里山では人の手が入ることでユニークな生態系が育まれてきたが、過疎化などで荒廃が進む。西表島(沖縄県竹富町)も例外ではないが、里山を再生させる取り組みによって動植物が戻りつつある。活動のきっかけは、ある島民の古里に対する純粋な思いだった。
地球規模で進む生物多様性の損失に歯止めがかからない。生物多様性の宝庫と称される西表島にも経済活動の増加や里山の減少、地球温暖化などの脅威が迫る。固有の生態系をどう守っていくか。島の大自然を感じながら現状を、3回にわたり追った。(第2回)
第1回・世界に100頭の超希少種を守れ
第3回・世界遺産のマングローブ林を襲う「異変」(22日掲載)
島の北西を流れる浦内川で小型ボートを操縦しながら、平良彰健さん(69)は樹木が青々と生い茂る両岸を眺めた。「あそこに僕らの家があった。学校までは往復3時間。葉っぱに降りた朝露でズボンがぬれるのが嫌だったのをよく覚えているよ」
そう言って平良さんが指さした川の流域には、約半世紀前まで「稲葉」と呼ばれる集落があった。平良さんが6歳のころから7年間、両親ときょうだい5人と共に暮らした古里だ。
河口から15分ほど川をさかのぼったところで、ボートを左岸に寄せた。岸に降り、旧稲葉地区があった方へ向かう途中、平良さんはシークワーサーの木に目をやった。「この実をいくつか搾って砂糖を入れてよく飲んだなあ。電気が通っていないから冷蔵庫もない。ぬるいけど、天然のジュースはうまいんだ」
「住民ゼロ」になった集落
旧稲葉地区では一時、約15世帯が居を構え、稲作を営んでいた。だが、現在の市街地に当たる沿岸低地部でインフラが整い出すと、転居する家族が増えた。しばらくは通いで稲作を続けた元住民もいたが、1968年の洪水をきっかけに最後の住民だった平良さんらもこの集落を離れた。
水田が消え、一変した景色
ぬかるんだ地面を…