん歴史れきしふるく、紀元前きげんぜん3000ねんごろにさかのぼるといわれる。しかし、活発かっぱつ海上かいじょう運送うんそうおこなったのはフェニキアひとで、ぜん10世紀せいきごろであった。それ以後いご主要しゅよう海上かいじょう運送うんそうになは、くに地域ちいき勢力せいりょく消長しょうちょうにつれて変遷へんせんをたどった。フェニキアにいでギリシア、ローマ、中世ちゅうせいになるとイタリア、ついでハンザの商人しょうにん近世きんせいになるとスペイン、ポルトガルオランダ、イギリスとうつっていった。このあいだ海運かいうん自体じたい歴史れきしは、船舶せんぱく技術ぎじゅつ進歩しんぽ航海こうかいじゅつ発達はったつ、そして航海こうかいする地域ちいきぜん世界せかい拡大かくだいしていく過程かていであった。

 今日きょう船舶せんぱくのようなてつ(ほどなくして鋼鉄こうてつにとってかわられる)せい機械きかいりょく使つかって推進すいしんする船舶せんぱく出現しゅつげんしたのは、19世紀せいきはじめであった。その最初さいしょ蒸気じょうきせん汽船きせん)であった。汽船きせん帆船はんせん木造もくぞう)にかわって海上かいじょう運送うんそう主役しゅやくめたのは、19世紀せいき後半こうはんであった。このころから、前者ぜんしゃ運送うんそう能力のうりょく後者こうしゃのそれを上回うわまわるようになったのである。汽船きせん時代じだい先駆せんくしゃはイギリスであった。帆船はんせん時代じだい優位ゆういめたのは、造船ぞうせん材料ざいりょう硬質こうしつざい)にめぐまれたアメリカであったが、イギリスは、そのアメリカにかわって産業さんぎょう革命かくめい母国ぼこくとして鋼鉄こうてつせい汽船きせん建造けんぞう優位ゆういめるとともに、石炭せきたんをはじめ「世界せかい工場こうじょう」として貨物かもつめぐまれたために、運送うんそうのうえでも優位ゆういにたつことができたのである。てつ汽船きせん出現しゅつげんと、その海上かいじょう運送うんそう手段しゅだんとしての地位ちい確立かくりつをもって近代きんだいてき海運かいうん成立せいりつ時期じきとするのであるが、それは、以上いじょうのようにイギリスの圧倒的あっとうてき優位ゆういをもってはじまったのである。

 てつ汽船きせん出現しゅつげんはまた、海上かいじょう運送うんそう形態けいたい変化へんかさせることになった。それまでは、中世ちゅうせいのイタリアやハンザの商人しょうにん海上かいじょう運送うんそうがそうであったように、貿易ぼうえきしょうみずか船舶せんぱく運営うんえいして自己じこ貨物かもつ運送うんそうおこなうのが、しゅたる海上かいじょう運送うんそう形態けいたいであった。商人しょうにん同時どうじ運送うんそうしゃでもあったので、これをマーチャント・キャリアーmerchant carrierとよんでいる。てつ汽船きせん出現しゅつげん契機けいきにして、海上かいじょう運送うんそう主要しゅよう形態けいたいは、コモン・キャリアーcommon carrier(またはパブリック・キャリアーpublic carrier)へうつっていった。それは、海上かいじょう運送うんそうを(営利えいり目的もくてきとして)ぎょうとしておこなうものをいう。いわゆる海運かいうん会社かいしゃがそれで、イギリス、ドイツなどの世界せかい著名ちょめい海運かいうん会社かいしゃおおくは、この移行いこう前後ぜんご設立せつりつされている。大型おおがたてつ汽船きせん出現しゅつげんのためにマーチャント・キャリアーは不利ふりとなり、他方たほう産業さんぎょう革命かくめい進展しんてんによる海上かいじょう貨物かもつ(およびアメリカ大陸あめりかたいりくへの移民いみん)の増加ぞうかは、パブリック・キャリアーの成立せいりつ可能かのうにしたのである。その生産せいさん会社かいしゃのなかには、だい規模きぼとなり原料げんりょう製品せいひん運送うんそうりょう大量たいりょうとなったために、その運送うんそうみずか船舶せんぱく運営うんえいして実施じっしするのを有利ゆうりとするようになるものがあった。このように生産せいさん会社かいしゃ同時どうじ自己じこ貨物かもつ運送うんそうしゃでもある海上かいじょう運送うんそう形態けいたいを、インダストリアル・キャリアーindustrial carrierという。せん用船ようせん特殊とくしゅせんともいう。後述こうじゅつ)の分野ぶんやおおく、なかでも大量たいりょうのタンカーを保有ほゆうする国際こくさい石油せきゆ資本しほん(メジャーと俗称ぞくしょうされる)が、その代表だいひょうてきれいである。

 ところで、世界せかい海上かいじょう運送うんそうにおけるイギリスの地位ちいは、だいいち世界せかい大戦たいせんには依然いぜん首位しゅいめてはいたものの低下ていか傾向けいこうをたどり、かわって日本にっぽんノルウェー、ドイツなどが台頭たいとうしてきた。また1920年代ねんだいになるとふねしゅではタンカーがあらたに出現しゅつげんし、推進すいしん方式ほうしきではディーゼル機関きかん装備そうびする船舶せんぱく増加ぞうかしてきた。だい世界せかい大戦たいせんには、世界せかい船腹せんぷくりょう増加ぞうかするなかで、イギリス、そしてイギリスをいて1となっていたアメリカも船腹せんぷく保有ほゆう比率ひりつ低下ていかさせ、その反面はんめんリベリア、パナマなどのいわゆる便宜べんぎおけせきこく保有ほゆう船腹せんぷくりょうは、りょうおよび比率ひりつ両者りょうしゃたかまり、1967ねんにリベリアは世界せかいだいいち船腹せんぷく保有ほゆうこくとなった。日本にっぽん、ノルウェーそしてギリシアは相対そうたいてき地位ちいたかめ、なかでも日本にっぽんは、1969ねん昭和しょうわ44)には世界せかいだい2変則へんそくてき便宜べんぎおけせきこくのぞくと実質じっしつてきには世界せかいだい1船腹せんぷく保有ほゆうこくとなった。だいいち石油せきゆ危機きき(1973ねんには、定期ていきせん同盟どうめい憲章けんしょう条約じょうやく成立せいりつ背景はいけい開発かいはつ途上とじょうこくなどの海運かいうん定期ていきてき進出しんしゅつしてきた。憲章けんしょうは、いわゆる40:40:20の原則げんそく、すなわち輸送ゆそう発着はっちゃくくに海運かいうんに、りょう地点ちてんぜん輸送ゆそうかくやく40%、のこやく20%を第三国だいさんごく海運かいうんにそれぞれむこと(いわゆるカーゴ・シェアリングcargo sharing)をみとめることとした。しかし、1984ねんにアメリカでしん海運かいうんほう制定せいていされたことや、1980年代ねんだい後半こうはん以降いこう、アジア新興しんこうこく成長せいちょうするなかでの台湾たいわん、インド、中国ちゅうごくシンガポールなどのアジア船主せんしゅ発展はってん、さらにアジア海運かいうんめいがいせんとして定期ていきせん市場いちば参入さんにゅうしたことによる海運かいうん同盟どうめい機能きのうなど、世界せかい海運かいうん情勢じょうせいおおきな変化へんかのために、効果こうかをあげていない。

 だい世界せかい大戦たいせん、とくにスエズ運河うんがだい1かい封鎖ふうさ(1956ねん)に誘発ゆうはつされてはじまった船舶せんぱく技術ぎじゅつ進歩しんぽは、1960年代ねんだいになると世界せかい海運かいうん史上しじょうかつてみない規模きぼ展開てんかいした。その結果けっかせん用船ようせん種類しゅるいえるとともに、タンカーを中心ちゅうしんせん用船ようせん大型おおがた急速きゅうそくすすんだ。コンテナせん開発かいはつもこの時代じだい船舶せんぱく技術ぎじゅつ進歩しんぽ重要じゅうようひとつで、海上かいじょう運送うんそう、とくに定期ていきせん運送うんそうおおくのめんおおきな変革へんかくこした。石油せきゆ危機ききには、技術ぎじゅつ進歩しんぽ重点じゅうてんは、省力しょうりょくしょうエネルギーせん開発かいはつうつっていった。

 同盟どうめい機能きのう低下ていかのなかで、同盟どうめいない結成けっせいされていたコンソーシアム再編さいへん解散かいさんおこなわれる一方いっぽう企業きぎょうあいだあたらしい提携ていけいによって市場いちば安定あんていもとめるこころみが実施じっしされた。1980年代ねんだいわりから1990年代ねんだいにかけて、同盟どうめいせんめいがいせんふくめた複数ふくすう航路こうろにわたる市場いちば安定あんていをめざす協定きょうていが、1998ねん太平洋たいへいよう航路こうろ安定あんてい協定きょうていをはじめとして締結ていけつされた。

