『Web版ばん史料しりょう纂集』は、オンライン辞書じしょ・事典じてんサイト「ジャパンナレッジ」の電子でんし書籍しょせきプラットフォームJKBooksにて配信はいしん中ちゅうの史料しりょうデータベースです。2023年ねん1月がつに「古こ記録きろく編へん・第だい1期き」、2024年ねん1月がつには「古こ記録きろく編へん・第だい2期き」が配信はいしんされました。紙かみ書籍しょせきの単たんなる電子でんし書籍しょせき化かにとどまらない、リサーチツールとしてのデータベース活用かつよう法ほうを具体ぐたい的てきに紹介しょうかいします。

「古記こき録ろく」とは

『史料しりょう纂集』古こ記録きろく編へんと聞きいたとき、「古記こき録ろくって何なに？」と思おもう方ほうは多おおいかもしれません。
古記こき録ろくとは、ようは日記にっきのことです。日本にっぽん史学しがくにおける「史料しりょう」は基本きほん的てきに「古文書こもんじょ」と「古記こき録ろく」から成なっています。現代げんだいの小学校しょうがっこうで例たとえれば、学校がっこうで配くばられるプリントが「古文書こもんじょ」に、児童じどうの書かく日記にっきが「古記こき録ろく」に相当そうとうするという風ふうに認識にんしきしておけば、大体だいたい問題もんだいありません。

『史料しりょう纂集』古こ記録きろく編へんは、前ぜん近代きんだいの日記にっきを翻刻ほんこく（活字かつじ化か）している史料しりょう集しゅうの一ひとつです。

中世ちゅうせい前期ぜんきにおいて日記にっきを書かく人ひとの大だい多数たすうは貴族きぞくでした。貴族きぞくは様々さまざまな儀式ぎしきに出仕しゅっしするのが日常にちじょう業務ぎょうむで、日記にっきというのは、そうした儀式ぎしきにおける振ふる舞まい方かたを記しるすものでした。振ふる舞まいの一ひとつ一ひとつが仕事しごと上じょうの評価ひょうかと出世しゅっせに直結ちょっけつする社会しゃかいだったので、日記にっきは自分じぶんや未来みらいの子孫しそんのための大切たいせつな備忘びぼうでした。
ゆえに貴族きぞくの日記にっきには、どこからどう歩あるいてどう曲まがったとか、手てをどう動うごかしたとか、儀式ぎしきにおける所作しょさが、時ときに驚おどろくほど細こまかく書かかれています。

古記こき録ろくの精読せいどくとは、そうした儀式ぎしきなどの記事きじに書かかれた情報じょうほう・情景じょうけいを、頭あたまの中なかに復元ふくげんしながら読よんでいくことです。しかし、中世ちゅうせいの日記にっきは基本きほん的てきに漢文かんぶんで書かかれていますし、今いまでは使つかわない言葉ことばも多おおく用もちいられています。

ゆえに古記こき録ろくを読よむときには、様々さまざまな辞書じしょを座右ざゆうに（または、今いまでは画面がめん上じょうに）備そなえ、それらとにらめっこしながら読よんでいくことになります。
ただ、辞書じしょに載のっていない言葉ことばと出会であうことも、案外あんがいよくあるのです。

「反はん鼻はな」―辞書じしょで分わからない言葉ことば

『経けい俊しゅん卿きょう記き』という、鎌倉かまくら時代じだいの貴族きぞくの日記にっきがあります。
正せい元もと元年がんねん（1259）8月がつ11日にち条じょうは、後こう嵯峨さが上皇じょうこうの一時いちじ的てきな引越ひっこし（「移徙わたまし（わたまし）」）の記事きじです。当時とうじ、天皇てんのう・上皇じょうこうの引越ひっこしはれっきとした儀礼ぎれいで、引越ひっこし先さきでは色々いろいろな手続てつづきが付帯ふたいして行おこなわれました。その中なかから一部いちぶを引用いんようします。

「御前ごぜん物ぶつ」はここでは上皇じょうこうの食たべる食膳しょくぜんのこと、「陪膳」は食膳しょくぜんを上皇じょうこうの前まえに配置はいちする係かかり、「役やく送おく」は陪膳係がかりのところまで食膳しょくぜんを運はこぶ係かかりのことです。「権けん大納言だいなごん」や「参議さんぎ」は、比較的ひかくてき身分みぶんの高たかい官職かんしょく名めいです。
現代げんだい語ご訳やくすると、「次ついで（後ご嵯峨さが上皇じょうこうに）御前ごぜん物ぶつを供そなえた。陪膳は権けん大納言だいなごん〈師し継ままし。〉が折敷おしきを取とって参さん仕つかまつした。役やく送おくは参議さんぎの伊い頼よりゆき卿きょう・時じ継つぎ卿きょう・顕あきら雅みやび卿きょう・経けい俊しゅん・高こう定じょう朝臣あそん以下いかが勤つとめた」となります。

