第だい24回かい心筋梗塞しんきんこうそくに倒たおれたヘビースモーカー小泉こいずみ八雲やくも 夏なつは怪談かいだんの季き節ぶしである。昔むかしから多おおくの怪談かいだん話ばなしが伝つたわるが、中なかでも異色いしょくの怪奇かいき譚たんは小泉こいずみ八雲やくも(ラフカディオ・ハーン)が著あらわした短編たんぺん小説しょうせつ集しゅう『怪談かいだん』であろう。とりわけ『耳みみなし芳一よしかず(ほういち)』の物語ものがたりは出色しゅっしょくの名作めいさくとして知しられる。…2018/08/19その他た
第だい23回かい上顎じょうがく癌がんに冒おかされていた四谷よつや怪談かいだんのお岩いわ 真夏まなつは幽霊ゆうれいの徘徊はいかいシーズン。いにしえより、非業ひごうの死しを遂とげたり、現世げんせいに執着しゅうちゃくを残のこす死者ししゃが化ばけて出でるのが幽霊ゆうれいと考かんがえられた。例たとえば、壇ノ浦だんのうら(だんのうら)の戦たたかいで祖母そぼの二に位いの尼あま(平清盛たいらのきよもりの妻つま)に抱いだかれて海中かいちゅうへ没ぼっした幼おさない安徳天皇あんとくてんのうも亡霊ぼうれいとなって方々かたがたへ出現しゅつげんしている。…2018/08/05その他た
第だい22回かいリウマチと闘たたかいながら描えがき続つづけたルノワール 豊満ほうまんな裸婦らふや愛あいらしい少女しょうじょを描えがいたフランスの画家がかルノワールは、わが国くにでとりわけ人気にんきがある。身長しんちょう168センチで小柄こがらなところも日本人にっぽんじんには親したしみがもてるようだ。そのルノワールは人生じんせい後半こうはんの30年間ねんかんを、関節かんせつリウマチとの闘たたかいにあけくれた。…2018/07/29その他た
第だい21回かい熱中ねっちゅう症しょうで倒たおれた新撰しんせん組ぐみ沖田おきた総司そうし 新撰しんせん組ぐみを一躍いちやく有名ゆうめいにしたのは京都きょうと三条小橋さんじょうこばしの旅籠はたご(はたご)池田いけだ屋やに集あつまった浪士ろうしを襲撃しゅうげきした事件じけんである。元治もとはる元年がんねん6月がつ5日にち(1864年ねん7月がつ8日にち)の夕方ゆうがただった。梅雨つゆのさなかとあって体調たいちょうを崩くずした隊たい士しも多おおかったが、土方ひじかた歳三としぞうを頭あたまとする25人にんと、近藤こんどう勇いさむが引ひき連つれた沖田おきた総司そうし、永倉ながくら新八しんぱち、藤堂とうどう平助へいすけ、近藤こんどう周平しゅうへいの5…2018/07/15その他た
第だい20回かい身体しんたい障害しょうがいを克服こくふくして信玄しんげんに仕つかえた 山本やまもと勘助かんすけ NHK大河たいがドラマ「風林火山ふうりんかざん」で山本やまもと勘助かんすけ(1493~1561)を知しった人ひとも少すくなくないだろう。勘助かんすけは色いろ黒くろの異相いそうで隻眼せきがん、しかも手足てあしの短みじかい低てい身長しんちょうで跛行はこうを呈ていしていた。父ちちは駿河するが今川いまがわ家かの家臣かしん山本やまもと貞幸さだゆき(さだゆき)、母ははは今川いまがわ義元よしもとの側近そっきんだった庵原いおはら忠ただし胤たね(いはら・ただたね)の妹いもうとで安やす女おんな(やすめ)といった。…2018/06/24その他た