 それと並行へいこうして、日本にっぽん定期ていきせん企業きぎょうにみられたように、世界せかい主要しゅよう定期ていきせん企業きぎょうあいだのグローバルな複数ふくすう航路こうろをカバーする広範囲こうはんい事業じぎょう提携ていけいである、アライアンス結成けっせいするうごきがおこった。一方いっぽう、アライアンスにおける意思いし決定けっていおそさを回避かいひして単独たんどくでグローバルな定期ていきせん活動かつどうおこなおうとする企業きぎょうは、外国がいこく有力ゆうりょく海運かいうん企業きぎょうとの合併がっぺい買収ばいしゅうによって規模きぼ拡大かくだいして競争きょうそうりょく強化きょうかこころみた。1997ねん世界せかい有力ゆうりょく船主せんしゅであるイギリスのP&Oコンテナしゃと、オランダのネドロイドしゃ定期ていきせん部門ぶもん合併がっぺいし、これにおおくのれいつづいた。

たいら

日本にっぽん海運かいうん

日本にっぽん外国がいこくとの海上かいじょう運送うんそうは、13~16世紀せいきごろのやまと寇(わこう)や16~17世紀せいきごろの朱印船しゅいんせん貿易ぼうえきれいはあったが、江戸えど時代じだいになると鎖国さこく大船おおふな建造けんぞう禁止きんしのために海上かいじょう運送うんそう沿岸えんがん地域ちいきかぎられるようになり、そのなかで発展はってんげた。とくに江戸えど大坂おおさか兵庫ひょうごあいだには17世紀せいきはじまるひしかき廻船かいせん(ひがきかいせん)、それから分離ぶんりしたたる廻船かいせん(たるかいせん)、北陸ほくりく大坂おおさか兵庫ひょうごあいだ北前きたまえせん(きたまえぶね)は著名ちょめいであった。

 1853ねんよしみなが6)のペリー来航らいこうによる開国かいこく、ついで1868ねん明治めいじ1)の明治めいじ政府せいふ成立せいりつ契機けいきとして、日本にっぽん海運かいうん近代きんだいみちをたどることになった。明治めいじ政府せいふは、富国強兵ふこくきょうへい政策せいさく一環いっかんとして日本にっぽん海運かいうんぎょう造船ぞうせんぎょうとともに)の育成いくせいはかった。西洋せいようがた船舶せんぱく保有ほゆう建造けんぞう奨励しょうれいされ、近代きんだいてき海運かいうん会社かいしゃ設立せつりつされ、1897ねん明治めいじ30)までには近代きんだいてき海運かいうん対応たいおうする法律ほうりつ制度せいど整備せいびがほぼわっている。政府せいふ保護ほご育成いくせい対象たいしょうは、当初とうしょ三菱みつびし(みつびし)会社かいしゃ(1885ねん日本郵船にっぽんゆうせんとなる)であったが、やがて日本にっぽん郵船ゆうせん、1884ねん設立せつりつ大阪おおさか商船しょうせん(のちの大阪商船三井船舶おおさかしょうせんみついせんぱくげん商船しょうせん三井みつい)の「しゃせん」とよばれた定期ていきせん会社かいしゃであった(のちにさらに東洋とうよう汽船きせん(1891設立せつりつ)がくわわる)。その方策ほうさく中心ちゅうしんは、1896ねん公布こうふ航海こうかい奨励しょうれいほう(および造船ぞうせん奨励しょうれいほう)と特定とくてい航路こうろ助成じょせいであった。

 こうして1876ねん明治めいじ9)までに外国がいこく会社かいしゃ競争きょうそう排除はいじょした日本にっぽん海運かいうんぎょうは、その戦争せんそうとともに発展はってんげた。とくににち戦争せんそう(1904~05)の影響えいきょうおおきく、しゃせんはもちろん、それ以外いがいの「社外しゃがいせん」とよばれた不定期ふていきせん経営けいえいしゅとしていた海運かいうん会社かいしゃ発展はってんした。社外しゃがいせんには、前述ぜんじゅつ明治めいじ以前いぜん起源きげんをもつ海運かいうん会社かいしゃのほかに、明治めいじ時代じだい創設そうせつされたものもふくまれていた。なかでも三井物産みついぶっさんは、荷主にぬしねただい用船ようせんしゃ船舶せんぱく)で、そのために除外じょがいせんとしてほか社外しゃがいせんから区別くべつされたこともあった。

 だいいち世界せかい大戦たいせんには、日本にっぽん参戦さんせんはしたもののおおきな戦闘せんとうまれなかったために船舶せんぱく保持ほじすることができ、日本にっぽん海運かいうんは、戦争せんそうによる世界せかい商船しょうせんはなはだしい不足ふそくのなかでこう利潤りじゅんをあげることができた。それにつられておおくの海運かいうん会社かいしゃ設立せつりつされ、海運かいうんぎょうだけでなく造船ぞうせんぎょう空前くうぜん繁栄はんえい享受きょうじゅした。しかし、戦争せんそうわると世界せかい海運かいうん市場いちばきょうおちいり、新興しんこう船主せんしゅおおくは崩壊ほうかいしたが、こうした浮沈ふちんのなかから日本にっぽん海運かいうんぎょうは、社外しゃがいせんオペレーターとオーナーの区別くべつしょうじ、これらにしゃせんくわえたみっつのグループをもって構成こうせいされることになった。この構造こうぞうだい世界せかい大戦たいせんまでつづいていた。オペレーターは、用船ようせんおおきく依存いぞんしてだい規模きぼ不定期ふていきせん経営けいえいおこなった海運かいうん会社かいしゃであり、これらにたいして所有しょゆうする船舶せんぱく用船ようせんすことをおもとしたのがオーナーであった。代表だいひょうてきなオペレーターは、三井物産みついぶっさん船舶せんぱく)のほか、山下やました汽船きせんだいいち世界せかい大戦たいせん直後ちょくご設立せつりつされた川崎汽船かわさききせん国際こくさい汽船きせん、1930ねん昭和しょうわ5)に山下やました汽船きせんから分離ぶんりした大同だいどう海運かいうんなどであった。これらはしだいに定期ていきせん経営けいえいにも進出しんしゅつしていくのであるが、大戦たいせんきょうのなかで日本にっぽん海運かいうんぎょうを630まんそうトンあまり(1941)の船腹せんぷく保有ほゆうこくにまで発展はってんさせたしゅたる原動力げんどうりょくは、これらオペレーターの企業きぎょうしんであった。

 1930年代ねんだい世界せかい恐慌きょうこうによる海運かいうんきょうたいして日本にっぽん政府せいふは、32ねんふねしつ改善かいぜん助成じょせい政策せいさく(いわゆるスクラップ・アンド・ビルド政策せいさく)を実施じっしして、能率のうりつ中古ちゅうこせん解体かいたいする一方いっぽうで、それとえにそれより少量しょうりょう高性能こうせいのう船舶せんぱく建造けんぞうし、日本にっぽん商船しょうせんたい縮小しゅくしょうしてきょう対応たいおうすると同時どうじに、その国際こくさい競争きょうそうりょく強化きょうかはかった。この対策たいさくおおきな成果せいかをあげた。昭和しょうわ10年代ねんだいはいると戦時せんじ体制たいせいはじまり、海運かいうんもその影響えいきょうまぬかれることはできなかった。政府せいふ施策しさく重点じゅうてんきょう対策たいさくから国防こくぼう目的もくてきへとうつり、1937ねんには優秀ゆうしゅうせん建造けんぞう助成じょせい遠洋えんよう航海こうかい助成じょせいなどを内容ないようとする「海運かいうん国策こくさく」が策定さくていされた。1939ねんだい世界せかい大戦たいせん勃発ぼっぱつ(ぼっぱつ)を契機けいきとして海運かいうんたいする国家こっか統制とうせいはいっそうつよまった。そして、太平洋戦争たいへいようせんそうはじまった直後ちょくごの1942ねん3がつ政府せいふ戦時せんじ海運かいうん管理かんりれい公布こうふして、海運かいうん全面ぜんめんてき国家こっか管理かんりしたくこととなった。

