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風土記(フドキ)とは? 意味や使い方 - コトバンク

風土記ふどきみ)フドキ

デジタル大辞泉だいじせん風土記ふどき」の意味いみみ・例文れいぶん類語るいご

ふど‐き【風土記ふどき

地方ちほうべつにその風土ふうど文化ぶんかそのについてしるした書物しょもつ
奈良なら時代じだい地誌ちし和銅わどう6ねん(713)元明もとあき天皇てんのうみことのりにより、諸国しょこく産物さんぶつ地形ちけい伝説でんせつ地名ちめい由来ゆらいなどをしるしてせんしんさせたもの。現存げんそんするのは、完本かんぽん出雲いずもと、省略しょうりゃく欠損けっそんのある常陸ひたちひたち播磨はりまはりま肥前ひぜん豊後ぶんごぶんごの5かこくのもの。上代じょうだい地理ちり文化ぶんかるうえで貴重きちょう後世こうせいのものと区別くべつするため、風土記ふどきともいわれる。

ふうど‐き【風土記ふどき

ふどき(風土記ふどき

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ふど‐き【風土記ふどき

  1. [ 1 ] 名詞めいし 諸国しょこく風土ふうど伝説でんせつ風俗ふうぞくなどをしるした地誌ちし
    1. [初出しょしゅつ実例じつれい]「国々くにぐに風土記ふどきといへるもたいかたほころびたれば、其由もまたしられず」(出典しゅってん随筆ずいひつ西遊せいゆうしん日本にっぽん古典こてん文学ぶんがく大系たいけい所収しょしゅう)(1795)じょ)
  2. [ 2 ] 古代こだいかんせん地方ちほう和銅わどうろくねんなないちさん律令りつりょう国家こっかいのちにより各国かっこく地名ちめい整理せいり物産ぶっさん品目ひんもく土地とち肥沃ひよく状態じょうたい地名ちめい由来ゆらい旧聞きゅうぶん伝承でんしょうについて各国かっこくちょう報告ほうこくした公文書こうぶんしょかい(げ))。かん文体ぶんたい変体へんたいかん文体ぶんたいなどくににより文体ぶんたいことなる。現存げんそんするのは完本かんぽんである出雲いずもこくと、省略しょうりゃく欠損けっそんのある常陸ひたち播磨はりま豊後ぶんご肥前ひぜんこくこく逸文いつぶんが「しゃく日本にっぽん」「万葉集まんようしゅう註釈ちゅうしゃく」などにさんじゅうすうこくぶんおさめられている。各国かっこくかんいのち解釈かいしゃくにより内容ないよう記載きさい特色とくしょくている。和銅わどう正本しょうほんおおしっしたらしく、延長えんちょうさんねんきゅうふたた太政官だじょうかんによってさい提出ていしゅつめいじられている。後世こうせいのものと区別くべつして「風土記ふどき」ともいう。古代こだい地理ちり文化ぶんかなどがられるとともに、「古事記こじき」「日本書紀にほんしょき」にまれない地方ちほう独自どくじ神話しんわ伝説でんせつ歌謡かようなどをじょうでも貴重きちょう

ふうど‐き【風土記ふどき

  1. 名詞めいしふどき(風土記ふどき

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改訂かいてい新版しんぱん 世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん風土記ふどき」の意味いみ・わかりやすい解説かいせつ

風土記ふどき (ふどき)

奈良なら壮大そうだい都城みやこのじょう平城京へいじょうきょう)が造営ぞうえいされ,大化たいか改新かいしん地方ちほう制度せいど整備せいびされた元明もとあき天皇てんのう時代じだいに,諸国しょこく国司こくし郡司ぐんじ総動員そうどういんして作成さくせいさせた郷土きょうどてき文書ぶんしょをいう。中国ちゅうごく制度せいど文物ぶんぶつ移植いしょく熱心ねっしん時代じだいだから,中国ちゅうごくおおつくられた地誌ちしるいはんをとったものであろうが,とくに南北なんぼく中国ちゅうごく統一とういつしたずいだいに《しょぐん物産ぶっさん土俗どぞく》151かんがあったということ(《ずいしょ経籍けいせきこころざし)は,もっとも注意ちゅういさるべきであろう。

