日本語にほんごはつくづく不思議ふしぎだ。不思議ふしぎだけど、それがあいおしかったりもする。

わたし大学院だいがくいん修士しゅうし課程かてい日本語にほんごがく専攻せんこうしていた、いわゆる「ことばオタク」だ。なんだかんだいながらも大学院だいがくいんでは真面目まじめ語彙ごい研究けんきゅうをしていたし、修士しゅうし論文ろんぶんもしっかりいて修了しゅうりょうした。
とはえ、現在げんざいはそれらとはまったえんのない民間みんかん企業きぎょうつとめている。そのためいまとなっては、ひとよりちょっとだけ「ことば」にたいするアンテナがちやすい、ただの「オタク」にがってしまっている。だからわたしは、「ことばオタク」。
研究けんきゅう世界せかいからははなれてしまったし、今後こんごそこにもど予定よていとくいが、「ことば」とりわけ「日本語にほんご」にたいするおもれは、相変あいかわらず自身じしんのアイデンティティとしてのこっている。

◎          ◎

大学だいがく大学院だいがくいん在学ざいがくちゅう様々さまざまなごえんめぐまれ、日本語にほんごまな留学生りゅうがくせいかかわる機会きかいおおかった。かれ彼女かのじょらから日本語にほんご不思議ふしぎてんむずかしいてんなどを沢山たくさんいてたが、そのなかでも比較的ひかくてきおおかったのが「文字もじ種類しゅるいおおさ」である。

ひらがな、カタカナ、漢字かんじさらにはマ字まじ
てには、アラビア数字すうじ(「100」など)だけでなくローマ数字すうじ(「Ⅳ」「ⅲ」など)が使つかわれることも時々ときどきあるし、ギリシャ文字もじ(「αあるふぁ」など)や記号きごう使つかわれることもある。
国立こくりつ国語こくご研究所けんきゅうじょの「ことば研究けんきゅうかん」(https://kotobaken.jp/qa/yokuaru/qa-155/)によると、ここまでおおくの種類しゅるい文字もじ使つかわれる言語げんごは、世界中せかいじゅう見渡みわたしてもかなりまれだそうだ。

わたしはこれだけの文字もじ体系たいけいおおさにかっている日本語にほんご学習がくしゅうしゃはたからながめて、「これだけのりょうよくおぼえられるよなぁ」とか「自分じぶん母語ぼご話者わしゃ)の場合ばあいは、どうやって使つかいこなせるようになったんだっけ……?」と不思議ふしぎおもうこともあった。

◎          ◎

母語ぼご話者わしゃですらどうやって使つかいこなしているかさっぱりからない、複数ふくすう日本語にほんご文字もじ
しかし母語ぼご話者わしゃだからこそ、日本語にほんごのそれぞれの文字もじには「なんとなく」、だけど「おおくのひとつたわる」雰囲気ふんいきがあるようにおもえる。

ひらがなはなんとなく「やわらかい」。それに「やさしい」。もともとにほんごを母国ぼこくとするひと、そうでないひとかかわらず、はじめて勉強べんきょうする文字もじ。「やさしい」ということばは、「やさしい」とも「やさしい」ともいえるかもしれない。

たいして、カタカナはどことなく「スタイリッシュ」。日本語にほんごのネイティブ・ノンネイティブにかかわらず、オリジナルの意味いみつたわらなくてコミュニケーションがむずかしくなることもあるし、どことなくカッコつけたようなニュアンスがつたわってくる。特定とくていのジャンルにしかユーザーがないような専門せんもん用語ようごも、カタカナのことばがおおかったりする。
つたわれば「身内みうち」、そうでなければ「アウトサイダー」、そんな気持きもちになるかもしれない。

そして漢字かんじは「はしら」。ひらがなやカタカナだけの世界せかいでも日本語にほんご理解りかいはなすことも可能かのうだが、漢字かんじ使用しようすることによって、表現ひょうげん世界せかいがグッと拡大かくだいする。
でも、完全かんぜん習得しゅうとくするには多大ただい時間じかん努力どりょく必要ひつよう。たとえ日本にっぽんまれそだっていても、義務ぎむ教育きょういくというなが期間きかんで、すこしずつ沢山たくさん漢字かんじ勉強べんきょうする。なかには同音どうおん異義いぎもあり、なかなか一筋縄ひとすじなわではかないけど、日本語にほんご勉強べんきょうするじょう回避かいひ不可能ふかのうだったりもする。

以上いじょうは、あくまでもわたし普段ふだんかんじている印象いんしょうげたまでだ。
ひとによって印象いんしょうことなるかもしれないが、普段ふだん日本語にほんご使用しようするみなさんのなかにも、らずらずのうちにたようなイメージが根付ねついているのではなかろうか。

◎          ◎

日本語にほんごかぎらず、ことばをにつけ自由じゆうあやつれるまでのレベルにたっすることは、けっして簡単かんたんではない。
しかしそれをえたさきには、こんな雰囲気ふんいきのことばでつたえたい、きたいなどといったことばの「空気くうきかん」をかんれるようになるだろうし、その「空気くうきかん」を完全かんぜんあやつれるいきたっするには、たとえ母語ぼご話者わしゃであってもてしないみちだとかんがえる。
今回こんかい日本語にほんご文字もじ種類しゅるいいちれいとしてげたが、それ以外いがいにも、ことばの「空気くうきかん」をあやつ手段しゅだん沢山たくさんあるだろう。

ことば(日本語にほんご)をあいするものとして、わたし一介いっかいの「ことばオタク」をえて空気くうきかんをもあやつれる「ことばマスター」になりたいし、そのための研鑽けんさんの1つとして、これからも自身じしんおもいをつらねていきたい。