 だい世界せかい大戦たいせんちゅう日本にっぽん海運かいうんぎょうこうむった損害そんがい甚大じんだいで、戦時せんじちゅう喪失そうしつせんは800まんそうトンきょうたっした。そのために、戦時せんじちゅうにかなりのしん造船ぞうせんがあったにもかかわらず、終戦しゅうせん残存ざんそんした船舶せんぱくは、開戦かいせんの630まんそうトンあまりたいして150まんそうトンに減少げんしょうした。それは大正たいしょう時代じだいはじめの船腹せんぷくりょう相当そうとうするものであった。しかも残存ざんそんした船舶せんぱくのほとんどが、老朽ろうきゅうせんもしくは戦時せんじ建造けんぞうてい性能せいのうせんで、外国がいこく航路こうろ就航しゅうこうしうるものはすうせきにすぎなかった。船員せんいんこうむった犠牲ぎせいも、軍人ぐんじん犠牲ぎせいりつをはるかにえる43%にたっした。日本にっぽん海運かいうん戦争せんそうによって壊滅かいめつてき打撃だげきけたといわれるゆえんである。しかしおおくの人的じんてき物的ぶってき有形ゆうけい無形むけい資産しさんのこされていた。戦後せんご日本にっぽん海運かいうんぎょう復興ふっこう成長せいちょう急速きゅうそくであったのは、こうした遺産いさんがあったからである。

 終戦しゅうせん同時どうじに、ぜん商船しょうせん連合れんごう国軍こくぐんそう司令しれいかん管理かんりかれ、その代行だいこう機関きかんとして船舶せんぱく運営うんえいかい(1942ねん設立せつりつ国家こっか管理かんりうつされた商船しょうせん一元いちげんてき運営うんえい機関きかん)が商船しょうせん運営うんえい管理かんり担当たんとうすることになった。1950ねん昭和しょうわ25)に連合れんごうこく管理かんり解除かいじょされ、商船しょうせん管理かんり運営うんえい運営うんえいかいから海運かいうん会社かいしゃもどされた。いわゆる「民営みんえい還元かんげん」であり、ついで1952ねん講和こうわ条約じょうやく発効はっこうとともに、日本にっぽん海運かいうんぎょう内外ないがいこうにわたって自由じゆう活動かつどうおこなうことができるようになった。

 その日本にっぽん海運かいうん発展はってん顕著けんちょで、とくに昭和しょうわ40年代ねんだいにはきゅう成長せいちょうげた。こうして1969ねんには日本にっぽん世界せかいだい2船腹せんぷく保有ほゆうこくとなり、1976ねんには日本にっぽんせきせんは、今日きょういたるまでの最高さいこうの4166まんそうトンにたっした。日本にっぽん海運かいうん戦後せんご発展はってん要因よういんは、日本にっぽん経済けいざい高度こうど成長せいちょう輸出入ゆしゅつにゅう貿易ぼうえき急増きゅうぞうをはじめとして、計画けいかく造船ぞうせん方式ほうしきによる船舶せんぱく建造けんぞうたいする国家こっか資金しきん投入とうにゅう中心ちゅうしんとした海運かいうん政策せいさく合理ごうりたいする船員せんいん労働ろうどう組合くみあい比較的ひかくてき弾力だんりょくてき対応たいおうなどであった。さらに重要じゅうようなのは、これらの要因よういんと1960年代ねんだいからはじまった船舶せんぱく急速きゅうそくかつだい規模きぼ技術ぎじゅつ革新かくしん結合けつごうさせて企業きぎょう成長せいちょう結実けつじつさせた企業きぎょう活力かつりょくであった。この過程かていにおいて、戦前せんぜんしゃせんグループは定期ていきせん主体しゅたいからせん用船ようせんかって経営けいえい多角たかくし、戦前せんぜん社外しゃがいせんグループは、戦前せんぜん開始かいしした定期ていきせん経営けいえいをいっそう拡充かくじゅうした。その結果けっか両者りょうしゃあいだ経営けいえい態様たいようじょう差異さいはなくなった。

 計画けいかく造船ぞうせん方式ほうしきによる国家こっか資金しきん投入とうにゅうしゅとして依存いぞんした船腹せんぷく拡充かくじゅうは、国家こっか資金しきん配分はいぶん平等びょうどう主義しゅぎによったこととあいまって多数たすう海運かいうん会社かいしゃ輩出はいしゅつさせ、その結果けっかそれらのあいだ過当かとう競争きょうそう誘発ゆうはつすることになった。1960年代ねんだい世界せかい海運かいうん長期ちょうき不況ふきょうのなかでとくに日本にっぽん海運かいうんぎょう業績ぎょうせき不振ふしんがひどかったしゅたる理由りゆうは、ここにあった。こうしたきょう打開だかいするために1964ねん4がつ政府せいふ主導しゅどうしたに、世界せかい海運かいうん史上しじょうれいをみない、船腹せんぷくりょうで80%、936まんそうトンにおよだい規模きぼ日本にっぽん海運かいうんぎょうさい編成へんせい一挙いっきょおこなわれた。「海運かいうん集約しゅうやく」といわれるのがそれであった。それは、主要しゅよう海運かいうん会社かいしゃ合併がっぺいによって成立せいりつしたむっつの「中核ちゅうかくたい」(中核ちゅうかく6しゃ)とよばれる企業きぎょう日本郵船にっぽんゆうせん大阪商船三井船舶おおさかしょうせんみついせんぱく川崎汽船かわさききせん、ジャパンライン、山下やましたしん日本にっぽん汽船きせん昭和海運しょうわかいうん)のそれぞれを中心ちゅうしんとした企業きぎょう系列けいれつ会社かいしゃおよび専属せんぞく会社かいしゃといわれる)のグループであった。このさい編成へんせいは、おな時期じきからはじまった海運かいうんをめぐる環境かんきょう好転こうてんもあって成功せいこうし、主要しゅよう会社かいしゃは1968ねん3がつまでに巨額きょがく償却しょうきゃく不足ふそく借入金かりいれきん返済へんさい延滞えんたい解消かいしょうしたうえに配当はいとう実施じっしできるまでになった。

 それ以後いご日本にっぽん海運かいうんぎょうは、昭和しょうわ40年代ねんだい初頭しょとうからはじまるコンテナ輸送ゆそう船舶せんぱく専用せんよう大型おおがたのいっそうの展開てんかい対応たいおうしながら、日本にっぽん経済けいざい高度こうど成長せいちょうした急速きゅうそく発展はってんげた。

 1973ねんだいいちオイル・ショック、ついで1975ねんだいオイル・ショックは、世界せかいおよび日本にっぽん経済けいざい、そして世界せかい海運かいうんひろ範囲はんいにわたっておおきな影響えいきょうおよぼしたが、日本にっぽん海運かいうんぎょうあたえたインパクトもきわめておおきかった。

 日本にっぽん経済けいざい高度こうど成長せいちょうから一転いってんしててい成長せいちょうになり、その過程かてい重心じゅうしん資源しげん消費しょうひがた産業さんぎょうから知識ちしき集約しゅうやくがた産業さんぎょう転換てんかんしていった。この転換てんかんは、重化学じゅうかがく工業こうぎょうによる日本にっぽん経済けいざい成長せいちょう依存いぞんして発展はってんしてきた日本にっぽん海運かいうんぎょうにとっては有利ゆうりではなかった。こうして日本にっぽん海運かいうんぎょう高度こうど成長せいちょう推進すいしんしてきた要因よういんひとつがなくなったのである。

 そのうえ、この時期じきにはえんたいべいドル為替かわせ相場そうば急騰きゅうとうした。えんだかである。えんだか日本にっぽん海運かいうんぎょう経営けいえいひろ範囲はんいにわたって深刻しんこく影響えいきょうおよぼし、その過程かていで、不変ふへんなものとかんがえられてきた企業きぎょう活動かつどう枠組わくぐみである制度せいど慣行かんこう変革へんかくしたり、無効むこうしたりした。そのなかには日本にっぽん海運かいうんぎょう成長せいちょう要因よういんふくまれていた。

 日本にっぽんそと航海こうかいうんは、運賃うんちんしゅとしてドルてでり、コストのおおくは円建えんだてで支出ししゅつするという構造こうぞうであったので、えんだかによってけた不利益ふりえき非常ひじょうおおきかった。そこで日本にっぽん海運かいうんぎょうはコストのドルてへの転換てんかんこころみ、それはかなり成功せいこうしたが、しゅとして円建えんだてで賃金ちんぎんとう船員せんいん支出ししゅつする日本人にっぽんじん船員せんいんはいじょうしているかぎり、えんだか日本にっぽんせきせん国際こくさい競争きょうそうりょくよわめ、その結果けっか経済けいざいした日本にっぽんせきせん海外かいがいうりせんや、便宜べんぎおけせきこくとう移籍いせきフラッギングアウト)またはおけせきしててい賃金ちんぎん外国がいこくじん船員せんいんはいじょうして用船ようせんするこころみが急増きゅうぞうし、日本にっぽんせきせん急減きゅうげんと、その結果けっかとして乗船じょうせん機会きかいうしなった日本人にっぽんじん船員せんいん余剰よじょう急増きゅうぞうした。

