ある中小企業が突然、不正輸出のぬれぎぬを着せられました。
捜査した公安警察の手法に疑念が持たれています。
その内幕を明らかにしようと、記者は追跡を続けました。
約1年にわたる取材録をつづります。
連載「追跡 公安捜査」は全10回です。
このほかのラインアップは次の通りです。
第1回 「公安は同じことやる」大川原化工機事件、捜査員が私に語った警告
第2回 公園の植え込みに潜む秘密資料を「拾った」私 まるでスパイ映画
第3回 中小企業はなぜ狙われたのか 私が感じた公安警察の「異質さ」
第5回「『利用された』医師の後悔」
第6回「公安の聴取はあったのか」
第7回「調査報道の壁」
第8回「警部補たち異例の直訴」
第9回「長官狙撃事件との共通点」
第10回「正義のありか」
高層ホテルやオフィスビルが林立する新横浜駅から在来線で2駅。
JR鴨居駅で電車を降りると、同じ横浜市内でも雰囲気はがらりと変わる。
線路に沿うように流れる鶴見川に架かる橋を渡ってしばらく歩くと、背の低い町工場が建ち並ぶ一角に4階建ての社屋が見えてきた。
梅雨を先取りしたかのような雨が降っていた5月、私(記者)は化学機械メーカー「大川原化工機」の本社に向かっていた。
どうしても話を聞きたい社員がいた。
その人はAさん(57)。
逮捕・起訴された大川原正明社長(75)ら3人の無実を証明するため、自社の噴霧乾燥器の実験を72回繰り返した人だ。
かかった費用は2000万円を超える。
実験は長い時で1日13時間に及んだ。その間、片時も噴霧乾燥器の前を離れず、実験を続けたそうだ。
噴霧乾燥器に詳しいベテラン技術者
Aさんと知り合ったのは1月のことだ。
私はその頃、警視庁公安部の捜査の落ち度をつかんでいた。
噴霧乾燥器に関する温度実験について、公安部の見立て通りに温度が上がらなかった測定箇所のデータを除外し、経済産業省に報告した疑いだ。
この話を記事にするには、噴霧乾燥器の構造を詳しく知る必要がある。会社側に相談し、紹介された技術者が入社30年を超えるAさんだった。
その後、私が電話やメールで追加の質問をしても、嫌なそぶりを見せずに対応してくれた。
記事が出るたび「こちら側では知り得ない事実を公にしていただき、感謝致します」などと丁寧なメールも送られてきた。
社長らの起訴が取り消されたのは、Aさんの温度実験が大きい。
私は今回の連載記事で取り上げたいと考え、取材を申し込んだ。すると、いつものように快諾してくれた。
聞けば、これまでは実験に関する取材はすべて断ってきたという。
苦しんできたのは社長ら3人で、自分は社員として当然のことをしたまで。特別なことはしていないと考えていたからだ。
Aさんの謙虚な人柄がにじみ出ていた。
取材当日、Aさんは「遠藤さん(記者)は、まず装置のことをしっかり知ろうとしてくれた。実験についても答えないといけないと思いました」と言い、実験に至るエピソードを明かしてくれた。
「実験で状況変わる」 弁護士の提案
2020年3月、Aさんは他の幹部社員とともに顧問弁護士の事務所にいた。
その数日前、社長らが公安部に外為法違反の疑いで逮捕され、今後の対応を協議する必要があった。
1人の弁護士が言った。
「実験できるなら状況は変わる」
噴霧乾燥器は液体を霧状にまき、付属のヒーターで熱風を送って粉末にする装置だ。
公安部は「空だき」をすれば菌が死滅するとして、「乾熱殺菌」が可能との立場だった。
一方、複数の社員が「装置内部には温度が上がらない場所がある」と話していた。
一部でも温度が一定以上にならなければ、乾熱殺菌は不可能だ。
ただ、実際に測ったことは一度もなかった。
弁護士の提案に、Aさんは二つ返事で「やります」と答えた。
その時、同席していた弁護士事務所代表の高田剛弁護士が横から口を挟んだ。
「温度を上げたままにしたらどうなるの?」
Aさんが「装置が壊れたり、燃えたりするかもしれません」と答える。
高田弁護士が「本当に壊れるの? 燃えたことあるの?」と質問を重ねると、Aさんが再び答える。
「さすがに壊れるまではや…