第だい19回かい「オギノ式しき」を生うんだ荻野おぎの久作きゅうさく夫妻ふさいの絆きずな 歴史れきし上じょう、支ささえあう夫婦ふうふとして有名ゆうめいなのは前田まえだ利家としいえとまつ、秀吉ひでよしとねね、華はな岡おか青あお洲しゅうと加恵かえ(かえ)といったカップルだが、わたしは「オギノ式しき避妊ひにん法ほう」で知しられる荻野おぎの久作きゅうさくとその妻つまトメとの夫婦ふうふの絆きずなを思おもい浮うかべる。久作きゅうさくは世界せかいで最初さいしょに女性じょせいの排卵はいらん時期じきの法則ほうそくを見出みいだした産婦人科さんふじんか医いである。その妻つまトメは夫おっとの…2018/06/17その他た
第だい18回かい美人びじん尼あまの介護かいごを受うけた晩年ばんねんの良寛りょうかん 江戸えど時代じだいの歌人かじん良寛りょうかん(1758~1831)は越後えちご国こく出雲崎いずもざきに生うまれ、本名ほんみょうを山本やまもと栄蔵えいぞうといった。父ちちは地元じもとの名主なぬし(なぬし)で、以南いなん(いなん)と号ごうした俳人はいじんだった。2018/05/20その他た
第だい17回かい長女ちょうじょのうつ病びょうに悩なやまされた頼朝よりとも夫妻ふさい 風ふう薫かおる5月がつはうつ病びょうの季き節ぶしでもある。鎌倉かまくら幕府ばくふ初代しょだい将軍しょうぐん、源みなもと頼朝よりともの娘むすめもうつ病びょうを患わずらった一人ひとりだった。伊豆いずに配流はいるされた頼朝よりともは北条ほうじょう政子まさこと熱烈ねつれつな恋こいに落おちたが政子まさこの父ちち、北条ほうじょう時政ときまさは2人ふたりの交際こうさいをひどく嫌きらった。それでも政子まさこが治ち承うけたまわ2年ねん(1178年ねん)に長女ちょうじょ大だい姫ひめ(おおひめ)を生うむと、しぶしぶ2人ふたりの結婚けっこんを認みとめた。…2018/05/06その他た
第だい16回かい色好いろごのみの秀吉ひでよしに女おんなを世話せわした侍医じい 安土あづち桃山ももやま時代じだいの医師いし施薬せやく院いん全ぜん宗むね(せやくいん/やくいん ぜんそう)(1526~1599)は秀吉ひでよしの寵臣ちょうしんとして勢威せいいをふるった。近江おうみ国こくに生うまれたが出自しゅつじや経歴けいれきは明あきらかでない。2018/04/22その他た
第だい15回かい秀吉ひでよしが催もよおした醍醐だいごの花見はなみ 春はるは桜さくらの季き節ぶしである。満開まんかいの桜さくらに誘さそわれて今夜こんやも花見はなみ酒しゅにほろ酔よい加減かげんのドクターやナースもいるだろう。史上しじょう最もっとも有名ゆうめいな花見はなみといえば豊臣とよとみ秀吉ひでよしが京都きょうと伏見ふしみの醍醐寺だいごじ(だいごじ)で催もよおした「醍醐だいごの花見はなみ」が挙あげられる。慶長けいちょう3年ねん(1598年ねん)3月がつ15日にち、その日ひは風ふうもなく晴はれ渡わたり、それまで続つづいていた長雨ながあめが嘘うそ…2018/04/15その他た
第だい14回かい吉良上野介きらこうずけのすけを助たすけた南蛮なんばん流りゅう外科げか医いの外傷がいしょう治療ちりょう 元禄げんろく14年ねん(1701年ねん)3月がつ14日にち、江戸えど城本しろもと丸松まるまつの廊下ろうかで赤穂あこう藩主はんしゅ浅野内匠頭あさのたくみのかみ(あさのたくみのかみ)が突然とつぜん短刀たんとうを抜ぬいて高家こうか筆頭ひっとう(こうけひっとう)の吉良上野介きらこうずけのすけ(きらこうずけのすけ)に斬きりかかった。驚おどろいた上野うえの介かいが振ふりむくと、さらに刀かたなを浴あびせて眉間みけんを割わった。内匠たくみ頭あたまは直ただちに取とり押おさえられ、上野うえの介かい…2018/03/25その他た