 これにたいして、余剰よじょう船員せんいん解消かいしょう国際こくさい競争きょうそうりょく強化きょうかして日本にっぽんせきせん減少げんしょうめるこころみが、海運かいうん企業きぎょう政府せいふ両者りょうしゃによって実施じっしされた。そのなかでもっともおおがかりなこころみは、1979ねん本格ほんかくてき開始かいしされた、船員せんいん制度せいど近代きんだい計画けいかくであった。しかしこの計画けいかくは、おおくの試行しこうののち、「全員ぜんいん日本人にっぽんじん船員せんいん乗組のりくみで国際こくさい競争きょうそうりょくがある日本にっぽんせきせん確保かくほ」という本来ほんらい目的もくてき実現じつげん不可能ふかのうであり、日本人にっぽんじん船員せんいん外国がいこくじん船員せんいんとのこんじょうによらざるをえないことをあきらかにして、1996ねん平成へいせい8)に終了しゅうりょうした。それほど船員せんいん内外ないがい格差かくさおおきかったのである。その小規模しょうきぼどう趣旨しゅしこころみとして、国際こくさい船舶せんぱく制度せいど導入どうにゅうされている。

 ともあれ日本にっぽんせきせん海外かいがいうりせんと、それをおぎなうための外国がいこくせん用船ようせん外国がいこく用船ようせん仕組しくせんともいう)が増大ぞうだいし、伝統でんとうてき日本にっぽんせきせん構成こうせいされてきた日本にっぽん商船しょうせんたいであったが、しだいに外国がいこく用船ようせんめる比重ひじゅうたかまっていった。1988ねん昭和しょうわ63)には外国がいこく用船ようせん日本にっぽんせきせんえ、1994ねん平成へいせい6)には外国がいこく用船ようせん2128せき8152まんそうトンにたいし、日本にっぽんせきせん95せき735そうトンにぎなくなった。いわゆる「日本にっぽん商船しょうせんたい構造こうぞう変化へんか」がしょうじたのである。

 このことは、だい世界せかい大戦たいせん一貫いっかんして、日本にっぽんせきせん建造けんぞうしゅたる資金しきん供給きょうきゅうしゃとして、日本にっぽん海運かいうんぎょう成長せいちょう資金しきんめん推進すいしんしてきた政府せいふの「計画けいかく造船ぞうせん制度せいど無用むようし、やがて廃止はいしいたらしめた。昭和しょうわ40年代ねんだいこうきょうによって、市中しちゅう資金しきん自己じこ調達ちょうたつ可能かのうとなった海運かいうん企業きぎょうにとっては、えんだか外資がいし導入どうにゅう可能かのうかつ有利ゆうりとなった一方いっぽう計画けいかく造船ぞうせん融資ゆうし条件じょうけんは、国際こくさいてき非難ひなん日本にっぽん海運かいうんぎょうこうきょうのために不利ふり改定かいていされていったからである。計画けいかく造船ぞうせん無用むようで、企業きぎょう資金しきん供給きょうきゅうをてこにおこなわれてきた政府せいふ強力きょうりょく介入かいにゅうまぬかれることができた反面はんめん自主じしゅてき成長せいちょう方策ほうさくをみいだす必要ひつようしょうじた。

 こうして日本にっぽん海運かいうんぎょうは、それまでの成長せいちょう促進そくしんしてきたしょ要因よういん石油せきゆ危機きき変質へんしつしたためにあたらしい成長せいちょう方途ほうとさぐることとなった。

 日本にっぽん海運かいうんぎょうは、以上いじょうのような事情じじょうのなかで長期ちょうききょうおちいった。最初さいしょは1979ねん昭和しょうわ54)にはじまるタンカーきょうで、三光さんこう汽船きせんとう有力ゆうりょくタンカー企業きぎょう崩壊ほうかいした。1982ねんには不定期ふていきせんきょうが、1984ねんにはさらに定期ていきせんのかつてない深刻しんこくきょうくわわり、その結果けっか海運かいうんはいわゆる3部門ぶもん同時どうじきょうおちいり、この状態じょうたいは1988ねんごろまでつづいた。

 定期ていきせんきょうけ、日本にっぽん海運かいうんぎょう企業きぎょう集中しゅうちゅう進行しんこうした。1988ねんに、昭和海運しょうわかいうんにちちゅう航路こうろのぞぜん定期ていき航路こうろから撤退てったいし、保有ほゆう船舶せんぱく11せき船舶せんぱく保有ほゆう会社かいしゃ設立せつりつしたが、1998ねん平成へいせい10)には日本郵船にっぽんゆうせん吸収きゅうしゅう合併がっぺいされた。山下やましたしん日本にっぽん汽船きせんとジャパンラインは、深刻しんこく業績ぎょうせき不振ふしんおちいったそれぞれの定期ていきせん部門ぶもん分離ぶんりし、1986ねん昭和しょうわ61)に共同きょうどう出資しゅっしして設立せつりつした日本にっぽんライナーシステム(NLS)にうつした。さらに不定期ふていき油送船ゆそうせんりょう部門ぶもん統合とうごうするため、1989ねん平成へいせい1)には両社りょうしゃ合併がっぺいしてナビックスライン設立せつりつした。NSLはその子会社こがいしゃされたが、1991ねん日本郵船にっぽんゆうせん吸収きゅうしゅう合併がっぺいされた。そのナビックスラインは1999ねん大阪商船三井船舶おおさかしょうせんみついせんぱく合併がっぺいし、商船しょうせん三井みつい改称かいしょうした。以上いじょうのようにして、1964ねん昭和しょうわ39)の海運かいうん集約しゅうやくによって形成けいせいされた6グループは、1999ねんごろまでに以上いじょうの3グループに集約しゅうやくされた。

 この定期ていきせんきょう背景はいけいには、100ねんにわたって世界せかい定期ていきせん市場いちば安定あんてい維持いじしてきた、定期ていきせんカルテルである海運かいうん同盟どうめい崩壊ほうかいがあった(上述じょうじゅつの「世界せかい海運かいうん参照さんしょう)。めいがいせん増加ぞうか海運かいうん同盟どうめい競争きょうそう仕掛しかけ、その市場いちば規制きせいりょくよわめたのである。これにたいして同盟どうめい企業きぎょうは、コンテナ輸送ゆそう特質とくしつから競争きょうそうひろ範囲はんいにわたっておこなわれるため、複数ふくすう航路こうろ包括ほうかつしかつめいがいせんふくめた安定あんてい協定きょうていを、1900年代ねんだい前半ぜんはんあらたにむすび、市場いちば安定あんていこころみた。この方策ほうさく並行へいこうして特定とくてい企業きぎょうあいだ東西とうざい航路こうろ中心ちゅうしんとした複数ふくすう航路こうろをカバーし、船舶せんぱく融通ゆうずう調達ちょうたつ、ターミナルの相互そうご利用りようなど広範こうはん提携ていけいであるアライアンスが、日本にっぽん企業きぎょう発意はついによって1995ねんはじめて結成けっせいされた。

たいら

海運かいうん役割やくわり

いちこく自国じこく海運かいうん保有ほゆうする意義いぎ、つまり自国じこく海運かいうん期待きたいする役割やくわりについては、ふるくから定説ていせつがある。(1)自国じこく輸出入ゆしゅつにゅう貿易ぼうえき促進そくしん、(2)国際こくさい収支しゅうしじょう貢献こうけん、すなわち自国じこく海運かいうん運賃うんちん収入しゅうにゅうは、外貨がいか獲得かくとく外国がいこく貨物かもつ運送うんそう)または外貨がいか支出ししゅつ節約せつやく自国じこく貨物かもつ運送うんそう)になる、(3)船員せんいんおよび陸上りくじょう職員しょくいん雇用こようが、自国じこく労働ろうどうしゃ雇用こよう機会きかい増大ぞうだいする、(4)有事ゆうじさい兵員へいいん物資ぶっし運送うんそう手段しゅだん確保かくほおよび商船しょうせん艦艇かんていへの転用てんようなどの軍事ぐんじ目的もくてきへの貢献こうけん、(5)自国じこく国旗こっきかかげた商船しょうせん外国がいこくへの航行こうこう国家こっか威信いしんたかめる、などがそれである。これらのうちどれを重視じゅうしするかは、それぞれのくに政治せいじ経済けいざい事情じじょうによってことなるし、おなこくでも時代じだいによって相違そういがある。

たいら

海運かいうん政策せいさく

海運かいうん対象たいしょうにしたくにしょ施策しさく海運かいうん政策せいさくである。その内容ないよう広範こうはんにわたり、船舶せんぱく航行こうこう安全あんぜん確保かくほ船員せんいん保護ほご養成ようせい海運かいうん企業きぎょう活動かつどうたいする規制きせい海運かいうんぎょうたいする援助えんじょいたるまでさまざまである。しかし、重要じゅうようなのは、自国じこく海運かいうんぎょう保護ほご育成いくせい直接ちょくせつ意図いとする保護ほご政策せいさくである。自国じこく海運かいうんたいして保護ほご政策せいさく採用さいようする根拠こんきょは、前述ぜんじゅつした自国じこく海運かいうん役割やくわりひとつまたはふた以上いじょう実現じつげんすることにある。