さて、問題もんだいは最後さいごの「反はん鼻はな役やく之の」です。役やく送おくのやり方かたを補おぎなって説明せつめいしている文章ぶんしょうで、「役やく之の」は「これを役えきす（これ＝役やく送おくにあたった）」としか読よむほかありませんが、前まえについている「反はん鼻はな」の意味いみがよく分わかりません。
文法ぶんぽう上じょうは動詞どうし（「反はん鼻はなしてこれを役えきす」）か副詞ふくし（「反はん鼻はなにこれを役えきす」）か名詞めいし（「反はん鼻はなこれを役えきす」）かのどれかですが、この文章ぶんしょうだけだと判断はんだんがつきません。

そこで、まずは「反はん鼻はな」で辞書じしょを引ひいてみます。
『日本にっぽん国語こくご大だい辞典じてん』第だい2版はん（JapanKnowledge搭載とうさい）には、中世ちゅうせいに使つかわれていた「反はん鼻はな（ヘンビ・ヘンピ）」という語かたりの意味いみとして、

という2つが載のっていました。ほかの辞書じしょもほぼ同様どうようです。

しかし、先さきほどの文章ぶんしょうにこれらの意味いみは合致がっちするでしょうか。答こたえは否ひです。文脈ぶんみゃく上じょう、ここで蛇へびや舞楽ぶがくの話はなしになるはずがないからです。つまりこの「反はん鼻はな」は、辞書じしょに載のっていない3つ目めの意味いみをもつ「反はん鼻はな」だ、ということになります。

『Web版ばん史料しりょう纂集』で用例ようれいを収集しゅうしゅうする

それでは、その3つ目めの意味いみを調しらべましょう。辞書じしょに載のっていない意味いみを調しらべるとは、つまり他たの古記こき録ろくから用例ようれいを収集しゅうしゅうして意味いみを考かんがえるということです。

古記こき録ろくの用例ようれいを調しらべるとき、よく利用りようされるものに東京大学とうきょうだいがく史料しりょう編纂へんさん所しょの公開こうかいしている「古記こき録ろくフルテキストデータベース」があります。同所どうしょ編纂へんさんの『大だい日本にっぽん古記こき録ろく』を中心ちゅうしんとした古記こき録ろくのテキストがデータベース化かされたものです。
ここで「反はん鼻はな」を検索けんさくしてみたところ、6件けんがヒットしました。その中なかには先さきに引用いんようした『経けい俊しゅん卿きょう記き』の文章ぶんしょうも含ふくまれており、それを除外じょがいすると、残のこりはおそらく楽器がっきとしての用例ようれいのみです。どうもこれだけでは、今いま知しりたい「反はん鼻はな」の意味いみはよく分わかりません。

では、『Web版ばん史料しりょう纂集』はどうでしょうか。検索けんさくすると、本文ほんぶんとして18件けんの用例ようれいがヒットします。そしてこの中なかには、私わたしの求もとめている「反はん鼻はな」と同おなじ意味いみで用もちいられているとみられるものが16件けんありました。

その中なかの1件けん、藤原ふじわら兼けん仲なかの記しるした『勘かん仲なか記き』建治けんじ3年ねん（1277）正月しょうがつ9日にち条じょうでは、『経けい俊しゅん卿きょう記き』と同おなじく役えき送おくに関係かんけいしたところで「反はん鼻はな」が使つかわれています。

「～之の間あいだ」は、中世ちゅうせいでは「～なので」という意味いみにも使つかわれましたので、「不足ふそくのあいだ上じょう首くび三さん人にん反はん鼻はなす」とは、運はこぶべき御膳ごぜんの数かずに対たいして、役やく送おくのメンバーが5人にんだけでは足たらなかったので、3人にんが「反はん鼻はな」することになったということでしょう。「隆博たかひろ朝臣あそん・範はん賢けん朝臣あそん・私わたし（兼けん仲なか）・顕家あきいえ・親おや基もとの5人にんの役やく送おくのうち上うえ首くび3人にんは、陪膳のいるもとに御膳ごぜんを運はこんでから、御膳ごぜんの準備じゅんび場所ばしょに戻もどって、再ふたたび御膳ごぜんを運はこんだ」と解釈かいしゃくできそうです。
よって、ここでいう「反はん鼻はな」は、「引ひき返かえすこと、立たち戻もどること」を意味いみする動詞どうしとしてとらえるべき語かたりであることが分わかりました。