第だい13回かい夏目なつめ漱石そうせきの胃潰瘍いかいようはピロリ菌きんの仕業しわざだった? 明治めいじの文豪ぶんごう 夏目なつめ漱石そうせき(1867~1916)は甘あまい物ものに目めがなかった。執筆しっぴつに倦(う)むと茶ちゃの間まの戸棚とだなを開あけたり閉しめたりしてしきりに菓子かしを物色ぶっしょくし、饅頭まんじゅうや羊羹ようかんをつまんでは胃いを害がい(そこ)ねた。苺いちごジャム缶かんをひと月がつに8缶かんも空そらにして医者いしゃに止とめられたこともある。鏡子きょうこ夫人ふじんはこどもたちのために作つくった自家製じかせい…2018/03/04その他た
第だい12回かい脳卒中のうそっちゅうで逝いった大奥おおおくの支配しはい者しゃ 天璋院てんしょういん篤あつし姫ひめ 幕末ばくまつ、幕府ばくふの衰退すいたいを憂うれえた老中ろうじゅう阿部あべ正弘まさひろは、13代だい将軍しょうぐん徳川とくがわ家定いえさだの正室せいしつに薩摩さつま藩主はんしゅ島津しまつ斉彬なりあきら(なりあきら)の一門いちもんで島津しまつ忠ただし剛つよし(ただたけ)の娘むすめ敬子けいこ(すみこ)を迎むかえることにした。とはいえ将軍家しょうぐんけ御台みだい所しょが外様とざま大名だいみょうの子女しじょでは具合ぐあいが悪わるい。そこで敬子けいこを斉彬なりあきらの養女ようじょとし、さらに近衛このえ忠ただし煕ひろし(ただひろ)の養女ようじょに…2018/02/18その他た
第だい11回かい山上憶良やまのうえのおくらを悩なやませた関節かんせつリウマチ 万葉まんよう歌人かじんとして名なをなした山上憶良やまのうえのおくら(やまのうえのおくら)(660~733)は、天智天皇てんぢてんのうの時代じだいに百ひゃく済ずみ(くだら)から渡来とらいした医師いし憶仁(おくに)の子こではないかといわれる。42歳さいのとき遣唐使けんとうしとして唐国からくにに渡わたり、3年ねん後ごに帰朝きちょうした。57歳さいで伯耆ほうき国こく(ほうきのくに)(鳥取とっとり県けん)の長官ちょうかんに任にんじられる。…2018/02/04その他た
第だい10回かい脚気衝心かっけしょうしんに倒たおれた公武こうぶ合体がったいの犠牲ぎせい者しゃ 和宮かずのみや 仁孝天皇にんこうてんのうの第だい8皇女おうじょ和宮かずのみや親子おやこ内親王ないしんのう(かずのみやちかこないしんのう)が誕生たんじょうしたとき、帝みかどはすでに崩御ほうぎょされていた。父ちちの顔かおを知しらぬ和宮かずのみやを不憫ふびん(ふびん)に思おもった異母いぼ兄けいの孝明天皇こうめいてんのうは、和宮かずのみやが6歳さいのとき有栖川宮熾仁親王ありすがわのみやたるひとしんのう(ありすがわのみやたるひと)と婚約こんやくを結むすばせた。…2018/01/21その他た
第だい9回かい極寒ごっかんの北きたアルプスを越こえた戦国せんごく武将ぶしょう 佐々ささ成しげる政せい 現代げんだいは中高年ちゅうこうねんの登山とざんブームである。だが真冬まふゆの北きたアルプス登山とざんに挑戦ちょうせんする年配ねんぱい者しゃはめったにいないだろう。2018/01/08その他た