 《ぞく日本にっぽん和銅わどう6ねん(713)5がつ2にちじょうに〈畿内きない七道しちどう諸国しょこくは,ぐんきょうしるけ,そのぐんないしょうずるところのぎんどう彩色さいしき草木くさき禽獣きんじゅうさかなむしとうもの(つぶさ)にその品目ひんもくろくし,およ土地とちの沃塉(よくせき),山川やまかわ原野げんや名号みょうごう所由しょゆう(いわれ),また古老ころう相伝そうでん旧聞きゅうぶん異事ことごとは,史籍しせきせて言上ごんじょうせよ〉とある。この命令めいれいおおきくければ,前半ぜんはん物産ぶっさん関係かんけい条項じょうこう後半こうはん土俗どぞく関係かんけい条項じょうこうとなるが,これを風土記ふどきせんしんのことであるとしたのは,平安へいあん時代じだい天台てんだい学僧がくそう阿闍梨あじゃりすめらぎえん述作じゅっさくの《扶桑ふそう略記りゃっき》(1094ころ)である。かれがどんな資料しりょうによったかは不明ふめいだが,現在げんざいからみても妥当だとうである。ただ発令はつれい当初とうしょから風土記ふどきという書名しょめいがつけられていたかどうかはさだかでない。むしろ下命かめいされたかく条項じょうこう一括いっかつして上級じょうきゅうかん太政官だじょうかんまたはみんしょう)に奉答ほうとうするというかたちで,当時とうじ法律ほうりつ用語ようごではかい(げ)とよばれる報告ほうこくしょとして上申じょうしんされた公文書こうぶんしょであるとするのが穏当おんとうであろう。すなわち現存げんそんの《常陸ひたちこく(ひたちのくに)風土記ふどき》の冒頭ぼうとうに〈常陸ひたち国司くにじかい(げ)しもうす,古老ころう相伝そうでん旧聞きゅうぶんこと〉とかれているのがその適例てきれいである。

 これらの報告ほうこく文書ぶんしょは,和銅わどう(708-715)当時とうじ日本にっぽんそうくにすうを62こくとすれば60かんだい集成しゅうせいとなり,そのころ編修へんしゅうされていた《日本書紀にほんしょき》を縦糸たていととすれば,これは横糸よこいととなるはずのものであった。この時期じきのもので比較的ひかくてきまとまったかたち現存げんそんしているのは常陸ひたち播磨はりま(はりま)の2こくぶんだけだが,いずれも715ねんれいかめ1)以前いぜん姿すがたつたえ,下命かめい4~5ねん成立せいりつしたものとることができる。この文書ぶんしょは2つうか3つうつくられ,それぞれ地元じもとくにちょう中央ちゅうおう官庁かんちょう保存ほぞんされていたが,これに風土記ふどき名称めいしょうあたえられるようになったのは,中国ちゅうごく風土記ふどきせられた平安へいあん時代じだい学者がくしゃ文人ぶんじんたちによるものであり,平安へいあん初期しょきから鎌倉かまくら時代じだいにかけ定着ていちゃくしたようである。さだかん(859-877)ころ成立せいりつの《れいしゅうかいかりやすし(けによう)れいには,風土ふうど郷土きょうど同一どういつしたれいえている。だが風土記ふどきとよばれるものには和銅わどうのもののほかに,20ねんの733ねん天平てんぴょう5)にった《出雲いずもこく(いずものくに)風土記ふどき》もあるが,これは節度せつど使編修へんしゅう主体しゅたいとなったもので,軍事ぐんじてき要素ようそ加味かみされて実用じつようせいつよ地誌ちしとしてあらわれている。〈和銅わどう風土記ふどき〉とはやや異質いしつのものだが,こののもの(豊後ぶんご(ぶんご)・肥前ひぜんひぜん)の風土記ふどきなど)をふくめて〈風土記ふどき〉とよんでいる。記紀ききにはることのできない地方ちほう民衆みんしゅう風俗ふうぞく民間みんかん伝承でんしょう豊富ほうふられているてんできわめて貴重きちょう古典こてんである。しかし,現在げんざいのこっているのは以下いかしるす5こくぶんだけであり,それ以外いがいくにのものは,いまでは,平安へいあんまつから鎌倉かまくらまつにかけて輩出はいしゅつした古典こてん注釈ちゅうしゃくその著書ちょしょ部分ぶぶんてき引用いんようされた文章ぶんしょうつうじてりうるのみである。それらの引用いんようされた文章ぶんしょうは〈風土記ふどき逸文いつぶん〉とよばれているが,山城やましろこく賀茂かも伝説でんせつ丹後たんごこく浦島うらしま浦島うらしま太郎たろう伝説でんせつなど,逸文いつぶんにみえる貴重きちょう伝承でんしょうすくなくない。