 海運かいうん保護ほご政策せいさく手段しゅだんとしてはつぎのようなものがある。

(1)自国じこく沿岸えんがん航路こうろ植民しょくみん航路こうろなどを自国じこく海運かいうんぎょう独占どくせんさせる航路こうろ独占どくせん

(2)国旗こっき差別さべつ政策せいさくflag discrimination policy。その内容ないよう種々しゅじゅである。差別さべつトン税とんぜい採用さいようなどの外国がいこくせんくら自国じこくせん有利ゆうり条件じょうけんあたえるしょ措置そちや、自国じこく輸出入ゆしゅつにゅう物資ぶっし運送うんそう自国じこく船舶せんぱく優先ゆうせんてきみとめる国貨こっか自国じこくせん主義しゅぎないしは自国じこくせん優先ゆうせん主義しゅぎなどがそれである。後者こうしゃ典型てんけいが、国貨こっか一定いってい割合わりあい自国じこくせん留保りゅうほする貨物かもつ留保りゅうほ政策せいさくcargo reservationで、カーゴ・シェアリングもその一種いっしゅである。

(3)各種かくしゅ補助ほじょきん支給しきゅう船舶せんぱく建造けんぞうたいする造船ぞうせん補助ほじょきん特定とくてい航路こうろ就航しゅうこうたいする航路こうろ補助ほじょきん郵便ゆうびんぶつ運送うんそう引受ひきうけにたいする郵便ゆうびん補助ほじょきんなどがある。

(4)造船ぞうせん資金しきんの(往々おうおうにして低利ていりの)供給きょうきゅう利子りし減免げんめん措置そち減価げんか償却しょうきゃく課税かぜいのうえでの優遇ゆうぐう

 海運かいうん保護ほご政策せいさく歴史れきしふるく、その原型げんけいとされるイギリスの航海こうかいほうNavigation Actが制定せいていされたのは1651ねんのことであった。このたね政策せいさくひろ採用さいようされ、政策せいさく手段しゅだん多様たようしたのは、てつ汽船きせん時代じだい、つまり近代きんだいてき海運かいうんぎょう成立せいりつ以降いこうのことであった。この時期じき以降いこう海運かいうんにおける競争きょうそうぜん世界せかいてき規模きぼひろがるとともに激化げきか傾向けいこうをたどったために、国際こくさい競争きょうそうりょくおとった自国じこく海運かいうんぎょう所望しょもう水準すいじゅん維持いじ拡大かくだいするため、政策せいさく依存いぞんせざるをえなくなったのである。そして、当初とうしょ国旗こっき差別さべつ政策せいさく採用さいようされたが、他国たこく報復ほうふくけるために、補助ほじょ政策せいさく、それも特定とくてい船舶せんぱく特定とくてい航路こうろ対象たいしょうにしたものから、低利ていり造船ぞうせん資金しきん供給きょうきゅう税制ぜいせいじょう優遇ゆうぐう措置そちなどにうつっていった。例外れいがいはアメリカで、ふるくから一方いっぽう政府せいふ物資ぶっし一定いってい割合わりあい自国じこくせん留保りゅうほし、他方たほう造船ぞうせん差額さがく補助ほじょきん重要じゅうよう航路こうろ就航しゅうこうする自国じこくせんたいして運航うんこう差額さがく補助ほじょきん支給しきゅうしている。

 海運かいうん保護ほご政策せいさくは、海運かいうん市場いちば深刻しんこくきょうにみまわれるごとに拡大かくだい傾向けいこうをたどっている。1930年代ねんだいきょうがそれであり、だい世界せかい大戦たいせん一般いっぱんしたのは、1960年代ねんだいからはじまる船舶せんぱく技術ぎじゅつ革新かくしん進展しんてん主因しゅいんとする海運かいうん市場いちば長期ちょうき不況ふきょうをきっかけとしていた。

 1960年代ねんだいのなかばごろから、あたらしい自国じこく海運かいうん保護ほご主義しゅぎ台頭たいとうしてきた。「海運かいうんにおける南北なんぼく問題もんだい」と総称そうしょうされているのがそれである。それは、いわゆる南北なんぼく問題もんだい一環いっかんとして提起ていきされたのであるが、その要旨ようしは、みなみ諸国しょこく、つまり開発かいはつ途上とじょう諸国しょこくが、UNCTAD(アンクタッド、国連こくれん貿易ぼうえき開発かいはつ会議かいぎ)ので、自国じこく海運かいうん育成いくせいのために自国じこく出入でいり貨物かもつ運送うんそう一定いってい割合わりあい自国じこくせん留保りゅうほすることを国際こくさい条約じょうやくによってみとめることを主張しゅちょうしたことである。それは、従来じゅうらいもっとも悪質あくしつ海運かいうん保護ほご政策せいさくとして非難ひなんされてきた国旗こっき差別さべつ公式こうしき導入どうにゅうしようとしたてん重要じゅうようであるだけではなく、近代きんだい海運かいうん成立せいりつ以降いこう世界せかい海運かいうん運営うんえい秩序ちつじょささえる不動ふどう原則げんそくとされてきた「海運かいうん自由じゆう原則げんそく」(海運かいうん市場いちば運営うんえいたいする政府せいふ介入かいにゅう排除はいじょして、企業きぎょう自由じゆうにゆだねる)を否定ひていし、市場いちば秩序ちつじょ根底こんていから変化へんかさせるてんでとくに重要じゅうようであった。UNCTADにおける論議ろんぎは、まず定期ていきせん同盟どうめい後述こうじゅつ)を対象たいしょうとし、結局けっきょく1974ねん定期ていきせん同盟どうめい憲章けんしょう条約じょうやくとして結実けつじつした。条約じょうやくは、同盟どうめい行動こうどうたいする規制きせいのほか、貿易ぼうえきりょう当事とうじこく海運かいうん会社かいしゃかく40%、第三国だいさんごく海運かいうん会社かいしゃ20%をガイド・ラインとするカーゴー・シェアリングを規定きていしている。しかし、この条約じょうやく採択さいたくさきだつ1967ねんのブラジルを皮切かわきりに南米なんべい諸国しょこく相次あいついで、条約じょうやく先取さきどりするかのように国内こくないほうによってカーゴー・シェアリングを導入どうにゅうした。そのうごきは南米なんべい以外いがいにも波及はきゅうしている。

 みなみ諸国しょこくは、おなじUNCTADので、さらにバルク貨物かもつ鉄鉱てっこうせき原油げんゆなど大量たいりょう運送うんそうされる貨物かもつ)の分野ぶんやにもカーゴー・シェアリングの導入どうにゅう主張しゅちょうしている。それを先取さきどりするうごきは中東ちゅうとう産油さんゆこくのなかにおきている。さらに開発かいはつ途上とじょうこくは、便宜置籍船べんぎちせきせん先進せんしん海運かいうんこく競争きょうそうりょく強化きょうか途上とじょうこく海運かいうん発展はってん阻害そがいしているとして、その排除はいじょ主張しゅちょうはじめている。以上いじょうのようなうごきによって世界せかい海運かいうんおおきく変化へんかしようとしている。

たいら

そと航海こうかいうん

外国がいこくとのあいだおよび外国がいこく相互そうごあいだ海上かいじょう運送うんそうを、うち航海こうかいうんうちこう運送うんそう)と対比たいひしてそと航海こうかいうんそとこう運送うんそう)という。行政ぎょうせいじょう遠洋えんよう区域くいき近海きんかい区域くいき区別くべつしている。だい世界せかい大戦たいせん航空機こうくうき発達はったつにより旅客りょかく運送うんそう重要じゅうようせいうしない、貨物かもつ運送うんそうおもとする。船舶せんぱく種類しゅるい運航うんこう仕方しかたにより定期ていきせん不定期ふていきせんせん用船ようせん区別くべつできる。

たいら

定期ていきせん

航路こうろ特定とくていし、あらかじめ公告こうこくした時刻じこくひょうしたがって運航うんこうされる船舶せんぱくで、しゅとして小口こぐち貨物かもつわせて運送うんそうする。だい会社かいしゃによる経営けいえいおおく、世界せかい主要しゅよう海運かいうん会社かいしゃおおくは定期ていきせん経営けいえい重点じゅうてんいている。19世紀せいきまつからだいいち世界せかい大戦たいせんにかけてすう集中しゅうちゅう運動うんどう形成けいせいされたイギリスのさんだいグループ、前述ぜんじゅつ日本にっぽんさん中核ちゅうかくたいがそのれいである。