第だい8回かい戦国せんごく武将ぶしょう 武田たけだ信玄しんげんの命いのちを奪うばった食道しょくどうがん 武田たけだ信玄しんげん(1521~1573)は元もと亀かめ3年ねん(1572年ねん)の晩秋ばんしゅう、大軍たいぐんをもって甲府こうふを南下なんかした。同年どうねん12月がつ22日にちには三さん方ぽうヶ原ばら(みかたがはら)で家康いえやすと戦たたかい、大だい勝利しょうりをおさめた。翌よく天正てんしょう元年がんねん4月がつ初旬しょじゅん、三河そうご野田城のだじょうを包囲ほういした信玄しんげんは体調たいちょうを崩くずして病臥びょうがし、甲府こうふへ帰陣きじんする途中とちゅう、死去しきょした。けれども信玄しんげんは三河そうごで急きゅうに発病はつびょうし…2017/12/24その他た
第だい7回かい江戸えどで猛威もういを振ふるったインフルエンザ 日本にっぽん列島れっとうは17世紀せいき末まつから19世紀せいき初頭しょとうにかけて大だい寒波かんぱに見舞みまわれた。医学いがく史しを紐解ひもとけ(ひもと)くと、この間あいだ、時とき気き感冒かんぼう(インフルエンザ)が27回かいも集中しゅうちゅう的てきに発生はっせいしている。2017/12/10その他た
第だい6回かいチャイコフスキーのうつ病びょうと最期さいごに襲おそったコレラ チャイコフスキーは21歳さいまで法務省ほうむしょうの役人やくにんだったが、パリやスイスを旅行りょこうしたあと、音楽家おんがくかになろうと22歳さいで新設しんせつのペテルブルグ音楽おんがく院いんに入学にゅうがくした。2017/11/29その他た
第だい5回かい三さん十じゅう六ろく回かいの手術しゅじゅつの末すえ 安楽あんらく死しを選えらんだフロイト 精神せいしん分析ぶんせき学がくの創始そうし者しゃジークムント・フロイト(1856~1939)はオーストリアの小しょう都市としフライベルクでユダヤ商人しょうにんの息子むすこに生うまれ、ウィーン大学だいがく医学部いがくぶを経へて30歳さいで医院いいんを開業かいぎょうした。その後ご、セックスを重視じゅうしする精神せいしん分析ぶんせき療法りょうほうを開拓かいたくし、地元じもとでは無視むしされたが、その独創どくそう的てきな理論りろんは全ぜん世界せかいに知しれわたり、ウィ…2017/11/12その他た
第だい4回かい大だい横綱よこづな双葉ふたば山さんが患わずらったアメーバ赤痢せきり 昭和しょうわの名めい横綱よこづな 双そう葉山はやま定次さだじ(ふたばやまさだじ)(1912~1968)は身長しんちょう178cm、体重たいじゅう124kgでBMI(肥満ひまん指数しすう)は39。巨漢きょかんではないが引ひき締しまって均整きんせいのとれた体からだをしており、優勝ゆうしょう12回かい(うち全勝ぜんしょう8回かい)という見事みごとな成績せいせきを残のこした。1936年ねんに関脇せきわけに昇進しょうしんしたのち翌年よくねん1月がつに大関おおぜき、同年どうねん5月がつには全勝ぜんしょう3連覇れんぱで横綱よこづなに推…2017/10/29その他た
第だい3回かい癌がんの余命よめい宣告せんこくに動揺どうようした洋画ようが家か 藤田ふじた嗣治つぐじ 今年ことしは天才てんさい洋画ようが家か藤田ふじた嗣治つぐじ(ふじた・つぐはる)の生誕せいたん131年ねん目めにあたる。彼かれの流麗りゅうれいで日本にっぽん画が的てきな描線と白しろい絵えの具ぐで彩いろどり(いろど)られた精妙せいみょうな作品さくひん群ぐんを愛あいする人ひとは多おおかろう。 藤田ふじたは1886年ねん11月27日にち、東京とうきょうに生うまれた。父ちちはのちに陸軍りくぐん軍医ぐんい総監そうかんに就任しゅうにんした藤田ふじた嗣章(つぐあき)である。嗣治つぐじが6歳さいのとき母はは…2017/10/11その他た