713ねん風土記ふどきせんしんかんれいこたえて国司こくしから中央ちゅうおう官庁かんちょう提出ていしゅつされた報告ほうこくしょ形式けいしきをとっており,とくに古老ころう相伝そうでんかたりごとにおもきをおいていたものであることを冒頭ぼうとうべている。事実じじつ物語ものがたりせい説話せつわ歌謡かようおおいことでは現存げんそん風土記ふどきちゅう抜群ばつぐんである。やまとたけ天皇てんのう(やまとたけるのすめらみこと)の巡幸じゅんこう伝説でんせつをはじめ,祖神そしん巡幸じゅんこうたん,嬥歌(かがい)や歌垣うたがきをめぐる恋愛れんあい伝説でんせつ巨人きょじん伝説でんせつ白鳥しらとり伝説でんせつよるかたなしん(やとのかみ)伝承でんしょうなど,東国とうごく民間みんかん伝承でんしょう宝庫ほうこかんがある。しかもその文章ぶんしょう当時とうじ文人ぶんじんたちに愛用あいようされたよんろく駢驪(べんれいからだとよばれる華麗かれい漢文かんぶんもちい,神仙しんせん思想しそうよそわれていて,一種いっしゅ文学ぶんがくてき世界せかいかたちづくっている。成立せいりつは713ねんからほどとおざからぬところにあり,718ねん養老ようろう2)をくだらぬであろうとするのが普通ふつうである。この時期じき国司こくしには阿部あべこま朝臣あそんあき麻呂まろ石川いしかわ朝臣あそん難波なんば麻呂まろ藤原ふじわら宇合がいるが,そのいずれを撰者せんじゃるかは確定かくていしえない。ただげんつてほん鎌倉かまくら時代じだい末期まっき省略しょうりゃくくわえられ,白壁しらかべ河内かわうちの2ぐんをまったくき,省略しょうりゃくがないのは総記そうき行方ゆくえ(なめかた)ぐんぶんだけである。

713ねん風土記ふどきせんしんかんいのちおうじて中央ちゅうおう官庁かんちょう提出ていしゅつされた文書ぶんしょかい)で,かんいのち指定していされた条項じょうこうにもっとも忠実ちゅうじつこたえようとしており,山川やまかわ原野げんや里名さとみょう由来ゆらいはあまねく採集さいしゅうし,土壌どじょう品質ひんしつについてもかみちゅうなかしもちゅうなどと分類ぶんるいしていちいち注記ちゅうきしているのは注意ちゅういすべきである。土地とち生産せいさんせい高低こうていはそこに生活せいかつするひとたちの生産せいさんせい規定きていせずにはおかないし,播磨はりまにはてつ生産せいさん土器どき石材せきざい生産せいさん存在そんざいすることと関係かんけいしてかんがえさせるものがあるからである。ことに帰化きかじん移動いどうについての記事きじおおく,文章ぶんしょう平明へいめい漢文かんぶんでつづられ,民衆みんしゅう伝承でんしょう素直すなおうつしているてんでは希有けうなものといってよい。天皇てんのうとしてはけいぎょう巡幸じゅんこう伝説でんせつおおく,かみには天日てんじつやり(あめのひぼこ)やだいなんじ(おおなむち)いのちしょう日子にっし(すくなひこね)いのち活躍かつやくすることも注意ちゅういされる。成立せいりつ和銅わどう6ねんちか時期じきで,国司こくしとしてはもり(かみ)に巨勢こせ朝臣あそん邑治,その部下ぶか百済くだら帰化きかじんらくなみ河内かわうちがいる。両者りょうしゃ合作がっさくてよかろう。ただ本書ほんしょ巻首かんしゅ明石あかしぐんかけしっし,赤穂あこうぐんぶんがないのはしまれる。