 定期ていきせん市場いちばは、海運かいうん同盟どうめいshipping conferenceとよばれるカルテルによる独占どくせん普通ふつうであった。航路こうろごとにひとつの同盟どうめい形成けいせいされ、そのかず世界せかい全体ぜんたいで300あまりたっするといわれた。同盟どうめいは、カルテルとして運賃うんちんをはじめ航海こうかいすうなどを協定きょうていするもの、高度こうどしてプール協定きょうていをもつものまで多様たようであり、さらに往々おうおうにしてめいがいせんoutsiderを排除はいじょする手段しゅだんをもつ。同盟どうめいには閉鎖へいさ同盟どうめいclosed conferenceと開放かいほう同盟どうめいopen conferenceとがある。後者こうしゃはアメリカを発着はっちゃくする航路こうろにおける同盟どうめいで、同国どうこく独占どくせん禁止きんしほう関係かんけいじょう新規しんき加盟かめい自由じゆうで、めいがいせん排除はいじょ手段しゅだん制限せいげんがあるなど独占どくせんりょくよわい。これにたいして、前者ぜんしゃはイギリス船主せんしゅ中心ちゅうしん結成けっせいされた同盟どうめいで、新規しんき加盟かめいきびしく制限せいげんするなどつよ独占どくせんりょくをもっている。

 しかし、同盟どうめい独占どくせんりょくは、石油せきゆ危機きき一様いちようよわまる傾向けいこうにある。とくに1980年代ねんだい後半こうはんからは、コンテナ輸送ゆそう発展はってん、アジア船主せんしゅ台頭たいとう、アメリカ海運かいうんほう改正かいせいなどにより海運かいうん同盟どうめいはその機能きのううしなった。世界せかい海運かいうん会社かいしゃは、それにかわるあらたなゆるやかな結合けつごうもとめて模索もさくしている。

 定期ていきせんの100ねん歴史れきしのなかで最大さいだい技術ぎじゅつ進歩しんぽは、コンテナせん実用じつようである。そと航海こうかいうんにコンテナせん進出しんしゅつしたのは、1960年代ねんだいのなかばごろにアメリカのシーランドしゃSea-Landが最初さいしょであったが、大方おおかた予想よそうはんして10ねんらずのあいだ主要しゅよう航路こうろにおいて在来ざいらい定期ていきせん代替だいたいし、コンテナ完了かんりょうした。荷主にぬしにとってきわめて有利ゆうり運送うんそう方式ほうしきであったからである。さらにコンテナせん利用りようしたふくあい一貫いっかん輸送ゆそう展開てんかいし、定期ていきせん市場いちば構造こうぞう変化へんかさせている。MLB(ミニランド・ブリッジ。日本にっぽん北米ほくべい内陸ないりくあいだのコンテナによるふくあい一貫いっかん輸送ゆそう)、SLB(シベリア・ランド・ブリッジ。シベリア鉄道てつどう経由けいゆ日本にっぽん―ヨーロッパ・中東ちゅうとうあいだ)がそのれいである。

たいら

不定期ふていきせん

小麦こむぎ石炭せきたんなどの大口おおぐち貨物かもつり、随時ずいじ航路こうろをかえて運航うんこうされる船舶せんぱくをいう。使用しようされる船舶せんぱく比較的ひかくてき小型こがたである。企業きぎょう小規模しょうきぼのものが多数たすうあり、ぜん世界せかいひとつの市場いちばで、そのなかで高度こうど競争きょうそう純粋じゅんすい競争きょうそうともいわれる)がおこなわれている。したがってカルテル形成けいせいこころみがきょうのたびごとにかえされてきたが、だい世界せかい大戦たいせん日本にっぽん輸入ゆにゅう物資ぶっし輸送ゆそう協議きょうぎかいのような局地きょくちてき場合ばあいのぞいて失敗しっぱいしている。不定期ふていきせん運送うんそう取引とりひき仲介ちゅうかいするものとしてシップ・ブローカーがあり、かれら(および荷主にぬし海運かいうん会社かいしゃなど)があつまって取引とりひきおこな施設しせつとして海運かいうん取引とりひきしょがある。もっとも著名ちょめいなのが、ロンドンにあるボールティック海運かいうん取引とりひきしょである。

 だい世界せかい大戦たいせんせん用船ようせん発達はったつのために、不定期ふていきせん貨物かもつのうち、運送うんそうりょう増加ぞうかした鉄鉱てっこうせきなどの運送うんそうせん用船ようせんうつ傾向けいこうしょうじている。

たいら

せん用船ようせん

特定とくてい貨物かもつ運送うんそうてきした構造こうぞうをもった船舶せんぱくせん用船ようせんである。だい世界せかい大戦たいせん造船ぞうせん技術ぎじゅつ進歩しんぽは、その種類しゅるい多様たようにした。せん用船ようせんふたつのタイプに区別くべつできる。そのひとつは、従来じゅうらい定期ていきせんもしくは不定期ふていきせん貨物かもつ運送うんそうするせん用船ようせんで、特定とくてい貨物かもつ運送うんそうかんして不定期ふていきせん定期ていきせん代替だいたいできる船舶せんぱくであり、これらと競争きょうそう関係かんけいにある(代替だいたいてきせん用船ようせん)。鉱石こうせきせん用船ようせんore carrier、自動車じどうしゃせん用船ようせんがそのれいで、前者ぜんしゃ不定期ふていきせん後者こうしゃ定期ていきせんのそれぞれ代替だいたいてき運送うんそう手段しゅだんである。いまひとつのタイプは、従来じゅうらい貨物かもつせんでは運送うんそうできない貨物かもつ運送うんそうするせん用船ようせんで、そのかぎりで海運かいうん市場いちばあたらしい領域りょういき拡大かくだいする(市場いちば拡大かくだいてきせん用船ようせん)。タンカー、LPGタンカー(液化えきかガス運搬船うんぱんせん)、リーファーreefer(冷蔵れいぞうせん)などがそのれいである。

たいら

うち航海こうかいうん

国内こくない沿岸えんがん地域ちいき相互そうごあいだ海上かいじょう運送うんそうをいう。すべてのくにがそうであるわけではないが、日本にっぽんうちこうは、日本にっぽんせん独占どくせんみとめられている(沿海えんかい航行こうこうcabotage)。日本にっぽんうち航海こうかいうんは、2006ねん平成へいせい18)3がつトン数とんすうで4おく2614まん(1995ねんは5おく4854まん)トン、トンキロで2115おくどう2383おく)トンキロの貨物かもつ運送うんそうおこない、前者ぜんしゃ日本にっぽん全体ぜんたい貨物かもつ運送うんそうの7.8(どう8.3)%、後者こうしゃは37.1(どう42.6)%をそれぞれめていた。これからわかるように平均へいきん運送うんそう距離きょりは496(どう434)キロメートルと長距離ちょうきょりであった。これらの貨物かもつ運送うんそうした船舶せんぱくは、6117(どう7953)せき、351まんどう400まんそうトンであった。事業じぎょうしゃすうは、おなじときに3852(どう4492)事業じぎょうしゃで、きわめて零細れいさいのものがおおいのが特徴とくちょうである。それらは運送うんそう業者ぎょうしゃ(オペレーター)とかしわた業者ぎょうしゃ(オーナー)とに区分くぶんされ、圧倒的あっとうてきかずおお規模きぼちいさいのは後者こうしゃである。

 だい世界せかい大戦たいせん日本にっぽんうちこう歴史れきしは、船舶せんぱく技術ぎじゅつ進歩しんぽ(ここでも専用せんよう比較的ひかくてき小型こがたのなかでの大型おおがた)と過剰かじょう船腹せんぷく調整ちょうせい歴史れきしであったといってよい。船舶せんぱく専用せんよう大型おおがたは、戦後せんご日本にっぽん経済けいざい成長せいちょう構造こうぞう変化へんか展開てんかい反映はんえいしたものであった。戦争せんそう直後ちょくごから昭和しょうわ30年代ねんだいはじめまでは木造もくぞう機帆船きはんせんはがね汽船きせんとともに重要じゅうよう役割やくわりたした。とくに運送うんそうトン数とんすうでは圧倒的あっとうてきおおく、1955ねんには60%じゃくのシェアをもっていた。しかし、1957ねんごろから小型こがたこうせんへの転換てんかん急速きゅうそくすすんだ。はがねせん高性能こうせいのう木船きふねふね上昇じょうしょうのためであった。ついで、昭和しょうわ30年代ねんだい後半こうはんからはせん用船ようせん増加ぞうかはじめた。タンカーをはじめセメントせん用船ようせん石炭せきたんせん用船ようせん自動車じどうしゃせん用船ようせんなどがおもで、あきらかにこの時期じきからはじまる日本にっぽん経済けいざい成長せいちょうのなかでの企業きぎょう成長せいちょう産業さんぎょう構造こうぞう変化へんか反映はんえいしたものであった。せん用船ようせん発達はったつ結果けっか荷主にぬし運賃うんちん交渉こうしょうりょくつよまり、うちこう船主せんしゅ零細れいさいあいまって、船主せんしゅ荷主にぬしへの従属じゅうぞく傾向けいこうしょうじた。1996ねん3がつには、はがねせんちゅうの49.5%がせん用船ようせんであった。石油せきゆ危機ききは、省力しょうりょくせんしょう燃料ねんりょうせんがさらにこれにくわわる。このようなうちこうせん近代きんだい資金しきん供給きょうきゅうにあたって、復興ふっこう金融きんゆう公庫こうこ特定とくてい船舶せんぱく整備せいび公団こうだん船舶せんぱく整備せいび公団こうだんなどの公的こうてき機関きかんおおきな役割やくわりたした。