第だい2回かい平安へいあん貴族きぞくのメタボリックシンドローム 食欲しょくよくの秋あきがやってきた。だが美酒びしゅ美食びしょくにふけり運動うんどう不足ふそくが過すぎると、知しらぬまにメタボリックシンドロームになりかねない。厚生こうせい労働省ろうどうしょうも、男性だんせいで腹囲ふくいが85センチ以上いじょう、女性じょせいで90センチ以上いじょうある人ひとたちが高血圧こうけつあつ、脂質ししつ代謝たいしゃ異常いじょう、高こう血糖けっとうを合あわせもつと、心筋梗塞しんきんこうそくや脳卒中のうそっちゅうなどを発症はっしょうしやすいと警告けいこくを発はっして…2017/09/26その他た
第だい1回かい結核けっかく性せい脳脊髄膜炎のうせきずいまくえんで夭逝ようせいした中原なかはら中也ちゅうや 今年ことし生誕せいたん110年ねんを迎むかえた詩人しじんの中原なかはら中也ちゅうやは1907年ねん(明治めいじ40年ねん)、山口やまぐち市しの湯田温泉ゆだおんせんに医師いしの子ことして生うまれた。幼おさない頃ころは神童しんどうと呼よばれたが、山口やまぐち中学ちゅうがく在学ざいがく中ちゅうに詩作しさくにのめりこみすぎ、3年生ねんせいで落第らくだいした。世間体せけんていを重おもんじる父ちちは息子むすこを京都きょうとの立たて命いのち館かん中学ちゅうがくへ編入へんにゅうさせた。…2017/09/20その他た
著者ちょしゃプロフィールしのだ たつあき●1962年ねん名古屋大学なごやだいがく医学部いがくぶ卒そつ。整形せいけい外科げか医いにして作家さっか。医学いがくを題材だいざいにした歴史れきし物ぶつの著作ちょさくが多おおく、主おもな著書ちょしょに「徳川とくがわ将軍家しょうぐんけ十じゅう五ご代だいのカルテ」「モナ・リザは高こう脂あぶら血ち症しょうだった」(新潮しんちょう新書しんしょ)、「日本にっぽん史し有名人ゆうめいじんの身体しんたい測定そくてい」(KADOKAWA)など。
連載れんさいの紹介しょうかい病やまいと歴史れきしへの招待しょうたい豊臣とよとみ秀吉ひでよしや武田たけだ信玄しんげんといった著名ちょめいな武将ぶしょうから、フロイト、チャイコフスキー、夏目なつめ漱石そうせきなどの国内外こくないがいの文化ぶんか人じん、横綱よこづな双葉ふたば山さんや四谷よつや怪談かいだんのお岩いわまで、歴史れきし上じょうの人物じんぶつの病やまいの記録きろく。月刊げっかん誌し『日経にっけいメディカル』の連載れんさい記事きじを再さい編集へんしゅう。
2NEWS◎熱中ねっちゅう症しょうの重症じゅうしょう度どを4分類ぶんるいに、診療しんりょうアルゴリズムも見直みなおし日本にっぽん救急きゅうきゅう医い学会がっかいが「熱中ねっちゅう症しょう診療しんりょうガイドライン2024…
3ニュース追跡ついせき◎今回こんかいの事案じあんに対たいする質問しつもんに病院びょういんが回答かいとう“研修けんしゅう医い誤診ごしん”報道ほうどうの名古屋なごや第だい二に日にち赤あか、「検証けんしょう結果けっか、…
4リポート◎徹底てってい分析ぶんせき2024診療しんりょう報酬ほうしゅう改定かいてい軽症けいしょう・施設しせつ中心ちゅうしんの在宅ざいたく医療いりょうに打撃だげき! 大幅おおはば減収げんしゅうで施設しせつ…