りゃくして《出雲いずも風土記ふどき》ともいう。現存げんそんする奈良なら時代じだい成立せいりつ風土記ふどきのなかでは首尾しゅび完備かんびした唯一ゆいいつ完本かんぽんとして有名ゆうめいである。巻末かんまつには〈天平てんぴょうねんがつさんじゅうにちかんづくり〉と明記めいきされ,その責任せきにんしゃ国造くにのみやつこ出雲いずもしん広島ひろしま以下いかしょ郡司ぐんじ署名しょめいがある。本書ほんしょ成立せいりつについては江戸えど時代じだいから,和銅わどう風土記ふどきせんしんかんいのちによるものとするせつと,天平てんぴょうさいせんとするせつとがあったが,現在げんざいでは,地方ちほう軍政ぐんせい整備せいびのために732ねん天平てんぴょう4)8がつ諸道しょどう設置せっちされた節度せつど使(せつどし)の派遣はけん関係かんけいづけてとらえるせつ有力ゆうりょくであり,これを〈和銅わどう風土記ふどき〉にたいして〈天平てんぴょう風土記ふどき〉とよぶことがある。出雲いずもでは天平てんぴょう4ねん山陰さんいんどう節度せつど使となったみんきょう多治比たじひ真人まっとけんもり作成さくせい関与かんよしたとられる。本書ほんしょ国内こくないのすべての通路つうろやまたかさや川幅かわはばをもって厳密げんみつ計測けいそくされ,烽(とぶひ)やせきや戍(まもり),軍団ぐんだんなどの軍事ぐんじ施設しせつ列挙れっきょされ,軍用ぐんよう地図ちず記録きろくといったかんがある。なお本書ほんしょ巻首かんしゅには出雲いずも版図はんと成立せいりつ神話しんわてきかたったくに神話しんわがあって,古代こだい文学ぶんがく原型げんけいてきなものとして注目ちゅうもくされるが,そのいちめんでは本草学ほんぞうがく測量そくりょうじゅつ高度こうど知識ちしき記載きさいされていることも注意ちゅういしてよい。

〈とよくにのみちのしりのふどき〉ともよむ。成立せいりつについてはさだかではないが,732ねん藤原ふじわら宇合が西海にしうみみち節度せつど使となったとき,大宰府だざいふ管下かんか諸国しょこく風土記ふどきせんしんめいじたものを,大宰府だざいふかんじん抄録しょうろくして1さつほんにまとめたものとられる。本書ほんしょには《日本書紀にほんしょき》の文章ぶんしょう近似きんじするものがおおいが,これは抄録しょうろく過程かていかんじんたちによって《しょ》に依拠いきょして構文こうぶんされたからであるらしい。

〈ひのくにのみちのくちのふどき〉ともよむ。本書ほんしょは《豊後ぶんごこく風土記ふどき》と同様どうよう過程かていをとって編纂へんさんされたものとかんがえられ,抄録しょうろくであることも記載きさい形式けいしき近似きんじしている。両者りょうしゃともけいぎょう天皇てんのう西にしせい伝説でんせつ中心ちゅうしんにおいて,土蜘蛛つちぐも(つちぐも)やくまかさね(くまそ)の討伐とうばつかたることがおおく,《日本書紀にほんしょき》の文章ぶんしょう借用しゃくようしたものがあるてん同様どうようである。このてんはやくから偽書ぎしょとするせつもあったが,在地ざいち伝承でんしょうもあるから単純たんじゅん偽書ぎしょとすべきではない。なおりょうしょふくめて西海にしうみみち風土記ふどき九州きゅうしゅう風土記ふどきなどとよばれることもある。
執筆しっぴつしゃ

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日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ)風土記ふどき」の意味いみ・わかりやすい解説かいせつ