ほかの用例ようれいに照てらしてみても、「不足ふそく反はん鼻はな勤つとむ之の（不足ふそくは反はん鼻はなしてこれを勤きんむ）」（『勘かん仲なか記き』弘安ひろやす2年ねん7月がつ7日にち条じょう）、「題名だいめい僧そう被ひ物もの公卿くぎょう反はん鼻はな取と之これ（題名だいめい僧そうの被ひ物ものは公卿くぎょう反はん鼻はなしてこれを取とる）」（『公おおやけ衡公記き』嘉よしみ元もと2年ねん7月がつ22日にち条じょう）などなど、「引ひき返かえすこと、立たち戻もどること」の意味いみで訳やくして問題もんだいないものばかりであることが確認かくにんされます。
行列ぎょうれつの先頭せんとうの方ほうの人ひとが「反はん鼻はな」してきてまた並ならび直なおすという事例じれいもありました（『公おおやけ衡公記き』正和しょうわ4年ねん5月がつ23日にち条じょう）。
古記こき録ろくの用例ようれい検索けんさくを通つうじて、はじめに引ひいた『経けい俊しゅん卿きょう記き』の文章ぶんしょうも、これでよく意味いみをとれるようになりました。

ところで、引ひき返かえす意味いみの「反はん鼻はな」は、先さきほどの『経けい俊しゅん卿きょう記き』正せい元もと元年がんねん（1259）8月がつ11日にち条じょうが早はやい例れいのようです。そこから『勘かん仲なか記き』や『公おおやけ衡公記き』といった鎌倉かまくら後期こうき〜末期まっきの日記にっきを経へて、最後さいごは『園えん太たい暦れき』の貞和さだかず5年ねん（1349）5月がつ13日にち条じょうです。
つまり、13世紀せいき中ちゅうごろから使つかわれはじめ、14世紀せいきには廃すたれていった言葉ことばらしいということも、『Web版ばん史料しりょう纂集』の検索けんさく結果けっかを俯瞰ふかんして推測すいそくすることができます。

データベース検索けんさくで広ひろがる視野しや

最後さいごに、「反はん鼻はな」の語源ごげん、つまり、なぜ引ひき返かえすことを「反はん鼻はな」というようになったのか考かんがえておきます。
『時代じだい別べつ国語こくご大だい辞典じてん　室町むろまち時代じだい編へん』に、「馬うま（うま）」の子こ項目こうもくとして、「馬うまの鼻はなを返かえす」という語かたりが立たて項こうされているのを見みつけることができました。「乗のっている馬うまの鼻先はなさきを反対はんたい向むきにする意いで、馬うまをもと来きた方ほうへ向むかせること、引返ひきかえすことをいう」とのことです。
手綱たづなで進行しんこう方向ほうこうを逆転ぎゃくてんさせるところが頭あたまに浮うかびますが、この言葉ことばは「反はん鼻はな」とよく似にています。
『時代じだい別べつ国語こくご大だい辞典じてん』には用例ようれいとして南北なんぼく朝あさ期きの『太平たいへい記き』などが挙あがっていますが、鎌倉かまくら初期しょきの説話せつわ集しゅう『古事ふるごと談だん』第だい4−27「安藤あんどう忠ただし宗そう、敵てきに馳はせ向こうかふ事ごと」にも用例ようれいがありました。
実じつは「反はん鼻はな」で用例ようれいが見みつからなかった「古記こき録ろくフルテキストデータベース」でも、「返かえし鼻はな」では5例れいが出でてくるのです。「反はん鼻はな」「返かえし鼻はな」どちらにも表記ひょうきしたのでしょう。データベースは調しらべ方かたも大事だいじだという一いち例れいでもあります。

つまり、引ひき返かえす意味いみの「馬うまの鼻はなを返かえす」という表現ひょうげんが鎌倉かまくら初期しょきまでに定着ていちゃくしていて、そこからだんだん「鼻はなを返かえす」が馬うまだけではなく人ひとについても使つかわれるようになったのではないか、という推測すいそくができそうです。
だから「反はん鼻はな」は、「ヘンビす」と音読おんどくしたのではなく、「鼻はなをかえす」と訓読くんどくしていたのだろうと考かんがえられます。

このような細こまかな単語たんご一ひとつをも割わりと容易よういに掘ほり下さげられるようになったという点てんが、『Web版ばん史料しりょう纂集』をはじめとしたデータベースの大おおきなメリットだと思おもっています。

〔参考さんこう記事きじ〕

Web版ばん史料しりょう纂集・群ぐん書しょ類従るいじゅう　お役立やくだちコンテンツ（八木はちぼく書店しょてん出版しゅっぱん部ぶのページ）

國學院大學こくがくいんだいがく大学院だいがくいん文学ぶんがく研究けんきゅう科か博士はかせ後期こうき課程かてい史学しがく専攻せんこう　百瀬ももせ 顕あらわ永ひさし（ももせ あきひさ）

本稿ほんこうは書評しょひょうサイトAll Reviewsにて公開こうかいされた記事きじを、八木やぎ書店しょてんの許可きょかをいただいて転載てんさいさせていただくものです。