2029年の完成を目指す成田空港C滑走路建設のため、予定地にある千葉県芝山町の約130戸の移転が進んでいる。かつて空港建設反対派の幹部として活動してきた石毛博道さん(75)の自宅も新滑走路の予定地にあり、来年には町内の集団移転先に引っ越す予定だ。今は推進派に転じ、建設を見守る石毛さん。開港から半世紀近くたった今、空港とふるさとに対して抱く思いとは――。
20歳から反対運動
成田空港の建設は地元に十分な説明がないまま1966年に閣議決定された。地元の反対派農家と支援者は「三里塚・芝山連合空港反対同盟」を結成し、警察の機動隊と衝突する激しい反対運動を展開した。
芝山町で代々、大工をなりわいとしていた家に生まれ、自身も大工になった石毛さんは69年、当時20歳で同盟の「青年行動隊」に参加。71年に土地収用の強制代執行があり、石毛さんらは地下壕(ごう)を作り、機動隊に立ち向かった。
同盟は78年の開港後に運動方針を巡って分裂。今も一部で反対運動を続けているが、石毛さんらの熱田派は国や新東京国際空港公団(現・成田国際空港会社)と話し合う路線に転じた。15回に及んだ国や公団との公開シンポジウムなどを通じ、国は91年、B滑走路建設で土地の強制収用はしないと明言。その後、空港建設を強行したことを謝罪した。
新滑走路建設を推進
「組織としての反対運動は終わった」。国の姿勢が変わったことで、石毛さんはそう考えた。「自分の闘争に区切りをつけたい」と94年に熱田派事務局長を辞め、反対運動から離脱した。その後は大工の仕事をする傍ら、空港建設を巡りぎくしゃくしてしまった地域の関係を戻したいとの思い…