風土記ふどき
ふどき

地方ちほうてき文書ぶんしょ。713ねん和銅わどう6)5がつの「ぐんないせいズルしょぎんどう彩色さいしき草木くさき禽獣きんじゅう(きんじゅう)さかなむしとうもの(つぶ)サニしょく(しきもく)ニろくシ、及ビ土地とちノ沃塉(よくせき)、山川やまかわ原野げんや名号みょうごう所由しょゆうまた古老ころう相伝そうでんフル旧聞きゅうぶん異事ことごとハ、史籍しせきセテ言上ごんじょうセヨ」(ぞく日本にっぽん(しょくにほんぎ))との命令めいれいによってへんじゅつされたもの(かぶと)、925ねん延長えんちょう3)12月の太政官だじょうかん(だいじょうかんぷ)によって進上しんじょうないしあらたに制作せいさくされたもの(おつ)とが有名ゆうめいである。(かぶと)の風土記ふどきとしては『出雲いずも(いずも)こく風土記ふどき』『常陸ひたち(ひたち)こく風土記ふどき』『播磨はりま(はりま)こく風土記ふどき』『肥前ひぜんこく風土記ふどき』『豊後ぶんご(ぶんご)こく風土記ふどき』が代表だいひょうてきであり、(おつ)はくにちょうくに役所やくしょ)で保管ほかんされたきゅう文書ぶんしょおもとする。ただし前掲ぜんけい風土記ふどき以外いがいおおくは逸文いつぶんでしかのこっていない。「風土記ふどき」という書名しょめいは、中国ちゅうごくではこうかん(ごかん)のしょく(ろしょく)の『冀州(きしゅう)風土記ふどき』をはじめとして『すすむしょ(しんじょ)』『ずいしょ(ずいしょ)』などにみえているが、日本にっぽんで「風土記ふどき」という書名しょめいもちいられるようになるのは、平安へいあん時代じだいはいってからである。奈良なら時代じだい場合ばあいは「かい(げ)」(上申じょうしん文書ぶんしょ)のかたちをとっている。

 現在げんざいつたえられている「風土記ふどき」のなかで、唯一ゆいいつ完本かんぽんは『出雲いずもこく風土記ふどき』であって、733ねん天平てんぴょう5)に成立せいりつした。かんづくりしゃ秋鹿あいか(あきか)ぐんじん神宅かんやけしん(みやけのおみ)金太きんた(かなたり)、国造くにのみやつこ(くにのみやつこ)けん意宇いう(おう)ぐん大領だいりょう(たいりょう)出雲いずもしん広島ひろしま(ひろしま)とする。出雲いずも在地ざいち独自どくじ神話しんわ伝承でんしょうなどをしるし、天皇てんのう巡幸じゅんこう伝承でんしょうがみえないなど、注目ちゅうもくすべき特色とくしょく保有ほゆうする。『播磨はりまこく風土記ふどき』は巻首かんしゅ明石あかし(あかし)ぐん赤穂あこう(あかほ)ぐん記事きじき(ただし明石あかしぐんには逸文いつぶんがある)、賀古かこぐんについても欠損けっそん部分ぶぶんがある。713ねん比較的ひかくてきちか時期じき成立せいりつかんがえられている。『常陸ひたちこく風土記ふどき』は白壁しらかべ河内かわうち(かふち)りょうぐんはなく、新治にいはる(にいはり)から珂(たか)ぐんまでのはちぐんには省略しょうりゃくおおい。718ねん養老ようろう2)までのふでろくをもとに、722、723ねんごろにへんじゅつ完成かんせいしたものと推定すいていされている。『肥前ひぜんこく風土記ふどき』および『豊後ぶんごこく風土記ふどき』には巻首かんしゅおよびかくぐんくびはあるけれども、かくぐん記事きじ不完全ふかんぜんであり、732ねん以後いごすうねんあいだ編集へんしゅうされたものとみなされている。

 風土記ふどきのなかでもっとも注目ちゅうもくすべきものは『出雲いずもこく風土記ふどき』で、そのへんじゅつ責任せきにんしゃが、在地ざいち出雲いずもしん広島ひろしま秋鹿あいかぐんひと神宅かんやけしん金太きんたであったことは見逃みのがせない。播磨はりま常陸ひたち風土記ふどきのように国司こくしそう肥前ひぜん豊後ぶんご風土記ふどきのように大宰府だざいふ(だざいふ)の官僚かんりょうらによってへんじゅつされたものとはおもむき(おもむき)をことにしている。とくに『肥前ひぜんこく風土記ふどき』や『豊後ぶんごこく風土記ふどき』が、『日本書紀にほんしょき』のぶんによって地方ちほう伝承でんしょう付会ふかいしているてんなどは、風土記ふどきをすべて地方ちほう独自どくじ地方ちほうてき文書ぶんしょ即断そくだんしえないことを物語ものがたる。在地ざいち氏族しぞく中央ちゅうおう派遣はけん官僚かんりょうらのになる「風土記ふどき」とのあいだには、その内容ないよう相違そういがある。

 なお、以上いじょうの「風土記ふどき」にたいし、江戸えど時代じだいにも『新編しんぺん武蔵むさし(むさし)こく風土記ふどき稿こう』『新編しんぺん会津あいづ(あいづ)風土記ふどき』『紀伊きいぞく風土記ふどき』など、風土記ふどきしょうするものが各地かくち編纂へんさん(へんさん)された。