 以上いじょうのような展開てんかいのなかで、過剰かじょう船腹せんぷくがしばしば表面ひょうめんし、その調整ちょうせい努力どりょくおこなわれた。うち航海こうかいうんぎょう内部ないぶ要因よういんとして、新規しんき参入さんにゅう容易よういなこと、船舶せんぱく技術ぎじゅつ進歩しんぽ展開てんかい、そのなかでの運送うんそう低下ていかもとめる荷主にぬし交渉こうしょうりょく強化きょうかなどがある。過剰かじょう船腹せんぷく調整ちょうせいのために、てい性能せいのう船舶せんぱくかいいれほう(1950ねん)、木船きふね運送うんそうほう(1952ねん事業じぎょう登録とうろくせい標準ひょうじゅん運賃うんちん設定せっていなど)、小型こがたせん海運かいうん組合くみあいほう(1957ねん組合くみあい結成けっせいして自主じしゅ調整ちょうせいおこなうことをみとめるなど)、小型こがたせん海運かいうん業法ぎょうほう(1962ねん木船きふね運送うんそうほうはがねせんへの拡大かくだい登録とうろくせい強化きょうか)などが公布こうふされ、1964ねんの「うちこうほう」(うち航海こうかいうん業法ぎょうほううち航海こうかいうん組合くみあいほう規制きせい範囲はんい拡大かくだい規制きせい強化きょうかおよび合併がっぺい協業きょうぎょうなどの経営けいえい改善かいぜん指導しどう)へと展開てんかいした。そのうち航海こうかいうん秩序ちつじょうちこうほうによって結成けっせいされたうち航海こうかいうん組合くみあい複数ふくすう)の船腹せんぷく調整ちょうせい事業じぎょうによって維持いじされてきたが、1980年代ねんだいのなかごろから産業さんぎょうかい規制きせい緩和かんわ要請ようせいされるなか、内外ないがい公私こうし機関きかんから組合くみあい船腹せんぷく調整ちょうせい批判ひはんたかまってきた。その結果けっか、この事業じぎょう検討けんとうもとめられた。

 以上いじょうのような事情じじょう背景はいけいに、1984ねんだいいちかい構造こうぞう改革かいかく指針ししん策定さくていされ、陸上りくじょう自動車じどうしゃ輸送ゆそうからうち航海こうかいうんへのモーダルシフトが提案ていあんされ、1994ねん平成へいせい6)にはそのためのハードとソフトの両面りょうめんにおける整備せいび強化きょうか提案ていあんされた。

 1955ねんごろからあたらしい輸送ゆそう方式ほうしきとしてカーフェリーが登場とうじょうし、1960年代ねんだいなかばころには急速きゅうそく拡充かくじゅうされ、1968ねんには長距離ちょうきょり航路こうろ開設かいせつされた。その長距離ちょうきょりフェリーのしん航路こうろ開設かいせつ新規しんき参入さんにゅうつづいたが、だいオイル・ショック(1979ねん運送うんそう需要じゅよう減退げんたい燃料ねんりょう上昇じょうしょうのために整理せいりはいった。2008ねん4がつ1にち現在げんざい長距離ちょうきょりフェリー(300キロメートル以上いじょう航路こうろすうは11(1997ねん1がつ1にち現在げんざいは22)、就航しゅうこうせん39(どう55)せき会社かいしゃすう12(どう13)しゃ航路こうろ距離きょり8420(どう1まん7780)キロメートルである。

たいら

問題もんだいてん

オイル・ショック発生はっせいした世界せかい海運かいうん日本にっぽん海運かいうん直面ちょくめんしたしょ問題もんだいは、そのこれらにたいする企業きぎょうがわ適応てきおうすすみ、おおくはとくに問題もんだいせいをもたなくなった。えんだかにしても便宜置籍船べんぎちせきせん問題もんだいにしてもそうであった。しかし海運かいうん同盟どうめい崩壊ほうかいそと航海こうかいうん、とくに定期ていきせんぎょうにとって直面ちょくめんする最大さいだい問題もんだいである。海運かいうん同盟どうめいにかわる市場いちば安定あんてい仕組しくみをどうやってみいだすか、その模索もさくはすでにはじまっている(アライアンスがそのいちれいである)が、まだ終局しゅうきょくてき解決かいけつにはいたっていない。

 いまひとつは、タンカーの大型おおがたとその増加ぞうかによって、深刻しんこく海洋かいよう汚染おせんともな海難かいなん発生はっせいしたことである。それには船員せんいん技能ぎのう低下ていか関係かんけいしているが、こうした問題もんだい対応たいおうして、国際こくさいてきにさまざまな措置そちがとられている。ILO(国際こくさい労働ろうどう機関きかん)、IMO(国際こくさい海事かいじ機関きかん。IMCO=政府せいふあいだ海事かいじ協議きょうぎ機関きかんが1984ねん改称かいしょう)における規制きせいのための条約じょうやく採択さいたくなどである。

 日本にっぽんうち航海こうかいうんについてはほぼ恒常こうじょうてき過剰かじょう船腹せんぷくへの対応たいおう最大さいだい問題もんだいである。

たいら

佐波さわせんたいらちょ海運かいうん理論りろん体系たいけい』(1949・有斐閣ゆうひかく)』金子かねこ栄一えいいちへん造船ぞうせん』(『現代げんだい日本にっぽん産業さんぎょう発達はったつⅨ』1964・交詢社こうじゅんしゃ)』黒田くろだ英雄ひでおちょ世界せかい海運かいうん』(1967・成山なりやまどう書店しょてん)』『『脇村わきむら義太郎よしたろう著作ちょさくしゅう だい1、2、3、5かん』(1976~81・日本にっぽん経営けいえい研究所けんきゅうじょ)』たいらちょ海運かいうん産業さんぎょうろん』(1978・千倉ちくら書房しょぼう)』日本にっぽん経営けいえい研究所けんきゅうじょへん商船しょうせん三井みついじゅうねん――1984~2004』(2004・商船しょうせん三井みつい)』運輸省うんゆしょう海上かいじょう交通こうつうきょくへん日本にっぽん海運かいうん現況げんきょうかくとしばん日本にっぽん海事かいじ広報こうほう協会きょうかい)』日本にっぽん船主せんしゅ協会きょうかいへんかん海運かいうん統計とうけい要覧ようらんかくとしばん『T.Chida and P.N.DaviesThe Japanese Shipping and Shipbuilding Industries(1990,Athlone Press,London)』

出典しゅってん 小学館しょうがくかん 日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ)日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ)について 情報じょうほう | 凡例はんれい

