引っ越し先で見つけた小さなミュージックバーにひとりで訪れると…
元気がない時には、ひとりで飲みに出かける癖がある。
特にカウンターは心地がいい。そこには孤独のない、私だけの空間が出来上がる気がした。
そんな私が、引っ越した先で近所に見つけたのは小さなミュージックバーだった。
細い路地にある重厚なドアを開けると、そこは陽気な音楽と笑い声で賑わっている。オレンジ色の灯りが至るところをぼんやりと照らし、暖かく迎え入れてくれるようだった。
「ちょっと!若いお姉ちゃんがひとりで来てくれたんだから、そこの席空けて!」
初めて訪れた時、マスターはぎゅうぎゅうなカウンターに椅子を置いて一席作ってくれた。みんなが私の顔を物珍しそうに見る。ほとんどが地元の常連さんのようだった。
「え、調べて来てくれたの?嬉しいねー。さては変わり者だなー」
そう言うマスターは、ここには曲者が集まるから、とカウンターをわざとらしくチラチラ見渡す。ちょっとー!と、どこからともなく突っ込みが入ると、ガハハハと目を細めて笑った。
それから私は定期的にそのお店を訪れるようになった。
お店で出会う人は、どんな人も魅力的で、話したことが心に残った
あれは少しムカムカしていた日だった。
今日は誕生日の友人と来ているんだ、というお兄さんに出会った。スーツを着たそのお兄さんはなぜかお米を持っていて、これは誕生日プレゼントだと話す姿はどう見たって、誕生日を迎えた本人より泥酔していたけれど。
「本当にめでたい。本当におめでとう!お前が産まれてよかったよ!」
そう、ずーっとニコニコ笑っている。明日も仕事だから俺帰るよ、と苦笑いの友人に、俺もだぞ!とお兄さんは大笑いしていて。
その光景に、恋しい友人たちの顔を思い出す。会いたいなあ。胸がギュッと、心地いい痛みに包まれたのだった。
進むべき道が分からなくなったあの日も、私は店に出向いた。するとおじさんが隣に座った。小説を今書いていて、と遠慮気味に話す私に、
「お、すごいですね。実は僕も……」
と以前脚本を書いていたと教えてくれた。
そのおじさんが話してくれた脚本の内容は、思わず先を促してしまうほど魅力的なストーリーで。心に波が立ったような焦燥感に追い立たされる。帰らなくちゃ。私はマスターに最後の一曲をリクエストした。おすすめの曲ですね、と耳を澄ますおじさんはポツリと呟く。
「この曲は、喧騒の中で一人、イヤフォンで聴きたくなるような曲ですね。決心をした、そんなような」
私の心が見えているかのようだった。確信が持てなかった決心を、あの時おじさんが形どってくれた。そんな気がして。波は追い風とともにあることを、私は初めて知ったのだった。
そのお店には、常連のとある姉さんがいる。優しくてかっこよくて、みんなに慕われているようだった。
いつだったか、「今日は行きませんか……?」なんておずおずと連絡した私の誘いに乗ってくれたことがある。悲しさとモヤモヤが詰まっていた日の終わりだった。
「別にいいんじゃない?」
「それダメだよ」
いつも通りズバズバと切り捨てていく姉さんに、えーそんなこと言わないでー、なんて泣き言を露わにしながら、
「この街は、飲み屋で会った人もみんな、朝すれ違ったら挨拶してくれるんですよ。じゃあそれも若い女だからってことですかね」
そう言うと、姉さんは大きく首を横に振った。
「それは、違うよ。あなたの人柄があるからでしょ。話しやすくて、気さくな本性を知ってるからだよ」
元気がないときは無理してでも大好きな人に会える場所に身を委ねよう
嬉しくて、温かくて、スーッと心に詰まったものが消えていく。こんな女性になりたいと、
私はいつだって姉さんを見るたびに思い、会う度にハグを迫るのだ。
目まぐるしい日々に疲れた時、私はいつもこのバーを訪れる。そこには、孤独もないけれど干渉もないーーーと、思っていた。
だけれど私があの店に向かってしまう本当の理由は、『団らん』を求めているからなのかもしれない。それは『孤独』の反対だと、やっと気が付いた自分に少し呆れた。
重い腰を上げ、無理をしてでも大好きな人に会いに行き、大好きな場所に向かう。あとは身を委ねてしまえばいい。
元気が出ない時、私はいつもこのバーを訪れる。