上田うえだただしあきら

秋本あきもと吉郎よしろうこうちゅう風土記ふどき』(『日本にっぽん古典こてん文学ぶんがく大系たいけい2』1958・岩波書店いわなみしょてん)』上田うえだただしあきらへん日本にっぽん古代こだい文化ぶんか探究たんきゅう 風土記ふどき』(1975・社会しゃかい思想しそうしゃ)』吉野よしのひろしちょ風土記ふどき』(1969・平凡社へいぼんしゃ)』


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百科ひゃっか事典じてんマイペディア風土記ふどき」の意味いみ・わかりやすい解説かいせつ

風土記ふどき【ふどき】

713ねん元明もとあき(げんめい)天皇てんのうみことのりをうけ諸国しょこく作成さくせいした地誌ちし総称そうしょうぐんきょう地名ちめい由来ゆらい地形ちけい産物さんぶつ古伝こでんせつなどを調査ちょうさ中央ちゅうおう政府せいふ報告ほうこく大半たいはん現存げんそんしないが,天平てんぴょうねん(733ねん)2がつ30にち日付ひづけのある《出雲いずもこく風土記ふどき》が完全かんぜん現存げんそん常陸ひたち(ひたち)・播磨はりま(はりま)・豊後ぶんご(ぶんご)・肥前ひぜん(ひぜん)のものが部分ぶぶんてきのこる。
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風土記ふどき
ふどき

ひろ地誌ちし一般いっぱんをさすこともあるが,文学ぶんがくでは和銅わどう6 (713) ねんかんいのちもとづいて編纂へんさんされた各国かっこくべつのいわゆる「風土記ふどき」をいう。内容ないようとして,ぐんきょう好字こうじをつけること,ぐんない産物さんぶつ具体ぐたいてきしるすこと,土地とちの沃瘠 (よくせき) ,山川やまかわ原野げんや由来ゆらい古老ころう相伝そうでん旧聞きゅうぶん異事ことごとしるすことの5てん要求ようきゅうされている。諸国しょこく風土記ふどきはおおむね天平てんぴょう年間ねんかん (729~749) までに編纂へんさんされたとみられるが,その中央ちゅうおう提出ていしゅつされたものはほろび,延長えんちょう3 (925) ねんさい提出ていしゅついのちている。現存げんそんするのは常陸ひたち出雲いずも播磨はりま豊後ぶんご肥前ひぜんの5こくで,このうち『出雲いずもこく風土記ふどき』だけが完本かんぽん。ほかにじゅうあまりこく逸文いつぶん採集さいしゅうされている。 (→播磨はりまこく風土記ふどき , 肥前ひぜんこく風土記ふどき , 常陸ひたちこく風土記ふどき , 豊後ぶんごこく風土記ふどき )  

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山川やまかわ 日本にっぽんしょう辞典じてん 改訂かいてい新版しんぱん風土記ふどき」の解説かいせつ

風土記ふどき
ふどき

奈良なら時代じだいくにべつ編纂へんさんされた地誌ちし。713ねん(和銅わどう6)に,各国かっこくぐんきょうめい好字こうじをつけることをめいじるとともに,国内こくない産物さんぶつ地味じみ地名ちめい由来ゆらい古老ころうつたえる昔話むかしばなしなどを報告ほうこくするようかんいのちくだり,諸国しょこくではこれをうけてかい(げ)のかたちで上申じょうしんした。これらのかいぶん,あるいは各国かっこくのこされたその副本ふくほんが,中国ちゅうごく地誌ちし名称めいしょう影響えいきょう風土記ふどきしょうされた。現在げんざいまとまったかたちでのこるのは,常陸ひたち出雲いずも播磨はりま肥前ひぜん豊後ぶんごの5カ国かこく風土記ふどきで,このほかじゅうすうカ国かこく風土記ふどき逸文いつぶんしょしょ引用いんようされる。内容ないようはほぼ上記じょうきかんいのち対応たいおうするが,「古事記こじき」「日本書紀にほんしょき」とはことなる地方ちほう独自どくじ神話しんわ伝説でんせつなどもふくまれ,古代こだい地方ちほう社会しゃかいるうえで貴重きちょうである。「日本にっぽん古典こてん文学ぶんがく大系たいけい所収しょしゅう