百科ひゃっか事典じてんマイペディア海運かいうん」の意味いみ・わかりやすい解説かいせつ

海運かいうん【かいうん】

海路かいろによりひとおよび財貨ざいか場所ばしょてき移動いどうおこなうことと定義ていぎされるが,一般いっぱんてきには専業せんぎょうとしていとなまれる海上かいじょう輸送ゆそう海運かいうんまたは海運かいうんぎょうという。旅客りょかく輸送ゆそう貨物かもつ輸送ゆそうの2分野ぶんやがあるが今日きょうでは後者こうしゃ中心ちゅうしん運航うんこう形態けいたいからは定期ていきせん不定期ふていきせん大別たいべつ前者ぜんしゃでは海運かいうん同盟どうめいによる航路こうろ支配しはいつよく,後者こうしゃでは近年きんねんとくにタンカーなどせん用船ようせん比重ひじゅうたかまった。また国内こくないてき海上かいじょう輸送ゆそうおこなうち航海こうかいうんと,国際こくさいあいだそと航海こうかいうんとにけるが,いちこく海運かいうんぎょうとしては両者りょうしゃ区別くべつ絶対ぜったいてきでなく,景況けいきょういかんで相互そうごふね移動いどうがある。うちこうには普通ふつう3000そうトン程度ていど以下いか小型こがたせんはいされ,日本にっぽんでは原材料げんざいりょうはん製品せいひん中心ちゅうしん貨物かもつ輸送ゆそうりょう鉄道てつどう自動車じどうしゃして首位しゅいにある。しかし海運かいうん中心ちゅうしんそとこうで,国際こくさいてき貨物かもつ輸送ゆそう大半たいはん海運かいうんめる。日本にっぽん海運かいうんぎょうだい大戦たいせんまえ船腹せんぷく保有ほゆうりょうえいべい世界せかいだい(1938ねんに100そうトン以上いじょうはがねせん2079せき,529.5まんそうトン)にあったが,戦時せんじちゅう880まんそうトンをうしな壊滅かいめつてき打撃だげきけた。戦後せんご国家こっか資金しきん重点じゅうてん投下とうかによる再建さいけんすすめられ,その地位ちいをほぼ回復かいふくしたが,戦時せんじ補償ほしょう打切うちきり,再建さいけん資金しきん金利きんり負担ふたんなど悪条件あくじょうけんかさなり,企業きぎょう内容ないよう悪化あっか,また海運かいうん国際こくさい収支しゅうし赤字あかじつづけたため,1964ねん画期的かっきてき海運かいうんさい編成へんせいおこなわれ,中核ちゅうかくしゃ中心ちゅうしんとするグループ実現じつげん経営けいえい充実じゅうじつくに船積ふなづみ比率ひりつ向上こうじょうなどをめざした。しかし1971ねんえん切上きりあげなど国際こくさい経済けいざい情勢じょうせい変化へんかや,国際こくさい海運かいうん市場いちば変動へんどうにより海運かいうんきょう長期ちょうきした。1980年代ねんだいまつより業績ぎょうせき好転こうてんきざしをせはじめたが,船員せんいん制度せいど近代きんだい運航うんこうコストの低減ていげん船籍せんせき国外こくがい離脱りだつ歯止はどめなど課題かだいおおい。ロイド統計とうけいによる世界せかいそう船腹せんぷくりょうは,1997ねんで(100そうトン以上いじょうはがねせん)8まん5494せき,5おく2200まんそうトン,平均へいきん船齢せんれいは19ねんである。船籍せんせきこくべつ主要しゅよう総トン数そうとんすう順位じゅんいによる)なものをあげると,パナマ6188せき,9113まんそうトン,リベリア1697せき,6006まんそうトン,バハマ1221せき,2552まんそうトン,ギリシア1641せき,2529まんそうトン,キプロス1650せき,2365まんそうトン,マルタ1378せき,2298まんそうトン,ノルウェー715せき,1978まんそうトン,シンガポール1656せき,1887まんそうトン,日本にっぽん9310せき,1852まんそうトン,中国ちゅうごく3175せき,1634まんそうトン,ロシア4814せき,1228まんそうトン,米国べいこく5260せき,1179まんそうトンである。
関連かんれん項目こうもく貨物かもつせん通運つううん事業じぎょう

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ブリタニカ国際こくさいだい百科ひゃっか事典じてん しょう項目こうもく事典じてん海運かいうん」の意味いみ・わかりやすい解説かいせつ

海運かいうん
かいうん
sea transportation; shipping

船舶せんぱくによる海上かいじょう運送うんそうをいう。もちいられる船舶せんぱく客船きゃくせん貨客船かきゃくせんおよび貨物かもつせんであるが,はしちからをもたないいかだやはしけなどが引船ひきふねや押船などの特殊とくしゅせん (作業さぎょうせん) によって商行為しょうこういとしての海上かいじょう運送うんそうをする場合ばあいふくまれる。貨物かもつせん普通ふつう貨物かもつせん特殊とくしゅ貨物かもつせんがあるから,海運かいうん経営けいえい形態けいたい客船きゃくせん普通ふつう貨物かもつせんによる定期ていきせんぎょう不定期ふていきせんぎょう,および特殊とくしゅ貨物かもつせんによるものとに3分類ぶんるいすることができる。また運送うんそう形態けいたいとしては,運送うんそうサービスをみずからつくりだす自己じこ運送うんそうとそれを販売はんばいする他人たにん運送うんそうとにはやくから分類ぶんるいされてきたが,さらに自己じこ運送うんそうには,生産せいさんしゃによる自己じこ運送うんそう industrial carrierと商人しょうにんによる自己じこ運送うんそう merchant carrierがある。海運かいうん生成せいせい発展はってん船舶せんぱく技術ぎじゅつ進歩しんぽともなっており,木船きふねてつせんからはがねせんにいたる材質ざいしつ進歩しんぽ溶接ようせつ技術ぎじゅつ進歩しんぽ外輪船がいりんせん帆走はんそうせんからスクリュープロペラせんへの推進すいしん進歩しんぽ,さらにこう馬力ばりき舶用はくようディーゼル機関きかん出現しゅつげんによる大幅おおはば燃料ねんりょう節約せつやく可能かのうになったことなどによって,船舶せんぱく大型おおがた高速こうそく自動じどう機械きかいあるいは専用せんよう実現じつげんした。陸運りくうんそらうん比較ひかくした海運かいうんいちじるしい特徴とくちょう大量たいりょう運送うんそうであり,したがって運送うんそうコストが低廉ていれんであるというてんにある。また,通路つうろとしての海洋かいようにおける航海こうかい自由じゆう原則げんそくみとめられてきたことから,単一たんいつ国際こくさい市場いちばにおける海運かいうん自由じゆうということがその特徴とくちょうであった。しかしだい2世界せかい大戦たいせん発展はってん途上とじょうこく発言はつげんりょく増大ぞうだいともない,国連こくれん貿易ぼうえき開発かいはつ会議かいぎ海洋かいようほう会議かいぎつうじて,海洋かいよう海運かいうんかんするあたらしい世界せかい秩序ちつじょ模索もさくされている。

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改訂かいてい新版しんぱん 世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん海運かいうん」の意味いみ・わかりやすい解説かいせつ

海運かいうん (かいうん)

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普及ふきゅうばん どおり海運かいうん」のみ・字形じけい画数かくすう意味いみ

海運かいうん】かいうん

海上かいじょう輸送ゆそう

どおりうみ」の項目こうもく

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世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん旧版きゅうばんうち海運かいうん言及げんきゅう

海運かいうんぎょう】より

船舶せんぱくによる海上かいじょう輸送ゆそう業務ぎょうむをいう。
成立せいりつ役割やくわり
 海運かいうんふる歴史れきしゆうするが,今日きょう海運かいうん市場いちば取引とりひきもとづくいわゆる他人たにん運送うんそう専業せんぎょうとする海運かいうんぎょう(コモン・キャリアcommon carrier)が海運かいうん支配しはいてき地位ちいめるようになったのは,19世紀せいきむかえてからのことである。それまでの海運かいうんは,商人しょうにんせきおろし市場いちば売買ばいばいする自己じこ商品しょうひん輸送ゆそうするために船舶せんぱく所有しょゆう運航うんこうするという自己じこ運送うんそう形態けいたい(プライベート・キャリアprivate carrier)にあった。…

係船けいせん】より

ふね運航うんこう中止ちゅうしして,みなと係留けいりゅうすること。海運かいうん市場いちばにおける船腹せんぷく供給きょうきゅう過剰かじょうによってこされる海運かいうんきょうには,運賃うんちん市況しきょう後退こうたいつづける過程かてい競争きょうそうりょくとぼしいこうコストせんからじゅんに,その運賃うんちん収入しゅうにゅう運航うんこうコストとひとしい〈損益そんえき分岐ぶんきてん〉にまでむ。しかし,そこで運航うんこうめて係船けいせんしても,変動へんどうである運航うんこう(燃料ねんりょう貨物かもつこうとう)はなくなるが,固定こていである減価げんか償却しょうきゃく利子りし一般いっぱん管理かんりとうはほとんど節約せつやくされることなく着実ちゃくじつしょうじる。…

国旗こっき差別さべつ】より

船舶せんぱく国籍こくせきによって貨物かもつせきり,港湾こうわんサービスの提供ていきょう課税かぜいおよびしょ料金りょうきんとうめん差別さべつをすることをいう。海運かいうんにおける極端きょくたんなナショナリズムの典型てんけいとしてあらわれる国旗こっき差別さべつ政策せいさくは,じゅうしょう主義しゅぎ時代じだいつらぬき19世紀せいき前半ぜんはんまでの欧米おうべい海運かいうん支配しはいした。しかし以後いご国際こくさい海運かいうん市場いちばでは,〈自由じゆう競争きょうそうのしくみがかく時点じてんにおける輸送ゆそうりょくもっと能率のうりつてきかつ経済けいざいてき方法ほうほう荷主にぬし利用りようきょうすることを可能かのうにし,同時どうじ技術ぎじゅつ革新かくしん導入どうにゅううなが原動力げんどうりょくである〉とかんがえられ,この海運かいうん自由じゆう思想しそうだい部分ぶぶん海運かいうんこく政策せいさく反映はんえいされてきた。…

水運すいうん】より

…ここでいう水運すいうんは,海上かいじょう交通こうつうすなわち海運かいうん河川かせん交通こうつうすなわち内陸ないりく水運すいうんをあわせふくんだ水上みずかみ交通こうつうす。水運すいうん歴史れきしふる世界せかいかく地域ちいきによりその様相ようそうことにする。…

※「海運かいうん」について言及げんきゅうしている用語ようご解説かいせつ一部いちぶ掲載けいさいしています。

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