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風土記ふどき
ふどき

奈良なら初期しょき最古さいこ地誌ちし
713ねん元明もとあき天皇てんのう諸国しょこく編集へんしゅうめいじ,各地かくち産物さんぶつ地理ちり地名ちめい由来ゆらい伝承でんしょうなどを漢文かんぶん記載きさい現存げんそんするのは常陸ひたち (ひたち) ・出雲いずも播磨はりま豊後ぶんご肥前ひぜんの5風土記ふどきで,出雲いずもだけが完本かんぽん奈良なら時代じだい貴重きちょう史料しりょうである。

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世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん旧版きゅうばんうち風土記ふどき言及げんきゅう

神道しんとう】より

…《古事記こじき》や《日本書紀にほんしょき》の神話しんわは,たしかに神道しんとうてきしょ観念かんねんをよくあらわしているが,かみ々のまつりにさいして,記紀きき神話しんわ教典きょうてんとして読誦とくしょうされるようなことはなかった。《古語こご拾遺しゅうい》や《風土記ふどき》も教典きょうてんとされ,中世ちゅうせいでは《先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ》もおもんぜられた。しかし,それらは古典こてんたいする知識ちしき神官しんかんあいだ尊重そんちょうされただけで,庶民しょみん記紀きき神話しんわ教典きょうてんとしてんだわけではない。…

地方ちほうこころざし】より

中国ちゅうごく全体ぜんたい地理ちりしょそうこころざしぶのにたいする。こうかん時代じだい以降いこう簡単かんたん地図ちずともなったぐんくに地理ちりてき叙述じょじゅつ,〈けい(ずけい)〉がつくられ,また特定とくてい地方ちほう山川やまかわ風俗ふうぞく古跡こせきなどを記載きさいした〈風俗ふうぞくでん〉や〈風土記ふどき〉とばれる地理ちりしょ出現しゅつげんした。いずれも地方ちほうこころざし原型げんけいといえる。…

地名ちめい】より

…たとえば江戸えど時代じだいに,江戸えど越後えちごひとにとってはともに〈大川おおかわ〉とばれていたかわ隅田川すみだがわ信濃川しなのがわ命名めいめいされ,また日本にっぽんちゅうひと地名ちめいとなっていったのである。
日本にっぽん

研究けんきゅう足跡あしあと
 《古事記こじき》《日本書紀にほんしょき》やかく風土記ふどきなどが,すでに地名ちめい存在そんざい重要じゅうようし,すうおおくの地名ちめい説話せつわ記載きさいしている。風土記ふどきのごときは,編纂へんさん要項ようこうに〈山川やまかわ原野げんや〉の名義めいぎについて明記めいきすることを規定きていし,くにぐんさとめいにいたるまで説話せつわ羅列られつ終始しゅうしした。…

日本にっぽん音楽おんがく】より


だい1
 はらはじめ日本にっぽん音楽おんがく時代じだい 楽器がっき出土しゅつどれいがみられる弥生やよい時代じだいから飛鳥あすか時代じだいまでにあたるが,楽曲がっきょく楽譜がくふのこっていないので明確めいかくにはわからない。《古事記こじき》《日本書紀にほんしょき》《風土記ふどき》《万葉集まんようしゅう》《ずいしょ倭国わのくにでんなどの文献ぶんけんちゅう断片だんぺんてき記事きじや,少数しょうすう楽器がっきやその演奏えんそううつした埴輪はにわ(はにわ)などの出土しゅつどひんにより,また日本にっぽん周辺しゅうへん原始げんしてき姿すがたをとどめる音楽おんがく(台湾たいわん原住民げんじゅうみん音楽おんがく南洋なんよう諸島しょとう音楽おんがく)やアイヌ音楽おんがくなどとの比較ひかく類推るいすいにより,想像そうぞうするほかはなく,つぎのように結論けつろんされている。歌謡かよう中心ちゅうしん音楽おんがくで,伝承でんしょう歌謡かようのほかに即興そっきょう歌謡かようおおおこなわれた。…

※「風土記ふどき」について言及げんきゅうしている用語ようご解説かいせつ一部いちぶ掲載けいさいしています。

出典しゅってん株式会社かぶしきがいしゃ平凡社へいぼんしゃ世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん旧版きゅうばん)」

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